研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『TOBUNKEN NEWS
(東文研ニュース)』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。
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日光東照宮下神庫(処理空間内部)
視察の様子
令和8(2026)年8月17日~19日にかけて、彩色修理を終えた日光東照宮下神庫で実施された「湿度制御温風処理」の現地視察を行いました。
湿度制御温風処理とは、文化財害虫を60℃程度の温風によって駆除する処理技術で木造建造物の柱や梁などの木材を対象に開発されました。
処理中は昇温および降温の過程に応じて処理空間内の湿度を適切に制御し、木材の含水率を一定に維持することで木材の物性への影響を最小限に抑えながら、木材内部まで十分な温度上昇を図ることができます。
従来、博物館資料や木造建造物をはじめとする文化財の殺虫処理にはガス燻蒸が広く用いられてきました。しかし、安全性や環境負荷への懸念から、その継続的な運用が難しくなりつつあります。そのため、湿度制御温風処理はガス燻蒸に代わる新たな文化財害虫の対策技術として導入や活用の幅を広げつつあります。
これまでに、東京文化財研究所をはじめとする研究チームにより、実際の木造建造物を対象として検証処理が行われました。検証では、殺虫効果や建造物への影響に加え、処理時の騒音などの周辺環境への影響や消費電力についても検討が行われました。
これらの検証を経て、湿度制御温風処理は、木造建造物への影響を抑えながら害虫を駆除できる実用的な処理技術として、文化財保存の現場で適用実績を重ねています。
下神庫は、長年にわたり受け継がれてきた高度な建築装飾技術と伝統的な材料によって彩色や金具の修理が施され、壮麗な佇まいを取り戻していました。今回の処理は、その装飾修理後の状態で初めて処理が行われました。
本事例を通じて、未彩色の状態のみならず、彩色修理後の状態における処理についても知見を蓄積し、保存修復の現場におけるさらなる適用に繋げていきたいと考えています。
疾風(1446号機)の視察(知覧特攻平和会館)
零式水上偵察機の視察(万世特攻平和祈念館)
展示された自衛隊機の視察(鹿屋航空基地史料館)
令和8(2026)年度、東京文化財研究所保存科学研究センターでは航空機の保存に関する韓国との学術交流を進めています。令和8(2026)年6月には千葉研究員、川野邊名誉研究員と共同研究者らが韓国を訪れ、現地の取り組み事例を視察しました(https://www.tobunken.go.jp/materials/katudo/2527344.html)。これに続く形で、8月に韓国から戦争記念館のカン・ヒョンサム氏、ハンソ大学校のオ・スンジュン氏を日本にお招きし、鹿児島県内における航空機保存の現場をご紹介しました。
南九州市の知覧特攻平和会館では、南九州市指定文化財である陸軍四式戦闘機「疾風(1446号機)」の保存に向けた調査現場をご案内しました。この調査は、同館により平成28(2016)年から継続的に実施されているもので、東京文化財研究所も南九州市との覚書に基づき、共同で調査に当たっています
(参考:https://www.tobunken.go.jp/materials/katudo/995996.html、https://www.tobunken.go.jp/materials/katudo/1033881.html)。
この調査では、オリジナルパーツの残存状況や劣化状態の確認、また戦後にアメリカ軍や民間所有者等によって交換されたパーツの特定を通じて、機体の歴史的評価を深めるとともに、今後の保存に必要な情報を取得することを目的としています。作業は、知覧特攻平和会館の主導のもと、大戦機保存修復、エンジン修復、航空史、そして保存科学など多様な分野のスペシャリストによるチームで行われています。韓国では主に保存科学研究者が主導して作業が行われることが多いとのことで、多様なバックグラウンドを持ったメンバーが共同で作業に当たっていることに関心が寄せられました。
また、この度の視察では、知覧特攻平和会館に加え、以下の施設も訪れました。
南さつま市・万世特攻平和祈念館:海浜から引き揚げられた機体(零式水上偵察機)の保存・展示に関する現状と課題の共有
鹿屋市・鹿屋航空基地史料館:二式大型飛行艇や多数の自衛隊機など、主に屋外で展示・保管されている機体のメンテナンスに関する現状と課題の共有
これらの視察を通じ、韓国における航空機の調査・保存の取り組みなども踏まえながら、日韓双方の視点から活発な意見交換が行われました。
本交流事業では、来る11月にも両氏を日本にお招きし、関東近郊における航空機保存の取り組みをご紹介するほか、さらなる意見交換を重ねる予定です。東京文化財研究所では、今回の交流と調査で得られた知見を活かし、今後も国内外の専門機関と連携しながら、貴重な航空機遺産の保存・活用に向けた取り組みを進めてまいります。
末筆ながら、この度の視察にあたりご対応いただいた各機関の皆様へ改めて御礼申し上げます。
修復材料の種類と特性に関する講義の様子
保存環境に関するグループ討論の様子
文化財IPM概論・実習の様子
