研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『TOBUNKEN NEWS
(東文研ニュース)』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。
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IIC2018トリノ大会での質疑応答の様子
平成30年(2018)9月10日から14日にかけて、IIC(International Institute for Conservation of Historic and Artistic Works)の大会がトリノ(イタリア)で開催されました。東京文化財研究所からは保存科学研究センター・犬塚将英が参加しました。
今回の大会では「文化財の予防保存」がテーマとして掲げられました。このため、大会中は文化財の保存環境、分析、修復等の各論にとどまらず、予防保存の重要性、そのために求められるリーダーシップ、公衆関与等についての活発な議論も行われました。
屋外に置かれている文化財のための予防保存についての議論を行うセッションでは、国内の装飾古墳の保存施設に見られる結露の問題とその対策に関する発表を犬塚が行いました。また、ポスターセッションでは、保存環境研究室が取り組んできました日本の博物館等の環境調査の歴史と現状に関する内容のポスターを掲示し、参加者との情報交換を行いました。
実習の様子 practical session
平成30年(2018)年8月27日~9月14日にかけて、国際研修「紙の保存と修復」を開催しました。本研修は平成4(1992)年より東京文化財研究所とICCROM(文化財保存修復研究国際センター)の共催で、海外からの参加者へ日本の紙本文化財の保存と修復に関する知識や技術を伝えることにより、外国の文化財の保護へ貢献することを目指しています。本年は38カ国80名の応募の内、アルゼンチン、イギリス、オーストラリア、カナダ、ザンビア、デンマーク、フィジー、フランス、ブータン、ポーランドの文化財保存修復の専門家10名を招きました。
研修は講義、実習、視察で構成されます。講義では日本の文化財保護制度や和紙の基礎的な知識、伝統的な修復材料や道具について取り上げました。実習は国の選定保存技術「装潢修理技術」保持認定団体の技術者を講師に迎え、紙本文化財の洗浄から巻子仕立てまでの修理作業を中心に、和綴じ冊子の作製や屏風と掛軸の取り扱いも行いました。研修中盤に行った所外の研修では、名古屋、美濃、京都を訪問し、歴史的建造物の室内における屏風や襖、国の重要無形文化財である本美濃紙の製造工程、伝統的な修復現場などを視察することができました。また、最終日の討論会では紙本文化財の修復材料やその選定などについて活発に議論がなされました。
本研修を通じて、参加者が日本の修復材料や道具だけでなく、和紙を使用した修復方法や技術についても理解を深め、それらが諸外国の文化財保存修復に応用されることが期待されます。
楽器製作実演
パネルトーク 左から前原恵美(東京文化財研究所)、橋本かおる(東京藝術大学)
公開学術講座の総括 左から谷垣内和子((社)芸能実演家団体協議会)、前原恵美、田村民子(伝統芸能の道具ラボ)、橋本英宗(丸三ハシモト株式会社)、石村 智(東京文化財研究所)
長唄「多摩川」演奏 左から大島早智、三井千絵、鈴木雄司、都築明斗
平成30(2018)年8月3日(金)、「伝統の音を支える技」を共通テーマに、「第12回東京文化財研究所 無形文化遺産部 公開学術講座」と「第24回東京三味線・東京琴展示・製作実演会」を、東京文化財研究所と東京邦楽器商工業協同組合の共催事業として開催しました。
