研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『TOBUNKEN NEWS
(東文研ニュース)』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。
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舞楽《萬歳楽》収録の様子
舞楽《陵王》収録の様子
令和6(2024)年9月30日と10月1日に、雅楽の実演について、視聴覚データ・生理学データ(呼吸等)・モーションキャプチャデータを同時計測する実験収録を行いました。これは、無形文化遺産部研究員・鎌田紗弓が研究代表者を務める「楽と舞:雅楽実践の身体コミュニケーション」プロジェクトの一環であり、東京文化財研究所・東京大学・桜美林大学・神戸大学・理化学研究所・ダラム大学の共同研究として、三島海雲記念財団 2024年度学術研究奨励金の助成を受けたものです。
伝統芸能では、役割の異なる演者同士で見計らって表現を「合わせる」ことがよくありますが、これは決して「機械的に揃える」ことを意味しません。その微妙な調整がどのように行われるのかを探るため、収録の主な目的は、(1)呼吸や細かな動きなど映像・音声だけでは捉えきれない要素も含めて記録すること、(2)楽人・舞人の役割を担う際に何を意識しているのかという演者ご自身の意識・感覚について洞察を得ることとしました。2日間を通して、計13名の演奏家の協力のもと、《萬歳楽》と《陵王》の舞楽・管絃での上演を収録しています。
今後は、得られた量的データ(視聴覚記録、生理学的記録、モーションキャプチャ)と質的データ(インタビュー)を、演奏者間の相互作用という観点から詳細に分析していきます。研究は始まったばかりですが、将来的な成果を、多様化する伝統芸能の記録作成手法そのものの検証にも繋げられればと考えています。
バルバル神殿遺跡の浸水被害調査
アル・ファウ遺跡シンポジウム
文化遺産国際協力センターでは、文化遺産保存状況の調査ならびに関連協議のため、令和6(2024)年10月上旬にバーレーンとサウジアラビアへ調査団を派遣しました。
このほど、バーレーン文化古物局と東京文化財研究所、金沢大学古代文明・文化資源学研究所の三者は協力協定を締結し、新たに「バハレーン・アラビア湾岸考古学・文化遺産研究センター」を立ち上げ、同国の考古学研究と文化遺産保護事業を共同で進めていくことで合意しました。今回のバーレーン訪問のおもな目的は、年初の大雨による影響を受けた遺跡の状況調査です。カラートゥ・ル=バーレーン遺跡では、浸水による砦外壁の崩壊や、ナツメヤシ材を用いた天井梁の顕著な撓みが確認され、一時的に観光客の立ち入りが制限されていました。また、バルバル神殿遺跡では、最も神聖な場所であったと思われる井戸状遺構に砂が流入し、基礎の洗堀等によって複数の石材が傾斜・移動していました。このように、気候変動による年間降水量の増大に伴い、それによる文化遺産への影響が中東・湾岸地域では年々深刻化しています。数年前に採られた記録と現状を比較して劣化の進行を定量的にモニタリングすることを提案し、影響軽減の対策案について協議しました。
一方、サウジアラビアでは、令和6(2024)年9月に世界遺産に新規登録されたばかりのアル・ファウ遺跡をテーマとして首都リヤドで開催されたシンポジウムに出席し、続いて遺跡現地も見学しました。イスラーム以前の交易都市の遺構を中心としたアル・ファウ遺跡は、祭祀遺構や主に青銅器時代に築かれた多数の古墳も含む広大かつ多面的な遺跡ですが、発掘調査はまだ全体の数%しか完了していません。今回の訪問では文化遺産庁とも意見交換を行い、今後の公開に向けた史跡整備のなかで必要な支援ができるよう、協議を継続することを確認しました。
写真測量の実習
広島県平和記念公園でのVRツアー体験
福井県一乗谷朝倉氏遺跡でのARコンテンツの体験
文化遺産国際協力センターは、令和6(2024)年度文化遺産国際協力拠点交流事業「デジタル技術を用いたバーレーンおよび湾岸諸国における文化遺産の記録・活用に関する拠点交流事業」を文化庁より受託しています。その一環として、令和6(2024)年10月21~30日にかけて「文化遺産の3Dデジタル・ドキュメンテーションとその活用に関するワークショップ」ならびに「日本の博物館、史跡におけるAR、VR、デジタル・コンテンツの活用に関するスタディー・ツアー」を実施しました。本研修は、前年度に同交流事業を受託してバーレーンにて実施した、3Dデジタル・ドキュメンテーションに関する基礎的な研修を発展的に継承したもので、今回はバーレーン、クウェート、サウジアラビア、オマーン、エジプトの5カ国から計7名の専門家を招聘して、応用的な技術講習・実習に加え、ドローンを航行させての遺跡や建物の広域測量の実習、さらに日本国内での活用事例を見学するスタディー・ツアーも行いました。
