研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『TOBUNKEN NEWS
(東文研ニュース)』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。
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『伊藤延男資料目録』書影
東京文化財研究所では、令和3(2021)年9 月に元東京国立文化財研究所長・故伊藤延男氏が所蔵していた文化財保護行政実務等に関する資料一式の寄贈を受け、その整理を進めてきました(2021年9月の活動報告https://www.tobunken.go.jp/materials/katudo/919556.htmlを参照)。寄贈資料は大きく、1)国内の文化財保護関係の業務に関するもの、2)海外の文化財保護関係の業務に関するもの、3)建築史等の研究活動に関するもの、4)文化財保護等の民間活動に関するもの、5)執筆原稿、に分類でき、これに、6)図書、7)写真、を加えた7つの分類のもとに資料を編成し、この度『伊藤延男資料目録』として刊行しました。資料の総点数は2,185点で、現段階では詳細な情報が明らかでないものも含まれていますが、できるだけ早く資料そのものを必要とする研究者等の閲覧に供することが重要との観点から、大分類による整理ができた段階で公開することにしたものです。『伊藤延男資料目録』は当研究所の刊行物リポジトリ(https://tobunken.repo.nii.ac.jp/)でも公開する予定です。本資料が文化財保護に関する研究等に利用され、その発展に寄与していくことを願っています。
研究会風景
『劉生画集及芸術観』表紙 大正9(1920)年(東京文化財研究所蔵)
岸田劉生《詩句ある静物》大正7(1918)年(現存せず、『劉生画集及芸術観』所載)
令和3年(2022)年2月24日、第8回文化財情報資料部研究会において、吉田暁子(当部研究員)が以下の報告を行いました。
大正期を中心に活動した画家の岸田劉生(1891-1929)は、黒田清輝の設立した葵橋洋画研究所で学んだのち、画友とともに立ち上げた「草土社」を中心に絵画を発表しました。フランスの近代絵画からの影響を強く受けていた日本の絵画界の中で、岸田はアルブレヒト・デューラーやヤン・ファン・エイクといったより古い時代の画家による精緻な絵画を積極的に受容し、のちには中国や日本の伝統的な絵画にも注目して独自の画風を追求しました。令和3(2021)年には京都国立近代美術館が大規模な個人コレクションを一括収蔵するなど、彼の画業を改めて見直す機運は高まっています。
今回の発表では、「岸田劉生による「手」という図像―静物画を中心に―」と題し、岸田の行った、静物画の中に人間の手を描き入れるという異例の表現について検討しました。手のモティーフは、《静物(手を描き入れし静物)》(大正7(1918)年、個人蔵)という作品に描き込まれたものの、のちに画面の中に塗りこめられてしまい、今は直接見ることができません。また同時期に描かれた《静物(詩句ある静物)》(大正7(1918)年、焼失)にも、果物を持つ手の図案が詩句とともに描かれましたが、こちらは作品自体が現存しません。このように制作当時の姿を見ることのできない2点の作品ですが、どちらの作品も、第5回二科展への出品(前者は落選)をめぐって雑誌や新聞上で賛否両論を呼び、話題を集めました。発表者は、論文「消された「手」 岸田劉生による大正7(1918)年制作の静物画をめぐる試論」(『美術史』183号、平成29(2017)年)の中で、岸田がこれらの静物画の制作と同時期に執筆を進めていた芸術論との関係、また岸田が本格的に静物画を描き始めていた大正5(1916)年の作品との関係について考察していました。今回の発表では、その内容を踏まえつつ、岸田の人物画の特徴的な一部分であった「手」が独立したモティーフとして注目された経緯を考察し、また、同時代のドイツ思想を先駆的に受容していた美学者である渡邊吉治による岸田劉生評が、岸田に影響を与えた可能性を指摘しました。
新型コロナウイルス感染拡大防止に留意しつつ、発表は地下会議室において完全対面方式で行いました。コメンテーターとして田中淳氏(大川美術館館長)をお招きし、また小林未央子氏(豊島区文化商工部文化デザイン課)、田中純一朗氏(宮内庁三の丸尚蔵館)、山梨絵美子氏(千葉市美術館館長)など、外部(客員研究員を含む)からもご参加頂きました。質疑応答では、コメンテーターより発表の核心にかかわる新情報をご教示頂いたほか、活発な意見交換が行われました。《静物(手を描き入れし静物)》の画面が改変された時期など、基本的な事項を含めて未解明な事柄の残される岸田劉生の静物画について、調査研究を続けていく上での示唆を受けることができ、充実した研究会となりました。
左から田中奈央一、菊央雄司、日吉章吾の各氏
日本の伝統芸能である「平家」(「平家琵琶」とも)は、今日では継承者がわずかとなり、伝承が危ぶまれています。そこで無形文化遺産部では、平成30(2018)年より「平家語り研究会」(主宰:薦田治子武蔵野音楽大学教授、メンバー:菊央雄司氏、田中奈央一氏、日吉章吾氏)の協力を得て、記録撮影を進めています。昨年度はコロナ禍の影響で叶いませんでしたが、令和4(2022)年2月4日、2年振りに東京文化財研究所 実演記録室での収録を再開しました。
