研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『TOBUNKEN NEWS
(東文研ニュース)』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。
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総合討議中の様子
近年、文化財に対する注目が増しており、活用も積極的に推進されています。それに伴い、修復対象とされる文化財も増加しており、その中で、従来の修復方法や修復に対する概念では対応できなくなってきている事例も多くなってきました。このような現状を踏まえ、平成30年(2018年)11月22日に、「文化財修復の現状と諸問題に関する研究会」を開催しました。今までの修理の概況に関して共有した上で、現在の修復の際に認識される問題点を文化財各分野の専門の先生方からご紹介頂きました。
歴史資料のご専門の佐々木利和北海道大学客員教授からは、東京国立博物館、文化庁、国立民族学博物館と歴任されてきたご経験から「美術工芸品修理への思い」と題された、歴史資料の保存について、また民俗資料保存の問題点などについてご講演頂きました。文化庁地主智彦調査官からは、「近年の歴史資料修理の成果と課題」について、詳細な事例報告を含んだ現状のご報告を頂きました。東京国立近代美術館の北村仁美工芸室長からは、「文化財修復の現状と近年の問題点 〜「十二の鷹」を中心に〜」とのタイトルで、近年のご所蔵品の修復の詳細とその中における問題をご提起頂きました。京都府の中野慎之主任からは、修理にあたり、実際にどのような協議が行われ、どのような意思決定が必要かについてご報告頂きました。総合討議においてもたくさんのご質問を頂き、活発な質疑応答が行われました。総勢104名の方がご参加下さり、終了後のアンケートでも、文化財修復に関する大きな情報交流の場が今後も継続することを期待されていることが実感されました。本研究会の内容は、来年度報告書として刊行予定です。
サン・アントニオ・アバーテ地下教会
サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ地下聖堂
平成30(2018)年11月12日〜11月20日までの期間、南イタリアのプーリア州において岩窟教会壁画に関する調査を実施しました。この調査は、文化庁より受託した「トルコ共和国における壁画の保存管理体制改善に向けた人材育成事業」の一環として、調査結果をカッパドキア地方の岩窟教会壁画を対象に実施している研修事業に反映させることを目的にしたものです。
今回訪れたのは、マッサフラにあるカンデドラ地下聖堂やサン・アントニオ・アバーテ地下教会、ポッジャルドにあるサンタ・マリア・デッリ・アンジェリ地下聖堂やサンティ・ステファニ・ディ・ヴァステ地下聖堂など、いずれもビザンチン様式の石窟壁画を有します。調査は、壁画技法や使用されている材料、また描かれている周辺環境に配慮しつつ、その状態や保存管理の現状に着目しながら行いました。その結果、保存管理の点で共通する問題を抱えていることや、イタリアでは実施されているがトルコでは実施されていない取り組みがあることなどが明らかとなりました。
この調査には、研修事業でもご協力をいただいているフィレンツェ国立修復研究所の専門家に同行いただき、収集した情報をまとめています。来年度の6月に予定している研修事業では今回の調査結果を反映させながら、類似する壁画が異なる国ではどのような状況にあるのかを伝え、保存管理について考えていきます。
油絵修復ラボでの意見交換の様子
教育設備に関する調査風景
文化庁より受託した標記事業の一環として、平成30(2018)年11月4日~9日にかけて、文化財保存修復学科を開講するトルコ国内の大学に往訪し、各校の教育システムに関する調査を実施しました。今年度は、本事業の基幹プロジェクトである研修「壁画保存に向けた応急処置方法の検討と実施」にご協力頂いているアンカラ・ハジ・バイラム・ヴェリ大学(前ガーズィ大学)芸術学部文化財保存修復学科に加え、アンカラ大学芸術学部文化財保存修復学科、イスタンブール大学文学部動産文化財修復学科に伺い、各大学の教員から教育方法に関するプレゼンや教育設備に関する説明を受けるとともに、意見交換を通して文化財保存教育現場での現状の課題の明確化とその共有を試みました。
