研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『TOBUNKEN NEWS (東文研ニュース)』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。

東京文化財研究所 保存科学研究センター
文化財情報資料部 文化遺産国際協力センター
無形文化遺産部


伊藤若冲筆「菜蟲譜」のデジタルコンテンツ作成と公開

「菜蟲譜」デジタルコンテンツ画面
カラー画像と近赤外線画像の比較閲覧画面
部分拡大図

 文化財情報資料部では、当研究所で行った美術作品の調査研究について、デジタルコンテンツを作成し、資料閲覧室にて公開しています。このたび栃木県佐野市立吉澤記念美術館(https://www.city.sano.lg.jp/museum/)所蔵の伊藤若冲筆「菜蟲譜」(重要文化財)のデジタルコンテンツが完成しました。専用端末にて、高精細カラー画像、近赤外線画像、蛍光エックス線分析による彩色材料調査の結果などをご覧いただけます。ご利用は学術・研究目的の閲覧に限り、コピーや印刷はできませんが、デジタル画像の特性を活かした豊富な作品情報を随意に参照することができます。「菜蟲譜」は伊藤若冲による、現存唯一の絹本着色の画巻で、約100種の蔬菜・果実と50種余りの昆虫や両生類などが表され、繊細で情趣豊かな表現がよく知られています。この画像閲覧端末は、資料閲覧室開室時間にご利用いただけます。ご利用に際しては下記をご参照下さい。
http://www.tobunken.go.jp/~joho/japanese/library/library.html

アンコール・タネイ遺跡保存整備のための現地調査V

レーザースキャナーを用いた東門の測量
トータルステーションを用いた地形測量

 東京文化財研究所は、カンボジアにおいてアンコール・シエムレアプ地域保存整備機構(APSARA)によるタネイ寺院遺跡の保存整備事業に技術協力しています。平成31(2019)年3月8日~17日の間、通算で第5次となる現地調査を同遺跡において行いました。
 今回は、同遺跡東門に対する3D測量および遺跡周辺における地形測量を、東京大学生産技術研究所・大石岳史研究室や、測量専門家の内田賢二氏らの協力のもと、APSARA機構のスタッフと共同で実施しました。
 東門は同寺院の本来の正門ですが、今日では通常の見学動線から外れており、構成する建材の多くが不安定な状態で、公開・活用の観点からも適切な修復を行うことが望まれます。今回実施した測量では、レーザースキャナーおよびカメラを搭載した無人航空機(ドローン)を用い、門本体だけでなく、その周囲に散乱する石材の位置や形状も含めた現状を三次元で詳細に記録しました。今回得られた情報を基に変形や損傷の様相を総合的に把握し、今後の具体的な修復計画の検討に反映していく予定です。
 また、地形測量は、これまで未調査であった遺跡南東部を主な対象区域として、トータルステーションを用いて実施しました。収集したデータから遺跡全体の詳細な地形図を作成することで、寺域内の整備にとどまらず、周辺の諸遺跡とも関連づけた広域的な活用にも資することが期待されます。

「ネパールの被災文化遺産保護に関する技術的支援事業」による現地派遣(その12)

市長会議の様子

 文化庁より受託した標記事業の一環として、東京文化財研究所では、ネパールにおける歴史的集落保全に関する行政ネットワークの構築支援を継続しています。平成31(2019)年3月12日、ラリトプル市において「カトマンズ盆地内の歴史的集落保全に関する第2回市長会議」を市と共催し、8名の派遣を行いました。
 歴史的集落の保全に関する現状や課題を、市長レベルで共有および議論する場として、平成29(2017)年にパナウティ市で第1回市長会議が開催されました。2回目となる今回は、「歴史的集落における有形および無形文化遺産の保全」をテーマとし、ネパールと日本の専門家による発表および会場の参加者も交えた議論の場が設けられました。当日は、11市長および8副市長、行政所属のエンジニアを含めると、計14市から合計約80人の参加がありました。
 ネパール側からは、4市における祭礼や工芸品などの無形文化遺産の紹介およびその継承への取り組みや、平成27(2015)年に発生したゴルカ地震後の歴史的集落調査および保全に対する取り組み等について講演がありました。日本側からは、札幌市立大学 森朋子准教授がコカナ集落における集落調査成果等について講演し、弊所無形民俗文化財研究室 久保田裕道室長がコカナ集落における無形文化遺産の調査成果や日本の無形文化遺産保全における現状等について講演を行いました。
 地域の文化遺産の保全については、人材や資金不足など、両国で共通する課題を抱えています。ネパールにおいては、特に、伝統的な地域社会の変容が加速していく中、地域社会における持続的な保全の仕組みが求められるとともに、市長のリーダーシップの下、行政側からの適切な支援が必要とされています。
 ネパールと日本両国間で、今後も相互に情報共有および議論を深めながら、支援を継続していきたいと思います。