今回収録したのは、名古屋伝承曲《卒塔婆流》です。この曲で語られるのは、鬼界が島に流された平康頼入道が、千本の卒塔婆を作り、そこに都への望郷の想いを詠んだ二種の和歌を書き付けて海に流すと、そのうちの一本が厳島神社のある渚に打ち上げられ、人手を介して平清盛に渡り、その和歌に心を打たれるというくだりです。聴きどころは、終盤で万葉の歌人・柿本人丸と山部赤人の名を挙げて和歌の素晴らしさを述べる部分で、高音域で語ることが求められます。今回の実演記録では、この部分を菊央氏、田中氏、日吉氏の連吟で収録しています。
「平家語り研究会」は、「平家」の伝承曲の習得だけでなく、伝承の途絶えてしまった曲の復元に取り組んでいることが特徴なので、今後とも伝承曲および復元曲の記録をアーカイブしていく予定です。
上牧・鵜殿のヨシ原焼き記録調査
篳篥
篳篥のリード(蘆舌)
雅楽の管楽器・篳篥のリード(蘆舌)の原材料は、イネ科ヨシ属の多年草「ヨシ」です。特に、河川や湖沼のほど近くで生育する陸域ヨシは篳篥のリードに適していると言われています。この良質な陸域ヨシの産地として知られているのが、大阪府高槻市の淀川河川敷、上牧・鵜殿地区です。ここでは、ヨシ原の保全、害草・害虫の駆除のために、ヨシを刈り取った後、2月に地元の鵜殿のヨシ原保存会と上牧実行組合がヨシ原焼きを実施してきました。ところが、荒天とコロナ禍によりヨシ原焼きが2年続けて中止され、ヨシの生育環境が懸念されていたところ、令和3(2021)年9月頃より、この地域のヨシが壊滅状態に近いという情報が広まりました。
無形文化遺産部では、伝統芸能を支える保存技術や、そのために使われる道具、原材料についても調査を行っています。ヨシは、無形文化財である雅楽を支える原材料として欠かせないとの観点から、このたび、令和4(2022)年2月13日、2年振りに行われたヨシ原焼きの記録調査を実施しました。
今後は、鵜殿のヨシ原保存会と上牧実行組合を中心に、ヨシに巻き付いて枯らしてしまうツルクサの除去を行うなどして、ヨシの生育環境を整えていくとのことです。無形文化遺産部としても、文化財の保存に欠くことのできない原材料を再生・確保するための重要な試みとして、引き続きこの動向を注視していく予定です。
講習会の様子
保存環境調査・管理に関する講習会は博物館・美術館等で資料保存を専門に担当している学芸員や文化財保存に関わる研究者を対象に、保存環境の調査、評価方法、環境改善や安全な保管のための資材・用具等に関して、共通理解を得ることを目的に年1回開催しています。第1回、第2回は文化財活用センター主催で実施され、第3回は文化財活用センターと当研究所の共同開催となりました。
第1回目は「北川式検知管による空気環境調査と評価」と題して、ミュージアムの展示・収蔵空間の気中化学物質の定量分析に広く使用されるようになった北川式検知管について、使用方法、適切な評価法等などが解説されました。第2回目は「資料保存用資材としての中性紙」と題して、収蔵庫や書庫における資料保存容器の資材として広く使われている中性紙について、紙の科学的な性質、中性紙の特性や規格、中性紙を使用した保管容器の適切な使用方法などに関して、実習も交えながら解説されました。
第3回目となる今回は化学物質吸着剤をテーマとしました。近年、建材や内装材を発生源とする化学物質の放散と、資料への影響に対する懸念、改善への関心が高まっていますが、展示・収蔵空間でどのように空気清浄化をしたらよいか、まだ模索段階にあります。そこで、化学物質吸着剤を開発している企業に、適切な化学物質吸着剤の選択と効果的な使用に不可欠な、吸着現象、吸着剤の原理や構造、吸着効率に関わる環境要因等についてお話しいただきました。
新型コロナウイルス感染症の対策として、会場での対面の参加は8名、同時にオンライン配信も行い、合計30名の方に参加いただきました。参加した方々からは、「ガス吸着の種類、メカニズムがよく理解できた」「ガス吸着の原理、測定方法の理解で、問題点の解決方法の想定がしやすくなった」など原理から実践まで学べて非常に勉強になったとの意見をいただき、有意義なものとなったことがうかがえました。
今後も保存科学的な観点から、実践に必要な内容のテーマを設定し、講習会を実施していく予定です。
研究会「考古学と国際貢献 イスラエルの考古学と文化遺産」のプログラム
令和4(2022)年2月20日、イスラエルにおける考古遺跡の保存修復や整備公開をテーマとした研究会をオンラインで開催しました。この研究会は、文化遺産国際協力センターが「考古学と国際貢献」をテーマとして今後5ヵ年にわたり開催を計画している年次研究会の第1回目となります。イスラエルは、世界の中でも文化遺産関係の研究者層が厚く、また文化遺産保護制度も整備されていることから、今回の対象国としました。
研究会では、まずイスラエルで史跡の指定や整備を担う機関であるイスラエル国立公園局から、保存開発部長のゼエヴ・マルガリート氏と北部地区担当官のドロール・ベン=ヨセフ氏が講演を行いました。マルガリート氏からは同国における考古遺跡の管理に関する諸課題、ベン=ヨセフ氏からは歴史資料と考古資料とのはざまで考古遺跡をどのように公開するかということについて、現地での取り組みが紹介されました。