日本に招聘して研修を実施するねらいは、考古遺跡や歴史的建造物の記録における3Dデジタル・ドキュメンテーションの導入だけでなく、歴史教育や博物館展示、史跡公開などの場面での活用事例を学んでもらうことにあります。そこで、東京国立博物館と文化財活用センターが製作したデジタル日本美術年表をはじめとするデジタル・コンテンツや、産業技術総合研究所が進めるデジタルツイン事業の一つである3D DB Viewer、博物館資料の3Dデータを3Dモデルとして出力し“触れる展示資料”を提供している「路上博物館」などの事例を紹介しました。また、広島の平和記念公園で実施されているPeace Park Tour VRの体験、大塚オーミ陶業による文化財のレプリカ製作の現場見学、福井県一乗谷朝倉氏遺跡の屋内外における遺構露出展示や復元街並みとAR・VRの融合事例の見学などを実施しました。
湾岸諸国の中でも、3Dデジタル・ドキュメンテーションを本格的に導入したい対象や場面が国毎に異なり、より専門的かつ集中的な研修と実用化が求められていることがうかがわれました。今後はそれらのニーズに個別に対応した、より実践的な協力のあり方も検討していきます。
無機修復材料を用いたパック法の実施
保存修復前後の様子
東京文化財研究所では、令和3(2021)年度より、「文化遺産の保存修復技術に係る国際的研究」の一環として、スタッコ装飾に関する研究調査を行なっています。昨年度は、新潟県長岡市にある機那サフラン酒製造本舗土蔵にて、扉や軒下に配された鏝絵を対象に、埃などの付着物の除去や、剥離・剥落といった損傷箇所に対する適切な保存修復方法の確立を目的とする調査研究を長岡市から受託して行いました。これに続き、今年度は、彩色層や漆喰層の補強および補彩技法の確立を目的とする調査研究を、欧州の専門家にも協力いただきながら9月26日~10月16日にかけて行いました。
過去にこの鏝絵では、損傷箇所の補修に合成樹脂を含む材料が使われていましたが、夏は高温多湿で、冬季間には降雪量の多いことから経年による劣化が激しく、ときに補修材料が鏝絵を傷める原因になっていました。この現状を改善すべく耐久性に優れた無機修復材料の導入を検討し、補彩においては、制作から間もなく100年を迎える本鏝絵が持つ風格を現代に継承しつつ、鏝絵蔵全体の調和を生み出すよう配慮した彩色方法を採用しました。
一連の調査研究を通じて確立された鏝絵の保存修復方法は、文化財保存学の視点から実施された国内初の事例となります。この方法に基づく成果については、今後の経過観察を通じてその効果を検証する必要がありますが、現状の改善に繋がる大きな一歩を踏み出すことができたといえるでしょう。
織田東禹による水彩画、《コロポックルの村》(1907年、東京国立博物館)は、当時の人類学の最新の知見に基づいて描かれた作品です。 東京国立博物館の特集展示「没後100年・黒田清輝と近代絵画の冒険者たち」(8月20日~10月20日)に出品中であったこの作品について、9月6日に東京文化財研究所において研究会を行いました。展示の企画担当者である文化財情報資料部研究員・吉田暁子、藏田愛子氏(東京大学)、品川欣也氏(東京国立博物館)、笹倉いる美氏(北海道立北方民族博物館)が登壇し、それぞれ美術史学、文化資源学、考古学、文化人類学の観点から同作について考察しました。
《コロポックルの村》は、裏面に記されている通り「三千年前石器時代日本」を舞台とする「先住者部落の生活状態の図」として描かれました。制作にあたり、作者の織田は人類学者の坪井正五郎の学説に依拠し、当時見ることのできた考古遺物などの資料を参照したこと、また大森貝塚付近を入念に写生したことなどが知られています。織田は本作を1907年に開催された東京勧業博覧会の「美術」部門に出品することを目指したものの、同部門での審査を拒絶され、本作は「教育、学芸」の資料として展示されました。
研究発表において、まず吉田は同作の概要を紹介し、東京勧業博覧会の美術部門での受賞作の傾向を分析した上で《コロポックルの村》が美術品として認められなかった理由を推察しました。次に、近著『画工の近代 植物・動物・考古を描く』の第8章「明治四十年代における『日本の太古』」(東京大学出版会、2024年、309-331頁)において、《コロポックルの村》について論じられた藏田氏は、坪井正五郎の学説と同作との関わり、また東京勧業博覧会全体の中での位置づけについて発表されました。次に品川氏は、考古学の視点から、現実の古代遺跡の再現図として同作を分析し、東京国立博物館への同作の収集経緯などについても紹介されました。そして笹倉氏は文化人類学の観点から、同作に描かれた道具や衣服、住居などには、北方民族のそれと共通する要素があることを指摘し、織田が坪井を通じて参照した可能性のある遺跡や資料を指摘されました。最後に、来場者からの質問やコメントを交えつつディスカッションを行いました。
本研究会は、美術品と学術資料とのはざまに位置づけられ、周縁化されてきた同作について領域横断的に検討する新たな試みであり、来場者からの反応も多く有意義な会となりました。本研究会の成果については、各発表者による報告を後日『美術研究』に掲載する予定です。
ギャラリー山口旧蔵資料の一部:画廊案内(山304)、野見山暁治版画作品(山185)、岡本敦生/ヤン・ファン・ミュンスター(山043) ※( )内は請求記号
ギャラリー山口旧蔵資料の一部:建畠覚造建築彫刻モニュメント(山147)のうち、ホテルニューオータニ、多摩美術大学、リッカーミシンビル、大分・国立工業高等専門学校の作品写真