午前は、東京邦楽器商工業共同組合の楽器製作者(箏、三味線)による製作のデモンストレーションと解説、演奏体験・質問コーナーがあり、参加者が楽器製作者と直接対話し、楽器の演奏法を習う貴重な機会となりました。昼休みには、無形遺産部で楽器製作・修理調査を行ってきた担当者が、実例を挙げながらパネルトークを行いました。午後は、公開学術講座として、3名の講演者が異なる立場から日本の伝統の音を支える技に関する問題を提起、課題への取り組みの報告を行ったのち、コメンテーターも加わって情報や問題を整理し、課題解決の糸口について意見を交わしました。最後に、新進気鋭の演奏家による長唄演奏で締めくくり、製作者、研究者、演奏家を繋いで伝統の技を取り巻く様々なレベルでの課題を共有することができました。
参加者は総計148名と盛況で、楽器や楽器に附属する物の製作者、ジャンルを越えた実演家、研究者や教育者、伝統芸能愛好家など多岐に亘り、伝統芸能を支える技に幅広い関心が集まっていると実感しました。今年度末に報告書を発行するとおもに、今後も、今回得られたネットワークを活かしながら芸能を支える技を多角的に調査し、その保存・継承に資する研究を継続する予定です。
分子模型を用いた有機溶媒に関する講義
汚れ除去の実習風景
装潢文化財(日本画・書跡等)の修理にあたっては、近年、自然科学的な知識が必要とされるようになってきています。平成30(2018)年7月31日-8月1日に修復技術者を対象に基礎知識の講義から実習形式までを含めた講習会を国宝修理装潢師連盟と共催で開催しました。基本的な実験器具・薬品の取り扱い方法のほか、有機溶剤や酵素等の特質を正しく理解し、より適切で安全な修復に活かすことを念頭にカリキュラムを組み、受講者が講義の内容を修復現場で実践できるよう、実用的な知識の習得を目的としました。今年度で3回目になります。
参加者は、国宝修理装潢師連盟に加盟している技術者の方の計11名でした。
保存科学研究センター長・佐野より「有機溶媒等の安全講習」について、生物化学研究室長・佐藤より「修理工房における文化財IPM」について、修復材料研究室長・早川から「接着剤や汚れ等の除去」についてそれぞれ講義を行いました。特に今年度は、適切な溶媒の選択のために、分子模型を使用した有機化学の講義を行い、二日目にその講義を踏まえて、実際に各種の汚損物質で汚された紙資料を用意し、適切な溶媒や酵素を使用して除去する実習を行いました。また、水で移動しやすい色材の上を一時的な保護材料としてシクロドデカンで保護する方法についても併せて実習で扱いました。実習には国宝修理装潢師連盟技師長・君島隆幸氏が講師として実技的な指導を行いました。
議論や質疑応答も活発にあり、このような形の講習を今後も引き続き開催していく予定です。
シンポジウムの様子
現地調査の様子。台北機廠鉄道修理工場内の鍛治工場に残された台工141号スチームハンマー(東洋鐵工所製作、昭和9(1934)年購入)
近代文化遺産研究室では、平成29(2017)年度から台湾の文化財担当者及び研究者と交流を行い、近代文化遺産の保存活用について、互いの経験と課題の共有を図りつつ、その解決に向けた研究を進めております。
その一環として、台湾文化部文化資産局と台湾中原大学の主催で平成30(2018)年8月17日に台北市にて開催された「近代化遺産の保存と推動計画に関する国際シンポジウム」に参加しました。シンポジウムには、日本の産業遺産、鉄道、機械分野を代表する専門家が講演を行い、東京文化財研究所からは近代文化遺産研究室長の北河が近代化遺産に係る文化財行政について講演を行いました。シンポジウムには、台湾の行政担当者、文化財所有者、大学研究者、市民団体などが数多く参加し、近代化遺産の保存活用の理念から手法に至る幅広い議論が展開されました。
シンポジウムに合わせて、台湾の研究者と共に、日本統治時代に建設された水利施設、工場、鉄道施設の保存活用の状況を確認し、その手法や課題について議論を行いました。中には、オートバイメーカーが電動アシスト機能を搭載したレールバイクを開発し、文化財として保護されている鉄道廃線跡の活用を図りながら施設運営も行う、という興味深い事例もありました。また、台中市にある台湾文化部文化資産局も訪問し、施局長らと日台の近代化遺産に係る文化財保護制度や保存活用の歴史、考え方について意見交換を行いました。
