研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『TOBUNKEN NEWS (東文研ニュース)』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。

東京文化財研究所 保存科学研究センター
文化財情報資料部 文化遺産国際協力センター
無形文化遺産部


アルメニア共和国における染織文化遺産保存修復研修の開催

考古染織遺物を用いた実習
顕微鏡による繊維構造の分析

 平成30(2018)年6月25日~7月6日の間、アルメニア共和国にて、同国文化省と共同で染織文化遺産保存修復研修を開催しました。本研修は、東京文化財研究所と同省とが平成26(2014)年に締結した、文化遺産保護分野における協力に関する合意に基づくもので、昨年度に引き続いて2回目の実施となります。
 今回の研修は、文化遺産国際協力センター客員研究員の石井美恵氏とNHK文化センターさいたまの横山翠氏を講師として、歴史文化遺産科学研究センターとエチミアジン大聖堂付属博物館の2箇所で行い、アルメニア国内の博物館・美術館など7機関から14名が研修生として参加しました。歴史文化遺産科学研究センターにおける研修では、同センターが所蔵する、考古遺跡から出土した12世紀のものとされる染織遺物に対して、顕微鏡を用いた分析手法や収蔵方法などに関する実習を行いました。また、エチミアジン大聖堂付属博物館においては、9月にアメリカのメトロポリタン美術館へ出展予定の収蔵品に対する、より高度な技術を用いたステッチ補強の実習を行いました。
 今年度は実物の染織文化遺産を使用した研修を行うことができ、研修生にとっても良い経験となりました。我々が伝える知識や技術がアルメニアの専門家に定着するよう、来年度も研修事業を実施する予定です。

バガン(ミャンマー)における煉瓦造寺院外壁の保存修復と壁画調査

寺院頭頂部の作業風景
ポーカラー寺院壁画(部分)

 平成30(2018)年7月11日〜8月5日までの期間、ミャンマーのバガン遺跡群内Me-taw-ya(No.1205)寺院において、壁画保護のための雨漏り対策を主な目的とする煉瓦造寺院外壁の保存修復を行いました。本年の1月〜2月にかけて実施した作業を継続し、平成28(2016)年の地震で被災した箇所の見直しを行い、ストゥッコ装飾や目地材といった外観美に影響する箇所についても修復方法を検討しました。この結果、煉瓦崩落時における修復方法や使用材料について方針を示すに至り、ミャンマー宗教文化省考古国立博物館局バガン支局からも高い評価を得ることができました。
 また、ミャンマーにおける壁画技法の変遷や美術史、図像に関する調査を前回に引き続き実施しました。まず、バガンに存在する11~13世紀の代表的な壁画についてさらなる情報を収集し理解を深めました。その後はマンダレーへ移動し、同市を拠点としてインワ、サガイン、アマラプーラ、チャウセーに点在する寺院を訪ね、17~19世紀の壁画の特徴を把握するよう努めました。
 滞在期間中にはヤンゴンにある在ミャンマー日本国大使館を訪問し、当事業の概要について説明させていただきました。今後は経過報告を通じて当研究所におけるバガンでの文化財保存活動に関する情報を共有していきます。

ブータンにおける伝統民家保存に関する調査

倒壊部材の回収作業
チャンガンカ寺における供養

 ブータン内務文化省文化局遺産保存課と共同で、同国の版築造伝統民家を対象とする実測等調査を平成30(2018)年7月16日から24日まで首都ティンプー市およびパロ県にて実施しました。
 このうちティンプー北郊のカベサ村に所在する物件は、これまでの調査で発見した古民家の中でも最も古式を良く残す事例の一つとして注目していましたが、無住になって久しく、残念なことに外周の版築壁を残して上階床などの木部が昨年倒壊してしまいました。本年3月に同市で開催したワークショップにおいて保存の重要性を訴えた結果、所有者が取り壊しの意向を撤回し、修復に向けた動きが始まりました。これを受けて今回、建物内から全ての木部材を回収し、個々の原位置を特定して記録し、仮保存小屋に格納する作業を実施しました。部材の損傷や滅失は思いのほか少なく、正確な復原が可能であることが確認できました。今後、具体的な修復・活用策の検討が進むことが大いに期待されます。
 ところで、ブータン古民家に関する調査研究は平成28(2016)年度以降、科学研究費助成事業として実施してきましたが、その研究代表者でもある亀井伸雄所長の訃報が現地滞在中にもたらされました。これを受けてブータン側関係者の提案により、供養の儀式がティンプー市街を見渡す古刹チャンガンカ寺において営まれました。これまでの共同活動に参加したスタッフたちが参集し、108個の灯明に火を灯して故人の冥福を祈りました。

