研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『TOBUNKEN NEWS
(東文研ニュース)』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。
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東京美術倶楽部にて感謝状贈呈(6月11日)
東京美術商協同組合から東京文化財研究所における研究成果の公表(出版事業)の助成を、また、株式会社東京美術倶楽部から東京文化財研究所における研究事業の助成を目的として、それぞれ寄附金のお申し出があり、ありがたく拝受いたしました。
6月11日、東京美術商協同組合において、六川研究支援推進部長から東京美術商協同組合総支配人 喜好勝美氏に、東京美術商協同組合 下條啓一理事長及び株式会社東京美術倶楽部 浅木正勝代表取締役社長宛の感謝状を贈呈しました。
当研究所の事業にご理解を賜りご寄附をいただいたことは、当研究所にとって大変ありがたいことであり、研究所の事業に役立てたいと思っております。
資料閲覧室での説明(6月28日)
川村学園女子大学教育学部社会教育学科 計16名
6月28日、学芸員を目指す学生が文化財の保存・修復の現場を見学するために来訪。企画情報部資料閲覧室、保存修復科学センター化学実験室、第2修復実験室を見学し、各担当者が業務内容について説明を行いました。
高所作業車による調査の様子。右下に落下したブロンズの鵄がみえます。
塔上、ブロンズ部の被災の様子。中央から右に突き出した植物装飾が、緩んだボルト一本でかろうじて留まっている状況です。
仙台城(青葉城)本丸跡に建つ昭忠碑は、明治35年(1902)、仙台にある第二師団関係の戦没者を弔慰する目的で建立されたモニュメントです。今年1月の活動報告でもお伝えしたように、同碑は昨年の東日本大震災で20m余りの塔上部に設置されたブロンズの鵄が落下・破損するという被害を受けました。そこで1月に行なった被害調査・破片回収に引き続き、6月26日には文化財レスキュー事業の一環として高所作業車を使用し塔上部・塔部の被害調査および破片回収等の作業を実施しました。
今回の調査・作業には昭忠碑を所有する宮城縣護國神社の方々をはじめ、宮城県被災文化財等保全連絡会議から三上満良氏(宮城県美術館)、国内にある屋外彫刻の調査保存で実績のある屋外彫刻調査保存研究会の方々、地元建設会社の(株)橋本店の方々が参加し、また東京芸術大学美術学部工芸科の橋本明夫氏、同大学美術学部教育資料編纂室の吉田千鶴子氏も調査に加わりました。また今回の作業は、(有)カイカイキキから文化財レスキュー事業に役立てるべく東京文化財研究所にいただいた寄付金により行われました。
今回の調査では塔上部にも多くのブロンズ破片が散乱していることがわかり、その回収を行いました。さらに残存するブロンズ部を調査したところ、植物装飾の一つが緩んだボルト一本でかろうじて留まっていること、ブロンズの鵄を支えていた柱礎のくびれ箇所に亀裂が廻っていること、塔上で水平に張り出したコーニスに落下したブロンズの一部が衝突して陥没した穴がみられること等が確認されました。今回は外れかかっている植物装飾をベルトで固定し、柱礎より上の部分をブルーシートで覆いましたが、これはあくまで応急処置であり、再び大地震が発生すれば塔下へ落下する危険性があります。さらにコーニスにあいた穴や破損した柱礎からの雨水の塔内へ侵入が塔全体の崩壊につながる恐れもあり、塔下に落下したまま放置されているブロンズの鵄の処置と併せ、引き続き対策を講じていくことが必要です。
世界遺産委員会の会場となったタブリーダ宮殿
パレスチナの資産の記載が決まった瞬間の会場の様子
歓迎レセプションでの花火(ペテルゴフ大宮殿)
第36回世界遺産委員会は、6月24日~7月6日、ロシアのサンクトペテルブルクで開催されました。当研究所では、世界遺産リストに記載されている資産の保全状況や、リストへの記載の推薦に対して、諮問機関が行った評価や勧告内容の要約と分析を事前に行うとともに、筆者を含む3名が委員会に参加し情報収集を行いました。
