研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『TOBUNKEN NEWS (東文研ニュース)』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。

東京文化財研究所 保存科学研究センター
文化財情報資料部 文化遺産国際協力センター
無形文化遺産部


セインズベリー日本藝術研究所との研究協議

研究協議の様子

 令和7(2025)年8月5日、イギリス・セインズベリー日本藝術研究所(SISJAC)の所長サイモン・ケイナー氏と研究員であるユージニア・ヴォグダノワ氏が東京文化財研究所を来訪し、共同研究「日本芸術研究の基盤形成事業」に関する協議を行いました。平成25(2013)年から開始した本事業では、SISJACの職員からイギリスを中心とした日本国外における日本美術研究に関する文献や展覧会情報を、総合検索(https://www.tobunken.go.jp/archives/)に提供してもらっているほか、文化財情報資料部の研究員が毎年イギリスを訪れて講演会やワークショップ、作品調査を行っています。
 今回の研究協議ではデータベース事業の報告のほか、12月に予定されている研究員の訪英について話し合いました。協議の後半では、データベース事業を担当しているSISJAC職員のマシュー・ジェームズ氏がイギリスからオンラインで参加し、日本国外における情報収集の方法や基準、またデータの入力方法について具体的に検討することができました。移動が制限されたコロナ禍の3年間は渡英や訪日が叶わず、研究協議は主にオンラインで行なっていました。現在は職員同士の対面での研究交流を再開することができましたが、特に海外の連携機関とはオンラインを併用して協議を行うなど、今後も利便性を図りつつ交流を続けてまいります。


松島健旧蔵資料の公開

資料の一部
手書きノート

 東京文化財研究所では、かつて在籍した職員や研究者の文化財研究に関わる資料を収蔵し、その整理と公開に努めています。令和5(2023)年に寄贈を受けた故・松島健氏の資料もそのようなOB・OG資料のひとつであり、この度整理が終わってすべての資料を公開いたしました(松島健旧蔵資料 :: 東文研アーカイブデータベース)。仏教彫刻史を専門とした松島健氏は文化庁美術工芸課主任文化財調査官を経て東京国立文化財研究所情報資料部長を務めましたが、病のため1998年に逝去されました。ご遺族から資料の寄贈を受けて以来、少しずつ整理を進めておりましたが、この度すべての資料を公開する運びとなりました。その内容は文化庁時代に松島氏が携わった文化財指定の資料や修理記録、研究資料、紙焼き写真、仏像の調査記録、直筆の研究ノート等、文化財行政官としてあるいは彫刻史研究者としての営為を示すものです。寄贈された当初から資料の大部分は分類され、あるいは年代ごとにファイルに収められており、また、制作年代の判明する仏教彫刻を自ら年表としてまとめた手書きノートなどからは研究者としての松島氏の几帳面かつ真摯な人柄が偲ばれました。研究者が遺したこのような資料群には貴重かつ唯一無二の情報が含まれていますが、ともすると管理・公開する場に恵まれず、最悪の場合は廃棄されてしまうことがあります。東文研は創設期から美術資料のアーカイブ構築を使命としてきた機関であり、人手や予算は決して潤沢ではありませんが、これからも研究資料の蒐集と公開に取り組んでまいります。


長谷川公茂氏旧蔵円空資料の寄贈

資料の一部
資料整理の様子

 長谷川公茂氏(1933〜2023)は、在野の研究者として江戸時代の仏師・円空の研究に生涯に亘って取り組み、長く円空学会の理事長を務めました。円空(1632〜95)は修験道の僧侶として全国を行脚し、訪れた土地で造った仏像は現在でも全国に数千体が残されています。長谷川氏の没後にご遺族から寄贈の相談を受けて、文化財情報資料部の米沢玲が奈良国立博物館の三田覚之氏とともに資料の整理のために定期的に愛知のご自宅を訪れて作業をしてきましたが、令和6(2024)年10月に正式に寄贈を受けたのち、このたびすべての資料を受け入れることができました。全国の円空仏を訪ね歩き、写真撮影や調査記録の作成を続けてきた長谷川氏のご自宅には膨大な資料が遺されていました。入手が困難な文献資料や各地の円空仏の写真資料はもちろん、中には盗難などによって失われた作品の写真も含まれており、円空研究においてまさに一級の資料群といえます。整理作業には東京文化財研究所の江村知子、田代裕一朗、黒﨑夏央、そして関西学院大学の大﨑瑠生氏が参加した他、生前の長谷川氏と円空研究を共にした舩橋昌康氏、加藤奨氏、落合克吉氏にご協力をいただきました。多くの人に活用していただくためにも、これから数年をかけて資料の整理に取り組み、円空アーカイブとして公開できるよう務めてまいります。