バンコクにおけるタイ所在日本製伏彩色螺鈿に関する調査の実施

ワット・ナーンチー拝殿の扉部材の調査

 東京文化財研究所では、タイ・バンコク所在の王室第一級寺院ワット・ラーチャプラディット(1864年建立)の扉部材の修理に関する技術支援を、タイ文化省芸術局及び同寺院の依頼により行っています。この扉部材にも用いられた伏彩色螺鈿の技法による漆工品は19世紀に主に欧米に輸出されましたが、当研究所による調査で、扉部材が日本製であること、日本製の伏彩色螺鈿がタイにも輸出されたことが、技法や材料から初めて確認されました。
 文化財の修理は単なる損傷への対処ではなく、その文化財について深く知る機会ともなります。また、ワット・ラーチャプラディットの扉部材が日本製と判明したのを契機に、タイ国内の複数の場所で同様の技法の作品が報告されています。そこで今回はこれらのうち、ラーマ3世王の在位期間(1824-1851)に現在の形に整備された寺院ワット・ナーンチーの扉部材やタイ国立図書館が所蔵する貝葉夾板など、バンコク所在の伏彩色螺鈿の一部を対象に、偏光写真での詳細な記録作成を含む熟覧調査を実施しました。調査は平成31(2019)年1月27日~2月2日に、国内外の関係機関の専門家と共同で行いました。
 日本の輸出漆器の中でも、伏彩色螺鈿に関する調査研究事例は少なく、系譜は明らかではありません。ところで、貝葉はヤシの葉に経典などを記した文書で、その表紙が夾板です。貝葉は東南アジアや南アジア特有の文書であることから、夾板も扉部材と同様、タイからの注文により製作されたと思われます。ワット・ラーチャプラディットやワット・ナーンチーの扉部材をはじめとした、タイ所在の伏彩色螺鈿がこの技法自体の研究に寄与する可能性も大きく、引き続き、日本及びタイでの調査を実施してまいります。

シンポジウム「松澤宥アーカイブの現状と活用」での発表

RATIの会詩画展「アバンギャルド・アート・ディスプレイ」(南信会館、1951年)集合写真(松澤宥アーカイブ内資料)
発表の様子(写真提供:長沼宏昌氏)

 シンポジウム「松澤宥アーカイブの現状と活用」が平成31(2019)年2月16日に長野県下諏訪町の諏訪湖博物館・赤彦記念館で開催され、文化財情報資料部の橘川が「松澤宥アーカイブの芸術史研究への活用―1951 年に諏訪市で開催されたふたつの前衛芸術イベントを例に」と題して発表を行いました。
 このシンポジウムは、平成30(2018)年度文化庁地域と共同した美術館・歴史博物館創造活動支援事業「松澤宥アーカイブ活用プロジェクト」の一環として、松澤宥ご遺族や有志、長野県信濃美術館でつくる同アーカイブ活用実行委員会の主催で行われたものです。第一部は、松澤春雄氏(一般財団法人松澤宥プサイの部屋 代表理事)、谷新氏 (美術評論家)、嶋田美子氏(アーティスト)、平賀研也氏(県立長野図書館館長) 、橘川の6名が同アーカイブに関する発表を行い、第二部のディスカスカッションでは松本透氏(長野県信濃美術館館長)司会の下、その活用についてそれぞれの立場、専門性からのアーカイブの活用についての意見を交換しました。
 1950年代から2000年代までの膨大な数の貴重な資料によって編成される松澤宥アーカイブ――このシンポジウムで言及したような芸術史研究における活用について、引き続き科研費課題「ポスト1968年表現共同体の研究:松澤宥アーカイブズを基軸として」(基盤研究(C)、2018-2020年度)で、多様な分野の研究者と共同して取り組んで行きたいと考えています。

二幅の不動明王画像について―文化財情報資料部研究会の開催

研究会の様子(画像:禅林寺・不動明王二童子像)

