アンコール・タネイ遺跡保存整備のための現地調査XVIII-中央伽藍前十字テラスの保存修復に向けた予備調査



タネイ遺跡は12世紀末から13世紀初頭の建立と推測される仏教寺院で、その中央伽藍の正面にあたる東側には大型の矩形テラスと十字テラスが並んでいます。同時代の他寺院でも伽藍正面には大型テラスが認められますが、矩形テラス前に十字テラスが接続する構成は珍しく、タネイ寺院の性格を考える上でも重要な遺構と言えます。しかし、テラス上に生えた樹木の根やテラス内部を構成する盛土層の不等沈下により、とくに十字テラスの崩壊が著しい状況にあります。
そこで文化遺産国際協力センターでは、令和6(2024)年11月末から12月下旬にかけて職員4名を派遣し、今後の保存修復方法の検討に向けた予備調査として、カンボジア政府APSARA機構の考古スタッフとの協働による十字テラスの発掘調査を開始しました。併せて、崩壊原因を解明するための内部構造調査や破損調査、崩落した石材の残存状況調査を実施し、今後の修復手法に関する基礎的検討を行いました。
発掘調査の結果、周囲の堆積土中からかつて十字テラスを構成していたと考えられる多数の散乱石材を検出したほか、基礎地業層やテラス内部の構造の一端が明らかになりました。一方、テラス基底部の現状レベルを確認したところ、とくに南北の翼端部に向かう沈下が認められるものの、基底部自体は比較的健全な状態を保っていることがわかりました。これに対して、テラス東翼の南北辺や南翼付近では側壁や床材が多くの箇所で失われており、砂を主体とする内部盛土が流出している状況が確認されました。散乱石材の中からはテラス側壁中段に比定される部材がほとんど見つかっておらず、いつの時代かにこれらの石材が人為的に持ち去られた可能性が考えられます。こうした観察結果をもとに十字テラスの修復方法をAPSARA職員とともに検討し、修復の基本方針や今後の進め方について概ね合意に達しました。
これと並行して、同年8月までに部分修復を実施した中央塔東西入口部について(XVI-XVII次現地調査)、若干の追加的石材修復作業を行いました。さらにこの間、12月11日から13日にはシエムレアプ市内で国際調整委員会会合(ICC-Angkor/Sambor Prei Kuk)が開催され、中央塔入口部の修復完了と中央伽藍前十字テラスの調査内容について報告しました。
バーレーンおよびサウジアラビアの文化遺産保存状況に関する調査


文化遺産国際協力センターでは、文化遺産保存状況の調査ならびに関連協議のため、令和6(2024)年10月上旬にバーレーンとサウジアラビアへ調査団を派遣しました。
このほど、バーレーン文化古物局と東京文化財研究所、金沢大学古代文明・文化資源学研究所の三者は協力協定を締結し、新たに「バハレーン・アラビア湾岸考古学・文化遺産研究センター」を立ち上げ、同国の考古学研究と文化遺産保護事業を共同で進めていくことで合意しました。今回のバーレーン訪問のおもな目的は、年初の大雨による影響を受けた遺跡の状況調査です。カラートゥ・ル=バーレーン遺跡では、浸水による砦外壁の崩壊や、ナツメヤシ材を用いた天井梁の顕著な撓みが確認され、一時的に観光客の立ち入りが制限されていました。また、バルバル神殿遺跡では、最も神聖な場所であったと思われる井戸状遺構に砂が流入し、基礎の洗堀等によって複数の石材が傾斜・移動していました。このように、気候変動による年間降水量の増大に伴い、それによる文化遺産への影響が中東・湾岸地域では年々深刻化しています。数年前に採られた記録と現状を比較して劣化の進行を定量的にモニタリングすることを提案し、影響軽減の対策案について協議しました。
一方、サウジアラビアでは、令和6(2024)年9月に世界遺産に新規登録されたばかりのアル・ファウ遺跡をテーマとして首都リヤドで開催されたシンポジウムに出席し、続いて遺跡現地も見学しました。イスラーム以前の交易都市の遺構を中心としたアル・ファウ遺跡は、祭祀遺構や主に青銅器時代に築かれた多数の古墳も含む広大かつ多面的な遺跡ですが、発掘調査はまだ全体の数%しか完了していません。今回の訪問では文化遺産庁とも意見交換を行い、今後の公開に向けた史跡整備のなかで必要な支援ができるよう、協議を継続することを確認しました。
アンコール・タネイ遺跡保存整備のための現地調査XVI-XVII-中央塔保存修復のための技術協力


カンボジアの世界遺産・アンコール遺跡群の北東部に位置するタネイ遺跡は、12世紀末から13世紀初頭に建立されたと考えられている仏教寺院で、高さ約15mの中央塔は、一部が崩壊しているものの、仏教モチーフの装飾が刻まれたペディメントが四方に配され、内部には本尊の仏像が据えられていたと思われる台座も残っています。
その各面の入口枠は上下左右の4辺がそれぞれ大きな砂岩材で構成されていますが、東西面ではともに上枠が折れているなど破損・変形が進行して危険なため、ながらく木製のサポートで支持されていました。今回、この中央塔の東西入口まわりを構造的に安定させるとともに、木製のサポートを撤去することで、訪問された方々により本来に近い寺院の姿を眺めながら伽藍中軸線上を安全に歩いていただけるよう、入口枠とこれに隣接する範囲を対象に部分的な修復作業を実施しました。
修復に先立って、令和6(2024)年3月開催の国際調整委員会会合にて計画が提案、承認されました(前稿を参照)。その後、6月からアンコール・シェムリアップ地域保存整備機構(APSARA)の主導のもと、現場作業が開始されました。東京文化財研究所は、本修復事業への技術協力の一環として、令和6(2024)年6月15日~7月2日に2名(XVI次現地調査)、8月7日~11日に1名(XVII次現地調査)を派遣し、APSARA職員と協力して作業を行いました。具体的には、①中央塔入口の構成石材および周辺散乱石材の解体・移動前記録、②部分解体、③石材修復、④再構築、⑤修復後記録、の手順で進行し、8月派遣時に無事に修復が完了しました。
ブータンの文化遺産指定民家修復に向けた部材調査


