研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『TOBUNKEN NEWS (東文研ニュース)』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。

東京文化財研究所 保存科学研究センター
文化財情報資料部 文化遺産国際協力センター
無形文化遺産部


菩薩像における条帛の着用・非着用の問題について―薬師寺金堂薬師三尊像に関する考察の手がかりとして――第6回文化財情報資料部研究会の開催

研究会の様子

 仏像は様々な服を身に着けています。菩薩像や明王像が、上半身にたすき状にかける「条帛」と呼ばれる布製の着衣もそのひとつですが、条帛に関する研究はこれまで積極的にはされてきませんでした。
 令和4(2022)年11月28日に開催された文化財情報資料部研究会では、黒﨑夏央(当部アソシエイトフェロー)が「菩薩像における条帛の着用・非着用の問題について―薬師寺金堂薬師三尊像に関する考察の手がかりとして―」と題して発表を行いました。
 奈良・薬師寺金堂に安置される薬師三尊像は、日本の仏像を代表する作例でありながら、7世紀末に藤原京の薬師寺で造立されたのか、それとも8世紀初めに平城京で新たに鋳造されたのか、未だ定説を見ていません。法隆寺金堂壁画や宝慶寺石仏群をはじめ、これまで薬師寺像と比較されてきた同時代の菩薩像がみな条帛を着けるのに対し、薬師寺像が条帛を着けないことは、同像の制作背景や制作年代に関わる造形的特徴として注目されます。本発表では薬師寺像の考察を見据えて、7世紀に制作された日本および中国の塼仏や、中国の石窟における菩薩像の作例について、条帛の有無という観点から概観しました。中国で制作された塼仏における菩薩像は、上半身を裸形であらわすインド風の表現が採られていますが、藤原京で薬師寺像が造立されたのと同じ頃に日本で制作された塼仏には条帛が着けられており、現在の薬師寺像では古い形式が採られていることを述べました。今後はその背景について、歴史的・思想的な観点から考察を深めることが課題です。
 研究会はオンライン形式で開催され、所外からも仏教美術史を専門とする方々にご参加いただきました。質疑応答では、条帛そのものについて、7世紀後半の入唐僧や国際情勢について、同時代の作例との関連性についてなど、様々な観点から活発な議論が行われました。今後の研究を進めるうえで貴重なご意見をいただくとともに、薬師寺像の持つ問題性の大きさを改めて共有する場ともなり、充実した研究会となりました。

前田青邨文庫の受入

「前田青邨文庫」の一部
女史箴巻を見る前田青邨(『文化』第246・247号、1974年10月から転載)

 日本画家前田青邨(1885-1977)の旧蔵資料「前田青邨文庫」を、青邨の三女・秋山日出子氏から、日出子氏の長男である秋山光文氏(お茶の水女子大学名誉教授、目黒区美術館館長)のご紹介により、令和4(2022)年10月11日付で東京文化財研究所にご寄贈いただき、11月8日に感謝状を贈呈しました。
 この文庫は、113種類275点(図書109種類270冊、カセットテープ3本、レコード1組2枚)の資料からなり、甲冑など武具の故実書、歴史物などの江戸期版本や、幸野楳嶺の画集、「梶田半古自筆画稿」の題簽が付された折本、日本美術院の後輩である小林柯白、酒井三良らの小品集などが含まれており、今後の前田青邨研究において欠かせない資料といえます。
 また、この文庫には、カセットテープ「青邨『女史箴』再見談」が収められております。これは昭和50(1975)年に、青邨の女婿で東京大学文学部教授であった秋山光和氏(光文氏の父、当研究所名誉研究員)の斡旋により北鎌倉の青邨邸にて行われた小林古径・青邨筆「臨顧愷之女史箴巻」の調査、青邨本人への聞き取りの記録です。この調査には東北大学の亀田孜氏・原田隆吉氏とともに、当時の東京国立文化財研究所の辻惟雄・関千代・河野元昭らの各氏が参加しており、当研究所の活動記録としても、とても重要なものです。このように、青邨の作品・作家研究に必須であることはもとより、当時の文化財調査のあり方を示す資料として、広く今日の文化財研究にとっても有用といえます。
 今回ご寄贈いただいた「前田青邨文庫」は資料閲覧室にて公開します。また図書資料は、ゲッティ研究所との共同事業におけるオープンアクセス対象の資料とし、一方、カセットテープやレコードなどはデジタル化し、長期にわたって研究に活用できる処置を施したいと考えています。この文庫が、前田青邨や近代日本画、さらには文化財の研究に寄与できれば幸いです。

