研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『TOBUNKEN NEWS (東文研ニュース)』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。

東京文化財研究所 保存科学研究センター
文化財情報資料部 文化遺産国際協力センター
無形文化遺産部


韓国書画の作品評価と制度を振り返って―令和6年度第10回文化財情報資料部研究会の開催

 文化財情報資料部では、外部の研究者にも研究発表を行っていただき、研究交流をおこなっています。

 2月17日の第10回研究会では、韓国・明知大学校教授の徐胤晶(ソ・ユンジョン)氏に「安堅と東アジアの華北系山水画―伝称作、偽作、そして唐絵のなかの朝鮮絵画」、そして国立ハンセン病資料館主任学芸員の金貴粉氏に「近代朝鮮における書の専業化過程とその特徴 ―官僚出身書人の動向を中心に―」と題したご発表をしていただき、最後に文化財情報資料部研究員・田代裕一朗が「関野貞の朝鮮絵画調査と朝鮮人蒐集家-東京文化財研究所所蔵の調査資料をもとに―」と題した発表を行いました。

 各発表は、いずれも韓国書画をめぐって、作品評価と制度を振り返るもので、まず徐胤晶氏は、現在安堅の画とされている様々な作品について、江戸時代の日本、そして朝鮮時代の朝鮮における事例をもとに伝称の過程を分析するとともに、安堅の画を東アジア華北系山水画の系譜にどのように位置づけられるか、考察をおこないました。つづく金貴粉氏は、朝鮮時代末期から植民地期にかけて、官僚出身者を中心とする書人が、専業化を遂げ、職業書家に近しい存在に変貌する過程を考察しました。最後に田代裕一朗は、東京文化財研究所が所蔵する朝鮮絵画調査メモを手掛かりとして、関野貞の朝鮮絵画調査と朝鮮人蒐集家について考察する発表をおこないました。

 研究会は、オンライン同時配信(ハイブリッド・ハイフレックス型)で行われ、日本国内の学生と関連研究者だけでなく、米国・中国などの外国からも関連研究者が参加し、長時間にわたる研究会ながら、盛況のうちに終了しました。


酒呑童子絵巻の研究―令和6年度第11回文化財情報資料部研究会の開催

研究会風景
展覧会のチラシ

 令和7(2025)年2月25日に酒呑童子絵巻の研究会を開催しました。この研究は、住吉廣行筆「酒呑童子絵巻」(6巻、ライプツィヒ・グラッシー民族博物館蔵、以下ライプツィヒ本)を中心に科学研究費助成事業基盤研究Bの課題として令和4(2022)年から実施しているもので、このテーマで過去に2回研究会を開催しています。(2021年5月 https://www.tobunken.go.jp/materials/katudo/892626.html 2023年4月 https://www.tobunken.go.jp/materials/katudo/2035746.html)今回は科研費による研究の最終年度にあたり、下記の発表を行いました。
江村知子(東京文化財研究所 文化財情報資料部長)「酒呑童子の魔力」
並木誠士 (京都工芸繊維大学 特定教授)「狩野派と酒呑童子絵巻」
小林健二 (国文学研究資料館 名誉教授)「響き合う能と絵巻」
 3つの発表の後、上野友愛氏(サントリー美術館副学芸部長)にコメンテーターとしてご発言いただき、その後会場やオンライン参加の方々も交えて質疑応答を行いました。この研究プロジェクトは、令和7(2025)年4月29日~6月15日の会期でサントリー美術館で開催される「酒呑童子ビギンズ」展にも協力しています。ライプツィヒ本は第10代将軍徳川家治の養女として紀州家第10代徳川治宝に入輿した種姫の婚礼調度として特別に作られた作品で、今回の展覧会はライプツィヒ本の日本での初公開となります。ぜひ多くの方々に展覧会場でご覧いただきたいと思います。展覧会の情報はこちらをご参照ください。
https://www.suntory.co.jp/sma/