ベルリンにおけるワークショップ「日本の紙本・絹本文化財の保存と修復」の開催

基礎編における取り扱いの講義
応用編における掛軸の保存と修復の実習

 海外に所在する書画等の日本の文化財の保存活用と理解の促進を目的として、本ワークショップを毎年開催しています。本年度はベルリン博物館群アジア美術館において、平成30(2018)年7月4~6日に基礎編「Japanese Paper and Silk Cultural Properties」、9~13日に応用編「Restoration of Japanese Hanging Scrolls」をベルリン博物館群アジア美術館及びドイツ技術博物館の協力のもと実施しました。
 基礎編には欧州10カ国より13名の修復技術者及び学生が参加しました。作品の制作、表具、展示、鑑賞という実際に文化財が私たちの目に触れるまでの過程に倣い、接着剤、岩絵具、和紙等の材料についての基礎講義、絹本絵画や墨画の実技、及び掛軸の取り扱い実習等を行いました。
 応用編は掛軸の保存と修復をテーマとし、選定保存技術「装潢修理技術」保持認定団体の技術者を講師に迎え6カ国10名の修復技術者が参加しました。掛軸の構造や掛軸修復に関する知識とそれに裏付けられた技術を理解するため、講師による裏打ちや軸首交換等の実演、掛軸の下軸や紐の取り外しと取り付け等の実習を行いました。両編では活発な質疑応答やディスカッションが行われ、日本の修復技術や材料の応用例等の技術的な意見交換も見られました。
 海外の保存修復の専門家に日本の修復材料と技術を伝えることにより、海外所在の日本の紙本・絹本文化財の保存と活用に貢献することを目指し、今後も同様の事業を実施していきたいと考えています。

国際シンポジウム「アート・歴史分野における国際的な標準語彙(ボキャブラリ)の活用 — Getty Vocabulary Programの活動と日本」への参加

パネルディスカッション(写真提供:国立歴史民俗博物館メタ資料学研究センター)
ワード氏を交えての関連機関担当者による協議

 国際シンポジウム「アート・歴史分野における国際的な標準語彙の活用 ―Getty Vocabulary Programの活動と日本」が平成30(2018)年6月16日に国立歴史民俗博物館で開催され、文化財情報資料部の橘川が参加、ゲッティ研究所ULAN(Union List of Artist Names)への日本美術家人名情報提供の経過報告を行いました。「標準語彙」というのは聞き慣れない言葉だと思いますが、これは人名・地名などの表記を標準化することで、その情報化・流通を支援するものです。後藤真氏(国立歴史民俗博物館准教授)の企画による今回のシンポジウムでは、ジョナサン・ワード氏(Getty Vocabulary Programシニアエディター)がGetty Vocabularyの構想・活用の現状を、またソフィ・チェン氏(台湾中央研究院歴史語言研究所助研究員)が語彙の多言語化について講演したのち、日本の関係機関者から人名情報のほか、企業分野情報、現代美術情報、Linked Open Data運用が報告されました。パネルディスカッションでは、Getty Vocabularyへの日本からの貢献などについて議論されました。また平成30(2018)年6月18日には、ワード氏を当研究所にお招きし、国立歴史民俗博物館、奈良文化財研究所、東京国立博物館の担当者と、日本における文化財関連の標準語彙のあり方について協議しました。これらを通じて、日本において標準語彙データベースを生成している機関による連携の可能性を共有する機会となりました。

文化財データベースにおけるWordPressの利用について―WordCamp Osaka 2018への参加

発表の様子

 東京文化財研究所では、平成26(2014)年にWebコンテンツの管理システムであるWordPressを利用し、文化財情報データベースを大幅にリニューアルいたしました。WordPressは、現在、世界中のWebサイトの約30%で利用されているオープンソースのシステムです。その公式のイベントであるWordCampは、昨年度だけで48の国と地域で128回開催されました。この度、平成30(2018)年6月2日に大阪で開催されたWordCamp Osaka 2018(https://2018.osaka.wordcamp.org/)にて「WordPressで作る文化財情報データベース」と題し、小山田智寛、二神葉子、三島大暉の三名による共同発表を行い、文化財情報データベースとしてWordPressを利用するためのカスタマイズや運用について報告いたしました。発表後、地方自治体や研究機関のシステムを手掛ける方々から、多くの質問をいただき、活発な情報交換を行いました。
 研究所の業務は一つ一つが他に類例のない特異なものです。そのため、その成果を蓄積し、発信する情報システムにも、独自性が求められます。今後は、研究成果だけでなく、情報システムの開発や運用で蓄積した知見についても積極的に公開して参ります。

