研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『TOBUNKEN NEWS
(東文研ニュース)』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。
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研究会、呉景欣氏発表の様子
三水公平のスケッチより。右上に「十月 於ジョグジャカルタ」と記され、1942年10月にインドネシアのジョグジャカルタで描かれたものであることがわかります。
今年の4月から8月までの5か月間、米・ラトガース大学アソシエート・ティーチング・プロフェッサーの呉景欣(ウー・ジンシン/Wu, Chinghsin)氏が来訪研究員として当研究所を拠点に活動されました。近代美術を専門とする呉氏は2007年にも当研究所の来訪研究員として来日し、古賀春江を中心とする日本のシュルレアリスムについて調査研究を進めましたが、この度の滞在では、近代日本美術における台湾のイメージを研究課題として取り組みました。
7月17日には、呉氏と山梨県立美術館学芸員の森川もなみ氏の発表による文化財情報資料部研究会をオンライン併用で開催しました。呉氏は「近代日本画家の台湾における活動と画業の発展-木下静涯と同時代の日本画家たちの渡台前後の作品を中心に」のタイトルで発表、植民地時代の台湾で活躍した日本画家の木下静涯(1887~1988)や郷原古統(1887~1965)を取り上げ、渡台後の画題や画風にみられる変化について考察しました。森川氏の発表「三水公平の南方従軍スケッチ―戦時下における日本の占領地・植民地の記録」では、油彩画家・三水公平(1904~1997)による戦時下の従軍スケッチを紹介し、インドネシアやシンガポール、台湾、満洲等で制作されたスケッチに、日本の占領地の様子を視覚的に伝える歴史資料としての価値があることを指摘しました。発表後のディスカッションでは、戦前期の日本人画家による“南方”のイメージについて発表者の間で意見を交換、さらに所内外の研究者も交え、静涯や古統のとくに花鳥画に見られる画風や、戦時下の占領地における三水のスケッチの意義について議論を重ねました。
壁画のクリーニング前後の様子
作業風景
クリーニング後のアプシス
文化遺産国際協力センターでは、トルコ共和国のカッパドキアに位置する聖ミカエル教会(ケシュリク修道院内)を対象に、トルコ国内外の専門機関や大学と協力しながら内壁に描かれた壁画の保存修復に関する共同研究事業を進めています。
令和7(2025)年6月21日から7月15日にかけて現地調査を実施し、前年度の実地研究に基づいて策定した保存修復計画に従い、教会建築におけるアプシスを中心とした壁面のクリーニング作業および、身廊(しんろう)部分における剥落の危険性が高い漆喰層の補強処置を行いました。この教会の壁画は、100年以上にわたり厚い煤(すす)に覆われ、その全貌を目にした者はいません。今回のクリーニングにより、長年にわたり堆積した煤汚れを安全かつ慎重に除去した結果、壁画本来の色彩や細部の描写が鮮明に浮かび上がりました。これにより、当初の意匠や制作技法について詳細な検証が可能となり、壁画の制作年代や様式的特徴に関する新たな知見が得られました。なかでも、本研究を通じて体系化された保存修復の技術的アプローチが、実地作業を通じてその有効性を実証した点は、学術的・実務的に極めて意義深い成果であるといるでしょう。
本共同研究は、東京文化財研究所を中核機関とし、トルコ国内外の専門機関および大学との連携のもとに推進されている国際的な保存修復プロジェクトです。今回の作業においては、壁画の保存修復過程における状態把握を目的として、保存科学的手法や三次元計測技術を導入し、対象を科学的・物理的側面から多角的に検証しました。このように、複数の視点から対象を精緻に把握しつつ、壁画の特性に即した保存修復方法の確立を目指す本プロジェクトの取り組みは、トルコ国内においても前例のない先駆的事例として高く評価されており、大きな注目を集めています。今後も、こうした期待に応えるべく、文化財の保存と活用に資する有意義な活動を継続的に展開していきたいと思います。
第47回世界遺産委員会の会場となったユネスコ本部
第一会議場での審議風景
令和7(2025)年7月6~16日、第47回世界遺産委員会がパリのユネスコ本部で開催され、東京文化財研究所から3名がオブザーバーとして参加しました。今回の委員会は当初、議長国を務めるブルガリアでの開催予定でしたが、保安上の理由から準備途中で会場が変更となりました。
会議の冒頭、通常は形式的な議事の承認が進むところで、トルコによるNGO「ティグリス救済財団」のオブザーバー参加拒否や韓国による「明治日本の産業革命遺産」の委員会決議の履行に関する議題の追加要求が行われる、波乱の幕開けとなりました。議題の追加要求は、予定時間を大幅に超過して議論が尽くされましたが合意に至らず、委員国の秘密投票の結果、否決されました。一方、オブザーバー参加拒否は、ほぼ議論がないまま当該団体が参加者リストから抹消されたため、締約国からは委員国の対応を遺憾とする発言が相次ぎました。
登録遺産の保全状況では、56件の危機遺産を含む248件が審議され、3件が晴れて危機遺産リストから除外されました。近年の委員会では危機遺産リストに記載されたままの遺産の増加が問題視されており、危機遺産を脱するための締約国の取り組みが強く求められるようになっています。遺産の新規登録では31件が審議され、26件が登録となりました。このうち諮問機関が登録を勧告したのは16件で、委員会で勧告が覆される傾向が依然として続いています。ただし、保全状況等に関する勧告に従った修正を含めての登録も多く、諮問機関の評価と締約国の認識との乖離の解消に向けて一定の改善がみられたともいえます。今回の登録で、シエラレオネとギニアビサウが新たに加わり、196の締約国のうち世界遺産を保有する国は170となりました。登録遺産の地域的な偏りは世界遺産リストの代表性を損なうものとして委員会での積年の課題となっており、諮問機関によるギャップ分析の更新など不均衡を是正するための取り組みが続けられています。
このほか、ユネスコ日本信託基金の支援をもとに5月にナイロビで行われたアフリカの遺産のオーセンティシティに関する国際会議の成果文書が、賛否の分かれる議論を経て最終的に採択に至ったことは、今後の世界遺産の評価基準に変革をもたらす画期を予感させるものでした。
次回の世界遺産委員会は、来年7月に韓国・釜山で開催される予定です。当研究所では、今後も世界遺産をとりまく動向を注視し、関係する情報の収集と分析、発信に取り組んでいきます。