研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『TOBUNKEN NEWS
(東文研ニュース)』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。
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近年は文化財への注目が広がる中、多様な材料から成る作品に保存修復処置を行う必要が出てきており、従来の処置技術では対処困難な事例が多く見受けられます。特に、作品の価値を損なわずに作品上の汚れ除去を考える必要性が高まっています。
これらのニーズを受けて保存科学研究センターでは、イタリアの保存科学者パオロ・クレモネージ氏をお招きし、令和元(2019)年10月8日から10日にクリーニングの基礎的な科学知識とゲル利用に関するワークショップを開催しました。また翌10月11日には、日本及び西洋における文化財のクリーニングについて、現場問題提起と最新の研究紹介を目的に、文化財修復処置に関する研究会も開催いたしました。
ワークショップにおいては、午前は座学をセミナー室で行いました(参加者56名)。午後からは会議室に場所を移し、参加者を21名に絞らせていただき、実際に文化財修復で使用するクリーニング溶液の調製方法や、クリーニングの実作業に関する研修を行いました。
研究会においては、クレモネージ氏による「欧米におけるクリーニング方法 ―ゲルの適用と最新の事例―」のほか、国宝修理装潢師連盟理事長の山本記子氏より「東洋絵画のクリーニング」、写真修復家の白岩洋子氏より「紙及び写真作品の処置におけるゲル利用の可能性」をお話しいただき、実際の東西の修復現場における状況をご紹介いただきました。保存科学研究センターからは「西洋絵画におけるクリーニング方法発展の歴史的背景」を鳥海秀実、「文化財クリーニング手法の開発 ―近年の研究紹介―」を早川典子から報告しました。
クレーントラックによる解体作業
東門内部で発見された彫像頭部
東京文化財研究所では、カンボジアでアンコール・シエムレアプ地域保存整備機構(APSARA)によるタネイ寺院遺跡の保存整備事業に技術協力を行っています。同遺跡における東門修復工事の開始に伴い、工事中の助言と記録作業等の実施のため、令和元(2019)年9月7日から11月5日にかけて職員および外部専門家計6名の派遣を行いました。
本工事では、APSARAが工事の実施を担当し、本研究所は主に修復方法等に対する技術支援および調査研究面での協力を行っています。
9月12日に地鎮祭を行って工事関係者全員で安全を祈願した後、屋根の解体を開始しました。解体にはクレーントラックを使用し、各石材に番付を付したうえで頂部から順に石材を取り外し、1段進捗する毎に現状の計測や調書の作成など必要な記録作業を行うとともに、取り外した石材についても個別に実測や写真撮影、破損状況等の記録作業を行いました。
屋根の解体が完了した後、建物内部に浸入した樹根や蟻塚を除去し、崩落していた石材を取り出しました。回収した石材は約70個で、屋根やペディメントの部材が大半を占めることから、経年により自然に崩壊した様子が窺えます。また、この作業中、崩落した石材の下から、観音菩薩と思われる彫像の頭部(高さ56センチ程)が、南翼の西壁面に立て置かれた状態で発見されました。未解明の点が多いタネイ寺院の歴史をひもとくうえでも貴重な資料と考えられます。写真や後述の3Dスキャンによる現状記録の後、詳細な調査にむけてAPSARAの管理施設に収容しました。
石材の回収完了後は、東京大学生産技術研究所大石研究室の協力を得て3Dレーザースキャンによる壁体および室内部の精密な記録作業を行い、あわせて建物の詳細調査とSfMによる壁面の記録等を行いました。その後、10月16日より壁体部分の解体に着手し、必要な記録等を行いながら安全に作業を進め、予定した範囲の解体を11月5日に完了しました。
これら解体に伴う一連の調査を通して、樹根や蟻塚が石材の目地の細かな部分まで入り込み、建物が変形する一因となっている様子が確認できました。また、基壇および床面には不同沈下が認められることから、基礎構造に何らかの欠陥が生じている可能性が推測できます。建物の構造的健全性を回復するためには劣化メカニズムの解明とこれを踏まえた基礎構造の改善が不可欠であることから、引き続き12月にも職員等を派遣し、基壇の部分的な発掘調査および地盤調査を実施する予定です。
このほか、9月18日にAPSARA本部で開催された、プレアヴィヒア寺院の保存整備に関する国際調整委員会(ICCプレアヴィヒア)に出席し、最新情報を収集しました。今後もAPSARA側との協力を継続するとともに、各国の専門家らとの意見交換や情報収集等を行いながら、アンコール遺跡における適正な修復事業のあり方を模索していきます。
ラクイラのサンタ・マリア・パガニカ教会
整備が行き届いたポンペイの街並み