今回は26件の資産が新たにリストに記載されました。記載延期の勧告から記載の「2段階昇格」資産は2件で前回より減りましたが、情報照会が勧告された資産6件すべてが記載され、諮問機関の勧告が覆される傾向は委員国の改選で緩和されたものの、まだみられるといえます。また、今回記載された資産には鉱山遺跡が3件ありますが、いずれも労働運動や事故など「負の歴史」にも関連し、歴史の暗部に着目する傾向も引き続きみられました。
世界遺産条約は最も成功した条約ともいわれ、190カ国が批准しています。その知名度を象徴する現象として、今回「キリスト生誕の地:ベツレヘムの聖誕教会と巡礼の道」が緊急に記載されましたが、記載の推薦は「国家」が行うので、パレスチナが国家であることをアピールするものです。また、マリの世界遺産がイスラム原理主義者により破壊されましたが、これも、世界遺産の破壊という行為が世界に与える影響を考慮したものといえるでしょう。
昨年のパレスチナの世界遺産条約批准によりアメリカの分担金拠出が停止され、最大の拠出国は日本となりました。また今回から、日本は委員国として自由に発言できる立場となったこともあり、日本が果たすべき役割は大きいといえます。当研究所では、国内関係者への情報提供とともに、世界遺産委員会へ日本が貢献するための情報分析などの支援も実施していきたいと考えています。
昨年7月から1年間、企画情報部来訪研究員として調査研究を行ってこられたカンザス大学美術史学部アシスタント・プロフェッサーの金子牧氏が来訪期間を終えるにあたり、6月28日に企画情報部研究会において成果発表を行いました。金子氏はアジア太平洋戦争および戦後という時代が美術家たちの制作にどのように表出されるかを追及しておられ、その調査の中で浮かび上がってきた興味深い問題のひとつとして素朴な貼り絵で知られる山下清(1922-71)を巡る評価の変遷に着目し、「「国民的画家」の表出:アジア・太平洋戦争期と戦後の「山下清ブーム」と題して発表されました。
山下清が最初に注目を集めた時期は日中戦争勃発から1年目にあたる1938年から1940年までの二年間で、その頃は知的障害を持ちながら優れた造形力を示す「日本のゴッホ」といった位置づけであったのに対し、戦中を経て再度注目された1950年代半ばには無垢な感性で牧歌的な郷愁を誘うイメージをつむぐ「国民的な画家」として語られていきます。
金子氏はそうした山下清像に、戦争に向かって総力戦体制を構築していった1930年代後半、そして「もはや戦後ではない」と言われ、戦争の記憶が様々な形で甦った1950年代、という二つの時代の社会状況が反映されているのではないか、と指摘されました。
狭義の「美術」という枠を超え、視覚表象の受容のあり方から社会を分析しようとする興味深い試みでした。金子氏は6月末に当所での調査を終え、帰国されました。
ブラワンの削りかけ
客人歓迎のための装飾
カヤンの削りかけ
焼畑の際に削って立てる
6月下旬、ボルネオ島サラワク州において日本の「削りかけ」に酷似した木製具の調査を行ないました。削りかけは、日本では小正月に飾る慣習が広く認められるほか、アイヌ民族における最も重要な祭具(イナウ)でもあります。削りかけに酷似する祭具がボルネオでも見られることはこれまでも知られていましたが、専門家による現地調査や比較研究は従来ほとんど行なわれてきませんでした。そこで今回は、アイヌ文化やイナウ研究を専門とする北海道大学アイヌ・先住民研究センターの先生方と共同で、将来的な比較研究のための予備調査を行ないました。
現地ではいくつかの民族に話を聞く機会を得たほか、製作も見せていただくことができ、その習俗についておおよその概要を知ることができました。民族により、削りかけ状祭具の名称、用途、形態、素材等は少しずつ異なりますが、例えばイバンではBungaiJaraw(bungaiは花を意味する)などと呼ばれ、現在では客人を歓迎するための単なる装飾と捉えられることが一般的のようでした。しかし、かつては首狩り習俗や伝統的な祭りに際して重要な役割を果たすなど、より象徴的、宗教的な意味合いを持たされていた痕跡も見受けられ、さらに踏み込んだ調査が必要と言えます。