令和8(2026)年7月6日~10日に「令和8年度博物館・美術館等保存担当学芸員研修(上級コース)」を開催しました。
昭和59(1984)年以来、東京文化財研究所で開催してきた「博物館・美術館等保存担当学芸員研修」は、令和3(2021)年度より「基礎コース」「上級コース」として再編され、博物館・美術館等で資料保存を担当する学芸員等が、業務に必要となる知識や技術について、基礎から応用まで、幅広く習得できることを目的として実施しています。「基礎コース」は保存環境を中心とした内容で文化財活用センターが担当し、「上級コース」は保存環境だけでなく文化財保存の全般を当研究所保存科学研究センターが担当し実施しています。
令和8年度の上級コースでは、保存科学研究センターで行っている各研究分野での研究成果をもとにした講義・実習および外部講師による様々な文化財の保存と修復、文化財レスキューに関する講義を実施しました。
・文化財修復原論
・文化財の科学調査
・保存環境に関する理論と討論
・文化財IPM概論・実習
・修復材料の種類と特性
・屋外資料の劣化と保存
・近代化遺産の保存
・多様な文化財の保存と修復
・博物館の防災
・民具の保存と修復
・大量文書の保存・対策
・紙本作品等の保存と修復
・写真の保存・管理
受講生からは、「保存に対する考え方について基本的なことかもしれないが、あらためて大切なことだと感じた。館としての方針を全員できちんと考えたい」「幸い現時点で修復を要するものはありませんが、修復に対する考え方や目的、どこまでどのように行うべきかをよく検討した上で、修復にあたる重要性を学ぶことができた」「基礎的な知識・理論の再確認と他館の悩みや実践例を知ることが出来た点が非常に有意義であった」等の意見をいただき、この研修をきっかけに自館での保存・修復について改めて考える良い機会となったことが窺えました。研修全体を通じて、高い満足度の評価をいただきましたが、もう少し実際の現象への具体的な対処法や実習を増やしてほしいという意見があり、次年度以降に反映させていきたいと考えています。
国立航空博物館外観と元大統領専用機
戦争記念館における展示機の塗装更新作業の視察
ポラメ安全体験館における「カササギ2号」の視察
東京文化財研究所保存科学研究センターでは、文化財としての航空機の保存に関する調査を行っています。その一環として、令和8(2026)年6月に、韓国における航空機保存の取り組みに関する視察、意見交換を行いました。
韓国では、国産航空機第1号「復活」をはじめとする複数の航空機の国家文化遺産への登録や、令和2(2020)年の国立航空博物館の設立など、航空機の保存・活用が進められています。また、戦争記念館では朝鮮戦争期を中心とした航空機の実機や復元機が多数保存、展示されています。
この度の渡韓では、戦争記念館のカン・ヒュンサム氏にアテンドいただき、国立航空博物館、戦争記念館、ポラメ安全体験館等を訪問しました。国立航空博物館では屋内での展示環境や機体のメンテナンス、令和8(2026)年から新たに屋外展示に加わった元大統領専用機の今後の保存に向けた見通しについて、戦争記念館では屋内外で展示される多数の機体のこれまでの保存処理の取り組みに加え、現在進行中の機体塗装更新作業について、ポラメ安全体験館では国家登録文化遺産となっているヘリコプター「カササギ2号」の保存処理等について、具体的な取り組み内容や課題等を共有いただきました。
各機体の保存状況や来歴は様々ですが、日本における航空機の保存、展示等を考えるにあたって、多くの示唆を得ることができました。
今後は韓国の研究者らを日本へお呼びし、日本における航空機保存の取り組みを紹介するとともに、両国におけるより良い取り組みに向けた意見交換を継続する予定です。
*国家登録文化遺産になっている韓国の主な航空機については、以下にリストを掲載しています(韓国語)。
https://researchmap.jp/tsuyoshi_chiba/presentations/47770144
ノリウツギの栽培を手掛ける古瀬氏
福西氏による紙漉き体験の様子
東京文化財研究所は、文化庁の委託を受け、令和4(2022)年より「美術工芸品修理のための用具・原材料と生産技術の保護・育成等促進事業」に取り組んでいます。この事業は、入手が困難な修復材料の保護と、生産技術の継承を目的としています。今回は、令和8(2026)年6月24日~26日に北海道標津町(しべつちょう)で行われた、ノリウツギの栽培地視察と普及事業についてご紹介します。
ノリウツギは、「宇陀紙(うだがみ)」という和紙の原材料の一つです。宇陀紙は文化財修復に欠かせない修復材料の一つですが、現在製作者が国内で1軒のみとなっています。その原材料でネリとして用いられるノリウツギも、安定的な確保が課題となっていました。こうした状況を受けて、文化庁の支援のもと、北海道標津町がノリウツギの出荷事業を令和4(2022)年度から行ってくださることになりました。標津町にはノリウツギが大量に自生しており資源は豊富にありますが、いずれ枯渇する恐れがあります。そこで、ノリウツギの持続的な供給を目指して栽培活動にも取り組んでいます。ノリウツギは種からの発育が難しく、採取可能になるまで時間がかかりますが、標津町の方々のおかげで少しずつ苗の出荷への体制も整いつつあります。標津町と当研究所は文化財修復材料の連携・協力に関する協定書を締結し、お互いの知見を共有しながら、今後のノリウツギの確保を図っています。