 平成31(2019)年2月28日、第9回文化財情報資料部研究会が開催されました。米沢玲(文化財情報資料部)が「二幅の不動明王画像―禅林寺本と高貴寺本―」と題した発表を行い、コメンテーターには津田徹英氏(青山学院大学)をお招きしました。
 発表は、京都・禅林寺の不動明王二童子像と大阪・高貴寺の不動明王四童子像に関するもので、二幅の図像と表現様式について詳しい検討を加えたうえで、それぞれが鎌倉時代後期と南北朝時代後期の制作であることを論じました。また、二幅の画像では中央に描かれる不動明王と脇に立つ二童子像の図像が共通していることを指摘し、不動明王四童子像という珍しい画像を制作する際に、禅林寺本のような既存の不動明王画像を参照したであろうことを述べました。
 密教の尊格である不動明王は平安時代初期に信仰が盛んになり、彫刻や絵画として数多く造形化されました。中世にいたると、それまでにはなかった新奇な不動明王像が作られるようになりましたが、高貴寺本のような不動明王四童子像もそのひとつです。二幅の画像を詳細に考察することで、多様に展開した不動明王像の制作について、その一端を明らかにすることができると言えます。
 研究会では内外の研究者によって、不動明王の信仰形態や二幅の伝来、表現などについて活発な議論が交わされました。

2018年度 「無形文化遺産の防災」 連絡会議(関西地区)の開催について

京都芸術センターでの会議の様子

 文化財防災ネットワーク推進事業(文化庁補助金事業)の一環として無形文化遺産部・文化財情報資料部で取り組んでいる「文化財総合データベースの構築とネットワークの確立事業」の一環として、平成31(2019)年2月3日に関西地区での「『無形文化遺産の防災』連絡会議」を開催しました。平成28(2016)年度より継続しているこの会議は、全国都道府県の民俗文化財担当者が参加して情報の相互共有を目指したものです。
 今回は京都市の京都芸術センターとの共催にて、同センターを会場に、関西地区6府県1市の担当者が集まりました。東京文化財研究所からは無形文化遺産部の久保田裕道・前原恵美・石村智・菊池理予が参加しました。
 会議ではデータベース作成の意義を共有するとともに、各県の無形文化遺産の現状についてそれぞれからの発表がありました。自然災害のみならず、無形文化遺産が直面するさまざまなリスクと、保存継承と活用に関する問題点にまで話が及び、各地の現状・課題が相互に重要な情報として共有することができました。
 この後3月1日には、東京文化財研究所にて10都道府県からの参加を得て、今年度2回目の同会議も開催しています。

研究会「第二回無形文化遺産映像記録作成研究会」の開催

研究会の様子

 平成31(2019)年2月22日に研究会「第二回無形文化遺産映像記録作成研究会」を開催いたしました。
 多くの無形文化遺産は、人間の無形の「技」によって成り立っています。その「技」を記録するとき、文字記録のみならず、映像による記録も重要な役割を果たします。そのとき、どのような映像を作成するのが良いか、ということが課題となります。
 本研究所の無形文化遺産部では、平成15(2003)年~19(2007)年にかけて「無形の民俗文化財映像記録作成小協議会」を開催し、その成果を『無形民俗文化財映像記録作成の手引き』として公開しました。しかし近年の映像をとりまく環境の変化、とりわけデジタル機器の発展はめざましく、その内容のアップデートが期待されています。また上記の手引きは主に民俗芸能を撮影対象として念頭に置いていましたが、工芸技術や民俗技術など、他の種類の無形文化遺産についても適用できるものも期待されています。
 そこで新たに『無形文化遺産の映像記録作成のてびき』を作成すべく、本研究所では平成30(2018)年より「無形文化遺産映像記録作成研究会」を開催し、その内容を検討することといたしました。今回の研究会はその二回目となります。
 今回の研究会は、前半には近年注目が高まっている4K/8Kの映像技術について、その可能性および文化財・文化遺産の記録への応用について考えるべく、専門家である金森宏仁氏(株式会社Over 4K)に発表をしていただきました。その中で、4K/8Kの技術によって映像が高精細化するだけでなく、色の再現性(色域・輝度)などにおいても向上がなされることが指摘され、文化財を記録する上でも重要な意味を持つことを理解することができました。
 後半では、『無形文化遺産の映像記録作成のてびき』の内容を検討すべく、その章立てについて参加者全員で討議をおこないました。その中では、無形文化遺産の対象によって記録作成の方法が異なることに留意すべきであることや、過去に撮影された映像記録のメディア(フィルムや磁気テープなど)の保存と活用についても留意すべきなど、参加者から様々な提言がなされました。こうした意見を参考とさせていただきながら、本研究所では『無形文化遺産の映像記録作成のてびき』の作成を進めていきたいと考えています。

