研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『TOBUNKEN NEWS
(東文研ニュース)』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。
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講演「美術司書の仕事」の会場(写真提供:泉屋博古館東京)
講演「美術司書の仕事」のスライド
泉屋博古館東京にて令和6(2024)年12月6日に行われた連続講座〈アートwith〉に、文化財情報資料部近・現代視覚芸術研究室長・橘川英規が招かれ、「美術司書の仕事」と題してレクチャーを行いました。連続講座〈アートwith〉は、アートに関わるさまざまな専門家が講師となり、広く美術愛好者にむけて、その仕事の魅力を語るイベントです。
今回のレクチャーでは、東京文化財研究所資料閲覧室だけでなく、東京都現代美術館美術図書室や国立新美術館アートライブラリーでのキャリアをもとに、多岐にわたる司書の専門技術全般をお示しして、そのなかでとくに蔵書目録作成や美術家に関する書誌編纂によって行われる、研究者・学芸員の研究活動支援や蔵書の価値を高める枠組みつくりのたのしみをお話しました。
当研究所は、文化財を守り、後世へとつなげるためにさまざまな専門家が協力しています。美術資料に精通した司書も、こうした取り組みを支える一員として、文化財の未来をともに考え、守り続けていく重要な役割を担っています。それを紹介するとともに、橘川自身がその意義を改めて振り返る、よい機会ともなりました。今回のレクチャーをご覧になられた美術愛好者の方、異業種の方、学生の方が、美術司書という仕事に魅力を感じ、文化財保護への関心を深めていただけたのならなによりです。
令和6(2024)年12月15日、韓・米・仏の歴史学研究者一行が資料閲覧室を訪れました。一行は国際フォーラム「韓国学の新地平―歴史をひもとき、現代世界を読みなおす―」(12月13日~14日に獨協大学にて開催)で研究発表をするため来日しており、日本滞在中の見学先として東京文化財研究所が選ばれました。
鄭枖根(ソウル大学校歴史学部教授)、朴省炫(同学部副教授)、朴芝賢(同学部講師)、朴俊炯(ソウル市立大学校国史学科副教授)、韓鈴和(成均館大学校史学科助教授)、李在晥(中央大学校歴史学科副教授)、BRUNETON Yannick(パリ・シテ大学韓国学科教授)、Jisoo M. Kim(ジョージ・ワシントン大学歴史学科准教授)をはじめとする一行は、文化財情報資料部文化財アーカイブズ研究室研究員・田代裕一朗による案内説明を受けながら、昭和5(1930)年以来集められてきた当研究所の蔵書、そして所蔵拓本を興味深く見学しました。
文化財アーカイブズ研究室は、文化財に関する資料情報を専門家や学生に提供し、資料を有効に活用するための環境を整備することをひとつの任務としております。世界的に見ても高い価値を誇る当研究所の貴重な資料が、美術史研究だけでなく、アジア史研究、ひいては歴史学研究全般で広く活用され、人類共通の遺産である文化財の研究発展に寄与することを願っております。
※文化財アーカイブズ研究室では、大学・大学院生、博物館・美術館職員などを対象として「利用ガイダンス」を随時実施しています。ご興味のある方は、是非案内(https://www.tobunken.go.jp/joho/japanese/library/application/application_guidance.html) をご参照のうえ、お申込みください。
研究会の様子
令和6(2024)年12月18日に開催された第8回文化財情報資料部研究会では、文化財情報資料部研究員・月村紀乃が「長尾美術館に関する基礎的研究―美術研究所との関わりの解明に向けて―」と題した研究発表をおこないました。
