研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『TOBUNKEN NEWS
(東文研ニュース)』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。
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ARLIS/NAジャパンスタディーツアー オリエンテーション(10月21日)
関連施設視察(東京文化財研究所書庫、10月21日)
シンポジウム「美術アーカイブと図書館における国際連携」ディスカッション(10月22日)
北米美術図書館協会(ARLIS/NA)は、昭和47(1972)年に設立された美術・建築を専門とする司書、視覚資料専門家、キュレーター、教員、学生、アーティストなど1000名以上で構成される組織です。このARLIS/NAが、今回、はじめて日本でのスタディーツアーを開催し、16名のメンバーが来日しました。そのツアーの一環として、令和6(2024)年10月22日、ARLIS/NAと東京文化財研究所の共催による国際シンポジウム「美術アーカイブと図書館における国際連携」を開催いたしました。
シンポジウムでは、第一部として、国立国会図書館・電子情報部主任司書の小林芳幸氏がデジタルアーカイブのナショナルプラットフォーム「ジャパンサーチ」を、文化財情報資料部近・現代視覚芸術研究室長・橘川英規が、当研究所所蔵近現代美術アーカイブを紹介しました。第二部「ARLIS/NA 日本関係コレクションの事例研究」では、ピーボディ・エセックス博物館ダン・リプカン氏(代読:ボストン建築大学・安田星良氏)、イリノイ大学のエミリー・マシューズ氏、プラット・インスティテュートのアレクサンドラ・オースティン氏、ブリガムヤング大学図書館のエリザベス・スマート氏、ヴィジュルアル・アーティストのアンジェラ・ロレンツ氏に、ご所属機関の日本関連資料や日本と関わりの深いコンテンツ・活動をご紹介いただきました。そののちに、山梨絵美子氏(千葉市美術館館長、当研究所客員研究員)のディスカッサントのもと、討議を行いました。ARLIS/NAのメンバーと日本国内の専門家、合わせて70名あまりが参加し、活発な情報交換が行われました。
またこのスタディーツアーでは、関連機関の視察も行われ、東京藝術大学大学図書館、東京国立博物館資料館、国立西洋美術館研究資料センター、国立国会図書館、東京都現代美術館美術図書室、早稲田大学會津八一記念博物館・中央図書館・国際文学館(村上春樹ライブラリー)、東京国立近代美術館アートライブラリを訪問させていただきました。この場をお借りして、ご対応くださった各機関の担当者の方にお礼を申し上げます。今回のシンポジウムと関連機関視察が、ARLIS/NAメンバーと、日本国内で文化財に携わる専門家との相互交流の契機になればなによりです。
『古流挿花口伝秘書』(東京文化財研究所蔵)
明時代に刊行された漢籍、いわゆる明版は日本にすぐさま輸入され、室町時代から江戸時代に我が国の文化に大きな影響をおよぼしました。その一例に挿花論として名高い袁宏道『瓶史』(萬暦28〔1600〕年成立)があります。『瓶史』は遅くとも寛永6(1629)年には舶載され、江戸時代後期頃、文人層を中心に熱心に受容され様々な生花の流派が成立しました。こうした受容と展開は18世紀以降に相次いだ『瓶花』関連文献の刊行、たとえば『本朝瓶史抛入岸之波』 (1750)や『瓶花菴集 附 瓶話』(1785)、『瓶史国字解』(1809、 1810)などをみてもよくわかります。
しかしながら、それに先立つ17世紀頃の受容については不明なことが多く、漠然としている状況にあります。令和6年(2024)10月29日に開催された文化財情報資料部研究会では、文化財情報資料部日本東洋美術史研究室長・小野真由美が「江戸時代初期における袁宏道『瓶史』の受容について―藤村庸軒の花道書の紹介をかねて―」と題して、17世紀における袁宏道『瓶史』の影響について研究発表を行いました。
発表では、新出の花道書『古流挿花口伝秘書』(東京文化財研究所所蔵)に、藤村庸軒(1613~99)が袁宏道に私淑し、挿花の一流派を成したことが記されていることなどを紹介しました。庸軒は17世紀を代表する茶人のひとりで、京都の呉服商十二屋の当主として藤堂家に仕え、三宅亡羊(1580~1649)に漢学を学びました。また藪内流と遠州流をへて千宗旦(1578~1658)の高弟となった人です。漢詩に秀で、多彩な茶歴をもつ茶人として知られる庸軒は、挿花にも秀でた人物でした。研究会では、コメンテーターに国文学研究資料館研究部准教授山本嘉孝氏をお招きし、袁宏道『瓶史』について貴重なご意見をうかがいました。