標津町では、町民への理解促進を目的とし、宇陀紙製作者の福西正行氏(選定保存技術者)による講演および紙漉き体験会が毎年開催されています。今年は地域の小学6年生と高校2年生が参加しました。子どもたちからは、「本物の和紙作りを体験できてよかった」「自分たちが住んでいる標津町に、日本の文化を守るすごいものがあるなんて知らなかった」「自分の住んでいる町を誇りに思う、嬉しい」という声が上がりました。伝統文化への理解が深まるとともに、郷土への誇りを育む重要な機会となりました。
今後も多角的なアプローチを行い、各専門機関と綿密に連携しながら、文化財修理基盤の維持・発展に向けた事業を推進してまいります。
発表の様子
パネルディスカッションの様子
令和8(2026)年5月31日に開催された日本科学史学会公開シンポジウム「近現代日本の科学技術史資料の保存を考える:何を、どうやって残すのか?」(主催:日本科学史学会、一橋大学大学院言語社会研究科)に、保存科学研究センターの千葉毅研究員がパネリストとして登壇しました。千葉研究員は「文化財としての科学技術史資料 —近代交通動産文化財を中心に—」と題した報告を行いました。
千葉研究員の報告では、まず「科学技術史資料」が日本の文化財保護法においてどのように位置付けられてきたかを概観しました。続いて、交通・輸送に関連する文化財を主な対象に、国・都道府県・市町村それぞれの指定制度における現状を紹介しました。
特に航空機については、高い科学技術的価値を持つと考えられるにもかかわらず、国の重要文化財や都道府県指定文化財となった事例はなく、市町村指定にとどまる例がわずかにあるのみという実態を紹介しました。その背景として、航空機を「文化財として評価する」という考え方が社会に十分浸透していないこと、文化財として適切に評価できるだけの調査・研究が進んでいないこと、軍事・戦争関連の資料への忌避感といった要因の可能性を指摘しました。
実機(実際の機体)全体が文化財に指定されている唯一の事例として、鹿児島県南九州市指定文化財である陸軍四式戦闘機「疾風(1446号機)」(令和2(2020)年指定)を取り上げ、この指定が型式としての在地性が積極的に評価されたものであると紹介しました。さらに、平成7(1995)年に旧知覧町が購入して以来、南九州市で保存・調査が継続的に行われていることにも触れ、調査による新たな知見だけでなく、所有者が関係者とともに機体を守り続けてきた保存の取り組みそのものが新たな価値を生み出していると指摘しました。これは、機体の歩んできた歴史(ライフヒストリー)の中で、地域との結びつき(在地性)を改めて築き直す営みとも言えると述べました。
また、行政による文化財指定制度に加えて、学術団体や業界団体による認定制度についても言及し、行政の評価と車の両輪として重要な役割を果たすことを指摘しました。
一方、近現代の科学技術史資料には消耗しやすいものが多く、長期保存がそもそも難しいケースが少なくありません。現在、こうした資料は急速に失われつつある状況にあり、「何を残すのか(裏を返せば、何を残さないのか)」という難しい選択に、行政・研究者・博物館・愛好家など多様な主体が連携して向き合っていくことの重要性を訴えました。
パネリストによる報告の後、ともに登壇した有賀暢迪氏、齊藤有里加氏、菱木風花氏を交えたディスカッションが行われました。関連資料のまとまりとしての保存、指定を受けていない文化財が大量に失われるリスク、事故などに関する資料の文化財としての評価のあり方、企業博物館の継続性など、幅広いテーマについて、会場の参加者も加わりながら活発な議論が展開されました。
なお、シンポジウムの概要は日本科学史学会の学術誌『科学史研究』に掲載される予定です。
保存科学センターでは、令和7(2025)年度に「紫外可視近赤外分光光度計」「大型真空凍結乾燥機」を新規導入し、「顕微赤外分光光度計」を更新しました(図1)。これらの機器についてご紹介します。
紫外可視近赤外分光光度計
試料に光を照射すると、その構造によって光の吸収パターン(スペクトル)が変化しますが、それによって物質の構造や濃度を分析する装置です。文化財の業界においては、特に色の数値化でも多用されます。大型積分球と、ファイバー式の外部積分球も付属しており、様々な試料の分析が可能です。
顕微赤外分光光度計(更新)
赤外分光光度計は、特に有機物の構造解析においては最も基本となる分析装置と言えます。例えば、紙の接着に用いられている糊の種類・繊維製品の繊維の種類・文化財に付着してしまった汚染物質などを分析する際には、まず赤外分光分析を行うことが多く、保存科学研究センターにおいて最も利用頻度が高い分析機器です。通常の赤外分光分析に加え、顕微赤外分光分析も可能であり、大きさが数µm程度しかないような微小な資料でも分析可能です(図2)。
大型真空凍結乾燥機
真空凍結乾燥(フリーズドライ)は、凍らせた水分を昇華させることで、変形を少なく資料を乾燥させる装置です。水害等で濡れてしまった文書資料も、効率よく安全に乾かすことができます。今回導入された大型真空凍結乾燥機は、多くの被災資料を一度に処理できるため、文化財防災の現場での活用が期待されます。
