標津町でノリウツギ採取の動画記録撮影と普及事業の視察




文化財修復に用いられる宇陀紙を漉くためには、ノリウツギから得られる「ネリ」が欠かせません。初夏の強い日差しのもとでノリウツギの樹皮を剥ぎ取り、外皮を丁寧に手作業で削って内皮を取り出してくださっているのが北海道・標津町(しべつちょう)の方々です。また、野生株に頼らない栽培のために、ノリウツギの苗木づくりも始動しています。
令和7(2025)年6月24~27日、東京文化財研究所の研究員・アソシエイトフェローの4名(保存修復センター分析科学研究室長・西田典由、同センターアソシエイトフェロー・一宮八重、無形文化遺産部無形文化財研究室長・前原恵美、同部アソシエイトフェロー・小田原直也)が、標津町でのノリウツギの樹皮剥ぎ取り、外皮削りの工程を視察し、苗木作りの様子や関係者の談話と併せて記録撮影しました。また、標津町文化ホールで行われた小学生・一般を対象とした福西正行氏(国の選定保存技術「表具用手漉和紙(宇陀紙)製作」保持者)によるワークショップ等の普及事業にも参加、その様子も映像に収めました。これらの映像は、今後編集を経て、文化財の継承にかかる研究・教育・普及のために活用される見込みです。
令和5年(2023)11月2日、当研究所は標津町との間で文化財修復材料の連携・協力に関する協定書を締結しました。ノリウツギを安定的に確保するための取り組みや普及事業を記録・発信していくことも、こうした連携・協力に資することが期待されます。
渡良瀬遊水地のヨシ調査―篳篥の蘆舌原材料


無形文化遺産部では、無形文化財を支える原材料調査の一環として、篳篥(ひちりき)の蘆舌(ろぜつ)に使用されるヨシの調査を行っています。このたび、篳篥(ひちりき)演奏家で蘆舌(ろぜつ)も製作される中村仁美氏に同行していただき、令和7(2025)年6月16日、渡良瀬遊水地のヨシ原で調査を実施しました。平成24 (2012)年7月にラムサール条約湿地に登録された渡良瀬遊水地は、全面積のうち2,500haが植生に覆われ、その約半分がヨシ原とのことですから、日本有数規模のヨシ原と言えます。
今回の調査では、まず栗田商事株式会社を訪問し、篳篥の蘆舌に適した太いヨシを選別し、試材として提供していただきました。今後、複数の蘆舌製作者に試作を依頼し、蘆舌としての渡良瀬のヨシの適性を検討する予定です。
渡良瀬遊水地では、近隣4市2町(栃木県栃木市・小山市・野木町、群馬県板倉町、茨城県古河市、埼玉県加須市)の行政、地元自治会代表、関連団体から成る渡良瀬遊水地保全・利活用協議会が組織されています。協議会はオブザーバーに国交省、環境省を迎え、環境学習のガイドブック作成等による啓蒙活動を行いながら渡良瀬遊水地の将来像を考えたり、イノシシによる獣害や治水について議論を重ねて要望書を提出したりしているとのことです。
また、ヨシ原を健全に保つためには毎年ヨシ焼きを実施する必要がありますが、渡良瀬では関連する4市2町と関係消防署、渡良瀬遊水地利用組合連合会、アクリメーション振興財団、利根川上流河川事務所でヨシ焼き連絡会を作り、ヨシ焼きを実施しています。
国産ヨシの需要は限定的でヨシ・オギの事業者が5軒にまで減少する中、事業者、行政、自治会、関連団体とのネットワークによって渡良瀬のヨシ原が保たれ、その理解促進のための試みが続いています。一部の雅楽演奏家に篳篥蘆舌に向いているとも言われる渡良瀬のヨシについて、引き続きその特性を探り、用途について検討していきたいと思います。
楮栽培と木灰の使用状況の調査