各校とも大学組織の長所を活かし、他学科や関係自治体との共同プロジェクトを進めることで、設備面や人材面の不足を解消する工夫が見られました。また、いずれの大学の教員も、期間の長短はありますが文化財保存修復に関する欧米諸国での技術研修を経験した専門家であることがわかりました。一方で、トルコ国内に存在する様々な文化財に対応するには、さらなる教育システムの増強が必要不可欠であることも明らかになりました。
今回訪問した大学の卒業生の多くは、壁画保存のための研修受講者が所属する国立保存修復センターに就職しており、受講者のバックグラウンドに関する理解を深めるために本調査の成果が活用される予定です。
モントリオール美術館での調査風景
海外の博物館・美術館等の施設が所蔵している日本古美術作品は、日本文化を紹介する大切な役割を担っています。ところが海外にはこれらの保存修復の専門家が少ないことから、適切な処置が行えず、展示・活用ができない作品が数多くあります。そこで当研究所では作品の適切な保存・活用を目的として、在外日本古美術品保存修復協力事業を行っています。この度、修復協力への要望が強く、その意義が大きいと考えられるモントリオール美術館所蔵の作品調査を行いました。同館は、モントリオール(カナダ)に所在し、1860年にモントリオール美術協会として設立され、カナダでは最も古い美術館です。現在は、古代から現代まで43000点以上の作品が所蔵されており、その中には日本の美術工芸品も多く含まれています。
調査は、平成30(2018)年11月26日から28日にかけて、文化遺産国際協力センターの加藤雅人、元喜載、文化情報資料部の江村知子、米沢玲の4名が美術館を訪問し、美術史的な作品価値、修復の必要性と緊急性の観点から日本絵画作品15件(17点)、染織品3件の調査を実施しました。
今後、調査で得られた情報を同館の学芸員、保存修復担当者と共有し、作品の保存・展示に役立てていただきたいと考えています。
漆塗りの実習
海外の美術館や博物館に所蔵されている日本の漆工品の保存と活用を目的として、平成30(2018)年11月26日から30日にかけて、ケルン市博物館東洋美術館(ドイツ)にてワークショップ「漆工品の保存と修復」を開催しました。東京文化財研究所は、同美術館の協力のもと平成19(2007)年より本ワークショップを毎年実施しています。本年は、作品の保管や取り扱いにおいて必要となる知識や技術を中心とした基礎編を実施し、世界各国より6名の保存修復技術者が参加しました。
講義では、漆の化学的な構造と性質、漆工品の構造や加飾技法、主な損傷や劣化、適切な保管環境などについて取り上げました。また、日本における保存修復の事例も紹介し、修復の理念と工程について解説をしました。実習では、木製スプーンに漆塗りを施すことで漆の性質をより深く理解できるよう努めました。また、損傷部分の養生やクリーニングといった応急的な処置も行い、修復の際に使用する道具の選択や作製方法などについても触れました。最終日にはディスカッションも行われ、西洋・東洋における保存修復の倫理や理念の違い、本ワークショップで得られた知識・技術の活用法など、活発な意見交換が見られました。
海外の保存修復の専門家に、漆工品に関する基礎知識や保存修復技術を伝えることにより、国外の漆工品がより安全に保存され活用されていくことが期待されます。
バガンにおけるワークショップの風景
東京文化財研究所では、ミャンマーで平成28(2016)年8月に発生したチャウ地震以降、これによって被災したバガン遺跡群の歴史的煉瓦造建造物について、その保存修復作業の質的向上を主な目的とする研究調査活動を文化庁委託事業(奈良文化財研究所より再委託)により行ってきました。本事業の成果を現地の専門家と共有するため、平成30(2018)年11月13日にヤンゴンのミャンマー技術者協会、翌14日にはバガンのミャンマー宗教文化省考古・国立博物館局(DOA)支局において、それぞれワークショップを開催しました。
このワークショップでは、当研究所職員および外部専門家が歴史的煉瓦造建造物の建築技術・構法、構造上の特性、および伝統的モルタル材料の成分分析の三つのテーマについて発表を行い、現地側各機関の専門家からは目下バガンで実施中の保存修復作業等に関する発表が行われました。そしてこれらを踏まえて、両国の専門家の間で質疑と意見交換を行いました。
今後は、本事業の成果を纏めた報告書を刊行し、これまでの研究調査によって得られた情報をさらに保存修復に活用してもらいたいと考えています。
