研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『TOBUNKEN NEWS (東文研ニュース)』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。

東京文化財研究所 保存科学研究センター
文化財情報資料部 文化遺産国際協力センター
無形文化遺産部


文化財修復処置に関するワークショップ-ナノセルロースの利用についてー開催報告

開講式集合写真
実習風景

 近年、文化財保存修復に関する調査研究対象は伝統的な文化財分野のみならず、多様な材料で作成された作品や資料へ広がっており、それに伴い、保存科学研究センター修復材料研究室では、海外の講師を招聘しての研修を開催しています。今年度は、フランスよりナノセルロースの利用について研究と実践を行うRemy Dreyfuss-Deseigne氏を招聘し令和4年(2022)10月5日より3日間のワークショップを行いました。ナノセルロース材料は天然材料に由来する透明で安全な材料であることから、特にトレーシングペーパーや写真フィルムなど透明な材料への適用が着目されています。
 定員15人に対し2倍以上のご応募があり、午前の座学へは全員ご参加いただけましたが、午後の実技のためには定員を広げつつも選考を行わざるを得なかったのですが、この研修に対する期待を強く感じられました。初日は齊藤孝正所長の挨拶と講師紹介の開講式から開始され、午前の座学と午後の実技実習を行いつつ、また、最終日には東文研が保有する機器のうち研修に関連するものの見学も行いました。
 海外から講師を招聘してのワークショップは3年ぶりとなりましたが、対面での研修となったため、非常に活発な質問や討議が行われ、さらに、研修生同士の連携も強く形成されたとの声も多く、オンラインでは得られない研修効果を再認識した次第です。このような熱意の中で行われた本研修の成果は、実際の文化財修復や公文書保存に役立てられていくと考えております。

博物館の展示ケース内における空気質調査

展示ケース内に設置した袋に窒素ガスを入れている様子
袋内の空気をポンプで採取している様子

 保存科学研究センターでは博物館等の保存環境にかかる調査研究を行っています。今回、神奈川県立歴史博物館より、展示ケース内の空気質に関する調査依頼をいただきました。展示ケース内で有機酸が検出されるが、発生源が特定できておらず、対策を講じるためにも発生源を知りたいということでした。また、これまで有機酸として一括りでしか測定できていなかったので、酢酸とギ酸の割合を把握したいという要望もありました。
 そこで、保存科学研究センター・保存環境研究室と分析科学研究室では、分析科学研究室で開発を行っている空気質の調査方法を適用して、発生源を調べることにしました。調査対象は大小の壁付展示ケース床面、覗きケース展示面、展示台、バックパネルの5箇所です。写真のように空気を通さないフィルムで作られた袋を測定箇所にかぶせ、重さ4.5kgの鉛金属のリングで設置面に隙間ができないように設置しました。袋の中の空気を窒素に置き換え24時間静置後、袋内からポンプで空気を採取し超純水に溶かした試料をイオンクロマトグラフィーで分析することにより、酢酸、ギ酸の放散量を測定しました。同時に、データロガーを袋内に封入し、二酸化炭素の濃度変化を測定することで、密閉度の確認も行いました。
 今回の調査により、それぞれの測定箇所の酢酸・ギ酸の濃度を把握することができたので、今後の空気質改善の対策に生かしていきたいと考えています。

令和4年度博物館・美術館等保存担当学芸員研修(上級コース)の開催

分析科学研究室の見学の様子
近代化遺産の保存に関する講義の様子

 令和4(2022)年7月4日から8日の5日間の日程で「令和4年度博物館・美術館等保存担当学芸員研修(上級コース)」を開催しました。
 この研修は資料保存を担当する学芸員等が、環境管理や評価、改善などに必要となる基本的な知識や技術を習得することを目的として、昭和59(1984)年から令和2年まで行ってきた、博物館・美術館等保存担当学芸員研修の応用的な位置づけになるものです。
 令和3年度より保存環境に重きを置いた内容を「基礎コース」として文化財活用センターが行い、東京文化財研究所では、「上級コース」としてこれまで博物館・美術館等保存担当学芸員研修を受講されてきた方々や同等の経験をお持ちの方を対象に実施しています。
 上級コースでは、主に保存科学研究センターで行っている各研究分野での研究成果をもとにした講義・実習内容や外部講師による様々な文化財の保存と修復に関する講義を行いました。今年度も新型コロナウイルス禍が続いておりましたが、感染防止策を徹底した上で18名の受講生と対面での研修を開催することができ、この機会に同期のつながりも作ることができたのではないかと思います。
 研修後のアンケートでは、研修全体を通して満足度が高かった様子がうかがえました。「今回研修で学んだ内容を持ち帰り、自館で取入れていろいろと試してみたいと思った」
「改めて理解し直したこと、初めて知ったことがあり、有意義な時間だった」「充実した一週間だった」という感想が聞かれました。引き続き、保存担当学芸員の方々にとって有益な研修となるよう、研修内容を検討していきます。

