研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『TOBUNKEN NEWS (東文研ニュース)』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。

東京文化財研究所 保存科学研究センター
文化財情報資料部 文化遺産国際協力センター
無形文化遺産部


日韓無形文化遺産研究交流成果発表会の開催

成果発表会の参加者一同

 東京文化財研究所無形文化遺産部は平成20(2008)年より大韓民国国立無形遺産院と研究交流を続けています。その事業の一環として、令和5(2023)年5月24日に日韓無形文化遺産研究交流成果発表会を当研究所で開催しました。この発表会では、平成28(2016)年10月~令和5(2023)年3月にかけて実施された研究交流の成果が発表されました。
 国立無形遺産院からは4名(梁鎭潮氏・崔淑慶氏・姜敬惠氏・柳漢仙氏)のスタッフが来訪し、4本の報告を行いました。当研究所からは、無形文化遺産部・石村智、前原恵美、久保田裕道の3名が3本の報告を行いました。その後、文化財情報資料部・二神葉子をはじめとする参加者全員によるディスカッションが行われました。
 ディスカッションでは、無形文化遺産の保護をめぐる課題や展望についての意見交換が行われました。とりわけ近年注目されている生活文化に関連した無形文化遺産(例えば食文化)についての議論が活発に行われました。生活文化に関連した無形文化遺産の保護については、韓国の方が日本よりも早く取り組みを始めましたが、その課題には両国の間で共通するところと異なるところがあることが分かりました。議論は2時間にも及ぶ白熱したものとなりました。
 研究交流の事業は、新型コロナ禍のために一時中断していましたが、こうして再開することが出来たのは幸いでした。今年4月には当研究所と国立無形遺産院は新たな合意書を締結し、研究交流は2030年3月まで継続することとなりました。この研究交流を通じて、無形文化遺産の保護に関する両国の理解と協力が促進されることを願っています。

北上川河口のヨシ再生調査―篳篥の蘆舌原材料

「残したい日本の音風景百選」(環境庁、平成8(1996)年)に選ばれた北上川河口のヨシ原

 無形文化遺産部では、無形文化財を支える原材料調査の一環として、篳篥の蘆舌に使用されるヨシの調査を行っています。このたび、ヨシの産地である宮城県石巻市・北上川河口にて調査を実施しました。調査の目的は、第一に当地のヨシの特性を知り、篳篥の蘆舌に適しているかを調査すること。第二に、東日本大震災で被災した当地のヨシ再生のプロセスや現状を知り、篳篥の蘆舌に適するヨシの産地として知られる淀川河川敷での「ヨシ再生」に活かせることはないか調査すること。
 調査では、ヨシ原保全活動に取り組む(有)熊谷産業を訪ね、ヨシ原の現状を聞き取るとともに、蘆舌の原材料となりそうな外径のヨシを提供していただきました。熊谷産業は、社寺建築や和風建築の伝統的な工法による屋根工事を手掛ける会社で、国指定重要文化財保存修理工事も行っています。いただいたヨシは、二名の方に篳篥蘆舌の試作を依頼しました。完成後は試奏による使用感を含め、調査結果をまとめる計画です。
 また、北上川を管理する国土交通省東北地方整備局・北上川下流河川事務所や、震災前後のヨシ原調査やヨシ原への理解推進に取り組む東北工業大学教授の山田一裕氏を訪ねました。東日本大震災発生以前、河口には約183haのヨシ原が広がっていましたが、震災で50~60cmの地盤沈下が発生し、浸水によるヨシの枯死が進み、津波が運んだゴミで成長を妨げられ、一時は約87haに減少したと言います。その後、ヨシ原のゴミは地域の方々の協力のもと回収され、現在はヨシ原再生のための移植実験も行われています。震災による被害から自然環境が回復する過程で、地域の人々の理解や協力が自然の回復を後押したと言えるでしょう。
 さらに、当地では、「水防法及び河川法の一部を改正する法律」(平成25(2013)年6月)で創設された「河川協力団体制度」により、北上川下流河川事務所と3つの協力団体が情報交換や報告を行って河川や周辺環境を保全する体制が取られています。こうした連携も、ヨシ原再生に効果を上げていると感じました。
 無形文化遺産部では、無形文化財、民俗文化財、文化財防災を専門とする研究員が連携し、今後も無形の文化財継承に必要な人・技・モノの現状や課題、解決方法について、包括的な調査研究を実施していきます。

