研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『TOBUNKEN NEWS
(東文研ニュース)』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。
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シンポジウムのチラシ
早川副所長の基調講演
高妻副所長の基調講演
パネルディスカッションの様子
近年、分析化学の発展によって文化財の新しい価値が発見されるようになってきました。文化財の科学的な調査研究・保存に長年携わってきた東京文化財研究所の早川泰弘副所長と奈良文化財研究所の高妻洋成副所長が2023年3月に退任されることを記念して、分析化学の発展がもたらした文化財の新しい世界を文化財の最も基本的かつ重要な価値の一つである「色」という切り口から改めて見返してみようという趣旨のシンポジウムを3月4日に開催しました(主催:東京文化財研究所・奈良文化財研究所、共催:日鉄テクノロジー株式会社)。
当研究所のセミナー室にてシンポジウムを開催しましたが、さらに当研究所と奈良文化財研究所に設けましたサテライト会場におきましても多数の参加者にお集まりいただきました(参加者:69名(当研究所セミナー室)、36名(当研究所サテライト会場)、26名(奈良文化財研究所サテライト会場))。また、今回のシンポジウムではYouTubeによる同時配信を実施しましたが、こちらからも多くの方々に視聴していただきました(視聴者数:約155名)。
早川副所長による基調講演「日本絵画における白色顔料の変遷」では、これまでの分析調査の結果に基づいた日本絵画に用いられている白色顔料(鉛白、胡粉、白土)の変遷に関する研究成果の紹介が行われました。高妻副所長からの基調講演「領域を超えて」では、文化財の保存科学では自らの専門性を磨きつつ幅広い視野を持ち、お互いに理解をし合いながら研究を行うことの重要性についてご講演をいただきました。また基調講演に加えて、文化財の「色」に関連した7つの研究発表、昼休みには各種分析機器の展示も行われました。そして、講演後のパネルディスカッションでは、文化財の色に関する分析の話題にとどまらず、文化財保存科学の今後の展望にまで及んだ活発な議論が行われました。
東京文化財研究所、奈良文化財研究所、日鉄テクノロジーのスタッフが専門性や所属の垣根を越えて今回のシンポジウムの企画・準備をすることができましたのは、これまでの両副所長のご指導によるところが多大であり、そしてとても盛会なシンポジウムを開催することができました。
オランダ文化遺産庁での聞き取り調査
シュレースヴィヒにある考古遺跡ヘーゼビューでの現地調査
文化遺産国際協力センターでは、平成19(2007)年度から各国の文化財保護に関する法令の収集・翻訳に取り組み、「各国の文化財保護法令集シリーズ」としてこれまでにアジア16カ国やヨーロッパ6カ国を含む27集を刊行してきました。この事業は、わが国による文化遺産保護分野の国際協力やわが国の文化財保護制度の再考に資することを目的としています。これに関連して、令和5(2023)年3月3日~13日に次年度の対象国オランダと当該年度の対象国ドイツでの現地調査を行いました。
オランダでは近年、土地利用や環境保全の計画に遺産保護を組み込む必要性が議論され、それを受けて従来の関連諸法を統合した新たな環境計画法が2024年1月1日から施行されます。これにより、文化遺産の環境に影響を与える行為に関する許可制度や地方自治体による環境計画策定に関する根拠規定などが設けられることになります。この法改正の背景には、考古遺産に関する1992年のヴァレッタ条約や景観に関する2000年のフィレンツェ条約といった欧州評議会の様々な取り決めがあります。
一方、ドイツでは記念物に関する立法権は16の州に帰属してそれぞれが独自の保護法をもちますが、保護対象にも若干の違いがみられ、文化的景観に関する規定は3州にしかありません。今回訪れたシュレースヴィヒ・ホルシュタイン州はその一つですが、実際にはまだ運用されていません。同様の規定は連邦の自然環境保護法にもみられますが、ドイツ政府はフィレンツェ条約にまだ署名しておらず、これについては国内で色々と議論があるようです。
この条約の目的の一つは、多様な歴史・文化・自然が織りなすヨーロッパの「かたち」を表現する景観をEU加盟国共通の遺産と認識し、これを適切に保護することにあります。もとより景観保護は、気候変動への対応や持続可能性の実現など一国だけでは解決できない地球規模の課題と深く結びついています。今後の調査研究では法律の翻訳作業にとどまらず、文化財とそれを取り巻く包括的な枠組みとの間にどのような有機的関係が存在するのかを具体的に解明していくことが一層重要になると考えています。
