研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『TOBUNKEN NEWS (東文研ニュース)』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。

東京文化財研究所 保存科学研究センター
文化財情報資料部 文化遺産国際協力センター
無形文化遺産部


「文化財修復技術者のための科学知識基礎研修」の開催

実験器具の取り扱いに関する講義

 保存科学研究センターでは、文化財の修復に関して科学的な研究を継続してきています。令和3(2021)年度より、これらの研究で得た知見を含めて、文化財修復に必要な科学的な情報を提供する研修を開催することになりました。対象は文化財・博物館資料・図書館資料等の修復の経験のある専門家で、実際の現場経験の豊富な方を念頭に企画されました。
 令和3(2021)年9月29日より10月1日までの三日間で開催し、文化財修復に必須と考えられる基礎的な科学知識について、実習を含めて講義を行いました。文化財修復に必要な基礎化学、接着と接着剤、紙の化学、生物被害への対応などの内容であり、東京文化財研究所の研究員がそれぞれの専門性を活かして講義を担当しました。
定員15名のところ、全国より44名のご応募を頂きましたが、新型コロナ感染拡大の状況を考慮し、対象を東京都内に在住・通勤の方のみと限定し、その中から専門性などを考慮して15名の方にご参加頂きました。
 開催後のアンケートでは、参加者の方達から、非常に有益であったとの評価をいただきました。今後さらに発展的な修復現場に関する科学的情報のご要望もいただき、これらのご意見を踏まえながら今後も同様の研修を継続する予定です。

キトラ古墳壁画の泥に覆われた部分の調査

蛍光X線分析による調査風景

 主に東京文化財研究所と奈良文化財研究所の研究員で構成される古墳壁画保存対策プロジェクトチームでは、高松塚古墳壁画・キトラ古墳壁画の保存や修復のための調査研究を行っています。高松塚古墳壁画と比べると、キトラ古墳壁画では四神や天文図等に加えて、各側壁に三体ずつ獣頭人身の十二支像が描かれている特徴があります。十二支のうち、子・丑・寅・午・戌・亥の六体の像は存在を確認することができますが、卯・未・酉に該当する箇所は漆喰ごと完全に失われています。そして、残りの辰・巳・申に関しては、該当する箇所の表面が泥に覆われており、これまでのところ、図像の有無は確認できていませんでした。これらの像が描かれている可能性のある3つの壁画片は再構成されておらず、現在は高松塚古墳壁画仮設修理施設にて保管されています。
 辰・巳・申の図像の存在を確認するために、プロジェクトチームの材料調査班と修復班の協働により、平成30(2018)年にX線透過撮影による調査を行ったところ、辰に関しては何らかの図像が描かれているようなX線透過画像が得られたものの、多くの課題が残されました。そこで、令和2(2020)年12月に、辰と申が残存している可能性のある壁画片に対して蛍光X線分析を実施したところ、水銀が検出されたことから、図像の存在の可能性を示すことができました。
 そして、令和3(2021)年8月11日に、巳が残存している可能性のある壁画片に対して蛍光X線分析を実施しました。この調査には、東京文化財研究所・保存科学研究センターの犬塚将英、早川典子、紀芝蓮の3名が参加しました。巳が描かれていると予め予測しておいた位置を中心に縦横2cmの間隔で蛍光X線分析を行いました。その結果、予測した箇所から水銀が検出されたため、巳についても図像の存在の可能性を示すことができました。
 この調査で得られた結果については、令和3(2021)年8月31日に文化庁によって開催された「古墳壁画の保存活用に関する検討会(第29回)」にて報告を行いました。

巳が描かれている可能性のある壁画片のX線透過画像(左)と
検出された水銀の信号強度の分布(右)

