研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『TOBUNKEN NEWS (東文研ニュース)』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。

東京文化財研究所 保存科学研究センター
文化財情報資料部 文化遺産国際協力センター
無形文化遺産部


アンコール・タネイ遺跡保存整備のための現地調査XVIII-中央伽藍前十字テラスの保存修復に向けた予備調査

中央伽藍前テラス(赤色部が十字テラス)
十字テラス発掘中
中央塔の旧構成部材修復の様子

 タネイ遺跡は12世紀末から13世紀初頭の建立と推測される仏教寺院で、その中央伽藍の正面にあたる東側には大型の矩形テラスと十字テラスが並んでいます。同時代の他寺院でも伽藍正面には大型テラスが認められますが、矩形テラス前に十字テラスが接続する構成は珍しく、タネイ寺院の性格を考える上でも重要な遺構と言えます。しかし、テラス上に生えた樹木の根やテラス内部を構成する盛土層の不等沈下により、とくに十字テラスの崩壊が著しい状況にあります。
 そこで文化遺産国際協力センターでは、令和6(2024)年11月末から12月下旬にかけて職員4名を派遣し、今後の保存修復方法の検討に向けた予備調査として、カンボジア政府APSARA機構の考古スタッフとの協働による十字テラスの発掘調査を開始しました。併せて、崩壊原因を解明するための内部構造調査や破損調査、崩落した石材の残存状況調査を実施し、今後の修復手法に関する基礎的検討を行いました。
 発掘調査の結果、周囲の堆積土中からかつて十字テラスを構成していたと考えられる多数の散乱石材を検出したほか、基礎地業層やテラス内部の構造の一端が明らかになりました。一方、テラス基底部の現状レベルを確認したところ、とくに南北の翼端部に向かう沈下が認められるものの、基底部自体は比較的健全な状態を保っていることがわかりました。これに対して、テラス東翼の南北辺や南翼付近では側壁や床材が多くの箇所で失われており、砂を主体とする内部盛土が流出している状況が確認されました。散乱石材の中からはテラス側壁中段に比定される部材がほとんど見つかっておらず、いつの時代かにこれらの石材が人為的に持ち去られた可能性が考えられます。こうした観察結果をもとに十字テラスの修復方法をAPSARA職員とともに検討し、修復の基本方針や今後の進め方について概ね合意に達しました。
 これと並行して、同年8月までに部分修復を実施した中央塔東西入口部について(XVI-XVII次現地調査)、若干の追加的石材修復作業を行いました。さらにこの間、12月11日から13日にはシエムレアプ市内で国際調整委員会会合(ICC-Angkor/Sambor Prei Kuk)が開催され、中央塔入口部の修復完了と中央伽藍前十字テラスの調査内容について報告しました。

バーレーンおよびサウジアラビアの文化遺産保存状況に関する調査

バルバル神殿遺跡の浸水被害調査
アル・ファウ遺跡シンポジウム

 文化遺産国際協力センターでは、文化遺産保存状況の調査ならびに関連協議のため、令和6(2024)年10月上旬にバーレーンとサウジアラビアへ調査団を派遣しました。
 このほど、バーレーン文化古物局と東京文化財研究所、金沢大学古代文明・文化資源学研究所の三者は協力協定を締結し、新たに「バハレーン・アラビア湾岸考古学・文化遺産研究センター」を立ち上げ、同国の考古学研究と文化遺産保護事業を共同で進めていくことで合意しました。今回のバーレーン訪問のおもな目的は、年初の大雨による影響を受けた遺跡の状況調査です。カラートゥ・ル=バーレーン遺跡では、浸水による砦外壁の崩壊や、ナツメヤシ材を用いた天井梁の顕著な撓みが確認され、一時的に観光客の立ち入りが制限されていました。また、バルバル神殿遺跡では、最も神聖な場所であったと思われる井戸状遺構に砂が流入し、基礎の洗堀等によって複数の石材が傾斜・移動していました。このように、気候変動による年間降水量の増大に伴い、それによる文化遺産への影響が中東・湾岸地域では年々深刻化しています。数年前に採られた記録と現状を比較して劣化の進行を定量的にモニタリングすることを提案し、影響軽減の対策案について協議しました。
 一方、サウジアラビアでは、令和6(2024)年9月に世界遺産に新規登録されたばかりのアル・ファウ遺跡をテーマとして首都リヤドで開催されたシンポジウムに出席し、続いて遺跡現地も見学しました。イスラーム以前の交易都市の遺構を中心としたアル・ファウ遺跡は、祭祀遺構や主に青銅器時代に築かれた多数の古墳も含む広大かつ多面的な遺跡ですが、発掘調査はまだ全体の数%しか完了していません。今回の訪問では文化遺産庁とも意見交換を行い、今後の公開に向けた史跡整備のなかで必要な支援ができるよう、協議を継続することを確認しました。