聖ニコラス教会
スクリルジナの聖マリア教会
クロアチアの北西部に位置するイストリア地方は、スロベニア、イタリアを含む3か国の国境が密集しており、古代ではローマ帝国、中世ではヴェネツィア共和国、近世ではハプスブルク帝国とたびたび支配者が替わってきた歴史があります。
この地域では、中世からルネサンス期にかけて教会に壁画を描く文化が花開き、数多くの作品が誕生しました。しかし、それらの保存について注意が向けられるようになったのは19世紀後半と遅く、オーストリア=ハンガリー帝国の文化遺産管理局の活動がきっかけでした。その後、20世紀に入り大戦や紛争の時を経て、1995年以降にようやく落ち着きを取り戻すと、クロアチア共和国政府によって文化財のための保存研究所が設立されます。この研究所とイストリア考古学博物館による共同調査が始まるに至って、この地域に特有の壁画の総称として「イストリア様式の壁画」という言葉が誕生しました。
令和5(2023)年3月1日から7日にかけて、イストリア歴史海事博物館のスンチツァ・ムスタチ博士やザグレブ大学のネヴァ・ポロシュキ准教授の協力のもと、イストリア地方の主要な教会約20箇所を訪問し、壁画に関する実地調査を行いました。その過程で、制作技法や保存状態に関するデータアーカイブの作成や、今後に向けた保存修復方法の検討などについての技術的協力が求められました。イストリア地方には、確認されているだけでも約150件にも及ぶ教会壁画が現存しています。このかけがえのない文化遺産を未来の世代に引き継ぐためにも、関連する分野の専門家とネットワークを構築しながら、国際協働の確立に向けて取り組んでいきます。
総合討議の様子
令和5(2023)年2月1日、第17回無形民俗文化財研究協議会「文化財としての食文化―無形民俗文化財の新たな広がり」が開催されました。新型コロナウイルスの影響が続くなか、行政担当者に対象を絞ったセミ・クローズドの会として、所内外から約90名の参加を得、様々な立場から食の保護の実践をされてきた方々から取り組みの報告や討議をいただきました。
2013年にユネスコ無形文化遺産代表一覧表に「和食」が記載されて以降、食に対する社会の関心は年々高まっています。しかし「文化財としての食文化」については、令和3(2021)年の文化財保護法改正を契機に保護の取り組みが始まったばかりであり、その対象範囲をどう捉え、どのように保護(保存・活用)していくかについてはさらなる議論の蓄積が必要とされています。そこで今回の協議会では「文化財としての食文化」をめぐる様々な課題を共有し、その可能性を議論することを目的としました。
食は誰もが実践者・当事者であることから、時代・地域・家ごとの著しい多様性・変容性がみられます。それは食の大きな魅力である一方で、文化財として保護していく上では典型や保護の主体を定めにくいといった難しさがあります。また販売することによって地域活性化につながるなど「活用」と相性のよい側面を持つ一方、商品化や流通によっておこる変化・変容をどう評価するのか等、活用と保護のバランスをとることが課題のひとつとなります。さらに、食文化振興については、農林水産省などの関連省庁や民間団体・企業など、すでに多様な関係者が多くの取り組みを実践しており、先行する取り組みとどう連携していくのか、またあえて文化財行政として食文化に関わる意義をどこに見出していくのか等も重要な課題です。
総合討議ではこうした食文化特有の課題に対して、子どもたちへの食育の大切さや、作るだけでなく食べる行為や食材、道具なども併せて守っていかなければならないこと、商業としての食と家庭における食が両輪として機能してきたことなど、様々な意見・見解が示されました。また、文化財分野として新たに食文化の保護・振興に取り組む意義として、味がおいしい・見た目が美しいなどの「売れる」食、「映える」食という観点からではなく、その地域の暮らしや歴史を反映している食文化を対象としうること、そしてその保護を図ることができるところに、大きな意義と、果たすべき役割があるのではないかという視点が示されました。
無形文化遺産部では今後も、食文化関連の動向を注視していきたいと考えています。協議会の全内容は3月末に報告書にまとめ、無形文化遺産部のホームページでも公開しています。
継承者がわずかとなり伝承が危ぶまれている「平家」(「平家琵琶」とも)について、無形文化遺産部では、平成30(2018)年より「平家語り研究会」(主宰:薦田治子武蔵野音楽大学教授、メンバー:菊央雄司氏、田中奈央一氏、日吉章吾氏)の協力を得て、記録撮影を進めています。第五回は、令和4(2023)年2月3日、東京文化財研究所 実演記録室で《那須与一》と《宇治川》の撮影を実施しました。
