研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『TOBUNKEN NEWS (東文研ニュース)』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。

東京文化財研究所 保存科学研究センター
文化財情報資料部 文化遺産国際協力センター
無形文化遺産部


ポルトガルで「発見」された2基のキリスト教書見台について―桃山・江戸初期の日葡関係と禁教実相を映す新出資料―令和5年度第9回文化財情報資料部研究会の開催

当研究所での書見台調査風景
研究会発表の様子
研究会後の書見台実見観察の様子

 令和6(2024)年1月23日に開催した文化財情報資料部研究会では、リスボン新大学のウルリケ・ケルバー氏と文化財情報資料部特任研究員・小林公治が、「ポルトガルで「発見」された2基のキリスト教書見台について―桃山・江戸初期の日葡関係と禁教実相を映す新出資料―」というテーマで発表しました。
 ここで報告した2基の書見台はキリスト教で聖書(ミサ典書)を置くためのもので、近年ポルトガルで確認された新出の資料です。ひとつは琉球、あるいはポルトガルの中国拠点であったマカオとの関係が指摘されてきたポルトガル・アジア様式のものですが、漆塗下の木胎面に墨書漢字が多数書かれています。もうひとつは1630年代に京都で造られヨーロッパに輸出された南蛮漆器ですが、通常イエズス会のシンボルマークIHSが表される中央部にはなぜか黒い漆が厚く塗られ松の木が描かれています。これまでにない特徴を持つこれらの書見台は歴史的な重要資料だと考えられたため、このたび日本まで持ち運び奈良文化財研究所と東京文化財研究所などで学術調査と研究報告を行うことになりました。
 発表者2名の研究と今回国内で実施した調査により、ポルトガル・アジア様式の書見台は1600年頃の製作で、七言律詩で書かれた漢字文には「マカオから離れ難い」という一文があるため、この漆塗螺鈿装飾がマカオでなされたこと、またこの頃の日本での書見台製作がマカオと密接に関係していたことを示しています。もう一方の南蛮漆器書見台は奈良国立博物館でX線CT調査を実施した結果、松の木の下からIHS紋の螺鈿痕跡が見つかったことから、迫り来る禁教圧力の中キリスト教器物であることを隠すため、中央部からキリスト教文様だけをはぎ取り松文様に塗り変えたことが判明しました。
 この研究会ではこうした事実を速報的に報告すると同時に、参加者にこれらの書見台を直接観察していただく機会にもなりました。今後は、両書見台に対するさらなる調査と研究を進め、その成果をできるだけ早く報告していきたいと考えています。

(NHK報道ウェブリンク: https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240218/k10014362331000.html

螺鈿の位相―岬町理智院蔵秀吉像厨子から見る高台寺蒔絵と南蛮漆器の関係―第4回文化財情報資料部研究会の開催

第4回研究会発表の様子

 令和4(2022)年7月25日に開催された今年度第4回文化財情報資料部研究会では、特任研究員の小林公治が「螺鈿の位相―岬町理智院蔵秀吉像厨子から見る高台寺蒔絵と南蛮漆器の関係―」と題し、会場とオンラインによるハイブリッド方式で発表を行いました。
 大阪府岬町に所在する理智院には、豊臣秀吉に仕え大名に取り立てられた忠臣、桑山重晴が造らせたと考えられる秀吉像蒔絵螺鈿厨子が伝えられています。この厨子は、その死後直ぐに神格化された秀吉の遺徳をしのびその恩に報いるため、桑山が自領に豊国神社を分祀する際に制作させたものと見られますが、厨子各面を高台寺蒔絵様式の平蒔絵文様で装飾するのみならず、高台寺蒔絵漆器にはまったく知られていない螺鈿装飾を伴っている点で特に注目されます。
 本発表では、この厨子に表されている「折枝草花唐草文」「菊桐紋」「立秋草唐草文」という三種の文様について検討した結果、それぞれの歴史性や格の違いが蒔絵装飾への螺鈿の併用可否という点に強く影響したことを示しましたが、逆に言えばこのことは、この時期の日本における螺鈿という装飾技法の非一般的性格を意味し、さらに言えば、ヨーロッパ人の発注により輸出漆器として制作され、秋草文様や螺鈿装飾を一般的要件とした南蛮漆器の特殊な立ち位置を暗示していることになります。
 また、南蛮漆器には不定形の貝片をランダムに配置した作例が広く知られていますが、これは螺鈿に不習熟であった職人の技量を示している、あるいはその粗雑な制作水準を示すといった理解がこれまで一般的でした。しかしながら、これと同様の螺鈿技法が秀吉追慕という思いで造られた理智院所蔵厨子にも認められることからすれば、この螺鈿表現が技量の低さや粗雑な制作といった否定的な存在であった可能性は明確に否定され、何らかの肯定的な意味を持っていたと見る必要が生じます。そこで筆者は平安時代以来、蒔絵と密接な関係性を持っていた料紙装飾に注目し、同時代の箔散らし作例を具体的に例示したうえで、このような美的感覚からの影響でこうした螺鈿表現が創出され、この秀吉像厨子や南蛮漆器の螺鈿技法に取り入れられたのではないか、という仮説を提示しました。
 このように、当時の国内事情によって制作された理智院伝世秀吉像厨子の蒔絵螺鈿装飾の観察から南蛮漆器の装飾について考えると、そこには日本の伝統や日本人の好みで造られた漆器とは異なる独自性の強い漆器というその特異な性格が浮かび上がってきます。
 当日は、小池富雄氏(静嘉堂文庫美術館)、小松大秀氏(永青文庫美術館)のお二人からのコメントに加え、会場内外の参加者からのさまざまな意見により幅広い討議がなされました。