文化遺産の3Dデジタル・ドキュメンテーションとその活用に関するワークショップの開催

写真測量の実習
広島県平和記念公園でのVRツアー体験
福井県一乗谷朝倉氏遺跡でのARコンテンツの体験

 文化遺産国際協力センターは、令和6(2024)年度文化遺産国際協力拠点交流事業「デジタル技術を用いたバーレーンおよび湾岸諸国における文化遺産の記録・活用に関する拠点交流事業」を文化庁より受託しています。その一環として、令和6(2024)年10月21~30日にかけて「文化遺産の3Dデジタル・ドキュメンテーションとその活用に関するワークショップ」ならびに「日本の博物館、史跡におけるAR、VR、デジタル・コンテンツの活用に関するスタディー・ツアー」を実施しました。本研修は、前年度に同交流事業を受託してバーレーンにて実施した、3Dデジタル・ドキュメンテーションに関する基礎的な研修を発展的に継承したもので、今回はバーレーン、クウェート、サウジアラビア、オマーン、エジプトの5カ国から計7名の専門家を招聘して、応用的な技術講習・実習に加え、ドローンを航行させての遺跡や建物の広域測量の実習、さらに日本国内での活用事例を見学するスタディー・ツアーも行いました。
 日本に招聘して研修を実施するねらいは、考古遺跡や歴史的建造物の記録における3Dデジタル・ドキュメンテーションの導入だけでなく、歴史教育や博物館展示、史跡公開などの場面での活用事例を学んでもらうことにあります。そこで、東京国立博物館と文化財活用センターが製作したデジタル日本美術年表をはじめとするデジタル・コンテンツや、産業技術総合研究所が進めるデジタルツイン事業の一つである3D DB Viewer、博物館資料の3Dデータを3Dモデルとして出力し“触れる展示資料”を提供している「路上博物館」などの事例を紹介しました。また、広島の平和記念公園で実施されているPeace Park Tour VRの体験、大塚オーミ陶業による文化財のレプリカ製作の現場見学、福井県一乗谷朝倉氏遺跡の屋内外における遺構露出展示や復元街並みとAR・VRの融合事例の見学などを実施しました。
 湾岸諸国の中でも、3Dデジタル・ドキュメンテーションを本格的に導入したい対象や場面が国毎に異なり、より専門的かつ集中的な研修と実用化が求められていることがうかがわれました。今後はそれらのニーズに個別に対応した、より実践的な協力のあり方も検討していきます。

