研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『TOBUNKEN NEWS (東文研ニュース)』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。

東京文化財研究所 保存科学研究センター
文化財情報資料部 文化遺産国際協力センター
無形文化遺産部


第16回 東京文化財研究所 無形文化遺産部 公開学術講座「無形文化財と映像」を開催

座談会の様子(檀上左から佐野真規、櫻井弘氏、小泉優莉菜氏)
事例報告①に登壇した石田克佳氏

 令和4(2022)年10月28日(金)、第16回公開学術講座を開催しました。
 午前は、講座に先立ち、公益財団法人ポーラ伝統文化振興財団、独立行政法人日本芸術文化振興会、当研究所で制作した映像を上映しました。
 午後の本講座では、まず開催趣旨を説明し(前原恵美無形文化財研究室長)、その後、無形の文化遺産と映像(石村智音声映像記録研究室長)、当研究所における無形文化財の映像記録(佐野真規アソシエイトフェロー)、古典芸能の保存技術(琵琶製作者・演奏家の石田克佳氏、前原)、工芸技術に関する映像記録(瀬藤貴史文化学園大学准教授、菊池理予主任研究員)についての報告を行いました。続いて座談会では、独立行政法人日本芸術文化振興会理事の櫻井弘氏および公益財団法人ポーラ伝統文化振興財団学芸員の小泉優莉菜氏より、それぞれの機関での無形文化財の映像についてご紹介いただき、その後当研究所研究員を交えて、「無形文化財の映像」の目的や手法、公開について、それぞれの機関による特徴を整理、共通理解を得ました。また、こうした各機関の特徴を相互に理解した上で、無形文化財の多角的な映像記録がアーカイブされ、可能な範囲・方法で公開されていくことにより、無形文化財が俯瞰的に記録されるとの結論に至りました。
 今後も無形文化遺産部では、無形の文化財の記録手法、活用について、さまざまな課題を共有し、議論できる場を設けていきます。なお、本講座の報告書は次年度刊行、PDF公開予定です。


被災文化財(工芸技術)に関する現地調査-珠洲焼―

地震で破損した作品(珠洲市提供)
2022年6月19日石川県能登地方の地震における震度と各工房での被害状況(珠洲焼map及びJ-RISQ地震速報より作成)

 珠洲焼は、12世紀中頃から15世紀末にかけて珠洲市および能都町東部(旧内浦町)で生産されていた陶器です。釉薬を用いずに還元炎焼成されることで灰黒色に発色する特徴があります。昭和51(1976)年に珠洲市や商工会議所の努力で再興事業が始まり、平成元(1989)年には石川県伝統的工芸品に指定されました。現在、珠洲市内では、工房や個人の陶工を合わせて約50名が活動しています。
 令和4(2022)年6月19日に発生した能登半島の地震では、珠洲焼の工房への被害が確認されました。そこで、被害状況とその後の対応について把握するため、無形文化遺産部と文化財防災センターが共同して、現地調査(令和4(2022)年9月6日、10月24~25日)を行いました。現地調査は、珠洲市産業振興課、珠洲市立珠洲焼資料館、珠洲市陶芸センター、珠洲焼の陶工の団体である「創炎会」のご協力のもとで実施しました。
 今回の地震による揺れが特に大きかったのは、正院、直、飯田地区でした。当該地に立地する工房では、作品の破損だけでなく、制作に欠かせない薪窯が毀損する被害が報告されています。地震の翌日、珠洲市産業振興課は全工房と陶工へ電話をかけて被害状況を確認し、被害の様子を写真で記録するように指示しています。その後、「創炎会」篠原敬会長が中心となり、より詳細な被害状況把握のためのアンケートを実施しました。アンケート結果をもとに、珠洲市担当職員は、被害があった工房を訪問し、復旧に必要な情報の把握を行いました。現在、そうした情報を総合し、一部の窯の復旧には石川県の「被災事業者再建支援事業費補助金」への申請が検討されています。
 今回の事例では、陶工同士の横のつながりである「創炎会」というコミュニティの大切さと、有事における迅速な被害状況の把握と記録の重要性を感じました。
 今後も、無形文化遺産部と文化財防災センターでは様々な現地調査を通して工芸技術の防災について考えていきます。


