研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『TOBUNKEN NEWS (東文研ニュース)』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。

東京文化財研究所 保存科学研究センター
文化財情報資料部 文化遺産国際協力センター
無形文化遺産部


山口蓬春と大和絵―“新古典主義”の見地から―令和5年度第10回文化財情報資料部研究会の開催

研究会発表の様子

 山口蓬春(1893~1971)は戦前の帝展や戦後の日展を舞台に活躍した、昭和を代表する日本画家のひとりです。東京美術学校(現在の東京藝術大学)で松岡映丘に師事、映丘門下の画家からなる新興大和絵会のメンバーとして、大正15(1926)年に帝国美術院賞を受賞した《三熊野の那智の御山》(皇居三の丸尚蔵館蔵)等、大和絵の古典に学んだ濃彩による風景画で注目を集めた蓬春ですが、昭和に入ると余白を生かした淡麗な色調の花鳥画を制作するようになります。3月7日に開催された文化財情報資料部研究会では「山口蓬春と大和絵―“新古典主義”の見地から」と題して、昭和戦前期における蓬春の作風の変化をめぐり、文化財情報資料部上席研究員・塩谷純が発表を行ないました。
 当時の蓬春の言葉をひもとくと、彼が大和絵をきわめて客観的な精神に基づいた表現としてとらえていたことがわかります。一方で蓬春は安田靫彦や小林古径といった、日本美術院のいわゆる“新古典主義”的作風の画家たちによる作品を高く評価し、自身も彼らの作風を彷彿とさせる花鳥画を描くようになります。この時期の蓬春は、当時の靫彦や古径と同様に、大和絵にとどまらない東洋画に広く学びつつ、そうした古典の素養に裏打ちされたリアリティを追求していたと考えられます。
 本研究会では山口蓬春記念館副館長兼上席学芸主任の笠理砂氏にご参加いただき、コメンテーターとして蓬春の画業についてご発言いただきました。その後、所外の研究者も交えてディスカッションを行ないましたが、一切のものを自分の見たもの感じたものとして描く、という蓬春の姿勢が戦後も貫かれ、さらにその弟子筋にも今日に至るまで伝えられている、との指摘は印象に残りました。


近代コレクター原六郎の知られざるコレクション―令和5年度第11回文化財情報資料部研究会の開催

研究会の様子
研究会の様子

 明治時代を代表するコレクターのひとりに原六郎(1842~1933)がおります。原六郎は但馬国(現在の兵庫県)に生まれ、維新活動の功によって鳥取藩士となり、明治政府の援助でアメリカへ留学、さらにイギリスにて銀行学を修めました。帰国後、銀行家として名を成し、公共事業に尽力しました。そのかたわらで古美術を保護し蒐集活動を行いました。その優れたコレクションの大部分は原家が保持し、昭和52(1977)年に公益財団法人アルカンシエール美術財団が設立され現在にいたっています。
 財団に寄贈された原家のコレクションは今日、現代アートを主軸として原美術館ARC(群馬県)にて展観されています。現代アートの公開は昭和54(1979)年に原家私邸を改修して開館した原美術館(東京都品川区)にはじまります。惜しくも令和3年(2021)に品川の原美術館が閉館されることとなり、これにともなって同地にのこされていた文化財の再調査が行われました。このとき発見された作品は100件以上にのぼり、それら新出作例は財団へ寄贈されました。
 このたび新出作例のうち旧日光院客殿障壁画関連作例「野馬図」二幅について調査する機会をいただき、令和6(2024)年3月26日に開催された文化財情報資料部研究会にて、東京国立博物館アソシエイトフェロー・小野美香氏が「原六郎コレクションの新たな展開―三井寺旧日光院客殿障壁画研究を契機として―」と題して同コレクションの概要と今後の展望について報告しました。つづいて文化財情報資料部日本東洋美術史研究室長・小野真由美が「新出の野馬図について―旧日光院客殿障壁画との関連から―」と題して同図の造形的特徴について報告しました。質疑応答では障壁画の配置や作者の比定などについて議論されるとともに、原六郎コレクションについても高い関心が寄せられました。これを契機として、同コレクション全体を俯瞰し、原六郎とその古美術保護の意義をふまえた新たな学術調査へと展開していければと考えています。