東京文化財研究所では、平成24(2012)年以来、ブータン内務省文化・国語振興局(DCDD)と協働して、同国の伝統的民家建築に関する調査研究を継続しています。同局では、従来は法的保護の枠外に置かれてきた伝統的民家を文化遺産として位置づけ、適切な保存と活用を図るための施策を進めており、当研究所はこれを研究・技術面から支援しています。
これまでに全国で80棟ほどの古民家を調査してきた中でも最古級と目されるのが、首都ティンプー市近郊のカベサ集落に所在するラム・ペルゾム邸です。土を版築して造られた外壁にほとんど開口部がないきわめて閉鎖的な建物で、今日一般的なブータンの民家とは大きく異なる特徴などから、建設時期は少なくとも18世紀代まで遡るものと考えています。
平成25(2013)年に調査した時点で既に荒廃が進んでいましたが、上階床や屋根などの木造部分が平成29(2017)年に全崩壊するに至り、これを受けて、建物内部に散乱した部材の回収ならびに格納作業を実施し、残った外壁の構造体を保護するための仮屋根の設置も行われました。コロナ禍により現地活動が中断する間に本物件を文化遺産として保護するための手続きが進められ、令和5年(2023)年に民家建築としては初の遺産指定が実現しました。
このたび、令和6(2024)年8月12日~23日にかけて、当研究所職員2名に外部専門家2名を加えた4名を日本から派遣し、DCDD職員らとともに、本建物の修復に向けた部材調査を実施しました。以前の格納作業にも携わったマルティネス・アレハンドロ氏(京都工芸繊維大学助教)が各部材の使用部位を同定する作業に加わる一方、日本の木造文化財建造物修理に豊富な実績を有する鳥羽瀬公二氏(日本伝統建築技術保存会会長)が部材ごとに再使用の可否と修理方法の検討を行い、この作業には歴史的建造物修理に従事するブータンの大工棟梁9名が参加しました。調査中にはツェリン内務大臣が現場視察に訪れたほか、国営テレビや新聞の取材を受けるなど、この取り組みには強い関心が寄せられています。得られたデータをもとに引き続き、オーセンティシティの保存に最大限配慮した全体修復計画の検討を進めるとともに、DCDD側での実施予算確保に向けた工費積算等の作業を支援していきます。
本調査は、科学研究費助成金基盤研究(B)「ブータンにおける伝統的石造民家の建築的特徴の解明と文化遺産保護手法への応用」(研究代表者 友田正彦)により実施しました。
ブータン東部地域の伝統的民家に関する建築学的調査


東京文化財研究所では、平成24(2012)年以来、ブータン内務省文化・国語振興局(DCDD)と協働して、同国の伝統的民家建築に関する調査研究を継続しています。同局では、従来は法的保護の枠外に置かれてきた伝統的民家を文化遺産として位置づけ、適切な保存と活用を図るための施策を進めており、当研究所はこれを研究・技術面から支援しています。
今年度第1回目の現地調査を5月11日~23日にかけて行いました。当研究所職員3名に外部専門家2名を加えた5名を日本から派遣し、DCDD職員2名とともに、おもにタシガン・タシヤンツェの東部2県における石造民家調査を実施しました。
今回対象とした地域は、昨年の同時期に既に訪問しており、その際に調査した3集落で継続調査を行ったほか、新たに3つの集落で調査を行いました。
最初に訪れたタシヤンツェ県キニ集落では既調査3棟の補足と新規2棟を合わせて同集落内でとくに古いとみられる民家全てについて実測や家人への聞き取りを含む詳細調査を完了しました。
次に、タシガン県メラ郡のメラ、ゲンゴ両集落では、補足1棟、新規6棟の調査を行いました。いずれも妻入の平屋で、小屋裏の正面側一部を木造外壁の居室とするものが多く、移牧生活を営む少数民族が暮らす当地固有の民家形式です。このような地域色の強い建物の分布を調査した結果、メラ集落全体で67棟を確認でき、とくに集落中心域では棟数の半分ほどを占めることがわかりました。
その後、同じ民族が暮らす同県サクテン郡を初訪問し、同様の形式の民家がここにも所在することを確認しましたが、宅地を石塀や門で囲む家がみられるなど、集落景観の印象はかなり異なっています。隣接するサクテン、テンマ両村で計5棟を詳細調査し、純木造の小規模民家や製粉用の水車小屋なども含む、貴重な事例を収集することができました。同じ民族の生活圏は隣接するインド北東部に跨っていますが、その地域にも同様の民家がみられるとの情報を得ており、大いに興味を惹かれます。
このほか、同県ポンメイ村で領主層の古民家2棟を調査しましたが、どちらも無住でうち1棟は石壁が大きく変形するなど荒廃が進み、かなり危険な状態でした。地方の過疎化に伴って今後こうしたケースが急速に増加することが懸念され、すぐに保存の策を講じることも現実には難しいとはいえ、まずは古民家の所在と現状の把握および記録が急務と言えます。
本調査は、科学研究費助成金基盤研究(B)「ブータンにおける伝統的石造民家の建築的特徴の解明と文化遺産保護手法への応用」(研究代表者 文化遺産国際協力センター長・友田正彦)により実施しました。
アンコール・タネイ遺跡保存整備のための現地調査XV-東バライ西土手上テラスの保護作業