第2回こども文化遺産ワークショップ開催

ワークシートに取り組む子供たち
記号の法則をたよりに立体パズルを組み立てる様子

 東京文化財研究所では、文化遺産に対する次世代の興味関心の拡大を目的に、昨年度より小学生を対象とした文化遺産ワークショップを開催しています。第2回目となった7月27日(土)の会には25名の小学生とその家族、総勢70名以上が参加しました。
 前回に引き続き古代エジプトの文化遺産をテーマとし、今年度は新たに、ピラミッドの建造順を並べ替えるワークシート、発掘調査の紹介、古代エジプトの船に関する研究成果を反映させた立体パズルといったプログラムを実施しました。それぞれのプログラムは、考古学の編年の仕組みに触れることや、遺跡の発見から調査研究・保存修復の実際の手順を学ぶこと、古代エジプトで使用された文字の意味や、船を造る際の工夫を知ることなどをねらいとしており、学術的な研究の一端に遊びながら触れ、学ぶことができます。立体パズルでは、実際に木造船の組み立てに使用された番付システムを簡易化し、ヒエログリフや数字に込められた法則を考えながらパズルの前後左右や並び順を判断するという仕組みにしました。
 このようなワークショップは、文化的・歴史的遺産のミステリアスな側面に対する子供たちの関心の向上や、新たな気付きや学びの機会の提供だけでなく、親世代にも文化遺産研究の成果とその背景や意義を理解していただく好機となります。今後も調査研究成果をもとにした研究機関ならではのワークショップを開催して参ります。

令和5(2023)年地震で被災した博物館・文化遺産救援に向けたトルコ現地調査

被災、倒壊し仮囲いが設置された歴史的建造物(ハタイ)
倒壊した城壁等の修復工事が進められているガズィアンテプ城
専門家会議の様子

 東京文化財研究所では、令和5(2023)年度緊急的文化遺産保護国際貢献事業(専門家交流)「トルコにおける文化遺産防災体制構築を見据えた被災文化遺産復興支援事業」を文化庁から受託している文化財防災センターとともに、本事業に参加しています。本事業は、令和5(2023)年2月6日に発生したトルコ・シリア地震により被災した博物館や文化遺産の救援支援を第一の目的とするものです。それに加え、日本における被災文化財救援の経験や文化財防災の蓄積をトルコと共有することで、トルコにおける文化遺産防災体制の構築、充実化に向けた支援にもつなげてゆくことを見据えています。
 2023年11月28日〜12月7日、当研究所と文化財防災センターとの合同チームがトルコを訪問し、被災地視察、両国の文化財防災に関する情報交換(専門家会議の開催)、今後の連携に向けた意見交換を行いました。
 被災地視察では、ハタイ、ガズィアンテプ、シャンルウルファの博物館、文化遺産等を巡り、被災後の対応及び現状、課題について各博物館職員らからの聞き取り、今後の支援のニーズ調査を行いました。現在、被災した博物館では応急的な対応が進められており、今後、被災した収蔵品や建物の本格的な修理等が進められる見込みということです。なお、シャンルウルファでは地震翌月の3月上旬に大雨による洪水が発生しており、同地の博物館では地震被害は比較的軽微だったものの、浸水による大きな被害が生じています。
 専門家会議は、アンカラのトルコ共和国文化観光省において同省との共催にて実施しました。日本側からは、日本国内における文化財防災の概要を紹介した上で、東日本大地震をはじめとした被災文化財救援の取り組みや博物館における災害予防の取り組みを報告しました。トルコ側からは、この度の地震による文化財被害や対応の概要、博物館における災害予防の取り組み等をご報告いただきました。今後、両国間での協議を重ね、具体的な支援内容を検討していくとともに、文化財防災にかかる共同研究を進めていく予定です。

バーレーン王国における文化遺産の3Dデジタル・ドキュメンテーションとその活用に関するワークショップ開催

写真測量による3Dモデル作成に取り組む受講者
写真測量による3Dモデル作成に取り組む受講者

 文化遺産国際協力センターでは、令和5(2023)年12月24~27日の4日間にわたって、バーレーン王国の文化遺産担当の専門職員らを対象に、3Dデジタル・ドキュメンテーションの技術移転とその後の活用方法の事例紹介・意見交換を目的としたワークショップを開催しました。バーレーン王国では、文化遺産の記録や保護と活用に関する様々な課題を解決していくための一つの方法として、3Dデジタル・ドキュメンテーションの導入を進めようとしています。本ワークショップは、そのための技術移転の要請を受け、令和5年度文化遺産国際協力拠点交流事業(文化庁)として実施しました。
 受講者は総勢15名で、それぞれ博物館学、保存科学、保存修復、考古学、建築学など様々な専門分野をもち、うち2名は近隣のアラブ首長国連邦とクウェートからの参加でした。
 3Dデジタル・ドキュメンテーションの各手法について講義を受けた後、受講者はそれぞれ博物館の展示品から1つを選び、写真測量により自分自身で1から3Dモデルを作成する課題に取り組みました。トライ&エラーを自ら経験することで、受講者はモデルを作成し、その後の活用を考えるまでの技術と知識を習得しました。最終日の討論では博物館の展示解説の充実度の向上や、保存修復過程の記録としての利用、デジタル博物館の構想や国内外へのプロモーションへの活用など、作成した3Dモデルを活かしていくための各自のアイデアが積極的に話し合われました。バーレーン王国に限らず、湾岸諸国では豊富な文化遺産が育まれている一方で、文化遺産を保護・活用する人材の不足が懸念されていますが、こうした効率的な手法を学ぶことで、それらの課題の一部が解決されることが望まれます。

