研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『TOBUNKEN NEWS
(東文研ニュース)』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。
■東京文化財研究所 |
■保存科学研究センター |
■文化財情報資料部 |
■文化遺産国際協力センター |
■無形文化遺産部 |
|
フランス留学中の久米桂一郎(左)と黒田清輝
明治28(1895)年4月1日付久米桂一郎宛黒田清輝書簡の一部。結婚したばかりの黒田が、フランス語を交えて自身の結婚観を綴っています。
洋画家の黒田清輝(1866~1924年)と久米桂一郎(1866~1934年)は、ともにフランスでアカデミズムの画家ラファエル・コランに画を学び、アトリエを共用するなど交遊を深めた仲でした。帰国後も、二人は新たな美術団体である白馬会を創設、また美術教育や美術行政にも携わり、日本洋画界の刷新と育成に尽力しています。
久米桂一郎の作品と資料を所蔵・公開する久米美術館と、黒田清輝の遺産で創設された当研究所は平成28(2016)年度より共同研究を開始し、その交遊のあとをうかがう資料の調査を進めています。なかでも二人の間で交わされた書簡は、公私にわたり親交のあった彼らの息吹を伝える資料として注目されます。令和元(2019)年12月10日に開催された第7回文化財情報資料部研究会では、「黒田清輝・久米桂一郎の書簡を読む」と題して、塩谷が久米宛黒田の書簡について、久米美術館の伊藤史湖氏が黒田宛久米の書簡について報告を行いました。
今回の調査の対象となった書簡は、彼らが留学より帰国した後の明治20年代後半から大正時代にかけて交わされたものです。当時の書簡で一般的に用いられていた候文ではなく、口語体の文章で制作の近況や旅先の印象を伝えあい、時には身内に解らないようにフランス語を交えて内心を吐露したりしています。また明治43(1910)年から翌年にかけて、久米が日英博覧会出品協会事務取扱のため渡英した際の書簡では、博覧会の様子や師コランとの再会、現地の画家との交流等について詳細に報告され、当時の洋画家のネットワークをうかがい知る資料ともなっています。
発表後は、書簡の翻刻にあたりご尽力いただいた客員研究員の田中潤氏と齋藤達也氏も交え、意見交換を行いました。本研究の成果は、次年度刊行の研究誌『美術研究』に掲載する予定です。
報告の様子(参加者の内訳)
文化財の目録は、博物館・美術館・資料館などの展示収蔵施設や自治体にとって最も重要な情報の一つであり、文化財の調査研究、保存管理はもちろんのこと、展示や貸出など活用の計画を立てるための基礎的な情報ともなります。また、文化財の視覚的な情報を記録した写真も調査研究のための資料であるとともに、目録とともに管理することで、文化財及び関連の情報のより適切な保存や活用を可能とします。このように、文化財の記録の作成や、作成した記録のデータベース化は、文化財の保存と活用に必須といえますが、予算や技術面での制約などから困難を感じる関係者も多いようです。そこで、文化財情報資料部では、令和元(2019)年12月2日に標記のセミナーを開催しました。
セミナーでは、文化財の記録作成及びデータベース化の意義について実例を交えて述べるとともに、文化財情報資料部文化財情報研究室が近年取り組んでいる、無償で提供されているシステムを用いた文化財データベースの構築について紹介しました。また、同研究室画像情報室から、文化財に関する情報を記録する手段としてのさまざまな写真の撮影について、その考え方と具体例を紹介しました。
当日は、文化財の保存や活用の実務に携わる方を中心に、120名余りのご参加を賜りました。また、参加者から日常業務に関連した多くのご質問を頂戴したことからも、このテーマに対する関心が非常に高いことを実感しました。初回である今回は包括的な内容としましたが、今後は、より具体的なテーマを設定したセミナーや、実習形式のワークショップなど、多角的な情報発信を展開していく予定です。
研究会の様子
令和元(2019)年12月24日に開催された第8回文化財情報資料部研究会では、東海大学非常勤講師の林佳美氏が「日本中世のガラスを探る—2018・2019年度の調査をもとに—」という題目で発表されました。
氏は長年東アジアのガラス史について取り組んでおいでですが、今回の発表は学位論文をまとめられた後の平成30(2018)年度より始められた日本国内で出土する13世紀から16世紀のガラス製品の集成と実見調査による成果の一端についてお話いただいたものです。日本の中世のガラスについてはこれまでほとんど作例が知られていなかったことによりその実態はほぼまったく不明でした。しかし近年、文献記録やこれまで知られていた資料に加え、京都や博多などでのこの時期に前後する出土品が知られるようになったことなどにより、今後の位置付けが期待されるようになっています。林氏は、13世紀から16世紀の日本出土ガラスの研究課題として①全体像の把握、②製作地の判別、③通史的・広域的視野からの考察の3点を示したうえで、これまでに行われた伝世資料や出土資料への検討作業によって得られたガラス器の製作技術や由来などに対する具体的な見解を示されました。
また今回の研究会では、ガラス工芸学会の理事である井上曉子氏にもコメンテータとしてご参席いただき、研究者の少ないなかで地道に進められているガラス史研究の最前線についてのさまざまな話題や議論が行われました。
総合討議の様子