一方、11月17・18両日には第3回技術調整フォーラムおよび第1回国際調整委員会(ICC)がバガンにおいて開催されました。宗教文化大臣が議長を務めた本会議は、バガン遺跡群の保存修復に携わっている国内外の各機関が情報交換を行うとともに、相互の連携を促進することを目的とするものです。当研究所職員からは、東文研および奈文研が実施している関連協力事業の概要について報告しました。
発表の様子
アムステルダム国立美術館の美術図書館
日本および世界中に数多くの図書館がありますが、欧米諸国には、美術に関する図書や資料を専門とする美術図書館があり、2年に一度、国際美術図書館会議が開催されています。平成30(2018)年10月4,5日にオランダのアムステルダム国立美術館で開催された第8回国際美術図書館会議において、「東京文化財研究所の情報発信: OCLCセントラル・インデックスへの日本美術文献の情報提供」The Contribution of the Tokyo National Research Institute for Cultural Properties: Art Bibliography in Japan for OCLC Central Indexと題した口頭発表を行いました。当研究所では、日本国内で行われた美術展覧会の情報や展覧会図録の文献情報を収集しています。昭和5年(1930)以降、平成25(2013)年までの展覧会図録所載文献、約5万件についてOCLCセントラル・インデックスに情報提供を行いました。日本の美術展覧会カタログは、専門性が高いものの、一般的な雑誌論文などに較べてその情報発見の機会が限られていましたが、今回の取り組みにより、世界中のOCLC利用者に、新たな資料発見の機会を提供することができました。この会議は欧米諸国が主体となっていますが、発表後にはアジア地域からのこうした取り組みは、美術図書館の国際連携を強化するために重要であるとの反響が寄せられました。この情報提供は継続的に進めており、最近平成26(2014)年の文献情報、約2800件を追加提供し、さらに今年中に平成27(2015)年の文献についても情報提供を行う予定です。
ゲッティ・リサーチ・ポータルの検索結果表示画面
東京文化財研究所ではアメリカのゲッティ研究所と共同研究事業を推進しています。平成29(2017)年5月に、当研究所所蔵の明治期の展覧会目録や美術雑誌のデジタル版をゲッティ・リサーチ・ポータル(GRP)から検索・閲覧できるようになり、アジア諸国からは初めての情報提供元となりました。そしてこのたび当研究所刊行の『美術年鑑』昭和11 (1936) 年版〜平成25(2013)年版の 70冊、『美術研究』1〜419号、『保存科学』1〜57号のデジタル版についても、GRPから検索・閲覧できるようになり、当研究所からの提供タイトル件数は636件を超えました。これらの刊行物は、これまでも当研究所のウェブ・サイト(東文研総合検索 http://www.tobunken.go.jp/archives/、PDF版『保存科学』 http://www.tobunken.go.jp/~ccr/pub/cosery_s/consery_s.html)や機関リポジトリ(https://tobunken.repo.nii.ac.jp/)で公開して参りましたが、バーチャル美術図書館として世界中に多くのユーザーを有するGRPから検索・閲覧が可能になったことで、当研究所による文化財研究の成果への海外からのアクセスの可能性を飛躍的に増やしました。さらにこの共同事業の一環として、現在、当研究所所蔵の貴重書である、明治・大正・昭和期の博覧会・展覧会資料のデジタル化を進めており、これらについても2019年6月末までに、GRPに情報を追加する予定です。
講演会の様子
文化財情報資料部では、平成30(2018)年10月26、27日の2日間にかけて、オープンレクチャーを東京文化財研究所セミナー室において開催しました。毎年秋に一般から聴衆を公募し、外部講師を交えながら、当所研究員がその日頃の研究成果を講演の形をとって発表するものです。この行事は、台東区が主催する「上野の山文化ゾーンフェスティバル」の「講演会シリーズ」一環でもあり、同時に11月1日の「古典の日」にも関連させた行事でもあります。