漁村小雪図巻を読み解く―令和6年度第12回文化財情報資料部研究会の開催

研究会の様子

 東京文化財研究所文化財情報資料部では、国内外の研究者を招き、学術交流の場として研究会を開催しています。今年度は、中国美術学院教授であり藝術文化院副院長を務める万木春氏をお迎えし、「王詵《漁村小雪図》巻について」と題した研究発表を行いました。
 本発表では、王詵の画業を文献資料に基づいて探究するとともに、《漁村小雪図》を構成する要素―水辺、雪景、漁村―を丹念に観察し、それらが 画面全体の空間構成にどのように寄与しているかを考察しました。また、自然描写、特に大気表現に注目し、画家の視覚的アプローチを読み解く試みがなされました。さらに、《漁村小雪図》にとどまらず、複数の作例を比較し、異なる視覚表現の方法についても詳細な検討がなされました。
 質疑応答では、研究者や大学院生から活発な質問や意見が寄せられ、それに対して万氏が明快かつ大胆な視点から応答されたことが印象的でした。今回の海外研究者による発表を通じて、日本の研究者にとっても新たな視座を得る機会となりました。
 今後も、海外の研究者を積極的に招き、より広い知見を共有する場として、定期的に研究会を開催していく予定です。


実演記録「平家」第七回の実施

田中奈央一氏
日吉省吾氏

 無形文化遺産部では、継承者がわずかとなり伝承が危ぶまれている「平家」(「平家琵琶」とも)の実演記録を、平成30(2018)年より「平家語り研究会」(主宰:武蔵野音楽大学教授薦田治子氏、メンバー:菊央雄司氏、田中奈央一氏、日吉章吾氏)の協力を得て実施しています。第七回は、令和7(2025)年1月31日、東京文化財研究所 実演記録室で《竹生島詣》(全曲)と《宇治川》(前半)を収録しました。
 《竹生島詣》は、琵琶湖畔を北上する途中、平家の副将軍で詩歌に優れた平経正平が、小舟で竹生島に渡って渡された琵琶で秘曲を弾いたところ、袖に白竜が現れたという吉兆を語ります。竹生島には芸能神でもある弁財天が祀られているので、琵琶との融和が感じられます。また《宇治川》は、木曽義仲を追う源頼朝軍の梶原源太景季かげすえと佐々木四郎高綱の先陣争いがテーマですが、前半では景季が所望した名馬・生食いけずきが高綱に与えられたことをきっかけに高まる二人の競争心と、激流と化した宇治川をはさんで義仲に対峙する緊張が表現されます。
今回の実演記録では、《竹生島詣》(全曲)を菊央氏と田中氏、《宇治川》(前半)を日吉氏に演奏してもらい、記録撮影しました。
 今後とも無形文化遺産部では、「平家語り研究会」の「平家」伝承曲の演奏および復元演奏の記録をアーカイブしていく予定です。


蒜山ガマ細工の調査

コモゲタ(台)とツチノコを使い、ヤマカゲの縄でガマを編む
ガマコシゴ、右は50年以上前に作られたもの

 令和7(2025)年2月22日、岡山県真庭市蒜山(ひるぜん)でヒメガマ(Typha domingensis)を用いたガマコシゴ(腰籠)の製作技術を調査しました。
 高度経済成長期以前、ガマは背負籠や物入れ、脚絆、雪靴、敷物など、全国各地で様々な生活用具の素材として利用されてきました。水生植物であるガマは、中空構造を持つために軽く、保温性と防水性に優れているとともに、非常に美しい光沢を持つことが特徴です。耐久性も高いことから、ガマは、藁細工などよりも高級な「よそいき」の籠や脚絆に使ったという地域もあります。
 こうしたガマ細工の多くは自家用に作られてきたこともあり、生活様式の変化や化学製品の台頭によって、全国ほとんどの地域でその製作技術は失われてしまいました。その中で蒜山では、高度経済成長期前後にガマ細工を地域の産業・工芸品として再生させることに成功させ、その製作技術が今日まで継承されてきました。昭和57(1982)年には県の郷土伝統的工芸品の指定も受け、現在では蒜山蒲細工生産振興会(会員8名)がわざの継承に取り組んでいます。
 ガマ細工は、10月頃に手刈りした1年生のガマの皮を1枚ずつ剥がし、これをヤマカゲ(和名シナノキ)の内皮で作る丈夫な縄で編んでいくことで作られます。縄は20年生程度のヤマカゲを6月末~7月(梅雨明け前)に伐採し、剝がした内皮を池や沼に4ヶ月程度つけて腐らせ、洗って乾燥させてから層ごとに薄く剥ぎ、糸のように細くい上げたものです。地元の蒜山郷土博物館に収蔵されている古いガマコシゴを見ると、ヤマカゲの縄は現在のものより緩く綯われており、工芸品として洗練されていく過程で、より細く美しい縄が追究されたことが想像されます。
 蒜山は標高500~600メートル程、12~3月まで「百日雪の下」と言われる多雪地域です。かつては素性のよいヒメガマが高原の湿地でたくさん採取できたそうですが、気候変動や獣害のためか、近年では天然の良材が育たなくなり、現在では休耕田での栽培に切り替えて材料確保に努めています。しかし質が柔らかすぎたり、色が悪くシミが出るなど、かつてのような良質な素材の確保が難しい状況が続いており、状況改善に向けた試行錯誤が続けられています。
 伝統的なわざに用いる原材料の持続的・安定的な確保は、全国的に大きな課題となっています。地域の風土に根差した素材の利用技術とその課題について、無形文化遺産部では引き続き、各地の現状調査を進めていく予定です。


