研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『TOBUNKEN NEWS (東文研ニュース)』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。

東京文化財研究所 保存科学研究センター
文化財情報資料部 文化遺産国際協力センター
無形文化遺産部


森鷗外と帝室博物館―令和8年度第1回文化財情報資料部研究会の開催

研究会の様子
『絶代至宝帖』(1919年刊)より
『絶代至宝帖』は東京帝室博物館での「十大仏画」展の開催を受けて刊行された平安仏画の豪華画集で、森鷗外が序文を寄せています。

 森鷗外(1862~1922)といえば、「舞姫」や「山椒大夫」「高瀬舟」といった名作を生み出した文豪として、その名を知られています。小説家として活動する一方で、陸軍の軍医としての地位も極めた鷗外ですが、晩年の4年間に帝室博物館(現在の国立博物館)の総長を務めたことはあまり知られていないかもしれません。
 4月24日の文化財情報資料部研究会では、長らく東京国立博物館に勤められ、現在は当研究所客員研究員の田良島哲氏に「大正期の帝室博物館経営と総長森鷗外 展示と「国際化」を中心に」の題でご発表いただきました。鷗外が帝室博物館総長に就任したのは大正6(1917)年12月、当時の博物館は時代遅れの「高等物置」と揶揄され、運営の「積弊」が指摘される状況にありました。新風を吹き込むことを期待された鷗外は、展示の改革や博物館の国際化を試みます。各時代の風俗を可視化するような展示のあり方を模索する一方で、平安仏画の名品を一堂に集めた「十大仏画」展の開催に尽力。また英国画家フランク・ブラングィンの銅版画を受贈し、オズワルド・シレンやラングドン・ウォーナーといった欧米の美術史家の来訪を受けています。田良島氏の発表では、こうした帝室博物館での鷗外の事績が雑誌記事や関係者の日記・回想を通して明らかにされ、従来の鷗外像に再考を促すものとなりました。


『タイ所在日本製漆工品に関する調査研究(3)―日本製漆工品と漆工材料調査』-の刊行

『タイ所在日本製漆工品に関する調査研究(3)―日本製漆工品と漆工材料調査』表紙
報告書所載の図版(バンコク国立博物館所蔵 黒漆蒔絵扇形葉巻入箱)

 東京文化財研究所は、平成3(1992)年以来タイ王国文化省芸術局と共同で、タイに所在する文化財の調査研究を実施してきました。平成23(2011)年からは、バンコクの王室第一級寺院ワット・ラーチャプラディットの日本製漆扉部材に関する調査研究や、芸術局が行う漆扉部材の本格修理への技術的な支援を行っています。
 この漆扉部材のほか、タイには図書館、博物館、寺院、宮殿など様々な場所に日本製漆工品があります。また、漆工に関する日タイ両国の交流は物品にとどまらず、20世紀の初頭には複数の日本人の漆工専門家がタイに渡り、王室関連の什器や調度などの制作や修理を行いました。
 令和8(2026)年3月に刊行した標記の報告書には、第4期中期計画(令和3年度~令和7年度)の活動のまとめのほか、芸術局と共同で実施した様々な調査に関する報告を掲載しました。これらの報告には、ワット・ラーチャプラディットの漆扉部材に関する知見をいっそう深めるために令和6(2024)年に日本とタイで実施した、漆工材料調査に関する調査、日本の漆工品にも古くから影響を与えた北部タイの漆工品の調査、王室第一級寺院ワット・ボウォンニウェート、バンコク国立博物館及び国立博物館中央収蔵庫の日本製漆工品に関する調査や、タイで活動した日本人漆工専門家のひとりである三木栄(1884–1966)がその柄に蒔絵をほどこした、儀式用うちわに関する調査の成果が盛り込まれています。
 本報告書は東文研資料閲覧室のほか、都道府県図書館等でご覧いただくことが可能です。令和9(2027)年は日本とタイとの外交関係の樹立から140年の記念の年でもあり、両国の交流に関する調査研究を一層深めてまいりたいと思います。