続いて日本国内の専門家として、筆者のほか北海道大学観光学高等研究センター准教授の岡田真弓氏と立教大学文学部教授の長谷川修一氏が講演を行いました。筆者からは1960年代以来実施されてきた日本によるイスラエルでの考古調査の概観、岡田氏からは同国で文化遺産マネジメントが発達する過程の考察、長谷川氏からは自身が発掘調査を行っている遺跡を事例とした保存活用に関する諸課題について、各自の専門的見地からの報告がされました。
研究会の後半には、長谷川氏の司会のもと、講演者全員によるパネルディスカッションを行いました。そこでの議論を通して、考古遺跡の保存や整備において何を残して何を残さないかということに関する問題や、保存や整備に関わる当事者のジレンマなど、両国間で共通する課題があることが認識されました。
今後、西アジア諸国を対象とした同様の研究会を通じて各国と課題を共有することで、より実効性の高い国際協力事業へとつなげていきたいと考えています。
研究会の様子
モントリオール美術館本 熊野曼荼羅図
東京文化財研究所では、長年にわたり海外に所蔵される日本美術の作品修復事業を行ってきました(「在外日本古美術品保存修復協力事業」)。令和3年度からはカナダ・モントリオール美術館の熊野曼荼羅図と三十六歌仙扇面貼交屏風の修復に着手しています(参照:モントリオール美術館(カナダ)からの日本絵画作品搬入)。
熊野曼荼羅図は和歌山・熊野三山に祀られる神仏とその世界観を絵画化した垂迹曼荼羅で、国内外に約50点の作例が残されております。令和4(2022)年1月25日の第7回文化財情報資料部研究会では、米沢玲(文化財情報資料部)がモントリオール美術館の熊野曼荼羅図について報告をし、その構図や図様、様式を詳しく紹介しました。八葉蓮華を中心として神仏を描く構図には同類の作例がいくつか知られていますが、モントリオール美術館本は鎌倉時代末期・14世紀頃の制作と考えられ、熊野曼荼羅図の中でも比較的早いものとして貴重な作品です。
同研究会では続いて、山本聡美氏(早稲田大学)が「中世六道絵における阿修羅図像の成立」、阿部美香氏(名古屋大学)が「六道釈から読み解く聖衆来迎寺本六道絵」と題して発表をされました。中世仏教説話画の傑作として知られる滋賀・聖衆来迎寺の六道絵は、源信の『往生要集』を基本にしながら多岐に渡る典拠に基づいて制作されたと考えられています。山本氏はそこに描かれる阿修羅の図像に着目し、同時代の合戦絵や軍記物語、講式である『六道釈』に説かれる阿修羅のイメージが反映されていることを指摘しました。阿部氏は『六道釈』諸本の内容と聖衆来迎寺本の構図や表現を詳細に比較し、本図が極楽往生を願って行われる二十五三昧の儀礼本尊であった可能性を提示しました。いずれも聖衆来迎寺本の成立や来歴に一石を投じる内容で、その後の質疑応答では活発な意見が交わされました。なお、今回の三つの発表内容は次年度以降に『美術研究』へ掲載される予定です。
楽曲別に整理されている『浅田譜』原稿
浅田正徹氏(あさだ まさゆき、1900-1979)による採譜は、三味線音楽における声(浄瑠璃、唄)と三味線伴奏の旋律を書き記した資料として知られています。採譜の対象は、清元節を中心に、一中節・宮薗節など複数のジャンルにわたります。無形文化遺産部は、その貴重な原稿を芸能部時代にご遺族から一括してご寄贈いただき、整理・保存してきました。資料の概要は、『無形文化遺産研究報告5』に「〔資料紹介〕浅田正徹採譜楽譜」として報告されています。
浅田譜の製本版(原稿をもとに複写・製本したもの)は諸機関に所蔵され、閲覧できるようになっています。これに加えて当研究所にのみ残る原稿を長く利用できるよう、デジタル画像化を進め、このたび清元節採譜原稿のデジタル画像化を完了しました。
口承に基づく無形文化財、とくに節回しの多彩な声楽を書き記すことは、機器が発達して録音や画像編集が手軽になった今日でも容易なことではありません。原稿からは、浅田氏が紙を切り貼りしたり、ときには破棄して一から書き直したりしながら、何度も改訂を重ねたことが分かります。デジタル画像を利用することで、慎重な取り扱いを要する原稿原本を傷めることなく、改訂過程に関する研究を今後進められます。
なお、デジタル画像化の進展を併記した所蔵原稿一覧は、令和4(2022)年2月1日付で無形文化遺産部のホームページに掲載されました。調査研究の進展とともに、随時更新していく予定です。
調査の準備
調査箇所についての協議
これまで何回かにわたり「活動報告」で紹介してきました通り、東京都港区の梅上山光明寺が所有している元時代の羅漢図についての調査が文化財情報資料部によって実施されてきました(梅上山光明寺での調査)。そして、光学調査で得られた近赤外線画像や蛍光画像から、補彩のために新岩絵具が用いられた箇所がある可能性が示唆されました。
このような画像データの観察に加えて、科学的な分析調査を行うことにより、高精細画像とは異なる切口から情報が得られると考えられます。そこで、令和4(2022)年1月19日に光明寺にて、保存科学研究センターの犬塚将英・紀芝蓮・高橋佳久、そして文化財情報資料部の江村知子・安永拓世・米沢玲が反射分光分析による羅漢図の調査を実施しました。
反射分光分析を行うことにより、光の波長に対して反射率がどうなるのか、すなわち反射スペクトルの形状から作品に使用されている彩色材料の種類を調べることができます。さらに、今回の調査に適用しましたハイパースペクトルカメラを用いると、同じ反射スペクトルを示す箇所が2次元的にどこに分布するのかを同時に調べることができます。