このたび、研究プロジェクト「近・現代美術に関する調査研究と資料集成」の一環で、「ギャラリー山口旧蔵資料」の目録をウェブサイトに公開しました。
ギャラリー山口は、昭和55(1980)年3月銀座3丁目、松屋と昭和通りの間、ヤマトビル3階に開設した、山口侊子(1943-2010)経営による現代美術を専門とした画廊です。「美術館の開館ラッシュ」といわれる時代に、30~40代の次世代を担う若手日本人美術家の個展を中心とし、抽象表現の絵画、彫刻の大作による個展を主軸として、その発表の場を担うとともに、現代の建築空間に対応できる作品の紹介、広場や公園のための野外彫刻、環境造形の受注制作も行ったギャラリーとしても知られています。平成3(1991)年4月には、現代美術作品の大型化に対応するため、新木場にオープンしたSOKOギャラリーに入居、ギャラリー山口SOKOも開設。平成7(1995)年8月には、この2ヶ所のギャラリーを統合し、京橋3丁目京栄ビルへ移転しました。国際交流の活動として海外画廊との交換展を行うなど日本の現代美術の普及にも大きく貢献した、この時代を代表する重要な画廊のひとつです。
今回、目録を公開した資料群は、平成22(2010)年に経営者逝去に伴いギャラリーが閉廊した際に、笹木繁男(1931-2024)の仲介で東京文化財研究所に寄贈されたもので、570点ほどのファイルで構成され、書架延長でおよそ9メートルの規模になります。そのなかには記録写真やプレスリリースなどを納めた作家ファイルや画廊運営資料も含まれており、当時の新聞・雑誌などのメディアによる報道には記録されない、重要な事実を見出すこともできるでしょう。
研究プロジェクト「近・現代美術に関する調査研究と資料集成」では、日本の近・現代美術の作品や資料の調査研究を行い、これに基づき研究交流を推進し、併せて、現代美術に関する資料の効率的な収集と公開体制の構築も目指しております。この資料群は資料閲覧室で閲覧できますので、現代美術をはじめとする幅広い分野の研究課題の解決の糸口として、また新たな研究を創出する契機として、ご活用いただければ幸いです。
◆資料閲覧室利用案内
https://www.tobunken.go.jp/joho/japanese/library/library.html
アーカイブズ(文書)情報は、このページの下方に掲載されています。実際の資料は資料閲覧室でご覧いただけます(事前予約制)。
◆ギャラリー山口旧蔵資料
https://www.tobunken.go.jp/joho/japanese/library/pdf/archives_GalleryYamaguchi.pdf
笹木繁男氏(2018年12月21日、東京文化財研究所)
作家ファイルの一部:上前智祐
作家ファイル一部:ア行の作家
研究プロジェクト「近・現代美術に関する調査研究と資料集成」の一環で、令和6(2024)年9月25日に、データベース「笹木繁男氏主宰現代美術資料センター寄贈資料(作家ファイル)」をウェブサイトに公開しました。
笹木繁男(1931-2024)は、都市銀行在職中の1960年代から美術作品を収集し、また戦中期以後の現代美術に関する資料も収集しました。定年退職後、平成6(1994)年に自宅の一室に、現代美術資料センターを開設し、そこでは美術館の学芸員や研究者に対して、自身が所蔵するさまざまな資料を閲覧提供し、研究などをサポートされていました。美術コレクターとして、都内のギャラリーをまわり、そのオーナーや他のコレクターのネットワークがあり、また在野の戦後美術研究者として、みずから画家や関係者を取材し、ときに資料散逸を防ぐために、資料保存の重要性を呼びかけて、現代美術資料センターのアーカイブ機能を背景に、積極的に収集されたことが、この資料群のひとつの特徴といえるでしょう。
東京文化財研究所では、それまで収集しきれていなかった現代美術分野の資料を補完するために、平成9(1997)年にこの資料群、段ボールおよそ450箱を受け入れ、それ以降も、平成30(2018)年まで、定期的に資料をお届けいただきました。当研究所では、現在まで30名ほどの学生アシスタントの協力により、その整理・登録を行なっております。これまでも『笹木繁男氏主宰現代美術資料センター寄贈資料目録CD』(2002年)、『笹木繁男氏主宰現代美術資料センター寄贈資料目録画廊関連データCD』(2006年)を出版して、研究者にも情報提供をしてきましたが、今回のデータベース「笹木繁男氏主宰現代美術資料センター寄贈資料(作家ファイル)」公開によって、最新の整理状況を反映させるとともに、よりアクセスしやすいようにウェブサイトを介して提供できることとなりました。
研究プロジェクト「近・現代美術に関する調査研究と資料集成」では、日本の近・現代美術の作品や資料の調査研究を行い、これに基づき研究交流を推進し、併せて、現代美術に関する資料の効率的な収集と公開体制の構築も目指しております。この資料群は資料閲覧室で閲覧できますので、現代美術をはじめとする幅広い分野の研究課題の解決の糸口として、また新たな研究を創出する契機として、ご活用いただければ幸いです。
◆データベース「笹木繁男氏主宰現代美術資料センター寄贈資料(作家ファイル)」