茨木市立文化財資料館2022年度郷土史教室講座の講師

茨木市立郷土資料館第1回郷土史教室講座の様子

 大阪府の茨木市立文化財資料館では毎年6回にわたって郷土史教室講座が開催されていますが、令和4年度の第1回講座には特任研究員の小林公治が講師に招かれ、同館にて7月16日(土)、「三つの聖龕と一つの厨子 千提寺・下音羽のキリスト教具が語るもの」という題名でお話ししました。
 茨木市内北部に位置する千提寺・下音羽地区は、16世紀末にキリシタン大名であった高山右近の所領地となったことで多くの領民がキリスト教に改宗した土地です。またその信仰は江戸時代の厳しい禁教期を経て近現代まで伝えられてきたことから、かくれキリシタンの集落として広く知られています。この地域のキリシタン文化の大きな特徴は、各地の潜伏あるいはかくれキリシタン地域や集落には伝えられていない、奇跡的といっても過言ではないほど多種多様なキリスト教遺物が現在まで数多く伝えられてきたことであり、その一つとしては、現在は神戸市立博物館に所蔵されている重要文化財「聖フランシスコ・ザビエル像」がよく知られています。
 国内におけるキリスト教信仰の実態を探るため、これまで筆者は同地に伝わる各種のキリシタン器物、中でもキリスト像や聖母子像といったキリスト教聖画の収納箱である聖龕を中心に調査研究を行ってきました。この地の聖龕は外面を黒色のみで塗装するシンプルなもので、その伝来経緯からも明らかに日本国内の信仰に関連するものですが、一方で欧米への輸出品としてヨーロッパ人によって日本の工房に注文され、蒔絵と螺鈿で豪華に装飾された同形の南蛮漆器聖龕が知られており、同じ機能を持つキリスト教具でありながら、両者は顕著な差を示しています。さらに、聖龕に収められている聖画には黒檀材製と推測され西洋式接合構造をもつ額縁や、蒔絵を用いた国内製の額縁がそれぞれ伴っており、その由来や制作技法は重要な問題をはらんでいると見られます。一方、厨子にはやはり黒檀と見られる黒色材の十字架に象牙製のキリスト像が磔刑されていますが、この像や厨子についてもこれまでほとんど関心を持たれることがなく、その制作地や年代などについてもいまだ明らかにされていません。
 今回の講座では、こうした聖龕や厨子の実態や、それらの検討で明らかとなった桃山時代から江戸時代初期の日本国内でのキリスト教受容の実態や信仰のあり方をテーマとしましたが、新型コロナ感染再拡大のなか、抽選によって参加された約40名の方々からは熱心な質問も受け、この地のキリシタン文化や歴史に対する高い関心を伺うことができました。
当地に伝えられてきたキリシタン文化やその遺品は他に類のない貴重な歴史の道標です。報告者も引き続き調査を進め、今後も成果を報告発信していきたいと考えています。