今後は、今回得られたデータを詳細に解析することにより、補彩のために用いられた材料の種類と使用箇所の推定を行う予定です。
東門再構築後の現場確認
中央伽藍の危険箇所調査
東京文化財研究所では、カンボジアにおいてアンコール・シエムレアプ地域保存整備機構(APSARA)によるタネイ寺院遺跡の保存整備事業に技術協力しています。新型コロナウイルス感染拡大の影響により現地渡航が困難となっていましたが、APSARA側の要請に応えて、十分な感染防止対策のもと、2年弱ぶりに令和4(2022)年1月9日から1月24日にかけて職員計3名の派遣を行いました。今回は、修復工事中の東門関係のほか、中心伽藍の危険箇所への対応など、現地での速やかな検討が必要な事項に関して現地調査および協議を行いました。
令和元(2019)年に着手した東門修復工事については、令和2(2020)年4月以降はオンラインで具体的な修復方針を協議しながらAPSARA側が工事を継続し、令和3(2021)年1月には頂部まで再構築が完了しました。今回は、リモートでは把握しきれなかった施工精度や仕上げの詳細等を現場で確認し、改善のための助言を行いました。今後さらに協議のうえ、手直しや追加工事が進められる予定です。
一方、中心伽藍においては、不安定な石材の崩落や、木造の応急補強材の老朽化、樹木による影響など、複数のリスク要因があり、見学者の安全確保と遺跡の更なる損壊防止のため、早急な対策が求められています。このため、APSARAのリスクマップチームと合同で調査を行い、対策の基本方針や応急措置の優先順位を検討しました。ドローンを用いて塔の上部などの高所も確認し、撮影した写真から3Dモデルを作成して塔の現状を記録しました。
さらに、以前に正面参道での考古調査で採取した土試料の分析も、同じくアンコール遺跡群で修復支援を継続中の韓国文化財財団(KCHF)の協力により実施しました。同国の援助で整備中の実験施設でKCHFの専門家の指導のもと、粒度分布や測色等の調査を行い、参道の基盤を構成する土層に関するデータを取得しました。この場を借りて、KCHFの寛大な協力に感謝を申し上げます。
このほかにも、遺跡の修復に携わる各国チームと現場や研究会で交流するなど、現地での協力活動の意義を再認識する機会となりました。同時に行った、外周壁の発掘調査、およびタネイ関連彫刻類遺物調査については、それぞれ別稿にて報告します。
雨季の東門
出土した外周壁基底部と旧地表面
別稿にて報告のあった令和4(2022)年1月9日から1月24日にかけての派遣事業の一環として、タネイ寺院遺跡外周壁遺構の発掘調査を行いました。APSARAと共同で修復中の同寺院東門は、既に再構築作業が完了していますが、現状では門付近の地表が周囲より低く、雨季に雨水が滞留することが以前から問題になっています。寺院建立当初からこのような地形だったとは考えづらく、本来は何らかの形で排水が考慮されていたと推定されました。このため、今後の東門周辺の排水計画策定に向けて、旧地表のレベルおよび状態確認を目的とした発掘調査を実施しました。
発掘調査は、門の南北に接続していた外周壁跡(撤去された時期や理由は不明)を対象に、北東角とそこに至る途中で壁基部のラテライト材が現地表に露出している部分の、計3か所で実施しました。調査の結果、現地表下約30cmの地点でアンコール時代の地表面を確認し、東門周囲とほぼ高低差はなく平坦な地形だったことがわかりました。特に排水溝等の痕跡もなく、当時は地中浸透などの自然排水に依っていたと考えられます。
現状では門の北方に地面の高まりがあって排水の妨げとなっているため、今後まずはこの付近の表土を取り除き、雨水の滞留状況が改善されるかを確認することとしました。寺院建物の修復と並行して、このような周辺整備作業も進めていく予定です。
破損したドヴァラパーラ像
調査風景
令和4(2022)年1月9日から1月24日にかけての現地作業の一環として、これまでにタネイ寺院遺跡で発見され、他所で保管されている石造彫像類の所在および現状に関する調査を行いました。アンコール遺跡群の遺物については、フランス極東学院(EFEO)が発見当時に作成した記録がありますが、その現状については体系的な調査がされてきませんでした。
今回は文化芸術省所管のアンコール保存事務所の協力のもと、同所に保管されている遺物の実物と台帳記録類の照合作業を行いました。EFEOの台帳に記載されたタネイ関係遺物は全部で30数点あり、このうち16点の所在を確認することができました。所在不明の多くは神像の手足などの小断片ですが、像高2m前後と大型の門衛神ドヴァラパーラ像のうち3体は頭部が失われているほか、観音菩薩像1体も激しく損傷しており、内戦期の盗掘や破壊によるものと考えられます。このほか少なくとも2点の彫像がプノンペン国立博物館に保管されていることが、現地でのフランス人研究者からの情報提供により判明しました。
加えて、最も盗掘が頻発した平成5~6(1993~94)年頃に同事務所が遺跡現地から回収した彫刻類などのうちにもタネイから運ばれたものがあることがわかり、今回は仏陀座像7点、ナーガ欄干7点、シンハ像2点を確認しました。これらの像が寺院内のどこにあったのかなどの情報を集めるととともに、所在不明の遺物の捜索をさらに続けたいと思います。
一方、令和元(2019)年に行った同寺院東門の解体作業中に発見された観音像頭部は現在、シハヌーク・アンコール博物館に保管されており、これについても改めて3Dモデル作成用の写真撮影を実施しました。残念ながらこれに対応する胴体部は見つかっていませんが、あるいは今も遺跡内のどこかに人知れず埋没しているのかもしれません。