https://www.tobunken.go.jp/materials/sasaki_artistfile
◆資料閲覧室利用案内
https://www.tobunken.go.jp/joho/japanese/library/library.html
遺構にみられるスタッコ装飾
遺跡内での調査風景
文化遺産国際協力センターでは、令和3(2021)年度より、運営費交付金事業「文化遺産の保存修復技術に係る国際的研究」において、スタッコ装飾及び塑像に関する研究調査に取り組んでいます。
その活動の一環として、令和6(2024)年9月6日~7日にかけてイタリアのソンマ・ヴェスヴィアーナにあるローマ時代の遺跡を訪問しました。ヴェスヴィオ火山の北側に位置するこの遺跡では、平成14(2002)年以来、東京大学を中心とする発掘調査団によって調査が進められており、これまでに紀元前後に創建されたと考えられる遺構が発見されています。そして、様々な調査の結果、これらの建物が歴史書の中に記されたローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの別荘である可能性が高いことから関心が寄せられています。
今回の訪問では、遺構の中に残るスタッコ装飾に焦点を当て、使用されている材料や技法、彩色を対象にした事前調査を実施し、研究計画書を作成しました。この計画書の中では、スタッコ装飾や壁画が残る装飾門の現代的な保存修復方法について検討を深めることについても言及しており、遺跡の保存と活用を視野に入れています。
今後は、ギリシャ・ローマ時代の考古遺跡を対象にしたスタッコ装飾の技法・材料に係る比較調査を通じて構造や特性について理解を深めるとともに、それらの保存修復方法やサイトマネジメントのあり方について研究を続けていきます。
名古屋城見学の様子
講義「紙の基礎」にて紙サンプルを観察する様子
令和6年(2024)年8月26日~9月13日にかけて、国際研修「紙の保存と修復」を開催しました。本研修は平成4(1992)年よりICCROM(文化財保存修復研究国際センター)と東京文化財研究所が共催しています。参加者はこの3週間の研修で、紙文化財が日本においてどのように保存されてきたかを体系的に学びます。日本の修復技術やその文化的背景を伝えることで、さまざまな地域の文化財保存へと役立ててもらうことが、本研修の目的です。本年は60カ国165名の応募者のうちから、アルメニア、カナダ、ドイツ、イタリア、マルタ、メキシコ、オランダ、スイス、英国、アメリカ合衆国の各国、計10名の専門家を招きました。
研修は講義、実習、スタディツアーから成ります。講義では、日本の文化財保護制度や、和紙の特性、そして小麦でんぷん糊や刷毛といった伝統的な道具材料について扱いました。
実習では、国の選定保存技術「装潢修理技術」保持認定団体の技術者を講師に迎え、巻子を仕立てる作業を通じて、日本で行われている修復作業を学びました。
第2週目は中部・近畿地方を巡るスタディツアーを行いました。まず名古屋城を訪れ、伝統的な建物内における屏風や襖の使われ方を学びました。続いて美濃市では、国の重要無形文化財である本美濃紙の製造工程を見学しました。さらに京都市では、江戸時代から続く伝統的な修復工房を見学しました。
最終週には、巻子だけでなく、屏風や掛け軸の構造や取り扱い方法についても実習しました。
研修後のアンケート結果によれば、参加者の多くが、修復材料として和紙を使用する方法への理解をさらに深めたようです。各自が帰国後、本研修で得た技術や知識が周囲にも広まり、応用され、それによって諸外国の文化財がよりよく保護されていくことを願っています。
掲示されたポスター資料
会場に設置されたパネル
令和6(2024)年8月6日~8月9日にかけてジョージ・メイソン大学(アメリカ)で開催されたDigital Humanities 2024(DH2024)に参加して来ました。DH2024は人文情報学という学問分野では最大規模の年次国際大会です。そして人文情報学というのは、人文学と情報学とを融合させることで新たな発見の獲得を目的とした分野です。
東京文化財研究所は、令和4(2022)年度より文化庁が進める「文化財の匠プロジェクト」事業の一環として「美術工芸品修理のための用具・原材料と生産技術の保護・育成等促進事業」に携わっており、文化財情報資料部では「文化財(美術工芸品)修理記録のアーカイブ化」を担当しております。この事業は、文化財の修理記録という大切な情報を適切な形で後世に残していくことを主眼としている重要なものであり、そのプレゼンスを国際的にも主張してゆくことが求められます。こうした背景から、文化財情報資料部客員研究員・片倉峻平が発表者としてDH2024に赴き、昨年度時点でのアーカイブ化の作業過程をポスター発表(題目:” Constructing a Database of Cultural Property Restoration Records”)にて紹介しました。発表内容は田良島哲・片倉峻平「美術工芸品修理記録のデータベース化」(『月刊文化財』722号、2023年)に則ったものですので、よろしければこちらをご覧下さい。