近現代日本における「南蛮漆器」の出現と変容―第4回文化財情報資料部研究会の開催

写真1 東京国立博物館所蔵南蛮人蒔絵螺鈿鞍、明治6年澤宣嘉寄贈(ColBaseより)
写真2 『大和絵研究』1-3表紙

 令和3(2021)年7月16日に開催された第4回文化財情報資料部研究会では、文化財情報資料部広領域研究室長の小林公治が「近現代日本における「南蛮漆器」の出現と変容―その言説をめぐって―」と題した発表を行いました。
 発表者はこれまで17世紀前半を中心に京都で造られ欧米に輸出された南蛮漆器について物質文化史の視点による文化財学的な検討を進めていますが、現在一般に「南蛮漆器」と呼称されているこうした器物への関心が日本の近現代社会でいつ成立し、どのような過程を経て今に至っているのか、という点についてはさらなる具体的な資料調査による認識過程の跡付けと把握が必要であると考え、本発表を行ったものです。
 「南蛮漆器」と呼ばれる漆器への関心は、明治初期からの日本のキリシタン史研究、またこれに刺激された大正期前後の文学・演劇・絵画などに巻き起こった「南蛮」流行に影響を受けて始まったものであり、昭和初期から戦前にかけて日本の伝統器物に南蛮人の姿を表した「南蛮文様蒔絵品」(写真1)の収集が盛んに行われるようになりました。こうした「国内向け南蛮漆器」への関心は戦後にも続きますが、1960年代以降になるとヨーロッパに伝世した「輸出用南蛮漆器」が数多く逆輸入されるようになり、漆工史研究者の関心や展示品も「国内向け」品から「輸出用」品へと大きく転換し現在に至っています。こうした流れの大略はこれまでも言及されていましたが、本発表では輸出用南蛮漆器を主体と見る意識と重要性の理解が、戦時中の美術史雑誌である『大和絵研究』(写真2)に発表された岡田譲の「南蛮様蒔絵品に就いて」という論文を嚆矢とすること、そしてこのような輸出用漆器に対する関心の萌芽、流れや変化は戦前から戦後にかけて開催された各展覧会の展示漆器実態に反映しており具体的に裏付けられることを示しました。また近年、「南蛮漆器」と並行して使われている「南蛮様式の輸出漆器」という用語が、江戸時代各時期の日本製輸出漆器が伝世するイギリスやオランダといった国々の研究者によって提唱されたものであり、近世初期の「南蛮漆器」が中心的な伝世品であるポルトガルやスペインといった国々では「南蛮漆器」という用語が一般的に使われていることを示し、両用語が対立的なものではなく、相対化させた理解が可能であること、などを指摘しました。
 当日は、静嘉堂文庫美術館小池富雄氏、国立歴史民俗博物館日高薫氏、金沢美術工芸大学山崎剛氏のお三方にコメンテータとして参席いただき、多様な論点による本発表に対して論証不足な点や認識等について幅広く議論いただきました。近現代の研究材料はさまざまであり、いまだ見出せていない諸資料の存在も予測されます。今後もさらなる探索を進め、より確定的な研究史の理解となるよう検討を進めたいと考えています。

初期洋風画と幕末洋風画、形を変えた継承-第5回文化財情報資料部研究会の開催

研究会発表の様子

 令和2(2020)年11月24日に開催された第5回文化財情報資料部研究会では、東洋美術学校非常勤講師の武田恵理氏が「初期洋風画と幕末洋風画、形を変えた継承―日本における油彩技術の変遷と歴史的評価の検証―」という題目で発表されました。
 武田氏は長年、日本における油絵の歴史研究と修復に携わっておいでですが、本報告はこれまで行なってこられた作品調査と再現実験による多くの実際的経験をもとに、日本の油彩画を技術的な観点で総括したうえ、近年発見された江戸時代中期の油彩画に注目して歴史的な評価を試みたものです。
 洋画ともよばれる油彩画の存在は、明治初期前後に始まった西洋画研究によって初めて認識されたため、それ以前の油彩画に対するこれまでの歴史的位置付けや評価は適切なものだとは言い難い側面があります。こうした現状を鑑み、武田氏は日本の油彩画史を、飛鳥時代の漆工技法、桃山時代の初期洋風画、オランダの影響による幕末洋風画の3期に分類したうえで、近年確認された漆地に乾性油絵具で描く日光東照宮陽明門の江戸時代中期油彩壁画がキリスト教フランシスコ会の絵師に由来し、技術的に初期洋風画と幕末洋風画とをつなぐものではないかという説を提示されました。
 この研究会では、美術史家として初期洋風画を中心とした研究を長年行ってこられた坂本満氏、また日光の江戸時代社寺における漆装飾修復事業を進められてきた日光社寺文化財保存会の佐藤則武氏にコメンテータとして御参席いただいたほか、この日光東照宮陽明門油彩壁画の実態や日本油彩画史への位置付けをめぐって、参加者からもさまざまな意見が提出され活発な議論が行われました。

『美術研究』pdf版総目次のインターネット公開

東京文化財研究所刊行物リポジトリの画面

 文化財情報資料部では、研究誌『美術研究』を通じて日ごろの調査研究の成果を公表しています。本誌は昭和7(1932)年に創刊され、現在に至るまで431号が刊行されてきましたが、令和2(2020)年11月から、東京文化財研究所ホームページ内(http://www.tobunken.go.jp/~joho/index.html)および「東京文化財研究所刊行物リポジトリ」(http://id.nii.ac.jp/1440/00008980/)でpdf版「『美術研究』総目次」を公開しました。
 この総目次は、昭和40年(1965)に発行された『美術研究総目録』(230号まで掲載)の続編として作成され、これまで『美術研究』に掲載された論説・図版解説等の2400件以上にのぼる文献を一覧することができます。また日本語版とあわせて英語版を作成したほか、文書内での検索にも対応しており、文献の探索にも幅広くお使いいただけます。
 なお、総目次は今後も新しい号が発刊される都度、随時更新していく予定です。

