研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『TOBUNKEN NEWS (東文研ニュース)』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。

東京文化財研究所 保存科学研究センター
文化財情報資料部 文化遺産国際協力センター
無形文化遺産部


Digital Humanities 2024(DH2024)参加報告

掲示されたポスター資料
会場に設置されたパネル

 令和6(2024)年8月6日~8月9日にかけてジョージ・メイソン大学(アメリカ)で開催されたDigital Humanities 2024(DH2024)に参加して来ました。DH2024は人文情報学という学問分野では最大規模の年次国際大会です。そして人文情報学というのは、人文学と情報学とを融合させることで新たな発見の獲得を目的とした分野です。
 東京文化財研究所は、令和4(2022)年度より文化庁が進める「文化財の匠プロジェクト」事業の一環として「美術工芸品修理のための用具・原材料と生産技術の保護・育成等促進事業」に携わっており、文化財情報資料部では「文化財(美術工芸品)修理記録のアーカイブ化」を担当しております。この事業は、文化財の修理記録という大切な情報を適切な形で後世に残していくことを主眼としている重要なものであり、そのプレゼンスを国際的にも主張してゆくことが求められます。こうした背景から、文化財情報資料部客員研究員・片倉峻平が発表者としてDH2024に赴き、昨年度時点でのアーカイブ化の作業過程をポスター発表(題目:” Constructing a Database of Cultural Property Restoration Records”)にて紹介しました。発表内容は田良島哲・片倉峻平「美術工芸品修理記録のデータベース化」(『月刊文化財』722号、2023年)に則ったものですので、よろしければこちらをご覧下さい。
 聴衆の皆様には、日本の文化財修理でどのような記録が取られて来たのか、そしてこれまでどのように蓄積・保存されてきたのか、という点に特に興味を持って頂けました。データベースを作成しているというお話もしたので、実際にそのデータベースを見てみたいという希望も多く聞くことが出来ました。データベースは残念ながらまだ未公開ですがいずれ公開するのでぜひ期待して下さいとお伝えしておきました。
 本プロジェクトはこれから佳境を迎えます。これからも国際的な情報発信に努めますので、皆様にもぜひ引き続き注目頂ければと思います。


特集展示「没後100年・黒田清輝と近代絵画の冒険者たち」(東京国立博物館)の開催

「没後100年・黒田清輝と近代絵画の冒険者たち」展示作業風景、東京国立博物館
研究会風景、東京文化財研究所

 令和6(2024)年は、画家であり、東京文化財研究所の前身である美術研究所の設立資金を遺した黒田清輝(1866-1924)の没後100年にあたります。これを記念し、東京国立博物館での特集展示を企画しました。展示は黒田の作品と、東京国立博物館の所蔵する近代絵画とによって構成し、西洋絵画に学んだ「洋画」が「美術」としての地位を獲得していく工程を「冒険」として紹介しました。
 まずは黒田清輝の代表作、《智・感・情》(1899、明治32年)において、人間の裸体によって抽象的な観念を描くという西洋の寓意画に端を発した試みを紹介しました。人間の裸体を美的なものとして描き、見る習慣のなかった日本では、裸体画は不道徳なものとして批判されましたが、黒田は《智・感・情》において日本人のモデルを用いた裸体画を世に問いました。《智・感・情》は明治33(1900)年のパリ万国博覧会では、“Etude de Femme”(女性習作)として紹介されました。日本の観衆に対しては裸体によって理想を表現する手法を示し、西洋の観衆に対しては日本人による日本人を描いた裸体画の存在を示すという二面性をもつ試みであったことがわかります。
 また本展では、当時の「美術」の境界を示す作品を展示しました。織田東禹《コロポックルの村》(1907、明治40年)は、アイヌの伝承に「蕗の葉の下に住む人」として登場する「コロポックル」を日本の石器時代の先住民とする、人類学者の坪井正五郎による学説に基づいて描かれました。織田はこの作品を明治40(1907)年の東京勧業博覧会に出品し、美術館での展示を希望しましたが、美術部門の審査員は類例のない表現に戸惑って同作の審査を拒否し、結局同作は「教育、学芸」の資料として展示されました。当時、「美術」という概念は形成途上にあり、《コロポックルの村》の扱いには出品者側と審査員側の認識の違いが表れたといえます。同作をめぐり、文化史的な視点からの考察と、考古学や文化人類学側からの考察をまじえた学際的な研究会を9月6日に当研究所で行いました。
 最後に、同展では黒田清輝の遺産によって昭和5(1930)年に創立した「美術研究所」を前身とする当研究所の所蔵資料を展示しました。黒田は遺産の一部を「美術奨励事業」に充てるようにという遺言を残しましたが、その内容を具体化したのは美術史家の矢代幸雄でした。イギリスとイタリアに留学してルネッサンス美術を研究した矢代が大正14(1925)年に刊行した“Sandro Botticelli”(Medici Society)は、新鮮な視点を示した著作として高い評価を受けました。中でも、部分図に独自の美観を認める視点は当時の西洋美術史に新たな視点をもたらしました。「美術研究所」の構想において重視された美術写真の収集という方針は、現在の当研究所の資料収集にも継承されています。同展では“Sandro Botticelli”や『黒田清輝日記』など、当研究所の所蔵資料を展示し、美術研究における拠点としての同所の意義を紹介しました。


