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東京文化財研究所 保存科学研究センター
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2024年度保存科学研究センター新規導入・更新機器

 保存科学センターでは2024年度に「ラマン分光分析装置」「三次元蛍光分光光度計」「高速液体クロマトグラフィー」を新規導入し、「熱分解GC/MS」「イオンクロマトグラフィー」を更新しました(図1)。これらの機器についてご紹介します。
ラマン分光分析装置
 試料にレーザー光を照射するときに生じるラマン散乱光は、分子構造によりその波長が変化します。これを利用して、非接触・非破壊で試料の構造を分析することが可能な装置です。マッピングも可能な据置型顕微ラマン分光、持ち運び可能な可搬型顕微ラマン分光、小型で持ち運びが容易なハンドヘルドラマン分光の3タイプの装置を導入しました。ラマン分光法は、純金属以外の試料であれば無機物・有機物を問わず分析可能です。染料・顔料の同定、腐蝕の原因解明、文化財付着物の分析など、さまざまな用途に利用できます(図2)。
三次元分光蛍光光度計
 試料から放出される蛍光の波長や強度は、その構造によって変化するため、蛍光分析を行うことで文化財を構成する物質の構造を推定することが可能です。非接触・非破壊で測定可能であり、蛍光を発するあらゆる試料を分析できます。蛍光を発する試料は意外と多く存在し(例えば布・紙・木材なども多くの場合蛍光を検出できます)、多くの文化財を分析可能ですが、特に染料については強力な分析ツールとなります(図3)。
高速液体クロマトグラフィー
 大気中のアルデヒドの定量や、繊維製品中の染料の定量などに用います。PDA検出器を備えており、一般的なUV検出器に比べ未知物質の定性にも威力を発揮します。抽出を行う必要があるので、基本的に破壊分析になります。
熱分解GC/MS(更新)
 紙・布帛・漆・木材など、高分子からなる試料の構造を詳細に分析することができる装置です。破壊分析ですが、試料量は1mgという極微量で分析でも分析可能です。また、大気中の臭気や残留溶媒などの定性定量も可能です。
イオンクロマトグラフィー(更新)
 大気中のアンモニアや有機酸の定量や、水中の塩化物イオンや硝酸イオンなどの定量に用います。サプレッサー法を採用しており、非常に高感度です。

 これらの装置を用いて文化財分析を今後も進めていきます。

図1 新規導入・更新機器の写真


A:ラマン分光分析装置(据置型顕微ラマン分光)B:三次元分光蛍光光度計C:高速液体クロマトグラフィーD:熱分解GC/MSE:イオンクロマトグラフィー

図2 ラマン分光分析装置による各種色材の分析

色材によって得られるスペクトルが全く異なることが分かる。1µm程度の高分解能で色材の同定が可能である。特に、非破壊で墨を分析可能であることは大きな特長である。顔料だけでなく、染料・鉱物・金属の腐蝕・繊維など、多彩な試料を分析できる。

図3 天然染料で染めた布の劣化前後の三次元分光蛍光スペクトル

A:劣化試験前 B:劣化試験後

劣化により全体的に蛍光強度が低下する。特に励起波長280nm、蛍光波長420nm付近の蛍光強度の低下が著しい。蛍光パターンは劣化の程度や素材そのものの違いにより変化するため、劣化の度合いの評価や、素材の異同分析に有効である。

令和5(2023)年度保存科学研究センター新規導入機器

 保存科学研究センターでは令和5(2023)年度に「ミクロトーム」「生物顕微鏡(偏光・位相差・微分干渉観察付)」「赤外線顕微鏡」を導入しました(図1)。これら新規導入機器についてご紹介します。
ミクロトーム
 試料を正確に切断する装置です。例えば、紙や布がどのような素材でできているか分析する時、試料を切断して断面を顕微鏡観察することがあります。従来は、剃刀など鋭い刃物で切断したり、樹脂に埋め込んで研磨したりしていました。しかしこれらの方法では、試料が変形する・樹脂に埋もれてしまい試料が観察しづらい・操作に熟練を要する、などの問題がありました。ミクロトームによりこれらの問題が解消し、紙や布の素材判別が容易になりました。実際の断面観察結果例を図2に示します。木材や漆器など有機物からなる文化財全般に適用できます。
生物顕微鏡
 偏光観察は結晶構造の観察に、位相差顕微鏡は微小構造の観察に、微分干渉顕微鏡は細胞や生体組織の観察に、それぞれ有効な観察法で、普通の顕微鏡観察では見えなかったものが見えるようになります。例えば、文化財に付着したカビや細菌の観察、紙や織物の繊維観察、文化財に用いているでんぷん糊や膠などの観察などに威力を発揮します。
赤外線顕微鏡
 赤外線カメラは文化財観察によく用いられますが、その顕微鏡版です。書画等で用いられる墨線やある種の染料がはっきり視認できるようになるため、素材の判別や、絵画の下地の観察などに利用することができます。
 これらの装置を用いて文化財分析を今後も進めていきます。