前稿では、タネイ寺院遺跡の最東端に位置する土手上テラスの発掘調査について報告しました。今回はその続報として、令和6(2024)年3月8日~29日に実施した、同テラス遺構の保護作業についてまとめます。
このテラスは、アンコール遺跡群を特徴づける巨大貯水池の一つである東バライの周堤西辺の上面から東斜面にかけて建造されています。そのため、発掘した遺構のうちとくに傾斜地に接するラテライト石材が雨季に流出しないように保護することが喫緊の課題となっていました。作業ではまず、既に本来の位置から移動して不安定な状態になっていた石材4材を据えなおしました。続いて、傾斜面上の石材の外周に沿って、「ライムモルタル」と呼ばれる、石灰を混和した土モルタルを突き固めた盛土による補強を行いました。また、土手上面の発掘範囲についても、とくに雨水による洗掘が懸念されるテラス外周部を中心に埋め戻しを実施しました。今後はさらに、遺構の崩壊を招く要因の一つである、テラス直上および周辺に生えている樹木の伐採も予定しています。
今次滞在期間中の3月14日~15日にかけては、アンコール・サンボープレイクック遺跡保存開発国際調整委員会(ICC-Angkor/Sambor Prei Kuk)会合が市内で開催され、各チームから担当遺跡での修復プロジェクト等に関する報告が行われました。タネイ寺院遺跡の保全についても、東京文化財研究所とアンコール・シェムリアップ地域保存整備機構(APSARA) が共同で、これまでの実施経過と今後の計画を報告しました。またこれに先立つ3月8日には、各修復プロジェクトへの技術的助言を担うICCアドホック専門家等が現場視察に訪れました。令和6(2024)年度に実施を予定している中央塔東西入口部分の修復を含む今後の調査・整備方針について現地で説明を行い、計画への承認が得られました。
カンボジア人専門家招聘「カンボジア・アンコール・タネイ寺院遺跡東門修復竣工記念 技術交流事業」の実施

東京文化財研究所文化遺産国際協力センターでは、カンボジア王国の世界遺産アンコール遺跡群・タネイ寺院遺跡において、カンボジア政府アンコール・シエムレアプ地域保存整備機構(アプサラ機構)と約20年間にわたって協力事業を継続しており、令和4(2022)年11月には、両者が協働で進めてきた同寺院遺跡東門の全解体修復工事が竣工したところです。
これを記念し、令和4(2022)年2月13日~19日にかけて、アンコール遺跡群の保存整備を担うアプサラ機構等の職員を日本へ招聘する技術交流事業を実施しました。今回、来日したのは副総裁のキム・ソティン氏と遺跡保全考古局長のソム・ソパラット氏、および昨年までアプサラ機構と当研究所との協力事業担当を務めたセア・ソピアルン氏(現サンボー・プレイクック機構所属)の3名です。
14日に「カンボジア・アンコール・タネイ寺院遺跡東門修復竣工記念 研究会 」を当研究所で開催した後、15日~18日にかけて、九州地方、関西地方を巡り、国指定重要文化財建造物保存修理工事現場(旧オルト住宅・旧長崎英国領事館本館ほか9棟・聖福寺大雄宝殿ほか3棟)や史跡整備の事例(国指定史跡鴻臚館跡)等のスタディツアーを行いました。
研究会やスタディツアーを通じ、遺産保護の研究や現場に関わる両国の専門家が顔を合わせて熱心な議論が交わせたことで、お互いの国の文化遺産の特徴や修理手法、整備方法等の相互理解がさらに深められた有意義な機会となりました。
※本事業は、文化財保護・芸術研究助成財団の助成を受けて実施しました。
令和5(2023)年地震で被災した博物館・文化遺産救援に向けたトルコ現地調査



東京文化財研究所では、令和5(2023)年度緊急的文化遺産保護国際貢献事業(専門家交流)「トルコにおける文化遺産防災体制構築を見据えた被災文化遺産復興支援事業」を文化庁から受託している文化財防災センターとともに、本事業に参加しています。本事業は、令和5(2023)年2月6日に発生したトルコ・シリア地震により被災した博物館や文化遺産の救援支援を第一の目的とするものです。それに加え、日本における被災文化財救援の経験や文化財防災の蓄積をトルコと共有することで、トルコにおける文化遺産防災体制の構築、充実化に向けた支援にもつなげてゆくことを見据えています。
2023年11月28日〜12月7日、当研究所と文化財防災センターとの合同チームがトルコを訪問し、被災地視察、両国の文化財防災に関する情報交換(専門家会議の開催)、今後の連携に向けた意見交換を行いました。
被災地視察では、ハタイ、ガズィアンテプ、シャンルウルファの博物館、文化遺産等を巡り、被災後の対応及び現状、課題について各博物館職員らからの聞き取り、今後の支援のニーズ調査を行いました。現在、被災した博物館では応急的な対応が進められており、今後、被災した収蔵品や建物の本格的な修理等が進められる見込みということです。なお、シャンルウルファでは地震翌月の3月上旬に大雨による洪水が発生しており、同地の博物館では地震被害は比較的軽微だったものの、浸水による大きな被害が生じています。
専門家会議は、アンカラのトルコ共和国文化観光省において同省との共催にて実施しました。日本側からは、日本国内における文化財防災の概要を紹介した上で、東日本大地震をはじめとした被災文化財救援の取り組みや博物館における災害予防の取り組みを報告しました。トルコ側からは、この度の地震による文化財被害や対応の概要、博物館における災害予防の取り組み等をご報告いただきました。今後、両国間での協議を重ね、具体的な支援内容を検討していくとともに、文化財防災にかかる共同研究を進めていく予定です。
ブータン中部地域の伝統的民家に関する建築学的調査