聴衆の皆様には、日本の文化財修理でどのような記録が取られて来たのか、そしてこれまでどのように蓄積・保存されてきたのか、という点に特に興味を持って頂けました。データベースを作成しているというお話もしたので、実際にそのデータベースを見てみたいという希望も多く聞くことが出来ました。データベースは残念ながらまだ未公開ですがいずれ公開するのでぜひ期待して下さいとお伝えしておきました。
本プロジェクトはこれから佳境を迎えます。これからも国際的な情報発信に努めますので、皆様にもぜひ引き続き注目頂ければと思います。
「没後100年・黒田清輝と近代絵画の冒険者たち」展示作業風景、東京国立博物館
研究会風景、東京文化財研究所
令和6(2024)年は、画家であり、東京文化財研究所の前身である美術研究所の設立資金を遺した黒田清輝(1866-1924)の没後100年にあたります。これを記念し、東京国立博物館での特集展示を企画しました。展示は黒田の作品と、東京国立博物館の所蔵する近代絵画とによって構成し、西洋絵画に学んだ「洋画」が「美術」としての地位を獲得していく工程を「冒険」として紹介しました。
まずは黒田清輝の代表作、《智・感・情》(1899、明治32年)において、人間の裸体によって抽象的な観念を描くという西洋の寓意画に端を発した試みを紹介しました。人間の裸体を美的なものとして描き、見る習慣のなかった日本では、裸体画は不道徳なものとして批判されましたが、黒田は《智・感・情》において日本人のモデルを用いた裸体画を世に問いました。《智・感・情》は明治33(1900)年のパリ万国博覧会では、“Etude de Femme”(女性習作)として紹介されました。日本の観衆に対しては裸体によって理想を表現する手法を示し、西洋の観衆に対しては日本人による日本人を描いた裸体画の存在を示すという二面性をもつ試みであったことがわかります。
また本展では、当時の「美術」の境界を示す作品を展示しました。織田東禹《コロポックルの村》(1907、明治40年)は、アイヌの伝承に「蕗の葉の下に住む人」として登場する「コロポックル」を日本の石器時代の先住民とする、人類学者の坪井正五郎による学説に基づいて描かれました。織田はこの作品を明治40(1907)年の東京勧業博覧会に出品し、美術館での展示を希望しましたが、美術部門の審査員は類例のない表現に戸惑って同作の審査を拒否し、結局同作は「教育、学芸」の資料として展示されました。当時、「美術」という概念は形成途上にあり、《コロポックルの村》の扱いには出品者側と審査員側の認識の違いが表れたといえます。同作をめぐり、文化史的な視点からの考察と、考古学や文化人類学側からの考察をまじえた学際的な研究会を9月6日に当研究所で行いました。
最後に、同展では黒田清輝の遺産によって昭和5(1930)年に創立した「美術研究所」を前身とする当研究所の所蔵資料を展示しました。黒田は遺産の一部を「美術奨励事業」に充てるようにという遺言を残しましたが、その内容を具体化したのは美術史家の矢代幸雄でした。イギリスとイタリアに留学してルネッサンス美術を研究した矢代が大正14(1925)年に刊行した“Sandro Botticelli”(Medici Society)は、新鮮な視点を示した著作として高い評価を受けました。中でも、部分図に独自の美観を認める視点は当時の西洋美術史に新たな視点をもたらしました。「美術研究所」の構想において重視された美術写真の収集という方針は、現在の当研究所の資料収集にも継承されています。同展では“Sandro Botticelli”や『黒田清輝日記』など、当研究所の所蔵資料を展示し、美術研究における拠点としての同所の意義を紹介しました。
実演の様子
展示の様子
令和6(2024)年8月9日、東京文化財研究所にてシンポジウム「森と支える「知恵とわざ」―無形文化遺産の未来のために」が開催されました。
昨今、無形のわざや、有形の文化財の修理技術を支える原材料が入手困難になっていることが大きな問題となっています。山を手入れしなくなったことによって適材が入手できなくなった、需要減少によって材の産地が撤退してしまった、流通システムが崩壊してしまった、など背景は様々ですが、いずれも、人と自然との関わりのあり方が変わってしまったことが要因としてあります。
本シンポジウムは、こうした現状を広く知ってもらい、課題解決について共に考えていくネットワークを構築することを目的に開催されました。まず第一部では5名の方をお招きして、自然素材を用いた様々なわざを実演いただきました。荒井恵梨子氏にはイタヤカエデやヤマモミジのヘギ材で編む「小原かご」、延原有紀氏にはサルナシやバッコヤナギ樹皮で編む「面岸箕」、中村仁美氏にはヨシで作る「篳篥の蘆舌(リード)」、小島秀介氏にはキリで作る「文化財保存桐箱」、関田徹也氏には里山の木で作る祭具「削りかけ」について実演や解説をいただき、参加者とも自由に交流していただきました。その後、第二部では秋田県立大学副学長の蒔田明史氏による講演「文化の基盤としての自然」と、当研究所職員3名による報告がありました。