これらの装置を用いて文化財分析を今後も進めていきます。

図1 新規導入・更新機器の写真
A:紫外可視近赤外分光光度計
B:顕微赤外分光光度計
C:大型真空凍結乾燥機
図2 顕微赤外分光光度計による繊維分析
JIS L 0803準拠の多繊交織布の一部をマッピングした結果。この領域は、経糸はPET繊維、緯糸はレーヨン・アクリル・絹からなっているが、きれいなマッピングができている。この分析は反射分析で実施した。更新前の従来の機器ではこのような分析は困難であったが、装置の進歩により非接触非破壊での分析性能が可能となり文化財分野においては非常に有益である。
煉瓦造建築における現場計測の様子
実験室での予備測定の様子
保存科学研究センターでは、令和7(2025)年度に片側開放型H-NMRを導入しました。材料中に含まれる水分は、塩の析出や凍結による物理的破壊、膨張・収縮に伴う損傷、さらにはカビの生育など、さまざまな劣化現象を引き起こします。そのため、材料内部の水分状態を把握することは、文化財の損傷リスク評価や適切な保存方法を検討するうえで重要な要素の一つです。片側開放型H-NMRでは、装置から磁場を与えることで、水分に含まれる水素のNMR信号を検出します。この信号の強さや変化を解析することで、水分量や水の運動性の違いを、把握することが可能です。
令和8(2026)年3月には、海水の毛管上昇に伴う塩類析出により壁面の劣化が進行している煉瓦造建築を対象として、片側開放型H-NMRを用いた現地調査を実施しました。本調査では、装置導入後初の現場適用事例として、非破壊で深さ方向の含水率分布の測定を行いました。従来の非破壊による含水率測定手法では、取得できる情報が材料表面に限られるものや、平滑な面にしか適用できないといった制約があり、劣化した壁面の内部情報を把握することが困難でした。これに対し、本手法では表面状態に依らず、材料内部の深さ方向の含水率分布を取得することが可能となりました。本調査は、東京文化財研究所保存科学研究センター、京都大学、名古屋大学、奈良文化財研究所による共同研究として実施している、煉瓦造建築の塩類風化対策を目的とした材料施工および環境調整手法に関する研究の一環として行われたものになります。
今後は、水分量の把握にとどまらず、適切な保存対策手法を検討するうえで必要な材料物性を非破壊で評価する手法へと応用を広げるとともに、その他の材料や文化財への展開を図っていきます。
岩窟内のシート養生と計測器設置の様子
2月の現地調査時の那谷寺本堂
保存科学研究センターでは、那谷寺からの依頼を受けて岩窟内に建てられた木造建造物の保存環境整備に関する調査研究を行っています。石川県小松市の那谷寺は、土着の白山信仰と仏教が融合した寺院であり、重要文化財である木造の本殿は自然の浸食によって形成された岩窟内に建てられています。このような環境では、地盤からの水分供給や岩盤の高い熱容量の影響により高湿度状態となりやすく、結露や木材腐朽といった湿害リスクが生じます。
これまで、岩窟内の温湿度の長期計測により高湿度の要因を分析し、その結果に基づいて季節に応じた換気対策を実施してきました。その成果は「保存科学」第65号にまとめています。これらの対策により、岩窟内の湿気環境の改善に一定の効果を確認しています。特に冬季には、気密性を上げて冷たい外気の侵入を抑制することで、木造本殿での結露抑制と岩窟内の湿度低下に効果があることが分かりました。一方で、地盤からの水分蒸発の影響が相対的に大きくなる点が課題として残されています。
そこで令和7(2025)年秋より、冬季限定の新たな対策として、地盤からの水分蒸発を抑えるための簡易的なシート養生を開始しました。令和8(2026)年2月には設置後の状況確認を行い、現時点では問題が生じていないことを確認しています。今後は測定データの分析を進め、その効果の検証と適切な運用方法の提案を行う予定です。
2月の現地調査は積雪下での実施となりましたが、岩窟内は屋外に比べて暖かく、自然のシェルターとしての特性を体感する機会ともなりました。文化財の保存環境整備は、気候や立地など多様な要因と向き合う必要があります。今後も環境との調和を図りながら、最適な環境制御手法の検討を進めていきます。
筆づくりの様子
筆の里工房の見学
文化財の修復に欠かせない用具や原材料は多岐にわたりますが、後継者や原材料が不足し存続の危機にあります。文化庁は、そのような事態を改善するため、令和2(2022)年より「美術工芸品保存修理用具・原材料管理等支援事業」を開始しました。これを受け、保存科学研究センターは、文化財情報資料部・無形文化遺産部と連携して受託研究「美術工芸品修理のための用具・原材料と生産技術の保護・育成等促進事業」に取り組んでいます。
本報告では、令和7(2025)年10月21日に実施した、広島県熊野町の筆づくりの現地調査について紹介いたします。
筆は日本において伝統的に用いられる筆記道具の一つですが、美術工芸品の修復でも用いられます。特に漆工品の復元模写に用いられる蒔絵筆は製作できる技術者が少なく、存続が危ぶまれている用具の一つです。初音調度(徳川美術館所蔵)の復元模写事業では、当時の精密な技法を忠実に再現するため、使用する筆も当時と同じ良質のものが求められました。