機那サフラン酒本舗鏝絵蔵に使用された彩色材料の調査

機那サフラン酒本舗鏝絵蔵
剥離・剥落箇所

 新潟県長岡市にある機那サフラン酒本舗鏝絵蔵は、大正15(1926)年に創業者である吉澤仁太郎(よしざわ・にたろう)からの発注により、左官・河上伊吉(かわかみ・いきち)が仕上げを手掛けたものです。鏝絵は木骨土壁の軒まわりや戸を中心に配されており、漆喰を主材に盛り上げ技法を用いながら大黒天や動植物を立体的に表現しています。また、赤色や青色の彩色が施されており、色彩によるコントラストが立体的な視覚効果を生んでいます。
 これらの鏝絵は、雨風にさらされる過酷な環境下に置かれていますが、今日に至るまでに経過した約100年という時間を考えれば比較的良好な状態が保たれています。鏝絵を構成する主要な材料である漆喰が持つ特性や左官技術の高さに加え、この鏝絵を大切に守り伝えようと尽力されてきた方々がいたからこそと言えるでしょう。
しかし、それぞれの鏝絵を個別に観察してみると、局部的に漆喰や彩色の剥離・剥落といった傷みがみられます。そこで、所有者である長岡市の依頼のもと、令和4(2022)年11月11日に現地を訪問し、近い将来必要になると想定される保存修復に向けた事前調査の一環として、彩色や漆喰のサンプリング調査を行いました。サンプリング調査は「破壊調査」とも呼ばれるように対象物の一部を採取して行うものです。「破壊調査」と聞くと、「=よくないこと」というイメージを持たれる方も多いかもしれませんが、決してそうではありません。なぜなら、表層面からだけでは得ることのできない信頼性の高い情報を得ることが可能となり、それに伴い保存修復の安全性と確実性をより高めるからです。
 大切に守られてきた鏝絵蔵を次の100年に繋げていくことを念頭に、本調査の分析・解析結果を有効に活用しながら、具体的な保存修復の立案に役立てていきたいと思います。

国際研修「ラテンアメリカにおける紙の保存と修復」2022の開催

実習風景

 『国際研修「ラテンアメリカにおける紙の保存と修復」』は、平成24(2012)年度よりICCROM(文化財保存修復研究国際センター)とCNCPC-INAH(国立人類学歴史機構 国立文化遺産保存修復調整機関、メキシコシティ)との3者共催でCNCPCにて実施しています。令和4(2022)年度は11月9日から22日にかけて、アルゼンチン、ウルグアイ、コロンビア、スペイン、チリ、ブラジル、ペルー、メキシコの8カ国から計9名の文化財保存修復専門家を研修生として迎え、開催しました。
 東京文化財研究所が前半の5日間(9日から14日)を、後半の5日間(16日から22日)はCNCPCが担当しました。日本の紙保存技術の基礎をテーマとした前半では、技術の保護制度に関する解説から始まり、道具材料など材料学、国の選定保存技術「装潢修理技術」の基本的な情報までを講義形式でまず紹介しました。また、これに続く実習では、装潢修理技術のうち海外文化財にも適応性が高い技術や知識を、裏打ちなどの作業を通して伝えました。後半はラテンアメリカにおける和紙の応用をテーマとして、材料の選定方法から洋紙修復へのアプローチ手法までを、メキシコやスペインの専門家らが教授しました。
 新型コロナウイルス感染症の拡大以降初の対面開催でしたが、参加者の協力のもと基本的な感染対策を徹底し、無事に研修を終えることができました。本研修を通じて参加者が日本の伝統技術のエッセンスを掴み、自国の文化財保護へと役立てていくことを期待しています。

ブータンの伝統的石造民家の保存に向けた予備調査

コープ集落の全景(西より望む)
MOU署名式(左:友田東文研センター長、右:ナクツォ・ドルジDoC局長)

 東京文化財研究所(東文研)では、文化遺産としての保護対象を伝統的民家を含む歴史的建造物全般へと拡大することを目指すブータン内務文化省文化局(DoC)を支援し、遺産価値評価や保存活用の方法などについて調査研究の側面からの協力を行っています。新型コロナウイルス感染症の世界的蔓延に伴う渡航制限により、令和2(2020)年1月以降はオンラインによる協力実施を余儀なくされてきましたが、本年7月に日本、9月にはブータンの渡航制限措置が大幅に緩和されたことを受けて、現地での共同調査を再開することで DoCと合意し、11月5日から15日にかけて東文研職員3名に奈良文化財研究所職員1名を加えた計4名の派遣を行いました。
 今回の現地派遣は、ブータンの東部地域にみられる石造民家建築を主な対象に、その適切な保存活用の基礎となる学術的な総合調査の前段階として、当該地域の集落や民家の基本的な特徴や有効な調査方法を把握・検証することを目的としました。首都ティンプーから比較的アクセスのよい東部中央寄りのトンサ県(Trongsa Dzongkhag)とブムタン県(Bumthang Dzongkhag)を中心に、これまでの政府の調査記録や各県からの情報提供等をもとにDoC遺産保存課(DCHS)があらかじめ選定した集落と民家について、実測や写真測量、住民への聞取り等の調査を行いました。集落形態にも地域ごとの特色があり、中でもトンサ地方南方の特に険しい山間地域にあるトゥロン(Trong)とコープ(Korphu)の両集落は尾根づたいに民家が建ち並び、農村でありながら都市的な集落形態をみせる点が独特です。また、トゥロンの民家はほぼすべてが石造なのに対し、コープでは石造民家と版築造民家が混在し、かつ版築造民家がより古い形式を留めていることが確認できました。他の民家でも、版築造を後に石造で増改築したものが散見されることから、少なくとも今回の調査地域では民家に用いられる構造が版築造から石造へと変遷した様子が窺えます。また石造民家には非常に複雑な増築を繰り返してきたとみられる事例があり、版築造に比べて石造では増築や改修の頻度が高い可能性が考えられます。調査方法に関しては、乱石積の複雑な目地を現し、形状の歪みも多い石造民家では、今回用いた写真測量による記録が効率よく、きわめて有用であることが確認できました。
 調査終了後、ティンプーのDoC庁舎においてブータンの建築遺産保護協力に関する覚書(MOU)の署名式を執り行うとともに、DCHSとの協議を行い、今回の調査結果や今後の協力事業の方向性などについて意見交換を行いました。来年度以降、DCHSとの協働のもと、ブータン東部地域で石造民家建築を対象とした調査研究活動を本格的に展開していく予定です。