先述したように、原材料の不足の背景には、人と自然との関係性が変化したことが大きな要因としてあります。それは社会全体の変化と直結しており、一朝一夕で解決できる問題ではありません。しかしだからこそ、この現状を広く社会に知っていただき、様々な地域、立場からこの問題について考え、行動していただくことが重要になってきます。無形文化遺産部では課題解決に少しでも寄与できるよう、今後も引き続き、関連する調査研究やネットワークの構築、発信をしていきたいと考えています。
なお、シンポジウムの全内容は近日中に報告書として刊行し、PDF版を無形文化遺産部HPで公開する予定です。
修復前後の中央塔西入口周辺(フォトグラメトリにより作成した3Dモデル)
石材修復中の様子
カンボジアの世界遺産・アンコール遺跡群の北東部に位置するタネイ遺跡は、12世紀末から13世紀初頭に建立されたと考えられている仏教寺院で、高さ約15mの中央塔は、一部が崩壊しているものの、仏教モチーフの装飾が刻まれたペディメントが四方に配され、内部には本尊の仏像が据えられていたと思われる台座も残っています。
その各面の入口枠は上下左右の4辺がそれぞれ大きな砂岩材で構成されていますが、東西面ではともに上枠が折れているなど破損・変形が進行して危険なため、ながらく木製のサポートで支持されていました。今回、この中央塔の東西入口まわりを構造的に安定させるとともに、木製のサポートを撤去することで、訪問された方々により本来に近い寺院の姿を眺めながら伽藍中軸線上を安全に歩いていただけるよう、入口枠とこれに隣接する範囲を対象に部分的な修復作業を実施しました。
修復に先立って、令和6(2024)年3月開催の国際調整委員会会合にて計画が提案、承認されました(前稿を参照)。その後、6月からアンコール・シェムリアップ地域保存整備機構(APSARA)の主導のもと、現場作業が開始されました。東京文化財研究所は、本修復事業への技術協力の一環として、令和6(2024)年6月15日~7月2日に2名(XVI次現地調査)、8月7日~11日に1名(XVII次現地調査)を派遣し、APSARA職員と協力して作業を行いました。具体的には、①中央塔入口の構成石材および周辺散乱石材の解体・移動前記録、②部分解体、③石材修復、④再構築、⑤修復後記録、の手順で進行し、8月派遣時に無事に修復が完了しました。
両国の大工棟梁ならびにスタッフによる部材調査の様子
現場全景
東京文化財研究所では、平成24(2012)年以来、ブータン内務省文化・国語振興局(DCDD)と協働して、同国の伝統的民家建築に関する調査研究を継続しています。同局では、従来は法的保護の枠外に置かれてきた伝統的民家を文化遺産として位置づけ、適切な保存と活用を図るための施策を進めており、当研究所はこれを研究・技術面から支援しています。
これまでに全国で80棟ほどの古民家を調査してきた中でも最古級と目されるのが、首都ティンプー市近郊のカベサ集落に所在するラム・ペルゾム邸です。土を版築して造られた外壁にほとんど開口部がないきわめて閉鎖的な建物で、今日一般的なブータンの民家とは大きく異なる特徴などから、建設時期は少なくとも18世紀代まで遡るものと考えています。
平成25(2013)年に調査した時点で既に荒廃が進んでいましたが、上階床や屋根などの木造部分が平成29(2017)年に全崩壊するに至り、これを受けて、建物内部に散乱した部材の回収ならびに格納作業を実施し、残った外壁の構造体を保護するための仮屋根の設置も行われました。コロナ禍により現地活動が中断する間に本物件を文化遺産として保護するための手続きが進められ、令和5年(2023)年に民家建築としては初の遺産指定が実現しました。
このたび、令和6(2024)年8月12日~23日にかけて、当研究所職員2名に外部専門家2名を加えた4名を日本から派遣し、DCDD職員らとともに、本建物の修復に向けた部材調査を実施しました。以前の格納作業にも携わったマルティネス・アレハンドロ氏(京都工芸繊維大学助教)が各部材の使用部位を同定する作業に加わる一方、日本の木造文化財建造物修理に豊富な実績を有する鳥羽瀬公二氏(日本伝統建築技術保存会会長)が部材ごとに再使用の可否と修理方法の検討を行い、この作業には歴史的建造物修理に従事するブータンの大工棟梁9名が参加しました。調査中にはツェリン内務大臣が現場視察に訪れたほか、国営テレビや新聞の取材を受けるなど、この取り組みには強い関心が寄せられています。得られたデータをもとに引き続き、オーセンティシティの保存に最大限配慮した全体修復計画の検討を進めるとともに、DCDD側での実施予算確保に向けた工費積算等の作業を支援していきます。
本調査は、科学研究費助成金基盤研究(B)「ブータンにおける伝統的石造民家の建築的特徴の解明と文化遺産保護手法への応用」(研究代表者 友田正彦)により実施しました。
1920、30年代は日本と中国の美術交流を考えるうえで、きわめて重要な時代です。この少し前、日本では大村西崖(1868~1927)や中村不折(1866~1943)などによって中国絵画史学が形成されつつありました。近年、東京美術学校教授であった西崖が遺した『中国旅行日記』等の史料によって、日中の美術交流の諸相が明らかにされつつありますが、日中双方の社会情勢および美術界の動向をふまえた研究がもとめられています。