高徳院観月堂で用いられている彩色材料の調査

高徳院観月堂での調査風景

 鎌倉大仏殿高徳院の境内には、朝鮮王朝王宮「景福宮」から移築された「観月堂」と称されるお堂があります。観月堂では瓦や壁面の経年劣化や野生生物の被害など、建造物の保存・活用に関する課題を抱えています。また、観月堂に施されている丹青(彩色材料)は、景福宮建立当時に用いられたものが現存している非常に希少なものですが、その材質等についてはまだ明らかになっておらず、現在の状態を把握しておくことが重要です。このような検討を進める上で、観月堂に用いられている彩色材料に関する基礎情報を収集することになりました。
 そこで、鎌倉大仏殿高徳院(佐藤孝雄住職)からの依頼を受けて、令和4(2022)年7月6日、7日に、保存科学研究センター・犬塚将英、早川典子、芳賀文絵、紀芝蓮が観月堂に可搬型分析装置を持ち込んで、建築部材に施されている彩色材料の現地調査を実施しました。
 調査の第一段階として、観月堂が建造された当初に彩色されたと推測される箇所を中心に、色に関する情報を2次元的に把握するために、ハイパースペクトルカメラを用いた反射分光分析を行いました。このようにして得られた反射分光スペクトルのデータを参考にして、学術的に興味深いと考えられる箇所を選定し、蛍光X線分析による詳細な分析も行いました。以上の2種類の分析手法によって得られたデータを詳細に解析することにより、朝鮮王朝時代に用いられた特徴的な彩色材料に関する理解を深め、今後の保存・活用に役立てていく予定です。

南九州市の文化財保存修復に係る調査研究に関する覚書締結

署名された協定書を掲げる齊藤所長(右)と塗木市長
このたび「旧知覧飛行場給水塔」(市指定文化財)近くに設置された気象観測ステーション(柵内右側)

 東京文化財研究所と鹿児島県南九州市は、平成20(2008)年頃より市域に所在する個々の文化財の保存修復に関する調査研究を共同で実施してきましたが、このたび「南九州市指定文化財等の保存修復に関する覚書」を締結し、連携を一層深めて共同研究を進めることとしました。それにあたり、令和4(2022)年7月20日に南九州市役所で覚書の締結式を執り行いました。締結式では、事業概要が説明されたのち、齊藤孝正所長と塗木弘幸南九州市長が協定書に署名いたしました。
 南九州市は、指定文化財だけでも計191件もの文化財を有する土地柄ですが、中でも国登録文化財である旧陸軍知覧飛行場関連の建造物や市指定文化財である陸軍四式戦闘機「疾風(はやて)」をはじめとした近代の文化遺産は、わが国の近代史におけるかけがえのない資料群としてよく知られています。一方で、これら近代の文化遺産は、たとえ指定または登録されても、従来の文化財と規模、材料、機能等において異なる点が多く、保存と活用の新たな手法が求められる場面が多々あります。この度の共同研究は、当研究所と南九州市とが連携することで、これらの文化財がはらむ保存活用のための技術的課題の解決や、新たな保存手法の開拓、研究活動の活性化などを図り、地域の文化財の普及啓発の促進に寄与することを目的とするものです。あわせてこれらの成果を全国に発信し、同様あるいは類似の課題を持つ地方公共団体等にも資する情報を提供できることも目指していきます。