文化財や美術工芸品の保存修理に用いられる用具や原材料は多岐にわたりますが、その多くが担い手の後継者不足や原材料の入手困難といった課題に直面し、将来的な継続使用が危ぶまれています。こうした状況に対応するため、文化庁は令和2(2020)年度より「美術工芸品保存修理用具・原材料管理等支援事業」を開始しました。これを受け、東京文化財研究所では保存科学研究センター、文化財情報資料部、無形文化遺産部が連携し、受託研究「美術工芸品修理のための用具・原材料と生産技術の保護・育成等促進事業」に取り組んでいます。本報告では、文化財修理に欠かせない和紙の原料である楮(こうぞ)の栽培地および、楮繊維を得る際の煮熟(しゃじゅく)工程に用いる木灰使用の現地調査について紹介します。
令和7(2025)年6月9日~10日に奈良県吉野町と五條市の楮畑4か所を訪問しました。芽掻き(次々とでてくる脇芽を取り除きます。残した梢に栄養を集中させるなどの効果があります)という作業や、下草刈りなど手間のかかる作業が丁寧に行われている様子や、栽培における工夫や課題についてお話を伺いました。こうした栽培管理を担う人々は年々減少しており、原材料の安定供給の観点からも重要な課題です。
内皮に赤褐色の筋が生じる原因の解明(繊維に色がつかないようにこの赤筋を取り除く必要があり、その結果、使用可能な原料が減少してしまいます)や、以前は見かけなかった虫への対策など課題はつきません。
また、和紙にチリや着色があると文化財修理には適しませんが、今回訪れた福西正行氏、上窪良二氏の紙漉き工房では、楮や木灰を厳選するだけでなく、異物を一つひとつ刃物で切り取る繊細な工程(チリ切り)が重ねられていました。木灰から得られるアルカリ性溶液は楮の繊維を抽出するうえで不可欠ですが、良質な繊維を得るための灰の調達も難しくなりつつあります。今後は、和紙原材料間の相互作用や、様々な品種から得た木灰の特性を科学的に解明し、具体的な課題解決に向けた分析等を進めていきます。あわせて、専門家や関連分野の知見をつなぐネットワークのハブとしての機能を強化し、製作技術や工程の記録にも引き続き取り組んでいきます。
研究会「東京文化財研究所における実演記録事業(落語)
―林家正雀師の正本芝居噺―」の実施


令和7(2025)年5月23日、東京文化財研究所地下セミナー室で研究会「東京文化財研究所における実演記録事業(落語)―林家正雀師の正本芝居噺―」を開催しました。
無形文化遺産部では、古典芸能を中心とする無形文化財のうち、一般に披露される機会の少ないジャンル、演目を選んで実演記録事業を実施しています。この事業の一環として2013 年より実施してきた林家正雀師の正本芝居噺の実演記録が、このたび60演目に及ぶのを機に、当研究会で芝居噺の実演記録を総括することになりました。
当日は、無形文化遺産部無形文化財研究室長・前原恵美による開会のあいさつ・趣旨説明ののち、無形文化遺産部客員研究員・飯島満氏による発表 「東京文化財研究所における正本芝居噺の実演記録事業」、京都芸術大学准教授・宮信明氏による発表「正本芝居噺の世界」をお聞きいただきました。
続けて、林家正雀師による「将門」(素噺)と『真景累ヶ淵』より「水門前」(道具入り)の実演記録の撮影を、参加者の見守る中で実施しました。
また、林家正雀師と宮信明氏による対談では、正雀師が芝居噺に惹かれ、習得されるに至ったエピソードや、芝居噺の今後についての思いを語っていただき、最後は無形文化遺産部部長・石村智の閉会のあいさつで締め括りました。
正雀師氏による実演記録(落語 正本芝居噺)の公開可能な記録映像は、近日中に当研究所資料閲覧室で視聴可能となる見込みです(視聴開始の際には当研究所ウェブサイトでお知らせします)。
今後も無形文化遺産部では、披露の機会が稀少な古典芸能等の記録を継続し、可能なものについては適切な方法で公開して、無形文化財の継承に資するべく努めてまいります。
「及川尊雄旧蔵 紙媒体資料」の一部画像公開を開始

当研究所は令和3(2021)年、日本の伝統楽器や関連資料の蒐集家として知られる及川尊雄(1942-2018)氏旧蔵紙媒体資料の寄附を受けました(全2,235件)。無形文化遺産部ではこれらの紙媒体資料の整理を進め、令和4(2022)年より当研究所ウェブサイトでデータベースを公開しています(及川尊雄旧蔵 紙媒体資料目録データベース :: 東文研アーカイブデータベース)。及川尊雄旧蔵紙媒体資料は、日本の伝統楽器を軸にしながらも広く国内外の資料に及び、その体裁も成立時期もさまざまで、まさに多彩な紙媒体資料群です。
現在これらの紙媒体資料は、予約の上、当研究所閲覧室で閲覧することができますが、このたび無形文化遺産部では、及川尊雄旧蔵紙媒体資料をより幅広く利用してもらうため、取り扱いが難しい状態の資料や稀少性が高いと思われる資料のデジタル化に着手しました。そして、デジタル化が完了した資料はデータベース内の「pdf」欄からご覧いただけるようになりました。今後も順次デジタル化を進めてまいりますが、現在デジタル化が完了している資料の一覧は、こちらからご覧いただけます。
「及川鳴り物博物館」(2003-2015)館長として自ら蒐集した楽器を展示し、来館者を直接案内していた及川尊雄氏は、実際に楽器に触れて音を響かせてその魅力を知ってもらいたいという考えの持ち主でした。紙媒体資料も、より多くの方にご覧いただくことが及川氏の志に適っていると考えています。ぜひご活用ください。
実演記録「平家」第七回の実施