アンコール・タネイ遺跡保存整備のための現地調査XIV-東バライ西土手上テラスの発掘調査

東バライ西土手上テラスの発掘風景
中央伽藍東塔内部の既存の支保工(写真右)と今回新たに施工した支保工(写真左)

 カンボジアのタネイ寺院は王都アンコールの水利を支えた巨大溜池の一つである、東バライに面して立地しています。タネイ寺院の東端に位置するテラスはその東バライの西土手上に造成され、土手を介して他寺院ともつながり、寺院への玄関口と位置付けられる重要な遺構です。しかし、残存状況が極めて悪く、その建設時期や構造物の詳細はこれまで明らかになっていませんでした。
 東京文化財研究所では、同テラスの形状や建設意図を考察することを目的として、平成29(2017)年11月、平成30(2018)年3月と8~10月の3期にわたって発掘調査を実施し、テラスのうち特に西翼部分の構造が明らかになりました。その後継調査として、今期はテラスの南北翼の形状把握ならびに造成過程について明らかにすることを目的に、令和5(2023)年11月5日~30日にかけて当研究所職員4名を派遣し、アンコール・シェムリアップ地域保存整備機構(APSARA)と協力して発掘を伴う考古学・建築学調査を実施しました。
 発掘調査の結果、当初目的としたテラスの南北形状を復元できるような石造構造物の残存遺構を確認することはできませんでしたが、その基礎構造を成していた土盛りの層位的検討からテラスの造成過程を考察する手がかりが得られました。また、テラス上面からは新たに石やレンガを組み合わせた木造柱の基礎(柱穴)を発見しました。堆積土中からは、テラスの周囲を囲むように面的に広がる屋根瓦を多量に含む層を確認し、その直下の層位がテラス上に構造物が建設された当時の地表面にあたると推定されました。ただし、テラス上の構造物の詳細についてはいまだ不明瞭な点が多く、今後のさらなる調査が求められます。上記の東バライ西土手上テラスの調査以外にも、昨年に修復を完了した東門の一部再補修や図面記録の継続、中央伽藍東塔の危険個所への支保工の設置、今後の寺院保全に向けた調査や打ち合わせなどを実施しました。

「海外調査のための3次元計測実習 中・上級編」の開催

実習風景

 近年、文化遺産の世界では、Agisoft社のMetashapeやiPhoneのScaniverseなどを用いた3次元計測が急速に普及しています。これらの技術の導入によって、作業時間が大幅に短縮されただけではなく、これまでと比べようのない高精度で文化遺産のドキュメンテーションが可能になってきています。
 今回は、7月に実施した「海外調査のための3次元計測実習 初級編」に引き続き、3次元計測の第1人者である公立小松大学の野口淳氏を講師にお招きし、海外で文化遺産保護に携わる日本の専門家を対象に、11月26日に「海外調査のための3次元計測実習 中・上級編」を開催しました。まずは日本の専門家に3次元計測の手法を学んでいただき、各々のフィールドで海外の専門家に普及していただく、これが本実習の目的です。
 考古学や保存科学、建築の分野から18名の専門家の方々に参加いただきました。受講生は、Cloud Compareを用いて3次元モデルから展開図や断面図、等高線図、段彩図などを作成する方法を学びました。