「ネパールの被災文化遺産保護に関する技術的支援事業」による現地派遣(その11)

対象建物から採取した試料の調査風景
階段状に各時代の仕上げ層を削り出した試料

 文化庁より受託した標記事業の一環として、平成31(2019)年2月22日~28日の間、カトマンズ・ハヌマンドカ王宮アガンチェン寺周辺建物群について、現地考古局の許可を得て、蛍光X線分析装置等を用いた仕上げ層の成分分析調査を実施しました。
 これまでの痕跡調査から、当該建物は幾度もの増改築が重ねられていることが判明しています。特に、壁面仕上げの塗り重ねの履歴および後補部材の見え隠れ部などに残された仕上げ層は、建物の変遷を探る上で重要な資料であり、これまでも塗り重ねられた各層の仕様や色味などについて調査を継続してきました。
 今回は、仕上げ層の材料を特定することで、時代と共に変化する仕様の相対的な編年を把握し、増改築の履歴に関する考察に役立てることを目的に、蛍光X線分析装置およびラマン分光測定装置を用いた科学的な分析を行いました。
 調査対象とした仕上げ層の断片は、最大で10層の仕上げ層を含みます。各時期の仕上げ層および下地層を階段状に削り出して分析を行いました。
 調査の結果、古い壁画層の赤色彩色部ではベンガラと微量の金が確認され、また、後年に塗り重ねられた水色の仕上げ層からはラピスラズリに非常によく似たスペクトルが得られました。得られたデータの詳しい分析はこれからですが、このような高価な材料の使用は、この建物が、王家の重要な儀礼・居住の場として、17世紀の創建以来継続的に使われてきたことを窺わせる結果と言うことができます。
 また、調査対象建物においては、これまでの痕跡調査の過程で増築壁の背後に壁画が見つかっていますが、この壁画は創建当初に程近い時期に遡る可能性があり、今後、今回のような科学的手法を含めた更なる調査および適切な保存措置の検討が求められています。
 今後も引き続き、建物自体に秘められた歴史の解明に努めるとともに、これらの貴重な物証を保存しながら、いかに建物の修復を進めていくか、ネパール側と協力しつつ検討を進めたいと思います。

バガン(ミャンマー)における煉瓦造寺院外壁の保存修復と壁画調査(2)

(現地若手専門家を対象にしたワークショップ)
モンユェ寺院群 No. 1寺院

 平成31(2019)年1月14日〜2月3日までの期間、ミャンマーのバガン遺跡群内Me-taw-ya(No. 1205)寺院において、平成30年7月〜8月にかけて実施した作業を継続し、壁画保護のための雨漏り対策を主な目的とする煉瓦造寺院外壁の保存修復を行いました。バガンでは、平成28(2016)年の地震で被災した箇所の修復が今なお続いており、現地の専門家からは現状に即した修復プランの立案方法や、保存修復方法について指導して欲しいとの要望がありました。これを受けて、現地の保存修復士(計5名)ならびにエンジニア(計5名)を対象にしたワークショップを実施し、彼らが抱える問題に耳を傾けながら解決策について議論を行いました。
一方で、壁画の技法や図像に関する調査を実施しました。バガンでは最盛期の13世紀の作例を中心として詳細な情報収集に努めました。また、アミン村やアネイン村など17~18世紀の壁画が多く現存するチンドウィン川沿いの村々を訪問しました。現在確認されている壁画については今回の調査でほぼ完了となり、今後は得られた結果を保存修復方法へ反映させていきます。
  今回、現地の専門家より話を聞いた結果、諸外国により繰り返し行われる国際文化財保護事業には、実際は導入することの難しいものが多く、震災後の保存活動についても根本的な問題の解決につながるものは少ないとの声が聞かれました。これまでもこうした点に配慮しつつ事業を進めてきましたが、改めて実用的な改善策の提示と継続可能な保存修復技術の伝達に努めていきたいと考えています。