2025年度保存科学研究センター新規導入・更新機器

 保存科学センターでは、令和7(2025)年度に「紫外可視近赤外分光光度計」「大型真空凍結乾燥機」を新規導入し、「顕微赤外分光光度計」を更新しました(図1)。これらの機器についてご紹介します。
紫外可視近赤外分光光度計
 試料に光を照射すると、その構造によって光の吸収パターン(スペクトル)が変化しますが、それによって物質の構造や濃度を分析する装置です。文化財の業界においては、特に色の数値化でも多用されます。大型積分球と、ファイバー式の外部積分球も付属しており、様々な試料の分析が可能です。
顕微赤外分光光度計(更新)
 赤外分光光度計は、特に有機物の構造解析においては最も基本となる分析装置と言えます。例えば、紙の接着に用いられている糊の種類・繊維製品の繊維の種類・文化財に付着してしまった汚染物質などを分析する際には、まず赤外分光分析を行うことが多く、保存科学研究センターにおいて最も利用頻度が高い分析機器です。通常の赤外分光分析に加え、顕微赤外分光分析も可能であり、大きさが数µm程度しかないような微小な資料でも分析可能です(図2)。
大型真空凍結乾燥機
 真空凍結乾燥(フリーズドライ)は、凍らせた水分を昇華させることで、変形を少なく資料を乾燥させる装置です。水害等で濡れてしまった文書資料も、効率よく安全に乾かすことができます。今回導入された大型真空凍結乾燥機は、多くの被災資料を一度に処理できるため、文化財防災の現場での活用が期待されます。 
 これらの装置を用いて文化財分析を今後も進めていきます。


図1 新規導入・更新機器の写真

A:紫外可視近赤外分光光度計

B:顕微赤外分光光度計

C:大型真空凍結乾燥機

図2 顕微赤外分光光度計による繊維分析

JIS L 0803準拠の多繊交織布の一部をマッピングした結果。この領域は、経糸はPET繊維、緯糸はレーヨン・アクリル・絹からなっているが、きれいなマッピングができている。この分析は反射分析で実施した。更新前の従来の機器ではこのような分析は困難であったが、装置の進歩により非接触非破壊での分析性能が可能となり文化財分野においては非常に有益である。


旧機那サフラン酒製造本舗土蔵鏝絵の保存修復に係る調査研究(その3)

機那サフラン酒製造本舗鏝絵蔵全景
良好な状態が確認された鏝絵

 東京文化財研究所では、「スタッコ装飾及び塑像に関する研究調査」の一環として、新潟県長岡市に所在する旧機那サフラン酒製造本舗土蔵鏝絵の保存修復に関する調査研究を継続して行っています。令和6(2024)年度までに、鏝絵を構成する漆喰に対する無機修復材料を用いた補強処置および補彩技法の検討を進め、その成果をもとに保存修復を実施しました。
 これを受け、令和8(2026)年4月20日から23日にかけて、処置後の保存状態を確認するため現地調査を行いました。本鏝絵は、日本海側特有の高温多湿な夏季環境に加え、冬季には積雪や凍結の影響を強く受ける、過酷な条件下に置かれています。今回の調査では、補強処置を施した箇所を中心に詳細な観察を行いましたが、鏝絵自体に大きな損傷や新たな剥離・剥落は認められず、無機修復材料による補強が良好な状態が維持されていることを確認しました。
 本鏝絵に対しては、従来も損傷に応じた修理が繰り返し行われてきました。しかし、その多くは応急的な補修にとどまり、とりわけ合成樹脂系材料を用いた処置では、その後の経年劣化によって硬化や変色を生じて鏝絵自体に負担を与える結果に至った箇所も確認されました。これに対し、本研究では、文化財としての価値を長期的に守り伝える「保存修復」という理念に基づき、地域特有の気候環境や材料特性を考慮した恒久的処置方法の確立を目指しました。特に、耐久性と安定性に優れた無機修復材料の使用は、国内の鏝絵保存修復においては初めての本格的導入事例であり、今回の経過観察によって、その有効性を示す重要な知見が得られました。
 今後も継続的に経過観察を行いながら、さらに検証を重ねていく予定です。本研究の成果が、国内各地に残る鏝絵文化財の保存修復に向けて、新たな指針の一つとなることを期待しています。


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