彫刻用刃物の撮影記録-美術工芸品の保存修理に使用する用具・原材料の記録・調査として-

映像・写真による彫刻鑿製作工程の記録
彫刻鑿製作の様子

 文化財の修理を持続的に考える上で、修理に用いる原材料や用具の現状を把握することは非常に重要です。これらの原材料や用具を製作する現場では、人的要因(高齢化や後継者不足)および社会構造の変化による要因(経営の悪化や原料自体の入手困難)から生じた問題を多く抱えていることが、平成30年度より毎年文化庁から受託している「美術工芸品保存修理用具・原材料調査事業」で明らかとなりました。これを受けて保存科学研究センターでは令和3年度より、文化財を保存修理する上で必要となる用具・原材料の基礎的な物性データの収集や記録調査を目的とした事業を開始し、文化財情報資料部、無形文化遺産部と連携して調査研究を行なっています。本報告では、製造停止となる彫刻鑿(のみ)の記録調査について報告します。
 木彫の文化財を修理する際、新材を補修材として加工することがあるため、彫刻鑿や彫刻刀、鋸が主な修理用具として挙げられます。株式会社小信(以下、小信)は、刃物鍛冶として一門を成していた滝口家が昭和初期に創業し、現在制作技術を継承する齊藤和芳氏に至るまで、彫刻鑿や彫刻刀の製作を続けてきた鍛冶屋です。木彫の修理や制作等に携わる多くの方に愛用されてきましたが、令和3(2021)年の10月に受注を停止し、近く廃業することが表明されました。その製造業務が停止する前に、東京文化財研究所では令和4(2022)年5月23日から27日にかけて、彫刻鑿の製作の全工程と使用した機器・鍛冶道具の映像・写真による記録および聞き取り調査を開始しました。この記録調査には公益財団法人美術院の門脇豊氏、文化庁にもご協力いただきました。
 今後、小信の彫刻鑿の製作工程を肌で感じ、眼で見ることは非常に困難になってしまいましたが、彫刻鑿の再現を希望する次代の方に向けて、少しでも手がかりとなるように本調査の記録をまとめていく予定です。

Symposium—Conservation Thinking in Japan における研究発表

講演の様子

 令和4(2022)年5月6、7日にアメリカのニューヨークにあるBard Hall で開催されたシンポジウムConservation Thinking in Japan and Indiaにおいて、“The Relationship Between Traditional Painting Materials and Techniques in Japan from a Scientific Perspective”と題して、日本の文化財修復における技術と材料の関連性について発表しました。このシンポジウムはThe Andrew W. Mellon Foundationの助成を受けてBard Graduate Center が対面・オンライン併用開催したもので、内外の日本の文化財修復や美術史の専門家が最新の研究内容を紹介しました。
 修復材料研究室で行なってきた研究のうち、絵画の修復に用いる古糊が周辺材料や周辺技術と相関し合っていること、絵画の支持体である絹の生産工程上の変化が糸形状や保存性に変化を与え、ひいては絵画表現に影響を与えていると推定されることなどを紹介しています。シンポジウムの前後には関連の施設の見学やミーティングも行われ、修復の実情などを踏まえて活発な議論となりました。材料や技術の科学的な解明は、実際の修復の現場や材料の生産現場でも必要とされていますが、専門家との意見交換によりさらに研究を深める契機となり、また、広くこのような成果を知って頂く貴重な機会となりました。