【図1】新規導入機器の写真

ミクロトーム
生物顕微鏡
赤外線顕微鏡

【図2】名塩雁皮紙の断面

メスで断面出し
ミクロトームで断面出し

メスで断面を出すと、大量に含まれる粘土鉱物が刃物で押されて雁皮繊維を覆い隠し、本来の姿が失われてしまう。ミクロトームで断面を出すと繊維間の隙間が確認され、繊維の中空構造なども損なわれていない。

ノリウツギの安定供給に向けての調査(2)

宇陀紙の紙漉き、標津町のノリウツギが用いられている
越前和紙で用いられるノリウツギ
標津町に大量に自生しているノリウツギ
樹皮を採取する様子(標津町)

 令和4(2022)年12月の活動報告においてノリウツギから採取するネリに関する報告を行いました。本報告はその続報となります。
昨年から、標津町で採取されたノリウツギが各地の紙産地に出荷されるようになり、紙漉きの際のネリとして利用されていますが、ネリが黒変するなどの問題が生じた産地が一部見られました。黒変原因を分析した結果、黒変は、ネリ抽出の際の加熱・外樹皮に含まれるタンニンの混入・防腐剤不使用の三条件が揃って発生することが確認されました。よって、外樹皮を丁寧に取り除くか、防腐剤を少量添加することで黒変を解消できることになります。この成果は文化財保存修復学会第45回大会(国立民族博物館、令和5(2023)年6月24~25日)にて報告済で、多数の質問を頂くなど実り多い発表となりました。
 また、ノリウツギを用いて漉かれる宇陀紙(奈良県吉野郡吉野町)と越前和紙(福井県越前市)の産地を相次いで訪問し(宇陀は3月6日、越前は7月19日)、紙漉き現場の調査を実施しました。いずれの産地でもノリウツギ不足は大きな問題となっており、標津町からの供給には期待しているとのことでした。また、産地によって、あるいは職人によって、ノリウツギのネリの利用方法は様々であることが改めて確認され、要望に合わせた供給方法を検討することが求められます。さらに、7月27日には標津町を訪問し、ノリウツギ樹皮の採取の現場に立ち会い、採取方法の調査や記録撮影等を実施しました。今年はすでに約200kgのノリウツギ樹皮が採取され、各地の紙産地へと出荷が行われています。
 今後もノリウツギの安定供給を目指して活動を続けていきます。

ノリウツギの安定供給に向けての調査

樹皮からネリが採取される。下部の白くなった箇所が樹皮を採取した部位。
東文研内での関係者会議

 文化財修復や伝統工芸等で使用されている和紙は、楮(こうぞ)や雁皮(がんぴ)と言った植物から取り出した繊維を原料としていることはよく知られています。一方で、「ネリ」と呼ばれる物質も必要であることはあまり知られていないかもしれません。ネリを添加しないと繊維がうまく分散せず、漉きあがった紙はムラの多い、地合いの悪いものとなってしまいます。ネリを添加することで繊維が水中で均一に分散し、美しい漉きあがりとなるのです。
 工業的に大量生産される紙の場合はポリエチレンオキサイドなどの合成品がネリとして用いられることがほとんどですが、伝統的にはトロロアオイやノリウツギなどの植物から採取される粘液がネリとして用いられてきました。今でも、特に薄手の和紙においてはトロロアオイやノリウツギ由来のネリが最適とされており、文化財修復に用いられる和紙でも幅広く用いられています。しかし、特にノリウツギについては、野生株の採取に頼っていることや、採取を行う後継者が不足していることなどの問題から、安定した供給が困難になりつつあり、このままでは文化財修復等に用いる和紙を漉くことができなくなりかねません。例えば、掛軸の総裏紙として用いられる宇陀紙はノリウツギから得られたネリを用いて漉かれるため、将来的には掛軸の修復が困難になるような事態も想定されます。
 保存科学研究センターでは文化庁からの受託研究「美術工芸品の保存修理に用いられる用具・原材料の調査」を文化財情報資料部、無形文化遺産部とともに遂行していますが、その中の主要な調査としてノリウツギの安定供給に向けて活動しています。この研究は、北海道および標津町などと連携して行われており、標津町のノリウツギ産地の視察を行ったり、定期的に検討会を開催したりしています。今後もノリウツギの安定供給に向けた支援を行うとともに、ノリウツギから得られるネリがなぜ優れた性能を示すのか科学的に評価していく予定です。

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