東京文化財研究所では、平成24(2012)年以来、内務省文化・国語振興局(DCDD)との協働事業としてブータンの伝統的民家建築に関する調査研究を継続しています。同局では、従来は法的保護の枠外に置かれてきた伝統的民家を文化遺産として位置づけ、適切な保存と活用を図るための施策を進めており、当研究所はこれを研究・技術面から支援しています。
令和5(2023)年4~5月の東部地域での調査に続き、今年度第2回目の現地調査を10月29日~11月4日にかけて行いました。当研究所職員4名と奈良文化財研究所職員1名に外部専門家2名を加えた7名を日本から派遣し、DCDD職員2名と共同でブムタン・ワンデュポダンの中部2県において調査を実施しました。
調査対象とした物件の多くは、昨年度行った予備調査で存在を把握していた古民家で、今回新たに発見した物件も含む計11棟について実測や家人への聞き取りを含む詳細な調査を行いました。このうち2棟は西部地域で一般的な版築造、6棟は東部地域に一般的な石造で、3棟は両者の構法が一つの建物に混在しているものです。特にワンデュポダン県東部では古くは版築造が専ら用いられていたところに、時代が下ると次第に石造が卓越していく傾向が見受けられますが、個々の建物における増改築の過程を考察すると必ずしもそのように単純に割り切れない複雑な様相も見えてきました。
一方、これまでは建築形式や構築技法、改造変遷などを中心に調査してきましたが、今回からはそれに加えて、建物にまつわる伝承や各室内の使われ方といった民俗学的側面にもより留意しながら聞き取り等を行うこととしました。民家形式の発展や地域性の背景にある生活様式をあわせて考察することで、ブータンの伝統的民家がもつ文化遺産としての価値の多様な側面が明らかになることを期待しています。
なお今回の調査は、科学研究費補助金基盤研究(B)「ブータンにおける伝統的石造民家の建築的特徴の解明と文化遺産保護手法への応用」(研究代表者 文化遺産国際協力センター長・友田正彦)により実施しました。
アンコール・タネイ遺跡保存整備のための現地調査XIV-東バライ西土手上テラスの発掘調査


カンボジアのタネイ寺院は王都アンコールの水利を支えた巨大溜池の一つである、東バライに面して立地しています。タネイ寺院の東端に位置するテラスはその東バライの西土手上に造成され、土手を介して他寺院ともつながり、寺院への玄関口と位置付けられる重要な遺構です。しかし、残存状況が極めて悪く、その建設時期や構造物の詳細はこれまで明らかになっていませんでした。
東京文化財研究所では、同テラスの形状や建設意図を考察することを目的として、平成29(2017)年11月、平成30(2018)年3月と8~10月の3期にわたって発掘調査を実施し、テラスのうち特に西翼部分の構造が明らかになりました。その後継調査として、今期はテラスの南北翼の形状把握ならびに造成過程について明らかにすることを目的に、令和5(2023)年11月5日~30日にかけて当研究所職員4名を派遣し、アンコール・シェムリアップ地域保存整備機構(APSARA)と協力して発掘を伴う考古学・建築学調査を実施しました。
発掘調査の結果、当初目的としたテラスの南北形状を復元できるような石造構造物の残存遺構を確認することはできませんでしたが、その基礎構造を成していた土盛りの層位的検討からテラスの造成過程を考察する手がかりが得られました。また、テラス上面からは新たに石やレンガを組み合わせた木造柱の基礎(柱穴)を発見しました。堆積土中からは、テラスの周囲を囲むように面的に広がる屋根瓦を多量に含む層を確認し、その直下の層位がテラス上に構造物が建設された当時の地表面にあたると推定されました。ただし、テラス上の構造物の詳細についてはいまだ不明瞭な点が多く、今後のさらなる調査が求められます。上記の東バライ西土手上テラスの調査以外にも、昨年に修復を完了した東門の一部再補修や図面記録の継続、中央伽藍東塔の危険個所への支保工の設置、今後の寺院保全に向けた調査や打ち合わせなどを実施しました。
第4回アンコール遺跡救済・持続的開発に関する政府間会議への出席