今後は機会を見て、他施設での調査も行っていきたいと考えています。
シンポジウム「海と文化遺産-海が繋ぐヒトとモノ-」ポスター
登壇者によるフォーラム「海によってつながる世界」の様子
文化遺産国際協力コンソーシアム(東京文化財研究所が文化庁より事務局運営を受託)は、令和3(2021)年11月28日にウェビナー「海と文化遺産-海が繋ぐヒトとモノ-」を開催しました。
人々の営みや当時の社会、歴史、文化を物語る証人として、海に関わる文化遺産が世界各地に残されるとともに、近年では最先端の技術や分析手法を通じて、海を介して運ばれてきたモノの由来も具体的に解明できるようになってきました。本シンポジウムは、海に関わる文化遺産をめぐる国際的な研究や保護の動向、世界各地における海の文化遺産にまつわる取り組みの事例や日本人研究者の関わりを紹介するとともに、この分野での国際協力に日本が果たしうる役割について考えることを目的に開催されました。
石村智(東京文化財研究所)による趣旨説明に続き、佐々木蘭貞氏(一般社団法人うみの考古学ラボ)による「沈没船研究の魅力と意義―うみのタイムカプセル」、木村淳氏(東海大学)による「海の路を拓く―船・航海・造船」、田村朋美氏(奈良文化財研究所)による「海を越えたガラスビーズ ―東西交易とガラスの道」、四日市康博氏(立教大学)による「海を行き交う人々―海を渡ったイスラーム商人、特にホルムズ商人について」、布野修司氏(日本大学)による「海と陸がまじわる場所―アジア海域世界の港市:店屋と四合院」の5講演が行われました。
続くフォーラム「海によってつながる世界」では、周藤芳幸氏(名古屋大学)と伊藤伸幸氏(名古屋大学)が加わり、東西の海と陸を介した交流、船と技術、地中海世界や新大陸世界での海域ネットワークの様相、海と文化遺産に関する国際協力をテーマとした4つのセッションで活発な議論が展開されました。
最後に、山内和也氏(帝京大学)が閉会挨拶を行い、人間が海へと漕ぎ出し世界を繋げてきたことを示す物証である、海にまつわる文化遺産を保護することの重要性が改めて強調されました。
シンポジウムをオンライン形式で行うのは初めての試みでしたが、世界11か国から約200名の方にご参加をいただき、盛況な会となりました。コンソーシアムでは引き続き、関連する情報の収集・発信に努めていきます。
本シンポジウムの詳細については、下記コンソーシアムのウェブページをご覧ください。
https://www.jcic-heritage.jp/20211209symposiumreport-j/
「マケドニアの王子と哲学者」の展示作業風景
現在、東京国立博物館では特別展「ポンペイ」(令和4(2022)年1月14日〜4月3日)が開催されています。これに先立って行われた展示作業にて、出品される作品(壁画、モザイク、大理石像)の状態確認調査に協力させていただきました。
ポンペイは、イタリアの南部にある都市ナポリの南東約23kmに位置するローマ時代に築かれた都市です。紀元後79年、ナポリとポンペイの中間にそびえるヴェスヴィオ火山が大噴火を起こすと、街は瞬く間に火山灰と土砂に埋もれました。時は流れて1748年に再発見されると、本格的な発掘調査がはじまります。すると、当時の建物や壁画、美術品などが次々と出土しました。今回の特別展では、これら出土品を数多く所蔵するナポリ国立考古学博物館より約150点が来日し、多くの来館者を魅了しています。
展示作業中は、普段の業務ではなかなか携わることのない展覧会場の設営過程を間近で見ることができました。本来であれば、作品の輸送段階から現地専門家が随行します。しかし、コロナ禍ということで来日することが叶わず、作業は博物館職員や美術品輸送展示の専門家に委ねられました。「来館者にとっていかなる展示環境を提供することがベストか」を考えつつ、作品を傷つけないよう細心の注意を払いながら進められる作業は容易ではありません。展示品の中には、総重量が数百キロを超える壁画も含まれていました。普段何気なく見ている展覧会も、このように多くの方々の取り組みがあってこそ成り立っているのだと改めて気付かされる機会となりました。
オンライン協議の様子
セインズベリー研究所提供の海外の日本美術の展覧会情報(総合検索)
アシュモレアン博物館の図録Tokyo: Art & Photography
令和3(2021)年12月2日に、イギリスのセインズベリー日本藝術研究所と共同研究「日本芸術研究の基盤形成事業」についてのオンライン協議を行いました。東京文化財研究所では平成25(2013)年よりイギリスのセインズベリー日本藝術研究所(以下、セインズベリー研究所)との共同研究を推進しています。セインズベリー研究所のサイモン・ケイナー所長からは新型コロナウイルス感染症の影響による困難な状況の中、事業を継続できていることに対して感謝の意が伝えられ、セインズベリー研究所の理事会でもこの共同研究が重要な国際協働事業であると評価されているとの報告がありました。昨年と同様にオンラインでの協議を行いましたが、この1年間では、継続的なデータベースの更新作業に加えて、東京文化財研究所が刊行している『日本美術年鑑』に掲載している美術界年史(彙報)の記事を英訳し、Art New Articlesとして、東京文化財研究所のウェブサイトに検索可能な状態で掲載することを新たに開始しました(Art news articlesの公開について)。現在は平成25(2013)〜同27(2015)年の3年分の英語版が公開されていますが、今後も翻訳・更新・公開作業を継続して、日本美術に関する国際情報発信を進めていく予定です。