無形文化遺産部では、継承者がわずかとなり伝承が危ぶまれている「平家」(「平家琵琶」とも)の実演記録を、平成30(2018)年より「平家語り研究会」(主宰:武蔵野音楽大学教授薦田治子氏、メンバー:菊央雄司氏、田中奈央一氏、日吉章吾氏)の協力を得て実施しています。第七回は、令和7(2025)年1月31日、東京文化財研究所 実演記録室で《竹生島詣》(全曲)と《宇治川》(前半)を収録しました。
《竹生島詣》は、琵琶湖畔を北上する途中、平家の副将軍で詩歌に優れた平経正平が、小舟で竹生島に渡って渡された琵琶で秘曲を弾いたところ、袖に白竜が現れたという吉兆を語ります。竹生島には芸能神でもある弁財天が祀られているので、琵琶との融和が感じられます。また《宇治川》は、木曽義仲を追う源頼朝軍の梶原源太景季と佐々木四郎高綱の先陣争いがテーマですが、前半では景季が所望した名馬・生食が高綱に与えられたことをきっかけに高まる二人の競争心と、激流と化した宇治川をはさんで義仲に対峙する緊張が表現されます。
今回の実演記録では、《竹生島詣》(全曲)を菊央氏と田中氏、《宇治川》(前半)を日吉氏に演奏してもらい、記録撮影しました。
今後とも無形文化遺産部では、「平家語り研究会」の「平家」伝承曲の演奏および復元演奏の記録をアーカイブしていく予定です。
自由視点映像システムによる日本舞踊の試演記録


無形文化遺産部では、伝統芸能の新たな記録や研究方法の開拓にも取り組んでいます。自由視点映像システムは、被写体の周囲にカメラを設置し、あらゆる方向から被写体の動きを撮影し、任意の角度からその映像を見ることが出来るシステムです。特に古典芸能のように、舞台上で一定の方向を正面と捉えて表現する芸能では、ある時点の動きや態勢を様々な角度(例えば側面や背面)から解析することができるため、芸能継承や分析研究において新たなアプローチに繋がる可能性があります。
今回の試演は日本舞踊藤間流立方の藤間清継氏にご協力いただき、小道具を扱う時の身体の動きにも着目するため、『娘道成寺』の素踊り(衣装や鬘を付けないで踊る)を16台のカメラで撮影しました(令和6(2024)年7月10日)。撮影後には、作成された映像を様々な視点から見直して、想定される活用目的や用いる際に気を付けるべき点、また操作性や望まれる機能などについて、実演家である藤間清継氏、システム開発者である株式会社電巧社の関係者、当研究所無形文化遺産部部長・石村智、同無形文化遺産部無形文化財研究室長・前原恵美、同研究員・鎌田紗弓が、それぞれの立場から意見を出し合い、フィードバックを重ねています(令和6(2024)年12月18日、令和7(2025)年1月10日)。また本研究の予備的な成果については、科学研究費事業「マテリアマインド:物心共創人類史学の構築」第2回全体会議(注1)で「芸能とキネシオロジー―実演者の身体的運動の解析について―」(発表者:石村、令和7(2025)年1月11日)として口頭発表されました。
無形文化遺産部では、今後とも実演家、システム開発者と協力しながら伝統芸能の新たな記録や研究のツールとなり得るアプローチを、探っていきたいと思います。
注1:文部科学省科学研究費助成事業 学術変革領域研究(A) 2024-2028年度「マテリアマインド:物心共創人類史学の構築」(研究代表者:松本直子、番号24A102)
研究会「東京文化財研究所における実演記録事業(講談)一龍斎貞水師を偲んで」の開催


令和6(2024)年10月3日、東京文化財研究所地下セミナー室で研究会「東京文化財研究所における実演記録事業(講談)一龍斎貞水師を偲んで」を開催しました。
無形文化遺産部では、古典芸能を中心とする無形文化財のうち、一般に披露される機会の少ないジャンル、演目を選んで実演記録事業を実施しています。一龍斎貞水氏(1939-2020、国指定重要無形文化財「講談」保持者[各個認定])による講談の実演記録も、平成14(2002)年から令和2(2020)年にかけて、145演目の記録撮影を実施してきました。
当研究会では、無形文化遺産部部長・石村智による趣旨説明ののち、武蔵野美術大学教授・今岡謙太郎氏による講演「歌舞伎『勧進帳』の成立と講談の関係について」、当研究所による実演記録・講談『難波戦記』より「木村長門守の堪忍袋」(貞水氏、平成27(2015)年5月26日当研究所実演記録室にて収録)の上映、貞水師門弟・一龍齋貞橘氏の口演で講談『勧進帳』、貞橘氏と無形文化遺産部客員研究員・飯島満氏による対談「貞水師について」を実施しました。
貞水氏による実演記録(講談)の公開可能な記録映像は、近日中に当研究所資料閲覧室で視聴可能となる見込みです(視聴開始の際には当研究所ウェブサイトでお知らせします)。
今後も無形文化遺産部では、披露の機会が稀少な古典芸能等の記録を継続し、可能なものについては適切な方法で公開して、無形文化財の継承に資するべく努めてまいります。
シンポジウム「森と支える「知恵とわざ」―無形文化遺産の未来のために」の開催