令和5(2023)年11月15日にフランス・パリのUNESCO本部にて開催された「第4回アンコール遺跡救済・持続的開発に関する政府間会議」に文化遺産国際協力センターアソシエイトフェロー・黒岩千尋が出席しました。
平成4(1992)年、カンボジア内戦後のアンコール遺跡群は世界遺産に登録されましたが、同時に危機遺産リストへと記載されました。翌平成5(1993)年に東京で開催された第1回目の政府間会議では、日本とフランスが共同議長国となり、30か国、7国際機関が参加するなかで、国際協力によって遺跡の救済と周辺地域の持続的発展を目指すことを示した「東京宣言」が採択されました。同年、そのための技術的指針策定や各国チームの取り組みについての評価を担う国際調整委員会(ICC-Angkor)が設立され、以来30年にわたり、アンコール遺跡群では国際的な遺跡修復プロジェクトが推進されてきました。
ICC-Angkorを振り返って評価するとともに今後の方針等を検討するための政府間会議は、10年ごとに開催されています。平成15(2003)年に第2回(フランス)、平成25(2013)年に第3回(カンボジア)、そして今回は第4回目の開催となりました。
会議には、ノロドム・シハモニ氏(カンボジア王国国王陛下)、オドレー・アズレー氏(ユネスコ事務局長)、リマ・アブドゥル=マラック氏(フランス文化大臣)、高村正大氏(日本国外務大臣政務官)らが出席されました。技術セッションでは、アンコール遺跡群およびサンボー・プレイ・クック遺跡の修復に携わる各国チームによるプレゼンテーションが行われ、東京文化財研究所とAPSARAの共同によるタネイ寺院の保存修復事業についても黒岩より報告しました。
ブータン東部地域の伝統的石造民家に関する建築学的調査



東京文化財研究所では2012年以来、ブータン内務省文化・国語振興局(DCDD、組織改編により旧文化局より改称)と協働し、同国の伝統的民家建築に関する調査研究を継続してきました。DCDDでは、従来は法的保護の枠外に置かれてきた伝統的民家を文化遺産として位置づけ、適切な保存と活用を図るための施策を進めつつあり、当研究所はこれを研究・技術面から支援しています。
従来は西部地域で一般的な版築造民家を調査対象としてきましたが、今年度からは新たに科学研究費補助金も取得し、中・東部地域に広くみられる石造民家の調査を本格的に開始しました。その第1回現地調査を令和5(2023)年4月25日~5月5日まで行いました。
当研究所職員4名を派遣し、DCDD職員2名と共同で東部タシガン県から中部ブムタン県にかけての5県で実施した調査では、DCDDによる事前の情報収集で把握されていた物件を中心に建築年代が古いと思われる石造民家を観察し、14棟ほどについて実測や家人への聞き取りを含む詳細調査を行いました。うち3棟は領主層の元邸宅で大規模な3階建建物ですが、これら以外はいずれも平屋または2階建で当初の平面規模もごく小さい建物でした。また、遊牧を生業とする少数民族が暮らすタシガン県メラ郡では、家畜小屋を伴わない平屋の板敷住居といった、他地域にはない固有の民家形式が広く分布することを確認しました。
今回得られた知見と情報をもとに、さらに調査範囲を広げるとともに、既に存在を把握している古民家の詳細調査も順次行っていく予定です。一方、民家形式の発展や地域性には生活様式の変化や違いが反映していることは言うまでもありませんが、このような観点からの調査研究にも一層注力していく必要があります。空き家や保存状態の悪い建物も少なくない中、貴重な文化遺産が失われないよう、協力を加速していきたいと思います。
アンコール遺跡世界遺産登録30周年記念式典および国際調整委員会への参加


東京文化財研究所では、カンボジア・アンコール遺跡群のタネイ寺院遺跡においてアンコール・シエムレアプ地域保存整備機構(APSARA)との協力事業を継続しています。
アンコールは1992年にユネスコ世界文化遺産に登録され、その後日本を含む各国による本格的支援協力が開始されました。支援の対象は遺跡の保存修復にとどまらず、その観光活用や人材育成を含む体制整備、さらには周辺地域の持続的発展に向けた計画策定やインフラ整備等々、多岐にわたります。紆余曲折を経ながらも、アンコールは押しも押されもせぬ世界的観光地となり、カンボジア経済にとって最重要の外貨収入源の一つになっています。同時にそれは、様々な課題を抱えつつも、世界遺産の保護と活用における国際協調の成功事例として大いに評価されています。
令和4(2022)年12月14日早朝、アンコールワット参道前にて「アンコール世界遺産登録30周年記念式典」が挙行され、筆者もこれに参加しました。大勢の僧侶による読経に始まり、伝統舞踊も交えた荘厳な儀式でしたが、会場では私たちの事業も含むこれまでの国際協力の歩みを振り返るポスター展示も行われました。
翌15日と16日にはそれぞれ、アンコール国際調整委員会(ICC)の第36回技術会合と第29回本会合がシエムレアプ市内で開催されました。毎年恒例のこの会議もコロナ禍ではオンライン主体での開催が続きましたが、ようやく国内外の専門家や関係機関代表が一堂に会しての対面開催が実現し、多くの事業の進捗が報告・共有されるとともに、各国関係者が旧交を温める場としての役割がようやく戻ってきたことに感慨を新たにした次第です。
ブータンの伝統的石造民家の保存に向けた予備調査