長尾美術館とは、わかもと製薬の創業者である長尾欽弥(1892~1980)・よね(1889~1967)夫妻が、昭和21(1946)年、夫妻の別荘である「扇湖山荘」(神奈川県鎌倉市)内に開いた美術館です。同館は、野々村仁清「色絵藤花文茶壺」(現・MOA美術館蔵)や「太刀 銘 筑州住左(号 江雪左文字)」(現・ふくやま美術館蔵)、宮本武蔵「枯木銘鵙図」(現・和泉市久保惣記念美術館蔵)など、名品として知られる作品を数多く収集していましたが、やがて所蔵品を少しずつ手放すこととなり、昭和42年(1967)頃には、解散状態に至りました。事実上の閉館から半世紀以上が経ちますが、美術館としての運営実態やコレクションの全体像はいまだ明らかになっていません。
一方で、長尾夫妻は、作品の購入や展示に際して、東京文化財研究所の前身である美術研究所の所員と深い関わりを持っていました。なかでも、美術研究所に拠点を置いた「美術懇話会」や「東洋美術国際研究会」の活動について、長尾欽弥が理事として参画し、その所蔵品を研究者へ紹介する機会を得ていたことは特に注目されるでしょう。
発表では、当研究所に残された関係資料の調査から、長尾夫妻と美術史研究者との交流が、長尾美術館所蔵品の評価につながっていた可能性を提示しました。また、発表後には、同館解散当時の状況を知る研究者から貴重な証言が寄せられるなど、活発な意見交換がおこなわれました。美術作品の伝来史や評価史を考えるうえで、長尾美術館は重要な存在であり、その全容を把握するべく今後も研究を進めてまいります。
リハーサルの様子(手前・立方:藤間清継氏、奥・後見:藤間大智氏)
リハーサルの様子(立方:藤間清継氏)
無形文化遺産部では、伝統芸能の新たな記録や研究方法の開拓にも取り組んでいます。自由視点映像システムは、被写体の周囲にカメラを設置し、あらゆる方向から被写体の動きを撮影し、任意の角度からその映像を見ることが出来るシステムです。特に古典芸能のように、舞台上で一定の方向を正面と捉えて表現する芸能では、ある時点の動きや態勢を様々な角度(例えば側面や背面)から解析することができるため、芸能継承や分析研究において新たなアプローチに繋がる可能性があります。
今回の試演は日本舞踊藤間流立方の藤間清継氏にご協力いただき、小道具を扱う時の身体の動きにも着目するため、『娘道成寺』の素踊り(衣装や鬘を付けないで踊る)を16台のカメラで撮影しました(令和6(2024)年7月10日)。撮影後には、作成された映像を様々な視点から見直して、想定される活用目的や用いる際に気を付けるべき点、また操作性や望まれる機能などについて、実演家である藤間清継氏、システム開発者である株式会社電巧社の関係者、当研究所無形文化遺産部部長・石村智、同無形文化遺産部無形文化財研究室長・前原恵美、同研究員・鎌田紗弓が、それぞれの立場から意見を出し合い、フィードバックを重ねています(令和6(2024)年12月18日、令和7(2025)年1月10日)。また本研究の予備的な成果については、科学研究費事業「マテリアマインド:物心共創人類史学の構築」第2回全体会議(注1)で「芸能とキネシオロジー―実演者の身体的運動の解析について―」(発表者:石村、令和7(2025)年1月11日)として口頭発表されました。
無形文化遺産部では、今後とも実演家、システム開発者と協力しながら伝統芸能の新たな記録や研究のツールとなり得るアプローチを、探っていきたいと思います。
注1:文部科学省科学研究費助成事業 学術変革領域研究(A) 2024-2028年度「マテリアマインド:物心共創人類史学の構築」(研究代表者:松本直子、番号24A102)
会場の様子