袁宏道が説いた花への理想的な姿勢、それはすなわち一枝の花を瓶に挿すことは自然に身をおくことに等しいとする境地でもあります。そうした精神性が江戸の人々にどのように受け止められ、諸流派へと展開していったのでしょうか。研究会では各分野のかたがたとの意見交換がおこなわれました。それらをふまえて花伝書『古流挿花口伝秘書』を手掛かりに、今後も丁寧に読み解いていきたいと思います。
一龍齋貞橘氏による口演
対談の様子(左:飯島氏、右:貞橘氏)
令和6(2024)年10月3日、東京文化財研究所地下セミナー室で研究会「東京文化財研究所における実演記録事業(講談)一龍斎貞水師を偲んで」を開催しました。
無形文化遺産部では、古典芸能を中心とする無形文化財のうち、一般に披露される機会の少ないジャンル、演目を選んで実演記録事業を実施しています。一龍斎貞水氏(1939-2020、国指定重要無形文化財「講談」保持者[各個認定])による講談の実演記録も、平成14(2002)年から令和2(2020)年にかけて、145演目の記録撮影を実施してきました。
当研究会では、無形文化遺産部部長・石村智による趣旨説明ののち、武蔵野美術大学教授・今岡謙太郎氏による講演「歌舞伎『勧進帳』の成立と講談の関係について」、当研究所による実演記録・講談『難波戦記』より「木村長門守の堪忍袋」(貞水氏、平成27(2015)年5月26日当研究所実演記録室にて収録)の上映、貞水師門弟・一龍齋貞橘氏の口演で講談『勧進帳』、貞橘氏と無形文化遺産部客員研究員・飯島満氏による対談「貞水師について」を実施しました。
貞水氏による実演記録(講談)の公開可能な記録映像は、近日中に当研究所資料閲覧室で視聴可能となる見込みです(視聴開始の際には当研究所ウェブサイトでお知らせします)。
今後も無形文化遺産部では、披露の機会が稀少な古典芸能等の記録を継続し、可能なものについては適切な方法で公開して、無形文化財の継承に資するべく努めてまいります。
舞楽《萬歳楽》収録の様子
舞楽《陵王》収録の様子
令和6(2024)年9月30日と10月1日に、雅楽の実演について、視聴覚データ・生理学データ(呼吸等)・モーションキャプチャデータを同時計測する実験収録を行いました。これは、無形文化遺産部研究員・鎌田紗弓が研究代表者を務める「楽と舞:雅楽実践の身体コミュニケーション」プロジェクトの一環であり、東京文化財研究所・東京大学・桜美林大学・神戸大学・理化学研究所・ダラム大学の共同研究として、三島海雲記念財団 2024年度学術研究奨励金の助成を受けたものです。
伝統芸能では、役割の異なる演者同士で見計らって表現を「合わせる」ことがよくありますが、これは決して「機械的に揃える」ことを意味しません。その微妙な調整がどのように行われるのかを探るため、収録の主な目的は、(1)呼吸や細かな動きなど映像・音声だけでは捉えきれない要素も含めて記録すること、(2)楽人・舞人の役割を担う際に何を意識しているのかという演者ご自身の意識・感覚について洞察を得ることとしました。2日間を通して、計13名の演奏家の協力のもと、《萬歳楽》と《陵王》の舞楽・管絃での上演を収録しています。
今後は、得られた量的データ(視聴覚記録、生理学的記録、モーションキャプチャ)と質的データ(インタビュー)を、演奏者間の相互作用という観点から詳細に分析していきます。研究は始まったばかりですが、将来的な成果を、多様化する伝統芸能の記録作成手法そのものの検証にも繋げられればと考えています。
バルバル神殿遺跡の浸水被害調査
アル・ファウ遺跡シンポジウム
文化遺産国際協力センターでは、文化遺産保存状況の調査ならびに関連協議のため、令和6(2024)年10月上旬にバーレーンとサウジアラビアへ調査団を派遣しました。
このほど、バーレーン文化古物局と東京文化財研究所、金沢大学古代文明・文化資源学研究所の三者は協力協定を締結し、新たに「バハレーン・アラビア湾岸考古学・文化遺産研究センター」を立ち上げ、同国の考古学研究と文化遺産保護事業を共同で進めていくことで合意しました。今回のバーレーン訪問のおもな目的は、年初の大雨による影響を受けた遺跡の状況調査です。カラートゥ・ル=バーレーン遺跡では、浸水による砦外壁の崩壊や、ナツメヤシ材を用いた天井梁の顕著な撓みが確認され、一時的に観光客の立ち入りが制限されていました。また、バルバル神殿遺跡では、最も神聖な場所であったと思われる井戸状遺構に砂が流入し、基礎の洗堀等によって複数の石材が傾斜・移動していました。このように、気候変動による年間降水量の増大に伴い、それによる文化遺産への影響が中東・湾岸地域では年々深刻化しています。数年前に採られた記録と現状を比較して劣化の進行を定量的にモニタリングすることを提案し、影響軽減の対策案について協議しました。