書庫改修の完了

撤去された固定式書架
新設された電動式書架

 東京文化財研究所では、各研究部門が収集してきた図書・写真等資料などを、おもに資料閲覧室と書庫で保管し、資料閲覧室を週3日開室し、外部の研究者に対しても閲覧提供しています。
 当研究所が平成12(2000)年に現在の庁舎に移転してから24年ほどの間、図書・写真等資料は日々収集され、近年では旧職員や関係者のアーカイブズ(文書)をご寄贈いただく機会も増えました。そのように所蔵資料が充実していく一方、遠くない将来、書架が飽和状態となる可能性が問題となりました。この状況に対して、このたび「アーカイブ増床・保存環境適正化事業」の一環として、電動式書架の設置工事などを行いました。
 去る令和4(2022)年度に、庁舎2階書庫の床面積1/4分のスペースの固定式書架を電動式書架に取り替え、さらに今回の工事では、その残り(床面積3/4分)のスペースに設置されていた固定式書架を、電動式書架に取り替えました。令和6(2024)年1月11日に着工したのち、書籍の搬出、固定式書架の撤去、電動式書架用レールの敷設、電動式書架の設置、書籍の再配架という工程を経て、3月27日に改修工事が完了しました。固定式書架16台(1,900段、書架延長1,615m)が設置してあったスペースに、新たに電動式書架29台(3,500段、書架延長2,975m)を設置したことで、その収容能力はおよそ1.8倍となりました。また、この事業では、併せて除湿機のリプレイス、写真フィルム保存のためのキャビネットの導入も行いました。
 工事期間中、外部公開を一時停止したことにより、資料閲覧室の利用者のみなさまには、ご不便をお掛けいたしましたことをお詫び申し上げます。今回の書庫整備によって、引き続き、文化財研究に資する専門性の高い資料を継続的に収集し、それらを後世に伝え、有効に活用していくための活動を展開してまいります。今後とも、当研究所の文化財アーカイブズをご活用いただけましたら幸甚です。


今泉雄作『記事珠』のウェブ公開

東京国立博物館が所蔵する馬の埴輪のスケッチ(現在の所蔵情報はこちら

 一瞬で対象を記録することのできる写真は文化財の調査にとって有効な手段です。しかし、撮影技術が普及する前は、手書きのメモやスケッチで対象を記録するしかありませんでした。写真と比べて時間のかかるメモやスケッチは、多くの場合、対象の一部の要素や特徴についての記録となります。それは不完全な記録といえるかもしれません。しかし、取捨選択された要素のみが書きとめられた記録は、当時の記録者が文化財のどこに価値や特徴を見出していたのか、言い換えれば、その文化財がなぜ今にいたるまで残されてきたのかを考える上で貴重な資料といえます。
 こういった手書きの調査記録の一端に連なる今泉雄作(1850~1931年)『記事珠』の詳細については既にご報告している通りですが(https://www.tobunken.go.jp/materials/katudo/203289.html)、この度第一冊目を東京文化財研究所のウェブサイトに公開いたしました(https://www.tobunken.go.jp/materials/kijisyu)。公開にあたっては、全文をテキストデータとして書き起こし、検索機能を実装いたしました。また、手控えという性質上、筆者である今泉にとって自明のことは記載されていないため、可能な範囲で注釈を加え、さらに記録対象の情報がインターネットで公開されている場合、リンクを張るなどして情報の補足を行いました。
 書き起こしテキストの表示については、原文との比較が容易なよう、ブラウザ上でも縦書きになるよう設定いたしました。画像と縦書きの書き起こしテキストが同時に確認できるよう努めましたが、改行の都合でかえって見えにくい場合もあるかと思われます。今後も縦書き表示の資料の公開に備えて、レイアウトや技術的な検証を続けてまいります。


ColBase、ジャパンサーチとのデータベース連携

ColBaseで横断検索をした様子

 東京文化財研究所では、昭和5(1930)年の設立以来、多くの文化財の調査および資料の収集を続けて参りました。近年は調査で撮影した画像や収集した資料のデジタル化を行い、当研究所のウェブサイトで公開しています。これらの調査写真ですが、例えば、設立当初に撮影された画像は白黒であり、その色彩を伝えることはできません。しかし、かつての姿をとどめるその画像は、文化財がどのような状態で保存されていたのか、あるいは現在の姿と比較してどのように修復されたのか、といったことを伝える貴重な資料であり、興趣が尽きるところがありません。
 これらをより活発にご利用いただけるよう、日本の様々なデジタルアーカイブを横断検索するプラットフォームであるジャパンサーチ、また4つの国立博物館と2つの研究所、そして皇居三の丸尚蔵館で構成される国立文化財機構の所蔵品統合検索システムであるColBaseとの連携を開始いたしました。連携データベースの追加やデータの登録についても、随時作業して参りますので、他機関の所蔵する様々なデータと比較しながら、当研究所のデータをご利用いただければ幸いです。