令和6(2024)年12月6日、東京文化財研究所地下セミナー室・地下ロビーで第18回公開学術講座を開催しました。当研究所では平成27(2015)~平成30(2018)年にかけて長野県飯島町にある勝山織物株式会社絹織製作研究所(以下、絹織製作研究所)の志村明氏(選定保存技術「在来絹製作」各個認定保持者)と秋本賀子氏の染織品修理の材料として用いられる絹の製作技術について調査を行い、令和3(2021)年に「無形文化遺産(伝統技術)の伝承に関する研究報告書『絹織製作技術』付属DVD付(東京文化財研究所刊行物リポジトリ、以下『絹織製作技術』)を刊行しました。本学術講座では、同技術に焦点を当て、当研究所で行った調査・記録事業を紹介するとともに、染織品を取りまく修理技術や修理材料の製作技術の状況を広く知っていただくことを目的としました。
当日は、無形文化遺産部主任研究員・菊池理予より開催趣旨を説明し、文化庁の多比羅菜美子氏より「文化財の保存技術―在来絹製作―」を、駒ケ根シルクミュージアム館長の伴野豊氏(九州大学名誉教授)より「我が国における蚕種保存」をご講演いただきました。その後、参加者にはロビー展示を観ていただく時間を設けました。ロビー展示では、伴野豊氏よりお借りした様々な蚕種の繭や、絹織製作研究所で制作された繰糸技法や織組織のパターンを変えた着物5領、着物と同じ生地で作った巾着袋を展示しました
休憩後は、映像「普及編―絹織製作技術―」の上映や、絹織製作研究所の秋本賀子氏による「絹織製作技術の現状と継承」の報告、鼎談「染織品修理と修理材料の依頼―実例を通じて―」では、株式会社松鶴堂の依田尚美氏と絹織製作研究所の秋本賀子氏にご登壇いただきました。
今回の学術講座を通じて、有形文化財を取りまく無形の技術に焦点をあてることで、現在の技術を受け継ぐ意義について考える機会となりました。今後も無形文化遺産部では、無形の技術についての調査結果を公開するとともに、課題を議論できる場を設けていきます。
中央伽藍前テラス(赤色部が十字テラス)
十字テラス発掘中
中央塔の旧構成部材修復の様子
タネイ遺跡は12世紀末から13世紀初頭の建立と推測される仏教寺院で、その中央伽藍の正面にあたる東側には大型の矩形テラスと十字テラスが並んでいます。同時代の他寺院でも伽藍正面には大型テラスが認められますが、矩形テラス前に十字テラスが接続する構成は珍しく、タネイ寺院の性格を考える上でも重要な遺構と言えます。しかし、テラス上に生えた樹木の根やテラス内部を構成する盛土層の不等沈下により、とくに十字テラスの崩壊が著しい状況にあります。
そこで文化遺産国際協力センターでは、令和6(2024)年11月末から12月下旬にかけて職員4名を派遣し、今後の保存修復方法の検討に向けた予備調査として、カンボジア政府APSARA機構の考古スタッフとの協働による十字テラスの発掘調査を開始しました。併せて、崩壊原因を解明するための内部構造調査や破損調査、崩落した石材の残存状況調査を実施し、今後の修復手法に関する基礎的検討を行いました。
発掘調査の結果、周囲の堆積土中からかつて十字テラスを構成していたと考えられる多数の散乱石材を検出したほか、基礎地業層やテラス内部の構造の一端が明らかになりました。一方、テラス基底部の現状レベルを確認したところ、とくに南北の翼端部に向かう沈下が認められるものの、基底部自体は比較的健全な状態を保っていることがわかりました。これに対して、テラス東翼の南北辺や南翼付近では側壁や床材が多くの箇所で失われており、砂を主体とする内部盛土が流出している状況が確認されました。散乱石材の中からはテラス側壁中段に比定される部材がほとんど見つかっておらず、いつの時代かにこれらの石材が人為的に持ち去られた可能性が考えられます。こうした観察結果をもとに十字テラスの修復方法をAPSARA職員とともに検討し、修復の基本方針や今後の進め方について概ね合意に達しました。
これと並行して、同年8月までに部分修復を実施した中央塔東西入口部について(XVI-XVII次現地調査)、若干の追加的石材修復作業を行いました。さらにこの間、12月11日から13日にはシエムレアプ市内で国際調整委員会会合(ICC-Angkor/Sambor Prei Kuk)が開催され、中央塔入口部の修復完了と中央伽藍前十字テラスの調査内容について報告しました。
