中井宗太郎「国展を顧みて」を読む―第7回文化財情報資料部研究会の開催

研究会発表の様子
『中央美術』第11巻1号(大正14年1月)に掲載された中井宗太郎「国展を顧みて」

 大正7(1918)年、土田麦僊や村上華岳らによって京都で発足した国画創作協会は、大正時代の日本画における大きな革新運動のひとつとして知られています。その活動を思想的に支えたのが、京都市立絵画専門学校(現在の京都市立芸術大学)で美術史を講じていた中井宗太郎(1879~1966)でした。中井は国画創作協会に鑑査顧問として参加し、新聞や美術雑誌で同協会の方針や展覧会(国展)の批評を述べています。
 12月23日に開催された文化財情報資料部研究会では、そうした中井の言説の中から、大正14年1月刊行の『中央美術』第11巻1号に発表された「国展を顧みて」に焦点を当てて、塩谷が発表を行ないました。この「国展を顧みて」は、大正13年から翌年にかけて東京と京都で開催された第4回国展を受けて、中井が国画創作協会、そして日本画の進むべき方向を示した一文です。その中で中井は日本画の独自性を論じ、伝統や古典に対する認識を促していますが、そこには大正11年から翌年にかけての渡欧で直面した、西洋美術における古典回帰の潮流が念頭にあったものと思われます。大正時代末から“新古典主義”と称される端正な日本画が一世を風靡するようになりますが、中井の「国展を顧みて」にみられる論調は、そのような動向を予兆するものであったといえるでしょう。
 本研究会には所外から田中修二氏(大分大学)、田野葉月氏(滋賀県立美術館)のお二方にコメンテーターとしてオンラインでご参加いただき、発表後のディスカッションで京都画壇や中井宗太郎についてご教示いただきました。また所外のその他の日本近代美術の研究者も交えて話題は中井の言説や日本画にとどまることなく、大正末~昭和初期の美術の様相をめぐって長時間にわたり意見や情報を交わしました。

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