バーレーン人専門家を対象にした「日本の博物館、史跡におけるAR、VR、デジタル・コンテンツの活用に関するスタディー・ツアー」の実施

一乗谷朝倉氏遺跡への訪問

 東京文化財研究所は、長年にわたり、中東バーレーンの文化遺産を保護するため、国際協力事業を行っています。
 今回、バーレーン側から、バーレーンの博物館や史跡において、今後、ARやVR、デジタル・コンテンツを充実させていきたいので、ぜひ、日本における活用事例を視察したいという要望が寄せられました。
 そのため、令和5(2023)年の10月10日~15日にかけて、バーレーン国立博物館のサルマン・アル=マハリ館長と、バーレーンの世界遺産登録を担当しているドイツ人専門家のメラニー・ミュンツナー博士を日本に招聘し、「日本の博物館、史跡におけるAR、VR、デジタル・コンテンツの活用に関するスタディー・ツアー」を実施しました。
 今回は、日本の各専門家にお願いし、文化遺産の3Dデジタル・ドキュメンテーションの概論や、日本の観光名所などにおけるARの活用事例などに関して講義を行っていただきました。また、東京国立博物館や一乗谷朝倉氏遺跡、奈良文化財研究所や平城宮いざない館、国立民族学博物館やNHK、NHKエンタープライズなどを訪問し、日本における最新のARやVRまた超高精細3DCGなどのデジタル・コンテンツの活用事例を見学していただきました。
 なお、今回のスタディー・ツアーは、「文化遺産国際協力拠点交流事業」の一環として実施したもので、12月にはバーレーン国立博物館において現地の専門家を対象に「文化遺産の3Dデジタル・ドキュメンテーションとその活用に関するワークショップ」を行う予定です。

シンポジウム「大エジプト博物館のいま ファラオの至宝をまもる2023」の開催

ツタンカーメン王の副葬品修復に関するパネルトーク
シンポジウムの登壇者一同

 東京文化財研究所は平成20(2008)年から平成28(2016)年まで、カイロに新設される大エジプト博物館(Grand Egyptian Museum)に対する開館支援事業を独立行政法人国際協力機構(JICA)から受託し、収蔵品の保存修復のための人材育成と技術移転の研修を実施しました。
 同博物館の開館をいよいよ間近に控え、上記の当研究所受託事業を含む日本からの支援について広く周知することを目的として、シンポジウム「大エジプト博物館のいま ファラオの至宝をまもる2023」を開催しました。大エジプト博物館と独立行政法人国際協力機構(JICA)、当研究所の三者共催により、令和5(2023)年8月6日に東京国立博物館平成館大講堂で行われた本シンポジウムには、エジプトからアーテフ・ムフターフ博物館総責任者とアイーサ・ジダン保存修復執行部門長の両氏も招聘しました。
 大エジプト博物館は、単一文明を扱った博物館としては世界最大規模となる予定で、三大ピラミッドが所在するエリアに隣接する巨大な施設は開館前から注目を集めています。シンポジウムでは、まずアーテフ・ムフターフ氏より、博物館の全体像やツタンカーメン王の副葬品展示室が紹介されました。続いて、別館に展示するため日本隊が復元を進めているクフ王第2の船について、吉村作治教授(東日本国際大学総長)とエジプト側担当者のアイーサ・ジダン氏によって最新の成果が発表されました。さらに、ツタンカーメン王の副葬品を実際に保存修復した研究者らによる成果発表、そして、大エジプト博物館への期待をテーマとしたパネルディスカッションが行われました。
 本シンポジウムは、開館前の博物館の様子だけでなく、これまでの日本による開館支援活動の全体像をまとめて紹介する好機となりました。当日の講演内容は、近く、当研究所ホームページ等で公開される予定です。