ブータン東部地域の伝統的石造民家に関する建築学的調査

タシヤンツェ県キニ村の伝統的石造民家集落
独特な形式を持つタシガン県メラ郡の民家
木造民家の実測調査

 東京文化財研究所では2012年以来、ブータン内務省文化・国語振興局(DCDD、組織改編により旧文化局より改称)と協働し、同国の伝統的民家建築に関する調査研究を継続してきました。DCDDでは、従来は法的保護の枠外に置かれてきた伝統的民家を文化遺産として位置づけ、適切な保存と活用を図るための施策を進めつつあり、当研究所はこれを研究・技術面から支援しています。
 従来は西部地域で一般的な版築造民家を調査対象としてきましたが、今年度からは新たに科学研究費補助金も取得し、中・東部地域に広くみられる石造民家の調査を本格的に開始しました。その第1回現地調査を令和5(2023)年4月25日~5月5日まで行いました。
 当研究所職員4名を派遣し、DCDD職員2名と共同で東部タシガン県から中部ブムタン県にかけての5県で実施した調査では、DCDDによる事前の情報収集で把握されていた物件を中心に建築年代が古いと思われる石造民家を観察し、14棟ほどについて実測や家人への聞き取りを含む詳細調査を行いました。うち3棟は領主層の元邸宅で大規模な3階建建物ですが、これら以外はいずれも平屋または2階建で当初の平面規模もごく小さい建物でした。また、遊牧を生業とする少数民族が暮らすタシガン県メラ郡では、家畜小屋を伴わない平屋の板敷住居といった、他地域にはない固有の民家形式が広く分布することを確認しました。
 今回得られた知見と情報をもとに、さらに調査範囲を広げるとともに、既に存在を把握している古民家の詳細調査も順次行っていく予定です。一方、民家形式の発展や地域性には生活様式の変化や違いが反映していることは言うまでもありませんが、このような観点からの調査研究にも一層注力していく必要があります。空き家や保存状態の悪い建物も少なくない中、貴重な文化遺産が失われないよう、協力を加速していきたいと思います。

アンコール・タネイ遺跡保存整備のための現地調査Ⅻ‐東門竣工記録および報告書作成のための追加調査

竣工後の東門(ドローンにて撮影)

 東京文化財研究所文化遺産国際協力センターでは、カンボジアにおいてアンコール・シエムレアプ地域保存整備機構(APSARA)によるタネイ寺院遺跡の保存整備事業への協力を継続しています。令和4(2022)年11月には、3年間にわたり両者が協働で進めてきた同寺院遺跡東門の全解体修復工事が完了しました。その竣工記録および本年度刊行予定の修理工事報告書作成に向けた追加調査のため、令和5(2023)年5月6日~18日にかけて、職員2名の派遣を行いました。
 竣工記録としては、①竣工写真撮影のほか、②竣工図面と③デジタル3次元モデルを作成するための作業を行いました。一眼レフカメラとドローン(Mavic mini)2台を併用して全方位から建物を撮影した1,000枚ほどの画像から、3次元写真測量と呼ばれる技術を用いることで、寸法情報をもつデジタル3次元モデルを生成しました。
 修理工事報告書作成のための追加調査としては、①寺院配置図の一部修整、②ペディメントと呼ばれる破風装飾などの写真記録、③東門の建築的特徴を考察するための比較調査を行いました。比較調査では、東門と同時代に建設されたアンコール遺跡群内の寺院のうち10カ所を訪れ、建築形式や装飾を調べました。
 このほか、タネイ寺院遺跡整備事業の今後の実施計画に関してAPSARA側担当者との現場協議も行いました。
 本年度後期には、参道入口テラスの考古学的発掘および建築学的調査の実施、修理工事報告書の刊行、さらに竣工記念シンポジウムの開催などを予定しています。続報をご期待ください!

タネイ寺院に関する過去の活動報告もあわせてご覧ください。
現地調査Ⅰ
現地調査Ⅱ
現地調査Ⅲ
現地調査Ⅳ
現地調査Ⅴ
現地調査Ⅵ
現地調査Ⅶ
現地調査Ⅷ
現地調査Ⅸ
コロナ禍の取り組み
現地調査Ⅹ-1
現地調査X-2
現地調査Ⅹ-3
現地調査Ⅺ

トルコ文化観光省からの来訪研究者受入

イルカイ氏による研究成果発表
奈良文化財研究所の視察

 東京文化財研究所文化遺産国際協力センターでは、令和5(2023)年4月10~5月31日まで、トルコ共和国文化・観光省博物館総局職員のイルカイ・イヴギン氏を来訪研究者として受け入れました。氏はトルコ、日本、イタリアの文化財保護法制度の比較研究を行っており、来訪中は特に日本の埋蔵文化財行政の仕組みについて学ばれました。また2月に発生したトルコ・シリア大地震で被災した文化財や博物館の修復、再建に向け、日本の文化財防災についても情報を収集されました。
 当研究所からは、各国の文化財保護制度について収集した情報の提供や、関連資料等の紹介のほか、トルコの文化財を所蔵する博物館や、埋蔵文化財の調査や管理を担う組織や研究機関等の視察にスタッフが同行しました。今回の来訪研究者受入は私たちにとっても、トルコの埋蔵文化財の現状を知るとともに、改めて日本の埋蔵文化財行政とその課題を理解する好機となりました。
 以下は、イヴギン氏からのコメントの訳文です。