今後もボルネオをはじめとする国外の削りかけ状祭具の調査を進めることで、日本列島における削りかけ習俗や製作技術についての理解を深め、その文化史的、文化財的な位置づけを究明していきたいと考えています。
無形文化遺産保護条約第4回締約国総会
無形文化遺産保護条約第4回締約国総会は、去る6月4日から8日まで、パリのユネスコ本部において開催され、東京文化財研究所からは、無形文化遺産部の宮田繁幸が参加しました。今回の会合では、運用指示書の改訂が主要議題であり、今までの総会以上に参加各国の活発な議論が行われました。従来の総会は、政府間委員会の決定を承認するという役割が強く、実質的な議論の場と言うよりは形式的な承認の場といった性格が強かったのですが、今回は政府間委員会に劣らない議論の場となりました。特に激しい議論となったのは、代表一覧表の審査方法に関する議論で、政府間委員会からの勧告で盛り込まれた、審査担当を従来の補助機関から、緊急保護一覧表と同様に専門家により構成される諮問機関へ移すことの是非をめぐって激しい議論が行われました。結果としては、政府間委員会の勧告は修正され、従来の補助機関による審査方式が継続することになりましたが、一方で長らく懸案であった年間の審査件数の制限(シーリング)が正式に運用指示書に記載されるなど、今後の条約実施に大きな影響を与える決定が行われました。
本来締約国総会は条約上最高意思決定機関であることは変わらないのですが、今回のように政府間委員会の勧告が明確に覆された例はなく、今後条約の運用に課題を残す結果となったともいえます。また地域グループ毎の意見の対立が表面化したことも、今後注視し続けなければならない点でしょう。総会がこのような実質的討議の場として重きを増してきた以上、今後ともその動向把握に注意する必要があると考えます。
研修の様子
表題の研修は、今年度で29回目となる「博物館・美術館等保存担当学芸員研修」の修了者を対象に、保存に関する最新の知見等を伝える目的で毎年行なっており、今年は6月25日に開催し、80名の参加者を得ました。今回は下記のように、前半に東北地方太平洋沖地震被災文化財等救援委員会(文化財レスキュー事業)のこれまでの活動に関して、後半に我々が携わっている保存環境に関わる取り組みについて取り上げました。
- 文化財レスキューのこれまで(保存修復科学センター長 岡田健)
- 大規模災害に強い文化財施設と設備(主任研究員 森井順之)
- フィルム収蔵庫の保存環境 (保存科学研究室長 佐野千絵)
- 東文研が関わる保存環境調査、相談と助言に関して(吉田直人 主任研究員)
毎年、本研修には保存担当学芸員修了者総数の1割を超える方に参加して頂いており、これは東文研の保存環境への取り組みに対する期待の表れと考えています。今後も、その期待に応えるべく、ニーズを的確に捉えた活動を続けていく所存です。
保存修復専門家による講演
処置方法に関する討議の様子
東京文化財研究所では、タジキスタン共和国科学アカデミー歴史・考古・民族研究所と共同で、2008年度よりタジキスタン国立古代博物館に所蔵されている壁画の保存修復を実施しています。これまでに実施した保存修復について、2012年6月12日に、「タジキスタン国立古代博物館が所蔵する壁画の保存修復に関する研究会」を開催しました。
主に保存修復の対象としている所蔵壁画は、シルクロードの商人として知られるソグド人の宮殿址から出土した壁画(7~8世紀頃)と初期イスラーム時代の宮殿址フルブック遺跡から出土した壁画(11~12世紀頃)です。ソグドの壁画は、火災により焼き締められ、また断片化しています。これらの断片をつなぎ合わせ、古代博物館に展示するまでの一連の保存修復処置について報告しました。また、フルブック遺跡出土の壁画は、非常に脆弱化しているため、その強化処置をおこないながら、将来的な展示を目指した保存修復処置の方法を検討している現状を報告しました。研究会では、今後の保存修復のための方法や使用材料について発表者と参加者による討議がおこなわれ、有意義な意見交換の場となりました。