第16回 東京文化財研究所 無形文化遺産部 公開学術講座「無形文化財と映像」を開催

座談会の様子(檀上左から佐野真規、櫻井弘氏、小泉優莉菜氏)
事例報告①に登壇した石田克佳氏

 令和4(2022)年10月28日(金)、第16回公開学術講座を開催しました。
 午前は、講座に先立ち、公益財団法人ポーラ伝統文化振興財団、独立行政法人日本芸術文化振興会、当研究所で制作した映像を上映しました。
 午後の本講座では、まず開催趣旨を説明し(前原恵美無形文化財研究室長)、その後、無形の文化遺産と映像(石村智音声映像記録研究室長)、当研究所における無形文化財の映像記録(佐野真規アソシエイトフェロー)、古典芸能の保存技術(琵琶製作者・演奏家の石田克佳氏、前原)、工芸技術に関する映像記録(瀬藤貴史文化学園大学准教授、菊池理予主任研究員)についての報告を行いました。続いて座談会では、独立行政法人日本芸術文化振興会理事の櫻井弘氏および公益財団法人ポーラ伝統文化振興財団学芸員の小泉優莉菜氏より、それぞれの機関での無形文化財の映像についてご紹介いただき、その後当研究所研究員を交えて、「無形文化財の映像」の目的や手法、公開について、それぞれの機関による特徴を整理、共通理解を得ました。また、こうした各機関の特徴を相互に理解した上で、無形文化財の多角的な映像記録がアーカイブされ、可能な範囲・方法で公開されていくことにより、無形文化財が俯瞰的に記録されるとの結論に至りました。
 今後も無形文化遺産部では、無形の文化財の記録手法、活用について、さまざまな課題を共有し、議論できる場を設けていきます。なお、本講座の報告書は次年度刊行、PDF公開予定です。

津森神宮お法使祭の実施状況調査―熊本地震と無形民俗文化財の再開―

荒々しく揉まれる神輿
御仮屋前での神事の様子

 無形文化遺産部では、10月29日~30日に、熊本県上益城郡益城町・阿蘇郡西原村・菊池郡菊陽町に伝わる「津森神宮お法使祭」の実施状況調査を行いました。
 「津森神宮お法使祭」は、毎年10月30日に行われる津森神宮(益城町寺中)の祭事の一つです。益城町・西原村・菊陽町にまたがる12の地区が1年交代で当番を務め、当番となった地区は「お仮屋」を建てて、御祭神であるお法使様を1年間お祀りします。当番地区が次の地区にお法使様を渡すための巡行の途中で、御神体をのせた神輿を荒々しく揺らしたり放り投げたりする所作が行われることで有名です。
 行事を行う三町村は、平成28(2016)年4月に発生した熊本地震で甚大な被害を受けた地域です。行事の中心となる津森神宮も、大きな被害を受けました。平成28年については一部規模を縮小し「復興祈願祭」として挙行したものの、平成29(2017)年・30(2018)年は中断をしたそうです。今年の当番地区は、杉堂地区(益城町)がつとめました。地元の方にうかがったところ、いまだ地震の影響は残っており、近年、仮設住宅から新しく建て直した住居に戻ったばかりの方も、地区内にはいらっしゃるそうです。
 出発式では、益城町長ほか関係者から復興状況について報告があり、「例年とは異なるかたちで行事を行うしかなかった地区の分まで盛大に」と言葉がありました。地震発生後、一時は神輿を荒々しく扱うような所作を控えた時期もあったと言います。今年の行事では、地震以前を取り戻すかのように、威勢よく神輿が地区内を巡行し、無事、夕方には、お法使様は、来年の当番地区である瓜生迫地区(西原村)の御仮屋へと移っていきました。
 無形民俗文化財は、地域の方々の生活に密着に結び付いている文化財であるがゆえに、災害による影響が、予想できない形で現れることがあります。今回のお法使祭の例も、地元の方々の生活の復興状況が、行事の実施内容に影響を与えた可能性があります。無形文化遺産部では、引き続き、災害発生が無形民俗文化財にどのような影響を及ぼすのか、調査を進めていきたいと考えます。

無形文化財を支える用具・原材料の調査―篳篥の蘆舌と原材料

左から、上牧鵜殿、西の湖、渡良瀬川のヨシ
ヨシをヒシギ鏝でひしぐ様子
ヨシを木蝋燭きろうそくにあてて先端を小刀で削る
左から、渡良瀬川、上牧鵜殿、西の湖のヨシで作った蘆舌