 私の博士論文のタイトルは「トルコの考古学的遺物の保存における立法の検討と標準化のための法的取り決めの提案」で、アンカラ・ハジュ・バイラム・ヴェリ大学の文化遺産保存修復学部と共同で研究を行っています。この論文では、日本の文化財保護法制度が研究の重要な部分を占めています。
 東京文化財研究所では論文の主題に関する研究を支援していただき、深く感謝しています。あわせて、東京大学、古代オリエント博物館、東京国立博物館、千葉市埋蔵文化財調査センター、東京都埋蔵文化財センター、橿原考古学研究所、奈良文化財研究所、文化庁の関係者の皆様のサポートに感謝申し上げます。

イルカイ・イヴギン Ilkay Ivgin

国立西洋美術館ウェブサイト「林忠正関連書簡・資料集」の公開

国立西洋美術館ウェブサイト「林忠正関連書簡・資料集」トップページ
「林忠正関連書簡・資料集」林忠正宛エドモン・ド・ゴンクール書簡(1895年8月2日付)
エドモン・ド・ゴンクール(1822-1902)はフランスの美術批評家。『北斎』(1896年刊行)執筆にあたり、林忠正の協力を仰いでいます。

 林忠正(1853~1906)は19世紀末のパリで日本の絵画や浮世絵、工芸品等を販売する美術商として活動し、ジャポニスムの流行を牽引したことで知られています。当研究所では、林がパリに店を構えた1884年から1905年に帰国し翌年に亡くなるまでの間に、美術批評家や収集家、画商等から受け取った書簡群を所蔵しており、2001年にはそれらを翻刻した東京文化財研究所編『林忠正宛書簡集』(欧文、国書刊行会)を刊行しています。
 この書簡群は2016年より国立西洋美術館に寄託されていますが、2023年3月に同館のウェブサイトにて「林忠正関連書簡・資料集」が公開の運びとなりました。
林忠正関連書簡・資料集 | 国立西洋美術館 (nmwa.go.jp)
 このウェブサイトは国立アートリサーチセンターの事業の一環として構築・開設されたもので、書簡の画像や翻刻文を発信年月・発信者・書簡一覧表から検索することができます。フランス近代美術史や日仏美術交流史の研究に資するサイトとして、多くの方々にご利用いただくことを願っています。

令和5年度第1回文化財情報資料部研究会の開催―酒呑童子絵巻の研究

研究会の様子

 令和5(2023)年4月28日に、「酒呑童子絵巻の研究−調査中間報告」と題して江村知子(文化財情報資料部)が発表を行いました。本研究は、住吉廣行筆「酒呑童子絵巻」(6巻、ライプツィヒ民族学博物館蔵、以下ライプツィヒ本)を中心に科学研究費助成事業基盤研究Bの課題として令和4(2022)年から実施しているもので、今回の発表はその調査中間報告という形で行いました。令和4年度に調査を実施した作品を紹介し、各本の特徴や系統について考察しました。また宮崎もも氏(大和文華館)のご教示により、ともに調査を行うことができた「酒呑童子絵巻下絵」6巻(大阪青山歴史文学博物館)がライプツィヒ本の完全な形の下絵である可能性を提示しました。さらにこの下絵を収納する箱の蓋裏書きにより、ライプツィヒ本の詞書筆者が幕臣であった成島忠八郎(竜洲)、成島仙蔵(衡山)父子であることが明らかになりました。さらに科研の研究分担者である小林健二氏(国文学研究資料館)から、「「伊吹童子」絵巻(個人蔵)の調査報告」と題して、ご発表いただきました。この作品は奈良絵本を絵巻に改装したもので、ライプツィヒ本の前半3巻分の内容と共通点が多く、詞書の内容も含めて今後の考察を深めていく必要があります。研究分担者の並木誠士氏(京都工芸繊維大学)からはコメンテーターとしてご参加いただいたほか、オンラインでも所内外の研究者の方々にご参加いただきました。研究討議でいただいたご意見も参考にしながら今年度の調査を進めてまいります。