《那須与一》は、那須与一が扇の的を射落として源頼朝から功績を認められたエピソードが有名で、この場面は絵画にもしばしば描かれてきました。そこで今回は新たな試みとして、高精細複製による文化財の活用を推進している、独立行政法人 国立文化財機構 文化財活用センターとの協働で、「平家物語 一の谷・屋島合戦図屏風(高精細複製品)」を演奏者の後ろに設置して撮影しました。《宇治川》は、宇治川を前にして繰り広げられる佐々木高綱と梶原景季の勇壮な先陣争いがテーマです。今回の実演記録では、《那須与一》を菊央氏(前半)と日吉氏(後半)、《宇治川》を田中氏の演奏で記録撮影しました。
伝統芸能である「平家」にルーツを持ち、文学作品としての「平家物語」、さらに絵画などの題材へと展開する文化の広がりが伝わるような発信を、今後とも応用・工夫していきます。
「平家物語 一の谷・屋島合戦図屏風(高精細複製品)」の前で《那須与一》演奏する菊央雄司氏(左)、高精細複製品部分拡大図(右)
「疾風」調査の様子
空気質調査の様子
旧知覧飛行場給水塔撮影の様子
旧青戸飛行場トーチカ調査の様子
令和4(2022)年7月、東京文化財研究所は南九州市と「南九州市指定文化財等の保存修復に関する覚書」を締結し、共同研究に着手していたところですが(https://www.tobunken.go.jp/materials/katudo/995996.html)、令和5(2023)年2月に南九州市にて以下の調査、記録を行いました。
旧日本陸軍四式戦闘機「疾風(はやて)」の保存、修復に関する調査・助言
知覧特攻平和会館にて保管、展示されている「疾風」(南九州市指定文化財)は、戦時中にフィリピンにて米軍に鹵獲(ろかく)された機体で、現存する唯一の機体と考えられています。米軍によるテスト飛行の後、払い下げとなり、複数の所有者の手を経たのち、昭和48(1973)年に日本へ帰国、日本国内で複数の所有者を経て、平成7(1995)年に知覧町(現・南九州市)の所有となり平成9(1997)年から知覧特攻平和会館にて展示公開されています。
平成29(2017)年から南九州市による保存状態調査が行われ、平成30(2018)年からは当研究所も調査に加わっています。全体として機体の保存状態は良好ですが、戦後の試験飛行、展示飛行等に伴うと考えられるパーツの消耗や交換も認められることから、オリジナル部材の残存状況の確認、修復方針の検討等を継続して行っています。今回の調査では、主にエンジンを対象とし、オリジナル部材の確認、エンジン内部やオイルタンク内の状況確認等を実施しました。機体から取り外した部材の一部は当研究所でお預かりし、クリーニングや成分分析等を行っています。
なお、調査は展示室内で行っていますが、調査期間中も当該展示室は閉鎖せず、来館者にも調査風景を見学いただけるようになっています。また、令和4(2022)年3月には保存状態調査の報告書も刊行されています(知覧特攻平和会館編2022『陸軍四式戦闘機「疾風(1446号機)」保存状態調査報告書Ⅰ』 https://www.chiran-tokkou.jp/informations/2022/04/4.html)。
知覧特攻平和会館展示室、収蔵庫の空気質調査
今回、「疾風」の調査にあわせて、展示室および収蔵庫の空気質調査(有機酸、アルデヒド、揮発性有機化合物[VOC]の調査)を行いました。今後、調査結果をもとに、より安定した展示・収蔵環境を検討する予定です。
南九州市内所在のアジア・太平洋戦争期コンクリート構造物の現状記録
南九州市内には旧知覧飛行場に関する文化財をはじめ、アジア・太平洋戦争期に作られた多くの遺構〈戦争遺跡〉が残っています。それらの多くはコンクリート製の構造物ですが、終戦から80年近くが経過した現在、劣化が進み、破片の剥落が認められるものも少なくありません。今回、市内の当該期コンクリート構造物として旧知覧飛行場給水塔(市指定文化財)、旧青戸飛行場のトーチカ(防御陣地)2基について、実測、フォトグラメトリ(複数の写真から三次元モデルを作成する技法)による現状記録を行いました。今後、定期的な記録により劣化の進行を分析するとともに、コンクリート強度の測定等も検討いたします。
カルカッニーニ学長表敬訪問
学内施設の様子
イタリアは数多くの文化遺産を有し、その保存修復においても世界を牽引してきました。そんな同国の保存科学分野の中でも幾多の業績を挙げてきたのがウルビーノ大学カルロボー 基礎応用科学部です。このたび、東京文化財研究所では、同部との間で文化遺産の保存修復に係る研究協力に関する合意書を締結しました。その内容は包括的なもので、世界各地の文化財を対象に保存修復計画策定に向けた科学分析調査や保存修復技法・材料の開発で協力するとともに、ワークショップ等を通じて研究者の相互交流を図ることなどを想定しています。