「海外調査のための3次元計測実習」の開催

3Dモデル作成のために写真撮影を行う受講生

 近年、文化遺産の世界では、Agisoft社のMetashape、iPhoneのScaniverseなどを用いた3次元計測が急速に普及しています。これらの技術の導入によって、作業時間が大幅に短縮されただけではなく、これまでと比べようのない高精度で文化遺産のドキュメンテーションが可能になってきています。 
 今回は、日本における3次元計測の第1人者である公立小松大学の野口淳氏を講師にお招きし、海外で文化遺産保護に携わる日本の専門家を対象に、令和5(2023)年7月15日~17日にかけて「海外調査のための3次元計測実習」を開催しました。まずは日本の専門家に3次元計測の手法を学んでいただき、各々のフィールドで海外の専門家に普及していただく、これが今回、実習を開催した目的です。 
 考古学や保存科学、建築の分野から25名もの専門家の方々にご参加いただきました。受講生は、3日間の実習において、Agisoft社のMetashapeを利用した3次元計測の技術を学び、iPhoneのScaniverseなども体験しました。 

トルコ文化観光省からの来訪研究者受入

イルカイ氏による研究成果発表
奈良文化財研究所の視察

 東京文化財研究所文化遺産国際協力センターでは、令和5(2023)年4月10~5月31日まで、トルコ共和国文化・観光省博物館総局職員のイルカイ・イヴギン氏を来訪研究者として受け入れました。氏はトルコ、日本、イタリアの文化財保護法制度の比較研究を行っており、来訪中は特に日本の埋蔵文化財行政の仕組みについて学ばれました。また2月に発生したトルコ・シリア大地震で被災した文化財や博物館の修復、再建に向け、日本の文化財防災についても情報を収集されました。
 当研究所からは、各国の文化財保護制度について収集した情報の提供や、関連資料等の紹介のほか、トルコの文化財を所蔵する博物館や、埋蔵文化財の調査や管理を担う組織や研究機関等の視察にスタッフが同行しました。今回の来訪研究者受入は私たちにとっても、トルコの埋蔵文化財の現状を知るとともに、改めて日本の埋蔵文化財行政とその課題を理解する好機となりました。
 以下は、イヴギン氏からのコメントの訳文です。

 私の博士論文のタイトルは「トルコの考古学的遺物の保存における立法の検討と標準化のための法的取り決めの提案」で、アンカラ・ハジュ・バイラム・ヴェリ大学の文化遺産保存修復学部と共同で研究を行っています。この論文では、日本の文化財保護法制度が研究の重要な部分を占めています。
 東京文化財研究所では論文の主題に関する研究を支援していただき、深く感謝しています。あわせて、東京大学、古代オリエント博物館、東京国立博物館、千葉市埋蔵文化財調査センター、東京都埋蔵文化財センター、橿原考古学研究所、奈良文化財研究所、文化庁の関係者の皆様のサポートに感謝申し上げます。

イルカイ・イヴギン Ilkay Ivgin

こども文化遺産ワークショップ「なりきり!エジプト考古学者」の開催

真剣に話を聞く子どもたち
壁画のポーズを真似て、身体を動かしリフレッシュ
原寸大のピラミッドの通路模型を通る様子
VRゴーグルを付け、遺跡探訪体験を楽しむ様子

 東京文化財研究所では、今後を担う次世代にも文化遺産への興味関心を持ってもらうための試みとして、「こども文化遺産ワークショップ」を開催しました。
 文化遺産国際協力センターアソシエイトフェロー・山田綾乃が企画、運営を担当した初回のワークショップは、令和5(2023)年4月30日午前、小学生を対象に「ピラミッド」をテーマとして開催しました。当日は33組、小学生36名、総勢90名を集めました。
プログラムの前半では、エジプト現地で発掘経験のある2名の講師(福田莉紗氏・早稲田大学大学院博士後期課程/山田綾乃)が、ピラミッドの歴史と、ピラミッドを作った人々の暮らしについての授業を行いました。教科書には書かれていない、考古学や歴史学の研究で明らかになった事柄を盛り込み、子どもたちが日常や学校生活と比較して古代文明をより身近に想像できるよう工夫しました。
 後半では座学を離れ、体験・体感型の2つのプログラムを用意しました。1つは、ゴーグルを付けて遺跡のVR映像を楽しむ体験。もう1つは、ピラミッド内部のバーチャルツアーを見ながら、原寸大で再現されたピラミッドの通路を通ったり、棺に入ったりしてみるというものです。使用したアプリケーションやウェブサイトは、自宅でも閲覧、体験が可能です。ワークショップの限られた時間だけでなく、自宅でも体験を継続し、何度も復習する機会を与えることで、学習の効果的な定着に結び付くことを目指しました。
 今回のような次世代に向けた取り組みも調査研究の延長線上に位置づけ、こども文化遺産ワークショップの第2弾も企画したいと考えています。