資料閲覧室利用ガイダンスの開催―青山学院大学大学院生を迎えて

研究会室での概要説明
文化財調査写真の説明

 令和5(2023)年4月12日、青山学院大学大学院生4名(引率:津田徹英教授)を迎えて、当研究所の資料閲覧室利用ガイダンスを開催しました。今回の利用ガイダンスでは、まず2階研究会室で橘川が資料閲覧室の利用方法や蔵書構成について説明、その後、資料閲覧室と書庫に移動し、職員が売立目録デジタルアーカイブや文化財調査写真、売立目録をはじめ各種資料を紹介しました。参加者は蔵書・写真を手にとり、それぞれ自身の研究に、これらをどのように活用できるのかという視点から、熱心に職員の説明を聞き、また活発な質問が寄せられました。
 文化財情報資料部文化財アーカイブズ研究室は、研究プロジェクト「専門的アーカイブと総合的レファレンスの拡充」において、文化財研究に関する資料の収集・整理・保存を行うとともに、文化財に関する専門家や学生らがこのような資料にアクセスしやすく、より有効に活用できる環境を整備することをひとつの任務としております。その一環として、積極的に利用ガイダンスを実施しています。希望される方は、「利用ガイダンス」(対象:大学・大学院生、博物館・美術館職員、https://www.tobunken.go.jp/joho/japanese/library/guidance.html
をご参照の上、お申込みください。

X線フィルムデータベースの公開

X線フィルムデータベースの画面(デジタル画像は資料閲覧室でのみ閲覧可能)

 東京文化財研究所では、国内でも早くから科学的手法を用いた文化財の調査研究に取り組んでまいりました。昭和20年代にはすでにX線による文化財の撮影を行っており、長年の成果として膨大なX線フィルムを蓄積しています。その一部はすでに『東京国立文化財研究所所蔵 X線フィルム目録』として公刊しており、「東京文化財研究所機関リポジトリ」ではPDFを公開しています(https://tobunken.repo.nii.ac.jp/)。しかし、当研究所はこの『目録』以外にも多くのX線フィルムを所蔵しており、この度「X線フィルムデータベース」としてウェブサイト上で一覧を公開し、併せて資料閲覧室ではデジタル画像の閲覧が可能となりました(https://www.tobunken.go.jp/materials/xray_pic)。今回公開された約4,150点のフィルムには、仏教彫刻や仏教絵画、工芸、近代洋画といった幅広い作品が含まれており、さまざまな研究に資する貴重な画像と言えます。今後も随時データを追加していきますので、どうぞご活用ください。

『妙法寺蔵 与謝蕪村筆 寒山拾得図 共同研究報告書』の刊行

報告書表紙

 東京文化財研究所では、令和3年度より、香川県丸亀市にある妙法寺と共同で、妙法寺に所蔵される与謝蕪村筆「寒山拾得図襖」(重要文化財)の損傷部分について、当研究所が昭和34(1959)年に撮影したモノクロフィルムと現代の画像形成技術を合成し、復原する調査研究をおこなってきました(令和3(2021)年8月の活動報告https://www.tobunken.go.jp/materials/katudo/910046.htmlを参照)。その研究成果の一つとして、令和4(2022)年11月には、復原した襖を妙法寺の本堂に奉安したところです(令和4(2022)年11月の活動報告https://www.tobunken.go.jp/materials/katudo/1018231.htmlを参照)。
 こうした復原襖の制作や奉安の成果を中心に据えつつ、妙法寺の蕪村作品における過去の二度にわたる修理の経緯や知見とともに、当研究所が長年蓄積してきた写真資料やアーカイブの活用の可能性を提示し、豊富な画像を収載した共同研究報告書として刊行しました。
 同報告書には、「失われた寒山拾得蔵をもとめて―文化財アーカイブの奇跡」(文化財情報資料部長・江村知子)や「与謝蕪村筆「寒山拾得図(妙法寺蔵)再考」(同部広領域研究室長・安永拓世)の二本の論考とともに、「寒山拾得図」の①カラー画像、②近赤外線画像、③昭和34(1959)年撮影の4×5インチモノクロネガ写真画像、④画像形成技術で合成した復原画像、が掲載されています。また、妙法寺に所蔵される蕪村作品の「蘇鉄図」と「山水図(4点)」についてはカラー画像と近赤外線画像が、「竹図」と「寿老人図」についてはカラー画像が掲載されているほか、各作品には詳細な解説が付されており、妙法寺に残されている全ての蕪村作品を網羅した内容です。
 妙法寺の蕪村作品は、蕪村の讃岐時代を代表する基準として全て重要文化財に指定されていますが、これまで、妙法寺の全蕪村作品の画像が詳細に公開されたことはなく、本報告書は、妙法寺に奉安された復原襖とともに、今後の蕪村研究にとって不可欠なものとなるでしょう。
 同報告書は、全国の主要な博物館・美術館・図書館・大学等に寄贈しましたので、ご興味のある方は、近隣の図書館などで閲覧していただければ幸いです。

ゲッティ・リサーチ・ポータルへの情報提供―印譜集、美術家番付など

GRP検索結果一覧表示画面
『真美大観』第1冊(GRP収録)