令和5(2023)年2月17日に同大学を訪問し、ジョルジョ・カルカッニーニ学長と今後の協力関係について意見交換を行いました。また、基礎応用科学部のマリア・レティッツィア・アマドーリ教授案内のもと学内施設を見学し、目下取り組まれている文化遺産保存に向けた分析調査についての説明を受けました。
今後、両機関の専門性を活かした研究協力を通じて、単なる分析データの収集といったレベルに留まることなく、具体的な文化遺産の保存へと繋がる活動を展開していきたいと考えています。
収蔵中の被災文化財
応急処置の様子
東京文化財研究所では、平成29(2017)年よりトルコ共和国において文化財の保存管理体制改善に向けた協力事業を続けてきました。令和5(2023)年2月6日、トルコ南東部を震源とする地震が発生し、同国及びシリア・アラブ共和国を中心に甚大な被害が発生し、文化遺産の保存状態にも影響が出ています。当面は人道支援を優先すべきでしょうが、近い将来、文化財の保存修復分野においても国際的な支援が必要とされることが予測されます。
一方、中部イタリアでは、1997年、2009年、2016年と立て続けに大地震が発生し、被災した文化遺産の復興活動が今なお続けられています。同様の文化遺産を有するトルコやシリアへの今後の支援検討に活かすとともに、今後起こりうる不測の事態にどう対処すべきかを学ぶため、令和5(2023)年2月13日から16日にかけてマルケ州とウンブリア州で調査を実施しました。スポレート市に所在するサント・キオード美術品収蔵庫は、自然災害発生時の文化財の避難先、また、応急処置を行うための場として1997年の震災後に建設された施設です。現在も約7000点に及ぶ被災文化財が収蔵され、国家資格をもつ保存修復士によって応急処置が進められていました。
イタリアでは、度重なる経験を経て、被災直後のレスキュー活動からその後の対処に至るまでの組織体制や手順が整えられてきました。こうした文化財分野に係る震災からの復旧・復興活動において先進的な取組みを続ける国から学ぶべきことは多くあります。さらに調査を続けながら、今後の活動に役立てていきたいと思います。
第32回研究会の案内チラシ
第32回研究会の様子
文化遺産国際協力コンソーシアム(東京文化財研究所が文化庁より事務局運営を受託)は、令和5(2023)年1月28日に第32回研究会「中央ヨーロッパにおける文化遺産国際協力のこれまでとこれから」をウェビナーにて開催しました。
ロシアのウクライナ侵攻によって大きな被害を受けている文化遺産に対する国際協力を考える上では、同国が位置する地域の地理的・文化的な特徴を知り、歴史背景にも十分に配慮する必要があります。このような観点から、ウクライナを含む中東欧や南東欧地域について学ぶとともに、同地域の文化遺産に関する日本の国際協力活動を振り返り、さらに今後の協力のあり方について考えることを目的としました。
篠原琢氏(東京外国語大学)が「中央ヨーロッパという歴史的世界」、前田康記(文化遺産国際協力コンソーシアム)が「中央ヨーロッパに対する国際支援と日本の国際協力」、嶋田紗千氏(実践女子大学)が「セルビアの文化遺産保護と国際協力」、三宅理一氏(東京理科大学)が「ルーマニアの歴史文化遺産とその保護をめぐって」のタイトルで、それぞれ報告しました。
これらの講演を受け、金原保夫氏(文化遺産国際協力コンソーシアム欧州分科会長、東海大学)のモデレートのもと、講演者を交えて行われたパネルディスカッションでは、相互理解に立脚した国際協力の重要性や、持続的な文化遺産保護に結びつけるための現地人材育成や組織体制づくり支援の必要性などが指摘され、活発な意見が交わされました。本研究会の詳細については、下記コンソーシアムのウェブページをご覧ください。
https://www.jcic-heritage.jp/news/32nd-seminar-report/
バハレーン国立博物館での調査
東京文化財研究所は長年にわたり、バハレーンの古墳群の発掘調査や史跡整備に協力してきました。令和4(2022)年7月に現地を訪問してバハレーン国立博物館のサルマン・アル・マハリ館長と面談を行った際に、モスクや墓地に残されている歴史的なイスラーム墓碑の保護に協力してほしいとの要請がありました。現在、同国内には約150基の歴史的なイスラーム墓碑が残されていますが、塩害などにより劣化が進行しています。