シンポジウム「森と支える「知恵とわざ」―無形文化遺産の未来のために」の開催

実演の様子
展示の様子

 令和6(2024)年8月9日、東京文化財研究所にてシンポジウム「森と支える「知恵とわざ」―無形文化遺産の未来のために」が開催されました。
 昨今、無形のわざや、有形の文化財の修理技術を支える原材料が入手困難になっていることが大きな問題となっています。山を手入れしなくなったことによって適材が入手できなくなった、需要減少によって材の産地が撤退してしまった、流通システムが崩壊してしまった、など背景は様々ですが、いずれも、人と自然との関わりのあり方が変わってしまったことが要因としてあります。
 本シンポジウムは、こうした現状を広く知ってもらい、課題解決について共に考えていくネットワークを構築することを目的に開催されました。まず第一部では5名の方をお招きして、自然素材を用いた様々なわざを実演いただきました。荒井恵梨子氏にはイタヤカエデやヤマモミジのヘギ材で編む「小原かご」、延原有紀氏にはサルナシやバッコヤナギ樹皮で編む「面岸箕」、中村仁美氏にはヨシで作る「篳篥の蘆舌(リード)」、小島秀介氏にはキリで作る「文化財保存桐箱」、関田徹也氏には里山の木で作る祭具「削りかけ」について実演や解説をいただき、参加者とも自由に交流していただきました。その後、第二部では秋田県立大学副学長の蒔田明史氏による講演「文化の基盤としての自然」と、当研究所職員3名による報告がありました。
 先述したように、原材料の不足の背景には、人と自然との関係性が変化したことが大きな要因としてあります。それは社会全体の変化と直結しており、一朝一夕で解決できる問題ではありません。しかしだからこそ、この現状を広く社会に知っていただき、様々な地域、立場からこの問題について考え、行動していただくことが重要になってきます。無形文化遺産部では課題解決に少しでも寄与できるよう、今後も引き続き、関連する調査研究やネットワークの構築、発信をしていきたいと考えています。
 なお、シンポジウムの全内容は近日中に報告書として刊行し、PDF版を無形文化遺産部HPで公開する予定です。