 東京文化財研究所は、ゲッティ研究所(アメリカ)と共同で、当研究所が所蔵する図書資料のデジタル化を進め、その書誌情報を「ゲッティ・リサーチ・ポータル」(GRP : https://portal.getty.edu/)に収録するプロジェクトに2016年から取り組んでいます。GRPは、世界各地の46館の美術館や図書館が所蔵する美術に関する図書のデジタルコレクション(約187000件、2023年4月現在)を、一括で検索・閲覧することができるオンライン・データベースです。2023年3月に、当研究所から、新たに以下のタイトルが追加収録され、当研究所から提供している図書等は、2178件となりました。

・明治期刊行美術全集(Complete series of Japanese Art of Meiji period)64件

・在外日本古美術品保存修復協力事業修理報告書(Cooperative Program for the Conservation of Japanese Art Objects Overseas)28件

・美術家番付(美術家番付(Ranking List of Japanese Artist)61件

・印譜集(Compilation of Artist’s Seals)88件

 このプロジェクトにより、当研究所の所蔵資料が、これまで以上に世界中の人々がアクセスしやすいかたちで公開され、美術や文化遺産の研究を研究する人々にとってますます貴重な情報源となることが期待されます。今後も、東京文化財研究所は、さまざまな形で世界に向けた情報発信を行い、文化財の保護と研究に貢献していく所存です。

東京文化財研究所年史資料の目録公開

「東京文化財研究所年史資料」のうち、シリーズ7関係団体「美術懇話会」
「東京文化財研究所年史資料」全体像

 文化財アーカイブズ研究室では、プロジェクト「専門的アーカイブと総合的レファレンスの拡充」の成果として、「東京文化財研究所年史資料」の情報をウェブサイトに公開しました。
 平成20(2008)年〜平成22(2010)年に『東京文化財研究所七十五年史』を刊行しています。「年史資料」は、その編纂のために収集・作成された文書類を中心とする資料群です。当研究所の母体である「美術研究所」が設立された昭和5(1930)年ころからの事務文書、所属職員が収集した文書、さらには他機関が所蔵する当研究所の関係文書の複製などで構成され、『七十五年史』刊行後も所内で保管されてきました。この資料群は、当研究所の歴史を跡づけるだけでなく、近代日本の文化行政や外交関係の研究にも有用であることから、その目録を公開し、当研究所資料閲覧室を介して、外部の研究者も活用できるようにするべく準備を進めてきました。
 目録作成については、文化財情報資料部研究補佐員の田村彩子が取り組み、既報のとおり、令和4年度第8回文化財情報資料部研究会「年史編纂資料の研究活用に向けた記述編成―東文研史資料を例として」にて、その報告を行いました。また、当時の編集委員で旧職員の山梨絵美子氏、中村節子氏、井上さやか氏、中村明子氏らから、この資料群に関するさまざまな情報をご提供いただき、この度の目録公開に至りました。
 当研究所が長年にわたって蓄積してきた資料群を、文化財に関する研究課題の解決の糸口として、また幅広い分野の新たな研究を創出する契機として、ご活用いただければ幸いです。

※資料閲覧室利用案内
https://www.tobunken.go.jp/joho/japanese/library/library.html
アーカイブズ(文書)情報は、このページの下方に掲載されています。

※東京文化財研究所年史資料
https://www.tobunken.go.jp/joho/japanese/library/pdf/archives_TOBUNKEN_NENSHI_0.0_20230331.pdf

ユートピアとしてのアーカイブ:松澤宥と瀧口修造―第10回文化財情報資料部研究会の開催

研究会の様子
会場に展示された松澤アーカイブズの一部

 令和5(2023)年3月15日、コンセプチュアル・アート(概念芸術)の先駆者である松澤宥(1922-2006)、松澤と関わりの深い美術評論家・瀧口修造(1903-1979)の研究に携わっている専門家をお招きして、第10文化財情報資料部研究会「ユートピアとしてのアーカイブ:松澤宥と瀧口修造」を開催しました。この研究会は、科学研究費課題「ポスト1968年表現共同体の研究:松澤宥アーカイブズを基軸として」(研究代表者:文化財情報資料部文化財アーカイブズ研究室長・橘川英規)の一環でもあり、以下の発表・報告がありました。
 久保仁志氏(慶應義塾大学アート・センター)「松澤宥「ψの部屋」と瀧口修造「影どもの住む部屋」:制作現場とアーカイヴ」、富井玲子氏(ポンジャ現懇 主宰/インデペンデント・スカラー)「作品と資料のあいだで―アーカイブから考える松澤宥のユートピア的作品性」、土渕信彦氏(瀧口修造研究)「オブジェの店とプサイの部屋―瀧口修造と-松澤宥のユートピア観を探って」、橘川「虚空間状況探知センターから「世界蜂起」へ:松澤宥アーカイブからみる1970年代の表現共同体の構築の試み」(以上、発表順)。
 各発表ののちに、発表者4名と一般財団法人「松澤宥プサイの部屋」(理事長松澤春雄氏)の方々、松澤本人と交友のあった作家、美術館やアーカイブズ関係者を交えて、およそ35名で意見交換を行いました(司会:特任研究員・塩谷純、橘川)。特に、この研究課題において調査を行ってきた松澤宥アーカイブズの今後についての関心は高く、その保存・活用についての課題など多岐にわたりました。令和4年度でこの科学研究費課題「ポスト1968年表現共同体の研究」は終了しましたが、引き続き、現代美術に関するアーカイブズの保存について、より有効な方法を検討していきたいと考えております。