田中一松資料と土居次義資料についての研究発表

研究会の様子

 平成31(2019)年1月29日に第8回文化財情報資料部研究会を開催し、以下の2題の発表を行いました。
・江村知子「田中一松の眼と手—田中一松資料、鶴岡在住期の資料および絵画作品調書を中心に」
・多田羅多起子氏(京都造形芸術大学非常勤講師)「近代京都画壇における世代交代のきざし—土居次義氏旧蔵資料を起点に—」
 今回の研究会は、平成30(2018)年5〜8月に実践女子大学香雪記念資料館と京都工芸繊維大学美術工芸資料館で開催された「記録された日本美術史—相見香雨・田中一松・土居次義の調査ノート展」(2018年5月の活動報告参照)に関連するもので、展覧会終了後に見出された資料などについても紹介しました。研究会には所内外から多くの研究者が参加し、様々な角度から活発な議論が行われました。田中一松と土居次義はともに日本美術史の研究基盤を形成した研究者で、多くの著作や業績を残していますが、その研究を支えた調査の記録や集められた資料については、今後さらに研究アーカイブとして整備していく必要があります。種類豊富で膨大な数量のアナログ資料を、デジタルの特性を活かして整理し、より広範な研究に資する文化財アーカイブの構築を目指していきたいと思います。

鑑賞の手引き『黒田清輝 黒田記念館所蔵品より』

『黒田清輝 黒田記念館所蔵品より』表紙

 東京国立博物館の展示施設のひとつである黒田記念館は、もともと当研究所の前身である美術研究所として建てられたものです。明治から大正にかけて活躍した洋画家、黒田清輝(1866~1924)の遺産をもとに、昭和5(1930)年に設置されました。そうした設立の経緯もあり、平成19(2007)年に黒田記念館が東京国立博物館へ移管となった後も、当研究所では黒田清輝に関する調査研究を続けています。
 このたび、東京国立博物館と東京文化財研究所の編集で、黒田記念館に来館される方々の鑑賞の手引きとなる冊子を制作しました。『黒田清輝 黒田記念館所蔵品より』と題した、この冊子は全40頁、《湖畔》や《智・感・情》をふくむ黒田記念館の主要作品46点をカラー図版で紹介しながら、“日本近代洋画の父”黒田清輝の代表作や画業についてわかりやすく解説しています(税込み価格\700、お問い合わせは印象社、〒103-0027 東京都中央区日本橋3-14-5 祥ビル7階、TEL 03-6225-2277、まで)。黒田記念館をお訪ねの際に、鑑賞のよすがとなれば幸いです。

沖縄県立博物館・美術館における調査

沖縄県立博物館・美術館における調査の様子

 文化財に使用された靭皮繊維には、大麻、からむし、葛、芭蕉などさまざまな種類のものがあります。活動報告平成29(2017)年5月(安永拓世、呉春筆「白梅図屛風」の史的位置―文化財情報資料部研究会の開催)でも紹介したとおり、近年では絵画の基底材としても、絹や紙以外の靭皮繊維が用いられていることがわかっています。しかし、織物になった状態では各繊維の特徴を見出すのが難しいこともあり、現段階では、明確な同定の方法が確立されてはいません。このような問題を解明するため、東京文化財研究所では、文化財情報資料部、保存科学研究センター、無形文化遺産部の各所員が連携して靭皮繊維の同定に関する調査研究を実施しています。
 そうした調査の一環として、平成31(2019)年1月22~23日、沖縄県立博物館において芭蕉布を素材に用いた書跡と染織品に関して、デジタルマイクロスコープによる繊維の三次元形状の測定を含む調査を行いました。
 芭蕉布は沖縄や奄美諸島由来の繊維であり、現在では重要無形文化財の指定を受けており、各個保持者として平良敏子氏が、保持団体として喜如嘉の芭蕉布保存会が認定されています。今回、調査した作品のうち、書跡は制作年が明らかな作品であり、染織品も着用者を推測できる作品です。調査をしてみると、すべて芭蕉布と考えられる作品にも関わらず、織密度や糸の加工方法が異なるため、生地の印象も質感も異なることが確認できました。
 この差異の理由が、沖縄、奄美群島内の地域差によるものであるか、用途の違いによるものであるかは判断が難しいですが、加工の違いにより、さまざまな芭蕉布が作られていたことが理解できました。
 靭皮繊維の正確な同定は、作品の最も基本的な情報であり、制作背景を考える上でも重要な要素です。また、現在の修理の検討や無形文化遺産の伝承のための基礎情報としても整理が必要な喫緊の課題と考えられます。
 今後も、生産地での技術調査と、美術館・博物館での作品調査を連動させながら靭皮繊維の同定にむけての調査を進めていきたいと思います。