この要請に応えた新たな協力活動の第一歩として、令和5(2023)年2月11日から16日にかけて、バハレーン国立博物館とアル・ハミース・モスク(Al-Khamis Mosque)所蔵の墓碑を3次元計測しました。写真から3Dモデルを作成する技術であるSfM-MVS(Structure-from-Motion/Multi-View-Stereo)を用いた写真測量を行い、バハレーン国立博物館所蔵の20基、アル・ハミース・モスク所蔵の27基の計測を完了しました。石灰岩で作られた墓碑は写真測量との相性が良く、作成した3Dモデルからは写真や肉眼で見るよりもはるかに明瞭に墓碑に彫られた碑文を視認することができます。これらのモデルは、今後、広く国内外からアクセスできるプラットフォームに公開し、墓碑のデータベースとして活用していきます。
来年度以降、さらにバハレーン国内の他の墓地にも対象を広げて3次元計測作業を進めていく予定です。
研究会の様子
資料展示の様子
東京文化財研究所は、平成20(2008)年〜平成22(2010)年に『東京文化財研究所七十五年史』を刊行しています。この「資料編」と「本文編」の2冊から成る年史を編纂するために収集・作成された文書類を中心とする資料群は、当研究所の活動を語る上で欠かせない歴史資料です。文化財情報資料部文化財アーカイブズ研究室では、これらを「東京文化財研究所年史資料」として、目録作成を進めています。
アーキビストの仕事の1つに、利用者が資料を使えるよう、また将来にわたって資料を保存するために、記述と編成によって資料群を整理する過程があります。記述により、資料の詳細や構成要素を説明し、分析、記録、データ化が行われます。一方、資料の出所や元の順序を尊重し、その文脈を保護し、資料をモノと情報の側面から整理するのが編成です。こうして、資料検索および利用のためのデータが作成されます。
令和5(2023)年1月31日にオンラインを併用して開催された表題の研究会では、同部研究補佐員・田村彩子がアーカイブズの資料整理について発表しました。国際文書館評議会が定める「国際標準アーカイブズ記述」第2版を用い、年史編纂資料を研究活用に資するための記述編成を考察するとともに、今回新たに発見された資料が紹介されました。会場には一部の資料が展示され、参加者が資料実物を手に取る機会も設けられました。
同部同室長・橘川英規の司会のもと、かつての七十五年史編集委員にもご参加いただき、同書編纂における編集委員会の沿革や役割などを伺いながら、資料群を活用した新たな研究の可能性について、また現行の研究プロジェクトの記録の保存とその継承の重要性について、活発な意見交換が行われました。「東京文化財研究所年史資料」は今春の公開を予定しています。
電動式書架設置の様子
竣工した電動式書架
東京文化財研究所では、各研究部門(文化財情報資料部、無形文化遺産部、保存科学研究センター、文化遺産国際協力センター)が収集してきた図書・写真等資料などを、おもに資料閲覧室と書庫で保管し、資料閲覧室を週3日開室し、外部の研究者に対しても閲覧提供しております。
当研究所が平成12(2000)年に現在の庁舎に移転してから23年ほど経過し、その研究活動のなかで図書・写真等資料は日々収集され、近年では旧職員や関係者のアーカイブズ(文書)をご寄贈いただく機会も増えました。そのように所蔵資料が充実していく一方、遠くない将来、書庫や資料閲覧室の書架が資料で飽和状態となるとの見通しもありました。この状況に対して、この度、「調査研究機器の計画的整備」の枠組みの一環として「資料閲覧室の書架整備」の工事を行いました。
今回の工事は、庁舎2階書庫の床面積1/4弱のスペースに設置されていた固定式書架を、電動式書架に取り替えるものでした。令和5(2023)年1月10日に着工し、書籍の搬出、固定式書架の撤去、電動式書架用レールの敷設、電動式書架の設置、書籍の再配架という工程を経て、同月31日に完了いたしました。固定式書架5台(612段、書架延長526m)が設置してあったスペースに、新たに電動式書架9台(1,248段、書架延長1,073m)を設置したことで、その収容能力はおよそ2倍となりました。
工事期間中、外部公開を一時停止したことにより、資料閲覧室の利用者のみなさまには、ご不便をお掛けいたしましたことをお詫び申し上げます。今回の書庫整備による効果を踏まえて、引き続き、文化財研究・保存に資する専門性の高い資料を継続的に収集し、後世に遺し、有効に活用していくための活動を展開してまいります。今後とも、当研究所の文化財アーカイブズを、みなさまの活動にご活用いただけましたら幸いに存じます。
研究会発表の様子
『中央美術』第11巻1号(大正14年1月)に掲載された中井宗太郎「国展を顧みて」