ウェブコンテンツ『黒田記念館 黒田清輝油彩画 光学調査』公開

ウェブコンテンツ『黒田記念館 黒田清輝油彩画 光学調査』トップページ
《湖畔》カラー写真
《湖畔》カラー写真(左)と近赤外写真(右)

 黒田清輝(1866~1924)は、日本の近代洋画史において画家、教育者などとして大きな足跡を残しました。帝国美術院附属美術研究所は、黒田の遺言執行の一環で美術の研究を行う機関として設立され、同研究所の後身である東京文化財研究所は現在に至るまで、黒田の絵画作品や彼の活動に関する調査研究をその活動の一つとしています。
 令和3(2021)年10月から12月にかけて、黒田清輝に関する調査研究の一環として、東京文化財研究所は黒田が描いた油彩画のうち黒田記念館に収蔵される油彩画148点を対象とした光学調査を行いました。光学調査では、色や形、質感を高解像度で記録するカラー写真を撮影したほか、近赤外線の反射や吸収の違いを記録する近赤外写真、特定の波長の光を画面に照射した際に物質が発する蛍光を記録する蛍光写真を撮影し、肉眼では読み取ることのできない情報を取得しました。また、黒田の代表作である《湖畔》、《舞妓》、《読書》、《智・感・情》、及び黒田が使っていたパレットについて、絵画材料に含まれる元素を判別するための蛍光X線分析を行い、令和5(2023)年3月31日、これらの写真や分析結果をウェブコンテンツ『黒田記念館 黒田清輝油彩画 光学調査』(https://www.tobunken.go.jp/
kuroda/image_archives/main/
)として公開しました。
 《湖畔》を例にとれば、モデルの眉の毛の1本1本まで描いた描線、着物の縞模様を表現した白い絵具の凹凸や、下書きの線からモデルが持つ団扇の大きさを何度か変更していることなどがわかります。現在、上記4作品を中心としたウェブコンテンツのほか、黒田記念館収蔵の油彩画148点すべてのカラー写真をウェブ公開していますので、鑑賞や調査研究にお役立ていただけましたら幸いです。

漆工専門家 三木栄のタイでの活動-同時代の資料を中心に-第9回文化財情報資料部研究会の開催

研究会の様子

 明治時代の日本と同様、19世紀後半から20世紀の初めにかけてのタイでも、様々な分野の外国人専門家が政府機関で働いており、その中には日本人もいました。東京美術学校(現在の東京藝術大学)漆工科の卒業生である三木栄(1884~1966)もその一人で、明治44(1911)年にタイに渡り、同年に宮内庁技芸局(現在の文化省芸術局の前身)に着任、その後は国立の美術学校の教員や校長を務めるなど、昭和22(1947)年に日本に帰国するまで漆工の分野で活躍しました。令和5(2023)年3月2日に開催された文化財情報資料部第9回研究会では三木栄について、標記のタイトルで二神葉子(文化財情報資料部文化財情報研究室長)が発表しました。
 三木栄は上記の経歴から、戦前の日タイ交流の分野で取り上げられることの多い人物です。しかし、タイでの活動内容に関する言及は、タイ渡航直後に携わったラーマ6世王戴冠式の玉座制作のほか、宮殿の修理などの大規模事業にとどまり、日常業務の詳細には触れられないことがほとんどでした。そこで、同窓会誌『東京美術学校校友会月報』(以下、『校友会月報』)に三木が寄稿した近況報告を主に用いて、日常的に携わっていた仕事を読み解きました。
 『校友会月報』の記事からは、大正6(1917)年には三木が日本から取り寄せた材料を潤沢に用いて、国王の日常使いの品物に蒔絵などの日本の技法で装飾を施していたことが読み取れました。一方で同じ時期、装飾を施す対象やタイの気候に応じて材料や技法を工夫していたことも記されています。三木栄は日本の漆工の技術と柔軟な応用力に加え、真剣に仕事に取り組む姿勢によってタイで受け入れられ、行政改革による人員削減の影響もあって、大規模工事の監督業務を含む重要な仕事に携わることになったと考えられます。本発表は三木栄のタイでの活動に関する中間報告で、今後さらに検討を進め報告書にまとめる予定です。