2018東アジアイコモスワークショップでの報告

ワークショップが開催された国立古宮博物館(ソウル)
景福宮でのエクスカーション(ソウル)

 平成30(2018)年12月21日、韓国ソウル特別市の古宮博物館において、2018東アジアイコモスワークショップ「新たな交流と協力に向けて:東アジアイコモスにおける文化遺産の保護・管理に関する最新の取り組み」が開催されました。このワークショップは韓国イコモス国内委員会の主催、韓国文化財庁の後援によるもので、日中韓3か国の文化遺産保存に関する方針や手法について概観し、これらの活動へのイコモスの関与や貢献のあり方を検討することを目的としました。
 このワークショップで、東京文化財研究所の世界遺産関連業務について報告するよう韓国イコモス国内委員会及び韓国文化財庁から依頼されたことから、「世界遺産条約の望ましい履行のための東京文化財研究所の活動」と題した報告を行いました。この報告では、世界遺産委員会に関する調査研究や用語集の出版、研究協議会の開催など当研究所の活動について紹介、これらの活動は、世界遺産推薦や保護の実務に携わる自治体関係者への情報提供を主な目的とし、実施にあたっては文化庁とも連携していることを説明しました。また、当研究所の友田正彦も日本イコモス国内委員会の立場でワークショップに参加、苅谷勇雅・日本イコモス国内委員会副会長と連名で同委員会の活動について報告しています。
 韓国の関係者も、自治体関係者への世界遺産条約関連の情報提供について課題を感じているとのことです。また、世界遺産への関心の過熱によって引き起こされる「政治化」の問題は、日中韓に共通しているようでした。今回のような近隣諸国との専門家交流が、それぞれの国における専門性の高い推薦書の作成や、世界遺産の適切な保全につながることを期待します。

「じんもんこんシンポジウム2018 歴史研究と人文研究のためのデータを学ぶ」での発表

発表の様子(橘川)
「東文研 総合検索」の概略(スライドから)

 平成30(2018)年12月2日、情報処理学会の研究会の一つである「人文科学とコンピュータ研究会」が主催する「じんもんこんシンポジウム2018(jinmoncom.jp/sympo2018/)」の企画セッション「歴史研究と人文研究のためのデータを学ぶ(www.metaresource.jp/2018jmc/)」にて、橘川英規、小山田智寛が、東京文化財研究所のデータベースについて報告いたしました。この企画セッションは、情報処理学会等では、まだあまり認知されていないデータベースを紹介し、より活発なデータの利用を促進するために開催されました。発表では、「東文研 総合検索(www.tobunken.go.jp/archives/)」のシステムの概略および画像データベースの中で最も登録件数の多い「ガラス乾板データベース」、昭和11(1936)年より刊行している『日本美術年鑑』を元にした「美術展覧会開催情報」と「物故者記事」について紹介いたしました。
 セッションでは当研究所の他、国立国会図書館、渋沢栄一記念財団、東京国立博物館、東京大学、青空文庫のそれぞれの組織が公開している様々なデータベースが紹介され、参加者の注目を集めました。当研究所でも今後は文化財情報のデータベースを公開して運用するだけでなく、データベース自体の紹介にも注力し、調査・研究に役立てていただきたいと考えています。