大正7(1918)年、土田麦僊や村上華岳らによって京都で発足した国画創作協会は、大正時代の日本画における大きな革新運動のひとつとして知られています。その活動を思想的に支えたのが、京都市立絵画専門学校(現在の京都市立芸術大学)で美術史を講じていた中井宗太郎(1879~1966)でした。中井は国画創作協会に鑑査顧問として参加し、新聞や美術雑誌で同協会の方針や展覧会(国展)の批評を述べています。
12月23日に開催された文化財情報資料部研究会では、そうした中井の言説の中から、大正14年1月刊行の『中央美術』第11巻1号に発表された「国展を顧みて」に焦点を当てて、塩谷が発表を行ないました。この「国展を顧みて」は、大正13年から翌年にかけて東京と京都で開催された第4回国展を受けて、中井が国画創作協会、そして日本画の進むべき方向を示した一文です。その中で中井は日本画の独自性を論じ、伝統や古典に対する認識を促していますが、そこには大正11年から翌年にかけての渡欧で直面した、西洋美術における古典回帰の潮流が念頭にあったものと思われます。大正時代末から“新古典主義”と称される端正な日本画が一世を風靡するようになりますが、中井の「国展を顧みて」にみられる論調は、そのような動向を予兆するものであったといえるでしょう。
本研究会には所外から田中修二氏(大分大学)、田野葉月氏(滋賀県立美術館)のお二方にコメンテーターとしてオンラインでご参加いただき、発表後のディスカッションで京都画壇や中井宗太郎についてご教示いただきました。また所外のその他の日本近代美術の研究者も交えて話題は中井の言説や日本画にとどまることなく、大正末~昭和初期の美術の様相をめぐって長時間にわたり意見や情報を交わしました。
樹皮からネリが採取される。下部の白くなった箇所が樹皮を採取した部位。
東文研内での関係者会議
文化財修復や伝統工芸等で使用されている和紙は、楮(こうぞ)や雁皮(がんぴ)と言った植物から取り出した繊維を原料としていることはよく知られています。一方で、「ネリ」と呼ばれる物質も必要であることはあまり知られていないかもしれません。ネリを添加しないと繊維がうまく分散せず、漉きあがった紙はムラの多い、地合いの悪いものとなってしまいます。ネリを添加することで繊維が水中で均一に分散し、美しい漉きあがりとなるのです。
工業的に大量生産される紙の場合はポリエチレンオキサイドなどの合成品がネリとして用いられることがほとんどですが、伝統的にはトロロアオイやノリウツギなどの植物から採取される粘液がネリとして用いられてきました。今でも、特に薄手の和紙においてはトロロアオイやノリウツギ由来のネリが最適とされており、文化財修復に用いられる和紙でも幅広く用いられています。しかし、特にノリウツギについては、野生株の採取に頼っていることや、採取を行う後継者が不足していることなどの問題から、安定した供給が困難になりつつあり、このままでは文化財修復等に用いる和紙を漉くことができなくなりかねません。例えば、掛軸の総裏紙として用いられる宇陀紙はノリウツギから得られたネリを用いて漉かれるため、将来的には掛軸の修復が困難になるような事態も想定されます。
保存科学研究センターでは文化庁からの受託研究「美術工芸品の保存修理に用いられる用具・原材料の調査」を文化財情報資料部、無形文化遺産部とともに遂行していますが、その中の主要な調査としてノリウツギの安定供給に向けて活動しています。この研究は、北海道および標津町などと連携して行われており、標津町のノリウツギ産地の視察を行ったり、定期的に検討会を開催したりしています。今後もノリウツギの安定供給に向けた支援を行うとともに、ノリウツギから得られるネリがなぜ優れた性能を示すのか科学的に評価していく予定です。
開講式後の集合写真
分子模型を使用した基礎科学の講義
有機溶剤の選択方法の実習
保存科学研究センターでは、文化財の修復に関して科学的な研究を継続してきています。令和3(2021)年度より、これらの研究で得た知見を含めて、文化財修復に必要な科学的な情報を提供する研修を開催しています。対象は文化財・博物館資料・図書館資料等の修復の経験のある専門家で、実際の現場経験の豊富な方を念頭に企画されています。
令和4(2022)年10月31日より11月2日までの3日間で開催し、文化財修復に必須と考えられる基礎的な科学知識について、実習を含めて講義を行いました。文化財修復に必要な基礎化学、接着と接着剤、紙の化学、生物被害、薬品の使用上の注意や廃棄の方法などについて東京文化財研究所の研究員がそれぞれの専門性を活かして講義を担当しました。