ワット・ラーチャプラディットでのセミナーへの参加

セミナーの様子
ワット・ラーチャプラディットの漆扉

 タイ・バンコクの旧市街に所在する王室第一級寺院のワット・ラーチャプラディット(1864年創建)は、拝殿に日本で製作された漆塗りの扉部材が用いられており、東京文化財研究所はそれらの扉部材についての調査研究や、修復に関する技術的な支援を行っています。今年はワット・ラーチャプラディットの扉部材の修理に関する活動が始まって10年の節目にあたることから、令和5(2023)年3月20日に同寺院でセミナー「ラーチャプラディット・ピシッシルプ」(タイ語で「ラーチャプラディットの素晴らしい芸術」の意味)が開催されました。
 セミナーでは、修理事業の背景に関する座談会、技術的な事柄や修理過程に関する座談会がそれぞれ行われ、修理事業を実施しているタイ文化省芸術局の専門家やワット・ラーチャプラディットの僧侶のほか、日本側からは前者に二神葉子(東京文化財研究所)、後者に山下好彦氏(漆工品保存研究者・専門家)が参加しました。またこの日は、修理が完了した扉部材数点を拝殿の扉の枠に取り付けるセレモニーを行ったほか、寺院の境内にはお茶席や日本食の屋台が設けられ、タイの伝統的な衣装や日本の着物を着た舞踊家による舞踊の披露、「刀剣乱舞」のキャラクターに扮したコスプレイヤーの登場もあり、日本への親しみを深める機会ともなっていました。新型コロナウイルス感染拡大のため、タイでの調査研究は3年間中断していましたが、改めて文化財に関する調査や研究交流を深めていきたいと思います。

島﨑清海旧蔵資料の受贈

創造美育協会の入会申込書(1952年)
左:ミス・ショウ著、宮武辰夫編『フィンガー・ペインティングについて』(1968年) 右:宮武辰夫『ミス・ショウ著 フインガー・ペインティングについて』(1955年、表紙絵:瑛九)

 島﨑清海(1923~2015)は、戦後の日本美術教育に多大な影響を及ぼした創造美育協会の本部事務局長を長らく務めた美術教育者です。同協会に関する膨大な資料を島﨑は遺しましたが、その一部をご遺族より当研究所へご寄贈いただきました。
 島﨑清海旧蔵資料については、その調査と研究にあたってこられた中村茉貴氏(神奈川県立歴史博物館会計年度任用職員・東京経済大学史料室臨時職員)に令和3(2021)年の文化財情報資料部研究会でご発表いただき、下記のURLでご報告しております。
創造美育協会の活動とアーカイブ―第5回文化財情報資料部研究会の開催 :: 東文研アーカイブデータベース (tobunken.go.jp)
 この度の資料受贈に際しても中村氏が目録を作成し、「「創造美育協会」の活動記録にみる戦後日本の美術教育」と題して『美術研究』439号(令和5(2023)年3月)にその紹介をかねた論考を寄稿されました。この論文でも紹介されておりますように、ご寄贈いただいた資料には創造美育協会が発行したパンフレットや機関誌、島﨑清海宛の書簡、スケジュール帳、日記の類が含まれ、同協会の活動はもちろん、瑛九や久保貞次郎といった美術家、評論家との交流のあとをうかがうことができます。整理のため、公開までしばらくお時間をいただきますが、戦後の日本美術教育史・美術史を研究する上での貴重な資料としてご活用いただければ幸いです。

令和4年度文化財防災センターシンポジウム「無形文化遺産と防災-被災の経験から考える防災・減災-」の開催について

これまでの取り組みに関する報告
会場風景
総合討議の様子

 令和5(2023)年3月7日、令和4年度文化財防災センターシンポジウム「無形文化遺産と防災-被災の経験から考える防災・減災-」が、東京文化財研究所地下セミナー室にて開催されました。このシンポジウムは、文化財防災センターの事業に、東京文化財研究所が共催し実施したものです。

 平成23(2011)年3月11日に発生した東日本大震災を契機とし、無形文化遺産が復興過程で果たす役割や、またそれらを災害から守る意義に注目が集まったことは広く知られるところです。未曾有の大災害は、確かに無形文化遺産に大きな被害をもたらしました一方、それらが今日まで継承される意義や、地域社会のなかで果たす役割に注目が集まるきっかけともなりました。

 本シンポジウムは、国立文化財機構でのこれまでの取組を整理しつつ、災害による被害を受けた事例を参照し、全国各地で無形文化遺産に関わる皆さんとともに、その成果を発展させていく方策を議論するために企画されました。シンポジウム当日は、行政関係者や大学および専門機関の研究者、無形文化遺産の担い手の方等、87名の方に御参加いただきました。