またセインズベリー研究所には、海外で開催された日本美術に関する展覧会の情報を東文研総合検索にご提供いただいています。情報共有と研究交流の一環として、セインズベリー研究所の林美和子氏にアシュモレアン博物館で開催されたTokyo: Art & Photography展の展覧会評を『美術研究』436号(令和4(2022)年3月刊行予定)にご寄稿頂きました。海外の美術展覧会を見に行く機会が激減するなか、海外の状況を知ることができる貴重な記事となっています。ぜひご覧ください。
オンラインでできることも増え、その長所を活かした取り組みも行っていますが、それでも作品調査や、講演を行い、一般の聴衆と意見交換することなどは現地に行かないと不可能です。2年前まで実施していた、研究員が実際に現地を訪問して研究協議と講演を行うような研究交流は、来年度以降に状況を見ながら再開する方針です。
写真撮影の様子
彩色材の調査
黒田記念館には、黒田清輝を中心とした画家による絵画作品が収蔵され、展示公開されています。その中核をなす黒田清輝による油彩画は、現在149点を数えます。現在、黒田記念館は東京国立博物館の一部となり、これらの作品も東京国立博物館の所蔵となっています。
令和3(2021)年10月から12月にかけて、これら黒田清輝の油彩画全点について、東京国立博物館職員の立ち合いのもとに、高精細カラー写真撮影・赤外線写真撮影・蛍光写真撮影を行いました。また、《智・感・情》、《読書》、《舞妓》、《湖畔》の4作品については蛍光X線分析による彩色材料調査を併せて行いました。
黒田清輝は19世紀末にフランスに留学して油彩画を学び、デッサンやクロッキーによる基礎に立脚しつつ、戸外での写生を重視する作風を身に着け、帰国後は日本近代絵画の主流をなすに至りました。しかしながら黒田清輝の画風は、留学期と帰国直後、さらには日本での地位の確立以降と、彼の立場や環境にともなって変化しており、一様ではありません。今回の写真撮影では、これまで高精細カラー写真撮影や赤外線写真撮影、蛍光写真撮影が行われていなかった作品まで含め、黒田記念館に収蔵される全ての油彩画を同一手法かつ同一のライティングで撮影したことに意義があります。高精細カラー写真によって浮かび上がる筆触、赤外線写真や蛍光写真によって写し出される下絵の存在や顔料の重なり方、そして蛍光エックス線分析によって得られる彩色材料に関する情報を総合的に評価していくことで、彼の作品が実際にどのように作られたのか、より深く知ることが可能となるでしょう。今回撮影された写真は、近代日本における油彩画の先駆者であった黒田清輝の油彩画の実像に迫るために、欠かせない資料となるはずです。
なお、これまでに一部の油彩画作品については東文研ウェブサイト(「黒田清輝の作品について」https://www.tobunken.go.jp/kuroda/japanese/works.html) にて既に公開しています。また、報告書『黒田清輝《智・感・情》美術研究作品資料 第1冊』(2002年)、『黒田清輝《湖畔》 美術研究作品資料 第5冊』(2008年)などでもご覧頂けます。今回の撮影・調査結果については、随時、ウェブサイトにて公開していく予定です。
The Shakuhachi 5による演奏『スペース 3本の尺八のための』
座談会の様子
無形文化遺産部では、令和3(2021)年12月3日、東京文化財研究所セミナー室にてフォーラム3「伝統芸能と新型コロナウイルス―Good Practiceとは何か―」を開催しました。
午前は、当研究所無形文化遺産部・石村智、前原恵美、鎌田紗弓が、ユネスコの「Good Practice」の捉え方、コロナ禍における伝統芸能の現状とさまざまな支援について報告、新たに選定された国の選定保存技術や若手・中堅実演家の動向(蒼天、The Shakuhachi 5)を取り上げて話題を提供し、尺八演奏が披露されました。
午後は、企画・制作者(独立行政法人 日本芸術文化振興会、兵庫県立芸術文化センター)、実演家(能楽シテ方観世流、日本尺八演奏家ネットワーク(JSPN))、保存技術者(藤浪小道具株式会社(歌舞伎小道具製作技術保存会))および文化庁「邦楽普及拡大推進事業」事務局(凸版印刷株式会社)からの事例紹介が行われました。座談会では、コロナ禍の最中にあってもwithコロナを見据え、伝統芸能の現状や取り組みを客観視し、情報共有するとともに、こうした機会を継続的に持つこと自体も「Good Practice」であるとして、締め括りました。
なお、このフォーラムはコロナ対策のため、一部関係者のみの参加となりましたが、当研究所ウェブサイトで令和4(2022)年3月31日まで記録映像を無料公開しています。また、年度末に報告書を刊行し、当研究所ウェブサイトで公開する予定です。
キリバスでは海水面上昇により国そのものが水没することが懸念されています(撮影:2014年2月)
現代を生きる私たちにとって気候変動は重要な解決すべき問題のひとつです。令和3(2021)年10月~11月に国連気候変動枠組条約第26回締約国会議(COP26)が開催されたのも記憶に新しいことと思いますが、今や国際社会が強調してこの問題に取り組んでいます。