東京文化財研究所(東文研)では、文化遺産としての保護対象を伝統的民家を含む歴史的建造物全般へと拡大することを目指すブータン内務文化省文化局(DoC)を支援し、遺産価値評価や保存活用の方法などについて調査研究の側面からの協力を行っています。新型コロナウイルス感染症の世界的蔓延に伴う渡航制限により、令和2(2020)年1月以降はオンラインによる協力実施を余儀なくされてきましたが、本年7月に日本、9月にはブータンの渡航制限措置が大幅に緩和されたことを受けて、現地での共同調査を再開することで DoCと合意し、11月5日から15日にかけて東文研職員3名に奈良文化財研究所職員1名を加えた計4名の派遣を行いました。
今回の現地派遣は、ブータンの東部地域にみられる石造民家建築を主な対象に、その適切な保存活用の基礎となる学術的な総合調査の前段階として、当該地域の集落や民家の基本的な特徴や有効な調査方法を把握・検証することを目的としました。首都ティンプーから比較的アクセスのよい東部中央寄りのトンサ県(Trongsa Dzongkhag)とブムタン県(Bumthang Dzongkhag)を中心に、これまでの政府の調査記録や各県からの情報提供等をもとにDoC遺産保存課(DCHS)があらかじめ選定した集落と民家について、実測や写真測量、住民への聞取り等の調査を行いました。集落形態にも地域ごとの特色があり、中でもトンサ地方南方の特に険しい山間地域にあるトゥロン(Trong)とコープ(Korphu)の両集落は尾根づたいに民家が建ち並び、農村でありながら都市的な集落形態をみせる点が独特です。また、トゥロンの民家はほぼすべてが石造なのに対し、コープでは石造民家と版築造民家が混在し、かつ版築造民家がより古い形式を留めていることが確認できました。他の民家でも、版築造を後に石造で増改築したものが散見されることから、少なくとも今回の調査地域では民家に用いられる構造が版築造から石造へと変遷した様子が窺えます。また石造民家には非常に複雑な増築を繰り返してきたとみられる事例があり、版築造に比べて石造では増築や改修の頻度が高い可能性が考えられます。調査方法に関しては、乱石積の複雑な目地を現し、形状の歪みも多い石造民家では、今回用いた写真測量による記録が効率よく、きわめて有用であることが確認できました。
調査終了後、ティンプーのDoC庁舎においてブータンの建築遺産保護協力に関する覚書(MOU)の署名式を執り行うとともに、DCHSとの協議を行い、今回の調査結果や今後の協力事業の方向性などについて意見交換を行いました。来年度以降、DCHSとの協働のもと、ブータン東部地域で石造民家建築を対象とした調査研究活動を本格的に展開していく予定です。
「タンロン-ハノイ皇城世界遺産研究・保存・活用の20年」国際シンポジウムへの参加

ハノイはかつてタンロンと呼ばれ、11世紀冒頭に初のベトナム統一国家である李朝が樹立されて以来、大半の時代を通じ首都であり続けてきました。都心に立地するタンロン皇城遺跡は、皇帝の住まいであり政治支配拠点でもある宮殿群があった場所で、存在は知られていたものの、近代に軍施設となったことで往時の宮殿遺構は失われたと考えられていました。
ところが、その一角を占める国会議事堂の建て替えに伴う2002年からの大規模な発掘調査で、李朝期を含む各時代の宮殿基壇等の遺構や関連遺物が大量に出土し、ベールに包まれていたタンロン皇宮の実像の一端が明らかになりました。保存が決まった遺跡は建都千年にあたる2010年に世界遺産に登録されました。ベトナム政府の求めに応じて日本は本遺跡の研究と保存に2006年から協力しており、筆者は2008年から13年まで建築学および保存管理分野の支援ならびに協力事業の全体運営を担当しました。
調査開始から20年の節目にあたり、2022(令和4)年9月8~9日の両日、ハノイ市とユネスコハノイ事務所の共催による「タンロン-ハノイ皇城世界遺産研究・保存・活用の20年」国際シンポジウムが現地で開催されました。政府機関やユネスコ、ICOMOS、ICOMの代表や国内外専門家が多数参加し、各分野の研究成果を共有するとともに、今後の保存活用に向けた課題等をめぐって20本を超える報告と討議が行われました。筆者は「タンロン皇城遺跡保存に係る日越国際協力」の題にて発表し、討議のコメンテーターも務めました。
本遺跡をめぐっては、現存する後黎朝期(16世紀以降)の基壇上に中心建物の敬天殿を復元したいという声が以前からありますが、今回もその根拠資料に関する報告が複数あり、研究の進展が強調されました。一方で、この基壇上と前方にはフランス植民地時代の軍司令部建物が建っているため、宮殿の復元にはその撤去または移設が必要となります。これら後世の建物も世界遺産登録の際に認められた「顕著な普遍的価値」(OUV)を構成する遺跡の重層性を示す証拠物にほかならないことから、OUVの変更なしに復元を実行するのは困難と思われます。シンポジウムの終盤ではこのことが議論の焦点となり、熟議の結果、復元構想を盛り込んだ整備マスタープランの提案は見送られ、さらに検討を継続するとの議事要旨が採択されました。
日越協力事業は既に終了していますが、関係者の一員として、本遺跡の保存整備をめぐる動向を引き続き注視していきたいと思います。
アンコール・タネイ遺跡保存整備のための現地調査Ⅺ‐東門周囲および中心伽藍の整備