本年は第1日目の26日に、「文化財データベースの作成とその意義について」(文化財情報資料部研究員・小山田智寛)、「雪村周継と臨済宗幻住派―大雄山法雲寺を起点に―」(筑波大学助教・水野裕史氏)、第2日目の27日に「裸婦に表わされた地域性―藤田・常玉・陳澄波を例に」(東京文化財研究所副所長・山梨絵美子)、「伝統を現代につなぐ:斉白石が描いた花鳥のかたち」(京都国立博物館主任研究員・呉孟晋)の4題の講演が行われました。両日合わせて一般から134名の参加を見、アンケートの結果、回答者のほぼ9割から「大変満足した」、「おおむね満足だった」との回答を得、好評を博しました。
研究会の様子
平成30(2018)年10月2日に開催した本年度第5回文化財情報資料部研究会では、金沢大学の神谷嘉美氏より、「平蒔絵とされる技法で用いられる金属材料の形状―南蛮漆器での事例を中心に」と題した発表が行われました。
平蒔絵技法は安土桃山時代に始まった蒔絵技術の一つです。それまでの主流であった研出蒔絵技法や高蒔絵技法に比べ、絵漆で描いた文様の上に金銀粉を蒔く簡略な技法であり、高台寺様式の蒔絵作品や、欧米への輸出品としてヨーロッパ人の注文により京都で造られた南蛮漆器などに利用された技法であると考えられています。
今回の発表は、国内外に所蔵される17世紀代の南蛮漆器や南蛮漆器類似作品から落下した塗膜片に加え、自身で制作された蒔絵漆器などを比較事例として、それらに使われている金属粉の形状を走査型電子顕微鏡(SEM)による詳細な非破壊観察を行ったうえで、その由来材料などを検討、報告されたものです。
その結果、南蛮漆器では金属塊を削った蒔絵丸粉が使われているものもありましたが、金箔由来の粉が使われている作例が初めて確認され、それが主体となっていた可能性すら推測されました。このことは、江戸時代初期輸出漆器の制作技術や制作者・工房の実態に対する再検討をせまると同時に、いわゆる消粉蒔絵の出現経緯や歴史を考えるうえでも重要な事実です。
当日は、重要無形文化財保持者(蒔絵)の室瀬和美氏や在京の漆工史研究者にもご参加いただき、報告された金属粉がどのような素材に由来する粉であるのか、職人絵に描かれた蒔絵師との関係や実証的な蒔絵技術史研究の必要性、さらには蒔絵の定義自体に関する問題点など、盛んな議論が行われました。
本発表では、電子顕微鏡による落下塗膜片への観察手法が、漆器制作技術、特に蒔絵技法の検証に高い有効性を持つことが示されました。今後は報告諸事例の確実な位置づけや意味づけに向けた更なる分析事例の蓄積と検討が大いに期待されます。また金属粉は漆工芸のみならず絵画にも広く利用された材料の一つであることから、本研究の深化は絵画技法史の実態解明にも寄与する可能性があるものだと言えるでしょう。
ADGCにて表示された「東京文化財研究所美術文献目録」由来データ
アート・ドキュメンテーション学会第11回秋季研究集会がお茶の水女子大学(東京)において、平成30(2018)年10月13日に開催され、文化財情報資料部の橘川が「日本の展覧会カタログ論文の国際的可視性を高めるための取り組み:「東京文化財研究所美術文献目録」のOCLCへの提供」と題して、川口雅子氏(国立西洋美術館)との共同発表を行いました。発表では、既報(http://www.tobunken.go.jp/materials/katu
do/249516.html)にある本年1月から実現している「東京文化財研究所美術文献目録」のOCLCセントラルインデックスへの提供について、事業に至る背景と貢献について考察する内容でした。まずは川口氏が、最近10年間の美術図書館界における国際協調の枠組みについて、世界の著名図書館が委員会を組織しOCLCと交渉してArt Discovery Group Catalogue (ADGC) を立ち上げたこと、このADGCの基盤情報のひとつであるOCLCセントラルインデックスへ海外な美術史系データベースが収録されていることなどの本事業の背景を発表されました。橘川からは、「東京文化財研究所美術文献目録」の由来、OCLCへの提供までのデータ整備の実践、さらにWorldCat.orgやADGCでの書誌データ提供の実際、今後の事業展開について報告を行いました。『日本美術年鑑』編纂事業により作成される「東京文化財研究所美術文献目録」は各地の美術館、博物館、大学などの最新の美術研究の成果を収録しており、このような情報を、広く発信することにより、日本の文化財研究の環境改善に努めたいと考えています。
奥能登における揚げ浜式製塩の調査風景
宇治における製茶の調査風景
東京文化財研究所無形文化遺産部は平成20(2008)年より大韓民国の国立無形遺産院と研究交流を継続しています。その一環として平成30(2018)年10月15日から11月2日にかけて、国立無形遺産院学芸士の尹秀京氏を来訪研究員として受け入れ、研究交流を行いました。