令和6(2024)年8月9日、東京文化財研究所にてシンポジウム「森と支える「知恵とわざ」―無形文化遺産の未来のために」が開催されました。
昨今、無形のわざや、有形の文化財の修理技術を支える原材料が入手困難になっていることが大きな問題となっています。山を手入れしなくなったことによって適材が入手できなくなった、需要減少によって材の産地が撤退してしまった、流通システムが崩壊してしまった、など背景は様々ですが、いずれも、人と自然との関わりのあり方が変わってしまったことが要因としてあります。
本シンポジウムは、こうした現状を広く知ってもらい、課題解決について共に考えていくネットワークを構築することを目的に開催されました。まず第一部では5名の方をお招きして、自然素材を用いた様々なわざを実演いただきました。荒井恵梨子氏にはイタヤカエデやヤマモミジのヘギ材で編む「小原かご」、延原有紀氏にはサルナシやバッコヤナギ樹皮で編む「面岸箕」、中村仁美氏にはヨシで作る「篳篥の蘆舌(リード)」、小島秀介氏にはキリで作る「文化財保存桐箱」、関田徹也氏には里山の木で作る祭具「削りかけ」について実演や解説をいただき、参加者とも自由に交流していただきました。その後、第二部では秋田県立大学副学長の蒔田明史氏による講演「文化の基盤としての自然」と、当研究所職員3名による報告がありました。
先述したように、原材料の不足の背景には、人と自然との関係性が変化したことが大きな要因としてあります。それは社会全体の変化と直結しており、一朝一夕で解決できる問題ではありません。しかしだからこそ、この現状を広く社会に知っていただき、様々な地域、立場からこの問題について考え、行動していただくことが重要になってきます。無形文化遺産部では課題解決に少しでも寄与できるよう、今後も引き続き、関連する調査研究やネットワークの構築、発信をしていきたいと考えています。
なお、シンポジウムの全内容は近日中に報告書として刊行し、PDF版を無形文化遺産部HPで公開する予定です。
無形文化財を支える原材料-上牧・鵜殿のヨシ刈りに参加


無形文化遺産部では、無形文化財を支える用具(付属品を含む楽器、小道具、装束等)やその原材料の調査・研究も行っています。
大阪府高槻市の淀川河川敷、上牧・鵜殿地区のヨシは、かねて雅楽の管楽器・篳篥の蘆舌に適していると言われてきました。しかし荒天とコロナ禍でヨシ原焼きが2年続けて中止され、ツルクサが繁茂したため、令和3(2021)年9月頃よりこの地域のヨシが壊滅状態になりました。この状況を改善するため、鵜殿のヨシ原保存会と上牧実行組合をはじめ、地域住民、高槻市、雅楽関係者等が協力して、ヨシ焼きやツルクサ除去を継続的に行っています。無形文化遺産部では、当該地のヨシの生育環境やその特性について調査を進めており、2月2日~3日に行われたヨシ刈りに参加し、ヨシの現状や利用について情報収集を行いました。このたびのヨシ刈りは、篳篥の蘆舌用ヨシなどが実行組合の方々によって刈り取られた後、蘆舌には適さない細いヨシをヨシ紙やヨシのタオル等に利用するために企画されています。今年のヨシは昨年より状態が良いものの、篳篥の蘆舌の需要に十分に応えるまでには至っていないようです。当日は、ヨシの需要拡大に取り組む企業や、ヨシ原の自然環境への理解を深めようという個人・団体の方が集まり、各日60名以上の参加となりました。地域の人々や企業のヨシへの理解が深まることと、雅楽関係者の篳篥の蘆舌原材料としてのヨシへの理解が深まることは、結果として雅楽継承の両輪となります。無形文化遺産部では、ヨシそのものの特性や篳篥蘆舌の原材料としての適性について調査を進めるとともに、原材料をはぐくむ地域の環境についても注視しています。
実演記録「平家」第六回の実施