東京文化財研究所では、バガン遺跡(ミャンマー)において寺院壁画の保存修復ならびに2016年に発生した地震による被災箇所の修復事業に技術協力を行っています。同遺跡の整備計画に反映させるべく、令和元(2019)年10月9日から27日にかけて同じく地震からの復興活動や遺跡保存への取組みが続くイタリアを訪問し、ラクイラ市とポンペイ遺跡の2箇所で調査を実施しました。
平成21(2009)年のアブルッツォ州震災から10年が経過した今もラクイラ市における復興活動は続いており、現地で修復事業に携わる専門家の話によると、復興状況は全体の50%程度に留まるそうです。被災した建造物の多くが壁画やストゥッコ装飾を有することから、それぞれの素材を複合的に捉えた修復計画が必要となり、事業の内容が複雑化することで進捗状況に影響がでているとのことでした。しかし、こうした点に配慮しながら続けられてきた復興活動の成果は、歴史的景観の保全という形で顕著に表れていました。
一方、広大な面積を有するポンペイ遺跡では、維持管理を主な目的とする整備事業が100年以上にわたり続いています。遺跡を管理するポンペイ考古学監督局との面談では、遺跡全体を包括的に整備することの難しさや、時代と共に変わりゆく保存修復方針の変化とどのように向き合っていくべきかについて意見交換を行いました。
今回の調査を通じて、複数の素材で構成された文化財の保存修復では総合的観点から計画を立てることがいかに大切であるかを改めて確認することができました。また、広大な遺跡を後世に伝えていくためには、維持管理への取り組みが重要であり、文化財への負担を最小限に留める最善の方法であることを実感しました。令和2(2020)年1月に計画しているバガン現地調査では、今回の調査結果を報告するとともに、バガン遺跡に適した保護活動のあり方について現地専門家とともに検討を重ねていく予定です。
天然染料を用いた染色の実験
エチミアジン大聖堂付属博物館所蔵資料の分析
修了式の様子
令和元(2019)年10月7日から17日の間、アルメニア共和国において、同国教育科学文化スポーツ省と共同で染織文化遺産保存修復研修を開催しました。本研修は、平成26(2014)年に東京文化財研究所と同国文化省(当時)が締結した、文化遺産保護分野における協力に関する合意に基づくもので、平成29(2017)年度から通算で3回目の実施となります。
今回の研修は、これまでと同様に佐賀大学芸術地域デザイン学部の石井美恵准教授と刺繍専門家の横山翠氏を講師として、歴史文化遺産科学研究センターとエチミアジン大聖堂付属博物館の2会場で行い、アルメニア国内の博物館や美術館など7機関から14名が参加しました。歴史文化遺産科学研究センターでは、藍やアカネなどの天然染料を用いた絹布や綿布の染色を行い、実際の染織文化遺産に用いられている染料を特定するための標準試料を作成しました。そして、エチミアジン大聖堂付属博物館では同館の所蔵資料を用いて技法の分析を行いました。
最終日の修了式では、東京文化財研究所所長の齊藤孝正から、研修生一人一人に修了証書が授与されました。3年にわたって実施してきた研修事業は今回をもって終了となりますが、これまで学んだ内容をもとに、アルメニアの人々が自らの手で文化遺産の保存修復を行うだけでなく、その技術や知識を次の世代へ継承してくれることを願っています。
刷毛の使い方の実習
研修参加者との集合写真
令和元(2019)年10月30日から11月13日にかけて、ICCROM(文化財保存修復研究国際センター)のLATAMプログラム(ラテンアメリカ・カリブ海地域における文化遺産の保存)の一環として、INAH(国立人類学歴史機構、メキシコ)、ICCROM、当研究所の三者で国際研修「Paper Conservation in Latin America: Meeting with the East」を共催しました。本研修は、INAHに属するCNCPC(国立文化遺産保存修復調整機関、メキシコシティ)を会場に平成24(2012)年より開催しており、日本の伝統的な紙、接着剤、道具についての基本的な知識と技術を教授し、それらを応用して各国の文化財の保存修復に役立ててもらうことを目的としています。今回はアルゼンチン、ブラジル、チリ、コロンビア、メキシコ、ペルー、スペイン、ベネズエラの8カ国から9名の文化財修復専門家が参加しました。
研修前半(10月30日-11月6日)は、日本人専門家が講師を担当し、日本の文化財保護制度、修復に関連する和紙や接着剤等の材料、我が国の選定保存技術のひとつである装潢修理技術に関する講義のほか、これらの材料や伝統的道具を使用した裏打ちの実習を当研究所で数ヶ月間装潢修理技術を学んだCNCPCの職員とともに行いました。
後半(7日-13日)は、当研究所で「国際研修 紙の保存と修復」を修了したCNCPCとスペインの講師が担当し、材料の選定方法や洋紙修復分野への応用について講義と実習を行いました。
このような技術交流を通じて、研修参加者が日本の修復材料や道具、技術についての理解を深め、それらの知識が各国の文化財保存修復に有効に活用されることを期待しています。