第3回保存環境調査・管理に関する講習会―空気清浄化のための化学物質吸着剤―の開催

講習会の様子

 保存環境調査・管理に関する講習会は博物館・美術館等で資料保存を専門に担当している学芸員や文化財保存に関わる研究者を対象に、保存環境の調査、評価方法、環境改善や安全な保管のための資材・用具等に関して、共通理解を得ることを目的に年1回開催しています。第1回、第2回は文化財活用センター主催で実施され、第3回は文化財活用センターと当研究所の共同開催となりました。
 第1回目は「北川式検知管による空気環境調査と評価」と題して、ミュージアムの展示・収蔵空間の気中化学物質の定量分析に広く使用されるようになった北川式検知管について、使用方法、適切な評価法等などが解説されました。第2回目は「資料保存用資材としての中性紙」と題して、収蔵庫や書庫における資料保存容器の資材として広く使われている中性紙について、紙の科学的な性質、中性紙の特性や規格、中性紙を使用した保管容器の適切な使用方法などに関して、実習も交えながら解説されました。
 第3回目となる今回は化学物質吸着剤をテーマとしました。近年、建材や内装材を発生源とする化学物質の放散と、資料への影響に対する懸念、改善への関心が高まっていますが、展示・収蔵空間でどのように空気清浄化をしたらよいか、まだ模索段階にあります。そこで、化学物質吸着剤を開発している企業に、適切な化学物質吸着剤の選択と効果的な使用に不可欠な、吸着現象、吸着剤の原理や構造、吸着効率に関わる環境要因等についてお話しいただきました。
 新型コロナウイルス感染症の対策として、会場での対面の参加は8名、同時にオンライン配信も行い、合計30名の方に参加いただきました。参加した方々からは、「ガス吸着の種類、メカニズムがよく理解できた」「ガス吸着の原理、測定方法の理解で、問題点の解決方法の想定がしやすくなった」など原理から実践まで学べて非常に勉強になったとの意見をいただき、有意義なものとなったことがうかがえました。
 今後も保存科学的な観点から、実践に必要な内容のテーマを設定し、講習会を実施していく予定です。

ハイパースペクトルカメラを用いた梅上山光明寺での分析調査

調査の準備
調査箇所についての協議

 これまで何回かにわたり「活動報告」で紹介してきました通り、東京都港区の梅上山光明寺が所有している元時代の羅漢図についての調査が文化財情報資料部によって実施されてきました(梅上山光明寺での調査)。そして、光学調査で得られた近赤外線画像や蛍光画像から、補彩のために新岩絵具が用いられた箇所がある可能性が示唆されました。
 このような画像データの観察に加えて、科学的な分析調査を行うことにより、高精細画像とは異なる切口から情報が得られると考えられます。そこで、令和4(2022)年1月19日に光明寺にて、保存科学研究センターの犬塚将英・紀芝蓮・高橋佳久、そして文化財情報資料部の江村知子・安永拓世・米沢玲が反射分光分析による羅漢図の調査を実施しました。
 反射分光分析を行うことにより、光の波長に対して反射率がどうなるのか、すなわち反射スペクトルの形状から作品に使用されている彩色材料の種類を調べることができます。さらに、今回の調査に適用しましたハイパースペクトルカメラを用いると、同じ反射スペクトルを示す箇所が2次元的にどこに分布するのかを同時に調べることができます。
 今後は、今回得られたデータを詳細に解析することにより、補彩のために用いられた材料の種類と使用箇所の推定を行う予定です。

虫糞から文化材害虫を特定する分子生物学的解析

DNAを識別子として文化財害虫の同定を行う方法
建造物から虫糞を採取する様子

 文化財に顕著な物質的損失を引き起こし、その価値を著しく減ずる文化財害虫による被害は文化財保存における普遍性を持った深刻な問題のひとつです。文化財が害虫に蝕まれたときに、少しでも早く発見し対策を講じることはとても重要なことです。しかし、実際の現場では厄介なことに生体は見つからず虫糞だけしか残されていないことが多々あり、これでは専門家であっても加害種の特定が難しいという状況がありました。そこで生物科学研究室では、虫糞から抽出したDNAを識別子として文化財害虫の同定を行う研究を進めています。
 令和3年度の成果として、文化財に多く用いられている竹を加害する主要な害虫について虫糞から種を特定する手法の確立に成功しました。成果の概要は、まず竹材害虫を採集してDNAを抽出して、種固有の塩基配列を決定します。この情報を生物種の外部形態とDNA情報を統合してデータベース化している国際データベースへ登録を行います。そして、実際に竹材害虫の飼育容器や屋外の建造物から採取した虫糞からDNAを抽出して、塩基配列を決定します。この情報を国際データベースと照合して、種の特定を行うという方法です。これまでは虫糞に含まれる僅かなDNAの抽出やそこに含まれる他の生物のDNAの干渉など、塩基配列を決定するまでのプロセスで多くの課題がありました。しかし、「特異的プライマーによるPCR法」によって、ようやく実際の建造物から採取した未知の虫糞を使って、加害種を特定することに成功しました。詳しくは保存科学誌の第61号に掲載されます。
 今後は、多岐にわたる系統の文化財害虫の虫糞から種を特定できるように、特異的プライマーの開発を進めていくとともに、手法の標準化や簡略化など検出システムの基盤を整備して、現場で使いやすい検査方法となることを目指して研究を進めていきたいと考えています。