基礎編における日本の染織品に関する講義
応用編における染料に関する実習
海外所在の日本の染織品の保存と活用を目的に、日本の染織品の保存修復に関するワークショップを国立台湾師範大学と共同で開催しました。平成30(2018)年8月8日から10日に基礎編「Cultural Properties of Textile in Japan」を、8月13日から17日に応用編「Conservation of Japanese Textile」を、日本および台湾から保存修復技術者や染織品関連の研究者を講師に迎え、同大学の文物保存維護研究発展センターにおいて実施しました。基礎編には6カ国9名、応用編には5カ国6名の保存修復技術者、研究者、学生らが参加しました。
基礎編では日本の有形・無形文化財の保護制度をはじめ、服飾材料としての繊維や糸、日本の代表的な染織品に関する講義を行ったほか、着物を畳む、展示するといった実習も行いました。また、反物から着物がどのように作られているかを理解するため、和紙の着物モデルも作製しました。応用編の前半は染料を同定するための分析や、表面の清掃および洗浄を中心としました。後半は日本における保存修復処置方法の紹介として、古裂を絹布に縫い留める補強処置を行い、保存収納用のたとうを作製しました。両編において、様々な日本の染織品の展示事例や保存修復事例を共有し、染織品の素材や技法に加えて保存修復の材料や方法についても理解できるよう努めました。
在外の日本の染織品文化財の保存修復と活用のみならず、関連する無形文化財の保護にも寄与することを目指し、今後も同様の事業を実施していきたいと考えています。
平成22(2010)年4月から当研究所所長を務められた当研究所亀井伸雄氏が平成30(2018)年7月17日に胃がんの為、逝去されました。亀井所長は亡くなる直前まで当研究所の発展のためご尽力されました。亀井所長は、東京大学工学部建築学科を経て、同大学院工学系研究科博士課程都市工学専門課程を昭和48(1973)年3月に修了され、同年4月に文化庁文化財保護部建造物課技官となられました。昭和50(1975)年から奈良国立文化財研究所、昭和59(1984)年から奈良市教育委員会、平成15(2003)年4月から都城工業高等専門学校校長を務められた後、平成17(2005)年に文化庁に戻られて文化財鑑査官となり、平成20(2008)年に財団法人文化財建造物保存技術協会常務理事を務められました。文化庁では、登録文化財制度の普及に努められ、また、重要伝統的建造物群保存地区の選定、修理・修景に大きな役割を果されたほか、「ふるさと文化財の森構想」を開始して建造物の保存修理に必要な桧皮などの資材確保を図られました。平成7(1995)年1月17日の阪神淡路大震災にあたっては、主任調査官として被災文化財復旧事業においてリーダーシップを発揮されました。
平成22(2010)年4月から平成25(2013)年3月まで国立文化財機構理事・当研究所所長を併任され、理事ご退任後も所長を務められました。着任初年度末の東北地方太平洋沖地震に際しては、文化庁が立ち上げた被災文化財救援委員会委員長となり、全国から延べ6800名ほどが参加した2箇年におよぶ文化財レスキュー活動を成功に導かれました。
本務のほか平成29(2017)年から文化審議会文化財分科会長として、「文化財の確実な継承に向けたこれからの時代にふさわしい保存と活用の在り方について」の提言をまとめ、専門とする建造物のみならず、広く文化財全般の保護継承に尽力されました。
本年3月の文化財保護法改正など、文化財保護行政が変化していく中、亀井所長を失いましたことは大きな悲しみですが、故人の文化財保存継承への遺志を引き継いで参りたいと思います。
ワット・ラーチャプラディット拝殿の扉
研究会の様子
平成30(2018)年7月30日、本研究所において標記の研究会を開催し、11名の専門家による10件の研究発表が行われました。