近世土佐派の画法書を読む――文化財情報資料部研究会の開催

研究会の様子
土佐光起・光成筆「秋郊鳴鶉図」東京国立博物館 http://webarchives.tnm.jp/

 平成30(2018)年6月26日の文化財情報資料部月例の研究会では、“土佐光起著『本朝画法大伝』考―「画具製法并染法極秘伝」を端緒として―”と題し、下原美保氏(鹿児島大学)をコメンテーターにお招きして、小野真由美(文化財情報資料部)による発表が行われました。
 土佐光起(1634~54)は、ながく途絶えていた宮廷の絵所預に任ぜられたことから、「土佐家中興の祖」とされる絵師です。光起は、伝統的なやまと絵に、宋元画や写生画などを取り入れ、清新で優美な作品を多くのこしました。
 『本朝画法大伝』(東京藝術大学所蔵)は、光起が著した近世を代表する画法書のひとつです。今回、同著の彩色法について、狩野派の画法書『本朝画伝』(狩野永納著)や『画筌』(林守篤著)、狩野常信による写生図(東京国立博物館所蔵)との比較を行いました。たとえば、「うるみ」という色彩について光起は、「生臙脂ぬり、後に大青かくる」と伝えますが、狩野派の画法書では胡粉を混色する異なる方法を記しています。そこで、常信の写生図を参照すると、「山鳩図」「葛図」に「うるミ」と注記があり、ヤマバトの足やクズの花の実際の固有色が、光起の伝える彩色法に一致することがわかりました。こうした比較から、『本朝画法大伝』が他の画法書にくらべて、実践的かつ具体的な内容であることがみえてきました。
 研究会においては、土佐派、住吉派、狩野派、そして日本画研究など様々な立場から、ご意見をいただきました。今後は、そうした諸研究者のみなさまと、同著の更なる読解をすすめ、江戸時代の画法についての考察を深めていきたいと考えております。

三木多聞氏関係資料の受贈

三木多聞氏(平成5(1993)年撮影)
三木氏が美術雑誌『三彩』平成3(1991)年12月号に寄稿した「‘91彫刻界の動き」の原稿と、その掲載誌面

 平成30(2018)年4月に89歳で亡くなられた三木多聞氏は近現代美術、とくに彫刻の分野を中心に旺盛な執筆活動を行なった美術評論家です。東京国立近代美術館、文化庁文化財保護部での勤務を経て、国立国際美術館、徳島県立近代美術館、東京都写真美術館の館長を歴任されました。
 このたび当研究所では三木氏が遺した、美術に関する手稿類を主とする資料を、郡山市立美術館学芸員の中山恵理氏の仲介でご遺族よりご寄贈いただくことになりました。新聞雑誌に寄稿した美術記事の原稿をはじめ、海外での視察を詳細に記したノート類や画廊で開催された展覧会の印刷物をまとめたスクラップブックなど、三木氏の業績にとどまらず、戦後美術の動向を知る上で貴重な資料が含まれています。今後は整理作業を経て、研究資料として閲覧・活用できるよう努めて参りたいと思います。