国宝・特別史跡臼杵磨崖仏の保存修復に向けた基礎研究

曝露試験用の接着サンプルの設置
岩壁の水分量を計測するための含水率計の設置

 国宝・特別史跡臼杵磨崖仏は平安時代後期から鎌倉時代にかけて、熔結凝灰岩を掘りくぼめた龕(がん)内に彫刻された磨崖仏群であり、ホキ石仏第1群、ホキ石仏第2群、山王山石仏、古園石仏の四群から構成されています。
 これらの磨崖仏は、龕によって風雨の直接の影響を受けづらい環境ではあるものの、冬期における磨崖仏表面での地下水や雨水の凍結融解を繰り返すことで生じる凍結破砕や、乾燥期の水分の蒸発に伴い析出する塩類による磨崖仏表面の剥離・粒状化によって、一部で磨崖仏の風化が進行していました。風化を防ぐ取り組みとして、覆屋の設置と磨崖仏背面に流れる伏流水の制御のための工事や、風化により生じた剥落片も元の位置に貼り戻す作業が過去に行われ、東京文化財研究所も長らく関わってきた経緯があります。
 このような保存修復を経た臼杵磨崖仏ですが、現在、ホキ石仏第2群の阿弥陀如来坐像の膝付近における表面剥落が再び発生していることから、臼杵市と磨崖仏の保存修復を目的とした共同研究を行うこととなりました。具体的には、新設された覆屋内の温湿度変化および岩壁の含水率を継続して確認する環境調査と、剥落片の強化処置と再接着するための材料の検討を行う予定であり、令和3(2021)年10月18日~19日には計測器と曝露試験用の接着サンプルを設置しました。
 今後は、定期的に計測データの確認と接着サンプルの対候性を観察し、臼杵磨崖仏の適切な保存修復に向けて文化庁、大分県、臼杵市と協議していきます。

「文化財修復技術者のための科学知識基礎研修」の開催

実験器具の取り扱いに関する講義

 保存科学研究センターでは、文化財の修復に関して科学的な研究を継続してきています。令和3(2021)年度より、これらの研究で得た知見を含めて、文化財修復に必要な科学的な情報を提供する研修を開催することになりました。対象は文化財・博物館資料・図書館資料等の修復の経験のある専門家で、実際の現場経験の豊富な方を念頭に企画されました。
 令和3(2021)年9月29日より10月1日までの三日間で開催し、文化財修復に必須と考えられる基礎的な科学知識について、実習を含めて講義を行いました。文化財修復に必要な基礎化学、接着と接着剤、紙の化学、生物被害への対応などの内容であり、東京文化財研究所の研究員がそれぞれの専門性を活かして講義を担当しました。
定員15名のところ、全国より44名のご応募を頂きましたが、新型コロナ感染拡大の状況を考慮し、対象を東京都内に在住・通勤の方のみと限定し、その中から専門性などを考慮して15名の方にご参加頂きました。
 開催後のアンケートでは、参加者の方達から、非常に有益であったとの評価をいただきました。今後さらに発展的な修復現場に関する科学的情報のご要望もいただき、これらのご意見を踏まえながら今後も同様の研修を継続する予定です。