今回の調査では、筆の里工房と株式会社白鳳堂の2カ所を訪問し、熊野の筆づくりの歴史と技術の概要を把握した上で、実際に筆づくりの現場の視察を行いました。いくつもの工程で丁寧に悪い毛が取り除かれる様子や、たくさんの種類の毛の中から特性を見極めて選定されるところなどを拝見し、使い手が求める理想の書き味にするため作り手がたゆまぬ努力をされてきたことを実感しました。
筆づくりの現場でも用具・原材料の調達については、例に漏れず困難を抱えています。最も重要な毛の調達だけではなく、筆の根元をくくるための苧糸(からむしいと)や、作業工程で必需品となる櫛、軸に用いられる良質な竹など、まだまだ解決していない問題が山積しています。これまで、白鳳堂副会長・髙本美佐子氏率いる作り手と室瀬智弥氏を中心とした使い手である目白漆芸研究所が直接連携をすることで、美術工芸品修復に必要な筆の確保が少しずつ現実的になってきていますが、今後はさらに文化庁と東文研も交えて、より連携を強めながら取り組んでいきます。
開講式後の集合写真
分子模型を使用した基礎科学の講義
廃液処理方法についての講義
保存科学研究センターでは、文化財の修復に関して科学的な研究を継続してきています。令和3(2021)年度より、これらの研究で得た知見を含めて、文化財修復に必要な科学的な情報を提供する研修を開催しています。対象は文化財・博物館資料・図書館資料等の修復の経験のある専門家で、実際の現場経験の豊富な方を念頭に企画されています。
今回で5回目となる本研修は、令和7(2025)年9月30日~10月2日までの3日間で開催し、文化財修復に必須と考えられる基礎的な科学知識について、実習を含めて講義を行いました。文化財修復に必要な基礎化学、接着と接着剤について、紙の科学・劣化、生物劣化への対応、実験器具や薬品の使用上の注意や廃棄の方法などについて東京文化財研究所の研究員がそれぞれの専門性を活かして講義を担当しました。
今年度も全国から多数のご応募をいただきましたが、実習を含む内容のため全員にご参加いただくことは叶わず、16名の方にご参加いただきました。修復技術者の皆様からのご要望を踏まえ、より実践的で現場に役立つ内容を企画しました。限られた時間の中ではありましたが、実際の現場課題に対する科学的な対処方法の提案や、参加者同士の交流、情報交換が活発に行われました。開催後のアンケートでは、「非常に有益であった」との高い評価を多数いただきました。また、今後修復現場で活用したい科学的知見に関する具体的なご要望も寄せられました。これらのご意見を踏まえ、今後も同様の研修を継続的に実施していく予定です。
開講式後の集合写真
保存科学研究センターでは、令和元(2019)年度以降、文化財の保存修復に関する研修事業に力を入れており、海外の専門家を招聘し、関係機関と連携して研修を実施してきました。昨年度までは国立アートリサーチセンターとの共催でしたが、本年度は新たに国立西洋美術館とも協働し、三機関による共同開催として本研修を実施しました。
本年度の研修テーマには、東洋絵画における表装と同様、古くから絵画作品と深い関わりを持つ「額縁」を取り上げました。額縁は、絵画を鑑賞するうえで作品と切り離すことのできない存在でありながら、国内ではその重要性に対する理解が十分に浸透しておらず、保存修復に関する情報も極めて限られているのが現状です。こうした状況を踏まえ、イギリスのヴィクトリア・アンド・アルバート美術館修復課の上級修復士であるバロウ由紀子氏を講師としてお招きし、令和7(2025)年10月29日から31日の3日間にわたり、文化財保存修復に関するワークショップ「額縁の歴史・技法と保存修復について」を開催しました。
午前の講義は当研究所セミナー室で行い、イギリスにおける額縁の歴史や製作技法から、現代の保存修復の実際に至るまで幅広くご講義いただきました(参加者67名)。午後は国立西洋美術館の保存修復室に会場を移し、事前に選ばれた15名の参加者がギルディング、色合わせ、クリーニングなど、イギリスで行われている保存修復技術を実践的に学びました。
また、11月1日には講演会「イギリスと日本における額縁の歴史と保存」を併催し、バロウ氏からはイギリスにおける額縁修復の歴史や修復士の仕事について、東京都美術館学芸員の中江花菜氏からは日本における洋風額縁の歴史についてご講演いただきました(参加者69名)。
三機関の協力によるワークショップ開催は初めての試みでしたが、額縁に関する理論と実践の両面を包括的に学ぶことができ、今後の保存修復の発展に資する有意義な研修となりました。
ワークショップおよび講演会のより詳しい内容については、下記のリンクをご参照ください。
https://ncar.artmuseums.go.jp/reports/collections/conservation/workshop/post2026-3066.html
口頭発表の様子
スタディツアーで訪問したノートルダム大聖堂
令和7(2025)年9月8日から12日にかけて、フランス・パリのソルボンヌ大学で開催された「第15回国際石材保存修復会議(Stone 2025)」に参加し、口頭発表を行いました。