気候変動の問題は文化遺産の保護にも深く関わっています。例えば気候変動に関連するといわれる大型台風や大雨によって文化遺産や博物館が被災することが懸念されています。さらには海水面の上昇によって、沿岸部や標高の低い場所にある文化遺産は消滅してしまうおそれもあります。こうした問題に関連して、東京文化財研究所は平成25(2013)年度に「気候変動により影響を被る可能性の高い文化遺産の現状調査」を文化庁の文化遺産保護国際貢献事業(専門家交流)として実施し、とりわけ気候変動の影響を受けやすい大洋州地域のツバル、キリバス、フィジーの3か国で調査を行ったこともありました。
そして今回、令和3(2021)年12月6日~10日にかけて、「文化・遺産・気候変動国際共催会議(International Co-Sponsored Meeting on Culture, Heritage and Climate Change (ICSMCHC))」がオンラインで開催されました。この会議は国連教育科学文化機関(ユネスコ)、国際記念物遺跡会議(イコモス)、国連気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が主催し、文化遺産と気候変動の問題を総合的に議論する世界初の国際的な機会となりました。会議には世界の各地域から100名以上の専門家が参加し、日本からは筆者の石村智(無形文化遺産部音声映像記録研究室長)と東京海洋大学教授・イコモス国際水中文化遺産委員会(ICUCH)委員の岩淵聡文氏の2名が参加しました。
この会議の開催に先立ち、令和3(2021)年9月~10月にかけて3回の準備会合がオンラインで開催されて論点の整理が行われ、その成果は会議直前の12月1日に「白書(White Papers)」と題する報告書にまとめられました。そして会議はこの報告書の論点に基づいて進められました。
テーマとして論じられたのは、①「知識体系:文化・遺産・気候変動の体系的関係」、②「インパクト:文化と遺産の喪失、ダメージ、適応」、③「解決:可能な変化と代替となる持続可能な未来における文化と遺産の役割」の3つで、それぞれのテーマに沿って「公開パネル」「ワークショップ」「ポスター発表」が行われました。「公開パネル」では、あらかじめ選ばれた専門家により議論が行われ、その模様が動画配信されました。「ワークショップ」ではオンライン会議システムを用い、参加した専門家による議論が行われました。しかし参加するすべての専門家が一度に議論を行うことは難しいため、参加者は5~10名のグループに分かれてそれぞれ議論をおこなうというグループディスカッションの形式がとられました。そして「ポスター発表」では、専門家がそれぞれウェブサイト上にポスターを掲載し、またその質疑応答や議論を行うためのコアタイムがオンライン会議システムを用いて開催されました。
会議で論じられたトピックは数多くあり、またそれぞれのグループで様々な議論が行われたため、現在事務局がその取りまとめを行っており、最終的な報告書は2022年前半に刊行されるとのことです。
会議に参加した筆者の感想としては、文化遺産の中でもとりわけ無形文化遺産が果たす役割に期待されていることを感じました。テーマ①で論じられた「知識体系」においても、気候変動を議論するにあたって、「科学的知識(scientific knowledge)」だけではなく、「土着的知識(indigenous knowledge)」および「地域的知識(local knowledge)」を重視すべきとの声が多く聞かれました。これらはいわゆる無形文化遺産としての「伝統的知識(traditional knowledge)」に相当するものと考えられますが、とりわけ気候変動が文化遺産にもたらす影響について考えるにあたって、その文化遺産が所在する地域コミュニティの知識を組み込むべきであるということが主張されました。それに加えて、こうした「土着的知識」や「地域的知識」の中にこそ、気候変動の問題を解決する鍵が含まれているのではないかという期待も多く表明されました。
今回の会議の主催団体のひとつであるイコモスは、文化・遺産・気候変動の問題をさらに突き詰めていくための体制を構築すべく、今後も事業を進めていくとのことです。私達も引き続きこの動きを注目していきたいと思います。
ミクロネシア連邦におけるカヌー文化の現地調査の様子(2018年8月)
令和3(2021)年12月13日から18日にかけて、ユネスコの無形文化遺産保護条約第16回政府間委員会が開催されました。委員会はスリランカでの開催が予定されていましたが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、前回同様のオンライン開催となりました。ただ、前回の審議時間が各日3時間の短縮版だったのに対し今回は6時間で、アジェンダ(議題)も通常と同様です。当日は、パリのユネスコ本部にPunchi Nilame Meegaswatte議長(スリランカ)と事務局職員だけが集まり、それ以外の委員国、締約国、認定NGO等の代表団はオンライン会議システムで参加しました。審議の様子はインターネット中継され、その模様を東京文化財研究所の2名の研究員が傍聴しました。