津森神宮お法使祭の実施状況調査―熊本地震と無形民俗文化財の再開―

荒々しく揉まれる神輿
御仮屋前での神事の様子

 無形文化遺産部では、10月29日~30日に、熊本県上益城郡益城町・阿蘇郡西原村・菊池郡菊陽町に伝わる「津森神宮お法使祭」の実施状況調査を行いました。
 「津森神宮お法使祭」は、毎年10月30日に行われる津森神宮(益城町寺中)の祭事の一つです。益城町・西原村・菊陽町にまたがる12の地区が1年交代で当番を務め、当番となった地区は「お仮屋」を建てて、御祭神であるお法使様を1年間お祀りします。当番地区が次の地区にお法使様を渡すための巡行の途中で、御神体をのせた神輿を荒々しく揺らしたり放り投げたりする所作が行われることで有名です。
 行事を行う三町村は、平成28(2016)年4月に発生した熊本地震で甚大な被害を受けた地域です。行事の中心となる津森神宮も、大きな被害を受けました。平成28年については一部規模を縮小し「復興祈願祭」として挙行したものの、平成29(2017)年・30(2018)年は中断をしたそうです。今年の当番地区は、杉堂地区(益城町)がつとめました。地元の方にうかがったところ、いまだ地震の影響は残っており、近年、仮設住宅から新しく建て直した住居に戻ったばかりの方も、地区内にはいらっしゃるそうです。
 出発式では、益城町長ほか関係者から復興状況について報告があり、「例年とは異なるかたちで行事を行うしかなかった地区の分まで盛大に」と言葉がありました。地震発生後、一時は神輿を荒々しく扱うような所作を控えた時期もあったと言います。今年の行事では、地震以前を取り戻すかのように、威勢よく神輿が地区内を巡行し、無事、夕方には、お法使様は、来年の当番地区である瓜生迫地区(西原村)の御仮屋へと移っていきました。
 無形民俗文化財は、地域の方々の生活に密着に結び付いている文化財であるがゆえに、災害による影響が、予想できない形で現れることがあります。今回のお法使祭の例も、地元の方々の生活の復興状況が、行事の実施内容に影響を与えた可能性があります。無形文化遺産部では、引き続き、災害発生が無形民俗文化財にどのような影響を及ぼすのか、調査を進めていきたいと考えます。


無形文化財を支える用具・原材料の調査―篳篥の蘆舌と原材料

左から、上牧鵜殿、西の湖、渡良瀬川のヨシ
ヨシをヒシギ鏝でひしぐ様子
ヨシを木蝋燭きろうそくにあてて先端を小刀で削る
左から、渡良瀬川、上牧鵜殿、西の湖のヨシで作った蘆舌

 無形文化遺産部では、無形文化財を支える用具(付属品を含む楽器、装束等)やその原材料の調査・研究を進めています。
 雅楽の管楽器・篳篥ひちりき蘆舌ろぜつ(リード)の原材料は、ヨシの中でも河岸や湖沼近くで育つ陸域ヨシで、特に大阪府高槻市の淀川河川敷、上牧かんまき鵜殿うどの地区は篳篥の蘆舌に適していると言われてきました。ところが、生育状況等の様々な変化により、蘆舌に適した太いヨシが大きく減少しています。無形文化遺産部では、そもそも上牧・鵜殿地区のヨシの、どのような特性が篳篥蘆舌に適しているとされているのか、同じくヨシの産地として知られる西の湖(琵琶湖の内湖)や渡良瀬川遊水地のヨシとの比較調査を、保存科学研究センターと共同で行っています。令和4(2022)年10月13日、その一環として、篳篥奏者・中村仁美氏の協力を得て、上牧・鵜殿地区、西の湖、渡良瀬川遊水地のヨシで篳篥の蘆舌を試作し、その様子を記録撮影するとともに、聞き取り調査を行いました。すでに行ったヨシの外径、内径等の計測に加え、今後は詳細な断面観察等を行い、併せてそれぞれのヨシの特性と篳篥の蘆舌に求められる適性について研究を進める予定です。
 なお、篳篥の蘆舌製作は、適した温度に熱したヒシギごてでヨシを挟んでゆっくり潰す「ひしぎ」の工程に特徴がありますが、質の良いヒシギ鏝の不足も伝えられており、雅楽を取り巻く用具(蘆舌)、原材料(ヨシ)だけでなく製作に必要な道具(ヒシギ鏝)の入手にも課題がありそうです。
 無形文化遺産部では、引き続き、無形文化財の継承に必要な技やモノの現状や課題、解決方法について、包括的な調査研究を実施していきます。