フォーラム「ポスト・エキヒュームSの資料保存を考える」の開催報告

総合討議の様子
関係組織による研究紹介の様子

 保存科学研究センターは、令和7(2025)年2月21日にフォーラム「ポスト・エキヒュームSの資料保存を考える」を文化庁、文化財保存修復学会、日本文化財科学会の共催で開催しました。資料保存における生物被害対策では、大規模な虫菌害が発生した際にガス燻蒸処理によって一旦被害を初期化する対策が図られています。あるいは、受入資料からの虫やカビの持ち込みを防ぐために、資料を対象にしたガス燻蒸処理が行われる場合もあります。また災害等で被災した資料を対象にしたガス燻蒸処理も行われてきました。このようにガス燻蒸処理は、現在の日本では資料保存における生物被害対策に欠かすことのできない技術ですが、令和7(2025)年3月末に主要な燻蒸ガス剤の一つである「エキヒュームS」の販売が停止することとなりました。その背景には燻蒸ガスが人や地球環境に及ぼす負の影響が無視できなくなってきたことがあります。そこでフォーラムではこの分野の専門家と組織をお呼びして、持続可能な社会の構築という現代の社会要請のもとで新しい資料保存の在り方について議論を行うことを目的としました。基調講演では米村祥央氏(文化庁文化資源活用課)と木川りか氏(九州国立博物館)から文化財IPMを主軸とする今後の資料保存の在り方について講演を頂きました。また、渡辺祐基氏(九州国立博物館)と保存科学研究センターアソシエイトフェロー・島田潤より海外における文化財IPMの研究事例をランチタイムに報告いただき、続いて日髙真吾氏(国立民族学博物館)、岩田泰幸氏(文化財虫菌害研究所)、間渕創氏(文化財活用センター)より、文化財IPMの実践や文化財IPMに関する資格の活用、カビ対策の実践などを講演頂きました。総合討議では建石徹氏(皇居三の丸尚蔵館)にモデレーターを務めていただき、各講演者と小谷竜介氏(文化財防災センター)、和田浩氏(東京国立博物館)、降幡順子氏(京都国立博物館)、脇谷草一郎氏(奈良文化財研究所)、髙畑誠氏(宮内庁正倉院事務所)にご登壇頂き、それぞれの立場からポスト・エキヒュームSの資料保存の在り方について議論いただきました。会場は地下1Fセミナー室と会議室(サテライト会場)でホワイエでは文化財IPMに関わる組織によるブースでの研究紹介も行いました。会場参加者は約170名、WEB同時配信の登録は約750アカウントと大変多くの方にご参加いただきました。フォーラムを機にさらに活発な議論が進み、課題解決へ一歩ずつ歩みが進められていくことに期待しています。