アンコール・タネイ遺跡保存整備のための現地調査XVI-XVII-中央塔保存修復のための技術協力

修復前後の中央塔西入口周辺(フォトグラメトリにより作成した3Dモデル)
石材修復中の様子

 カンボジアの世界遺産・アンコール遺跡群の北東部に位置するタネイ遺跡は、12世紀末から13世紀初頭に建立されたと考えられている仏教寺院で、高さ約15mの中央塔は、一部が崩壊しているものの、仏教モチーフの装飾が刻まれたペディメントが四方に配され、内部には本尊の仏像が据えられていたと思われる台座も残っています。
 その各面の入口枠は上下左右の4辺がそれぞれ大きな砂岩材で構成されていますが、東西面ではともに上枠が折れているなど破損・変形が進行して危険なため、ながらく木製のサポートで支持されていました。今回、この中央塔の東西入口まわりを構造的に安定させるとともに、木製のサポートを撤去することで、訪問された方々により本来に近い寺院の姿を眺めながら伽藍中軸線上を安全に歩いていただけるよう、入口枠とこれに隣接する範囲を対象に部分的な修復作業を実施しました。
 修復に先立って、令和6(2024)年3月開催の国際調整委員会会合にて計画が提案、承認されました(前稿を参照)。その後、6月からアンコール・シェムリアップ地域保存整備機構(APSARA)の主導のもと、現場作業が開始されました。東京文化財研究所は、本修復事業への技術協力の一環として、令和6(2024)年6月15日~7月2日に2名(XVI次現地調査)、8月7日~11日に1名(XVII次現地調査)を派遣し、APSARA職員と協力して作業を行いました。具体的には、①中央塔入口の構成石材および周辺散乱石材の解体・移動前記録、②部分解体、③石材修復、④再構築、⑤修復後記録、の手順で進行し、8月派遣時に無事に修復が完了しました。


ブータンの文化遺産指定民家修復に向けた部材調査

両国の大工棟梁ならびにスタッフによる部材調査の様子
現場全景

 東京文化財研究所では、平成24(2012)年以来、ブータン内務省文化・国語振興局(DCDD)と協働して、同国の伝統的民家建築に関する調査研究を継続しています。同局では、従来は法的保護の枠外に置かれてきた伝統的民家を文化遺産として位置づけ、適切な保存と活用を図るための施策を進めており、当研究所はこれを研究・技術面から支援しています。
 これまでに全国で80棟ほどの古民家を調査してきた中でも最古級と目されるのが、首都ティンプー市近郊のカベサ集落に所在するラム・ペルゾム邸です。土を版築して造られた外壁にほとんど開口部がないきわめて閉鎖的な建物で、今日一般的なブータンの民家とは大きく異なる特徴などから、建設時期は少なくとも18世紀代まで遡るものと考えています。
 平成25(2013)年に調査した時点で既に荒廃が進んでいましたが、上階床や屋根などの木造部分が平成29(2017)年に全崩壊するに至り、これを受けて、建物内部に散乱した部材の回収ならびに格納作業を実施し、残った外壁の構造体を保護するための仮屋根の設置も行われました。コロナ禍により現地活動が中断する間に本物件を文化遺産として保護するための手続きが進められ、令和5年(2023)年に民家建築としては初の遺産指定が実現しました。
 このたび、令和6(2024)年8月12日~23日にかけて、当研究所職員2名に外部専門家2名を加えた4名を日本から派遣し、DCDD職員らとともに、本建物の修復に向けた部材調査を実施しました。以前の格納作業にも携わったマルティネス・アレハンドロ氏(京都工芸繊維大学助教)が各部材の使用部位を同定する作業に加わる一方、日本の木造文化財建造物修理に豊富な実績を有する鳥羽瀬公二氏(日本伝統建築技術保存会会長)が部材ごとに再使用の可否と修理方法の検討を行い、この作業には歴史的建造物修理に従事するブータンの大工棟梁9名が参加しました。調査中にはツェリン内務大臣が現場視察に訪れたほか、国営テレビや新聞の取材を受けるなど、この取り組みには強い関心が寄せられています。得られたデータをもとに引き続き、オーセンティシティの保存に最大限配慮した全体修復計画の検討を進めるとともに、DCDD側での実施予算確保に向けた工費積算等の作業を支援していきます。
 本調査は、科学研究費助成金基盤研究(B)「ブータンにおける伝統的石造民家の建築的特徴の解明と文化遺産保護手法への応用」(研究代表者 友田正彦)により実施しました。


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