標津イチャルパの調査と地域の遺産

伊茶仁カリカリウス遺跡で行われた標津イチャルパの様子

 平成30(2018)年6月17日、標津町のポー川史跡自然公園内の国指定遺跡・伊茶仁カリカリウス遺跡においてアイヌの伝統的な儀式「イチャルパ」が執り行われ、無形文化遺産部の研究員も見学に訪れました。
 この標津イチャルパは、アイヌの和人に対する抵抗運動のひとつである寛政元(1789)年のクナシリ・メナシの戦いで処刑された23人のアイヌを供養するためのものです。標津アイヌ協会の主催で平成21(2009)年に始まり、今回で10回目を数えます。儀式では、前半で御神酒を神に捧げるカムイノミがおこなわれ、後半では亡くなった人を供養するイチャルパが行われ、最後に歌と踊りであるウポポとリムセが行われれました。
 標津イチャルパが行われた場所は、考古学的にはトビニタイ文化と呼ばれる時期(およそ9~13世紀)を中心に集落が営まれた伊茶仁カリカリウス遺跡であり、遺跡の前面に展開する標津湿原と併せて、現在ではポー川史跡自然公園として整備されています。厳密にいうと、伊茶仁カリカリウス遺跡の最盛期とクナシリ・メナシの戦いの起こった時期は一致しませんが、遺跡がこの地のアイヌの祖先たちによって営まれたものであると考えられることから、アイヌの伝統的儀式を復活させるにあたって、それを執り行う場として選ばれたようです。
 文化財の活用が求められている昨今において、標津イチャルパの事例は遺跡の活用の一例としてひとつのモデルケースとなりえるでしょう。というのも、遺跡が持つ無形的要素、すなわちアイヌの祖先の地という「文化的空間」を生かした形での活用がなされているからです。つまり遺跡の歴史的価値が、今日のアイヌの文化復興において文化資源として活用されている、とみることができます。
 一方で、伊茶仁カリカリウス遺跡の文化資源の価値は、ただアイヌにとってのみのものではありません。標津イチャルパにあわせて、現地では市民向けに「ポー川まつり」が開催され、カヌー体験や、学芸員による史跡ガイドツアー、縄文こども村などの各種のイベントが執り行われています。また教育の一環として、地域の小学生たちがイチャルパに参加するという試みも継続的に行われています。実際に標津町内においても、人口の大半はアイヌをルーツにもたない人たちですが、こうした人たちにとっても、遺跡が地域の文化資源として活用されているのです。また同時に、アイヌをルーツに持つ人たちと持たない人たちとが交流する場ともなっているのです。
 近年では、標津町をはじめとする道東1市4町(根室市・別海町・標津町・中標津町・羅臼町)が協力して、この地域の遺産を「日本遺産」としてノミネートしようという動きも進められています。伊茶仁カリカリウス遺跡は、その中でも主要な構成要素として位置付けられています。北海道という、多様なルーツを持つ人たちが共に暮らす地域において、地域の遺産というものをどのようにとらえていくのかは難しい課題でもありますが、このような標津町をはじめとする道東地域の動向については、今後も引き続き注目したいと考えています

シンポジウム「“ここ”の歴史へ -幻のジェットエンジン、語る-」

シンポジウムの様子(ICUアジア文化研究所提供)
会場に展示されたジェットエンジン部品(ICUアジア文化研究所提供)

 国際基督教大学アジア文化研究所・平和研究所と東京文化財研究所は、平成30(2018)年6月2日、同大学においてシンポジウム「“ここ”の歴史へ -幻のジェットエンジン、語る-」を開催しました。これは、平成27(2015)年に大学構内で発見されたジェットエンジン部品3点の文化財的な価値を広く共有すると共に、かつてこの部品を開発した中島飛行機株式会社の研究所の敷地につくられた国際基督教大学(以下、ICUという。)キャンパスの歴史を振り返ることに主眼をおいて行われたものです。
 シンポジウムは2部から構成され、第1部では高柳昌久ICU高等学校教諭が当該部品の発見の経緯と意義について発表したのに続き、東京文化財研究所と日本航空協会が平成29(2017)年に実施した文化財調査の成果を長島宏行元客員研究員が、今後の公開活用に資する参考情報を苅田重賀客員研究員が発表しました。そして、学生による映像作品の上映を挟んで、第2部では作家の奥泉光氏、加藤陽子東京大学教授、大門正克横浜国立大学教授が、それぞれの観点から、ジェットエンジン、多摩地区さらには第二次世界大戦の歴史を考えるための貴重な視点を提供し、最後に会場からの質問をもとに総合討論会が行われました。
 文化財を糸口として大学や地域の歴史を紐解き、その価値を多くの人に伝えながら、それが提起する問題について考察する。こうした教育・研究機関ならではの保存活用のあり方が、ICUを中心として、今後も引き続き検討されて行くことと思われます。

