研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『TOBUNKEN NEWS (東文研ニュース)』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。

東京文化財研究所 保存科学研究センター
文化財情報資料部 文化遺産国際協力センター
無形文化遺産部


「能面」「扇面」に関する16世紀史料についての研究報告—第1回文化財情報資料部研究会の開催

研究会風景

 日本美術史のみならず日本文化史において、「能面」や「扇面」は、古来の宗教性や祝儀性にかかわる重要な研究対象です。令和4(2022)年4月15日開催の第一回文化財情報資料部研究会では、大谷優紀(文化財情報資料部・研究補佐員)より「早稲田大学會津八一記念博物館所蔵「べしみ」面に関する一考察」についての研究発表が行われました。
 本作例は、豊後国臼杵藩主稲葉家伝来で、「酒井惣左衛門作」等の刻銘が確認できるものです。関連作例として岐阜・長滝白山神社所蔵翁面、広島・嚴島神社所蔵翁面があり、それらと「べしみ」面との奉納時期が接近していることや、願主が同一名であることが注目されます。大谷氏は「べしみ」面について、室町時代の奉納面としての造形性を考察し、のちの長霊癋見(ちょうれいべしみ)面の型への過渡期に制作されたものと位置づけました。本発表では、コメンテーターに浅見龍介氏(東京国立博物館)をお招きし、能面研究の重要性と課題についてうかがい、さらに本作例の制作者については、地方性や受容者の問題についてのご指摘をいただきました。
 つづいて、小野真由美(文化財情報資料部・日本東洋美術史研究室長)より「『兼見卿記』にみる絵師・扇屋宗玖」についての研究報告が行われました。『兼見卿記』は吉田神社の祠官であった吉田兼見(1535-1610)の日記で、当時の公家や戦国武将の動向を今日に伝える貴重な史料です。兼見をとりまいた人々の中から、日記に十数回にわたって登場する狩野宗玖という絵師に着目し、これまで知られてこなかった公家と扇屋との交友を読み解きました。兼見は、織田、豊臣、前田家などへの贈答品に宗玖の扇面を用いています。さらに、みずからの晩餐や酒席に招くなど、昵懇の関係をむすんでいました。これらから、この時期の扇屋という絵師の重要性や職性について新たな考察を加えました。


絵金屛風の調査撮影

調査撮影の様子
絵金蔵における複製屛風の展示

 高知県香南市赤岡町には絵金として知られる弘瀬金蔵(1812−76)が描いた芝居絵屛風が23点伝えられており、高知県保護有形文化財に指定されています。通常は絵金蔵という展示収蔵施設で保管されています。絵金屛風の魅力は人気のある歌舞伎のドラマティックな場面を躍動感に溢れる構図と色鮮やかな絵具で描いていることにあります。このうち18点の屛風は赤岡町北部の須留田八幡宮に奉納されたもので、江戸時代末期から須留田八幡宮神祭で屛風が並べられてきました。また昭和52(1977)年からは赤岡町の人々によって商店街に芝居絵屛風を並べる絵金祭が開催されてきました。この2年は新型コロナウイルス感染症拡大の影響で残念ながらお祭りは中止されていますが、地域に根ざした特別な文化財として親しまれています。平成22(2010)年に不慮の事故により5点の屛風が変色してしまいましたが、東京文化財研究所ではこれらの屛風についての保存修理に関する調査研究を実施し、安定化処置が行われました(2017年4月の活動報告を参照 https://www.tobunken.go.jp/materials/katudo/243905.html)。その後、18点の屛風についても経年劣化が進行していたため、絵金蔵運営委員会および赤岡絵金屛風保存会によって保存修理事業が進められています。当研究所では、この事業推進にあわせて絵金屛風の彩色材料調査を行っています。令和4(2022)年4月15・16日に絵金蔵を訪問し、これまでに修理が完了した18点の屛風について、高精細カラー撮影による作品調査を行いました。今年度末には全ての作品の保存修理が完了する予定で、完了後には調査報告書の刊行も計画しています。


等覚寺の松会の実施状況調査‐新型コロナウイルス感染症と無形民俗文化財の公開‐

行事前日の事前練習での一幕
神社に塩かきから戻ったことを報告

 無形文化遺産部では、令和4(2022)年4月16日~17日に福岡県苅田町等覚寺地区の「等覚寺の松会」の現地調査を行いました。「等覚寺の松会」は、福岡県苅田町等覚寺地区に伝わる民俗行事です。地区では、過疎化や高齢化といった行事の存続における課題を抱えながらも、行事を後世に存続するために、苅田町教育員会との連携の下、積極的に映像記録や報告書の作成に取り組んできました。
 地区に所在した普智山等覚寺は、明治の廃仏毀釈までは豊前六峰と呼ばれた九州地方の修験道の拠点の一つでした。修験者の子孫と伝わる地区の人々を中心に、毎年4月上旬に五穀豊穣、疫病退散、国家安泰を祈願する「等覚寺の松会」が行われます。松会では、神幸行列の他、獅子舞の奉納や、稲づくりの様子を模擬的に演じる「田行事」、鉞や長刀を用いて所作をする「刀行事」が行われ、行事の最後には、会場に設置された12メートルもの高さの柱に登り、祈願文の読み上げと、大幣を真剣で切り落とす「幣切り」が行われます。
 全国の民俗行事と同様に、「等覚寺の松会」も、新型コロナウイルス感染症の拡大によって大きな影響を受けることとなりました。過去の行事は2年にわたって中止となり、今年度の行事についても旧来どおりの方法での実施は見送られています。今回の調査は、昨年度、苅田町教育委員会から、これまで撮影された映像記録や写真の保管方法や今後の活用に関するご相談を受けたことが契機となって実施されたものです。当初は、記録された行事の実態確認を想定しておりましたが、行事形式を変更しての開催が決定されたため、結果として、新型コロナウイルスの流行が無形の文化財に与える影響を考えさせられる調査となりました。過去2年間、無形文化遺産部では、新型コロナウイルスが無形文化遺産に与える影響に注目してきました。感染症の流行によって暫定的な方法や中止を受け入れざるをえなかった各地域の民俗行事や民俗芸能が、今後、どのように継承されていくのかについて、引き続き調査を進めていきたいと考えます。


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