定員15名のところ、全国より45名のご応募を頂きました。昨年度は新型コロナ感染拡大の状況を考慮し、対象を東京都内に在住・通勤の方のみと限定しましたが、今年度は地域の制限は撤廃し、広い分野の方がお越しになれるよう検討し19名の方にご参加いただきました。昨年度のご要望を踏まえて調整した内容でしたが、開催後のアンケートでは、参加者の方達から、非常に有益であったとの評価をいただきました。今後修復現場に活用されたい具科学的な情報の具体的なご要望もいただき、これらのご意見を踏まえながら次年度も同様の研修を継続する予定です。
案内チラシ(表)
研究協議会における討論の様子
文化遺産国際協力センターでは、世界遺産制度とその最新動向に関する国内向けの情報発信や意見交換を目的とした「世界遺産研究協議会」を平成28(2016)年から開催しています。令和4(2022)年度は、「文化財としての『景観』を問いなおす」と題し、環境や領域の保全を理念の一つとするユネスコ世界遺産と、点から面への転換を目指すわが国の文化財保護の接点として「景観」に着目しました。昨年度、一昨年度は、コロナ禍のためオンライン配信とせざるを得ませんでしたが、今回は参加人数を50名に制限しながらも令和4(2022)年12月26日に東京文化財研究所で対面開催しました。
冒頭、西和彦氏(文化庁)が「世界遺産の最新動向」について講演した後、金井健(東京文化財研究所)より開催趣旨を説明しました。つづく第Ⅰ部では、研究職の立場から惠谷浩子氏(奈良文化財研究所)が「日本における文化的景観の特質」、松浦一之介(東京文化財研究所)が「景観としての世界遺産:範囲設定とその根拠法」、また第Ⅱ部では、行政職の立場から植野健治氏(平戸市)が「協働による景観保護の可能性」、中谷裕一郎氏(金沢市)が「金沢の文化的景観の価値を活かした景観まちづくり」について、それぞれ講演しました。その後、登壇者全員が日本の文化財保護制度における景観の位置づけなどについて討論しました。
講演と討論をつうじて、わが国では文化財としての景観が概念や制度の上で非常に限定的に捉えられているのに対し、特にヨーロッパでは都市計画、環境保全、農業政策などの国土利用に広く位置づけられている実態が明らかになりました。日本では文化財保護と都市計画が別々の歩みを進めたことが、今なお面的な保護の遅れに大きく影響しているとの指摘もありました。このようにわが国では複雑な課題を抱えた「景観」のテーマも含め、当センターでは引き続き遺産保護の国際的制度研究に取り組んでいきたいと思います。
バーレーンに残るディルムンの古墳群
東京シンポジウムの講演者と参加者
中東のバーレーンは、東京23区と川崎市をあわせた程度の小さな島国ですが、魅力ある文化遺産を数多く有しています。とくに今から4千年前頃には、バーレーンはディルムンと呼ばれ、メソポタミアとインダスを結ぶ海洋交易を独占して繁栄したことが知られています。この時代だけで7 万5 千基もの古墳が造られ、それらは19世紀末以来、多くの研究者を惹きつけてきました。この古墳群は、2019年にはユネスコの世界文化遺産にも登録されています。
東京文化財研究所は長年にわたり、ディルムンの古墳群の史跡整備や発掘調査に協力してきました。そして、今年度からは新たに、バーレーンに残されている歴史的なイスラーム墓碑の保存にも協力を開始することとなりました。
2022年は、日本とバーレーンの外交関係樹立50周年という記念の年にもあたります。そこでこのたび、本研究所は金沢大学古代文明・文化資源学研究所と共催で、国際シンポジウム「考古学と国際貢献:バーレーンの文化遺産保護に対する日本の貢献」(12月11日、会場:東京文化財研究所)と「バーレーン考古学をめぐって」(12月14日、会場:金沢大学)を開催しました。これらのシンポジウムでは、バーレーンの国立博物館館長のほか、バーレーンで発掘調査を行っているデンマーク隊、フランス隊、イギリス隊の隊長、日本の考古学や保存科学の専門家が一堂に会しました。
東京のシンポジウムではバーレーンにおける各国による発掘調査の歴史や日本の専門家による発掘や保存修復活動が紹介され、金沢のシンポジウムでは各国隊による最新の発掘調査成果がおもに紹介されました。
本研究所は、今後もバーレーンの文化遺産の保護に様々な形で協力していく予定です。
式典の様子
ポスター展示(中央が東文研事業の紹介)
東京文化財研究所では、カンボジア・アンコール遺跡群のタネイ寺院遺跡においてアンコール・シエムレアプ地域保存整備機構(APSARA)との協力事業を継続しています。
アンコールは1992年にユネスコ世界文化遺産に登録され、その後日本を含む各国による本格的支援協力が開始されました。支援の対象は遺跡の保存修復にとどまらず、その観光活用や人材育成を含む体制整備、さらには周辺地域の持続的発展に向けた計画策定やインフラ整備等々、多岐にわたります。紆余曲折を経ながらも、アンコールは押しも押されもせぬ世界的観光地となり、カンボジア経済にとって最重要の外貨収入源の一つになっています。同時にそれは、様々な課題を抱えつつも、世界遺産の保護と活用における国際協調の成功事例として大いに評価されています。