今回の研究交流における尹秀京氏の研究テーマは、日本における無形文化遺産としての民俗技術に関するもので、特に製塩と製茶に焦点を絞ったものでした。そこで私たち無形文化遺産部では、国の重要無形民俗文化財に指定されている奥能登の揚げ浜式製塩(石川県珠洲市)と、静岡県静岡市および京都府宇治市における製茶の現地調査に同行し、その研究のサポートを行いました。
無形文化遺産としての民俗技術は、日本では無形の民俗文化財の三つのカテゴリーのひとつとして、風俗慣習および民俗芸能と並んで位置付けられていますが、実は民俗技術が加えられたのは平成16(2004)年の文化財保護法改定の時のことです。2018年現在、国の重要無形民俗文化財に指定されているものは309件ありますが、そのうち民俗技術のカテゴリーに入れられたものはわずか16件しかありません。また製塩については奥能登の揚げ浜式製塩が国の重要無形民俗文化財に指定されていますが、製茶については都道府県による指定を受けているものはあるものの、国の指定を受けたものはまだひとつもありません。ただし宇治市の「宇治茶」については、茶園および製茶場が国の重要文化的景観である「宇治の文化的景観」の構成要素となっており、また日本遺産「日本茶800年の歴史散歩」の構成要素にもなっています。
いっぽう大韓民国では、無形文化財のカテゴリーのひとつに「伝統知識」があり、製塩と製茶はその中に位置づけられ、国の文化財として指定されているとのことでした。さらにその際、保持者や保護団体を特定しなくても、広範囲の地域に伝承されてきたものを包括的に指定することができるとのことでした。日本の文化財保護法では、無形の民俗文化財を指定する際にはその保護団体を認定する必要があります。無形文化財の保護制度において、日韓の間で相違があるのは興味深いことです。
こうした研究交流の良い点は、互いの国の無形文化遺産の違いを知るとともに、その保護のあり方の違いを知ることにもつながることです。こうした情報の交換を通じて、お互いの国でそれぞれ、より良い文化遺産保護のあり方を見直すきっかけになれば意義深いことでしょう。
研修の開会式の様子
実物の資料を用いて分類・整理作業を行う研修生
平成30(2018)年10月22日から27日にかけて、ユネスコ・アジア文化センター(ACCU)文化遺産保護協力事務所(奈良市)がフィジーにおいて現地研修「文化遺産ワークショップ2018(フィジー)」を実施しました。この現地研修では、ACCUとフィジー博物館、文化庁が共催し、博物館収蔵品(主に考古学資料・民族資料)の記録法についてのワークショップを実施しました。研修にはフィジー国内から12名の博物館関係者が参加したのに加え、隣国であるトンガ王国からも1名の参加がありました。このワークショップのうち、前半の22日から24日にかけての3日間について、本研究所無形文化遺産部の石村智・音声映像記録研究室長が講師をつとめました。
研修では、実際の考古学遺跡から出土した土器資料を用い、まず文様や部位(口縁部・胴部など)ごとに分類し、整理したものを台帳に記録する作業を研修生に体験してもらいました。次に、分類したものの中から特徴的な遺物をピックアップしてもらい、それぞれの遺物について拓本と実測図(断面図)を作成する作業を体験してもらいました。最後に、完全な形(完形)の土器の実測図の作成を練習してもらいましたが、これには練習用のレプリカを使用しました。最後に、作成した拓本および実測図をカード化して整理する作業を体験してもらいました。
現地研修の良い点は、現地にある資料を実際に用いて作業を体験してもらえることで、より実践的な技術移転を果たすことができます。いっぽうで難しい点は、現地ごとに資料の性格が異なるため、それに合わせた研修内容を考え、工夫しなければいけないことです。例えばフィジーでは、遺跡から完形の土器が出土することはまれで、多くの場合、細かい破片の状態で見つかります。ACCUが日本国内で実施する考古学研修では、完形土器の実測の練習に重点を置いていますが、今回の現地研修では現地の実情に合わせ、土器の破片の分類・整理や、拓本による記録法に多くの時間をあてました。
実際に研修生の多くは、実務で資料を様々な方法であつかってきたものの、システマティックに資料を分類・整理して記録を作成するプロセスを示した今回の研修は新鮮だったようで、興味を持って取り組んでくれたようでした。この研修が、この地域における文化財の保存に資するものになれば幸いです。