令和3年度博物館・美術館等保存担当学芸員研修(上級コース)の開催

修復材料の種類と特性についての講義
生物被害対策実習における見学の一コマ

 令和3(2021)年7月5日から9日の5日間の日程で「令和3年度博物館・美術館等保存担当学芸員研修(上級コース)」を開催しました。昨年度は文化財活用センターとの共催で本研修を開催しましたが、研修内容を明確化し、保存担当学芸員にとってより有益な研修となるよう、今年度は文化財活用センターが担当する「基礎コース」と東京文化財研究所が担当する「上級コース」とに分けて実施することになりました。
 東京都にまん延防止等重点措置が出されている中で、検温、消毒、マスク着用を徹底し、コロナウイルス感染症対策を講じながら実施しました。
 研修は保存科学研究センターの各研究室が1日もしくは半日単位で受け持ち、それぞれの専門性に沿った内容の講義・実習を行いました。上級コースはすでにこれまで博物館・美術館等保存担当学芸員研修を受けた方を対象にしているため、それぞれに自館の問題点や課題を認識して受講される方が多く見受けられました。最終日は昨今の災害を踏まえ、文化財の防災・減災に関する講義がなされました。博物館・美術館等でいかに災害に向き合い対策するか、文化財防災に対して果たす役割を考える貴重な機会となりました。
 アンケート結果からも今後業務を行っていく上で助けとなる引き出しを増やすことができたなど、役に立ったとの意見が多く寄せられました。
 今回、上級コースとして初めての開催となりましたが、本研修の課題等が見えましたので、来年度以降、よりよい研修となるよう改善していきたいと思います。

X線透過撮影と蛍光X線分析による甲冑の調査

蛍光X線分析による甲冑の調査風景

 刈谷市歴史博物館からのご依頼により、同館が保管している「鉄錆地塗紺糸縅塗込仏胴具足・尉頭形兜」の分析調査を保存科学研究センター・犬塚将英が実施しました。この資料の中で、兜は昭和59(1984)年に刈谷市の指定文化財となりました。一方、胴などの兜以外の部位については、数年前に所在が明らかになったばかりです。それらの部位の損傷の度合いは兜と比較すると大変激しいのですが、平成31(2019)年に追加指定され、兜とともに刈谷市歴史博物館に寄託されました。
 この資料については、今後、保存修復事業が実施されます。そのための基礎的なデータを収集するために、東京文化財研究所にて令和3(2021)年5月31日にX線透過撮影による構造調査と蛍光X線分析による顔料の調査を実施しました。
 X線透過撮影で得られたX線画像からは、兜と胴の構造、構成している部材の枚数、鋲の位置と個数等の情報を得ることができました。また、サイズが大きくて立体構造を有する文化財に対して高い感度で分析をすることに特化された装置を使用して、兜の表面に用いられている薄橙色を呈する部分の蛍光X線分析を行い、用いられている顔料等の材料についての検討を行いました。これらの調査結果は、今後の修復作業の際の参考資料として活用される予定です。

「保存と活用のための展示環境」に関する研究会―照明と色・見えの関係―の開催

研究会の様子

 保存科学研究センターの研究プロジェクトである「保存と活用のための展示環境」では、照明に関する研究の総括として令和3(2021)年3月4日に『「保存と活用のための展示環境」に関する研究会―照明と色・見えの関係―』を開催しました。これまでは博物館・美術館等の展示照明に焦点を当てた、文化財の保存を考えた照明のあり方に関する事例報告が主でしたが、今回は少し視点を変え、これまであまり文化財の分野では触れられてこなかった、保存とは少し異なる観点の照明について専門の先生方よりご報告いただきました。
 まず、これまで本プロジェクトの中心で研究を進めてこられた佐野千絵氏(東京文化財研究所名誉研究員)に保存科学研究センターにおける照明研究の流れを導入としてお話しいただきました。次に、視覚科学・視覚工学・視覚情報処理・色彩工学をご専門とされる溝上陽子氏(千葉大学大学院工学研究院)、建築光環境の評価手法の開発についての研究をされている吉澤望氏(東京理科大学理工学部建築学科)、視覚情報処理や色彩・照明工学・画像処理に関して研究を進められている山内泰樹氏(山形大学大学院 理工学研究科)にご講演いただき、多岐にわたる内容となりました。
 コロナ禍で緊急事態宣言が出され、120名入るセミナー室で最大30名の収容という制約の中、対面での研究会は非常に有意義なものとなりました。参加者からは、対面で話を伺えて有意義だった、照明に関する理解が深まった等の意見が寄せられ、満足度の高い研究会になったことが伺えました。一方、今回の研究会は新型コロナウイルス感染拡大防止のため、関東近郊の美術館・博物館等に限定して研究会の案内をしました。そこで、研究会の内容を録画し、東京文化財研究所のYouTubeチャンネルで期間限定公開をすることにしました。今回、参加できなかった遠方の方々にもこの機会に広く視聴していただければと思います。
期間限定公開(令和3年5月10日~7月30日)
https://www.youtube.com/watch?v=UQp68KyNvVQ