今回、日本から提案された案件はありませんでしたが、「緊急に保護する必要のある無形文化遺産の一覧表(緊急保護一覧表)」に4件、「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表(代表一覧表)」に39件の案件が記載され、「保護活動の模範例の登録簿(グッド・プラクティス)」に4件の案件が登録されました。ミクロネシア連邦、モンテネグロ、コンゴ民主共和国、コンゴ、デンマーク、セイシェル、東ティモール、アイスランド、ハイチの9か国の案件は、初めての一覧表記載となります。
これらの案件のうち、ミクロネシア連邦が提案し緊急保護一覧表に記載された「カロリン諸島の伝統的航海術とカヌー作り(Carolinian wayfinding and canoe making)」は、当研究所による文化遺産保護の国際協力事業と関連した案件です。当研究所は平成28(2016)年5月のグアムでの第一回「カヌーサミット」の開催や、平成30(2018)年9月のミクロネシア連邦の伝統航海士との日本での交流など、太平洋島しょ国における無形文化遺産としてのカヌー文化の保護に取り組んできました。今回の記載は、このような当研究所の取り組みの成果の一つともいえます。また、ハイチが提案した案件「ジュームー・スープ」は、次回審議される予定でしたが、特例で今回審議され、代表一覧表に記載されました。令和3(2021)年8月14日に同国で発生した地震により大きな被害を受け、復興の途上にあるハイチの人々を、この案件の記載で勇気付けたいという同国の思いと国際社会の配慮によるものです。無形文化遺産が被災者を勇気付ける役割を果たしうることは、平成23(2011)年の東日本大震災でも指摘されましたが、今回の事例で再確認しました。
今回の政府間委員会では、令和3(2021)年に開催された「無形文化遺産保護条約の一覧表記載方法について検討するグローバルな検討の枠組みに基づいた全締約国が参加可能な政府間ワーキンググループ会合(Open-ended intergovernmental working group meeting in the framework of the global reflection on the listing mechanisms of the 2003 Convention)」の成果についても議論されました。無形文化遺産保護条約の運用における具体的な手続きは「運用指示書(Operational Directives)」に記述されていますが、条約の運用開始から十数年が経ち、「運用指示書」に記述のない様々な事例も生じています。例えば、緊急保護一覧表に記載された案件の代表一覧表への移行や、一覧表に記載された案件の削除の手続きは「運用指示書」に記述されておらず、政府間委員会での個別の判断にゆだねられてきました。そこで、これらの問題について包括的に議論するワーキンググループが平成30(2018)年に設立され、さきに述べた令和3(2021)年の会合の成果を踏まえた運用指示書の改定案が提出されました。改定案は来年の締約国会議への提出が決まりましたが、さらに議論を煮詰めるため、ワーキンググループの任期は令和4(2022)年まで延長されています。
今回の委員会はオンライン開催という制約にもかかわらず、議事はスムーズに進行しました。委員国をはじめとする各国代表団やユネスコ事務局の相互の信頼と協力があってのものですが、加えて議長のリーダーシップによるところが大きかったように思います。母国スリランカでは残念ながら開催できませんでしたが、議長は時折ユーモアを交え参加者を和ませつつも真摯にその任にあたり、その姿勢には感動を覚えました。次回の開催国は、新型コロナウイルス感染拡大の状況を見極めつつ、後日正式にアナウンスされることになりましたが、無事に現地で開催できることを願っています。
総合討議の様子
令和3(2021)年12月17日に、第16回無形民俗文化財研究協議会「映像記録の力―危機を乗り越えるために―」を、感染拡大防止のため最小限の関係者のみで開催いたしました。
現在も新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響が続いており、無形民俗文化財の関係者は従来通りの活動が出来ない状況にあります。2年続けて祭りが開催出来ないとなると、技術の継承やモチベーション維持の点などで問題が生じ、多くの文化財に継承の危機が迫っていると思われます。
こうした危機を乗り越えるための試みのひとつとしては、映像の活用が挙げられます。集うことが制限されるコロナ禍では、対面せずに人とつながることが出来る映像技術が普及しました。また、伝承における映像記録の有用性が再認識され、さまざまな記録映像が作成されたり、撮りためられていた映像の活用がなされるようになりました。
そこで今年度の協議会は、そうした映像記録の諸問題を考える場とし、東京文化財研究所から2名、行政・研究者の立場から5名が、自治体、民間、学術機関での映像・メディアによる保存・活用の取り組みについて発表を行いました。その後、2名のコメンテータとともに総合討議が行われ、活発な議論が交わされました。
この協議会の模様は、動画視聴ページ(https://tobunken.spinner2.tokyo/frontend/login.html)にて、令和4(2022)年1月14日~2月14日まで、動画配信をしています。また、協議会のすべての内容は令和4(2022)年3月に報告書として刊行し、後日、無形文化遺産部のホームページでも公開する予定です。