展示風景
保存科学研究センターでは、修復に必要な材料の開発を行ってきています。そのような研究対象の一つとして膠があります。膠は古代から接着剤として用いられている材料で、動物のコラーゲンの分解物です。使用された動物の種類は文献に残る限り多岐にわたり、さらにその製造方法も様々な工夫が凝らされてきました。その一方で、材料・製造方法による膠の物性の差異については科学的にはほとんど明らかになっておらず、近年、ようやく研究が行われるようになりました。修復材料研究室では、これらのデータをもとに、修復材料としての膠の性質について研究を行ってきています。
重要文化財「序の舞」を修復するにあたり、これらの成果をもとに膠の選定が行われ、特に胡粉の発色を妨げない膠を用いることにより、修復による変化をできる限り生じないような修復が可能となりました。
この成果を平成30(2018)年10月14日〜19日の会期で東京藝術大学陳列館において「膠と修理 ー《序の舞》を守るー 展」として、東京藝術大学大学院保存科学研究室と共に主催展示いたしました。共催の膠文化研究会のご協力も得て、使用された膠の実資料、科学的データ、及び修復中に撮影された拡大画像を含む多数の画像を用いた展示となり、宇髙健太郎客員研究員によるギャラリートークも行われ、研究成果と文化財修復現場との関連について、広く理解を得られる貴重な機会となりました。
博物館の環境管理に関する講義
イラン国立博物館図書室における虫害調査
東京文化財研究所は、平成29(2017)年3月にイラン文化遺産手工芸観光庁およびイラン文化遺産観光研究所と趣意書を取りかわし、以後5年間にわたって、同国の文化遺産を保護するため様々な学術分野において協力することを約束しました。
平成28(2016)年10月に相手国ニーズ確認のため実施した予備調査に際し、首都テヘラン市における深刻な大気汚染の状況を目のあたりにするとともに、その被害が文化財にも及び、イラン国立博物館に展示・収蔵されている金属製品の腐食が進行している可能性があるとイラン側から相談されました。そこで昨年度は、イランから専門家2名を日本に招聘し、博物館の環境管理に関する研修とスタディー・ツアーを実施しました。
今年度は、現地での研修として、当該分野に詳しい佐野保存科学研究センター長と呂俊民先生を中心に、博物館の環境管理に関する講義をイラン国立博物館にて2日間にわたって行いました。講義では、環境汚染に関係する化学物質の測定方法や分析方法、室内空調に関して説明し、日本から持参した機材を用いて測定方法の実演なども行いました。また、現地専門家も、これまでイランで行われてきた大気汚染のモニタリングとその結果に関して発表を行いました。この講義には、周辺の博物館などから20名以上の現地専門家が参加し、好評を博しました。
また、今回、同博物館の内外に環境計測機器を設置し、大気汚染の実態を調査しました。その結果、大気汚染が博物館の収蔵品・展示品に影響を与えているのはほぼ間違いないことがわかり、今後、具体的な対策方法と助言をまとめた報告書を作成して、博物館側に提出することになっています。
一方、同博物館の図書室における虫害の相談も寄せられたことから、アソシエイト・フェローの小峰を中心に被害の実情を調査しました。イランでは、建物におけるシロアリの被害が深刻です。今回の調査では、図書室の壁に蟻道が確認されましたが、蟻道は古いもので現在進行中のものではありませんでした。シロアリ以外の害虫の生息についても調べるため、日本から持参した粘着トラップを設置し、モニタリングを継続してもらっているところです。
イランの文化遺産保護のため、来年度もさまざまな分野で協力を継続していく予定です。
出土したテラス状遺構西翼部
東京文化財研究所は、カンボジアにおいてアンコール・シエムレアプ地域保存整備機構(APSARA)によるタネイ寺院遺跡の保存整備事業に技術協力しています。平成30(2018)年8月20日~10月7日の間、昨年度から通算で第4次となる考古学的発掘調査を同遺跡において行いました。
今回は、これまでに出土した東バライ貯水池土手上のテラス状構造物の継続調査、および同遺構と寺院東門との間に存在したと推測される参道の発掘調査の2点を主目的として、APSARA機構のスタッフと共同で実施しました。