キトラ古墳壁画の泥に覆われた部分の調査

蛍光X線分析による調査風景

 主に東京文化財研究所と奈良文化財研究所の研究員で構成される古墳壁画保存対策プロジェクトチームでは、高松塚古墳壁画・キトラ古墳壁画の保存や修復のための調査研究を行っています。高松塚古墳壁画と比べると、キトラ古墳壁画では四神や天文図等に加えて、各側壁に三体ずつ獣頭人身の十二支像が描かれている特徴があります。十二支のうち、子・丑・寅・午・戌・亥の六体の像は存在を確認することができますが、卯・未・酉に該当する箇所は漆喰ごと完全に失われています。そして、残りの辰・巳・申に関しては、該当する箇所の表面が泥に覆われており、これまでのところ、図像の有無は確認できていませんでした。これらの像が描かれている可能性のある3つの壁画片は再構成されておらず、現在は高松塚古墳壁画仮設修理施設にて保管されています。
 辰・巳・申の図像の存在を確認するために、プロジェクトチームの材料調査班と修復班の協働により、平成30(2018)年にX線透過撮影による調査を行ったところ、辰に関しては何らかの図像が描かれているようなX線透過画像が得られたものの、多くの課題が残されました。そこで、令和2(2020)年12月に、辰と申が残存している可能性のある壁画片に対して蛍光X線分析を実施したところ、水銀が検出されたことから、図像の存在の可能性を示すことができました。
 そして、令和3(2021)年8月11日に、巳が残存している可能性のある壁画片に対して蛍光X線分析を実施しました。この調査には、東京文化財研究所・保存科学研究センターの犬塚将英、早川典子、紀芝蓮の3名が参加しました。巳が描かれていると予め予測しておいた位置を中心に縦横2cmの間隔で蛍光X線分析を行いました。その結果、予測した箇所から水銀が検出されたため、巳についても図像の存在の可能性を示すことができました。
 この調査で得られた結果については、令和3(2021)年8月31日に文化庁によって開催された「古墳壁画の保存活用に関する検討会(第29回)」にて報告を行いました。

巳が描かれている可能性のある壁画片のX線透過画像(左)と
検出された水銀の信号強度の分布(右)

令和3年度博物館・美術館等保存担当学芸員研修(上級コース)の開催

修復材料の種類と特性についての講義
生物被害対策実習における見学の一コマ

 令和3(2021)年7月5日から9日の5日間の日程で「令和3年度博物館・美術館等保存担当学芸員研修(上級コース)」を開催しました。昨年度は文化財活用センターとの共催で本研修を開催しましたが、研修内容を明確化し、保存担当学芸員にとってより有益な研修となるよう、今年度は文化財活用センターが担当する「基礎コース」と東京文化財研究所が担当する「上級コース」とに分けて実施することになりました。
 東京都にまん延防止等重点措置が出されている中で、検温、消毒、マスク着用を徹底し、コロナウイルス感染症対策を講じながら実施しました。
 研修は保存科学研究センターの各研究室が1日もしくは半日単位で受け持ち、それぞれの専門性に沿った内容の講義・実習を行いました。上級コースはすでにこれまで博物館・美術館等保存担当学芸員研修を受けた方を対象にしているため、それぞれに自館の問題点や課題を認識して受講される方が多く見受けられました。最終日は昨今の災害を踏まえ、文化財の防災・減災に関する講義がなされました。博物館・美術館等でいかに災害に向き合い対策するか、文化財防災に対して果たす役割を考える貴重な機会となりました。
 アンケート結果からも今後業務を行っていく上で助けとなる引き出しを増やすことができたなど、役に立ったとの意見が多く寄せられました。
 今回、上級コースとして初めての開催となりましたが、本研修の課題等が見えましたので、来年度以降、よりよい研修となるよう改善していきたいと思います。

X線透過撮影と蛍光X線分析による甲冑の調査

蛍光X線分析による甲冑の調査風景

 刈谷市歴史博物館からのご依頼により、同館が保管している「鉄錆地塗紺糸縅塗込仏胴具足・尉頭形兜」の分析調査を保存科学研究センター・犬塚将英が実施しました。この資料の中で、兜は昭和59(1984)年に刈谷市の指定文化財となりました。一方、胴などの兜以外の部位については、数年前に所在が明らかになったばかりです。それらの部位の損傷の度合いは兜と比較すると大変激しいのですが、平成31(2019)年に追加指定され、兜とともに刈谷市歴史博物館に寄託されました。
 この資料については、今後、保存修復事業が実施されます。そのための基礎的なデータを収集するために、東京文化財研究所にて令和3(2021)年5月31日にX線透過撮影による構造調査と蛍光X線分析による顔料の調査を実施しました。
 X線透過撮影で得られたX線画像からは、兜と胴の構造、構成している部材の枚数、鋲の位置と個数等の情報を得ることができました。また、サイズが大きくて立体構造を有する文化財に対して高い感度で分析をすることに特化された装置を使用して、兜の表面に用いられている薄橙色を呈する部分の蛍光X線分析を行い、用いられている顔料等の材料についての検討を行いました。これらの調査結果は、今後の修復作業の際の参考資料として活用される予定です。