 無形文化遺産部では、無形文化財を支える用具(付属品を含む楽器、装束等)やその原材料の調査・研究を進めています。
 雅楽の管楽器・篳篥ひちりき蘆舌ろぜつ(リード)の原材料は、ヨシの中でも河岸や湖沼近くで育つ陸域ヨシで、特に大阪府高槻市の淀川河川敷、上牧かんまき鵜殿うどの地区は篳篥の蘆舌に適していると言われてきました。ところが、生育状況等の様々な変化により、蘆舌に適した太いヨシが大きく減少しています。無形文化遺産部では、そもそも上牧・鵜殿地区のヨシの、どのような特性が篳篥蘆舌に適しているとされているのか、同じくヨシの産地として知られる西の湖(琵琶湖の内湖)や渡良瀬川遊水地のヨシとの比較調査を、保存科学研究センターと共同で行っています。令和4(2022)年10月13日、その一環として、篳篥奏者・中村仁美氏の協力を得て、上牧・鵜殿地区、西の湖、渡良瀬川遊水地のヨシで篳篥の蘆舌を試作し、その様子を記録撮影するとともに、聞き取り調査を行いました。すでに行ったヨシの外径、内径等の計測に加え、今後は詳細な断面観察等を行い、併せてそれぞれのヨシの特性と篳篥の蘆舌に求められる適性について研究を進める予定です。
 なお、篳篥の蘆舌製作は、適した温度に熱したヒシギごてでヨシを挟んでゆっくり潰す「ひしぎ」の工程に特徴がありますが、質の良いヒシギ鏝の不足も伝えられており、雅楽を取り巻く用具(蘆舌)、原材料(ヨシ)だけでなく製作に必要な道具(ヒシギ鏝)の入手にも課題がありそうです。
 無形文化遺産部では、引き続き、無形文化財の継承に必要な技やモノの現状や課題、解決方法について、包括的な調査研究を実施していきます。

岩窟内に建てられた木造建造物の保存環境に関する調査

岩窟の表面温度の測定
岩窟上部における水分浸透状態の測定
本殿の表面温度の測定

 保存科学研究センターでは岩窟内の木造建造物の保存環境にかかる調査研究を行っています。
 石川県小松市の那谷寺は土着の白山信仰と仏教が融合した寺院であり、重要文化財である本殿は1642年(寛永19年)に再建されたもので、自然の浸食でできた岩窟内に建てられています。岩窟内では近年実施した耐震補強工事以降、春から夏にかけての結露の発生が問題になっています。結露は木材腐朽の要因となるため、建築やそこに施された装飾をなるべく健全な状態で残すためには、発生の頻度を可能な限り減らすことが望ましいです。
 そこで結露の発生要因を明らかにし、その抑制方法を検討するための環境調査を行っています。岩窟内の環境は雨水や外気の影響や岩盤の熱容量(熱を蓄える能力)の影響を受けるため、堂内の温湿度環境の測定に加え、岩盤への水分浸透状態の測定や、岩盤や本殿の表面温度の測定を行っています。今後は継続的な環境データの測定と分析により検討を進めます。
 結露は、組積造建造物や古墳の石室など様々な現場で問題になっています。特に近年は夏季の気温と絶対湿度の上昇に伴って、発生リスク自体が上昇していることが報告されています。根本的には地球規模での環境を考える必要がありますが、まずは日常管理の中で取り組める対策を提案できればと考えています。

文化財修復処置に関するワークショップ-ナノセルロースの利用についてー開催報告

開講式集合写真
実習風景

 近年、文化財保存修復に関する調査研究対象は伝統的な文化財分野のみならず、多様な材料で作成された作品や資料へ広がっており、それに伴い、保存科学研究センター修復材料研究室では、海外の講師を招聘しての研修を開催しています。今年度は、フランスよりナノセルロースの利用について研究と実践を行うRemy Dreyfuss-Deseigne氏を招聘し令和4年(2022)10月5日より3日間のワークショップを行いました。ナノセルロース材料は天然材料に由来する透明で安全な材料であることから、特にトレーシングペーパーや写真フィルムなど透明な材料への適用が着目されています。
 定員15人に対し2倍以上のご応募があり、午前の座学へは全員ご参加いただけましたが、午後の実技のためには定員を広げつつも選考を行わざるを得なかったのですが、この研修に対する期待を強く感じられました。初日は齊藤孝正所長の挨拶と講師紹介の開講式から開始され、午前の座学と午後の実技実習を行いつつ、また、最終日には東文研が保有する機器のうち研修に関連するものの見学も行いました。
 海外から講師を招聘してのワークショップは3年ぶりとなりましたが、対面での研修となったため、非常に活発な質問や討議が行われ、さらに、研修生同士の連携も強く形成されたとの声も多く、オンラインでは得られない研修効果を再認識した次第です。このような熱意の中で行われた本研修の成果は、実際の文化財修復や公文書保存に役立てられていくと考えております。