一方、サウジアラビアでは、令和6(2024)年9月に世界遺産に新規登録されたばかりのアル・ファウ遺跡をテーマとして首都リヤドで開催されたシンポジウムに出席し、続いて遺跡現地も見学しました。イスラーム以前の交易都市の遺構を中心としたアル・ファウ遺跡は、祭祀遺構や主に青銅器時代に築かれた多数の古墳も含む広大かつ多面的な遺跡ですが、発掘調査はまだ全体の数%しか完了していません。今回の訪問では文化遺産庁とも意見交換を行い、今後の公開に向けた史跡整備のなかで必要な支援ができるよう、協議を継続することを確認しました。
写真測量の実習
広島県平和記念公園でのVRツアー体験
福井県一乗谷朝倉氏遺跡でのARコンテンツの体験
文化遺産国際協力センターは、令和6(2024)年度文化遺産国際協力拠点交流事業「デジタル技術を用いたバーレーンおよび湾岸諸国における文化遺産の記録・活用に関する拠点交流事業」を文化庁より受託しています。その一環として、令和6(2024)年10月21~30日にかけて「文化遺産の3Dデジタル・ドキュメンテーションとその活用に関するワークショップ」ならびに「日本の博物館、史跡におけるAR、VR、デジタル・コンテンツの活用に関するスタディー・ツアー」を実施しました。本研修は、前年度に同交流事業を受託してバーレーンにて実施した、3Dデジタル・ドキュメンテーションに関する基礎的な研修を発展的に継承したもので、今回はバーレーン、クウェート、サウジアラビア、オマーン、エジプトの5カ国から計7名の専門家を招聘して、応用的な技術講習・実習に加え、ドローンを航行させての遺跡や建物の広域測量の実習、さらに日本国内での活用事例を見学するスタディー・ツアーも行いました。
日本に招聘して研修を実施するねらいは、考古遺跡や歴史的建造物の記録における3Dデジタル・ドキュメンテーションの導入だけでなく、歴史教育や博物館展示、史跡公開などの場面での活用事例を学んでもらうことにあります。そこで、東京国立博物館と文化財活用センターが製作したデジタル日本美術年表をはじめとするデジタル・コンテンツや、産業技術総合研究所が進めるデジタルツイン事業の一つである3D DB Viewer、博物館資料の3Dデータを3Dモデルとして出力し“触れる展示資料”を提供している「路上博物館」などの事例を紹介しました。また、広島の平和記念公園で実施されているPeace Park Tour VRの体験、大塚オーミ陶業による文化財のレプリカ製作の現場見学、福井県一乗谷朝倉氏遺跡の屋内外における遺構露出展示や復元街並みとAR・VRの融合事例の見学などを実施しました。
湾岸諸国の中でも、3Dデジタル・ドキュメンテーションを本格的に導入したい対象や場面が国毎に異なり、より専門的かつ集中的な研修と実用化が求められていることがうかがわれました。今後はそれらのニーズに個別に対応した、より実践的な協力のあり方も検討していきます。
無機修復材料を用いたパック法の実施
保存修復前後の様子
東京文化財研究所では、令和3(2021)年度より、「文化遺産の保存修復技術に係る国際的研究」の一環として、スタッコ装飾に関する研究調査を行なっています。昨年度は、新潟県長岡市にある機那サフラン酒製造本舗土蔵にて、扉や軒下に配された鏝絵を対象に、埃などの付着物の除去や、剥離・剥落といった損傷箇所に対する適切な保存修復方法の確立を目的とする調査研究を長岡市から受託して行いました。これに続き、今年度は、彩色層や漆喰層の補強および補彩技法の確立を目的とする調査研究を、欧州の専門家にも協力いただきながら9月26日~10月16日にかけて行いました。
過去にこの鏝絵では、損傷箇所の補修に合成樹脂を含む材料が使われていましたが、夏は高温多湿で、冬季間には降雪量の多いことから経年による劣化が激しく、ときに補修材料が鏝絵を傷める原因になっていました。この現状を改善すべく耐久性に優れた無機修復材料の導入を検討し、補彩においては、制作から間もなく100年を迎える本鏝絵が持つ風格を現代に継承しつつ、鏝絵蔵全体の調和を生み出すよう配慮した彩色方法を採用しました。
一連の調査研究を通じて確立された鏝絵の保存修復方法は、文化財保存学の視点から実施された国内初の事例となります。この方法に基づく成果については、今後の経過観察を通じてその効果を検証する必要がありますが、現状の改善に繋がる大きな一歩を踏み出すことができたといえるでしょう。