テラス状構造物は、調査区を西方へ拡張した結果、昨年度検出された東翼部分に加え、東西6m、南北2.5mの規模の西翼部分が出土しました。上面の石材が欠失していましたが、基礎は全周が存在し、これによって同遺構は東西に18mの規模であることが明らかとなりました。類例より、本来は南北にも同様の翼が付属した十字形を呈するものと推測され、今後さらなる解明が期待されます。
参道に関しても、昨年度の調査区をさらに拡大することで、参道の幅員およびその両脇の様子を明らかにすることを試みました。その結果、路面の幅は約11mで、両側はこれより50cmほど高くなっており、そこには何らかの施設が存在していたと考えられます。
今後は遺跡を訪れる観光客のための解説板の作成なども計画しており、学術調査と並行して、公開・活用のための整備も進めていく予定です。
研究成果発表の模様
修復材料の実験講習
文化庁より受託した標記事業の一環として、平成30(2018)年10月15日~20日にかけて、研修「壁画保存に向けた応急処置方法の検討と実施」を開催しました。第3回目となる本研修は、6月に引き続きカッパドキア地域にある聖テオドラ(タガール)教会を会場とし、トルコ共和国内10箇所の国立保存修復センターより30名の保存修復士にご参加いただきました。
本研修は、トルコ共和国の壁画を保存していくうえで重要となる応急処置のあり方を見直し、そのプロトコルを確立させていくことを目標にしています。今回の研修では、応急処置に有効と考えられる複数の修復材料を用いて様々な角度から捉えた実験を行い、参加者全員で検証作業を実施しました。また、研修の最終日にはカッパドキア大学に会場をお借りし、分析科学研究室長犬塚より高松塚古墳壁画におけるテラヘルツイメージング技術の研究成果発表を含め、日本とトルコにおける壁画保存修復のあり方について意見交換を行いました。
参加者からは、「今回の研修のように、普段から慣れ親しんでいる修復材料について改めてその特性を検証することや、トルコ国外における壁画保存修復の取り組みについて知る機会は少ないことから大変勉強になった」との声が聞かれました。
次回研修は2019年6月の開催を予定しています。今後も引き続き現場研修を継続しながら技術の向上を目指すとともに、トルコ共和国における応急処置のプロトコル確立に向けた取り組みを続けていきます。
EAJRS第29回年次大会会場外観(ヴィータウタス・マグヌス大学)
発表の様子
EAJRS(European Association of Japanese Resource Specialists:日本資料専門家欧州協会)第29回年次大会がリトアニア第二の都市カウナスにあるヴィータウタス・マグヌス大学において、平成30(2018)年9月12日から15日の日程で開催されました。EAJRSは、ヨーロッパで日本研究資料を取り扱う図書館員、大学教員、博物館職員などの専門家で構成されているグループです。今年の年次大会は「(グ)ローカル化する日本資料」と題して催され、20ヶ国82名(ヨーロッパ44名、アジア34名、北アメリカ4名)の関係者が参加し、当研究所からは文化財情報資料部の橘川が出席し、ゲッティ研究所と取り組む「明治期~昭和期刊行博覧会・展覧会資料のオープン・アクセス化事業」について途中経過を発表しました。発表後の質疑応答では、同事業に対する期待とともに、収録対象資料の拡充などの要望が多く寄せられ、今後の事業展開に参考となる貴重な意見を伺う機会となりました。年次大会全体は、14のセッションで構成され、国外機関からは日本資料コレクションに関する研究発表や施設紹介、また日本の機関からは海外の日本研究を支援するための様々な活動やサービスの紹介など、31件の発表が行われ、会場各所で活発に意見が交換されました。プログラムの詳細は、EAJRSホームページをご参照ください(https://www.eajrs.net/)。なお、来年2019年の大会は、チューリッヒ(スイス)で開催することが決定し、盛会裏に閉幕いたしました。
世界社会科学フォーラム(WSSF)で発表するライゲタル氏(福岡市)
カヌーの造船技術について意見交換するライゲタル氏とNPO法人日本航海協会のメンバー(日向市)