文化庁主催「令和4年度文化的景観実務研修会」他への参加

葛飾柴又の文化的景観
旧「川甚」新館での全国文化的景観地区連絡協議会の様子

 文化遺産国際協力センターは、ユネスコ世界遺産をはじめとする文化遺産の保護についての国際的な動向や情報を日本国内で共有することを目的とした「世界遺産研究協議会」を平成29(2018)年から開催しています。令和4(2022)年度は、「文化財としての『景観』を問いなおす」と題し、近年わが国でも重要性が高まってきている面的な文化財の保護を取り上げます。このような背景から、国内における景観保護の潮流を理解するため、文化庁が10月27日~29日に開催した「文化的景観実務研修会」および「全国文化的景観地区連絡協議会」に参加しました。
 二つの会は、大都市に所在する文化的景観としては国内初の選定となった葛飾柴又で開催されました。研修会では、文化的景観の魅力発信や観光まちづくりに関する二つの事例発表の後、参加者がグループに分かれて実地を歩きながら、文化的景観の情報を内外の人が共有する(その魅力を知る)ための課題について調査し、その解決にむけての発表と討議を行いました。ついで協議会では、柴又の文化的景観の特質に関する基調講演、川魚の食文化の継承に関する三つの事例報告の後、本テーマに関する登壇者による討論が行われました。
 文化的景観の意義を次世代へ繋げるには、行政機関のみならず地域住民や関係者の主体的な参画が鍵となります。今回の研修会および協議会では、日々の生活に根ざした「生きた文化財」としての文化的景観を活用する手法に焦点が当てられました。言うまでもなく、こうした活用と車の両輪のような不可分的関係にあるのが保護であり、その制度や手段です。このことを念頭に今年度の世界遺産研究協議会では、文化的景観や歴史的街区など景観的な価値をもつ世界遺産が海外でどのような法的根拠の下に保護されているのかを明らかにし、わが国の「景観」保護の将来について展望したいと考えています。

令和4年度シンポジウム「気候変動と文化遺産―いま、何が起きているのか―」の開催

パネルディスカッションの様子

 文化遺産国際協力コンソーシアム(東京文化財研究所が文化庁より受託運営)は10月23日、東京大学農学部弥生講堂一条ホールにおいて令和4年度シンポジウム「気候変動と文化遺産―いま、何が起きているのか―」を開催しました(文化庁及び国立文化財機構文化財防災センターとの共催)。
 今回のシンポジウムでは、歴史上の気候変動と人間社会とのかかわりから気候変動を考え、気候変動下で有形、無形の文化遺産が直面している問題を共有、議論することで、文化遺産のより良い未来のための国際協力の可能性を探ることを目的としました。
 冒頭の青柳正規・文化遺産国際協力コンソーシアム会長のあいさつでは、気候変動を前提とした文化遺産保護における国際的な協調と連携の強化という来たるべき課題に対して、まずは多くの人々が気候変動と文化遺産の関係を正しく理解することがその第一歩となることが強調して述べられました。
 続いて、気候変動と文化遺産に関連した研究に関する講演として、中塚武・名古屋大学大学院環境学研究科教授から「古気候学から見た過去の気候適応の記憶としての文化遺産の可能性」、ウィリアム・メガリー・イコモス気候変動ワーキンググループ座長から「我々の過去を未来へ:文化遺産と気候変動の緊急事態」、石村智・東京文化財研究所無形文化遺産部音声映像記録研究室長から「気候変動と伝統的知識:オセアニアの事例から」と題して、それぞれに異なる視点から気候変動と文化遺産を捉えた発表が行われました。
 後半のパネルディスカッションでは、園田直子・国立民族学博物館教授をモデレーターに、上記の講演者に建石徹・文化財防災センター副センター長を加えた4人のパネリストによる討論が行われました。建石副センター長による東日本大震災を事例とした文化財防災の取り組みと課題の紹介の後、会場も交えて、気候変動が文化遺産保護の活動に与える影響や文化遺産をかたちづくる伝統的な知識が気候変動対策の鍵となる可能性など様々な意見が交わされました。そして、最後の高妻洋成・文化財防災センター長による閉会のあいさつでは、引き続き多くの人々の知恵を集めながら、この課題に取り組んでいくことの重要性が確認されました。
 本シンポジウムの詳細については、下記コンソーシアムのウェブページをご覧ください。
令和4年度シンポジウム「気候変動と文化遺産―いま、何が起きているのか―」を開催しました|JCIC-Heritage

国際シンポジウム「メソポタミアの水と人」の開催

写真:イラクと中継を結んでのディスカッション

 東京文化財研究所とNPO法人メソポタミア考古学教育研究所(JIAEM)は、令和4(2022)年10月22日(土)に「メソポタミアの水と人―文化遺産から暮らしを見直す―」と題した国際シンポジウムを共催致しました。本シンポジウムは、令和元(2019)年に続く2度目の共催事業であり、いまだ外国研究機関の活動が制限されているイラクをはじめとしたメソポタミア地域の考古学研究ならびに現代の暮らしに目を向け続け、理解を深めるとともに、将来的な考古学調査の再開や国際協力を見据える活動の一環であります。
 メソポタミア文明を育んだ大河・ティグリス川とユーフラテス川は現在、地球規模の気候変動の影響に加えて、上流に位置する隣国によるダム建設などのあおりを受け、水量が激減しているという問題に直面しています。本シンポジウムでは、駐日イラク共和国大使館 特命全権大使アブドゥル・カリーム・カアブ閣下をお招きし、メソポタミア文明期から脈々と続く人々の生活と両大河の関わりと、現在の大河流域のイラクの窮状について基調講演をいただきました。続いて、越境河川における水資源管理、古代メソポタミア地域の水利、伝統的な船造りの方法とその伝承、かつて豊富な湧水で栄えたバーレーンの歴史と現在、というテーマで多方面から「水」をキーワードに発表が行われました。シンポジウム後半には、イラク現地と中継を結び、イラク人専門家から、古代遺跡での水利に関する調査成果や、水とともに生きる南イラクの水牛の危機的状況を発表していただきました。最後に発表者全員で行われたディスカッションでは、かつてイラクの地でどのような水利事業が行われていたのか発掘成果を確認するとともに、様変わりする河川の状況に人々はどう対処していくことが出来るかが話し合われました。
 古代から現代にいたる幅広い問題を扱い、日・英・アラビア語の3か国語で行われた本シンポジウムは、「水」という我々の生活の核となるテーマを掲げたことで、学術的な内容に留まらず、現地の声に耳を傾け人々の暮らしを議論する貴重な機会となりました。このような会を積み重ねることで、新たな国際協力の課題が見出されていくことでしょう。