スーダン共和国の文化遺産保護に係るワークショップとシンポジウム

ワークショップの様子
シンポジウムの様子

 東京文化財研究所は文化庁文化遺産国際協力拠点交流事業を受託し、令和7年(2025年)度に「スーダンの文化遺産専門家等の能力強化ワークショップ事業」を実施しています。このたび本事業の一環として、8月13日から16日にかけて東京文化財研究所で4日間のワークショップを実施するとともに、16日午後には関連シンポジウムとして「紛争下の被災文化遺産と博物館の保護―スーダン共和国の事例から」を開催しました。
 スーダン共和国では2023年4月に武力紛争が勃発し、今なお多くの文化遺産や博物館が危機的な状況にさらされています。こうした武力紛争下にある文化遺産を守るために、スーダンと日本の文化遺産専門家がどのように協力出来るかを議論することが、本事業の目的です。
 本事業では、スーダン人専門家3名と、イギリス人専門家1名を日本に招へいし、日本側からは6名の専門家が参加しました。4日間のワークショップでは、スーダンの文化遺産の現状についての情報が共有されるとともに、その保護に必要な国際支援の具体的な方法について議論が行われました。
 関連シンポジウムは、ICOM 日本委員会と日本イコモス国内委員会の共催で行われました。そこではスーダン人専門家3名によるスピーチに加え、5名の日本人発表者から武力紛争下における文化遺産保護と国際協力のための提言がなされました。本シンポジウムには一般に公開され、70名の参加者がありました。参加者からは、日本ではほとんど知られていないスーダンの状況を知ることが出来る良い機会であったとの意見を多く聞くことが出来ました。
 現地での状況は未だに予断を許しませんが、一方で博物館の復興をはじめとしたさまざまな取り組みも始まっています。本研究所も引き続き、スーダン共和国の文化遺産保護の国際協力事業を行っていきたいと考えています。


「伝統的酒造り」の調査(日韓無形文化遺産研究交流)

酒蔵での聞き取り調査(奈良県御所市)

 東京文化財研究所の無形文化遺産部と大韓民国国家遺産庁無形遺産局は2008年より研究交流事業を継続的に実施しています。その中には、お互いのスタッフを相手方機関に二週間から四週間ほどの間派遣し、共同研究を行うという派遣交流事業もあります。令和7年(2025)度は韓国側から曹善映氏が7月14日から8月2日にかけて派遣され、日本の「伝統的酒造り」に関する共同研究を実施しました。
 日本では「伝統的酒造り」が2021年に国の登録無形文化財に登録され、その後2024年にユネスコの「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に記載されたことは記憶に新しいでしょう。韓国でも文培酒ムンベジュ(平安道地方の蒸留酒)、沔川杜鵑酒ミョンチョン・ドゥギョンジュ(忠清南道沔川地方の清酒)、慶州校洞法酒キョンジュ・キョドンポプチュ(慶尚北道慶州市の清酒)が保有者(保有団体)を認定する種目として、マッコリ造りが保有者(保有団体)を認定しない伝承共同体種目として、それぞれ国家無形文化遺産として指定されており、その保護と活用が進められているとのことです。
 現地調査は、福島県会津若松市と喜多方市、兵庫県西宮市、京都府京都市、奈良県御所市、および東京都内で行われました。そこでは実際に酒蔵や酒造会社を訪問して、酒造りに携わっている方々にインタビューを行い、伝統的酒造りのわざの現状や課題、展望について話を聞くことが出来ました。
 そうしたお話を伺う中で興味深かったことは、「伝統的酒造りといっても、機械化や自動化が出来るところは積極的に導入している。しかし味を調整するための判断は人間しか出来ない。人間が関わる部分は変わることはないし、それが伝統だと思っている」というお話を、訪れた先々で聞くことが出来たことでした。それは工場で大規模生産を行なっている酒造会社からも、十数名のスタッフで小規模生産を行なっている酒蔵からも、同じ話を伺うことが出来ました。
 私たちはともすれば「伝統」というものを、昔ながらの形を変えずに守っていくことと思いがちです。しかし無形文化遺産は現在も生きている遺産であり、変化していくことが継続につながっていることも多いのです。私たちはこの共同研究を通じて、あらためて無形文化遺産の本質について問い直す機会を得ることが出来ました。
 なお曹善映氏による調査成果は8月1日に東京文化財研究所にて口頭発表されました。今後、本事業の成果は報告書『日韓無形文化遺産研究報告』にまとめられる予定です。


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