研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『TOBUNKEN NEWS (東文研ニュース)』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。

東京文化財研究所 保存科学研究センター
文化財情報資料部 文化遺産国際協力センター
無形文化遺産部


創造美育協会の活動とアーカイブ―第5回文化財情報資料部研究会の開催

教室内の島﨑清海 1950年代撮影
創造美育協会を支えた島﨑は、自ら小学校の教師として図画等を教えていました。
研究会発表の様子

 “創造美育協会”という団体をご存知でしょうか。昭和27(1952)年、児童の個性を伸ばす新しい美術教育を目標にかかげて創設された民間団体で、北川民次や瑛九といった美術家、評論家の久保貞次郎がその設立に深く関わりました。その運動は全国に支部を構えるほどに発展し、戦後の日本美術教育の歴史に大きな影響を及ぼしています。
 令和3(2021)年9月24日に開催された文化財情報資料部研究会では、この創造美育協会の本部事務局長を長年務めた美術教育者の島﨑清海(1923–2015)が遺した資料をめぐって、中村茉貴氏(神奈川県立歴史博物館非常勤(会計年度職員)・東京経済大学図書館史料室臨時職員)に「「創造美育協会」の活動記録にみる戦後日本の美術教育-島﨑清海資料を手掛かりに」の題でご発表いただきました。生前の島﨑より聞き取りを行なっていた中村氏は、その没後も遺された膨大な資料の整理と調査に当たってこられました。発表では創造美育協会の活動記録や刊行物、島﨑に宛てられた書簡などの紹介を通して、同協会が美術教育の他、美術家支援、版画の普及、コレクター育成といった面でも大きな役割を果たしたことが示されました。
 発表後のディスカッションでは、茨城大学名誉教授の金子一夫氏より戦後の美術教育における創造美育協会の位置づけについてコメントをいただきました。その後、島﨑清海資料の今後の保存活用をめぐって所内外の出席者の間で意見が交わされましたが、資料を恒久的に伝える受け入れ機関がなかなか見つからないなど、美術教育を対象とするアーカイブの厳しい現状が議論からうかがえました。研究会では実際の資料の数々を中村氏に持参いただき、出席者の方々にご覧いただく機会を設けましたが、この度の研究会がこうした資料群の重要性を再認識する場となったのであれば幸いです。


文化財の記録作成に関するセミナー「文化財保護と記録作成・画像圧縮の原理」の開催

中野慎之氏による講演
今泉祥子氏による講演

 文化財を扱う博物館・美術館や自治体にとって、文字や写真による文化財や収蔵品の記録作成(ドキュメンテーション)は、調査研究・保存活用のための基礎的なデータを取得する活動です。文化財情報資料部文化財情報研究室では、このような文化財の記録作成の手法や、記録を整理・活用するためのデータベース化に関する情報発信を行っています。その一環として令和3(2021)年9月21日、新型コロナウイルス感染拡大防止対策を講じたうえで、標記のセミナーを東京文化財研究所セミナー室で開催しました。
 セミナーでは、「文化財保護と記録作成」と題して中野慎之氏(文化庁 文化財第一課 調査官(絵画部門))が、文化財保護にとっての記録の意味や、記録作成の際の留意点について、実例とともに豊富な資料に基づいて講演されました。また、シリーズ「ディジタル画像の圧縮~画像の基本から動画像まで~」の第2回として、今泉祥子氏(千葉大学大学院工学研究院准教授)が、ディジタル画像の圧縮とは何か、どのような処理を行うのか、さらに、JPEGやMPEGといった静止画や動画像の代表的な圧縮方式の基本的な技術について、「画像圧縮の概念と基本技術」のタイトルで講演を行いました。
 新型コロナウイルス感染拡大により文化財にアクセスしづらくなっている現在、文化財の調査研究や鑑賞の機会を確保するための記録作成の意義はますます大きくなっています。私たちは今後も講義形式やハンズオン形式のセミナーを通じて、文化財に関する記録の作成や記録の保存・発信に役立つ情報を発信していきます。