 午前は、東京文化財研究所と文化財防災センターからそれぞれ、無形文化遺産の防災に関わるこれまでの取組や調査成果を紹介しました。午後は、近年の被災事例として、「等覚寺の松会」(福岡県京都郡苅田町)、「雄勝法印神楽」(宮城県石巻市)、「長浜曳山祭の曳山行事」(滋賀県長浜市)の3事例について、各地域の行政職員や担い手、研究者の方から、災害対応や再開のプロセスに注目した御報告がありました。最後の総合討議では、当日の報告や発表、議論を踏まえ、文化財防災センター事業内で、この課題について議論を重ねられてきた5名の有識者の先生方による総括がありました。

 フロアからも活発な御発言もいただき、今後の防災・減災の方法を具体的に考えるための手がかりが共有される機会となりました。引き続き、文化財防災センターと東京文化財研究所はシンポジウムでの議論を発展させ、両施設で連携を取りながら具体的な対策を提案できるよう取り組んで参ります。

国宝キトラ古墳壁画への埃の堆積を防ぐことを目的とした蓋の設置

蓋の搬入
蓋を設置した様子(東壁)

 四神や獣頭人身十二支像、天文図が極彩色で描かれた国宝キトラ古墳壁画は、古墳内部から取り外した後の修理を経て、現在、奈良県高市郡明日香村に所在する「四神の館」内のキトラ古墳壁画保存管理施設において、壁画面を上にした状態で保管されています。これまで保管室に埃等を持ち込まないようにするため、前室で除塵機を作動することで対策してきましたが、除去しきれずに持ち込まれた埃が壁画上で確認される点については長年の課題でした。埃を除去する際に壁画にダメージを与えてしまうリスクがゼロではないことから、壁画への埃の堆積を防ぐことを目的とした蓋の設置が検討されることとなりました。文化庁、東京文化財研究所、奈良文化財研究所、国宝修理装潢師連盟の関係者で蓋に求める要素について協議したところ、蓋をすることで壁画に悪影響を与えないこと、蓋の取扱いが簡易であること、蓋をした状態でも壁画を視認できること、蓋そのものが埃を引き寄せない素材であることが挙げられ、国の選定保存技術として選定されている表装建具製作の黒田工房(代表:臼井 浩明氏)において、木枠に透明な帯電防止シートを張ったものが蓋として試作されました。蓋をした状態でも蓋の内外で温湿度環境に差異がなく、壁画に悪影響を与える可能性が極めて低いことが令和3年度に確認できたため、強度面で改良を加えた完成品が令和5(2023)年3月24日に納品され、キトラ古墳壁画に蓋を設置しました。
 今後は、蓋を設置した効果の確認を行ない、壁画点検や一般公開、視察時の蓋の取り扱いについて関係者と協議することを予定しています。

20世紀初頭の航空機保存修復のための調査

マイクロスコープによる表面の確認
塗装汚れ除去状況の確認
SfM-MVSによる3D形状記録

 近代の文化遺産は、伝統的な素材や技法によって制作された古来の文化遺産と異なり、それを構成する素材・部材やその製作技法自体が明治以降に日本へもたらされた比較的新しい技術により製作されているものも少なくありません。また、大量生産、大量消費を前提に生み出された近代の工業製品には、そもそも長期的な保存が難しいものも多くあります。保存科学研究センター修復技術研究室では、そのような比較的新しい時代の文化遺産を将来にわたってどう保存していくのかといったことを研究テーマの一つとしています。
 令和5(2023)年3月、当研究室では松井屋酒造資料館(岐阜県富加町)で保管、展示されている1910年代の航空機部材の調査を実施しました。この調査は、令和4(2022)年5月に富加町教育委員会や松井屋酒造資料館等と資料を実見し、協議したことを受け、その保存方法や活用の方向性を検討するために実施したものです。
 この部材は、フランス・サルムソン社モデル2複座偵察機(サルムソン2A2)の水平尾翼で、同社の生産ライセンスを得てフランス国内他社が製造したものと考えられています(横川裕一「松井屋酒造場に遺るサルムソン2A2の機体部品について」『航空ファン』2021年12月号)。大正7(1918)年、日本陸軍は第1次世界大戦の終戦間際に同機を30機購入していますが、松井屋酒造資料館にて保管されている部材は、そのうちの1機に由来するものと推定されています。本部材には表裏全体に塗装が認められますが、どうやらこの塗装は1910年代のオリジナル塗装である可能性が高く、そうだとすれば当時の塗装が残っている世界で唯一の部材である可能性も指摘されています(横川、前掲)。
 この度の調査では、保存修復の可能性やその方法を検討するため、部分的に埃を払い、水等を用いて汚れの除去状況を確認しました。修理技術者のご協力もいただき、当初の塗装が広く残っている可能性が高いことを確認するとともに、具体的なクリーニング方法等を検討しました。
 今回の調査により、クリーニング方法の方向性は確認できましたが、実施にあたっては検討しなければならない点も多く残っています。今後も引き続き、松井屋酒造資料館や富加町教育委員会、関係する皆様とも協力し、当該資料の保存について検討を進めていく予定です。

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