東京文化財研究所では、カンボジアにおいてアンコール・シエムレアプ地域保存整備機構(APSARA)によるタネイ寺院遺跡の保存整備事業への協力を継続しています。令和4(2022)年6月12日から7月3日にかけて、修復中の東門の手直し工事の確認、東門周囲の排水路敷設に関する考古調査、および中心伽藍の危険箇所調査のため、職員2名、客員研究員1名の派遣を行いました。
東門修復工事については、同年1月の派遣時に確認した要補修箇所について、5月からAPSARAが先行して手直し作業を開始していました。今回はその作業状況を確認すると同時に、石材の欠損箇所の補修や彫刻等の仕上げ精度についてAPSARAとさらなる協議を行いました。これによりいくつかの追加作業が生じたものの、6月末には、ほとんどの作業が完了しました。
また、以前より、東門周囲地表の排水状況改善が課題となっていましたが、APSARAとの協議の結果、東門の西側から北濠へと達する仮設の排水路を設けることとなりました。このため間舎裕生客員研究員を派遣し、排水路敷設に伴う考古調査を行いました。東門やテラスが建設された当初の地盤面を傷めないよう確認しながら水路を掘り進め、延長約30mの仮設排水路が完成しました。10月までの雨季の間、現地スタッフと協力しながら、その効果を経過観察する予定です。
中心伽藍においては、APSARAリスクマップチームとの協議で対策の優先度が最も高いとされた中央塔と東塔について、建物周囲に足場をかけ、詳細な危険箇所調査を実施しました。これらの危険箇所に既設の木製補強は虫害等による劣化が著しく、以前から耐久性のある材料での更新が求められていましたが、今回、APSARAの要望によって、応急的に足場用単管で木製補強を置き替えることとなりました。不均衡な荷重伝達による石材の欠損や亀裂の状況を確認しつつ、必要最小限の補強となるよう、現場でAPSARAスタッフと議論しながら、中央塔1カ所、東塔3カ所について補強の更新を実施しました。また、これらの危険箇所に見学者が立ち入らないよう、見学路に仮設柵を設けて安全対策を行いました。
さらに、APSARA観光局がタネイ寺院遺跡を含む一帯をめぐる自転車ツアーを企画していたことから、同局ともワーキングセッションを行いました。見学施設の整備についてアイデアを交換し、遺跡の保護と見学者の安全確保、見学者への遺跡理解を促進する方法等を検討しました。今後、本遺跡にふさわしい保護と観光の両立のあり方について、整備の過程の中でさらに議論を深められればと思います。
アンコール・タネイ遺跡保存整備のための現地調査X‐今後の保存整備に向けた調査


東京文化財研究所では、カンボジアにおいてアンコール・シエムレアプ地域保存整備機構(APSARA)によるタネイ寺院遺跡の保存整備事業に技術協力しています。新型コロナウイルス感染拡大の影響により現地渡航が困難となっていましたが、APSARA側の要請に応えて、十分な感染防止対策のもと、2年弱ぶりに令和4(2022)年1月9日から1月24日にかけて職員計3名の派遣を行いました。今回は、修復工事中の東門関係のほか、中心伽藍の危険箇所への対応など、現地での速やかな検討が必要な事項に関して現地調査および協議を行いました。
令和元(2019)年に着手した東門修復工事については、令和2(2020)年4月以降はオンラインで具体的な修復方針を協議しながらAPSARA側が工事を継続し、令和3(2021)年1月には頂部まで再構築が完了しました。今回は、リモートでは把握しきれなかった施工精度や仕上げの詳細等を現場で確認し、改善のための助言を行いました。今後さらに協議のうえ、手直しや追加工事が進められる予定です。
一方、中心伽藍においては、不安定な石材の崩落や、木造の応急補強材の老朽化、樹木による影響など、複数のリスク要因があり、見学者の安全確保と遺跡の更なる損壊防止のため、早急な対策が求められています。このため、APSARAのリスクマップチームと合同で調査を行い、対策の基本方針や応急措置の優先順位を検討しました。ドローンを用いて塔の上部などの高所も確認し、撮影した写真から3Dモデルを作成して塔の現状を記録しました。
さらに、以前に正面参道での考古調査で採取した土試料の分析も、同じくアンコール遺跡群で修復支援を継続中の韓国文化財財団(KCHF)の協力により実施しました。同国の援助で整備中の実験施設でKCHFの専門家の指導のもと、粒度分布や測色等の調査を行い、参道の基盤を構成する土層に関するデータを取得しました。この場を借りて、KCHFの寛大な協力に感謝を申し上げます。
このほかにも、遺跡の修復に携わる各国チームと現場や研究会で交流するなど、現地での協力活動の意義を再認識する機会となりました。同時に行った、外周壁の発掘調査、およびタネイ関連彫刻類遺物調査については、それぞれ別稿にて報告します。
アンコール・タネイ遺跡保存整備のための現地調査X―外周壁遺構の発掘調査


別稿にて報告のあった令和4(2022)年1月9日から1月24日にかけての派遣事業の一環として、タネイ寺院遺跡外周壁遺構の発掘調査を行いました。APSARAと共同で修復中の同寺院東門は、既に再構築作業が完了していますが、現状では門付近の地表が周囲より低く、雨季に雨水が滞留することが以前から問題になっています。寺院建立当初からこのような地形だったとは考えづらく、本来は何らかの形で排水が考慮されていたと推定されました。このため、今後の東門周辺の排水計画策定に向けて、旧地表のレベルおよび状態確認を目的とした発掘調査を実施しました。
発掘調査は、門の南北に接続していた外周壁跡(撤去された時期や理由は不明)を対象に、北東角とそこに至る途中で壁基部のラテライト材が現地表に露出している部分の、計3か所で実施しました。調査の結果、現地表下約30cmの地点でアンコール時代の地表面を確認し、東門周囲とほぼ高低差はなく平坦な地形だったことがわかりました。特に排水溝等の痕跡もなく、当時は地中浸透などの自然排水に依っていたと考えられます。
現状では門の北方に地面の高まりがあって排水の妨げとなっているため、今後まずはこの付近の表土を取り除き、雨水の滞留状況が改善されるかを確認することとしました。寺院建物の修復と並行して、このような周辺整備作業も進めていく予定です。
アンコール・タネイ遺跡保存整備のための現地調査X―保管彫像類の調査