特別講演会「ツタンカーメン王墓発掘100周年 エジプト王家の谷発掘調査の現在」の開催

ご発表されるスザンヌ・ビッケル教授

 東京文化財研究所は、金沢大学古代文明・文化資源学研究所と共催で、令和5(2023)年4月30日、東京国立博物館平成館大講堂にて、特別講演会「ツタンカーメン王墓発掘100周年 エジプト王家の谷発掘調査の現在」を開催しました。本講演会は、ツタンカーメン王墓発掘100周年を記念し、王家の谷と呼ばれる古代エジプトのネクロポリスにおける発掘調査の最新成果を広く一般の方に知っていただくことを目的に企画しました。
 基調講演には、スイス・バーゼル大学で王家の谷プロジェクトを率いるスザンヌ・ビッケル氏・バーゼル大学教授をお招きしました。ビッケル氏は、平成23(2011)年~平成24(2012)年に王家の谷で第64番目となる墓を発見された、当該分野の研究を牽引する研究者のおひとりです。講演会では、同大学のプロジェクトが近年発掘調査を行った古代エジプト新王国時代第18王朝アメンヘテプ3世の家族や王宮の女性たちが埋葬された墓(王家の谷第40号墓)について、考古学的および人類学的研究成果を発表されました。また、この墓と同時期に造営されたアメンヘテプ3世の王墓を発掘調査した近藤二郎氏・早稲田大学名誉教授、ならびに第18王朝の謎の女王ネフェルネフェルウアテンについて研究されている河合望氏・金沢大学教授からもご講演をいただきました。
 当日は275名の来場者を迎え、発掘調査成果に基づく考古学的専門性の高い内容を多くの方にお届けすることができました。今後も、調査研究成果の還元のため、同様の会を積極的に開催していく予定です。

バハレーンにおける歴史的なイスラーム墓碑の3次元計測

バハレーン国立博物館での調査

 東京文化財研究所は長年にわたり、バハレーンの古墳群の発掘調査や史跡整備に協力してきました。令和4(2022)年7月に現地を訪問してバハレーン国立博物館のサルマン・アル・マハリ館長と面談を行った際に、モスクや墓地に残されている歴史的なイスラーム墓碑の保護に協力してほしいとの要請がありました。現在、同国内には約150基の歴史的なイスラーム墓碑が残されていますが、塩害などにより劣化が進行しています。
 この要請に応えた新たな協力活動の第一歩として、令和5(2023)年2月11日から16日にかけて、バハレーン国立博物館とアル・ハミース・モスク(Al-Khamis Mosque)所蔵の墓碑を3次元計測しました。写真から3Dモデルを作成する技術であるSfM-MVS(Structure-from-Motion/Multi-View-Stereo)を用いた写真測量を行い、バハレーン国立博物館所蔵の20基、アル・ハミース・モスク所蔵の27基の計測を完了しました。石灰岩で作られた墓碑は写真測量との相性が良く、作成した3Dモデルからは写真や肉眼で見るよりもはるかに明瞭に墓碑に彫られた碑文を視認することができます。これらのモデルは、今後、広く国内外からアクセスできるプラットフォームに公開し、墓碑のデータベースとして活用していきます。
 来年度以降、さらにバハレーン国内の他の墓地にも対象を広げて3次元計測作業を進めていく予定です。