令和6(2024)年7月23日に開催された文化財情報資料部研究会では、文化財情報資料部客員研究員の後藤亮子氏が「余紹宋と近代中国の書画史学」と題した研究発表を行いました。後藤氏は西崖の『中国旅行日記』の研究に長年従事し、その調査の過程で、この時期が中国美術史学の展開においても重要な時代であったことに着目しました。そこで、日本への留学経験があり『書画書録解題』(1931年刊)の著者である余紹宋(1883-1949)に焦点をあて、余紹宋と日本との関わりと近代中国の書画史学の形成について論じました。
余紹宋は1920~30年代前後に活躍した史学家です。その著書『書画書録解題』は、中国の書画関係文献に関する初の専門解説書かつ必須参考文献として今日も高く評価される一方、余紹宋その人についての情報は極めて限られる状況が長く続きましたが、近年『余紹宋日記』その他の資料が公開され、中国の近代化におけるその役割が研究対象となりつつあります。余紹宋は明治38 (1905)年に日本に留学し、法学を修め、帰国後は官僚となりました。大正10(1921)年には政府の司法次長となります。いっぽうで湯貽汾(1778~1853)の孫に絵を学び、画史や画伝を博捜して徐々に美術界にも足跡を残すようになりました。昭和2(1927)年には官職を退き、学者、書画家、美術家として生きました。
後藤氏は、余紹宋の生涯とかれの画学研究、さらに書画の実践をたどりながら、先述の『書画書録解題』のみならず、『画法要録』(1926年刊)、美術報『金石書画』(1934-37年刊)などの著作を読み解き、中国美術史学における位置づけを検討しました。日本を通して西洋的知見を習得した余紹宋が国故整理運動と呼ばれる復古的なアプローチで伝統的な中国書画文化にクリティカルな目を向け、それが中国美術研究の近代化の礎石のひとつとなったと論じました。研究会は所外の専門家の方々にもご参会いただき、近代中国および日本における中国美術史学、東洋美術史学の成立過程に関する有意義な意見交換が行われました。
文化財の科学調査に関する講義の様子
空調に関する講義の様子
大量文書の保存・対策の講義の様子
所内見学の様子
令和6(2024)年7月8日~12日に「令和6年度博物館・美術館等保存担当学芸員研修(上級コース)」を開催しました。
昭和59(1984)年以来、東京文化財研究所で開催してきた「博物館・美術館等保存担当学芸員研修」は、令和3(2021)年度より「基礎コース」「上級コース」として再編され、博物館・美術館等で資料保存を担当する学芸員等が、業務に必要となる知識や技術について、基礎から応用まで、幅広く習得できることを目的として実施しています。「基礎コース」は保存環境を中心とした内容で文化財活用センターが担当し、「上級コース」は保存環境だけでなく文化財保存全般を当研究所保存科学研究センターが担当し実施しています。
令和6年度の上級コースでは、保存科学研究センターで行っている各研究分野での研究成果をもとにした講義・実習や外部講師による様々な文化財の保存と修復に関する講義を実施しました。特に今年度は能登半島地震の発災に関連して、文化財レスキューについての講義が行われました。
・文化財修理原論
・文化財の科学調査
・空気質(空気質について/空気汚染の文化財への影響/空気質の換気の考え方)
・保管環境に関する理論と実践(空調)
・文化財IPM概論・実習
・修復材料の種類と特性
・屋外資料の劣化と保存
・近代化遺産の保護
・多様な文化財の保存と修復
・博物館の防災
・民具の保存と修復
・大量文書の保存・対策
・紙本作品等の保存と修復
・写真の保存・管理
受講生からは、本研修が今後の活動の大きな支えになった、直面している課題に対して知見を深めることができた、さまざまな内容に触れることで所属館の環境管理や防災を総合的に考えるための視点を得られた等の意見をいただきました。今年度は初日の終了後、意見交換会を開催しました。自己紹介を通じてこの研修に対する意気込みやそれぞれの館の課題が共有されました。受講生はこの研修によって近県の施設以外の学芸員の方と交流することができ、充実した研修となった様子が伺えました。
石材片の接合実験
石造彫刻保存修復現場の視察調査
文化遺産国際協力センターでは、石造文化財のより良い保存修復手法の確立を目指し、欧州専門家との共同研究を進めていいます。
令和6(2024)年7月1日~6日にかけてイタリアのフィレンツェを訪問し、国立修復研究所や国家認定文化財修復士の方々の協力を得ながら、日本国内には流通していない修復材料を用いた石材表層面の補強や石材片の接合について実験研究を行いました。
また、16世紀にメディチ家によって造園されたボーボリ庭園に設置された石造彫刻を対象に行われている保存修復作業の現場を訪問し、亀裂や層状剥離、欠損箇所への充填といった様々な傷みへの対処法について見学し、知見を深めました。なかでも、屋外環境下で発生しやすい生物劣化を抑制するための対処法は大変興味深く、保存管理の負担軽減にも繋がるものです。わが国においても効果が期待できることから、大きな収穫となりました。
今後も、実験研究や事例調査を継続するとともに、当該分野に係る専門家と繋がりを深めながら、日本国内の石造文化財の保存修復への応用も視野に入れつつ研究を続けていきます。