令和4(2022)年1月9日から1月24日にかけての現地作業の一環として、これまでにタネイ寺院遺跡で発見され、他所で保管されている石造彫像類の所在および現状に関する調査を行いました。アンコール遺跡群の遺物については、フランス極東学院(EFEO)が発見当時に作成した記録がありますが、その現状については体系的な調査がされてきませんでした。
今回は文化芸術省所管のアンコール保存事務所の協力のもと、同所に保管されている遺物の実物と台帳記録類の照合作業を行いました。EFEOの台帳に記載されたタネイ関係遺物は全部で30数点あり、このうち16点の所在を確認することができました。所在不明の多くは神像の手足などの小断片ですが、像高2m前後と大型の門衛神ドヴァラパーラ像のうち3体は頭部が失われているほか、観音菩薩像1体も激しく損傷しており、内戦期の盗掘や破壊によるものと考えられます。このほか少なくとも2点の彫像がプノンペン国立博物館に保管されていることが、現地でのフランス人研究者からの情報提供により判明しました。
加えて、最も盗掘が頻発した平成5~6(1993~94)年頃に同事務所が遺跡現地から回収した彫刻類などのうちにもタネイから運ばれたものがあることがわかり、今回は仏陀座像7点、ナーガ欄干7点、シンハ像2点を確認しました。これらの像が寺院内のどこにあったのかなどの情報を集めるととともに、所在不明の遺物の捜索をさらに続けたいと思います。
一方、令和元(2019)年に行った同寺院東門の解体作業中に発見された観音像頭部は現在、シハヌーク・アンコール博物館に保管されており、これについても改めて3Dモデル作成用の写真撮影を実施しました。残念ながらこれに対応する胴体部は見つかっていませんが、あるいは今も遺跡内のどこかに人知れず埋没しているのかもしれません。
今後は機会を見て、他施設での調査も行っていきたいと考えています。
コロナ禍におけるアンコール・タネイ寺院遺跡保存整備のための技術協力の取り組み


東京文化財研究所では、カンボジアにおいてアンコール・シエムレアプ地域保存整備機構(APSARA)によるタネイ寺院遺跡の保存整備事業に対する技術協力を継続的に行っています。昨年からはAPSARAと共同で策定した保存整備計画に基づいて、同寺院東門の修復工事に取り組んでおり、APSARAが工事の予算確保や実施を担う一方、本研究所は工事前や工事中の建築調査および考古調査を担うとともに、修復の方法や工程に対する助言や提案を行っています。
今年に入り、新型コロナウィルスの世界的な感染拡大により諸外国との往来が困難になる中、3月末以降カンボジアへの渡航も事実上不可能になってしまいました。しかし、カンボジア国内では本格的蔓延に至っておらず、通常の業務が継続されている中、日本側の事情だけでAPSARAの事業計画を中断させるわけにもいきません。そこで4月からは、通常のメールによる連絡のみならず携帯端末のメッセージサービスを積極的に活用してリアルタイムな現場の状況把握に努めるとともに、必要に応じて適宜オンライン会議を開催するなど、手探りながらもICT(情報通信技術)を用いた技術協力の取り組みを進めています。
令和2(2020)年4月21日、2月から3月にかけて現地で行った基礎構造の強度調査等の分析結果の共有と、これに基づく適切な修復方法や構造補強方針に関する意見交換を目的に、APSARAの修復担当チームとのオンライン会議を開催しました。会議には協力研究者である東京大学生産技術研究所の腰原幹雄教授(建築構造)および桑野玲子教授(地盤機能保全)の参加を得て、専門的見地を交えた踏み込んだ議論を行い、当初構法のオーセンティシティの保存と構造的安全性の両立に向けた修復と補強の基本的な方向性について合意を得ることができました。この基本合意のもと、5月と7月にも、それぞれ基礎構造と上部構造について検討するためのオンライン会議を開催し、現場の最新状況と計画図面等の情報を共有しながらの双方向での議論を経て、現段階で最も適切と考えられる具体的な修復・補強方法を決定しました。
一方、例年6月にAPSARA本部において開催される、アンコール遺跡国際調整委員会(ICC)技術会合も今年は延期となり、ICC事務局による現場視察のみが行われました。この視察にあわせてAPSARAと本研究所は、上記の検討内容を含む事業計画進捗状況報告書を共同で作成、ICC事務局に提出しました。さらに、ICCの専門委員を務める京都大学大学院の増井正哉教授とのオンライン会議を開催し、目下の検討・計画内容について指導助言を得るとともに、アンコール遺跡の国際協力を取り巻く動向等に関する意見交換を行いました。
このように、図らずも、ICTによる文化遺産の修復協力の可能性を実感できたことは大きな収穫ではあります。とはいえ、文化遺産の保存は、それぞれに独自の価値を有するもの自体が対象である以上、遠隔での情報の共有や対話だけでは自ずと限界があることも確かです。新型コロナウィルス感染症の流行が収束し、再び自由な往来ができる日が一刻も早く戻ることを願ってやみません。