令和2年(2020)度第2回古墳壁画保存対策プロジェクトチーム会議のオンライン開催

 令和3(2021)年2月16日に東京文化財研究所と奈良文化財研究所による古墳壁画保存対策プロジェクトチーム会議を開催しました。古墳壁画保存対策プロジェクトは国宝高松塚古墳壁画と国宝キトラ古墳壁画の恒久保存を目的とした、二研究所が長年主軸となって推進してきたプロジェクトであり、現在は4つのチーム(保存活用班、修復班、材料調査班、生物環境班)に分かれて調査研究を行っています。今年度2回目であるこの会議は、新型コロナウイルス感染症拡大防止として発出された緊急事態宣言下での開催であったため、東京文化財研究所、奈良文化財研究所、文化庁をオンラインでつないで開催しました。
 会議では、古墳発掘調査区の三次元復元モデルの作成や壁画の状態確認、非接触による壁画の光学分析、キトラ古墳壁画保存管理施設および国宝高松塚古墳壁画仮設修理施設の温湿度や微生物のモニタリング結果について各班から報告があり、それらをもとに慎重な議論が進められました。会議で集約された報告内容は、令和3(2021)年3月23日に開催された第28回古墳壁画の保存活用に関する検討会で公表され、検討会委員から今後の研究や活動の方向性についてご指摘やご助言をいただきました。
 検討会の配布資料や議事録につきましては、文化庁HPに掲載していますので、興味のある方は下記リンクよりご覧ください。
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kondankaito/takamatsu_kitora/hekigahozon_kentokai/index.html

 高松塚古墳壁画の修理は令和元(2019)年度末で完了し、公開するのに適した新しい施設の設置が検討されています。仮設修理施設から新しい公開施設への移動に伴う、壁画への負荷や環境変化など検討する事項は数多くありますが、これまでの両壁画の恒久保存に関する調査研究と併せて、プロジェクトチームで検証していく予定です。

文化財の材質・構造・状態調査に関する研究会 「文化財に用いられている鉛の腐食と空気環境」

研究会の様子

 保存科学研究センターの研究プロジェクトである「文化財の材質・構造・状態調査に関する研究」では、様々な科学的分析手法によって文化財の材質・構造を調査し、劣化状態を含む文化財の文化財の物理的・化学的な特徴を明らかにするための研究を行っています。そして分析科学研究室では、近年全国で顕在化している鉛の腐食に関する問題にも取り組んできました。
 そこで本研究の総括を目的として、美術史(長谷川祥子氏(静嘉堂文庫美術館)、伊東哲夫氏(文化庁))、保存科学(古田嶋智子氏(国立アイヌ民族博物館))、保存修復(室瀬祐氏(目白漆芸文化財研究所))の専門家をお招きし、令和2(2020)年12月14日に研究会「文化財に用いられている鉛の腐食と空気環境」を開催しました。研究会では、鉛を使用した美術品の紹介、鉛の腐食の問題に関する現状と課題、鉛の腐食に関する材料工学的な基礎知識についてのご講演をいただきました。さらに、空気環境と鉛の腐食に関する調査事例、鉛の腐食と修復に関する事例等の報告を通じて、最新情報の共有とディスカッションを行いました(参加者:20名)。