ノルマン王宮パラティーナ礼拝堂
ジャコモ・セルポッタのスタッコ装飾(サンタ・チータ礼拝堂)
文化遺産国際協力センターでは、令和3(2021)年度より、運営費交付金事業「文化遺産の保存修復技術に係る国際的研究」において、スタッコ装飾及び塑像に関する研究調査に取り組んでいます。当初の研究計画では、建材としてのスタッコが装飾や塑像を制作するための材料として活用されはじめた地中海沿岸地域を対象に調査研究を始める予定でした。これまでは、コロナウイルス感染症の蔓延に伴い国内調査に切り替えるなど研究計画の変更を余儀なくされてきましたが、状況の改善を受けて当初の計画に立ち返り、現在は欧州での活動を再開しています。
令和6(2024)年7月5日~7日にかけてイタリアのパレルモを訪問し、ギリシア人の植民都市が築かれた時代の遺跡を対象とした調査研究への協力について、現地の文化財監督局と協議しました。また、先方の取り計らいにより世界遺産にもなっているモンレアーレ大聖堂をはじめとするアラブ・ノルマン様式建造物群や、16〜17世紀を中心に活躍した彫刻家ジャコモ・セルポッタのスタッコ装飾が残る教会を訪問し、現地専門家より保存修復への取り組みについて話を伺いました。
今後は、シチリア島の考古遺跡を対象にスタッコ装飾の技法・材料に係る調査を通じて構造や特性についての理解を深めるとともに、それらの保存修復方法やサイトマネジメントのあり方について研究を続けていきます。
キルティプル旧市街に残る歴史的民家を対象とした簡易悉皆調査の様子
ネパール・キルティプル市は、首都カトマンズから約4km南西に位置し、ネワール民族による中世集落の遺構をよく残す都市として、世界遺産暫定一覧表に記載されています。しかし、急速な都市化や2015年に発生したゴルカ地震後の被災建物の建替え等によって、歴史的な街並みは大きく変化し続けています。そこには、寺院や王宮など公共的な建築が文化財として国の法的保護の下に位置付けられているのに対し、個人所有の住宅には実効的な保護の枠組みが存在しないという大きな課題が横たわっています。
こうした背景のもと、キルティプル市と東京文化財研究所は、令和5(2023)年秋より、キルティプル旧市街内の歴史的建造物、特に個人所有の歴史的民家の保存と活用に向けた共同調査を開始しました。
令和6(2024)年7月16日~23日にかけて行った職員2名の派遣では、キルティプル市のエンジニアや現地協力者らとの協働のもと、パイロットケースとして位置づけた一棟の歴史的建造物の実測調査やデジタル3次元計測、建物の変遷に関わる痕跡調査等を行いました。また、立命館大学プロジェクト研究員Lata Shakya氏の協力を得て、対象建物の所有者や郷土史家への聞取り調査を実施し、さらに、現地専門家Bijaya Shrestha氏の協力を得て、キルティプル旧市街に現存する個人所有の歴史的建造物の分布について簡易な悉皆調査を行いました。
これらの調査によって、対象建物が、ある時期にはキルティプルの王宮に付随する行政施設であった可能性や、また旧市街の街並みを構成する民家の中でも当初の外観をよく残す、特に重要な建物であることが明らかとなってきました。
対象建物は、雨漏りや蟻害などの破損が進行しており、一刻も早い修理を必要としています。建物の歴史的価値を明らかにし、広い意味で文化遺産としての位置付けを与えることは、建物の維持費用の確保や所有権の問題など様々な現実的課題に直面する歴史的建造物にとって、保存に向けた重要なステップを踏み出すきっかけとなり得ます。
地域の文化的な豊かさを守るだけでなく、持続的な発展にも結びつけられるような保全の在り方を探りながら、建物の所有者、行政機関、現地専門家らと共に今後も対話と試行を重ねたいと思います。
ワークシートに取り組む子供たち
記号の法則をたよりに立体パズルを組み立てる様子
東京文化財研究所では、文化遺産に対する次世代の興味関心の拡大を目的に、昨年度より小学生を対象とした文化遺産ワークショップを開催しています。第2回目となった7月27日(土)の会には25名の小学生とその家族、総勢70名以上が参加しました。
前回に引き続き古代エジプトの文化遺産をテーマとし、今年度は新たに、ピラミッドの建造順を並べ替えるワークシート、発掘調査の紹介、古代エジプトの船に関する研究成果を反映させた立体パズルといったプログラムを実施しました。それぞれのプログラムは、考古学の編年の仕組みに触れることや、遺跡の発見から調査研究・保存修復の実際の手順を学ぶこと、古代エジプトで使用された文字の意味や、船を造る際の工夫を知ることなどをねらいとしており、学術的な研究の一端に遊びながら触れ、学ぶことができます。立体パズルでは、実際に木造船の組み立てに使用された番付システムを簡易化し、ヒエログリフや数字に込められた法則を考えながらパズルの前後左右や並び順を判断するという仕組みにしました。
このようなワークショップは、文化的・歴史的遺産のミステリアスな側面に対する子供たちの関心の向上や、新たな気付きや学びの機会の提供だけでなく、親世代にも文化遺産研究の成果とその背景や意義を理解していただく好機となります。今後も調査研究成果をもとにした研究機関ならではのワークショップを開催して参ります。