国際シンポジウム「考古学と国際貢献:バーレーンの文化遺産保護に対する日本の貢献」および「バーレーン考古学をめぐって」の開催

バーレーンに残るディルムンの古墳群
東京シンポジウムの講演者と参加者

 中東のバーレーンは、東京23区と川崎市をあわせた程度の小さな島国ですが、魅力ある文化遺産を数多く有しています。とくに今から4千年前頃には、バーレーンはディルムンと呼ばれ、メソポタミアとインダスを結ぶ海洋交易を独占して繁栄したことが知られています。この時代だけで7 万5 千基もの古墳が造られ、それらは19世紀末以来、多くの研究者を惹きつけてきました。この古墳群は、2019年にはユネスコの世界文化遺産にも登録されています。
 東京文化財研究所は長年にわたり、ディルムンの古墳群の史跡整備や発掘調査に協力してきました。そして、今年度からは新たに、バーレーンに残されている歴史的なイスラーム墓碑の保存にも協力を開始することとなりました。
 2022年は、日本とバーレーンの外交関係樹立50周年という記念の年にもあたります。そこでこのたび、本研究所は金沢大学古代文明・文化資源学研究所と共催で、国際シンポジウム「考古学と国際貢献:バーレーンの文化遺産保護に対する日本の貢献」(12月11日、会場:東京文化財研究所)と「バーレーン考古学をめぐって」(12月14日、会場:金沢大学)を開催しました。これらのシンポジウムでは、バーレーンの国立博物館館長のほか、バーレーンで発掘調査を行っているデンマーク隊、フランス隊、イギリス隊の隊長、日本の考古学や保存科学の専門家が一堂に会しました。
 東京のシンポジウムではバーレーンにおける各国による発掘調査の歴史や日本の専門家による発掘や保存修復活動が紹介され、金沢のシンポジウムでは各国隊による最新の発掘調査成果がおもに紹介されました。
 本研究所は、今後もバーレーンの文化遺産の保護に様々な形で協力していく予定です。

国際シンポジウム「メソポタミアの水と人」の開催

写真:イラクと中継を結んでのディスカッション

 東京文化財研究所とNPO法人メソポタミア考古学教育研究所(JIAEM)は、令和4(2022)年10月22日(土)に「メソポタミアの水と人―文化遺産から暮らしを見直す―」と題した国際シンポジウムを共催致しました。本シンポジウムは、令和元(2019)年に続く2度目の共催事業であり、いまだ外国研究機関の活動が制限されているイラクをはじめとしたメソポタミア地域の考古学研究ならびに現代の暮らしに目を向け続け、理解を深めるとともに、将来的な考古学調査の再開や国際協力を見据える活動の一環であります。
 メソポタミア文明を育んだ大河・ティグリス川とユーフラテス川は現在、地球規模の気候変動の影響に加えて、上流に位置する隣国によるダム建設などのあおりを受け、水量が激減しているという問題に直面しています。本シンポジウムでは、駐日イラク共和国大使館 特命全権大使アブドゥル・カリーム・カアブ閣下をお招きし、メソポタミア文明期から脈々と続く人々の生活と両大河の関わりと、現在の大河流域のイラクの窮状について基調講演をいただきました。続いて、越境河川における水資源管理、古代メソポタミア地域の水利、伝統的な船造りの方法とその伝承、かつて豊富な湧水で栄えたバーレーンの歴史と現在、というテーマで多方面から「水」をキーワードに発表が行われました。シンポジウム後半には、イラク現地と中継を結び、イラク人専門家から、古代遺跡での水利に関する調査成果や、水とともに生きる南イラクの水牛の危機的状況を発表していただきました。最後に発表者全員で行われたディスカッションでは、かつてイラクの地でどのような水利事業が行われていたのか発掘成果を確認するとともに、様変わりする河川の状況に人々はどう対処していくことが出来るかが話し合われました。
 古代から現代にいたる幅広い問題を扱い、日・英・アラビア語の3か国語で行われた本シンポジウムは、「水」という我々の生活の核となるテーマを掲げたことで、学術的な内容に留まらず、現地の声に耳を傾け人々の暮らしを議論する貴重な機会となりました。このような会を積み重ねることで、新たな国際協力の課題が見出されていくことでしょう。

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