研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『TOBUNKEN NEWS (東文研ニュース)』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。

東京文化財研究所 保存科学研究センター
文化財情報資料部 文化遺産国際協力センター
無形文化遺産部


シンポジウム「黒田清輝、その研究と評価の現在—没後100年を機に」の開催

シンポジウムの発表(高山百合氏)風景
シンポジウムのディスカッション風景

 東京文化財研究所は、“日本近代洋画の父”と称される洋画家の黒田清輝(1866~1924)の遺産により、昭和5(1930)年に創設されました。現在は東京国立博物館の施設として黒田の作品を展示公開している黒田記念館は、もともと当研究所の前身である美術研究所として建てられたものです。令和6(2024)年に黒田の没後100年を迎えたのを記念して、当研究所の主催により、創設の地である黒田記念館のセミナー室を会場として1月10日に、シンポジウム「黒田清輝、その研究と評価の現在—没後100年を機に」を開催しました。発表者とタイトルは以下の通りです。
基調講演 黒田清輝の画業について——神津港人の視点から(文化財情報資料部上席研究員・塩谷純)
発表1 黒田清輝とラファエル・コラン——いくつかの視点をめぐって(三谷理華氏・女子美術大学)
発表2 黒田清輝以降——昭和期における「官展アカデミズム」の諸相(高山百合氏・福岡県立美術館)
発表3 黒田清輝からの学びと地方への伝播——鳥取県出身者の場合(友岡真秀氏・鳥取県立博物館)
 シンポジウムはオンライン併用で開催、対面参加の方々と併せ63名の方にご参加いただきました。また友岡氏が山陰地方での大雪のためご来場がかなわず、急遽オンラインでのご発表となりましたが、発表後のディスカッションも含め、滞りなく開催することができました。最新の研究成果をふまえ、フランス近代美術との関連、日本近代洋画壇への影響、そして地方への波及という視点から黒田清輝の画業を捉え直した本シンポジウムが、日本近代美術研究の再考をうながす一石となれば幸いです。本シンポジウムの内容については、当研究所の研究誌『美術研究』447号(2025年11月刊行予定)に掲載の予定です。


韓国近代における金剛山の表象―令和6年度第9回文化財情報資料部研究会の開催

 文化財情報資料部では、海外の研究者にも研究発表を行っていただき、研究交流をおこなっています。1月21日の第9回研究会では、客員研究員(2024年12月~2025年2月)として東京文化財研究所に滞在していた韓国・梨花女子大学校教授の金素延(キム・ソヨン)氏に「金剛山を描く―韓国近代期における金剛山の認識変化と視覚化」と題してご発表いただきました。

 朝鮮半島を代表する名山として知られる金剛山は、古くから文学や絵画の主題として取り上げられてきました。しかし近代に入ると大きな変化が起きます。鉄道敷設や観光開発が進むことにより、表象のあり方は変化しました。金氏は、金剛山を描いた様々なメディアを分析しながら、①朝鮮時代にも描かれた内陸の「内金剛」だけでなく、海側の「外金剛」も描かれるようになったこと、そして②「内金剛」に女性的、「外金剛」に男性的なイメージが投影され、描き分けられたことなどを指摘しました。

 写真絵はがき、旅行案内ガイドの挿図まで活用した金氏の考察は、様々なメディアから美術史を構築する可能性、また「観光」や「ジェンダー」といったイシューと美術史の関連性を改めて認識させるものでした。

 研究会には、所内外から多くの学生と関連研究者が参加し、質疑応答では活発な意見交換がおこなわれました。
海外研究者の研究発表は、日本国内の学術的潮流とは異なる着想や方法論について触れ、また相互に刺激を与える機会でもあります。日本と海外を繋ぐ研究交流の「ハブ」としての役割も果たすことで、当研究所がより多角的に日本の学術に寄与できれば幸いです。


「富岡製糸場と絹産業遺産群」世界遺産登録10周年記念国際シンポジウムへの参加

会場となったアントニン・レーモンド設計の群馬音楽センター(1961)
パトリシア・オドーネル氏によるキーノートスピーチ(「ヘリテージ・エコシステム」の論点の提案)
4組に分かれて行われたグループディスカッションの様子(グループC)