「文化財修復技術者のための科学知識基礎研修」の開催

実験器具の取り扱いに関する講義

 保存科学研究センターでは、文化財の修復に関して科学的な研究を継続してきています。令和3(2021)年度より、これらの研究で得た知見を含めて、文化財修復に必要な科学的な情報を提供する研修を開催することになりました。対象は文化財・博物館資料・図書館資料等の修復の経験のある専門家で、実際の現場経験の豊富な方を念頭に企画されました。
 令和3(2021)年9月29日より10月1日までの三日間で開催し、文化財修復に必須と考えられる基礎的な科学知識について、実習を含めて講義を行いました。文化財修復に必要な基礎化学、接着と接着剤、紙の化学、生物被害への対応などの内容であり、東京文化財研究所の研究員がそれぞれの専門性を活かして講義を担当しました。
定員15名のところ、全国より44名のご応募を頂きましたが、新型コロナ感染拡大の状況を考慮し、対象を東京都内に在住・通勤の方のみと限定し、その中から専門性などを考慮して15名の方にご参加頂きました。
 開催後のアンケートでは、参加者の方達から、非常に有益であったとの評価をいただきました。今後さらに発展的な修復現場に関する科学的情報のご要望もいただき、これらのご意見を踏まえながら今後も同様の研修を継続する予定です。


伊藤延男氏関係資料の受贈

文化財保護委員会時代の伊藤氏(左から3人目、周りは建造物課職員及び修理技術者の各氏とその家族:右端は伊藤氏の前に建造物課長(1966-1971)を務めた日名子元雄氏、その左隣は当研究所の修復技術部長(1988-1990)を務めた伊原恵司氏)

 去る令和3(2021)年9月13日、昭和53(1978)年4月から同62(1987)年3月までの9年間にわたって東京国立文化財研究所の所長を務めた故伊藤延男氏が所蔵されていた文化財保護行政業務等に関する資料一式が、ご子息である伊藤晶男氏から当研究所に寄贈されました。伊藤延男氏は、戦後の文化財保護の発展を牽引した行政技官・建築史研究者で、特に昭和50(1975)年の文化財保護法の改正で新設された伝統的建造物群保存地区の制度設計では文化庁の建造物課長(1971-1977)として中心的な役割を果たしました。また、我が国の文化財建造物の保存理念と修理方法を積極的に海外に向けて発信し、西欧由来の保存概念であるオーセンティシティが国際的に展開するきっかけとなった平成6(1994)年11月の「オーセンティシティに関する奈良会議」を主導するなど文化財保護の国際分野にも大きな足跡を残しています(詳しくは末尾に掲載した記事をご参照ください)。
 今回、受贈した資料は、伊藤氏が業務として携わった文化財保護の行政実務及び国際協力の一次資料を中心に、建築史及び文化財に関する研究活動や民間活動の諸資料、執筆原稿など多岐にわたります。これらは生涯を通じて旺盛であった同氏の活動を通じて蓄積されてきたもので、体系的に収集、整理されたものではないため、現段階では詳細な情報が明らかではないものが多く含まれていることも確かです。しかし、できるだけ早く資料そのものを必要とする研究者等の閲覧に供することが重要との考えから、資料全体を活動内容で大きく分類し、個々の資料の機械的な整理を終えた段階で公開していく予定です。
 受贈資料の中から、若かりし日の伊藤氏が文化財保護委員会事務局建造物課の同僚らとともに写った写真を紹介します。左から3人目が伊藤氏で、同氏の風貌や同封されていた他の写真との関係から、同氏が文化財調査官として現場で活躍していた昭和40(1965)年頃の撮影と思われます。年報や報告書に載るようなかしこまった写真からはなかなか感じ取ることができない、この写真に写る面々の生き生きとした屈託のない笑顔からは、文化財保護行政もまた高度経済成長の右肩上りの時代の空気とともにあったことが伝わってくるようです。