大分県立埋蔵文化財センター企画展「BVNGO NAMBAN―宗麟の愛した南蛮文化―」オープニング記念講演会での講演

大分市平和市民公園能楽堂における講演の様子

 豊後国(大分県中南部地域)は安土桃山時代にキリシタン大名として著名な大友宗麟が統治し、フランシスコ・ザビエルを始めとする多くのヨーロッパ人宣教師らが布教を行ったという歴史を持つ土地です。令和2年(2020)年10月10日(土)から12月13日(日)まで、大分県立埋蔵文化財センターにおいて、この地における南蛮文化やキリスト教とのかかわり、また近年大きな成果を上げつつあるさまざまな南蛮遺物の理化学的分析研究結果を紹介する令和2年度企画展「BVNGO NAMBAN―宗麟の愛した南蛮文化―」が開催されました。
 この展覧会では大友氏の拠点都市であった豊後府内遺跡から出土した陶磁器類などの南蛮遺物、そして津久見市が長い年月をかけて収集してきた南蛮漆器や絵画などを中心に、国内各地に所蔵される関連作品によって展示が構成されましたが、文化財情報資料部広領域研究室長の小林公治は同センターからの依頼を受け、10月10日開催のオープニング記念講演会において「キリスト教の布教と南蛮漆器―理化学的分析の検討、メダイ研究との対比から―」と題して、この展覧会の展示内容と相関するキリスト教器物南蛮漆器への最新研究成果に焦点を当てた講演を行いました。
 新型コロナウイルスへの感染リスクを減らすため、当日は着席間隔を大きく空けての会場設営となりましたが、およそ200名もの参加者があり、南蛮文化とキリスト教布教史に対するこの地の深い関心をうかがい知ることができました。

日本中世のガラスを探る-第8回文化財情報資料部研究会の開催

研究会の様子

 令和元(2019)年12月24日に開催された第8回文化財情報資料部研究会では、東海大学非常勤講師の林佳美氏が「日本中世のガラスを探る—2018・2019年度の調査をもとに—」という題目で発表されました。
 氏は長年東アジアのガラス史について取り組んでおいでですが、今回の発表は学位論文をまとめられた後の平成30(2018)年度より始められた日本国内で出土する13世紀から16世紀のガラス製品の集成と実見調査による成果の一端についてお話いただいたものです。日本の中世のガラスについてはこれまでほとんど作例が知られていなかったことによりその実態はほぼまったく不明でした。しかし近年、文献記録やこれまで知られていた資料に加え、京都や博多などでのこの時期に前後する出土品が知られるようになったことなどにより、今後の位置付けが期待されるようになっています。林氏は、13世紀から16世紀の日本出土ガラスの研究課題として①全体像の把握、②製作地の判別、③通史的・広域的視野からの考察の3点を示したうえで、これまでに行われた伝世資料や出土資料への検討作業によって得られたガラス器の製作技術や由来などに対する具体的な見解を示されました。
 また今回の研究会では、ガラス工芸学会の理事である井上曉子氏にもコメンテータとしてご参席いただき、研究者の少ないなかで地道に進められているガラス史研究の最前線についてのさまざまな話題や議論が行われました。

甲賀市水口町郷土史会記念事業における「十字形洋剣」についての講演

水口郷土史会での講演

 これまで足かけ6年にわたり、文化財情報資料部を中心に調査と研究を行ってきた甲賀市水口の藤栄神社所蔵「十字形洋剣(水口レイピア)」については、令和元(2019)年度、調査にひと区切りをつける形で、主に国外専門家を対象としたICOM京都大会での発表(https://www.tobunken.go.jp/materials/katudo/818986.html)、また当研究所第53回オープンレクチャーにおいての一般の方々を対象とする講演により成果の公開をはかってきたところです(https://www.tobunken.go.jp/materials/katudo/819076.html)。これらに引き続き11月9日、この洋剣が現在まで伝世されてきた甲賀市水口でも水口町郷土史会創立60周年記念事業での講演という絶好の機会をいただき、共に調査を行ってきた甲賀市教育委員会の永井晃子さんと「藤栄神社所蔵「十字形洋剣」の謎に挑む」と題した報告を行い、この剣に対する調査結果やその歴史的意味などについて地元の方々にお伝えしました。当日は藤栄神社の向かいというまさしく地元の会場におよそ100名ものみなさまがご参集くださり、この調査についての報告に熱心に耳を傾けていただきました。
 この講演の実施でようやく本調査に関わる責務の一端が果たせた気がしますが、今後は共同して調査にあたった研究者と共に調査報告書の作成へと軸足を移し、この洋剣研究に対する一応のまとまりをつける予定です。