九重の土砂災害記念碑レプリカ墨入れ式

新宮市役所での墨入れ風景
展示されたレプリカ

 令和2(2020)年12月5日に、九重の土砂災害記念碑レプリカ墨入れ式が新宮市役所で開催されました。新宮市九重地区は、平成23(2011)年に起きた紀伊半島豪雨で被害を受けた地域ですが、この地には江戸時代に起きた同じような土砂災害を記念した石碑が残されています。文政4(1821)年に建てられたこの九重土砂災害記念碑は、かつては藪に覆われていて、碑の表面には様々な汚れが沈着して銘文が読みにくい状態でしたが、東京文化財研究所では、この記念碑を詳細に計測して三次元印刷することで、実際の碑では確認しにくかった文字を読み出すことに貢献していました。今回この三次元印刷された記念碑のレプリカを使って、新宮市役所で住民への防災意識の啓蒙を目的としたイベントが開催されました。イベントでは、色情報のない凹凸情報だけで打ち出されていたレプリカの文字に、九重区の区長、新宮市教育長、碑文の読み出しに関係した研究者、そして一般市民らが順番に墨入れを行っていき、最終的には記念碑の内容が素人目にもわかりやすい状態でレプリカが展示されることになりました。このイベントを通じて、江戸時代に起きていた土砂災害に対して市民が思いを馳せることに貢献し、地域の防災意識を高めることに寄与することができました。

美術工芸品の保存修理に用いられる用具・原材料の調査

楮の生産状況調査(茨城・大子町)
稲藁で編んだ表皮台(楮の皮剝ぎに用いる台)
楮の皮を剝ぐ小包丁

 美術工芸品の修理は、伝統的な材料や用具によって支えられています。近年、それらの用具・材料の確保が困難になってきています。天然材料であるため、気候変動や環境の変化により以前と同じようには資源が確保できないこと、また、材料が確保できても高齢化や社会の変化により後継者が途絶えてしまうことなど様々な問題が起きています。例えば手漉き和紙のネリ剤(分散剤・増粘剤)のノリウツギ・トロロアオイ、漉き簀を編む絹糸、木工品などに用いられる砥の粉・地の粉、在来技法で作製した絹などが確保の難しいものとして挙げられます。
 このような状況を危惧して、文化庁では令和2(2020)年度から「美術工芸品保存修理用具・原材料管理等支援事業」を開始しています。美術工芸品の保存修理に必要な用具・原材料を製作・生産する方への経済的な支援事業です。その一方で、その用具・材料がなぜ必要不可欠であるのかを科学的に明らかにすることや、製作工程に関する映像記録、文化財修理における使用記録などが求められます。東京文化財研究所では、平成30(2018)年度から文化庁の依頼により、このような観点から、今後の生産が危惧される用具・材料について調査と協力を行ってきました。令和2年度は茨城のトロロアオイと楮(9月)、長野の在来技法絹(9月)、高知の楮と和紙製作用具(10月)、京都の砥の粉(11月)、をそれぞれ生産されている方々のもとで調査しています。調査の過程で科学的な裏付けが必要とされる場合には適宜、分析などを行い、伝統的な用具・材料の合理性と貴重性を明らかにして、今後の文化財に関する施策に協力しています。

令和2年度保存担当学芸員研修の開催

生物被害対策に関する講義 
文化財の科学調査に関する講義

 令和2(2020)年10月5日から15日の日程で保存担当学芸員研修を開催しました。多くのご応募をいただきましたが、感染症対策のため例年の半数に絞って17名の学芸員等のみなさまに受講いただきました。 昨年度から引き続き独立行政法人国立文化財機構文化財活用センター(以下、ぶんかつ)との共催での研修となり、第一週をぶんかつが担当し、第二週を当所が担当しました。感染症対策として、検温、消毒、「3密」の回避を徹底し、実習は手袋や消毒の利用、受講生それぞれに教材を配布する等の工夫をした上で実施しました。
 ぶんかつが担当した第一週は保存環境の基礎知識について座学形式で講義を行い、文化庁、ぶんかつ、当所の3者が共同で対応している「博物館等でのウイルス除去・消毒作業」に関する指導・助言についての報告も行われました。第二週は保存科学研究センターの各研究室が半日単位で受け持ち、座学や実習を行いました。文化財を保存、修復するための理念や自然科学の基礎知識を応用して現場の課題へ取り組む方法等の幅広い内容についての講義を行い、受講者の方々からは有益であったとの意見をいただきました。最終日には今年10月に発足した文化財防災センターの高妻センター長をお招きして「博物館の防災」についてご講義いただき、ミュージアムが文化財防災に果たす役割について考える貴重な機会となりました。
 令和3(2021)年度も時代のニーズに合ったよりよい研修を提供できるよう努めてまいります。