・斎藤英俊:伊藤延男先生のご逝去を悼む,建築史学 66巻,pp.148-159, 2016:https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsahj/66/0/66_148/_article/-char/ja/
・伊藤延男,日本美術年鑑 平成28年版,pp.557-558, 2018:https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/809181.html


「国際研修におけるIT技術導入のための実証実験」の実施

実習の様子
サテライト会場の様子

 東京文化財研究所では、日本の紙本文化財の保存と修復に関する知識や技術を伝えることを通じて各国における文化財の保護に貢献することを目的として、平成4(1992)年よりICCROM(文化財保存修復研究国際センター)との共催で国際研修「紙の保存と修復」(JPC)を実施してきました。この研修では例年、海外より10名の文化財保存修復専門家を招聘してきましたが、新型コロナウイルス感染症の世界的感染拡大の影響により昨年度に続いて本年度も開催中止を余儀なくされました。このような状況を受け、大半が実技実習で構成されるJPCのような研修について、オンライン開催の可能性を探るとともにその実現に向けての課題を明らかにするため、令和3(2021)年9月8日から15日にかけて、「国際研修におけるIT技術導入のための実証実験」を実施しました。
 実験に先立ち9月1日に、紙本文化財の主要な修復材料である「糊」と「紙」の基礎的な知識についての講義を、ライブ配信とオンデマンド配信を併用してオンラインで行いました。実習は、当研究所職員5名を模擬研修生として、対面会場とサテライト会場の2会場で行いました。対面会場に国の選定保存技術「装潢修理技術」保持認定団体の技術者を講師として迎え、サテライト会場とライブ中継しながら紙本文化財を巻子に仕立てるまでの修理作業を実習しました。最終日の意見交換会では、ICT機器を活用する利点が認識された一方、受講生が事前に一定の基礎知識や経験を得ていることの必要性、画面越しでの技術指導の限界、ネットワーク環境や機材に起因するトラブルへの対応の難しさ等、オンラインでの実技実習をめぐる様々な課題点も浮き彫りとなりました。


スタッコ装飾及び塑像に関する研究調査(その2)

平成29(2017)年に修復を終えたミケランジェロ作の塑像 『河の神』 “Dio Fluviale”
17世紀のスタッコ装飾例(サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂)

 文化遺産国際協力センターでは、令和3(2021)年度より、運営費交付金事業「文化遺産の保存修復技術に係る国際的研究」の一環として、スタッコ装飾に関する研究調査を行なっています。令和3(2021)年9月11日には、スタッコ装飾の保存に携わる欧州の専門家に参加いただき、第2回目となる意見交換会を開催しました。
 意見交換では、粘度調整やひび割れ抑制のための工夫として、日本で漆喰壁の需要が高まった江戸時代から調合されるようになった海藻のりや紙スサの利用に注目が集まりました。スタッコ装飾の長い歴史をもつ欧州においても同様に、これまで様々な創意工夫が行われてきましたが、日本とは異なる材料が使われています。このことから、特定の時代において各国や地域で利用されていた添加剤を本研究調査における比較対照項目に追加し、データベース化していくことが決まりました。
 またこれに関連して、様々な添加剤に含まれる成分が、化学的にどのように作用することで効果をもたらすのかという点についても研究を進めていく予定です。制作に用いられた素材やその性質、さらには制作時の技法は、その後の経年劣化や破損の様相にも大いに影響してきます。適切な保存修復方法を導き出すためにも、こうした研究は大変重要だといえます。
 本研究調査はスタッコ装飾に焦点を当てる形でスタートしましたが、その歴史を紐解いていくと塑像とも密接に関係していることがみえてきました。今後は、素材や制作技法に共通性が多くみられるこれらの文化財も視野に入れながら、その適切な保存と継承の方法について考えていきたいと思います。


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