南蛮漆器の成立過程と年代-第6回文化財情報資料部研究会の開催

研究会の様子

 令和元(2019)年9月24日に開催された今年度第6回文化財情報資料部研究会では、文化財情報資料部広領域研究室長の小林公治が「南蛮漆器成立の経緯とその年代―キリスト教聖龕を中心とする検討―」と題した発表を行いました。
17世紀前半を中心に京都で造られ欧米に輸出用された南蛮漆器が、いつどのようにして始まったのか、という問題についてはいまだ確定的な見解がありません。またキリスト教の聖画を収める箱である聖龕は、これまで南蛮漆器のそればかりが注目されてきましたが、発表者は、日本のセミナリオで絵画を学んだヤコブ丹羽が描いたという救世主像が収められている東京大学総合図書館所蔵聖龕など、隠れキリシタン集落として知られる茨木市の千提寺・下音羽地区に伝えられてきた国内向けキリスト教聖龕と世界各地に所蔵される南蛮漆器聖龕とを総合的に検討し、双方に認められる無文の飾金具を持つ一群を、年代がほぼ確定される豊国神社所蔵蒔絵唐櫃や高台寺蒔絵と南蛮漆器文様を併せ持つ岬町理智院所蔵豊臣秀吉像蒔絵螺鈿厨子、さらに古様の蒔絵棚飾金具などと比較した結果、それらが16世紀末から17世紀初めにかけての年代が想定される最古の聖龕群であるとの判断を得ました。
 またこうした古式聖龕への判断は、発表者が過去に検討した南蛮漆器書見台とも整合的であり、その成立年代は聖龕よりもやや遅れる17世紀初め頃と想定されるという見解も得られました。
 本発表で行った検討は、南蛮漆器の成立経緯や年代を探ることを目的として行ったものですが、こうした見解が認められるのであれば、それは聖龕の中に収められている聖画や額縁の制作者や制作地、また豊臣秀吉や徳川幕府による禁教令と布教活動との関係など、17世紀初めを前後する時期の日本におけるキリスト教信仰や交易の実態といったさまざまな問題を再考するきっかけにもなるものかと思われます。
 当日は、初期西洋画修復家である武田恵理氏や鶴見大学小池富雄氏、また桃山時代の漆工品展覧会を開催されている美術館からなど、多くの関連分野研究者にもご出席いただき、手法的な側面を含め活発な討議が行われました。

「ICOM京都大会ICFA委員会における研究成果の公表と情報の共有「水口レイピアー日本で造られたヨーロッパの剣」」

ICOM京都大会ICFA委員会での発表風景

 令和元(2019)年9月1日(日)より7日(土)までの一週間、国立京都国際会館をメイン会場として開催された第25回ICOM(国際博物館会議)京都大会のICFA(International Committee for Museums and Collection of Fine Arts)委員会(美術の博物館・コレクション国際委員会)が3日に開催した個別セッション2「アジアの博物館における西洋美術、西洋博物館におけるアジア美術」において、文化財情報資料部の小林公治が甲賀市教育委員会の永井晃子氏と共同で、Minakuchi Rapier, European Sword produced in Japan(水口レイピア、日本で造られたヨーロッパの剣)と題して発表を行いました。
 17世紀初め頃にもたらされたヨーロッパ製の細形洋剣を日本国内で模して製作されたこの水口レイピア(甲賀市藤栄神社所蔵十字形洋剣)については、2013年以来国内外の専門家と共同で調査と研究を行ってきたところであり、その経過と成果についてはこれまでもこの活動報告で一部を報告してきましたが(第10回文化財情報資料部研究会「甲賀市藤栄神社所蔵の十字形洋剣に対する検討」の開催 https://www.tobunken.go.jp/materials/katudo/243895.html、甲賀市水口藤栄神社所蔵十字形洋剣に対するメトロポリタン美術館専門家の調査と第7回文化財情報資料部研究会での発表 https://www.tobunken.go.jp/materials/katudo/247392.html)、今回の発表では、これまでの調査後に新たに実施した大型放射光施設SPring-8での剣身部分析結果や、その後の歴史的検討を含めた全体的な内容を加えたほか、地球規模での文化交流が起きた17世紀の日本にこうした洋式剣が存在し、さらにそれに良く似せた模造品の製作がこの当時に行われ現在まで伝世していることを欧米を含む世界に向けて発信することを目的として行ったものです。
 満席の発表会場からは洋式剣が模造製作された背景にはどのような意識があったのかといったさまざまな質問や議論がなされ、こうした文化財が日本に存在することに対して広い関心が示されました。