平成30(2018)年9月25~28日に福岡市で「世界社会科学フォーラム(WSSF)」が開催されました。これは社会科学の国際会議としては最大規模のもののひとつで、25日の開会式には皇太子同妃両殿下も行啓され、皇太子殿下からは開会の挨拶を賜りました。26日には東京文化財研究所無形文化遺産部とユネスコ大洋州事務所が共同でチェアをつとめるセッション「太平洋島嶼国における帰属の文化の育成―文化遺産と文化的表現の多様性の保護及び促進を通して」が催されました。このセッションにあたって本研究所は、ミクロネシア連邦ヤップ州を拠点にカヌー文化の復興と環境問題に取り組むNGO団体Waa’geyを主宰し、自身も伝統的航海術の保持者であるラリー・ライゲタル(Larry Raigetal)氏を日本に招へいし、特に無形文化遺産としてのカヌー文化の保存と活用について意見交換をする機会を得ることができました。
同セッションでは、本研究所の石村智とユネスコ大洋州事務所の高橋暁氏が司会をつとめ、ライゲタル氏の発表の他、ニュージーランド先住民(マオリ)の研究者であるサンディ・モリソン(Sandy Morison)氏(University of Waikato)、栗原祐司氏(京都国立博物館副館長)の発表に加え、日本オセアニア学会会長の山本真鳥氏(法政大学)からのコメントを得ました。セッションでは、大洋州における有形・無形の文化遺産をいかに保全し、さらにそれをいかに文化復興につなげていくかについて、活発な議論がなされました。
とりわけライゲタル氏の発表では、自身が保持しているカヌーの伝統的航海術、とりわけ星を観測しながら航海をおこなうスター・ナビゲーションの知識に言及しつつ、気候変動やグローバリゼーションという状況の中で伝統文化を持続可能な形で守っていくことが現代社会の問題を解決する鍵になるという意見が述べられました。氏は国連気候変動会議に参加するなど、国際的にも幅広い知見を有していることから、その意見は示唆に富んだ貴重なものとなりました。
同会議の後の29日は、NPO法人日本航海協会(代表:奥智樹氏)が宮崎県日向市で開催したワークショップに招かれ、同団体のメンバーとライゲタル氏の間で意見交換をする機会が持たれました。同団体は、パラオ共和国から日本に寄贈された伝統的航海カヌーの修復と試験航海を手掛けており、さらに古代日本の航海術の復元を試みるといった活動を行っています。同団体とライゲタル氏との交流を通じて、カヌー文化のつながりが大洋州のみならず日本にまでつながり、両地域の連携の機運を盛り上げていくことになればと思います。
東京文化財研究所はこれまで、平成28(2016)年5月にグアムで開催された第12回太平洋芸術祭において、カヌー文化の復興に関する専門家や保持者を一堂に会した「第一回カヌーサミット」を主催するなど、大洋州におけるカヌー文化の保存と活用についての国際協力に携わってきました。現在、大洋州ではカヌー文化をユネスコ無形文化遺産として推薦しようという機運も高まってきています。こうした動向に、国際協力の一環として今後も本研究所が貢献することができればと思っています。
「日光山中禅寺(輪王寺別院)鐘楼の湿度制御高温処理と現地視察の様子」
平成30(2018)年9月10日に、中禅寺鐘楼で開始した「湿度制御高温殺虫処理」の現地視察を行いました。湿度制御高温殺虫処理とは、木造建造物の柱、梁など木材を食害する害虫を高温(60℃程度)によって駆除する方法です。通常は加温していくと木材が割れたり歪んだりしてしまいますが、木材の含水率が一定に保たれるように処理空間内の湿度を制御しながら加温すると、木材の物性にほとんど影響を与えずに木材の内部まで温度を上げていくことが可能になります。従来の歴史的木造建造物の殺虫処理は、建造物を被覆密閉して内部に気化させた薬剤を充満させて木材内部の害虫を駆除する燻蒸殺虫処理が唯一の手法でした。しかし、燻蒸ガスは人体にも影響があるため安全対策上のリスクも大きく、木造建造物のような大規模処理を継続するのは困難な状況にありました。湿度制御高温殺虫処理は、このような課題を克服する新しい方法として期待されています。
これまでに、日光社寺文化財保存会、京都大学、九州国立博物館、トータルシステム研究所、文化財建造物保存技術協会、国立民族学博物館、千葉県立中央博物館、そして東京文化財研究所からなる研究チームで歴史的木造建築物への適用に向けた基礎研究から応用技術の確立まで研究を進めてきました。基礎研究では、チャンバーを使った試験で処理中の空間の湿度分布と木材内の温度分布、表面ひずみの計測、材質への影響を確認しました。そして、実際の建物を想定した温湿度制御ユニットを作成し、モデル建物での処理試験を経て、今回、中禅寺愛染堂に次ぐ国内で2度目の歴史的木造建築物の現地処理試験に至りました。中禅寺で行った2棟の処理結果を整理して、本法が新たな殺虫処理法の一つとして普及していくことを目指して研究を進めていきたいと考えています。