無形文化遺産部では、継承者がわずかとなり伝承が危ぶまれている「平家」(「平家琵琶」とも)の実演記録を平成30(2018)年より「平家語り研究会」(主宰:薦田治子武蔵野音楽大学教授、メンバー:菊央雄司氏、田中奈央一氏、日吉章吾氏)の協力を得て、実施しています。第五回は、令和6(2024)年2月8日、東京文化財研究所 実演記録室で《鱸》の撮影を実施しました。
《鱸》は、平清盛の舟に鱸が飛び込んだエピソードを、熊野権現の守護を受けた平家一門の繁栄の前触れとして語ります。この詞章から、《鱸》は祝儀曲として好んで演奏されます。またこの曲は、短いながら基本的な旋律型を一通り含んでいるため、手ほどき(入門用の曲)としてもしばしば用いられます。今回の実演記録では、《鱸》を菊央氏、日吉氏、田中氏に分担して演奏してもらい、記録撮影しました。
また、今回の記録撮影では、東京藝術大学教授亀川徹氏のもとでスタジオ録音を学ぶ学生の方々にも手伝っていただき、実演記録「平家」が、伝統芸能の記録撮影に欠かせない音響技術の実践の場ともなりました。
今後とも無形文化遺産部では、伝統芸能の記録にかかる技術を、志をともにする方々と共に磨きながら、実演記録を重ねていきます。
実演記録「宮薗節」第一回~第九回の映像(冒頭部分)の公開

宮薗節は、国の重要無形文化財でありながら、今日では演奏の機会があまり多くはありません。そのため、無形文化遺産部では、平成30(2018)年より、実演記録「宮薗節」を継続的に行っています。このたび、第一回~第九回の映像について、冒頭部分を当研究所ウェブサイト上で公開しました(https://www.tobunken.go.jp/ich/video/から選択してください)。
実演記録「宮薗節」では、宮薗千碌氏、宮薗千佳寿弥氏(いずれも国の重要無形文化財「宮園節」保持者[各個認定]いわゆる人間国宝)らによる演奏で、伝承曲を省略せずに全曲演奏でアーカイブしており、これらの貴重な映像は東京文化財研究所視聴ブースでご覧になれます。なお、視聴ブースには限りがありますので、事前に資料閲覧室にお問い合わせの上ご来所ください(https://www.tobunken.go.jp/joho/japanese/library/library.html)。
無形文化遺産部では、実施した音声・映像記録について、今後も可能な範囲で公開していく予定です。
ユネスコ無形文化遺産の保護に関する政府間委員会の傍聴




標記の委員会が令和5(2023)年12月5日~8日、ボツワナ共和国のカサネで開催され、東京文化財研究所から無形文化遺産部無形文化財研究室長・前原恵美と文化財情報資料部文化財情報研究室長・二神葉子が傍聴しました。ボツワナ共和国は南アフリカ共和国の北に位置していて、カサネはチョベ国立公園の北部の玄関口として知られ、野生動物が多く暮らす自然豊かな小さな町です。
会場は、この会議のために設営されたパビリオンで、外でイボイノシシ親子が草を食むのどかさでした。この長閑さとリンクしたわけではないでしょうが、たびたびジョークで会場の雰囲気を和ませた議長H.E. Mr Mustaq Moorad 氏(ユネスコ代表部大使/ボツワナ共和国)のもとで、議事は穏やかに進行しました。今回の委員会では、緊急に保護する必要がある無形文化遺産一覧表に6件、人類の無形文化遺産の代表的な一覧表(代表一覧表)に45件の記載が決まり、4つのプログラムをグッドプラクティスに選定しました。これらの案件には、委員会に対して決議内容の勧告を行う評価機関も全て記載・選定を勧告しており、このことも会場の和やかな雰囲気作りに大いに貢献しました。詳細は令和6(2024)年3月
刊行予定の『無形文化遺産研究報告』18号で二神より報告予定ですが、ここでは委員会を通して感じたことを三つ挙げておきたいと思います。
まず、複数国による共同提案の多さです。日本にはまだ、他国と共同で一覧表への記載を提案した経験がありませんが、今回代表一覧表への記載が決まった45件のうち、12件が複数国による共同提案でした。この傾向はここ数年顕著で、今後も続きそうです。
二番目には、会場で流される映像に共通した傾向です。委員会で記載が決まると、多くの場合、会場前方スクリーンに当該無形文化遺産の短い映像が流れるのですが、それらの映像の多くに持続可能な開発目標(SDGs)が巧みに盛り込まれていたのが印象的でした。特に「ジェンダー」、「教育」、「海洋資源」または「陸上資源」は、多くの映像でストーリーとして繋がって映し出され、その無形文化がSDGsの取り組みの上に成り立っている、あるいはその無形文化の継承がSDGsの取り組みに直結しているということが強調されていると感じました。
三つ目に、サイドイベントの醍醐味を肌で感じました。会場に隣接していくつもの小さなパビリオンが仮設され、そこでは「ここぞ」とばかりに自国の文化発信や関連する文化保護の活動報告・ディスカッションが繰り広げられます。舞踊や音楽の公演、工芸技術の実演やワークショップ、関連NGO団体の活動成果発信も活発です。政府間委員会には、委員国だけでなく無形文化遺産に関心の高い文化財行政や研究機関、NGOの関係者が世界中から参加するのですから、こうした場を通じて自国の文化を発信し、彼らのアンテナに訴えるには、サイドイベントは非常に効果的です。
この政府間委員会は、無形文化遺産の国際的な協力・援助体制を確立するための重要な会議ですが、無形の文化遺産を各国がどのように捉えているのかを多角的に知る、恰好の情報収集の場でもあると感じました。
第17回無形文化遺産部公開学術講座「宮薗節の魅力を探る」の実施