「トルコ共和国における壁画の保存管理体制改善に向けた人材育成事業」における研修「壁画保存に向けた応急処置方法の検討と実施」の開催

プラスターの仮止め作業
損傷図の作成

 文化庁より受託した標記事業の一環として、平成30(2018)年6月25日~28日にかけて、カッパドキア地域にある聖テオドラ(タガール)教会において、研修「壁画保存に向けた応急処置方法の検討と実施」を開催しました。第2回目となる本研修には、昨年度に引き続きトルコ共和国内10箇所の国立保存修復センターより30名の保存修復士に参加いただきました。
 本研修は、トルコ共和国の壁画を保存していくうえで重要となる応急処置のあり方を見直し、そのプロトコルを確立させていくことを目標にしています。今回の研修では、岩窟教会内に描かれた壁画を対象に、保存状態の観察記録や剥落の危険性を伴うプラスターの仮止め作業などを実施しました。また、研修の最終日には応急処置における使用技法および材料について討論会を開催しました。
 平成29(2017)年10月に開催した第1回目の研修では、壁画保存修復における基本的な概念について講義を行いましたが、その内容に沿う形で具体的な応急処置方法とは何かを考え、具体的な介入方法を実践することで、参加者からは本研修が目指す目的がよりクリアになったとの声が聞かれました。
 次回研修は平成30(2018)年10月の開催を予定しています。今後も引き続き現場研修を継続しながら技術の向上を目指すとともに、トルコ共和国における応急処置のプロトコル確立に向け、参加者全員で取り組んでいきます。

国際研修「ラテンアメリカにおける紙の保存と修復」の開催

装潢修理で用いる道具の説明
接着剤の講義と実習

 平成30(2018)年5月28日から6月13日にかけて、ICCROM(文化財保存修復研究国際センター)のLATAMプログラム(ラテンアメリカ・カリブ海地域における文化遺産の保存)の一環として、INAH(国立人類学歴史機構、メキシコ)、ICCROM、当研究所の三者で国際研修『Paper Conservation in Latin America: Meeting with the East』を共催しました。本研修は、INAHに属するCNCPC(国立文化遺産保存修復調整機関、メキシコシティ)を会場として2012年より開催しており、本年はアルゼンチン、ブラジル、コロンビア、キューバ、メキシコ、パラグアイ、ペルー、スペインの8カ国から11名の文化財修復の専門家が参加しました。
 当研究所は研修前半(5月29日-6月5日)を担当し、当研究所の研究員と国の選定保存技術「装潢修理技術」保持認定団体の技術者を講師とし、講義と実習を行いました。日本の修復技術を海外の文化財へ応用することを目標に、装潢修理技術に用いる材料、道具、技術をテーマに講義、実習を行いました。実習は当研究所で数ヶ月間装潢修理技術を学んだCNCPCの職員と共に遂行しました。
 研修後半(6日-13日)は西洋の保存修復への和紙の応用を主題に、メキシコとスペイン、アルゼンチンの文化財修復の専門家が講師を担当し、材料の選定方法や洋紙修復分野への応用について講義と実習を行いました。これらの講師は過去の当研究所の国際研修へ参加しており、国際研修を通じた技術交流が海外の文化財保護に貢献していることを改めて確認することができました。

第42回世界遺産委員会への参加

「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」に関する審議の様子
バーレーンの世界遺産「カルアト・アル-バフレーン-古代の港とディルムンの首都」

 平成30(2018)年6月24日~7月4日にかけて、バーレーンの首都マナーマで、第42回世界遺産委員会が開催されました。本研究所の職員も参加し、世界遺産条約をめぐる様々な議論についての情報を収集しました。
 世界遺産一覧表への記載に関する審議では、昨年に引き続き、諮問機関の勧告を覆して委員会で記載が決議される事例が目立ち、世界遺産一覧表に記載された19件の資産のうち、7件は諮問機関が登録には至らないと判断したものでした。特に、今年は諮問機関が不記載を勧告したにもかかわらず、世界遺産委員会で記載が決議された資産もあり、オブザーバーとして参加した複数の締約国が、委員会の姿勢を専門性軽視であると非難しました。
 諮問機関の勧告を覆すことの問題はそれだけではありません。推薦資産の守るべき価値や適切な登録範囲の設定を妨げ、記載後の資産の保全管理に支障をきたしかねず、強引な記載の代償を払うのは締約国自身です。こうした事態をうけ、諮問機関や世界遺産センターは、推薦の評価の過程での締約国との対話を通じ、相互理解と推薦内容の改善に向けた努力をしてきました。しかし現在までのところ、成果が十分に出ているとは言えないようです。
 そうした中で、日本が推薦した「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は、諮問機関が登録を勧告し、委員会でも満場一致で記載を決議しました。同資産は平成27(2015)年に一度推薦書が提出されたものの、諮問機関からの指摘を踏まえて推薦を取り下げ、2年かけて推薦書を練り直しました。多大な労力を要するにもかかわらず、再推薦の道を選び、記載を実現したことで、日本の世界遺産条約の履行への真摯な取り組みが高く評価されています。