タイ・バンコク所在のワット・ラーチャプラディットは、1864年にラーマ4世の発願により建立された王室第一級寺院です。同寺院の拝殿の窓と出入口の扉の室内側には、アワビなどの貝を薄く剥ぎ、基底材に接する側に彩色や線描、金属箔を施したものを用いる伏彩色螺鈿、及び漆絵により装飾された部材が使われています。この扉部材について、タイ文化省芸術局及び同寺院の依頼により、東京文化財研究所は平成24(2012)年からタイでの修理事業に対する技術支援を始めました。特に、平成25(2013)年~平成27(2015年)には2点の扉部材を日本に持ち込み、研究所内外の専門家と連携して詳細な科学的調査と試験的な修理を実施しています。
本研究会では、扉部材の透過X線撮影、顔料等の蛍光X線分析、漆塗膜や下地等の有機分析といった上記の科学的調査のほか、現地で実施した光学的調査や、漆絵による文様の図像の解釈に関する成果が報告されました。それらの成果を通じ、扉部材の装飾に用いられた技法や材料が明らかになるとともに、扉部材が日本製である証拠が示されています。また、この扉部材や、日本及びタイに所在する日本製の伏彩色螺鈿製品を対象に、製作技法に関する検討や、時期的な変遷に関する考察を行った成果も報告されました。
伏彩色螺鈿の技法が用いられたのは18世紀末~19世紀後半の比較的短期間に過ぎませんが、その系譜は明らかとは言えません。私たちは今後も、ワット・ラーチャプラディットの扉部材の修理事業への技術支援とともに、扉部材や伏彩色螺鈿に関する日タイ両国での調査研究を続けます。
調印式の様子
当研究所では、平成25(2013)年7月にイギリス・ノーフォーク県の県庁所在地ノリッジ(Norwich)にあるセインズベリー日本藝術研究所(Sainsbury Institute for the Study of Japanese Arts and Cultures; SISJAC)と5年間にわたる共同事業にかかる協定書を締結し、「日本芸術研究の基盤形成事業」を進めるとともに、文化財情報資料部から研究者を派遣し、SISJACにて日本美術に関する講演を毎年行って参りました。「日本芸術研究の基盤形成事業」は、当研究所が『日本美術年鑑』編纂のために収集してきた美術関係文献データによるデータベースを補完するものとして、SISJACが日本国外で発表された英文による日本芸術関係文献のデータを収集・入力し、共同でデータベースを構築するものです。平成30(2018)年6月半ばまでにお送りいただいた文化財関係文献2,584件、美術展覧会・映画祭開催情報(日本国外)1,631件、書籍情報(日本国外出版)460件、計4,675件のデータが、当研究所の総合検索システムに統合され、横断検索が可能となっています。
これらの事業を継続すべく、平成30(2018)年7月13日、SISJACにて同研究所のサイモン・ケイナー(Simon Kaner)所長と当研究所副所長の山梨により更新された協定書への調印が行われました。事業の継続によって、さらなるデータベースの充実と研究交流に努めていく所存です。
宮薗節:本番撮影の様子(左から宮薗千よし恵、宮薗千碌、宮薗千佳寿弥、宮薗千幸寿)
平成30(2018)年7月30日、無形文化遺産部は東京文化財研究所の実演記録室で、宮薗節の記録撮影(第一回)を行いました。宮薗節は国の重要無形文化財に指定されています。
宮薗節は、18世紀前半に初代宮古路薗八(みやこじそのはち)が京で創始しました。その後、京では衰退しましたが、18世紀半ばに江戸で再興され今日に至ります。宮薗節の音楽的な特徴は、重厚で艶のある独特の浄瑠璃(声のパート)と、柔らかく厚みのある中棹三味線の音色にあります。伝承曲は古典曲十段と新曲で、内容はほとんどが心中道行ものです。
今回収録したのは、古典曲《小春治兵衛炬燵(こはるじへえこたつ)の段》(炬燵)と新曲《箕輪の心中》です。両作品とも宮薗千碌(タテ語り、重要無形文化財各個指定いわゆる人間国宝)、宮薗宮薗千よし恵(ワキ語り)、宮薗千佳寿弥(せんかずや)(タテ三味線)、宮薗千幸寿(せんこうじゅ)(ワキ三味線)の各氏による演奏です。
無形文化遺産部では、今後も宮薗節の古典曲および演奏機会の少ない新曲の実演記録を継続していく予定です。