令和5(2023)年11月22日、東京文化財研究所地下セミナー室・地下ロビーで第17回無形文化遺産部公開学術講座「宮薗節の魅力を探る」を開催しました。
まず前半では、無形文化遺産部無形文化財研究室長・前原恵美より趣旨説明を行い、その後、古川諒太氏(東京大学大学院博士後期課程)、半戸文氏(しょうけい館戦傷病者資料館)、無形文化遺産部特任研究員・飯島満、無形文化遺産部研究員・鎌田紗弓、前原より、音声・映像記録も用いながら発表を行いました。
後半は、座談会「宮薗千碌さん・千佳寿弥さんに聞く」と題し、 宮薗千碌氏と宮薗千佳寿弥 氏(以上、国の重要無形文化財「宮薗節」保持者[各個認定])に、宮薗節の特徴や習得のエピソード、周辺の邦楽ジャンルとの関係についてお話を伺ったほか、事前に提出された参加者からの質問にもお答えいただきました。その後、当研究所で継続的に実施している実演記録「宮薗節」より『夕霧』(抜粋)を上映しました。
また今回の講座では、宮薗三味線の体験や三味線製作者・竹内康雄氏によるミニ解説、一般財団法人古曲会や宮薗千碌氏・千佳寿弥氏に拝借した資料や楽器等に当研究所の関連資料を加えた展示、当研究所で取り組んでいる実演記録「宮薗節」のポスター展示等も行い、宮薗節をより立体的に知っていただく工夫を試みました。当日のアンケートでは、今回初めて当研究所を知った、宮薗節に初めて触れた、などの回答が複数寄せられ、本講座が伝統芸能との出会いの場になったという実感を得ることができました。
今後も無形文化遺産部では、無形文化財の魅力を、最新の研究成果とともにわかりやすく伝えられる取り組みを継続していきます。なお、本講座の様子を記録した映像は編集後に期間限定配信、報告書は各発表や資料紹介を充実させて次年度刊行・PDF公開予定です。
実演記録「宮薗節(みやぞのぶし)」第九回の実施


令和5(2023)年10月31日、無形文化遺産部は東京文化財研究所の実演記録室で、宮薗節の記録撮影(第九回)を行いました。
国の重要無形文化財・宮薗節は、江戸時代中期に上方で創始され、その後は江戸を中心に伝承されてきました。今日では、一中(いっちゅう)節・河東(かとう)節・荻江(おぎえ)節とともに「古曲」と総称され、演奏の機会もあまり多くはありません。無形文化遺産部では、平成30(2018)年より、実演記録「宮薗節」を継続的に行っており、伝承曲を省略せずに全曲演奏でアーカイブしています。
今回は、宮薗節のレパートリーの中でも「新曲」に分類される十段の中から、《薗生(そのお)の春》と《椀久(わんきゅう)》を収録しました。前者は、明治21(1888)年に宮薗節独立を記念して作られた作品で、宮薗節には珍しい華やかな三味線の替手(かえで)が入ります。後者はさらに新しく、昭和24(1949)年に作られた作品です。大坂新町の豪商・椀屋久兵衛(わんやきゅうべえ)(通称椀久)と新町の遊女・松山の悲恋の物語で、ここでは椀久の物狂いの様が描かれます。演奏はいずれも宮薗千碌(せんろく)(タテ語り、重要無形文化財各個指定いわゆる人間国宝)、宮薗千よし恵(ワキ語り)、宮薗千佳寿弥(せんかずや)(タテ三味線、重要無形文化財各個指定いわゆる人間国宝)、宮薗千幸寿(せんこうじゅ)(ワキ三味線)の各氏です。
無形文化遺産部では、今後も宮薗節の古典曲および演奏機会の少ない新曲の実演記録を実施予定です。
伝統楽器をめぐる文化財保存技術と原材料の調査@韓国