令和元(2019)年12月20日に第14回無形民俗文化財研究協議会が「無形文化遺産の新たな活用を求めて」をテーマに開催され、行政担当者、研究者、保護団体関係者など、約170名の参加を得ました。
文化財保護法の改正により、昨今、文化財の活用が広く叫ばれるようになりました。また令和2(2020)年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて、無形文化遺産を活用した様々な文化プログラムも実施・計画されています。しかしながら、無形文化遺産をどのように活用するのか、そもそも活用すべきなのかの議論は、十分に行われていません。一方で、多くの無形文化遺産が消滅の危機にあり、継承に資するための新たな活用の途が模索されています。
そこで今回は様々な地域、立場の4名の発表者にお越しいただき、ふるさと納税制度や伝統文化親子教室事業などの既存の制度を活かした活用の在り方、地域を越えたネットワーク構築による活用の在り方、映像等によって一般社会へ魅力を伝えていくための活用方法などについて、具体的な事例を交えて報告をいただきました。その後、2名のコメンテータとともに総合討議を行い、活発な議論が交わされました。
協議会のすべての内容は令和2(2020)年3月に報告書として刊行し、後日、無形文化遺産部のホームページでも公開する予定です。
代表一覧表に記載された「ドミニカのバチャタの音楽と舞踊」(ドミニカ共和国)の実演
令和元(2019)年12月9日から14日にかけて、コロンビアの首都ボゴタにてユネスコ無形文化遺産保護条約第14回政府間委員会が開催され、本研究所からは2名の研究員が参加しました。
今回の委員会では、日本から提案された案件はありませんでしたが、「緊急に保護する必要のある無形文化遺産の一覧表(緊急保護一覧表)」に5件、「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表(代表一覧表)」に35件の案件が記載され、「保護活動の模範例の登録簿(グッド・プラクティス)」に2件の案件が登録されました。その中には、ドミニカ共和国の「ドミニカのバチャタの音楽と舞踊」、タイの「ヌア・タイ、伝統的なタイのマッサージ」、サモアの「イエ・サモア、ファインマットとその文化的価値」(以上、代表一覧表)、コロンビアの「平和構築のための伝統工芸の保護戦略」(グッド・プラクティス)などが含まれています。中でもコロンビアの「平和構築のための伝統工芸の保護戦略」は、麻薬組織との長年にわたる戦いが終結し、国が復興していく上で無形文化遺産が積極的な役割を果たしていることを示す事例として、国際的にも注目されるものでした。
一方で今回の委員会では初めて、一覧表に記載された案件が抹消される決議もなされました。ベルギーの「アールストのカーニバル」(代表一覧表)は、カーニバルで用いられるフロート(山車)に、ユダヤ人を茶化したモチーフや、ナチスを想起させるようなモチーフが繰り返し使われ、各方面からの抗議に対しても関係コミュニティは「表現の自由」を根拠に従いませんでした。そのため、無形文化遺産保護条約の精神に反し、代表一覧表の記載基準を満たさなくなったという理由により、その抹消が決議されました。たとえ文化的な活動や実践であっても、人種差別を肯定するものは許さないという国際社会の意思が示された場面でした。
無形文化遺産はその使い方によっては、人々に勇気や誇りを与え、また異なる文化の人々の対話をうながす力となり得ますが、一方で自らの文化的優位性を強調し、他者を否定したり排除したりする力ともなり得ます。無形文化遺産が政治的に利用されることに警鐘を鳴らし、それが平和や相互理解のために用いられるように促すことも、私たち専門家に求められる役目であると感じました。
国際研究者フォーラムの参加者
令和元(2019)年12月17日、18日に、国立文化財機構アジア太平洋無形文化遺産研究センター(IRCI)主催と文化庁が主催する国際研究者フォーラム「無形文化遺産研究の展望―持続可能な社会にむけて(Perspectives of Research for Intangible Cultural Heritage: Toward a Sustainable Society)」が本研究所で開催されました。本研究所は共催機関として、本フォーラムの企画から運営まで全面的に協力しました。
本フォーラムの目的は、無形文化遺産がいかに持続可能な開発目標(SDGs)の達成に貢献できるかを議論することです。SDGsとは、2001年に策定されたミレニアム開発目標(MDGs)の後継として、2015年9月の国連サミットで採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」にて記載された2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す国際目標です。17のゴール・169のターゲットから構成され、地球上の「誰一人取り残さない(leave no one behind)」ことを誓っています。 SDGsは発展途上国のみならず、先進国自身が取り組むユニバーサル(普遍的)なものであり、日本としても積極的に取り組んでいるものです。