古墳の石室及び石槨内に残存する漆喰保存に向けた調査研究

石槨内に残存する漆喰

 令和4(2022)年10月20日に、広島県福山市にある尾市1号古墳を訪れ、福山市経済環境局文化振興課協力のもと、石槨内に残存する漆喰の保存状態について調査を行いました。古墳造営に係る建材のひとつである漆喰は、その製造から施工に至るまで特別な知識及び技術を要することから、当時における技術伝達の流れを示す貴重な考古資料といえます。こうした理由から、国外では彩色や装飾の有無に関わらず、漆喰の保存に向けた取り組みが行われることは珍しくありません。一方、国内でも、高松塚古墳やキトラ古墳だけではなく、漆喰の使用が確認されている古墳が40ヶ所以上にものぼることはあまり知られていません。その多くは文化財に指定されていますが、保存に向けた対策が講じられることは少なく、風化や剥落によって日々失われてゆく状況が続いています。
 尾市1号古墳の漆喰は国内でもトップクラスの残存率を誇り、未だ文化財指定を受けていないことが不思議なくらいです。さらに、単に漆喰が残っているというだけではなく、保存状態の良い箇所では、造営時に漆喰が塗布された際にできたと考えられる施工跡までもが確認でき、当時使われていた道具類を特定するうえでの貴重な手掛かりになるものと思われます。今回の調査では、保存状態や保存環境を確認したうえで、材料の適合性や美的外観といった文化財保存修復における倫理観と照らし合わせながら、持続可能な処置方法を検討しました。
 文化財の活用は以前にも増して強く求められるようになってきています。これに伴い、文化財の継承の在り方も今一度見直すべき時期に差し掛かっているといえるでしょう。古墳に残された漆喰もしかり、朽ち果て、失われてゆく現状を見直し、今後の活用にも繋がりうる適切な保存方法と維持管理の在り方について、国外の類似した先行事例も参照しつつ、検討を重ねていきたいと思います。

桑山玉洲と岩瀬広隆の絵具・絵画作品における彩色材料分析と絵画表現―第5回文化財情報資料部研究会の開催

ディスカッション・質疑応答の様子

 桑山玉洲(1746~99)と岩瀬広隆(1808~77)は、江戸時代に和歌山で活躍した画家で、いずれも、彼らが使用した画材道具を残しています。これらの画材道具には、さまざまな絵具類が含まれており、江戸時代の絵具としての彩色材料が具体的に明らかになる点できわめて意義深いものです。また、彼らが描いた絵画作品も多く現存し、実際の絵画作品に用いられている彩色材料と、画材道具に含まれる絵具を比較できるという意味で、貴重な研究対象となります。
 令和4(2022)年9月15日に開催された第5回文化財情報資料部研究会は、こうした玉洲と広隆の絵具・絵画作品についての彩色材料分析に関する中間報告として、オンラインを併用して研究所内で開催されました。まず、早川泰弘(副所長)が、両者の彩色材料に関する蛍光X線分析や可視反射分光分析の結果を報告し、分析によって明らかになった白色顔料における胡粉と鉛白の併用など、新知見や今後の課題を提示しました。続く安永拓世(文化財情報資料部・広領域研究室長)の発表は、玉洲の「渡水羅漢図」を例に、その典拠となった作品との比較に基づいて、人物の顔における白色顔料の使い分けや、裏彩色の問題を考察したものです。さらに、近藤壮氏(共立女子大学)は、浮世絵師から復古大和絵派の絵師になった広隆の経歴を紹介し、「羅陵王・納蘇利図」を例に、広隆の画業と彩色材料の関連性について検討を加えました。
 発表後には、発表者三名によるディスカッションと質疑応答がおこなわれ、分析結果の解釈などについて活発な議論が交わされたところです。玉洲や広隆が活躍した18世紀中ごろから19世紀中ごろは、彩色材料の変遷を知るうえで重要な時期ですが、絵具・絵画作品ともに彩色材料の分析事例は少ないため、こうした研究により、江戸時代中後期の彩色材料に関して具体的な解明が進むことも期待されます。