考古染織遺物を用いた実習
顕微鏡による繊維構造の分析
平成30(2018)年6月25日~7月6日の間、アルメニア共和国にて、同国文化省と共同で染織文化遺産保存修復研修を開催しました。本研修は、東京文化財研究所と同省とが平成26(2014)年に締結した、文化遺産保護分野における協力に関する合意に基づくもので、昨年度に引き続いて2回目の実施となります。
今回の研修は、文化遺産国際協力センター客員研究員の石井美恵氏とNHK文化センターさいたまの横山翠氏を講師として、歴史文化遺産科学研究センターとエチミアジン大聖堂付属博物館の2箇所で行い、アルメニア国内の博物館・美術館など7機関から14名が研修生として参加しました。歴史文化遺産科学研究センターにおける研修では、同センターが所蔵する、考古遺跡から出土した12世紀のものとされる染織遺物に対して、顕微鏡を用いた分析手法や収蔵方法などに関する実習を行いました。また、エチミアジン大聖堂付属博物館においては、9月にアメリカのメトロポリタン美術館へ出展予定の収蔵品に対する、より高度な技術を用いたステッチ補強の実習を行いました。
今年度は実物の染織文化遺産を使用した研修を行うことができ、研修生にとっても良い経験となりました。我々が伝える知識や技術がアルメニアの専門家に定着するよう、来年度も研修事業を実施する予定です。
寺院頭頂部の作業風景
ポーカラー寺院壁画(部分)
平成30(2018)年7月11日〜8月5日までの期間、ミャンマーのバガン遺跡群内Me-taw-ya(No.1205)寺院において、壁画保護のための雨漏り対策を主な目的とする煉瓦造寺院外壁の保存修復を行いました。本年の1月〜2月にかけて実施した作業を継続し、平成28(2016)年の地震で被災した箇所の見直しを行い、ストゥッコ装飾や目地材といった外観美に影響する箇所についても修復方法を検討しました。この結果、煉瓦崩落時における修復方法や使用材料について方針を示すに至り、ミャンマー宗教文化省考古国立博物館局バガン支局からも高い評価を得ることができました。
また、ミャンマーにおける壁画技法の変遷や美術史、図像に関する調査を前回に引き続き実施しました。まず、バガンに存在する11~13世紀の代表的な壁画についてさらなる情報を収集し理解を深めました。その後はマンダレーへ移動し、同市を拠点としてインワ、サガイン、アマラプーラ、チャウセーに点在する寺院を訪ね、17~19世紀の壁画の特徴を把握するよう努めました。
滞在期間中にはヤンゴンにある在ミャンマー日本国大使館を訪問し、当事業の概要について説明させていただきました。今後は経過報告を通じて当研究所におけるバガンでの文化財保存活動に関する情報を共有していきます。
倒壊部材の回収作業
チャンガンカ寺における供養
ブータン内務文化省文化局遺産保存課と共同で、同国の版築造伝統民家を対象とする実測等調査を平成30(2018)年7月16日から24日まで首都ティンプー市およびパロ県にて実施しました。
このうちティンプー北郊のカベサ村に所在する物件は、これまでの調査で発見した古民家の中でも最も古式を良く残す事例の一つとして注目していましたが、無住になって久しく、残念なことに外周の版築壁を残して上階床などの木部が昨年倒壊してしまいました。本年3月に同市で開催したワークショップにおいて保存の重要性を訴えた結果、所有者が取り壊しの意向を撤回し、修復に向けた動きが始まりました。これを受けて今回、建物内から全ての木部材を回収し、個々の原位置を特定して記録し、仮保存小屋に格納する作業を実施しました。部材の損傷や滅失は思いのほか少なく、正確な復原が可能であることが確認できました。今後、具体的な修復・活用策の検討が進むことが大いに期待されます。
ところで、ブータン古民家に関する調査研究は平成28(2016)年度以降、科学研究費助成事業として実施してきましたが、その研究代表者でもある亀井伸雄所長の訃報が現地滞在中にもたらされました。これを受けてブータン側関係者の提案により、供養の儀式がティンプー市街を見渡す古刹チャンガンカ寺において営まれました。これまでの共同活動に参加したスタッフたちが参集し、108個の灯明に火を灯して故人の冥福を祈りました。