岩窟内に建てられた木造建造物の保存環境に関する調査

岩窟の表面温度の測定
岩窟上部における水分浸透状態の測定
本殿の表面温度の測定

 保存科学研究センターでは岩窟内の木造建造物の保存環境にかかる調査研究を行っています。
 石川県小松市の那谷寺は土着の白山信仰と仏教が融合した寺院であり、重要文化財である本殿は1642年(寛永19年)に再建されたもので、自然の浸食でできた岩窟内に建てられています。岩窟内では近年実施した耐震補強工事以降、春から夏にかけての結露の発生が問題になっています。結露は木材腐朽の要因となるため、建築やそこに施された装飾をなるべく健全な状態で残すためには、発生の頻度を可能な限り減らすことが望ましいです。
 そこで結露の発生要因を明らかにし、その抑制方法を検討するための環境調査を行っています。岩窟内の環境は雨水や外気の影響や岩盤の熱容量(熱を蓄える能力)の影響を受けるため、堂内の温湿度環境の測定に加え、岩盤への水分浸透状態の測定や、岩盤や本殿の表面温度の測定を行っています。今後は継続的な環境データの測定と分析により検討を進めます。
 結露は、組積造建造物や古墳の石室など様々な現場で問題になっています。特に近年は夏季の気温と絶対湿度の上昇に伴って、発生リスク自体が上昇していることが報告されています。根本的には地球規模での環境を考える必要がありますが、まずは日常管理の中で取り組める対策を提案できればと考えています。


文化財修復処置に関するワークショップ-ナノセルロースの利用についてー開催報告

開講式集合写真
実習風景

 近年、文化財保存修復に関する調査研究対象は伝統的な文化財分野のみならず、多様な材料で作成された作品や資料へ広がっており、それに伴い、保存科学研究センター修復材料研究室では、海外の講師を招聘しての研修を開催しています。今年度は、フランスよりナノセルロースの利用について研究と実践を行うRemy Dreyfuss-Deseigne氏を招聘し令和4年(2022)10月5日より3日間のワークショップを行いました。ナノセルロース材料は天然材料に由来する透明で安全な材料であることから、特にトレーシングペーパーや写真フィルムなど透明な材料への適用が着目されています。
 定員15人に対し2倍以上のご応募があり、午前の座学へは全員ご参加いただけましたが、午後の実技のためには定員を広げつつも選考を行わざるを得なかったのですが、この研修に対する期待を強く感じられました。初日は齊藤孝正所長の挨拶と講師紹介の開講式から開始され、午前の座学と午後の実技実習を行いつつ、また、最終日には東文研が保有する機器のうち研修に関連するものの見学も行いました。
 海外から講師を招聘してのワークショップは3年ぶりとなりましたが、対面での研修となったため、非常に活発な質問や討議が行われ、さらに、研修生同士の連携も強く形成されたとの声も多く、オンラインでは得られない研修効果を再認識した次第です。このような熱意の中で行われた本研修の成果は、実際の文化財修復や公文書保存に役立てられていくと考えております。


