研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『TOBUNKEN NEWS (東文研ニュース)』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。

東京文化財研究所 保存科学研究センター
文化財情報資料部 文化遺産国際協力センター
無形文化遺産部


第18回無形民俗文化財研究協議会「民具を継承する―安易な廃棄を防ぐために」

 令和5(2023)年12月8日、東京文化財研究所にて第18回無形民俗文化財研究協議会「民具を継承する―安易な廃棄を防ぐために」が開催されました。
 近年、日本全国で民具の再整理を迫られるケースが増え、問題となっています。本来、収集した資料は、その現物を適切に保管・継承していくことが最善であることは言うまでもありません。しかし、特に地域博物館・地方公共団体においては、収蔵スペースや人員、予算の削減などに伴って、廃棄を含む再整理を検討せざるを得ない切実な課題を抱えている場合も少なくありません。
 今回は予想を大きく超える200名以上の方に参加いただき、関心の高さがうかがわれました。事後アンケートなどを見ても、民具の整理が全国でいかに喫緊の課題・困りごとになっているのか、現場の方々がいかに孤軍奮闘しているかが痛感されました。今回の協議会ではこうした課題を共有・協議するため、4名の報告者が民具の収集や整理、除籍、活用等について事例報告を行い、その後、2名のコメンテーターを加えて登壇者全員で総合討議を行いました。
 今回の協議会ではどうしたらひとつでも多くの民具を守り、後世へ伝えていけるのかに力点を置いて討議が進められました。様々な視点、意見が提示されましたが、重要な前提として、そもそも文化財としての民具資料が、その他の文化財とは、その意味付けや特性の点で大きく異なることが示されました。
 例えば、民具は比較研究のため同型・同種の資料を複数収集する必要があること、資料の価値はコト情報(どの地域、いつの年代に、誰が使ったかなどの民俗誌的情報)と組み合わせることで、はじめて判断できることなどは、民具研究者にとっては当たり前の視点です。しかし、それが行政機関内部や一般社会では十分に理解・周知されていないことによって、昨今の民具をめぐる諸問題に繋がっていることが指摘されました。コメンテーターやフロアからは、一見ありふれたものに思える民具の中に重要な意味を持つものがあり、比較のためにできるだけ多くの資料を残すことが重要であるなど、「捨てない」ことの意義も改めて指摘されました。
 民具は先人たちが暮らしのなかで育んできた知恵や技の結晶であり、それらは、それぞれの地域の民衆の暮らしの在り方、歴史、文化、およびその変遷を知るために、きわめて重要で雄弁な資料になります。その貴重な資料が消失の瀬戸際にある危機感をあらためて共有し、民具を守るための新たな手立てが必要であることを認識・共有できたことは大きな成果でした。民具資料を守っていくため、無形文化遺産部では来年度検討会を立ち上げ、関係するみなさまと議論を継続していく予定です。
 なお協議会の全内容は、年度内に報告書にまとめ、PDF版を無形文化遺産部のホームページでも公開する予定です。ぜひご参照ください。

北上川河口のヨシ再生調査―篳篥の蘆舌原材料

「残したい日本の音風景百選」(環境庁、平成8(1996)年)に選ばれた北上川河口のヨシ原

 無形文化遺産部では、無形文化財を支える原材料調査の一環として、篳篥の蘆舌に使用されるヨシの調査を行っています。このたび、ヨシの産地である宮城県石巻市・北上川河口にて調査を実施しました。調査の目的は、第一に当地のヨシの特性を知り、篳篥の蘆舌に適しているかを調査すること。第二に、東日本大震災で被災した当地のヨシ再生のプロセスや現状を知り、篳篥の蘆舌に適するヨシの産地として知られる淀川河川敷での「ヨシ再生」に活かせることはないか調査すること。
 調査では、ヨシ原保全活動に取り組む(有)熊谷産業を訪ね、ヨシ原の現状を聞き取るとともに、蘆舌の原材料となりそうな外径のヨシを提供していただきました。熊谷産業は、社寺建築や和風建築の伝統的な工法による屋根工事を手掛ける会社で、国指定重要文化財保存修理工事も行っています。いただいたヨシは、二名の方に篳篥蘆舌の試作を依頼しました。完成後は試奏による使用感を含め、調査結果をまとめる計画です。
 また、北上川を管理する国土交通省東北地方整備局・北上川下流河川事務所や、震災前後のヨシ原調査やヨシ原への理解推進に取り組む東北工業大学教授の山田一裕氏を訪ねました。東日本大震災発生以前、河口には約183haのヨシ原が広がっていましたが、震災で50~60cmの地盤沈下が発生し、浸水によるヨシの枯死が進み、津波が運んだゴミで成長を妨げられ、一時は約87haに減少したと言います。その後、ヨシ原のゴミは地域の方々の協力のもと回収され、現在はヨシ原再生のための移植実験も行われています。震災による被害から自然環境が回復する過程で、地域の人々の理解や協力が自然の回復を後押したと言えるでしょう。
 さらに、当地では、「水防法及び河川法の一部を改正する法律」(平成25(2013)年6月)で創設された「河川協力団体制度」により、北上川下流河川事務所と3つの協力団体が情報交換や報告を行って河川や周辺環境を保全する体制が取られています。こうした連携も、ヨシ原再生に効果を上げていると感じました。
 無形文化遺産部では、無形文化財、民俗文化財、文化財防災を専門とする研究員が連携し、今後も無形の文化財継承に必要な人・技・モノの現状や課題、解決方法について、包括的な調査研究を実施していきます。