令和4(2022)年12月14日早朝、アンコールワット参道前にて「アンコール世界遺産登録30周年記念式典」が挙行され、筆者もこれに参加しました。大勢の僧侶による読経に始まり、伝統舞踊も交えた荘厳な儀式でしたが、会場では私たちの事業も含むこれまでの国際協力の歩みを振り返るポスター展示も行われました。
翌15日と16日にはそれぞれ、アンコール国際調整委員会(ICC)の第36回技術会合と第29回本会合がシエムレアプ市内で開催されました。毎年恒例のこの会議もコロナ禍ではオンライン主体での開催が続きましたが、ようやく国内外の専門家や関係機関代表が一堂に会しての対面開催が実現し、多くの事業の進捗が報告・共有されるとともに、各国関係者が旧交を温める場としての役割がようやく戻ってきたことに感慨を新たにした次第です。
岩窟墓壁画保存修復作業現場での調査
現地保存に係る保存修復事例の調査(ハトホル神殿)
ルクソールは、古代エジプト史の時代区分における新王国時代に首都テーベがおかれていた場所であり、トトメス1世やツタンカーメンなど歴代の王が眠る王家の谷やカルナック神殿をはじめ数多くの葬祭殿が残されています。これらの遺跡群は、消滅した文明を今に伝える重要な痕跡であることなどが評価され、「古代都市テーベとその墓地遺跡」として1979年に世界遺産に登録されました。ナポレオンによる1798年のエジプト遠征に端を発して大きく飛躍することとなったエジプト文明に係る研究は、現在も国際的な規模で進められており、毎年興味深い発表や報告が続いています。ルクソールも例外ではなく、各所で盛んに発掘調査が進められ、新たな遺跡や遺物の発見があとを絶ちません。
これに伴い問題となっているのが、考古学調査後の保存と活用についてです。近年では、発掘調査で発見された遺跡や遺物を地域の観光振興等に活用すべく、文化財として整備・処置することが義務付けられるようになりました。しかし、時間と予算の制約の中で応急的に行われた不適切な処置によって、却って対象物を傷めてしまう事例が少なくありません。
こうした問題の改善に向けた支援の可能性を探るため、令和4(2022)年12月12日から24日にかけて、ルクソール博物館及びルクソール西岸岩窟墓群を対象にした実地調査を行いました。その結果、博物館に収蔵された考古遺物の保存管理に係る処置方法や、現地保存を前提とした岩窟墓壁画の保存修復方法の検討について、現地専門家より協力が求められました。今後、緊急性の高い研究テーマを絞り込むための調査を継続し、国際協働事業に繋げていくことを目指します。
妙法寺本堂に復原襖を建て込む作業
妙法寺本堂に奉安された与謝蕪村筆「寒山拾得図」復原襖
令和3(2021)年8月の活動報告でご紹介したとおり(https://www.tobunken.go.jp/materials/katudo/910046.html)、香川県丸亀市の妙法寺にある与謝蕪村筆「寒山拾得図」は、かつて拾得の顔がマジックインクで落書きされ、寒山の顔の部分に損傷を受けましたが、昭和34(1959)年に東京文化財研究所で撮影したモノクロ写真から、損傷前の描写が明らかになります。
当研究所では、このモノクロ写真と、現代の画像形成技術を合わせて、損傷を受ける前の襖絵を復原し、襖に仕立てて妙法寺に奉安する共同研究を立ち上げました。
まず、現在の「寒山拾得図」を撮影した高精細画像に、モノクロ写真の輪郭線を重ね合わせ、損傷前の復原画像を形成し、実際の作品と同様の紙継ぎになる大きさで和紙に画像を出力するところまでを当研究所でおこないました。次に、現在の本堂に建て込めるように襖に仕立てる事業は、妙法寺にご担当いただきました。襖に仕立てる作業は、国宝修理装潢師連盟加盟工房である株式会社修護が担当し、襖の下地は、国指定文化財に用いられるものと同等の仕様、技術、材料で施行し、引手金具もオリジナルの金具を模造して使っています。
また、建具調整には黒田工房の臼井浩明氏のご協力を得て、本堂に実際に襖を建て込むための建て合わせや微調整を入念におこない、令和4(2022)年11月22日、無事に復原襖を妙法寺本堂へ奉安することができました。
実際に襖として建て込まれると、その大きさや表現は圧巻で、蕪村の筆遣いや絵画空間が目の前によみがえったかのようです。このように古いモノクロ写真を用いた絵画の復原は当研究所としても初の試みで、90年以上蓄積されてきた膨大なアーカイブ活用の今後の指標ともなるでしょう。