このたび無形文化遺産部と保存科学研究センターでは、日本と同様、伝統的な管楽器に竹材を用いる韓国で、竹材確保の現状や、日本で内径調整のために伝統的に用いられている漆の確保、技術伝承について共同で調査を行いました。
今回の調査によれば、韓国では宅地や商業地開発に伴う竹伐採が盛んで、竹材は今のところ潤沢に供給されているとのことでした。ただし伝統的な管楽器・テグム(竹製の横笛)に用いるサンコル(双骨竹または凸骨。縦筋の入った竹)のように特殊な竹の供給は不安定なため、国楽院楽器研究所が竹を薄い板状にして圧着した材を開発し、特許を取得して技術公開しています。ただしこの素材もまだ楽器製作者やテグム演奏家に浸透するにはいたっていないとのことで、引き続きの課題も垣間見えました。
漆については、中国からの輸入が多い現状を打破し韓国国内での漆液の生産・需要量を上げようと、従事者への保護が手厚い点が印象的でした。漆芸品の修復に使用する用具・材料に関する問題は日本ほど生じていないようで、特に加飾材料として用いられる螺鈿貝の加工・販売会社は韓国国内に十数店舗以上あるとのことでした。
韓国では管楽器への漆の使用は一般的ではありませんが、かつてはテグムの管内に朱漆を塗っていたそうで、現在も装飾的な意味合いで朱漆を塗ることがあるとのこと。管内に漆を塗っていた本来の理由が気になるところです。
また、日本では管内に漆を塗り重ねながら内径を調整しますが、韓国ではより肉厚で繊維の密な竹の内径を削りながら内径を調整することがわかりました。漆を塗り重ねて内径を狭めながら調整する日本と、厚みのある竹の内側を削り広げながら内径を調整する韓国。両国で調整方法が対照的なのは興味深く思われました。
本調査に際しては、韓国の国立無形遺産院のご協力もいただきました。日本で生じている原材料確保や保存技術継承の課題を、原材料の共通する他国と比較し、それぞれの技術の特性を知り、課題解決のヒントを得られるような調査研究を続けたいと思います。
箏の構造調査を多角的に―邦楽器製作技術保存会、九州国立博物館と連携―


無形文化遺産部では、伝統芸能の「用具」である楽器の調査研究も行っています。このたび、国の選定保存技術「箏製作 三味線棹・胴製作」の保存団体である邦楽器製作技術保存会、東京文化財研究所と同じ国立文化財機構の九州国立博物館と連携して、江戸時代後期から大正期にかけて製作されたと考えられる箏(個人所蔵)の構造調査を開始しました。楽器製作によって演奏者と観客を繋いできた知見と視点、博物館科学の文化財内部を非破壊調査する技術と視点、無形文化財の楽器学や音楽史研究の視点を総合し、箏の構造を多角的に明らかにしようとしています。
8月29日に九州国立博物館で箏のX線CT撮影を行いましたが、撮影直後に画像を確認しているところから、さっそくこの連携ならではの気づきもいくつかありました。例えば、箏の内側の底に切り込みが見つかると、それがかつてその工程に使われていた鋸の刃が入りすぎた跡と推測されたり、その跡を一部だけ埋木で補っているように見える点について意見を交わしたり。
この調査はまだ始まったばかりですが、異なる立場からの見解を持ち寄ることで、箏の製作技術や意図、その集大成としての箏の構造について、新たな側面が見えてくるのではないかと期待が膨らみます。今後は、撮影した画像の詳細な検討を進めるとともに、この箏の出自を精査し、製作者が同じ可能性のある他機関所蔵の箏と比較することで、構造や製作技術の特徴を明らかにしたいと考えています。
北上川河口のヨシ再生調査―篳篥の蘆舌原材料