本フォーラムでは、とりわけ無形文化遺産と関連があるものとして「開発目標4. すべての人々への、包摂的かつ公正な質の高い教育を提供し、生涯学習の機会を促進する」と「開発目標11. 包摂的で安全かつ強靭(レジリエント)で持続可能な都市及び人間居住を実現する」が取り上げられました。そしてそれに対応する三つのセッションが立てられました。セッション1「まちづくり―無形文化遺産と地域振興(Community Development: ICH and Regional Development)」では、おもに無形文化遺産を通じた地域の文化、社会、経済の振興について議論されました。続くセッション2「まちづくり―環境と無形文化遺産(Community Development: Environment and ICH)」では、おもに無形文化遺産を通じて都市景観や自然環境を守る取り組みについて議論されました。さらにセッション3「人づくりからまちづくりへの提言(Discussion from Education Perspective)」では、上のふたつのセッションの議論を踏まえて、おもに教育の観点から無形文化遺産がどのような貢献が出来るかについて議論されました。最後にこれらのセッションを通したディスカッションがなされました。
本フォーラムには、国内から10名、アジア太平洋地域から10名の専門家が登壇しました。今回の登壇者の多くは文化遺産や教育に関する専門家でしたが、そのうちの数名は自身が無形文化遺産の伝承者・実践者であったことも注目すべきことでした。そのうち、自身はミクロネシアとグアムとフィリピンにルーツを持ち、現在はミネソタ大学で教鞭をとるヴィンス・ディアス(Vince Diaz)教授の話は印象的なものでした。彼は現在、太平洋地域のカヌー文化の復興に取り組んでいるのですが、「太平洋の先住民にとっては自然と人間は一体のものであり、自然を守るということは人間が人間らしく生きていくことと同じである。カヌーは自然と人間をつなぐもののひとつであり、カヌー文化の復興は自然を守るだけでなく私たちが人間らしさを取り戻していくプロセスでもある」という趣旨の話をされました。伝統的な知識や世界観の中にこそ、SDGsを達成するための知恵があることを示唆しています。
無形文化遺産は、グローバル化や現代化の波の中で危機に瀕するものが多いことは確かです。しかし一方で、そうした波の中で失われていったものを回復する力の源泉にもなりうるものだと思います。SDGsを通じて、そうした無形文化遺産の積極的な側面に光を当てることになった本フォーラムは意義深いものであり、国際的に発信していく内容のものであったと感じました。
クリーニングの実習
海外の美術館や博物館に所蔵されている日本の漆工品の保存と活用を目的として、令和元(2019)年12月2日から6日にかけて、ケルン市博物館東洋美術館(ドイツ)にてワークショップ「漆工品の保存と修復」を開催しました。東京文化財研究所は、同美術館の協力のもと平成19(2007)年より本ワークショップを毎年実施しています。本年は、作品の保管や取り扱いにおいて必要となる知識や技術を中心とした基礎編を実施し、欧米より6名の保存修復技術者が参加しました。
講義では、漆の化学的性質、漆工品の構造や主な加飾技法、劣化と損傷、適切な保管環境などについて取り上げました。木地に漆を塗布する実習も行い、参加者が漆の性質をより深く理解できるよう努めました。また、日本における保存修復の事例を紹介し、修復の理念や技術について解説をしました。加えて、損傷部分の養生やクリーニングといった応急的な処置の実習も行いました。最終日の質疑応答では漆塗膜表面の劣化や損傷、その処置方法などについて活発な意見交換がなされました。
このように、漆工品やその保存修復のための材料と技術に関する基礎知識を海外の保存修復専門家に伝えることによって、国外にある漆工品がより安全に保存され、活用されていくことを期待しています。
ICCの様子
動的コーン貫入試験の様子
東京文化財研究所では、カンボジアにおいてアンコール・シエムレアプ地域保存整備機構(APSARA)によるタネイ寺院遺跡の保存整備事業に技術協力を行っています。令和元(2019)年12月1日から21日にかけて、アンコール遺跡救済国際調整委員会(ICC)における同遺跡東門解体工事の経過報告と、同門基壇部や床面にみられる不同沈下の原因調査のため、職員および外部専門家計6名の派遣を行いました。
12月10から11日にAPSARA本部で開催されたICCでは、同機構のセア・ソピアルン氏とともに報告を行い、4名の専門委員による現地調査結果も含めて、解体時の調査成果を活用しながら今後の修復工事を進めていくことが承認されました。また、APSARA機構担当者やカンボジア国内外の専門家と意見交換を行い、最新の情報を収集しました。
不同沈下の原因調査では、旧地表面を検出した後、東門基底部の状態確認のため、南東入隅と北西入隅の2カ所を基礎下端まで掘り下げました。その結果、同門基礎は整形の粗い砂岩の外装とラテライトの下地、内部の盛土で構成されていることが確認できました。また、基礎全体が肌理の細かい砂による人工の土層の上に据えられていることが確認されました。この砂層は、建物の建設に伴う基礎安定化のための地業層と考えられ、他の寺院遺跡でも同様の事例が報告されています。
また、床面の石材を部分的に取り外し、東京大学生産技術研究所・桑野玲子教授らの協力のもと、動的コーン貫入試験装置を用いた基礎盛土の耐力調査を行いました。その結果、外装下地のラテライトの脆弱性および基礎盛土の強度が場所によって異なることがわかり、それが不同沈下の原因の一つと推測されます。
今回得られた調査成果を基に、東門の本格的な修復へ向けて、基礎構造の改善方法等を検討していきます。