 令和7(2025)年1月10日と11日、高崎市の群馬音楽センターにおいて、ユネスコ世界文化遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」(以下、富岡)の登録10周年を記念する国際シンポジウムが開催され、東京文化財研究所から3名の職員が参加しました。このシンポジウムは、群馬県と日本イコモス国内委員会の共催により、「富岡」の登録後の取組みと意義を振り返るのみならず、「奈良文書」が採択された1994年の世界遺産条約におけるオーセンティシティに関する奈良会議から30年を迎える節目を捉えて、複雑化する21世紀の社会的課題に適応した遺産のオーセンティシティのあり方を問うことがテーマに掲げられました。なお、当研究所が事務局を務める文化遺産国際協力コンソーシアムでは、去る11月に「奈良文書」30周年を記念した研究会とシンポジウムを開催したところです(文末リンク参照)。
 シンポジウムの統括責任者を務めた前イコモス会長で九州大学名誉教授の河野俊行氏の問題意識から、21世紀の社会と遺産をつなぐキーワードとして「ヘリテージ・エコシステム(heritage ecosystems)」が提唱され、プログラムも通常のシンポジウムの形式によらず、招待研究者・専門家によるキーノートスピーチのほか、自主参加の研究者・専門家による4組のグループディスカッションを並行して行うかたちが取られました。招待発表者は8か国14名、自主参加者は19か国約80名に上り、一般参加を加えたおよそ120名の大半を外国からの参加者が占める国際色豊かな会議となりました。
 「ヘリテージ・エコシステム」は、まだ馴染みの薄い概念ですが、このプログラムの中では「地域の豊かな文化的環境を成り立たせる多様な要素の循環関係や有機的な関係全体を意味するもの」と説明されています。キーノートスピーチでは、現在も県内で生糸や絹製品の生産販売を行う碓氷製糸株式会社取締役の土屋真志氏や、蚕を利用した医薬品・ワクチンの研究開発に取り組む九州大学教授の日下部宜宏氏の発表に象徴されるように、「富岡」を今も息づく絹産業の「ヘリテージ・エコシステム」の中に捉え直すことに主眼が置かれ、従来の文化財保護分野の会議とは視点が大きく異なる論点が提示されました。グループディスカッションでは、前イコモス文化的景観国際学術委員会長で造園家のパトリシア・オドーネル氏がキーノートスピーチの中で提案した「ヘリテージ・エコシステム」の考え方に関する四つの論点、1.自身の専門分野や活動領域との関係性、2.新たな機会創出の可能性、3.地域社会や遺産保護にもたらすメリット、4.遺産のオーセンティシティの認識に及ぼす影響、をもとに各組において自由闊達な議論が展開されました。最後に、キーノートスピーチでの問題提起やグループディスカッションの成果などを反映させるかたちで「ヘリテージ・エコシステムに関する群馬宣言」がまとめられ、会議は幕を閉じました。
 当研究所では文化遺産国際協力コンソーシアムの活動とともに、こうした国際会議への積極的な参加を通じて、今後も文化遺産の国際関係に関する情報収集と文化遺産国際協力に係るネットワーク構築に努めていきます。

参考リンク
・文化遺産国際協力コンソーシアム第35回研究会:文化遺産保護と奈良文書-国際規範としての受容と応用- 
https://www.jcic-heritage.jp/news/35seminar_report/
・文化遺産国際協力コンソーシアム令和6年度シンポジウム:「モニュメント」はいかに保存されたか-ノートルダム大聖堂の災禍からの復興
https://www.jcic-heritage.jp/news/2024syoposium_report/


スタッコ装飾及び塑像に関する研究調査(その6)

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
クーポラの内側に保管された塑像群

 文化遺産国際協力センターでは、令和3(2021)年度より、運営費交付金事業「文化遺産の保存修復技術に係る国際的研究」において、スタッコ装飾及び塑像に関する研究調査に取り組んでいます。
 令和7(2025)年1月13日~1月18日にかけて、フィレンツェを訪れ、ルネサンス後期、マニエリスムの彫刻家であるピエトロ・フランカヴィッラやジョバンニ・バッティスタ・カッチーニによって制作された塑像群に関する事前調査と、今後の研究計画について所蔵元であるオペラ・デル・ドゥオーモ博物館と協議しました。これらの彫刻は、フィレンツェの主要な聖人たちを表しており、1589年にトスカーナ大公フェルナンド1世デ・メディチとクリスティーヌ・ディ・ロレーヌの結婚式を祝うために制作されました。その目的は、式典を祝う一日のためだけにサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の正面に設置された仮設のファサードを飾ることにありました。そのため、当時主流であった大理石ではなく、塑像という手法が選ばれたと考えられています。
 現在、これらの彫刻作品は大聖堂クーポラの内側にある部屋で保管されていますが、経年劣化が進んでおり、その構造や使用された材料に関する研究は十分に進んでいないのが現状です。今後は、現地の国立修復研究所や美術監督局と連携し、調査を一層深化させるとともに、将来的な保存修復に資する研究を推進していきます。


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