2024年度保存科学研究センター新規導入・更新機器

 保存科学センターでは2024年度に「ラマン分光分析装置」「三次元蛍光分光光度計」「高速液体クロマトグラフィー」を新規導入し、「熱分解GC/MS」「イオンクロマトグラフィー」を更新しました(図1)。これらの機器についてご紹介します。
ラマン分光分析装置
 試料にレーザー光を照射するときに生じるラマン散乱光は、分子構造によりその波長が変化します。これを利用して、非接触・非破壊で試料の構造を分析することが可能な装置です。マッピングも可能な据置型顕微ラマン分光、持ち運び可能な可搬型顕微ラマン分光、小型で持ち運びが容易なハンドヘルドラマン分光の3タイプの装置を導入しました。ラマン分光法は、純金属以外の試料であれば無機物・有機物を問わず分析可能です。染料・顔料の同定、腐蝕の原因解明、文化財付着物の分析など、さまざまな用途に利用できます(図2)。
三次元分光蛍光光度計
 試料から放出される蛍光の波長や強度は、その構造によって変化するため、蛍光分析を行うことで文化財を構成する物質の構造を推定することが可能です。非接触・非破壊で測定可能であり、蛍光を発するあらゆる試料を分析できます。蛍光を発する試料は意外と多く存在し(例えば布・紙・木材なども多くの場合蛍光を検出できます)、多くの文化財を分析可能ですが、特に染料については強力な分析ツールとなります(図3)。
高速液体クロマトグラフィー
 大気中のアルデヒドの定量や、繊維製品中の染料の定量などに用います。PDA検出器を備えており、一般的なUV検出器に比べ未知物質の定性にも威力を発揮します。抽出を行う必要があるので、基本的に破壊分析になります。
熱分解GC/MS(更新)
 紙・布帛・漆・木材など、高分子からなる試料の構造を詳細に分析することができる装置です。破壊分析ですが、試料量は1mgという極微量で分析でも分析可能です。また、大気中の臭気や残留溶媒などの定性定量も可能です。
イオンクロマトグラフィー(更新)
 大気中のアンモニアや有機酸の定量や、水中の塩化物イオンや硝酸イオンなどの定量に用います。サプレッサー法を採用しており、非常に高感度です。

 これらの装置を用いて文化財分析を今後も進めていきます。

図1 新規導入・更新機器の写真


A:ラマン分光分析装置(据置型顕微ラマン分光)B:三次元分光蛍光光度計C:高速液体クロマトグラフィーD:熱分解GC/MSE:イオンクロマトグラフィー

図2 ラマン分光分析装置による各種色材の分析

色材によって得られるスペクトルが全く異なることが分かる。1µm程度の高分解能で色材の同定が可能である。特に、非破壊で墨を分析可能であることは大きな特長である。顔料だけでなく、染料・鉱物・金属の腐蝕・繊維など、多彩な試料を分析できる。

図3 天然染料で染めた布の劣化前後の三次元分光蛍光スペクトル

A:劣化試験前 B:劣化試験後

劣化により全体的に蛍光強度が低下する。特に励起波長280nm、蛍光波長420nm付近の蛍光強度の低下が著しい。蛍光パターンは劣化の程度や素材そのものの違いにより変化するため、劣化の度合いの評価や、素材の異同分析に有効である。


バハレーンにおけるイスラーム墓碑の3次元計測調査(第3次)

トゥブリ墓地での調査
地元コミュニティによって保存されるアル・カデム墓地の墓碑

 東京文化財研究所は長年にわたり、バハレーンの古墳群の発掘調査や史跡整備に協力してきました。一方、同国内のモスクや墓地には歴史的なイスラーム墓碑が残されており、現在でも同国内には約150基ほどの墓碑が確認されていますが、多くは塩害などにより劣化が進行しています。
 それらの墓碑の保護に協力してほしいとのバハレーン側の要請に応え、令和5(2023)年と令和6(2024)年に写真から3Dモデルを作成する技術であるSfM-MVS(Structure-from-Motion/Multi-View-Stereo)を用いた写真測量を行いました。これにより、博物館や現代の墓地に所在する約100基の墓碑の3次元計測を完了しました。作成したモデルは、広く国内外からアクセスできるプラットフォームである「Sketchfab」に公開し、墓碑のデータベースとして活用されています。
 このたび、同国南部の墓地にも対象を広げた3次元計測調査を令和7(2025)年2月8日~12日にかけて行いました。これまでと同様に写真測量を行い、トゥブリ墓地2基、サルミヤ・モスク1基、フーラ墓地12基、マフーズ墓地1基、ダイ墓地1基、ノアイーム墓地5基、アル・カデム墓地2基、カラナ墓地5基の計29基について計測を完了しました。埋没した墓碑や破壊された墓碑を除き、本調査をもってバハレーン全土の墓碑の計測が一旦完了しました。
 一基ごとの寸法、形状、碑文に関する情報も伴った3Dモデルによる100基以上の墓碑のデータベースはこれまでに例がなく、単に形状の記録保存という意味合いにとどまらず、本調査の成果が今後のイスラーム墓碑研究にも役立つことが大いに期待されます。


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