文化庁主催「令和4年度文化的景観実務研修会」他への参加

葛飾柴又の文化的景観
旧「川甚」新館での全国文化的景観地区連絡協議会の様子

 文化遺産国際協力センターは、ユネスコ世界遺産をはじめとする文化遺産の保護についての国際的な動向や情報を日本国内で共有することを目的とした「世界遺産研究協議会」を平成29(2018)年から開催しています。令和4(2022)年度は、「文化財としての『景観』を問いなおす」と題し、近年わが国でも重要性が高まってきている面的な文化財の保護を取り上げます。このような背景から、国内における景観保護の潮流を理解するため、文化庁が10月27日~29日に開催した「文化的景観実務研修会」および「全国文化的景観地区連絡協議会」に参加しました。
 二つの会は、大都市に所在する文化的景観としては国内初の選定となった葛飾柴又で開催されました。研修会では、文化的景観の魅力発信や観光まちづくりに関する二つの事例発表の後、参加者がグループに分かれて実地を歩きながら、文化的景観の情報を内外の人が共有する(その魅力を知る)ための課題について調査し、その解決にむけての発表と討議を行いました。ついで協議会では、柴又の文化的景観の特質に関する基調講演、川魚の食文化の継承に関する三つの事例報告の後、本テーマに関する登壇者による討論が行われました。
 文化的景観の意義を次世代へ繋げるには、行政機関のみならず地域住民や関係者の主体的な参画が鍵となります。今回の研修会および協議会では、日々の生活に根ざした「生きた文化財」としての文化的景観を活用する手法に焦点が当てられました。言うまでもなく、こうした活用と車の両輪のような不可分的関係にあるのが保護であり、その制度や手段です。このことを念頭に今年度の世界遺産研究協議会では、文化的景観や歴史的街区など景観的な価値をもつ世界遺産が海外でどのような法的根拠の下に保護されているのかを明らかにし、わが国の「景観」保護の将来について展望したいと考えています。


令和4年度シンポジウム「気候変動と文化遺産―いま、何が起きているのか―」の開催

パネルディスカッションの様子

 文化遺産国際協力コンソーシアム(東京文化財研究所が文化庁より受託運営)は10月23日、東京大学農学部弥生講堂一条ホールにおいて令和4年度シンポジウム「気候変動と文化遺産―いま、何が起きているのか―」を開催しました(文化庁及び国立文化財機構文化財防災センターとの共催)。
 今回のシンポジウムでは、歴史上の気候変動と人間社会とのかかわりから気候変動を考え、気候変動下で有形、無形の文化遺産が直面している問題を共有、議論することで、文化遺産のより良い未来のための国際協力の可能性を探ることを目的としました。
 冒頭の青柳正規・文化遺産国際協力コンソーシアム会長のあいさつでは、気候変動を前提とした文化遺産保護における国際的な協調と連携の強化という来たるべき課題に対して、まずは多くの人々が気候変動と文化遺産の関係を正しく理解することがその第一歩となることが強調して述べられました。
 続いて、気候変動と文化遺産に関連した研究に関する講演として、中塚武・名古屋大学大学院環境学研究科教授から「古気候学から見た過去の気候適応の記憶としての文化遺産の可能性」、ウィリアム・メガリー・イコモス気候変動ワーキンググループ座長から「我々の過去を未来へ:文化遺産と気候変動の緊急事態」、石村智・東京文化財研究所無形文化遺産部音声映像記録研究室長から「気候変動と伝統的知識:オセアニアの事例から」と題して、それぞれに異なる視点から気候変動と文化遺産を捉えた発表が行われました。
 後半のパネルディスカッションでは、園田直子・国立民族学博物館教授をモデレーターに、上記の講演者に建石徹・文化財防災センター副センター長を加えた4人のパネリストによる討論が行われました。建石副センター長による東日本大震災を事例とした文化財防災の取り組みと課題の紹介の後、会場も交えて、気候変動が文化遺産保護の活動に与える影響や文化遺産をかたちづくる伝統的な知識が気候変動対策の鍵となる可能性など様々な意見が交わされました。そして、最後の高妻洋成・文化財防災センター長による閉会のあいさつでは、引き続き多くの人々の知恵を集めながら、この課題に取り組んでいくことの重要性が確認されました。
 本シンポジウムの詳細については、下記コンソーシアムのウェブページをご覧ください。
令和4年度シンポジウム「気候変動と文化遺産―いま、何が起きているのか―」を開催しました|JCIC-Heritage