基礎編における取り扱いの講義
応用編における掛軸の保存と修復の実習
海外に所在する書画等の日本の文化財の保存活用と理解の促進を目的として、本ワークショップを毎年開催しています。本年度はベルリン博物館群アジア美術館において、平成30(2018)年7月4~6日に基礎編「Japanese Paper and Silk Cultural Properties」、9~13日に応用編「Restoration of Japanese Hanging Scrolls」をベルリン博物館群アジア美術館及びドイツ技術博物館の協力のもと実施しました。
基礎編には欧州10カ国より13名の修復技術者及び学生が参加しました。作品の制作、表具、展示、鑑賞という実際に文化財が私たちの目に触れるまでの過程に倣い、接着剤、岩絵具、和紙等の材料についての基礎講義、絹本絵画や墨画の実技、及び掛軸の取り扱い実習等を行いました。
応用編は掛軸の保存と修復をテーマとし、選定保存技術「装潢修理技術」保持認定団体の技術者を講師に迎え6カ国10名の修復技術者が参加しました。掛軸の構造や掛軸修復に関する知識とそれに裏付けられた技術を理解するため、講師による裏打ちや軸首交換等の実演、掛軸の下軸や紐の取り外しと取り付け等の実習を行いました。両編では活発な質疑応答やディスカッションが行われ、日本の修復技術や材料の応用例等の技術的な意見交換も見られました。
海外の保存修復の専門家に日本の修復材料と技術を伝えることにより、海外所在の日本の紙本・絹本文化財の保存と活用に貢献することを目指し、今後も同様の事業を実施していきたいと考えています。
パネルディスカッション(写真提供:国立歴史民俗博物館メタ資料学研究センター)
ワード氏を交えての関連機関担当者による協議
国際シンポジウム「アート・歴史分野における国際的な標準語彙の活用 ―Getty Vocabulary Programの活動と日本」が平成30(2018)年6月16日に国立歴史民俗博物館で開催され、文化財情報資料部の橘川が参加、ゲッティ研究所ULAN(Union List of Artist Names)への日本美術家人名情報提供の経過報告を行いました。「標準語彙」というのは聞き慣れない言葉だと思いますが、これは人名・地名などの表記を標準化することで、その情報化・流通を支援するものです。後藤真氏(国立歴史民俗博物館准教授)の企画による今回のシンポジウムでは、ジョナサン・ワード氏(Getty Vocabulary Programシニアエディター)がGetty Vocabularyの構想・活用の現状を、またソフィ・チェン氏(台湾中央研究院歴史語言研究所助研究員)が語彙の多言語化について講演したのち、日本の関係機関者から人名情報のほか、企業分野情報、現代美術情報、Linked Open Data運用が報告されました。パネルディスカッションでは、Getty Vocabularyへの日本からの貢献などについて議論されました。また平成30(2018)年6月18日には、ワード氏を当研究所にお招きし、国立歴史民俗博物館、奈良文化財研究所、東京国立博物館の担当者と、日本における文化財関連の標準語彙のあり方について協議しました。これらを通じて、日本において標準語彙データベースを生成している機関による連携の可能性を共有する機会となりました。
発表の様子
東京文化財研究所では、平成26(2014)年にWebコンテンツの管理システムであるWordPressを利用し、文化財情報データベースを大幅にリニューアルいたしました。WordPressは、現在、世界中のWebサイトの約30%で利用されているオープンソースのシステムです。その公式のイベントであるWordCampは、昨年度だけで48の国と地域で128回開催されました。この度、平成30(2018)年6月2日に大阪で開催されたWordCamp Osaka 2018(https://2018.osaka.wordcamp.org/)にて「WordPressで作る文化財情報データベース」と題し、小山田智寛、二神葉子、三島大暉の三名による共同発表を行い、文化財情報データベースとしてWordPressを利用するためのカスタマイズや運用について報告いたしました。発表後、地方自治体や研究機関のシステムを手掛ける方々から、多くの質問をいただき、活発な情報交換を行いました。