展覧会「記録された日本美術史―相見香雨、田中一松、土居次義の調査ノート展―」の開催

展覧会のパンフレット表紙
実践女子大学香雪記念資料館での展示風景

 東京文化財研究所ではかつて当研究所に在籍していた研究職員の資料の収集し、研究アーカイブとして活用しています。このたび実践女子大学香雪記念資料館と京都工芸繊維大学美術工芸資料館の共同主催による展覧会「記録された日本美術史―相見香雨、田中一松、土居次義の調査ノート展―」において、当研究所所蔵の田中一松(1895〜1983)のノート、調書、写真など約70点の資料を初公開致しました。この展覧会では、相見香雨(1874〜1970)・田中一松・土居次義(1906〜91)という、明治から昭和にかけて日本美術史研究をリードした3人の研究者の調査ノート類を一堂に出陳しています。展示を通じて、先人の研究者がどのように作品を見て、記録していくかを追体験するという企画です。田中は幼少期から絵が巧みで、生涯にわたる作品のスケッチの見事さは筆舌に尽くし難く、現在のデジタル全盛の時代でも、手で記録を取ることの重要さを教えてくれます。東京の実践女子大学での展示は平成30(2018)年5月12日から6月16日の32日間に計953人の来場者にご高覧頂き、好評のうちに閉幕致しました。京都工芸繊維大学での展示は平成30年(2018)年6月25日から8月11日の日程で開催されます。

明治大正期書画家番付データベースの公開

「明治大正期書画家番付データベース」一覧ページ
「書画家人名データベース」の「黒田清輝」のページ。画面下部に関連画像が表示される。

 このたび、当研究所では明治大正期に刊行された書画家番付61点のデータベース(http://www.tobunken.go.jp/
materials/banduke)を公開いたしました。このデータベースは、美術史家、青木茂氏のコレクションを元に、特定研究江戸のモノづくり(計画研究A03「日本近代の造形分野における「もの」と「わざ」の分類の変遷に関する調査研究」)の成果として平成16(2004)年に作成された、専用アプリケーションのためのデータベースを再構成したものです。
 再構成にあたっては、特定のアプリケーションに依存しないよう、汎用的な技術を用い、さまざまな機器から利用できるよう注意しました。さらに、細部の判読性を考慮し、高解像度での再撮影を行いました。
 また、当初より人名と分類がデータ化されていることを活かし、人名を中心としたデータベース(http://www.tobunken.go.jp/
materials/banduke_name)を新たに作成し、当研究所所蔵の画像資料へリンクいたしました。番付は単体では人名のリストにすぎませんが、その周辺に多くの存在を予感させます。リンクされた画像資料からその一端を感じていただければ幸いです。
 最後になりますが、青木茂氏をはじめ当初のデータベース作成に関わられた方々、そして現在の本資料の所蔵館である神奈川県立近代美術館および同館学芸員の長門佐季氏に感謝申し上げます。