石材や煉瓦で構成される彫刻や建造物の保存修復に関する国際的な会議で、4~5年ごとに開かれています。会議には、石材や煉瓦の劣化現象を研究する保存科学者や地質学者、保存修復の実務に携わる技術者、建築学・建築物理の専門家など多彩な参加者が出席しました。発表内容は、大気汚染や塩類風化による損傷の基礎研究や調査技術、新しい修復技術や保存処置の実践例、さらには持続可能な保存に向けた環境制御や気候変動の影響評価に至るまで幅広く、学際的な議論が交わされました。
今回の発表では、保存科学研究センター・保存環境研究室で実施している岩窟内に建てられた仏堂の保存を目的とした岩窟内の空調に頼らない湿気環境改善の試みについて報告しました。発表後には、同様に高湿度環境に課題を抱える文化財の保存に携わる研究者や、持続可能な保存環境制御に関心を持つ研究者から多くの質問や意見をいただき、今後の共同研究の可能性についても意見交換を行うことができました。
今後も研究成果の国外発信を積極的に行うとともに、各国の最新の知見を収集し、日本の文化財保存に活かしていきたいと考えています。
ゲティ研究所での研究報告会の様子
研究者交流の様子
地球温暖化が世界的な課題となる中で、平成26(2014)年には国際文化財保存修復学会(IIC)と国際文化財保存修復委員会(ICOM-CC)から共同宣言が行われるなど、資料保存の現場においても地球環境に配慮した持続可能な保存環境管理の在り方が求められています。保存科学研究センター・保存環境研究室では、こうした背景を踏まえ日本の文化財保存に適した持続可能な保存環境管理手法を探る研究を進めています。
その一環として令和5(2023)年8月にゲティ研究所(Getty Conservation Institute)とオーストラリアのビクトリア国立美術館の共催で開催された、「気候変動下における管理戦略ワークショップ―持続可能な保存環境と資料の応答のモニタリング(Changing Climate Management Strategies Workshop:Sustainable Collection Environments and Monitoring Object Response)」に参加し、その後も継続してゲティ研究所の研究員と交流を続けてきました。
令和7(2025)年9月24日~26日に、ロサンゼルスのゲッティ研究所(Getty Conservation Institute)を訪問し、ワークショップから2年を経て、東京文化財研究所とゲティ研究所それぞれにおける研究の進展について報告を行い、意見交換を実施しました。東京文化財研究所からは、保存環境研究室研究員・水谷悦子と客員研究員の京都大学大学院工学研究科准教授・伊庭千恵美が報告を担当しました。日本の気候条件や文化財の材料構造の特異性、損傷リスク評価に求められる計測手法などについて活発な議論が交わされました。
ディスカッションの後には研究施設を見学し、多様な専門分野の研究者と交流する機会も得られました。日本の事例は温帯湿潤気候に属する国々における文化財の保存環境管理の問題を考えるうえで、有益な知見を提供するものです。今回の訪問を通じて、国際的な視点から保存環境研究を見直すとともに、今後の共同研究の方向性を探るうえで大変有意義な機会となりました。
旧青戸飛行場に残るトーチカ。後ろには開聞岳が見える。
トーチカに混入するサンゴ(今回の調査で発見されたもの)
踏査の様子
東京文化財研究所保存科学研究センター修復技術研究室では、南九州市との共同研究の一環として、同市内に残るアジア・太平洋戦争期のコンクリート構造物の保存に向けた調査を行っています。その中で、旧青戸飛行場に残る2基のトーチカについては築造時の記録がほとんど知られておらず、誰がいつ、何の目的で作ったのか、どんな材料が用いられ、それらはどこで調達されたのか、といったように分かっていない点が多くあります。
令和7(2025)年9月、トーチカのコンクリート材料調達の一端を明らかにすべく、南九州市文化財課の坂元恒太氏、知覧特攻平和会館の八巻聡氏、神奈川県立生命の星・地球博物館の田口公則氏とともに現地調査を行いました。これまでの調査で、トーチカのコンクリートには、海棲と考えられる貝の破片、海岸で見られるような周囲がすり減った陶磁器やガラスの破片が混ざっていることが明らかでした。このことから、コンクリートを作る際に必要となる砂を近隣の海岸の砂浜から採取し、その際に貝殻、陶磁器破片やガラス破片が混入したものと推測していました。加えて、この度の田口氏の観察により、トーチカのコンクリートには1〜2mm程度の黒色砂や緑色透明のかんらん石(オリビン)の砂、そして珊瑚の破片が複数混入していることも判明しました。これらの組み合わせは開聞岳周辺の海岸で見られる堆積物との共通性が高かったため、この情報を新たな手がかりとして、近隣の海岸や河口を踏査しました。
踏査の結果、開聞岳から北西に10kmほどに位置する浜で、トーチカに含まれる砂、貝や珊瑚、陶磁器、ガラスといった組み合わせと、よく似た構成の砂礫を確認することができました。またその場所はトーチカのある青戸飛行場と海岸とをつなぐ路線(石垣・喜入線 大正6〔1917〕年開通)があり、距離も5km程度と材料の調達・運搬に適していた場所であることも判明しました。
現在、これまでの調査結果も踏まえながらこの度の調査結果を整理しており、近日中に報告書として刊行する予定です。
所内見学の様子
文化財の科学調査に関する講義の様子
保存環境に関するグループ討論の様子
屋外資料の劣化と保存に関する講義の質疑応答