韓国・国立朝鮮王朝実録博物館の一行を迎えて (資料閲覧室)

資料に関する説明

 令和6(2024)年3月21日、韓国・国立朝鮮王朝実録博物館(江原道平昌郡)の一行が、東京文化財研究所の資料閲覧室を訪問しました。同館は、韓国・文化財庁傘下の機関で、令和5(2023)年11月に開館し、朝鮮王朝実録 五台山史庫本 75冊(ユネスコ世界記録遺産)、朝鮮王朝儀軌 82冊などの歴史資料(典籍)を主に所蔵しています。
 金大玄氏(行政事務官)をはじめとする一行は、文化財情報資料部文化財アーカイブズ研究室長・橘川英規と文化財情報資料部研究員・田代裕一朗による案内説明を受けながら、昭和5(1930)年以来集められてきた当研究所の蔵書を興味深く見学しました。さらに資料類を保存活用する機関という共通点のもと、資料保存とアーカイブ事業をめぐる双方の現状と課題について、積極的に意見を交換しました。
文化財アーカイブズ研究室は、文化財に関する資料情報を専門家や学生に提供し、資料を有効に活用するための環境を整備することをひとつの任務としております。それは海外の専門家や学生に対しても例外ではありません。世界的に見ても高い価値を誇る当研究所の貴重な資料が、広く活用され、人類共通の遺産である文化財の研究発展に寄与することを願っております。

※文化財アーカイブズ研究室では、大学・大学院生、博物館・美術館職員などを対象として「利用ガイダンス」を随時実施しています。ご興味のある方は、是非案内(https://www.tobunken.go.jp/joho/japanese/library/guidance.html) をご参照のうえ、お申込みください。


「文化財科学に関する日仏ワークショップ」の開催

シンポジウム後の集合写真

 文化財科学に関する議論及び今後の日仏間の研究交流の構築等を目的として、「文化財科学に関する日仏ワークショップ」と題したシンポジウムを令和6(2024)年3月13日に東京文化財研究所のセミナー室にて開催しました(共催:東京文化財研究所、在日フランス大使館、フランス博物館研究修復国立センター、 文化遺産科学財団)。
 シンポジウムのプログラムは、陶磁器、紙、木材、絵画、保存環境・持続可能な保存の5つのテーマ別セッションで構成しました。各トピックに関して、日仏からそれぞれ一人ずつの研究者にご講演いただいた後で質疑応答を行う形で進めました。そして、5つのセッションを終えた後の総合討議では、シンポジウムの内容の総括にとどまらず、文化財科学の今後の展望にまで及んだ活発な議論が行われました(参加者:61名(仏側の研究者8名))。
 さらに、翌14日には、シンポジウムでの発表者とモデレータを中心としたメンバーでクローズドの会議を開催し、文化財科学に関するこれからの日仏間の研究交流について実りの多いディスカッションを行うことができました。


第7回保存環境調査・管理に関する講習会-地球温暖化を見据えた持続可能な環境管理-の開催

講習会会場(オンライン併用)

 本講習会は保存環境の調査、評価方法、環境改善や安全な保管のための資材・用具等に関して、より専門的な共通理解を得ることを目的として、文化財活用センターと東京文化財研究所で共同開催しています。
 第7回目は「地球温暖化を見据えた持続可能な環境管理」と題して、令和6(2024)年3月1日に文化財活用センター会議室において開催されました。令和5(2023)年8月にオーストラリア・メルボルンで開催された “Changing Climate Management Strategies Workshop(気候変動に対する管理戦略ワークショップ)”に参加した保存科学研究センター兼文化財防災センター研究員・水谷悦子による報告がされ、ワークショップの内容の共有と課題抽出、ディスカッションが行なわれました。
 ワークショップでは、昨今の世界的な気候変動危機により、文化遺産をより持続可能な方法で保存活用する必要性が世界的に高まっていることを受け、各国の博物館において取り組む上での課題と解決手法について講義、実習、ディスカッションが行われたことが紹介されました。特に文化遺産の保存環境管理の歴史的経緯と温湿度のガイドラインの変遷に関する講義は今後の持続可能な管理戦略を進めていくうえで、肝要であることが示されました。それと同時に文化遺産へのリスク評価とモニタリング手法の講義があり、最終日は事例報告とディスカッションがなされ、非常に密度の濃いワークショップだったことが報告されました。
 ワークショップに参加した中で、日本においてはどのように管理戦略を進めていくか、水谷より日本における地球温暖化の影響と保存環境管理の課題提供がされました。会場には5名、リモートでは12名の保存担当学芸員や保存科学の専門家が参加し、保存環境の根本に関わる様々な質問が寄せられました。
 今回の講習会は持続可能な文化財の保存のための環境管理に関する海外の動向を知り、日本における地球温暖化と保存環境管理との向き合い方を改めて考える良い機会となりました。