カリフォルニア大学ロサンゼルス校におけるアーカイブズの収受・保存・提供をめぐって――文化財情報資料部研究会の開催

研究会の様子
ヨシダ・ヨシエ文庫ファインディングエイドの一部

 平成30(2018)年5月23日に開催された文化財情報資料研究会は、「カリフォルニア大学ロサンゼルス校におけるアーカイブズの収受・保存・提供―ヨシダ・ヨシエ文庫を例に 」と題して、橘川が発表を行いました。発表者は、本年2月、カリフォルニア大学ロサンゼルス校において日本人評論家であるヨシダ・ヨシエの文庫が開設したことを機に、同校のアーカイブズ収受・保存・提供に関わる部署の視察、各関係者との協議を行いました。この発表では、現地での視察・協議を踏まえ、UCLAやその図書館群の概要、アーカイブズの取り扱いを報告するとともに、アーカイブズをめぐる予算規模、人員配置に恵まれない国内機関における、より効果的な方法について検討するものでした。研究会には、所外からUCLAへの寄贈に携わった嶋田美子氏、ヨシダ・ヨシエと関わりの深い画家の美術館「原爆の図・丸木美術館」の岡村幸宣氏らにご参加いただき、発表後のディスカッションで専門の立場から意見が交わされました。戦後日本美術を牽引した作家や関係者が鬼籍に入りはじめた昨今、そのアーカイブズを散逸させず、永続的な機関でアクセスを担保することについて、当研究所がその役割の一端を担うことへの期待も、改めて寄せられました。

虚空蔵菩薩像・千手観音像(東京国立博物館)の共同研究調査

蛍光X線分析による彩色材料分析

 東京文化財研究所は東京国立博物館と共同で、同館所蔵の仏教絵画作品に関する光学的調査研究を行っています。この共同研究の一環として、平成30(2018)年5月22、23日に、虚空蔵菩薩像及び千手観音像を対象に、高精細カラー画像の分割撮影と蛍光X線分析による彩色材料調査を行いました。平安時代後期の代表的な仏画作品は、特に洗練された美意識と高度に発達した表現技法によって描かれており、その繊細優美な描写は重要な特徴と言えます。これまでの調査研究で、平安仏画の高精細カラー画像、近赤外線画像、蛍光画像などを取得しましたが、さらに今回の蛍光X線分析では、尊像の顔、身体、着衣、装飾品、持物、光背、天蓋、背景など主要な部分の彩色材料を網羅的に調査しました。今回得られた分析結果は、それぞれの作品を理解するために有益であるばかりか、日本美術史研究全体においても重要な指標となります。今後、さらなる調査の実施とその結果の検討を行い、平安仏画の研究資料として公開する準備を進める予定です。

大韓民国国立無形遺産院との研究交流

復元された済州島の碾磨と碾磨小屋
国立無形遺産院での研究発表会の様子

 東京文化財研究所無形文化遺産部は平成20(2008)年より大韓民国の国立無形遺産院と研究交流をおこなっています。本研究交流では、それぞれの機関のスタッフが一定期間、相手の機関に滞在し研究をおこなうという在外研究や、共同シンポジウムの開催などをおこなっています。本研究交流の一環として、平成30年(2018)年4月23日から5月7日までの半月間、無形文化遺産部音声映像記録研究室長の石村智が大韓民国に滞在し、在外研究をおこないました。
 今回の在外研究の目的は、植民地時代の朝鮮半島において日本人研究者がおこなった人類学・民俗学的研究の動向を調査し、その今日的意味を批判的に問い直すというものです。今回の研究では特に、京城帝国大学助教授として終戦まで朝鮮半島で活動し、帰国後に東京大学で日本初となる文化人類学研究室の設立に携わった、泉靖一教授(1915-1970)の足跡をたどる調査をおこないました。
 在外研究の期間の前半は、泉が1930年代と60年代に調査をおこなった済州島を訪れ、泉が実際に調査に入った村落を訪れて聞き取り調査をおこなうなどの調査をおこないました。その結果、済州島の社会は昭和23(1948)年から昭和29(1954)年まで続いた四・三事件の影響で大きく変容し、村落の住民もほとんどが入れ替わってしまうほどであったことがわかりました。しかし幸いにも今回、泉が最初に調査をした30年代からずっと同じ村落に住み続けている老人に会うことができ、村落の変容の具体的な様相を明らかにすることができました。また泉は自身の調査を通じて、製粉のための碾磨(ひき臼)を共同所有する複数の家族が済州島の社会集団を構成する一単位であるとみなし、それを「碾磨集団」と定義しました。しかし今回の調査を通じて、碾磨の使用は50年代から60年代にかけてほぼ消滅し、その背景には社会変化だけでなく製粉作業の機械化の影響があることも分かりました。
 在外研究の後半では、国立無形遺産院がある全州に滞在し、国立無形遺産院のスタッフたちと交流を深めつつ済州島の調査内容を整理し、その成果を研究発表会で報告しました。
 今回の在外研究を通じて、戦前・戦後の時期を通じて済州島をはじめとする大韓民国の社会が大きく変容したこと、そして過去の人類学・民俗学的調査の資料は、そうした変容過程を理解する上でも、今日的な意義を持っていることを確認することができました。
最後に、今回の研究交流において、調査のサポートをしてくださった李明珍さん(国立無形遺産院)と李德雨さん(神奈川大学)に感謝いたします。