文化財の記録作成に関するセミナー「記録作成と情報発信・画像圧縮の利用」の開催

渡邉直登氏の講演
今野咲氏の講演
今泉祥子氏の講演

 文化財情報資料部文化財情報研究室は、標記のセミナーを令和4(2022)年9月2日に東京文化財研究所地下セミナー室にて開催しました。令和4(2022)年4月に成立した「博物館法の改正に関する法律」では、博物館資料に係る電磁的記録(デジタルアーカイブ)の作成と公開が博物館の役割に加えられました。また、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、文化財の現場や展示施設の訪問が難しい状況が続き、ウェブなどの仮想空間での展示の需要がこれまで以上に高まっています。
 このような状況に鑑み、セミナーでは、渡邉直登氏(仙台市歴史民俗資料館学芸員)から、コロナ禍での生出森八幡神社の例祭や神楽の伝承に関する映像記録作成とYouTubeでの発信について、今野咲氏(東北福祉大学芹沢銈介美術工芸館学芸員)から、展示室の様子や作品解説などを館のウェブサイトで公開する取り組みについてお話しいただきました。また、今泉祥子氏(千葉大学大学院工学研究院准教授)には、画像や映像の圧縮の原理や、利用の際の留意点に関するご講演をいただきました。
 今泉准教授は、圧縮にはデータ容量を減らす効果がある一方、画像や映像の質が低くなるデメリットがあることを視覚的に提示し、渡邉学芸員、今野学芸員は、補助金などの公的支援や地元の方の協力を得つつ、組織内の人材や機材、無償のソフトウェアを活用し自前で情報発信を行う手法を具体的に紹介しました。いずれのご講演も身近な課題の解決に向けて有益な示唆を与える内容で、参加者からも多くの質問が寄せられました。
 文化財情報研究室では今後も様々な媒体を通じて、文化財の記録作成や情報発信について、実務に活用可能な情報を提供してまいります。

肥後琵琶の伝承および関連資料の最終調査

永柗大悦氏使用の琵琶(永柗光豊氏所蔵、当時)
橋口啓介氏使用の琵琶(橋口賢一氏所蔵)

 無形文化遺産部では、肥後琵琶の継承に関わってきた肥後琵琶保存会やその後継者、琵琶を含む肥後琵琶関連資料について調査を開始し、このたび9月7~9日にかけて第三回の調査を実施しました。今回は、晴眼の肥後琵琶演奏者・永柗大悦氏が使用していた琵琶、天草栖本にルーツのある星沢流の継承者だった橋口桂介(星沢月若)氏が使用していた琵琶を、それぞれご遺族が保管されているということで、ご自宅に伺い、調査させていただきました。併せて、ご遺族から生前の永柗氏、橋口氏についてのお話を聞くこともでき、貴重な機会になりました。前者の琵琶は、関連する自筆詞章本や所蔵レコードとともに、同行した学芸員の方を通して玉名市立歴史博物館こころピアに寄贈される運びとなりましたので、今後広く公開され、研究が進むことが期待されます。
 このほか、天草の新和歴史民俗資料館、天草市立本渡歴史民俗資料館所蔵琵琶の調査も行い、本調査は今回をもって一つの区切りとすることになりました。今後、若干の補足調査ののち、年度内に報告書を刊行予定です。
 肥後琵琶については、毎年持ち回りで一面の肥後琵琶を管理しながら、新年に奉納演奏を続けている集落があることもわかっています。今回は調査が実現しませんでしたが、本調査が、肥後琵琶の伝承状況をつまびらかにする端緒となれば幸いです。

博物館の展示ケース内における空気質調査

展示ケース内に設置した袋に窒素ガスを入れている様子
袋内の空気をポンプで採取している様子

 保存科学研究センターでは博物館等の保存環境にかかる調査研究を行っています。今回、神奈川県立歴史博物館より、展示ケース内の空気質に関する調査依頼をいただきました。展示ケース内で有機酸が検出されるが、発生源が特定できておらず、対策を講じるためにも発生源を知りたいということでした。また、これまで有機酸として一括りでしか測定できていなかったので、酢酸とギ酸の割合を把握したいという要望もありました。
 そこで、保存科学研究センター・保存環境研究室と分析科学研究室では、分析科学研究室で開発を行っている空気質の調査方法を適用して、発生源を調べることにしました。調査対象は大小の壁付展示ケース床面、覗きケース展示面、展示台、バックパネルの5箇所です。写真のように空気を通さないフィルムで作られた袋を測定箇所にかぶせ、重さ4.5kgの鉛金属のリングで設置面に隙間ができないように設置しました。袋の中の空気を窒素に置き換え24時間静置後、袋内からポンプで空気を採取し超純水に溶かした試料をイオンクロマトグラフィーで分析することにより、酢酸、ギ酸の放散量を測定しました。同時に、データロガーを袋内に封入し、二酸化炭素の濃度変化を測定することで、密閉度の確認も行いました。
 今回の調査により、それぞれの測定箇所の酢酸・ギ酸の濃度を把握することができたので、今後の空気質改善の対策に生かしていきたいと考えています。