令和7(2025)年7月7日~11日に「令和7年度博物館・美術館等保存担当学芸員研修(上級コース)」を開催しました。
昭和59(1984)年以来、東京文化財研究所で開催してきた「博物館・美術館等保存担当学芸員研修」は、令和3(2021)年度より「基礎コース」「上級コース」として再編され、博物館・美術館等で資料保存を担当する学芸員等が、業務に必要となる知識や技術について、基礎から応用まで、幅広く習得できることを目的として実施しています。「基礎コース」は保存環境を中心とした内容で文化財活用センターが担当し、「上級コース」は保存環境だけでなく文化財保存全般を当研究所保存科学研究センターが担当し実施しています。
令和7年度の上級コースでは、保存科学研究センターで行っている各研究分野での研究成果をもとにした講義・実習や外部講師による様々な文化財の保存と修復、文化財レスキューに関する講義を実施しました。特に今年度はカビに効果のある燻蒸剤の使用ができなくなったことから代替に関する講義・実習に関心が多く寄せられました。
- 文化財修復原論
- 文化財の科学調査
- 空気質(空気質について/空気汚染の文化財の影響/換気の考え方)
- 保存環境に関する理論と討論
- 文化財IPM概論・実習
- 修復材料の種類と特性
- 屋外資料の劣化と保存
- 近代化遺産の保存
- 多様な文化財の保存と修復
- 博物館の防災
- 民具の保存と修復
- 大量文書の保存・対策
- 紙本作品等の保存と修復
- 写真の保存・管理
受講生からは、「自館に限定することなく、地域全体の文化財保存で活用できる多くの知見に触れられたことから、周辺の学芸員とも情報を共有するなどして、より広い視点から今回の研修で得た知識を活かしていきたい」「研修期間を通じて受講者同士のつながりもでき、実務上の問題をより専門的に相談し合える同じ立場の仲間を全国に得る良い機会となりました」等の意見をいただき、この研修の目的の一つである、他館とのつながりを作る絶好の場となったことが窺えました。また、講義だけでなく、討論や実習の機会がもう少しあると良いという意見もあり、今後さらに研修内容を充実させていけるよう検討していきたいと思います。
床の隙間から侵入したシロアリの食痕の目視調査と生体の観察
食害のある漆扉部材の目視調査とサンプリング箇所の確認
彩漆蒔絵による装飾の目視調査
タイ・バンコクに所在するワット・ラーチャプラディットは1864年にラーマ4世王によって建立された王室第一級寺院です。寺院の拝殿の窓や出入口には、建立当初から多数の日本製の漆塗りの部材(以下、漆扉部材)がはめこまれています。漆扉部材は伏彩色螺鈿や彩漆蒔絵で花鳥や中国の故事などが描かれた装飾性の高いものですが、年月を経て傷みが生じているため、タイ文化省芸術局が修理を行い、当研究所は修理に対する技術協力や調査研究を行っています。
人々の祈りの場である拝殿の雰囲気を保つため、修理が終わった漆扉部材は元の位置に戻します。しかし、漆扉部材には虫損と思われる傷みも確認され、何の対策もせず部材を元の位置に戻しても同様の損傷が生じうることから、漆扉部材の現地保存のための調査研究を同寺からの受託研究として立ち上げ、令和7年(2025)6月9日~11日に現地調査を行いました。
現地では、拝殿の状況やシロアリ等の木材を食害する生物の有無の確認、虫損が見られる漆扉部材の目視調査を行いました。当初、部材の虫損が最近のものではなく、すでに収束している可能性も考えましたが、調査の結果、床のわずかな隙間から建物内にシロアリが侵入しており、食害を受けるおそれがあることがわかりました。今後、とりうる対策をタイ側に提案し、漆扉部材の現地保存に役立てていただく予定です。
また漆扉部材に関する調査も併せて行いました。漆扉部材に用いられた材料や技法については不明な点が存在するため、目視調査を実施し、採取した少量の脱落片については科学分析を予定しています。得られた結果を通じて、今後の漆扉部材の修理や復元の方針について提言していく予定です。
楮を育てるため、農業用マルチシートをかけて雑草対策を行っている様子
福西氏から楮原料(白皮)について説明を聞く
文化財や美術工芸品の保存修理に用いられる用具や原材料は多岐にわたりますが、その多くが担い手の後継者不足や原材料の入手困難といった課題に直面し、将来的な継続使用が危ぶまれています。こうした状況に対応するため、文化庁は令和2(2020)年度より「美術工芸品保存修理用具・原材料管理等支援事業」を開始しました。これを受け、東京文化財研究所では保存科学研究センター、文化財情報資料部、無形文化遺産部が連携し、受託研究「美術工芸品修理のための用具・原材料と生産技術の保護・育成等促進事業」に取り組んでいます。本報告では、文化財修理に欠かせない和紙の原料である楮(こうぞ)の栽培地および、楮繊維を得る際の煮熟(しゃじゅく)工程に用いる木灰使用の現地調査について紹介します。
令和7(2025)年6月9日~10日に奈良県吉野町と五條市の楮畑4か所を訪問しました。芽掻き(次々とでてくる脇芽を取り除きます。残した梢に栄養を集中させるなどの効果があります)という作業や、下草刈りなど手間のかかる作業が丁寧に行われている様子や、栽培における工夫や課題についてお話を伺いました。こうした栽培管理を担う人々は年々減少しており、原材料の安定供給の観点からも重要な課題です。
