研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『TOBUNKEN NEWS (東文研ニュース)』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。

東京文化財研究所 保存科学研究センター
文化財情報資料部 文化遺産国際協力センター
無形文化遺産部


神護寺薬師如来立像と八幡神の悔過―第2回文化財情報資料部研究会の開催

研究会風景
質疑応答の様子

 京都・神護寺に伝来する薬師如来立像は、その特異な風貌と和気清麻呂(733–799)が発願したという来歴を持つことから、早くから美術史上で注目をあつめ、多くの議論が積み重ねられてきました。とりわけ、当初の安置場所が神護寺の前身である神願寺あるいは高雄山寺のいずれなのか、どのような経緯で造立されたのかということが、大きな論点となってきました。近年では、政敵であった道鏡(?–772)に対抗するために仏の力を必要とした八幡神の要請に応じた清麻呂が、神願寺の本尊として薬師如来を造像したとする皿井舞氏 の学説が広く支持されています。
 令和4(2022)年5月30日に開催した文化財情報資料部研究会では、原浩史氏(慶應志木高等学校)が「神護寺薬師如来立像の造立意図と八幡神悔過」と題した発表を行いました。原氏は、神護寺像の当初の安置場所を神願寺とした上で諸史料を精読し、八幡神と道鏡との対立が後世に創作されたものであることを指摘し、神護寺像は八幡神が悔過を行うための本尊であり、清麻呂の私的な願意によって製作されたものと結論付けました。
 研究会はオンラインを併用して研究所内で開催し、当日はコメンテーターとして皿井舞氏(学習院大学) をお招きしたほか、長岡龍作氏(東北大学)をはじめ、彫刻史を専門とする各氏にご参加をいただきました。質疑応答では、さまざまな意見が出され、活発な議論が交わされました。今回の発表は神護寺薬師如来立像の研究に新たな視点を加えるものであり、今後の議論の広がりが期待されます。


「日本美術の記録と評価―美術史家の調査ノート」ウェブ・コンテンツの公開

田中一松資料
日露戦争戯画「筆のまにまに」(田中一松)
土居次義資料

 東京文化財研究所では図書や写真だけでなく、旧職員などの研究者の調査ノートや会議書類なども研究資料として保存活用しています。平成31年度から3年間、実施した基盤研究B「日本美術の記録と評価についての研究―美術作品調書の保存活用」(JSPS科研費JP19H01217)の成果の一部として、東京文化財研究所が所蔵する田中一松(1895–1983)資料と、京都工芸繊維大学附属図書館が所蔵する土居次義(1906–1991)資料のなかから代表的なノート類をウェブサイトで公開しました。
 田中一松資料は、大正12(1923)年から昭和5(1930)年の東京帝国大学の受講ノートや作品調査ノートと、明治38(1905)年から大正3(1914)年にかけての小・中学生時代のスケッチブックなどについて紹介しています。田中一松は幼い頃から絵を描くことを好み、眼で見たものを即時に描き表す修練を積み重ね、その経験はのちの美術史家としての仕事にも活かされていたことがわかります。田中一松は半世紀以上にわたり文化財行政の中枢で活躍し、まさに浴びるように作品を見て、作品の評価を通じて日本絵画史研究を推進しました。
 土居次義資料は、昭和3(1928)年から昭和47(1972)年の間の代表的な調査ノートと、京都帝国大学での受講ノートや昭和22(1947)年の俳句と写生による旅の記録などを紹介しています。土居次義は文献調査に加え、現地調査による作品細部の徹底した観察に基づき画家を判別し、寺伝などで伝承される画家の再検討を行い、近世絵画史研究に画期的な業績を残しました。
 田中と土居の戦前の調査ノートからは、写真が気軽に撮れなかった時代に、いかにして自分が見たものの形や表現を記録するか、その記録の集積から作品の評価につなげていたかがうかがわれ、両者の営みは大正・昭和の美術にまつわる近代資料とも言えます。研究資料としてご利用いただければ幸いです。ただ眺めるだけでも眼を楽しませてくれるようなスケッチもあります。ぜひご覧ください。
https://www.tobunken.go.jp/researchnote/202203/