「タンロン-ハノイ皇城世界遺産研究・保存・活用の20年」国際シンポジウムへの参加

シンポジウムの様子

 ハノイはかつてタンロンと呼ばれ、11世紀冒頭に初のベトナム統一国家である李朝が樹立されて以来、大半の時代を通じ首都であり続けてきました。都心に立地するタンロン皇城遺跡は、皇帝の住まいであり政治支配拠点でもある宮殿群があった場所で、存在は知られていたものの、近代に軍施設となったことで往時の宮殿遺構は失われたと考えられていました。
 ところが、その一角を占める国会議事堂の建て替えに伴う2002年からの大規模な発掘調査で、李朝期を含む各時代の宮殿基壇等の遺構や関連遺物が大量に出土し、ベールに包まれていたタンロン皇宮の実像の一端が明らかになりました。保存が決まった遺跡は建都千年にあたる2010年に世界遺産に登録されました。ベトナム政府の求めに応じて日本は本遺跡の研究と保存に2006年から協力しており、筆者は2008年から13年まで建築学および保存管理分野の支援ならびに協力事業の全体運営を担当しました。
 調査開始から20年の節目にあたり、2022(令和4)年9月8~9日の両日、ハノイ市とユネスコハノイ事務所の共催による「タンロン-ハノイ皇城世界遺産研究・保存・活用の20年」国際シンポジウムが現地で開催されました。政府機関やユネスコ、ICOMOS、ICOMの代表や国内外専門家が多数参加し、各分野の研究成果を共有するとともに、今後の保存活用に向けた課題等をめぐって20本を超える報告と討議が行われました。筆者は「タンロン皇城遺跡保存に係る日越国際協力」の題にて発表し、討議のコメンテーターも務めました。
 本遺跡をめぐっては、現存する後黎朝期(16世紀以降)の基壇上に中心建物の敬天殿を復元したいという声が以前からありますが、今回もその根拠資料に関する報告が複数あり、研究の進展が強調されました。一方で、この基壇上と前方にはフランス植民地時代の軍司令部建物が建っているため、宮殿の復元にはその撤去または移設が必要となります。これら後世の建物も世界遺産登録の際に認められた「顕著な普遍的価値」(OUV)を構成する遺跡の重層性を示す証拠物にほかならないことから、OUVの変更なしに復元を実行するのは困難と思われます。シンポジウムの終盤ではこのことが議論の焦点となり、熟議の結果、復元構想を盛り込んだ整備マスタープランの提案は見送られ、さらに検討を継続するとの議事要旨が採択されました。
 日越協力事業は既に終了していますが、関係者の一員として、本遺跡の保存整備をめぐる動向を引き続き注視していきたいと思います。

世界遺産条約50周年記念・世界遺産リーダーシップフォーラム2022への参加

世界遺産ベルゲン・ブリッゲン地区の町並み(裏側-左-の建物がフォーラム会場となったホテル)
フォーラム会場の様子(グループディスカッションのホワイトボード)

 2022年は、世界遺産条約が1972年の第17回UNESCO総会で採択されてからちょうど50年にあたる節目の年です。この半世紀の間に登録された世界遺産は167カ国・1154件(文化遺産897件、自然遺産218件、複合遺産39件)に上り、遺産保護に対する意識啓発と共通理解の醸成に大きな役割を果たしてきました。また、毎年開催される世界遺産委員会を中心にして、国境を越えた様々な議論が積み重ねられています。近年、気候変動の脅威に象徴されるこれまでにない難題が持ち上がる中、2016年、世界遺産委員会の諮問機関であるICCROMとIUCNは共同で「世界遺産リーダーシップ(WHL)」プログラムを立ち上げ、世界遺産条約が果たすべき役割の再構築に向けた活動と議論を進めています。
 令和4(2022)年9月21日から22日にかけて、WHLのこれまでの活動の成果を総括し、これからの活動の方向性を展望する「世界遺産リーダーシップフォーラム2022」が、ノルウェー王国の世界遺産都市・ベルゲンで開催されました。参加者は、世界遺産関係の国際機関や各国の世界遺産の管理運営に関係する機関、登録遺産の管理者・コミュニティの代表者など約60名。会議は、これまでの成果を振りかえる第1部、これからの優先課題と行動方針を話しあう第2部、世界遺産の管理運営能力の向上に向けた具体的な行動計画を考える第3部、の3部構成で行われました。筆者は、第2部で日本の状況についてのスピーチを行い、行政的には世界遺産に特化した保護の枠組みはないものの、2019年の文化財保護法改正で導入された「文化財保存活用地域計画」がWHLでの議論と問題意識を共有しており、WHLが目指す文化遺産・自然遺産、また遺産専門家・遺産管理者・コミュニティを包括した総合的な管理能力の向上に資する有効なツールにもなりうる、とする報告を行いました。また第2部では、(1)効果的な管理運営システムの実現に向けて、(2)災害危機管理と気候変動対応に必要なレジリエンス思考とは、(3)遺産影響評価がもたらす変化への備え、の3つのテーマに参加者を分けたグループディスカッションも行われ、参加者同士の活発な議論が交わされました。そして、第3部での議論を経て、WHLは今後、本会議で確認されたような参加者のネットワークを強化し、世界遺産委員会から遺産保護の現場までを継ぎ目なく繋ぐ管理運営能力の開発に焦点をあてることが確認されました。同時に、そのためには各国・各地域の文化・言語に根づいた遺産保護のローカルネットワークとの綿密な連携体制を構築していくことが重要とされています。
 日本は、ローカルネットワークの活動と世界遺産関係の動向との関連が特に弱い国の一つと思われますが、国内の遺産保護の現場を国際社会での活動や議論に直接つなぐことができるようにする努力と工夫が、文化遺産国際協力の新たなかたちとして求められるようになるかもしれません。

世界遺産リーダーシップフォーラムに関するICCROMウェブサイト https://www.iccrom.org/news/norway-renews-commitment-iccrom-iucn-world-heritage-leadership-programme

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