研究所の業務は一つ一つが他に類例のない特異なものです。そのため、その成果を蓄積し、発信する情報システムにも、独自性が求められます。今後は、研究成果だけでなく、情報システムの開発や運用で蓄積した知見についても積極的に公開して参ります。
研究会の様子
土佐光起・光成筆「秋郊鳴鶉図」東京国立博物館 http://webarchives.tnm.jp/
平成30(2018)年6月26日の文化財情報資料部月例の研究会では、“土佐光起著『本朝画法大伝』考―「画具製法并染法極秘伝」を端緒として―”と題し、下原美保氏(鹿児島大学)をコメンテーターにお招きして、小野真由美(文化財情報資料部)による発表が行われました。
土佐光起(1634~54)は、ながく途絶えていた宮廷の絵所預に任ぜられたことから、「土佐家中興の祖」とされる絵師です。光起は、伝統的なやまと絵に、宋元画や写生画などを取り入れ、清新で優美な作品を多くのこしました。
『本朝画法大伝』(東京藝術大学所蔵)は、光起が著した近世を代表する画法書のひとつです。今回、同著の彩色法について、狩野派の画法書『本朝画伝』(狩野永納著)や『画筌』(林守篤著)、狩野常信による写生図(東京国立博物館所蔵)との比較を行いました。たとえば、「うるみ」という色彩について光起は、「生臙脂ぬり、後に大青かくる」と伝えますが、狩野派の画法書では胡粉を混色する異なる方法を記しています。そこで、常信の写生図を参照すると、「山鳩図」「葛図」に「うるミ」と注記があり、ヤマバトの足やクズの花の実際の固有色が、光起の伝える彩色法に一致することがわかりました。こうした比較から、『本朝画法大伝』が他の画法書にくらべて、実践的かつ具体的な内容であることがみえてきました。
研究会においては、土佐派、住吉派、狩野派、そして日本画研究など様々な立場から、ご意見をいただきました。今後は、そうした諸研究者のみなさまと、同著の更なる読解をすすめ、江戸時代の画法についての考察を深めていきたいと考えております。
三木多聞氏(平成5(1993)年撮影)
三木氏が美術雑誌『三彩』平成3(1991)年12月号に寄稿した「‘91彫刻界の動き」の原稿と、その掲載誌面
平成30(2018)年4月に89歳で亡くなられた三木多聞氏は近現代美術、とくに彫刻の分野を中心に旺盛な執筆活動を行なった美術評論家です。東京国立近代美術館、文化庁文化財保護部での勤務を経て、国立国際美術館、徳島県立近代美術館、東京都写真美術館の館長を歴任されました。
このたび当研究所では三木氏が遺した、美術に関する手稿類を主とする資料を、郡山市立美術館学芸員の中山恵理氏の仲介でご遺族よりご寄贈いただくことになりました。新聞雑誌に寄稿した美術記事の原稿をはじめ、海外での視察を詳細に記したノート類や画廊で開催された展覧会の印刷物をまとめたスクラップブックなど、三木氏の業績にとどまらず、戦後美術の動向を知る上で貴重な資料が含まれています。今後は整理作業を経て、研究資料として閲覧・活用できるよう努めて参りたいと思います。
伊茶仁カリカリウス遺跡で行われた標津イチャルパの様子
平成30(2018)年6月17日、標津町のポー川史跡自然公園内の国指定遺跡・伊茶仁カリカリウス遺跡においてアイヌの伝統的な儀式「イチャルパ」が執り行われ、無形文化遺産部の研究員も見学に訪れました。
この標津イチャルパは、アイヌの和人に対する抵抗運動のひとつである寛政元(1789)年のクナシリ・メナシの戦いで処刑された23人のアイヌを供養するためのものです。標津アイヌ協会の主催で平成21(2009)年に始まり、今回で10回目を数えます。儀式では、前半で御神酒を神に捧げるカムイノミがおこなわれ、後半では亡くなった人を供養するイチャルパが行われ、最後に歌と踊りであるウポポとリムセが行われれました。