平蒔絵とされる技法で用いられる金属材料の形状―文化財情報資料部研究会の開催

研究会の様子

 平成30(2018)年10月2日に開催した本年度第5回文化財情報資料部研究会では、金沢大学の神谷嘉美氏より、「平蒔絵とされる技法で用いられる金属材料の形状―南蛮漆器での事例を中心に」と題した発表が行われました。
 平蒔絵技法は安土桃山時代に始まった蒔絵技術の一つです。それまでの主流であった研出蒔絵技法や高蒔絵技法に比べ、絵漆で描いた文様の上に金銀粉を蒔く簡略な技法であり、高台寺様式の蒔絵作品や、欧米への輸出品としてヨーロッパ人の注文により京都で造られた南蛮漆器などに利用された技法であると考えられています。
 今回の発表は、国内外に所蔵される17世紀代の南蛮漆器や南蛮漆器類似作品から落下した塗膜片に加え、自身で制作された蒔絵漆器などを比較事例として、それらに使われている金属粉の形状を走査型電子顕微鏡(SEM)による詳細な非破壊観察を行ったうえで、その由来材料などを検討、報告されたものです。
 その結果、南蛮漆器では金属塊を削った蒔絵丸粉が使われているものもありましたが、金箔由来の粉が使われている作例が初めて確認され、それが主体となっていた可能性すら推測されました。このことは、江戸時代初期輸出漆器の制作技術や制作者・工房の実態に対する再検討をせまると同時に、いわゆる消粉蒔絵の出現経緯や歴史を考えるうえでも重要な事実です。
 当日は、重要無形文化財保持者(蒔絵)の室瀬和美氏や在京の漆工史研究者にもご参加いただき、報告された金属粉がどのような素材に由来する粉であるのか、職人絵に描かれた蒔絵師との関係や実証的な蒔絵技術史研究の必要性、さらには蒔絵の定義自体に関する問題点など、盛んな議論が行われました。
 本発表では、電子顕微鏡による落下塗膜片への観察手法が、漆器制作技術、特に蒔絵技法の検証に高い有効性を持つことが示されました。今後は報告諸事例の確実な位置づけや意味づけに向けた更なる分析事例の蓄積と検討が大いに期待されます。また金属粉は漆工芸のみならず絵画にも広く利用された材料の一つであることから、本研究の深化は絵画技法史の実態解明にも寄与する可能性があるものだと言えるでしょう。

タイにおける螺鈿工芸の変遷とその意味―文化財情報資料部研究会の開催

文化財情報資料部研究会風景

 タイの首都、バンコクの王宮や巨大なリクライニング・ブッダで有名なワット・ポーなどを訪れた方はご存知かも知れませんが、タイでは18世紀以降、膨大な数の細かな貝片を組み合わせる精緻な螺鈿工芸が発達します。この螺鈿制作は現在でも細々ながら続いていますが、タイの螺鈿史についての研究はきわめて少なく、それがどう変遷しどのような社会的な意味を持っていたのか、といった研究は、日本国内ではもとより、タイにおいても行われることがありませんでした。11月21日に開催した第9回文化財情報資料部研究会では、タイの仏教美術史を専門とするサイアム大学の高田知仁氏から、こうしたタイの近世近代螺鈿史についてのご発表をいただきました。
 高田氏は、まずタイの螺鈿が仏教寺院の扉や窓、また高坏、僧への供物を入れる鉢、経箱や厨子といったものに認められ仏教と密接な関係を持って寄進されたものであること、またそれらがタイ王室と強い関係を持ってかなり限定的に制作されていたことを示します。そして分析対象を制作や建立の年代が確実な寺院扉に代表させ、主題となっているそのモチーフや文様、また使われている技法などの違いから、18世紀から20世紀初めまでの螺鈿を第1期(18世紀中葉から19世紀初めまで)、第2期(19世紀前半から中葉まで)、第3期(19世紀後半から20世紀初めまで)の三つの画期に区分されました。その上で文様やモチーフが伝統的な唐草文や神像などで構成され外来的な影響を見出しがたい第1期は、仏教における三界観といった価値観を木造彫刻や絵画から螺鈿に置き換えて表現されたものであること。これとは対照的にラーマヤナ物語や中国的な装飾文様が現れる第2期は、この時代に行われた中国や東アジアとの外交的な関係を反映していること。さらに勲章の形態を螺鈿で表現した文様などが造られる第3期は、この時代に起きたタイと西洋との関係や王室権威の高まりなどが螺鈿制作に影響を与えたことなどが指摘されました。
 この研究会では、タイ美術史がご専門の九州国立博物館原田あゆみ氏にもご参加いただき専門的な見地によるタイ螺鈿の起源や対外関係等ついてのコメントを、また東京藝術大学美術学部工芸科(漆芸)の小椋範彦氏からは制作者の立場からのご発言をいただいたほか、近年バンコクで発見が相次いでいる19世紀の日本製螺鈿との影響関係について盛んな議論が交わされるなど、これまで学術的に取り上げられることの少なかったタイ螺鈿の重要性について刮目するよい機会ともなりました。