「保存と活用のための展示環境」に関する研究会―照明と色・見えの関係―の開催

研究会の様子

 保存科学研究センターの研究プロジェクトである「保存と活用のための展示環境」では、照明に関する研究の総括として令和3(2021)年3月4日に『「保存と活用のための展示環境」に関する研究会―照明と色・見えの関係―』を開催しました。これまでは博物館・美術館等の展示照明に焦点を当てた、文化財の保存を考えた照明のあり方に関する事例報告が主でしたが、今回は少し視点を変え、これまであまり文化財の分野では触れられてこなかった、保存とは少し異なる観点の照明について専門の先生方よりご報告いただきました。
 まず、これまで本プロジェクトの中心で研究を進めてこられた佐野千絵氏(東京文化財研究所名誉研究員)に保存科学研究センターにおける照明研究の流れを導入としてお話しいただきました。次に、視覚科学・視覚工学・視覚情報処理・色彩工学をご専門とされる溝上陽子氏(千葉大学大学院工学研究院)、建築光環境の評価手法の開発についての研究をされている吉澤望氏(東京理科大学理工学部建築学科)、視覚情報処理や色彩・照明工学・画像処理に関して研究を進められている山内泰樹氏(山形大学大学院 理工学研究科)にご講演いただき、多岐にわたる内容となりました。
 コロナ禍で緊急事態宣言が出され、120名入るセミナー室で最大30名の収容という制約の中、対面での研究会は非常に有意義なものとなりました。参加者からは、対面で話を伺えて有意義だった、照明に関する理解が深まった等の意見が寄せられ、満足度の高い研究会になったことが伺えました。一方、今回の研究会は新型コロナウイルス感染拡大防止のため、関東近郊の美術館・博物館等に限定して研究会の案内をしました。そこで、研究会の内容を録画し、東京文化財研究所のYouTubeチャンネルで期間限定公開をすることにしました。今回、参加できなかった遠方の方々にもこの機会に広く視聴していただければと思います。
期間限定公開(令和3年5月10日~7月30日)
https://www.youtube.com/watch?v=UQp68KyNvVQ

令和2年(2020)度第2回古墳壁画保存対策プロジェクトチーム会議のオンライン開催

 令和3(2021)年2月16日に東京文化財研究所と奈良文化財研究所による古墳壁画保存対策プロジェクトチーム会議を開催しました。古墳壁画保存対策プロジェクトは国宝高松塚古墳壁画と国宝キトラ古墳壁画の恒久保存を目的とした、二研究所が長年主軸となって推進してきたプロジェクトであり、現在は4つのチーム(保存活用班、修復班、材料調査班、生物環境班)に分かれて調査研究を行っています。今年度2回目であるこの会議は、新型コロナウイルス感染症拡大防止として発出された緊急事態宣言下での開催であったため、東京文化財研究所、奈良文化財研究所、文化庁をオンラインでつないで開催しました。
 会議では、古墳発掘調査区の三次元復元モデルの作成や壁画の状態確認、非接触による壁画の光学分析、キトラ古墳壁画保存管理施設および国宝高松塚古墳壁画仮設修理施設の温湿度や微生物のモニタリング結果について各班から報告があり、それらをもとに慎重な議論が進められました。会議で集約された報告内容は、令和3(2021)年3月23日に開催された第28回古墳壁画の保存活用に関する検討会で公表され、検討会委員から今後の研究や活動の方向性についてご指摘やご助言をいただきました。
 検討会の配布資料や議事録につきましては、文化庁HPに掲載していますので、興味のある方は下記リンクよりご覧ください。
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kondankaito/takamatsu_kitora/hekigahozon_kentokai/index.html

 高松塚古墳壁画の修理は令和元(2019)年度末で完了し、公開するのに適した新しい施設の設置が検討されています。仮設修理施設から新しい公開施設への移動に伴う、壁画への負荷や環境変化など検討する事項は数多くありますが、これまでの両壁画の恒久保存に関する調査研究と併せて、プロジェクトチームで検証していく予定です。