静嘉堂所蔵の二つの重要作品―「妙法蓮華教変相図」と「春日曼荼羅」―文化財情報資料部第7回研究会の開催

文化財情報資料部研究会の様子

 文化財情報資料部では、平成30(2018)年12月27日、外部から二人の発表者をお迎えし、第7回研究会を開催しました。第1題目は、共立女子大学の山本聡美氏より、「病苦図像の源流―静嘉堂文庫蔵「妙法蓮華経変相図」について」、第2題目は、成城大学の相澤正彦氏より、「静嘉堂文庫美術館本「春日曼荼羅」に見る高階画風をめぐって」と題して発表をいただきました。奇しくも今まであまり紹介されることのなかった、しかしながら注目すべき静嘉堂の2点の所蔵品にかかる発表となりました。
 山本氏は、静嘉堂文庫蔵の見返しに変相図を描く『法華経』が、その巻末願文から南宋の12世紀中頃に活躍した天台僧道因を主導に40名ほどの結縁によって作成され、制作期が紹興10(1140)年に絞られるものであることを紹介され、その比喩品の中に、薬の鉢をもらっている「病苦」のことが描かれ、さらにこの法華経には、この経を謗ることによって受ける人道の苦の中に、侏儒やせむし、口臭などの記述があり、その中には、当変相図に描写があるものがあることを紹介されました。日本の平安時代末から鎌倉時代に描かれた国宝の「病草紙」の源流が『法華経』のテキスト、そしてこの静嘉堂本にみられるような描写内容から生み出されたイメージの二段階があるのではないかと考えられること、また大きくは「病草紙」の成立には12世紀の日本と中国、その中の法華経信仰、僧侶と在俗の信者をベースする場について考えなければならないとの興味深い考察を示されました。
 相澤氏は、静嘉堂文庫美術館の14世紀の制作と考えられる「春日曼荼羅」が、春日社の景観に加え、通常の春日宮曼荼羅にはMOA美術館本を除いて他には例のほとんどない十社の神とその本地仏、神鹿を描き、短冊形にそれぞれの建物の名を書き込んでいる特異な作例であることを紹介されました。ことに興味深いのは、補筆の多いMOA美術館本に対して、オリジナルをよく残し、しかも良質の顔料を用いて、繊細で優れた描写で神や仏を描かれていることで、宮内庁三の丸尚蔵館蔵の「春日権現験記絵」を描いた、高階隆兼を代表とする高階画系の作であることが推察されることを詳細なスライドによって紹介されました。また、このような春日宮曼荼羅は、日吉山王宮曼荼羅との共通性から、この軸を広げ、神を勧請することによってその場を春日とする機能を持つものとして考えられるのではないかという踏み込んだ考察を示されました。
 当日は20名以上の外部からの聴講者が参加され、意義ある研究会となりました。

「アジア太平洋の無形文化遺産と自然災害に関する地域ワークショップ」開催報告

女川町における「獅子振り」の実演の見学

 平成30(2018)年12月7日から9日にかけて仙台市で開催されたアジア太平洋無形文化遺産研究センター(IRCI)主催の「アジア太平洋の無形文化遺産と自然災害に関する地域ワークショップ(Asia-Pacific Regional Workshop on Intangible Cultural Heritage and Natural Disasters)」に、共催機関として本研究所から山梨絵美子副所長をはじめとする7名のスタッフが参加しました。このワークショップは、平成28(2016)年度よりIRCIが進めてきた事業「アジア太平洋地域の無形文化遺産と災害リスクマネジメントに関する研究」のまとめとして開催されたものです。なお本事業の実施にあたっては本研究所無形文化遺産部が協力し、これまでベトナム・フィリピン・フィジーにおける現地調査にもスタッフを派遣してきました。
 今回のワークショップでは、アジア太平洋地域の8か国から文化遺産や災害リスクマネジメントの専門家を招き、そこに国内外の専門家を加え、自然災害からどのようにして無形文化遺産を守るかについて報告と議論をおこないました。また2日目には本研究所無形文化遺産部の久保田裕道の案内で、宮城県女川町へのエクスカーションを実施し、東日本大震災からの復興において無形文化遺産が果たした役割について、その実情を参加者に見てもらう機会を持ちました。
 このワークショップにおける議論を通じて、無形文化遺産と自然災害との関係についてのとらえ方が国や地域によって異なるようであることが印象に残りました。例えば日本の専門家は、無形文化遺産が被災したコミュニティの絆を取り結び、復興に向かう力の源となるという側面を強調していたのに対し、海外の専門家の何人かは、伝統的な知識の中には自然災害を予測したり、あるいはそれに備えたりするためのものが含まれているという点を強調していました。ユネスコの「無形文化遺産の保護に関する条約」では無形文化遺産の分野の一つとして「自然及び万物に関する知識及び慣習」が挙げられ、伝統的な知識は無形文化遺産であるという認識が一般的です。一方で日本の文化財保護法においては、伝統的な知識は無形文化財のカテゴリとしては明確に位置づけられていません。
 もちろん日本においても、津波石碑のように自然災害に関する民俗的な記録や知識は注目されてきましたが、無形文化遺産と自然災害との関係という文脈において語られることは少なかったかもしれません。今回のワークショップを通じ、国や地域によって考え方に違いがあることを知り、またそうした違う考えの人たちと議論することができたことは、私たちのものの見方を広げる上でも有意義な機会であったと思います。