甲賀市水口藤栄神社所蔵十字形洋剣に対するメトロポリタン美術館専門家の調査と第7回文化財情報資料部研究会での発表

テルジャニアン博士による調査
文化財情報資料部研究会での発表

 滋賀県甲賀市水口の藤栄神社が所蔵する十字形洋剣は、水口藩の祖で豊臣秀吉や徳川家康に仕えた戦国大名加藤嘉明(1563-1631)が所持したと伝えられる西洋式の細形長剣です。優れた出来栄えのこの剣は、日本やアジアで使われた刀剣とはまったく異なる形であり、2016年度に実施した国内専門家による調査検討の結果、16世紀から17世紀前半にかけてヨーロッパで造られた西洋式長剣レイピア(Rapier)が、国内で唯一伝世した作例であることが明らかになりました(東文研ニュース65号既報)。しかしながらこの時点の研究では、この剣が果たして日本製であるのか、それともヨーロッパからの渡来品が国内で伝世したものなのか、またその正確な年代はいつなのか、といった大きな疑問が解決されないままに残されました。
 そこでこうした謎を解明するため、この度、世界でも有数のレイピアコレクションを誇るニューヨークのメトロポリタン美術館武器武具部門長、ピエール・テルジャニアン博士にご来日いただき、現地での調査を実施のうえ、この洋剣に対する見解について第7回文化財情報資料部研究会にて、「ヨーロッパのルネッサンス期レイピアと水口レイピア」と題したご発表をいただきました。
 博士の見解は、銅製の柄部分は明らかに日本製であること、また剣身も日本製あるいはアジア製であってヨーロッパ製ではないこと、そして水口レイピアのモデルとされたヨーロッパ製レイピアは1600年から1630年の間に位置づけられ、その間でもより1630年に近い時期であるが、この剣自体には実用性に欠ける面がある、というものでした。
 この見解は、17世紀前半の日本において、ヨーロッパからもたらされた洋剣を日本人が詳細に調べ上げ、その模作までも行っていたという、これまでまったく知られていなかった新たな事実を意味するものです。またその一方で、この剣には高度なネジ構造によって柄と剣身とを接続するなど、ヨーロッパのレイピアには認められない独自の技術が使われていることも明らかとなりました。こうした独自の特徴は、当時の日本の職人が見慣れぬ西洋の剣を自身の持つ技術で正確に再現しようと努力苦心し、工夫を重ねた結果であると理解できるでしょう。
 このように、水口に伝わった一振りの洋式剣の研究から、17世紀前半の金属工芸技術や外来文化の受容に関するさまざまな事実が明らかになりつつあります。この剣がどこで誰がどのように造ったのかといった問題など、さらに詳しい調査や研究を進め、今後もこの剣の実態やそれをめぐる歴史的な背景などについての検討を行っていく計画です。

公開研究会「南蛮漆器の多源性を探る」の開催

公開研究会予稿集
公開研究会における討論の様子

 南蛮漆器とは、16世紀後半以後日本に到来したポルトガル人やスペイン人らの発注を受け、17世紀前半までの間に京都の蒔絵工房での制作のうえ欧米に輸出された独特の様式を持つ漆器です。こうした漆器の存在は国内では昭和10年代頃から知られるようになり、1970年代頃からは、かなりの数が日本に逆輸入され現在全国の博物館・美術館コレクションとなっています。また近年の調査では、スペインやポルトガルのキリスト教会などには、今なお多くが伝えられていることが分かってきました。この数年は、南蛮漆器に焦点を当てた展覧会も国内外で頻繁に開催されていますので、実際に目にされた方も多いのではないでしょうか。
 さて、南蛮漆器の特徴は、西洋式の器物を日本伝統の蒔絵や螺鈿技術で装飾した姿にあると言えますが、文様や材料、製作技術に対する美術史や文献史学、また有機化学、木材学、貝類学や放射線科学といった多面的な研究によって、この漆器は単にヨーロッパと日本との要素だけでなく、東アジア・東南アジアや南アジアといったアジア各地の要素も持ち合わせた大航海時代ならではの特徴的な文化財であることが明らかとなってきました。
 こうした南蛮漆器の多源的性格を具体的に跡付け、認識を共有することを目的として、この公開研究会は2017(平成29)年3月4日と5日の二日間にわたり当研究所で開催され、国内外の専門家11名による12本の報告と熱心な討論が交わされました。またこの研究会には、海外(欧米・アジア)から延べ25名、国内各地から延べ160名と多数の参加があり、南蛮漆器に対する国内外の高い関心が改めて実感されました。