彫刻用刃物の撮影記録-美術工芸品の保存修理に使用する用具・原材料の記録・調査として-

映像・写真による彫刻鑿製作工程の記録
彫刻鑿製作の様子

 文化財の修理を持続的に考える上で、修理に用いる原材料や用具の現状を把握することは非常に重要です。これらの原材料や用具を製作する現場では、人的要因(高齢化や後継者不足)および社会構造の変化による要因(経営の悪化や原料自体の入手困難)から生じた問題を多く抱えていることが、平成30年度より毎年文化庁から受託している「美術工芸品保存修理用具・原材料調査事業」で明らかとなりました。これを受けて保存科学研究センターでは令和3年度より、文化財を保存修理する上で必要となる用具・原材料の基礎的な物性データの収集や記録調査を目的とした事業を開始し、文化財情報資料部、無形文化遺産部と連携して調査研究を行なっています。本報告では、製造停止となる彫刻鑿(のみ)の記録調査について報告します。
 木彫の文化財を修理する際、新材を補修材として加工することがあるため、彫刻鑿や彫刻刀、鋸が主な修理用具として挙げられます。株式会社小信(以下、小信)は、刃物鍛冶として一門を成していた滝口家が昭和初期に創業し、現在制作技術を継承する齊藤和芳氏に至るまで、彫刻鑿や彫刻刀の製作を続けてきた鍛冶屋です。木彫の修理や制作等に携わる多くの方に愛用されてきましたが、令和3(2021)年の10月に受注を停止し、近く廃業することが表明されました。その製造業務が停止する前に、東京文化財研究所では令和4(2022)年5月23日から27日にかけて、彫刻鑿の製作の全工程と使用した機器・鍛冶道具の映像・写真による記録および聞き取り調査を開始しました。この記録調査には公益財団法人美術院の門脇豊氏、文化庁にもご協力いただきました。
 今後、小信の彫刻鑿の製作工程を肌で感じ、眼で見ることは非常に困難になってしまいましたが、彫刻鑿の再現を希望する次代の方に向けて、少しでも手がかりとなるように本調査の記録をまとめていく予定です。


Symposium—Conservation Thinking in Japan における研究発表

講演の様子

 令和4(2022)年5月6、7日にアメリカのニューヨークにあるBard Hall で開催されたシンポジウムConservation Thinking in Japan and Indiaにおいて、“The Relationship Between Traditional Painting Materials and Techniques in Japan from a Scientific Perspective”と題して、日本の文化財修復における技術と材料の関連性について発表しました。このシンポジウムはThe Andrew W. Mellon Foundationの助成を受けてBard Graduate Center が対面・オンライン併用開催したもので、内外の日本の文化財修復や美術史の専門家が最新の研究内容を紹介しました。
 修復材料研究室で行なってきた研究のうち、絵画の修復に用いる古糊が周辺材料や周辺技術と相関し合っていること、絵画の支持体である絹の生産工程上の変化が糸形状や保存性に変化を与え、ひいては絵画表現に影響を与えていると推定されることなどを紹介しています。シンポジウムの前後には関連の施設の見学やミーティングも行われ、修復の実情などを踏まえて活発な議論となりました。材料や技術の科学的な解明は、実際の修復の現場や材料の生産現場でも必要とされていますが、専門家との意見交換によりさらに研究を深める契機となり、また、広くこのような成果を知って頂く貴重な機会となりました。


文化遺産国際協力コンソーシアムによる第30回研究会「文化遺産×市民参画=マルチアクターによる国際協力の可能性」の開催

第30回研究会
ディスカッションの様子

 文化遺産国際協力コンソーシアム(東京文化財研究所が文化庁より事務局運営を受託)は、令和4(2022)年2月11日に第30回研究会「文化遺産×市民参画=マルチアクターによる国際協力の可能性」をウェビナー形式で開催しました。
 この研究会では、日本国内の市民参加型まちづくりや官民協働のノウハウが活用された事例および民間を主体とする国際交流の多面的な展開に関する事例をもとに、多様なアクターの参画によって期待される文化遺産国際協力の可能性について議論が行われました。
 講演では、村上佳代氏(文化庁地域文化創生本部文化財調査官)より、「国際協力によるエコミュージアム概念に基づく観光開発―ヨルダン国サルト市を事例として―」と題し、自身が青年海外協力隊・技術協力プロジェクト専門家として参加した活動が紹介されました。また、丘如華氏(台湾歴史資源経理学会事務局長)より、「歴史遺産保存における連携―学び合いの旅―」と題し、民間の立場からの数十年にわたる多彩な活動経験が紹介されました。
 後半のパネルディスカッションでは、上記2氏に加え、西村幸夫氏(國學院大學教授)と佐藤寛氏(アジア経済研究所上席主任調査研究員)に参加いただき、活発な議論が展開されました。人々の暮らしの場を文化遺産として扱う場合における、当事者間の利害関係に配慮した合意形成の重要性や多様なアクターが文化遺産の価値を共有していくための努力の必要性など、SDGsの実践にも繋がる多くの視点を得ることができました。
 当日は国内外から120名近くの方々にご参加いただきました。コンソーシアムでは引き続き、マルチアクターによる文化遺産国際協力可能性について検討を進めていく予定です。
 本研究会の詳細については、下記コンソーシアムのウェブページをご覧ください。
https://www.jcic-heritage.jp/20220221/


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