標津イチャルパが行われた場所は、考古学的にはトビニタイ文化と呼ばれる時期(およそ9~13世紀)を中心に集落が営まれた伊茶仁カリカリウス遺跡であり、遺跡の前面に展開する標津湿原と併せて、現在ではポー川史跡自然公園として整備されています。厳密にいうと、伊茶仁カリカリウス遺跡の最盛期とクナシリ・メナシの戦いの起こった時期は一致しませんが、遺跡がこの地のアイヌの祖先たちによって営まれたものであると考えられることから、アイヌの伝統的儀式を復活させるにあたって、それを執り行う場として選ばれたようです。
文化財の活用が求められている昨今において、標津イチャルパの事例は遺跡の活用の一例としてひとつのモデルケースとなりえるでしょう。というのも、遺跡が持つ無形的要素、すなわちアイヌの祖先の地という「文化的空間」を生かした形での活用がなされているからです。つまり遺跡の歴史的価値が、今日のアイヌの文化復興において文化資源として活用されている、とみることができます。
一方で、伊茶仁カリカリウス遺跡の文化資源の価値は、ただアイヌにとってのみのものではありません。標津イチャルパにあわせて、現地では市民向けに「ポー川まつり」が開催され、カヌー体験や、学芸員による史跡ガイドツアー、縄文こども村などの各種のイベントが執り行われています。また教育の一環として、地域の小学生たちがイチャルパに参加するという試みも継続的に行われています。実際に標津町内においても、人口の大半はアイヌをルーツにもたない人たちですが、こうした人たちにとっても、遺跡が地域の文化資源として活用されているのです。また同時に、アイヌをルーツに持つ人たちと持たない人たちとが交流する場ともなっているのです。
近年では、標津町をはじめとする道東1市4町(根室市・別海町・標津町・中標津町・羅臼町)が協力して、この地域の遺産を「日本遺産」としてノミネートしようという動きも進められています。伊茶仁カリカリウス遺跡は、その中でも主要な構成要素として位置付けられています。北海道という、多様なルーツを持つ人たちが共に暮らす地域において、地域の遺産というものをどのようにとらえていくのかは難しい課題でもありますが、このような標津町をはじめとする道東地域の動向については、今後も引き続き注目したいと考えています
シンポジウムの様子(ICUアジア文化研究所提供)
会場に展示されたジェットエンジン部品(ICUアジア文化研究所提供)
国際基督教大学アジア文化研究所・平和研究所と東京文化財研究所は、平成30(2018)年6月2日、同大学においてシンポジウム「“ここ”の歴史へ -幻のジェットエンジン、語る-」を開催しました。これは、平成27(2015)年に大学構内で発見されたジェットエンジン部品3点の文化財的な価値を広く共有すると共に、かつてこの部品を開発した中島飛行機株式会社の研究所の敷地につくられた国際基督教大学(以下、ICUという。)キャンパスの歴史を振り返ることに主眼をおいて行われたものです。
シンポジウムは2部から構成され、第1部では高柳昌久ICU高等学校教諭が当該部品の発見の経緯と意義について発表したのに続き、東京文化財研究所と日本航空協会が平成29(2017)年に実施した文化財調査の成果を長島宏行元客員研究員が、今後の公開活用に資する参考情報を苅田重賀客員研究員が発表しました。そして、学生による映像作品の上映を挟んで、第2部では作家の奥泉光氏、加藤陽子東京大学教授、大門正克横浜国立大学教授が、それぞれの観点から、ジェットエンジン、多摩地区さらには第二次世界大戦の歴史を考えるための貴重な視点を提供し、最後に会場からの質問をもとに総合討論会が行われました。
文化財を糸口として大学や地域の歴史を紐解き、その価値を多くの人に伝えながら、それが提起する問題について考察する。こうした教育・研究機関ならではの保存活用のあり方が、ICUを中心として、今後も引き続き検討されて行くことと思われます。