令和4年度文化財防災センターシンポジウム「無形文化遺産と防災-被災の経験から考える防災・減災-」の開催について

これまでの取り組みに関する報告
会場風景
総合討議の様子

 令和5(2023)年3月7日、令和4年度文化財防災センターシンポジウム「無形文化遺産と防災-被災の経験から考える防災・減災-」が、東京文化財研究所地下セミナー室にて開催されました。このシンポジウムは、文化財防災センターの事業に、東京文化財研究所が共催し実施したものです。

 平成23(2011)年3月11日に発生した東日本大震災を契機とし、無形文化遺産が復興過程で果たす役割や、またそれらを災害から守る意義に注目が集まったことは広く知られるところです。未曾有の大災害は、確かに無形文化遺産に大きな被害をもたらしました一方、それらが今日まで継承される意義や、地域社会のなかで果たす役割に注目が集まるきっかけともなりました。

 本シンポジウムは、国立文化財機構でのこれまでの取組を整理しつつ、災害による被害を受けた事例を参照し、全国各地で無形文化遺産に関わる皆さんとともに、その成果を発展させていく方策を議論するために企画されました。シンポジウム当日は、行政関係者や大学および専門機関の研究者、無形文化遺産の担い手の方等、87名の方に御参加いただきました。

 午前は、東京文化財研究所と文化財防災センターからそれぞれ、無形文化遺産の防災に関わるこれまでの取組や調査成果を紹介しました。午後は、近年の被災事例として、「等覚寺の松会」(福岡県京都郡苅田町)、「雄勝法印神楽」(宮城県石巻市)、「長浜曳山祭の曳山行事」(滋賀県長浜市)の3事例について、各地域の行政職員や担い手、研究者の方から、災害対応や再開のプロセスに注目した御報告がありました。最後の総合討議では、当日の報告や発表、議論を踏まえ、文化財防災センター事業内で、この課題について議論を重ねられてきた5名の有識者の先生方による総括がありました。

 フロアからも活発な御発言もいただき、今後の防災・減災の方法を具体的に考えるための手がかりが共有される機会となりました。引き続き、文化財防災センターと東京文化財研究所はシンポジウムでの議論を発展させ、両施設で連携を取りながら具体的な対策を提案できるよう取り組んで参ります。

津森神宮お法使祭の実施状況調査―熊本地震と無形民俗文化財の再開―

荒々しく揉まれる神輿
御仮屋前での神事の様子

 無形文化遺産部では、10月29日~30日に、熊本県上益城郡益城町・阿蘇郡西原村・菊池郡菊陽町に伝わる「津森神宮お法使祭」の実施状況調査を行いました。
 「津森神宮お法使祭」は、毎年10月30日に行われる津森神宮(益城町寺中)の祭事の一つです。益城町・西原村・菊陽町にまたがる12の地区が1年交代で当番を務め、当番となった地区は「お仮屋」を建てて、御祭神であるお法使様を1年間お祀りします。当番地区が次の地区にお法使様を渡すための巡行の途中で、御神体をのせた神輿を荒々しく揺らしたり放り投げたりする所作が行われることで有名です。
 行事を行う三町村は、平成28(2016)年4月に発生した熊本地震で甚大な被害を受けた地域です。行事の中心となる津森神宮も、大きな被害を受けました。平成28年については一部規模を縮小し「復興祈願祭」として挙行したものの、平成29(2017)年・30(2018)年は中断をしたそうです。今年の当番地区は、杉堂地区(益城町)がつとめました。地元の方にうかがったところ、いまだ地震の影響は残っており、近年、仮設住宅から新しく建て直した住居に戻ったばかりの方も、地区内にはいらっしゃるそうです。
 出発式では、益城町長ほか関係者から復興状況について報告があり、「例年とは異なるかたちで行事を行うしかなかった地区の分まで盛大に」と言葉がありました。地震発生後、一時は神輿を荒々しく扱うような所作を控えた時期もあったと言います。今年の行事では、地震以前を取り戻すかのように、威勢よく神輿が地区内を巡行し、無事、夕方には、お法使様は、来年の当番地区である瓜生迫地区(西原村)の御仮屋へと移っていきました。
 無形民俗文化財は、地域の方々の生活に密着に結び付いている文化財であるがゆえに、災害による影響が、予想できない形で現れることがあります。今回のお法使祭の例も、地元の方々の生活の復興状況が、行事の実施内容に影響を与えた可能性があります。無形文化遺産部では、引き続き、災害発生が無形民俗文化財にどのような影響を及ぼすのか、調査を進めていきたいと考えます。