国際シンポジウム「メソポタミアの水と人」の開催

写真:イラクと中継を結んでのディスカッション

 東京文化財研究所とNPO法人メソポタミア考古学教育研究所(JIAEM)は、令和4(2022)年10月22日(土)に「メソポタミアの水と人―文化遺産から暮らしを見直す―」と題した国際シンポジウムを共催致しました。本シンポジウムは、令和元(2019)年に続く2度目の共催事業であり、いまだ外国研究機関の活動が制限されているイラクをはじめとしたメソポタミア地域の考古学研究ならびに現代の暮らしに目を向け続け、理解を深めるとともに、将来的な考古学調査の再開や国際協力を見据える活動の一環であります。
 メソポタミア文明を育んだ大河・ティグリス川とユーフラテス川は現在、地球規模の気候変動の影響に加えて、上流に位置する隣国によるダム建設などのあおりを受け、水量が激減しているという問題に直面しています。本シンポジウムでは、駐日イラク共和国大使館 特命全権大使アブドゥル・カリーム・カアブ閣下をお招きし、メソポタミア文明期から脈々と続く人々の生活と両大河の関わりと、現在の大河流域のイラクの窮状について基調講演をいただきました。続いて、越境河川における水資源管理、古代メソポタミア地域の水利、伝統的な船造りの方法とその伝承、かつて豊富な湧水で栄えたバーレーンの歴史と現在、というテーマで多方面から「水」をキーワードに発表が行われました。シンポジウム後半には、イラク現地と中継を結び、イラク人専門家から、古代遺跡での水利に関する調査成果や、水とともに生きる南イラクの水牛の危機的状況を発表していただきました。最後に発表者全員で行われたディスカッションでは、かつてイラクの地でどのような水利事業が行われていたのか発掘成果を確認するとともに、様変わりする河川の状況に人々はどう対処していくことが出来るかが話し合われました。
 古代から現代にいたる幅広い問題を扱い、日・英・アラビア語の3か国語で行われた本シンポジウムは、「水」という我々の生活の核となるテーマを掲げたことで、学術的な内容に留まらず、現地の声に耳を傾け人々の暮らしを議論する貴重な機会となりました。このような会を積み重ねることで、新たな国際協力の課題が見出されていくことでしょう。


古墳の石室及び石槨内に残存する漆喰保存に向けた調査研究

石槨内に残存する漆喰

 令和4(2022)年10月20日に、広島県福山市にある尾市1号古墳を訪れ、福山市経済環境局文化振興課協力のもと、石槨内に残存する漆喰の保存状態について調査を行いました。古墳造営に係る建材のひとつである漆喰は、その製造から施工に至るまで特別な知識及び技術を要することから、当時における技術伝達の流れを示す貴重な考古資料といえます。こうした理由から、国外では彩色や装飾の有無に関わらず、漆喰の保存に向けた取り組みが行われることは珍しくありません。一方、国内でも、高松塚古墳やキトラ古墳だけではなく、漆喰の使用が確認されている古墳が40ヶ所以上にものぼることはあまり知られていません。その多くは文化財に指定されていますが、保存に向けた対策が講じられることは少なく、風化や剥落によって日々失われてゆく状況が続いています。
 尾市1号古墳の漆喰は国内でもトップクラスの残存率を誇り、未だ文化財指定を受けていないことが不思議なくらいです。さらに、単に漆喰が残っているというだけではなく、保存状態の良い箇所では、造営時に漆喰が塗布された際にできたと考えられる施工跡までもが確認でき、当時使われていた道具類を特定するうえでの貴重な手掛かりになるものと思われます。今回の調査では、保存状態や保存環境を確認したうえで、材料の適合性や美的外観といった文化財保存修復における倫理観と照らし合わせながら、持続可能な処置方法を検討しました。
 文化財の活用は以前にも増して強く求められるようになってきています。これに伴い、文化財の継承の在り方も今一度見直すべき時期に差し掛かっているといえるでしょう。古墳に残された漆喰もしかり、朽ち果て、失われてゆく現状を見直し、今後の活用にも繋がりうる適切な保存方法と維持管理の在り方について、国外の類似した先行事例も参照しつつ、検討を重ねていきたいと思います。


to page top