第10回文化財情報資料部研究会「甲賀市藤栄神社所蔵の十字形洋剣に対する検討」の開催

第10回部研究会風景

 滋賀県甲賀市水口に所在する藤栄神社は、同地を治めた水口藩加藤家の藩祖で戦国武将の加藤嘉明公を祀るため、19世紀前半に創建された嘉明霊社を前身とする神社であり、その所蔵品には加藤嘉明所蔵と伝えられるさまざまな宝物が含まれています。豊臣秀吉下賜とされる黒漆塗鞘付の十字形洋剣一振もそうしたものの一つで、16世紀から17世紀にかけてヨーロッパで造られた細形長剣(レイピア)とまったく遜色のない出来栄えのほぼ完存品であり、国内唯一の伝世西洋式剣と見られますが、これまでさほど注目されることなく長らく甲賀市水口歴史民俗資料館に保管されて来ました。
 平成28(2016)年9月、筆者のほか、永井晃子氏(甲賀市教育委員会)、末兼俊彦氏(東京国立博物館)、池田素子氏(京都国立博物館)、原田一敏氏(東京芸術大学)の5名が共同でこの剣の美術史および理化学的な調査を実施しましたので、その概要と検討結果を平成29(2017)年2月24日に開催した本年度第10回文化財情報資料部研究会で報告したものです。
 各氏の発表題名は、永井氏「藤栄神社蔵十字形洋剣をめぐる歴史的経緯」、小林「藤栄神社に伝わる十字形洋剣(レイピア)の実在性と年代の検討―博物館コレクション・出土資料・絵画資料による予察―」、末兼氏「藤栄神社所蔵の洋剣について」、池田氏「藤栄神社蔵十字形洋剣 X線CTスキャンおよび蛍光X線分析について」、原田氏「藤栄神社蔵十字形洋剣について―海外資料との比較―」となりますが、藤栄神社や加藤嘉明、また剣や関連遺物に関する歴史・時代背景への検討、金工史的視点による柄文様や制作技術の考察、CTスキャニングや蛍光X線分析結果の報告、そして海外に所蔵されているレイピアとの比較検討、といった多角的な視点による第一次検討結果が報告されました。
 またさらに、この洋剣の制作地が日本国内であるのか、あるいは海外であるのかという問題は、桃山時代工芸技術のあり方やその歴史評価を考える上で重要な課題であり、発表後の討論でも様々な意見が議論されましたが、統一的な見解を得るには至らず、本洋剣の重要性と更なる研究の必要性が改めて認識されました。

第6回文化財情報資料部研究会の開催

研究会の様子

 10月25日に開催した本年度第6回の文化財情報資料部研究会では、文化財情報資料部広領域研究室長・小林公治が物質文化史の立場から、「慶長期後半から寛永期前半にかけて流行した漆器文様・技法―絵画資料と伝世漆器との対話―」と題する発表を行いました。この発表では、まず川越市喜多院が所蔵する重要文化財職人尽絵屛風の「蒔絵師」図、そして喜多院本系職人尽絵であるサントリー美術館本・前川家本の同図の描画内容とを比較・検討の上、これら諸本の制作が17世紀前半であるというこれまでの見解を再確認し、さらに徳川美術館が所蔵する重要文化財の「歌舞伎図巻」と「邸内遊楽図(相応寺屛風)」などを対象に、これまでの諸論で指摘されていないいくつかの観点から、その景観年代を、前者は慶長期末から元和期初め(1610年代)にかけて、後者は寛永期前半頃(寛永7(1630)年前後)と見るのが妥当であること、またこれらの風俗画には当時の生活実態がかなり克明・正確に描写されていると認め得ることを指摘しました。
 その上で、これらの絵画には大ぶりの葡萄文や藤文を持つ漆器、銀蒔絵技法の漆器がたびたび描かれていることから、慶長期後半から寛永期前半にかけての17世紀前半にはこうした漆器文様・技法が流行していた可能性が高く、また大ぶり葡萄文や藤文を描く伝世の蒔絵漆器や南蛮漆器、また銀蒔絵漆器についても、この時期の作である蓋然性が高いという見方を提示しました。
 近世初期風俗画の描画内容・表現と歴史実態との関係については、これまでも美術史学者や歴史学者などによる様々な見解がある未解決の問題ですが、本研究発表後の討議でも特にこうした点が取り上げられ、参加者それぞれの立場からの活発な議論が行われました。

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