等覚寺の松会の実施状況調査‐新型コロナウイルス感染症と無形民俗文化財の公開‐

行事前日の事前練習での一幕
神社に塩かきから戻ったことを報告

 無形文化遺産部では、令和4(2022)年4月16日~17日に福岡県苅田町等覚寺地区の「等覚寺の松会」の現地調査を行いました。「等覚寺の松会」は、福岡県苅田町等覚寺地区に伝わる民俗行事です。地区では、過疎化や高齢化といった行事の存続における課題を抱えながらも、行事を後世に存続するために、苅田町教育員会との連携の下、積極的に映像記録や報告書の作成に取り組んできました。
 地区に所在した普智山等覚寺は、明治の廃仏毀釈までは豊前六峰と呼ばれた九州地方の修験道の拠点の一つでした。修験者の子孫と伝わる地区の人々を中心に、毎年4月上旬に五穀豊穣、疫病退散、国家安泰を祈願する「等覚寺の松会」が行われます。松会では、神幸行列の他、獅子舞の奉納や、稲づくりの様子を模擬的に演じる「田行事」、鉞や長刀を用いて所作をする「刀行事」が行われ、行事の最後には、会場に設置された12メートルもの高さの柱に登り、祈願文の読み上げと、大幣を真剣で切り落とす「幣切り」が行われます。
 全国の民俗行事と同様に、「等覚寺の松会」も、新型コロナウイルス感染症の拡大によって大きな影響を受けることとなりました。過去の行事は2年にわたって中止となり、今年度の行事についても旧来どおりの方法での実施は見送られています。今回の調査は、昨年度、苅田町教育委員会から、これまで撮影された映像記録や写真の保管方法や今後の活用に関するご相談を受けたことが契機となって実施されたものです。当初は、記録された行事の実態確認を想定しておりましたが、行事形式を変更しての開催が決定されたため、結果として、新型コロナウイルスの流行が無形の文化財に与える影響を考えさせられる調査となりました。過去2年間、無形文化遺産部では、新型コロナウイルスが無形文化遺産に与える影響に注目してきました。感染症の流行によって暫定的な方法や中止を受け入れざるをえなかった各地域の民俗行事や民俗芸能が、今後、どのように継承されていくのかについて、引き続き調査を進めていきたいと考えます。

被災文化財(工芸技術)に関する現地調査-珠洲焼―

地震で破損した作品(珠洲市提供)
2022年6月19日石川県能登地方の地震における震度と各工房での被害状況(珠洲焼map及びJ-RISQ地震速報より作成)

 珠洲焼は、12世紀中頃から15世紀末にかけて珠洲市および能都町東部(旧内浦町)で生産されていた陶器です。釉薬を用いずに還元炎焼成されることで灰黒色に発色する特徴があります。昭和51(1976)年に珠洲市や商工会議所の努力で再興事業が始まり、平成元(1989)年には石川県伝統的工芸品に指定されました。現在、珠洲市内では、工房や個人の陶工を合わせて約50名が活動しています。
 令和4(2022)年6月19日に発生した能登半島の地震では、珠洲焼の工房への被害が確認されました。そこで、被害状況とその後の対応について把握するため、無形文化遺産部と文化財防災センターが共同して、現地調査(令和4(2022)年9月6日、10月24~25日)を行いました。現地調査は、珠洲市産業振興課、珠洲市立珠洲焼資料館、珠洲市陶芸センター、珠洲焼の陶工の団体である「創炎会」のご協力のもとで実施しました。
 今回の地震による揺れが特に大きかったのは、正院、直、飯田地区でした。当該地に立地する工房では、作品の破損だけでなく、制作に欠かせない薪窯が毀損する被害が報告されています。地震の翌日、珠洲市産業振興課は全工房と陶工へ電話をかけて被害状況を確認し、被害の様子を写真で記録するように指示しています。その後、「創炎会」篠原敬会長が中心となり、より詳細な被害状況把握のためのアンケートを実施しました。アンケート結果をもとに、珠洲市担当職員は、被害があった工房を訪問し、復旧に必要な情報の把握を行いました。現在、そうした情報を総合し、一部の窯の復旧には石川県の「被災事業者再建支援事業費補助金」への申請が検討されています。
 今回の事例では、陶工同士の横のつながりである「創炎会」というコミュニティの大切さと、有事における迅速な被害状況の把握と記録の重要性を感じました。
 今後も、無形文化遺産部と文化財防災センターでは様々な現地調査を通して工芸技術の防災について考えていきます。

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