アル=コーカ地区の風景
壁画断片処置の様子
文化遺産国際協力センターでは、早稲田大学エジプト学研究所およびエジプト考古局と協力し、ルクソール西岸アル=コーカ地区に所在する岩窟墓に描かれた壁画の保存修復に関する共同研究を実施しています。研究対象となる壁画は、平成25(2013)年に早稲田大学名誉教授近藤二郎氏によって発見されたコンスウエムヘブ墓に描かれたもので、制作年代は新王国時代の紀元前1200年頃と推定されています。
この壁画は、石灰岩の表面に塗られた土を主原料とする壁に描かれています。これまでの研究では表面に付着した汚れのクリーニング方法や、土壁が剥離・剥落した箇所に適した修復材料および技法の開発に取り組んできました。そして、令和6(2024)年11月20日~12月5日に実施した実地研究では、発掘作業中に発見された壁画断片を原位置に戻す処置方法について検討しました。その結果、壁画表面の保護方法や裏面の補強方法について良好な結果が得られ、土や粘土といった元来この壁画に使用されている材料と同等のものを使った原位置への再設置作業からも一定の成果を確認することができました。今後は、今回行った処置の効果や安定性に着目しながら経過観察を続けていきます。
この研究は、基礎研究から各種実験を重ね、実用性に配慮した処置方法を導き出すという過程を経て丁寧に進めてきました。その成果はルクソールにおいて他に類を見ないものであり、エジプト考古局や現地の専門家から非常に高い評価を受けています。今後も、新王国時代に数多く制作された壁画の保存修復に貢献する研究を推進し、さらなる成果を目指して活動を続けていきます。
ワークショップ「キルティプルの歴史的集落の保全」
コカナ集落にて昨夏の豪雨被害で倒壊した歴史的民家
東京文化財研究所とキルティプル市は、歴史的民家保全のパイロットケーススタディとして、令和5(2023)年よりキルティプル旧市街の広場に面する大規模民家の保存に向けた共同調査を行ってきました。令和6(2024)年12月20日~27日にかけて職員1名を現地に派遣し、26日には対象物件の今後の保存活用に向けたワークショップ「キルティプルの歴史的集落の保全」を両者で共催しました。
午前の部では、NGO組織であるKathmandu Valley Preservation Trust (KVPT)のスタッフがネパールにおける歴史的民家の保存活用事例に関する講演を行ったほか、当研究所職員と現地専門家による調査チームのメンバーらがこれまでに実施した調査の成果を報告しました。これにはキルティプル市長、副市長、区長および対象建物の所有者家族らを中心に約50人が参加し、今後の建物の保存をめぐって、行政、所有者側の双方から積極的な意見が出されました。
また、午後の部には所有者家族を中心に16人が参加し、長年暮らしてきた建物にまつわる記憶、感情、未来など様々なトピックを話し合うブレインストーミングを行いました。
具体的な保存のあり方についての合意形成に至るまでにはまだ長い道のりが予想されますが、対象建物の価値を話し合いながら共有することで、その保存に向けた一歩を踏み出せたのではないかと思います。
一方、今回の派遣期間中には、キルティプルと同じく世界遺産暫定リストに登録されているコカナ集落も訪問しました。コカナ集落では、平成27(2015)年のゴルカ地震後に集落内の歴史的民家のほとんどが建て替えられてしまいましたが、集落中心部に19世紀頃の建築とされる歴史的民家が僅かに残っていました。この建物については、以前より私たちに地元住民有志から保存に関する支援の相談が寄せられていたのですが、昨夏の豪雨によって完全に倒壊してしまいました。幸いにも負傷者はなかったそうですが、コカナ集落を長年見守ってきた貴重な建物が失われたこと、そして必要なタイミングで支援を届けられなかったことが大変に惜しまれます。