文化財の材質・構造・状態調査に関する研究会 「文化財に用いられている鉛の腐食と空気環境」

研究会の様子

 保存科学研究センターの研究プロジェクトである「文化財の材質・構造・状態調査に関する研究」では、様々な科学的分析手法によって文化財の材質・構造を調査し、劣化状態を含む文化財の文化財の物理的・化学的な特徴を明らかにするための研究を行っています。そして分析科学研究室では、近年全国で顕在化している鉛の腐食に関する問題にも取り組んできました。
 そこで本研究の総括を目的として、美術史(長谷川祥子氏(静嘉堂文庫美術館)、伊東哲夫氏(文化庁))、保存科学(古田嶋智子氏(国立アイヌ民族博物館))、保存修復(室瀬祐氏(目白漆芸文化財研究所))の専門家をお招きし、令和2(2020)年12月14日に研究会「文化財に用いられている鉛の腐食と空気環境」を開催しました。研究会では、鉛を使用した美術品の紹介、鉛の腐食の問題に関する現状と課題、鉛の腐食に関する材料工学的な基礎知識についてのご講演をいただきました。さらに、空気環境と鉛の腐食に関する調査事例、鉛の腐食と修復に関する事例等の報告を通じて、最新情報の共有とディスカッションを行いました(参加者:20名)。

九重の土砂災害記念碑レプリカ墨入れ式

新宮市役所での墨入れ風景
展示されたレプリカ

 令和2(2020)年12月5日に、九重の土砂災害記念碑レプリカ墨入れ式が新宮市役所で開催されました。新宮市九重地区は、平成23(2011)年に起きた紀伊半島豪雨で被害を受けた地域ですが、この地には江戸時代に起きた同じような土砂災害を記念した石碑が残されています。文政4(1821)年に建てられたこの九重土砂災害記念碑は、かつては藪に覆われていて、碑の表面には様々な汚れが沈着して銘文が読みにくい状態でしたが、東京文化財研究所では、この記念碑を詳細に計測して三次元印刷することで、実際の碑では確認しにくかった文字を読み出すことに貢献していました。今回この三次元印刷された記念碑のレプリカを使って、新宮市役所で住民への防災意識の啓蒙を目的としたイベントが開催されました。イベントでは、色情報のない凹凸情報だけで打ち出されていたレプリカの文字に、九重区の区長、新宮市教育長、碑文の読み出しに関係した研究者、そして一般市民らが順番に墨入れを行っていき、最終的には記念碑の内容が素人目にもわかりやすい状態でレプリカが展示されることになりました。このイベントを通じて、江戸時代に起きていた土砂災害に対して市民が思いを馳せることに貢献し、地域の防災意識を高めることに寄与することができました。

美術工芸品の保存修理に用いられる用具・原材料の調査

楮の生産状況調査(茨城・大子町)
稲藁で編んだ表皮台(楮の皮剝ぎに用いる台)
楮の皮を剝ぐ小包丁

 美術工芸品の修理は、伝統的な材料や用具によって支えられています。近年、それらの用具・材料の確保が困難になってきています。天然材料であるため、気候変動や環境の変化により以前と同じようには資源が確保できないこと、また、材料が確保できても高齢化や社会の変化により後継者が途絶えてしまうことなど様々な問題が起きています。例えば手漉き和紙のネリ剤(分散剤・増粘剤)のノリウツギ・トロロアオイ、漉き簀を編む絹糸、木工品などに用いられる砥の粉・地の粉、在来技法で作製した絹などが確保の難しいものとして挙げられます。
 このような状況を危惧して、文化庁では令和2(2020)年度から「美術工芸品保存修理用具・原材料管理等支援事業」を開始しています。美術工芸品の保存修理に必要な用具・原材料を製作・生産する方への経済的な支援事業です。その一方で、その用具・材料がなぜ必要不可欠であるのかを科学的に明らかにすることや、製作工程に関する映像記録、文化財修理における使用記録などが求められます。東京文化財研究所では、平成30(2018)年度から文化庁の依頼により、このような観点から、今後の生産が危惧される用具・材料について調査と協力を行ってきました。令和2年度は茨城のトロロアオイと楮(9月)、長野の在来技法絹(9月)、高知の楮と和紙製作用具(10月)、京都の砥の粉(11月)、をそれぞれ生産されている方々のもとで調査しています。調査の過程で科学的な裏付けが必要とされる場合には適宜、分析などを行い、伝統的な用具・材料の合理性と貴重性を明らかにして、今後の文化財に関する施策に協力しています。

to page top