無形文化遺産部では、無形文化財を支える原材料調査の一環として、篳篥の蘆舌に使用されるヨシの調査を行っています。このたび、ヨシの産地である宮城県石巻市・北上川河口にて調査を実施しました。調査の目的は、第一に当地のヨシの特性を知り、篳篥の蘆舌に適しているかを調査すること。第二に、東日本大震災で被災した当地のヨシ再生のプロセスや現状を知り、篳篥の蘆舌に適するヨシの産地として知られる淀川河川敷での「ヨシ再生」に活かせることはないか調査すること。
調査では、ヨシ原保全活動に取り組む(有)熊谷産業を訪ね、ヨシ原の現状を聞き取るとともに、蘆舌の原材料となりそうな外径のヨシを提供していただきました。熊谷産業は、社寺建築や和風建築の伝統的な工法による屋根工事を手掛ける会社で、国指定重要文化財保存修理工事も行っています。いただいたヨシは、二名の方に篳篥蘆舌の試作を依頼しました。完成後は試奏による使用感を含め、調査結果をまとめる計画です。
また、北上川を管理する国土交通省東北地方整備局・北上川下流河川事務所や、震災前後のヨシ原調査やヨシ原への理解推進に取り組む東北工業大学教授の山田一裕氏を訪ねました。東日本大震災発生以前、河口には約183haのヨシ原が広がっていましたが、震災で50~60cmの地盤沈下が発生し、浸水によるヨシの枯死が進み、津波が運んだゴミで成長を妨げられ、一時は約87haに減少したと言います。その後、ヨシ原のゴミは地域の方々の協力のもと回収され、現在はヨシ原再生のための移植実験も行われています。震災による被害から自然環境が回復する過程で、地域の人々の理解や協力が自然の回復を後押したと言えるでしょう。
さらに、当地では、「水防法及び河川法の一部を改正する法律」(平成25(2013)年6月)で創設された「河川協力団体制度」により、北上川下流河川事務所と3つの協力団体が情報交換や報告を行って河川や周辺環境を保全する体制が取られています。こうした連携も、ヨシ原再生に効果を上げていると感じました。
無形文化遺産部では、無形文化財、民俗文化財、文化財防災を専門とする研究員が連携し、今後も無形の文化財継承に必要な人・技・モノの現状や課題、解決方法について、包括的な調査研究を実施していきます。
文化財活用センターと協働で実演記録「平家」第五回を実施
継承者がわずかとなり伝承が危ぶまれている「平家」(「平家琵琶」とも)について、無形文化遺産部では、平成30(2018)年より「平家語り研究会」(主宰:薦田治子武蔵野音楽大学教授、メンバー:菊央雄司氏、田中奈央一氏、日吉章吾氏)の協力を得て、記録撮影を進めています。第五回は、令和4(2023)年2月3日、東京文化財研究所 実演記録室で《那須与一》と《宇治川》の撮影を実施しました。
《那須与一》は、那須与一が扇の的を射落として源頼朝から功績を認められたエピソードが有名で、この場面は絵画にもしばしば描かれてきました。そこで今回は新たな試みとして、高精細複製による文化財の活用を推進している、独立行政法人 国立文化財機構 文化財活用センターとの協働で、「平家物語 一の谷・屋島合戦図屏風(高精細複製品)」を演奏者の後ろに設置して撮影しました。《宇治川》は、宇治川を前にして繰り広げられる佐々木高綱と梶原景季の勇壮な先陣争いがテーマです。今回の実演記録では、《那須与一》を菊央氏(前半)と日吉氏(後半)、《宇治川》を田中氏の演奏で記録撮影しました。
伝統芸能である「平家」にルーツを持ち、文学作品としての「平家物語」、さらに絵画などの題材へと展開する文化の広がりが伝わるような発信を、今後とも応用・工夫していきます。


【シリーズ】無形文化遺産と新型コロナウイルス フォーラム4「伝統芸能と新型コロナウイルス―これからの普及・継承―」の開催


無形文化遺産部では、令和4(2022)年11月25日、東京文化財研究所セミナー室にてフォーラム4「伝統芸能と新型コロナウイルス―これからの普及・継承―」を開催しました。
まず、当研究所無形文化遺産部・石村智、前原恵美、鎌田紗弓が、伝統芸能と教育に関する海外の事例、コロナ禍における伝統芸能の現状とこの一年の経過について報告しました。
続いて、それぞれ異なる立場や枠組みで伝統芸能の普及や継承に取り組んでいる事例について、櫻井弘氏(独立行政法人 日本芸術文化振興会)、布目藍人氏(公益社団法人 芸能実演家団体協議会)、江副淳一郎氏(凸版印刷株式会社、文化庁「邦楽普及拡大推進事業」事務局)、仲嶺幹氏(沖縄県三線製作事業協同組合)からご報告を頂きました。そして事例報告の間には、文化庁「邦楽普及拡大推進事業」採択校で邦楽指導に当たられている岡村慎太郎氏と岡村愛氏による地歌三弦『黒髪』『橋尽し』が演奏されました。
事例報告者と石村、前原による座談会では、伝統芸能の普及・継承に関わる様々な立場の取り組みにおいても、コロナ禍以前から内在していた需要拡大の問題がコロナ禍で顕在化したことを改めて共有しました。また、伝統芸能の普及の上にこそ継承が成り立つとの認識から、様々な立場、枠組みで多様な年代の伝統芸能のニーズに対応しつつ、その情報を共有することで全体として幅広い需要を的確につかみ、シームレスな伝統芸能の普及拡大に繋げる一歩となる、との意見で締め括りました。
なお、このフォーラムはコロナ対策のため、席数を半数に限定して開催しましたが、当研究所ウェブサイトで令和5(2022)年3月31日まで記録映像を無料公開しています(https://www.tobunken.go.jp/ich/vscovid19/forum_4/)。また、年度末に報告書を刊行し、当研究所ウェブサイトで公開する予定です。