欧州専門家との石造文化財の保存修復に向けた共同研究

神谷神社の七重石塔
欧州における石造文化財の保存修復に係る類例調査

 人類が古くから文化的な生活を営むうえで活用してきたもののひとつに石材があります。その用途は石器や建材、彫刻作品と幅広く、その中には石造文化財と分類され保存に向けた取組みにより受け継がれてきたものが数多くあります。国内と国外を比較してみると、石造文化財として位置付けるうえでの定義は異なりますが、石材の保存修復は世界中で様々な取組みがなされてきました。特に、日本の「木の文化」に対して「石の文化」として知られる欧州では、世界を牽引する先進的な調査・研究が積み重ねられてきており、そこから得られた成果は、国内の石造文化財の保存にも活用できると考えます。
 硬度や安定性という観点から木材に比べ耐久性に富む石造文化財は、屋外で保存されるものも少なくありません。そのため、天候や天災、周辺環境といった外的要因によって劣化、欠損してしまうことが多く、その保存を考えるうえでは様々な視点にたち対策を講じる必要があります。であるからこそ、多くの事例に目を向け、各分野の専門家で問題を共有し、解決に向けた研究を進めることが大切です。
 令和6(2024)年2月16日に香川県坂出市の神谷神社を訪れ、境内に立つ七重石塔の保存に向けた調査を実施しました。火山礫凝灰岩で造られた石塔は、雨水により基壇の侵食が進んだ危険な状態にあり、亀裂や欠損もみられます。この状況を欧州の専門家と共有し、令和6(2024)年3月1日にはフィレンツェでイタリア国家認定文化財修復士の方々と類例調査や研究計画に関する打合せを行いました。今後は、日本の石造文化財の保存修復における現状の改善に繋がる研究を目指します。


スタッコ装飾及び塑像に関する研究調査(その3)

ヴェッキオ宮殿500人広間
3Dを用いた大理石彫刻と塑像の比較研究

 文化遺産国際協力センターでは、令和3(2021)年度より、運営費交付金事業「文化遺産の保存修復技術に係る国際的研究」において、スタッコ装飾及び塑像に関する研究調査に取り組んでいます。その一環として、令和6(2024)年2月26日~3月2日、および3月10日~12日にかけてフィレンツェを訪問し、ルネサンス後期、マニエリスムの彫刻家であるジャンボローニャ制作の塑像『ピサで勝利したフィレンツェ』を対象にした調査を、フィレンツェ美術監督局協力のもと行いました。
 この作品は、現在シニョーリア広場に面するヴェッキオ宮殿にある500人広間に展示されていますが、もともとは大理石で制作するうえでの原型として造られたもので、これをもとに制作された大理石の作品はバルジェッロ国立美術館に展示されています。今回の調査では、制作技法に係る検証の一環として2つの作品の形状を3Dで記録して比較しました。今後は、塑像を制作するうえで重要となる内部構造に焦点を当てた調査に移行していく予定です。
 国内外には数多くの塑像が現存しますが、意外にもその保存修復方法については確立されていないのが現状です。当該研究調査が保存修復方法の発展に繋がることを目指して活動を続けていきます。