内皮に赤褐色の筋が生じる原因の解明(繊維に色がつかないようにこの赤筋を取り除く必要があり、その結果、使用可能な原料が減少してしまいます)や、以前は見かけなかった虫への対策など課題はつきません。
また、和紙にチリや着色があると文化財修理には適しませんが、今回訪れた福西正行氏、上窪良二氏の紙漉き工房では、楮や木灰を厳選するだけでなく、異物を一つひとつ刃物で切り取る繊細な工程(チリ切り)が重ねられていました。木灰から得られるアルカリ性溶液は楮の繊維を抽出するうえで不可欠ですが、良質な繊維を得るための灰の調達も難しくなりつつあります。今後は、和紙原材料間の相互作用や、様々な品種から得た木灰の特性を科学的に解明し、具体的な課題解決に向けた分析等を進めていきます。あわせて、専門家や関連分野の知見をつなぐネットワークのハブとしての機能を強化し、製作技術や工程の記録にも引き続き取り組んでいきます。
会場の様子
研究発表の様子 ポスターセッション
研究発表の様子 オーラルセッション
令和7(2025)年5月6日~9日、イタリア・ペルージャで開催された「TECHNART 2025」に、保存科学研究センターから保存環境研究室室長・秋山純子、分析科学研究室アソシエイトフェロー・紀芝蓮、研究補佐員・寺島海の3名が参加しました。
TECHNARTは文化遺産に対する科学的アプローチを主題とする国際学会で、今回の会期では、蛍光X線マッピング分析(MA-XRF)や粉末X線回折マッピング分析(MA-XRPD)、ハイパースペクトルイメージング(RIS)などの非接触・面的分析の応用例に加え、機械学習を用いた画像解析、環境に配慮した修復材料の開発など、最新の研究動向が紹介されました(TECHNART2025プログラムprogram.pdfを参照)。
紀はポスターセッションにて、香川県指定有形文化財『高松松平家所蔵博物図譜』に用いられた緑色色材を対象に、ハイパースペクトルカメラによる反射スペクトルと主成分分析(PCA)を用いた材料分類・推定を試みた研究成果を発表しました。大量の分光データに統計的手法を組み合わせた本手法は、絵画材料や技法の理解に有用であることを示しました。発表を通じて得られた議論や意見交換においても、色材データベースの整備や多次元データ解析の高度化が国際的な共通課題であることも改めて確認されました。
寺島はオーラルセッションにて、江戸期の絵画に対して実施した二次元的な分光分析の事例を発表しました。発表では、欧米で油彩画などに用いられたスマルト(コバルトガラスを砕いた青色顔料)が日本絵画でも使用されていたこと、その用法や彩色効果について新たな知見を報告しました。今回の学会では、アメリカやポルトガルからもスマルトに着目した発表があり、国際的関心の高さがうかがえるとともに、多面的な議論を通じて理解を深める有意義な機会となりました。
なお、海外の研究チームには保存科学や文化財科学の専門家のみならず、分析装置のハードウェアやソフトウェアの開発者なども参画して学際的なアプローチが取られています。日本でも分野横断型の研究が進展しており、今後はこうした発表の場をさらに充実させることが研究の深化に繋がると感じました。本学会参加を通じて得た知見を、今後の研究活動の一層の充実に活かしてまいります。
採取場でのフノリ生育の様子
上対馬漁協との協議
保存科学研究センターでは、文化庁から「美術工芸品に用いられる用具・原材料の調査」研究委託を受け、文化財情報資料部・無形文化遺産部とともに事業を遂行しています。令和7(2025)年5月13日-14日にフノリと呼ばれる材料の調査のため、長崎県対馬市を訪れました。
フノリは紅藻類フノリ科フノリ属をまとめた呼び名でマフノリとフクロフノリが主に活用されています。フノリを脱色し天日干しして板のような状態にしたものを板(いた)布(ふ)海苔(のり)といいます。板布海苔の状態・あるいは海藻の状態のまま煮溶かして作った糊は、美術工芸品の製作(織物・漆喰・筆など)や文化財修復の現場で多く使われます。特に文化財修復では、洗い流せば水に溶けてきれいに取り除けるというフノリの特性が大変重宝され、作品の表面保護の「表打ち」に用いられています。表面の汚れも同時に取り除く効果があるため、文化財修復においてなくてはならない材料のひとつです。
しかしその一方で人材不足や環境変化による収穫量の減少により、フノリを入手するのが難しくなってきています。
糊として使われるフノリのほとんどは対馬や五島列島で採取されています。この度の調査では、文化庁の岡村一幸氏と、板布海苔製造の貴重な担い手となっている株式会社大脇満蔵商店の大脇豊弘氏とともに、長崎漁業協同組合連合会の担当者同行の上で漁業協同組合のある上対馬町と美津島町を訪問しました。フノリの用途とその重要性について漁民の方へ東文研からお話しし、長崎県対馬振興局農林水産部対馬水産業普及指導センターの才津真子氏からは安定供給のための手法のご紹介をして頂きました。これらを元に検討協議も行いましたが、長崎県からご教示のあった増殖の取り組みに非常に関心をもって下さり、大変貴重な話し合いの場となりました。その後、採取場の視察も行い、生育状況の調査も行いました。
用具・原材料の調達が困難になっている今、様々な分野の機関が連携・協力しながら進めていくことの重要性を改めて認識する貴重な機会となりました。