「ネパールの被災文化遺産保護に関する技術的支援事業」による現地派遣(その10)

アガンチェン寺屋根の瓦葺仕様調査
サンクーにおける歴史集落保全に関するワークショップ

 昨年度より引き続き、標記事業を文化庁より受託してネパールへの技術支援を実施しています。本年は既に2・3・4・5月にそれぞれ現地調査ミッションを派遣しました。
 カトマンズ・ハヌマンドカ王宮内アガンチェン寺周辺建造物群の修復に関しては、これまでに仕上げ塗層を剥離し終えた内壁の煉瓦積み面を対象に、詳細な仕様や改造痕跡等の調査を行いました。一見同じような煉瓦積みでも年代によって材質や寸法、工法等が異なり、壁体や開口部を改変した箇所にはその痕跡が遺されています。上部から崩落した瓦礫等で塞がれていた亀裂部も清掃して観察を行った結果、17世紀の創建以来度々加えられてきた各種の増改築の履歴を辿る手掛かりを数多く得ることができました。また、この過程で未知の壁画の存在が明らかになるなど、今後の調査でさらに解明すべきテーマも増えつつあります。王宮内でも特に重要な建物として後世の改築部でも非常に手の込んだ仕事がされていることや、過去の歴史を知るための物的証拠としての価値の高さについてもさらに認識を深めているところです。
 JICA派遣専門家のもとで修復工事に向けた準備が進められており、そのための具体的な工法検討やネパール側関係機関との協議等にも協力しています。手続き面での様々な困難からまだ着工に至っていない現状ですが、上記のような文化遺産としての価値を最大限に保存できるようにチーム一丸となって努力していきたいと思います。
 他方、カトマンズ盆地内の歴史的集落保全に関する協力も継続しています。平成30(2018)年5月には、歴史的街区や集落を所管する各市行政の担当者が集まるワークショップを世界遺産暫定リスト記載ながら地震で甚大な被害を受けたサンクー集落で開催しました。歴史的水路網の保全をテーマに、6市からの参加者が都市計画の専門家を交えて各市における現状や課題を議論し、6項目の提言をまとめました。この成果は今回参加が叶わなかった市の関係者にも共有される予定で、各歴史的集落の保全にとっての一助となることが期待されます。

シリア人専門家を対象とする紙文化財保存修復研修の実施および同国文化遺産関連資料の提供

紙文化財保存修復研修
シリア文化遺産関連資料の提供

 中東のシリアでは平成23(2011)年3月に紛争が始まり、終結をみないまま既に7年の月日が経過しています。人的被害のみならず、紛争の被害は貴重な文化遺産にも及んでいます。
 日本政府とUNDP(国連開発計画)は、平成29(2017)年から文化遺産分野においてシリア支援を開始し、平成30(2018)年の2月からは、奈良県立橿原考古学研究所を中心に、筑波大学や帝京大学、早稲田大学、中部大学、古代オリエント博物館などの学術機関がシリア人専門家を受け入れ、考古学や保存修復分野に関するさまざまな研修が始まっています。
 東京文化財研究所も、平成30(2018年)5月15日から30日までの2週間にわたり、シリア人専門家2名を日本に招聘して紙文化財の保存修復に関する研修を実施しました。国立国会図書館および国立公文書館の協力のもと行ったこの研修では、文書資料や書籍などの基本的な修復方法や保存方法を学んでもらいました。
 一方、平成30(2018)年1月には、シリア北西部にあるシロ・ヒッタイト時代の神殿址アイン・ダーラ遺跡が空爆され深刻な被害が生じたというニュースが報道されました。この遺跡では、平成6(1994)年から平成8(1996)年にかけて、東京文化財研究所が保存修復事業を行っていました。そこで、この事業を率いた西浦忠輝名誉研究員から当時の関係資料を提供いただき、今後の同遺跡の修復に役立ててもらうべく、上記研修に招聘したシリア人専門家を通じてシリア古物博物館総局に提供しました。また、併せて東京文化財研究所が所蔵する、和田新が昭和4(1929)年から翌年にかけてアレッポやダマスカス、パルミラなどを撮影した貴重な古写真のデータも提供しました。

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