研究会「ネパールにおける無形文化遺産の現状と課題」の開催

研究会の様子

 平成30(2018)年12月10日に研究会「ネパールにおける無形文化遺産の現状と課題」を開催いたしました。研究会では、ネパール国立博物館のJaya Ram Shrestha館長とYamuma Maharjan学芸員をお招きし、ネパールの無形文化遺産の現状と課題について話していただきました。また本研究所からは石村智・久保田裕道(無形文化遺産部)が、本研究所が実施するネパールの無形文化遺産の調査について報告しました。加えて、ネパールの都市景観の保全に携わってきた森朋子氏(札幌市立大学)からコメントをいただきました。
 ネパールには多様な民族と宗教が共生しており、それにまつわる豊かな無形文化遺産が存在します。しかし平成27(2015)年4月に発生した大地震により、多くの地域が甚大な被害をこうむり、それにより伝統文化も少なくない影響を受けました。また近年進む急速な近代化により、伝統文化もまた変容を余儀なくされています。そうしたネパールの無形文化遺産の現状を知り、また研究会に参加いただいた国内のネパール研究者の間においても情報共有をし、ネパール人専門家と交流する場とすることができ、有意義なひと時となりました。
 なお本研究会は平成30年度文化庁委託文化遺産国際協力拠点交流事業「ネパールの被災文化遺産保護に関する技術的支援事業」の一環として実施されました。

研究会「大陸部東南アジアにおける木造建築技術の発達と相互関係」の開催

研究会の様子

 東京文化財研究所では、平成28(2016)年度より、東南アジアの木造建築をテーマとした研究会を3回にわたって開催してきました。第1回および第2回においては、考古学的情報から既に失われた古代木造建築の実像に迫るというアプローチを採りました。今回、平成30(2018)年12月16日に開催した第3回では、「大陸部東南アジアにおける木造建築技術の発達と相互関係」のタイトルで現存する建物に目を向け、本地域の木造建築技術の特徴と、その発展過程および地域内外での影響関係を探ることを目的としました。
 フランソワ・タンチュリエ氏(インヤー・ミャンマー学研究所)からはミャンマ―およびカンボジアについて報告をいただきました。両国に現存する木造建築では、水平材をほとんど使用しない単純な構造によって多重の直線屋根を支えるという形式が共通して見られ、特にミャンマ―の場合は、多く彫刻が施された装飾的な屋根が特徴的です。
 一方、ポントーン・ヒエンケオ氏(タイ王国文化省芸術局)からはタイについて報告をいただきました。タイでは、地域や時代によって木造建築の特徴が変化していきますが、水平梁と束を多用する構造によって曲面の屋根を作る形式が広く認められます。
 最後に大田省一氏(京都工芸繊維大学)に加わっていただき、会場からの質疑も交えてパネルディスカッションを行い、国境を越えた東南アジア木造建築史の構築をメインテーマに意見を交わしました。
 本研究会の内容は、2019年度に報告書として刊行する予定です。

英国、セインズベリー日本藝術研究所での協議と講演

講演の様子

 イギリス・ノーフォークの州都であるノリッチ(Norwich)にあるセインズベリー日本藝術研究所(Sainsbury Institute for the Study of Japanese Arts and Cultures; SISJAC)は、欧州における日本の芸術文化研究の拠点のひとつです。このSISJACと東京文化財研究所は、平成25(2013)年より「日本藝術研究の基盤形成事業」として、日本国外で発表された英文による日本芸術関係文献のデータをSISJACから提供いただき、当研究所のウェブサイトで公開するという事業を共同で進めています。そうした事業の一環として、毎年、文化財情報資料部の研究員がノリッチを訪れて、協議と講演をおこなっており、平成30(2018)年度は江村知子、安永拓世の2名が11月13日から16日にかけて滞在し、その任に当たりました。
 協議では、SISJACから提供いただいたデータへのアクセス件数の問題や、データの入力に関する英文の特殊文字およびローマ字表記の表記揺れの問題などが議題となったため、当研究所からは、アクセス件数の概算値を報告し、今後の入力方針を確認しました。
 また、11月15日には、安永がノリッチ大聖堂のウェストン・ルームにおいて「与謝蕪村筆「鳶・鴉図」に見るトリプルイメージ A pair of scroll paintings: The triple images of Yosa Buson’s “Kite and Crows”」と題した講演をおこない、同研究所のサイモン・ケイナー(Simon Kaner)所長に通訳の労をとっていただきました。この講演は、SISJACが毎月第三木曜日に開催する一般の方向けの月例講演会の一環でもありましたが、今回は80名ほどの参加者が、いずれも熱心に聴講しており、現地での日本美術に対する関心の高さがうかがわれました。

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