イストリア地方における壁画保存に向けた共同研究

教会でのチェックシートを活用した壁画の状態調査
現地専門家との協議風景

 クロアチアの北西部に位置するイストリア地方では、中世からルネサンス期にかけて数多くの壁画が教会内に描かれました。その数は、現在確認されているだけでも150件にものぼりますが、それらの保存や維持管理については深刻な問題を抱えています。文化遺産国際協力センターでは、こうした現状の改善に向け、保存状態の記録方法の構築に向けた調査研究を、クロアチア文化メディア省美術監督局、イストリア歴史海事博物館、ザグレブ大学と共同で進めています。
 令和6(2024)年3月4日~8日にかけて現地を訪問し、壁画の保存や維持管理に従事する専門家が効率的に活用できるものであることを念頭に、保存状態に係るチェックシートの作成及び、イストリア半島中央に位置する2つの教会壁画を対象にした導入テストを実施しました。その結果、短時間で正確な情報が得られるとともに、今後の壁画保存に向けた方針を立てるうえでも活用できるものであることが確認できました。
 今後は、より完成度の高いものとなるようチェック項目の記載内容について協議を進めながら導入テストを繰り返し、デジタルアーカイブの構築を目指します。


文化財保護法令集に係るスペインでの調査

スペイン国立文化遺産研究所での聞き取り調査
アンダルシア州立歴史遺産研究所での聞き取り調査

 文化遺産国際協力センターでは、平成19(2007)年度から各国の文化財保護法令の収集・翻訳に取り組み、これまで28集を刊行してきました。この事業は、文化財に関するわが国による国際協力やわが国の保護制度の再考に資することを目的としています。これに関連して、令和6(2024)年3月19日~28日に次の対象国であるスペインでの調査を行いました。
 スペインではかつては中央集権的な保護体制がとられてきましたが、1980年代から州への権限委譲が進められました。国土が広く文化も多様なため、州ごとの保護にも違いがあり、とくに近年では文化的景観、産業遺産、無形遺産に関する法整備を行う州が多いようです。また、スペインの指定文化財は “Bien de Interés Cultural(文化的価値を有する資産)”と呼ばれますが、これは歴史遺産のいわば氷山の一角にすぎません。各州の文化財研究所が“Bien de Patrimonio Historico(歴史遺産の構成資産)”を幅広く特定することにより、指定以外でも基礎自治体の都市計画でなんらかの保護を受けるものが多いようで、この点が一つの特徴と考えられます。
 今回の調査をつうじて、わが国にはこれまでほとんど紹介されていなかったスペインにおける文化財保護の一端がうかがえました。州による文化財保護も、実際は国の法律に適合する義務があります。このことから令和6(2024)年度には国の法律を、翌年度には制度の整備が進んでいる州の法律を調査し、わが国の文化財保護を見なおすための資料を提供できればと考えています。


アンコール・タネイ遺跡保存整備のための現地調査XV-東バライ西土手上テラスの保護作業

東バライ西土手上テラスの保護作業の様子
アドホック専門家らによる視察での現場説明

 前稿では、タネイ寺院遺跡の最東端に位置する土手上テラスの発掘調査について報告しました。今回はその続報として、令和6(2024)年3月8日~29日に実施した、同テラス遺構の保護作業についてまとめます。
 このテラスは、アンコール遺跡群を特徴づける巨大貯水池の一つである東バライの周堤西辺の上面から東斜面にかけて建造されています。そのため、発掘した遺構のうちとくに傾斜地に接するラテライト石材が雨季に流出しないように保護することが喫緊の課題となっていました。作業ではまず、既に本来の位置から移動して不安定な状態になっていた石材4材を据えなおしました。続いて、傾斜面上の石材の外周に沿って、「ライムモルタル」と呼ばれる、石灰を混和した土モルタルを突き固めた盛土による補強を行いました。また、土手上面の発掘範囲についても、とくに雨水による洗掘が懸念されるテラス外周部を中心に埋め戻しを実施しました。今後はさらに、遺構の崩壊を招く要因の一つである、テラス直上および周辺に生えている樹木の伐採も予定しています。
 今次滞在期間中の3月14日~15日にかけては、アンコール・サンボープレイクック遺跡保存開発国際調整委員会(ICC-Angkor/Sambor Prei Kuk)会合が市内で開催され、各チームから担当遺跡での修復プロジェクト等に関する報告が行われました。タネイ寺院遺跡の保全についても、東京文化財研究所とアンコール・シェムリアップ地域保存整備機構(APSARA) が共同で、これまでの実施経過と今後の計画を報告しました。またこれに先立つ3月8日には、各修復プロジェクトへの技術的助言を担うICCアドホック専門家等が現場視察に訪れました。令和6(2024)年度に実施を予定している中央塔東西入口部分の修復を含む今後の調査・整備方針について現地で説明を行い、計画への承認が得られました。


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