大岩山毘沙門天での金剛力士立像の構造調査

エックス線透過撮影による金剛力士立像の調査風景

 栃木県足利市にある大岩山毘沙門天は、京都の鞍馬山・奈良の信貴山とともに日本三大毘沙門天のひとつと言われています。山門には足利市指定文化財「木造 金剛力士立像」が安置されていますが、最近の調査から、経年劣化が進んでいることが懸念されています。特に阿形像に関しては、頭部が前傾している可能性も指摘されてきました。このような事情から、所有者による修復事業の実施が予定されています。
 この修復事業において、まずは金剛力士立像の部材やそれらの接続方法を明らかにする必要がありました。しかし、像高が約2.8mにも及ぶ阿形像と吽形像を山門から移動せずに、その場で調査を実施する必要がありました。このような非破壊調査の依頼を足利市教育委員会を通じて受けて、令和2(2020)年9月9日、10日に、保存科学研究センター・犬塚将英がエックス線透過撮影による内部構造の調査を実施しました。
 調査風景の写真にありますように、金剛力士立像の手前に組まれた足場に、可搬型エックス線発生装置を設置してエックス線の照射を行いました。エックス線透過画像を得るために、イメージングプレート(IP)を使用しましたが、金剛力士立像の背後の限られたスペースにIPを設置する方法については、事前に調査メンバーで検討を重ねました。そして、今回の調査では、現地にIPの現像装置を持ち込んで実施し、エックス線透過画像をその場で確認しながら調査を進めました。
調査で得られたエックス線透過画像から、金剛力士立像の内部構造、及び過去の修復時に用いられた釘等の位置や数等を明らかにすることができました。これらの調査結果は、今後の修復作業の際の参考資料として活用される予定です。

新型コロナウイルス感染症に対する博物館等でのウイルス除去・消毒作業への相談窓口

 令和2(2020)年、新型コロナウイルスが全世界へと感染拡大しました。4月7日政府より7都府県に対して緊急事態宣言が発令され、4月16日には対象地域が全都道府県に拡大されました。文化財を所有する文化施設等においても新型コロナウイルス感染拡大を防止する必要性が出てきましたが、消毒による文化財への影響が懸念されたため、文化庁より4月23日付事務連絡「文化財所有者及び文化財保存展示施設設置者におけるウイルス除去・消毒作業に係る対応について」が発出されました。全国の文化財を所轄する部署等に対し、消毒用の薬剤は文化財の劣化を引き起こすおそれがあるため、その使用にあたっては注意が必要な場合があること、文化財が所在する場所において消毒作業等の必要が生じ専門的な助言等が必要な場合には、事前に相談してほしいことを伝えました。そしてその相談窓口として、文化庁・文化財活用センター・東京文化財研究所保存科学研究センターの3者が協力し、対応に当たることになりました。当研究所は消毒に関する技術的な相談を受け付けていることをHPに掲載しました(https://www.tobunken.go.jp/info/info200424/index.html)。
 これまで、博物館、美術館、文書館等の展示室や収蔵庫における消毒のみならず、建造物に対する消毒やお祭りに使用する民俗文化財への消毒など多岐にわたる相談を受けました。それらの相談に対し、できる限り薬剤による消毒をせず、他の感染防止対策を講じること、消毒をしなければならない場合についても対処の仕方や換気などについてそれぞれの状況に応じた助言を行いました。今後も引き続き消毒の必要性等を検討し、相談窓口として対応していきます。

文化財害虫の検出に役立つ新しい技術開発に向けた基礎研究

現地調査の様子
DNA塩基配列解析の様子

 保存科学研究センター生物科学研究室では、文化財害虫の検出に役立つ新しい技術、DNA解析を応用した害虫同定手法に関する基礎研究を進めています。文化財害虫の種類の特定には、一般的に害虫の外部形態の特徴から図鑑や専門書に記載されている情報と比較検討を行い種の同定をします。しかし、外部形態が類似する害虫では、種類の特定が困難であり、解剖を行って体の細部の比較によって同定を行うなど専門知識が必要となることがあります。また、害虫の体の一部しか得ることが出来ないという状況も多々あります。そこで文化財害虫のDNAの特定領域を解析して、文化財害虫に特化した独自の塩基配列情報のデータベースを作り、未知試料のDNAから種類の特定を行う「DNAバーコーディング」手法の応用を試みています。
 令和2(2020)年8月6日から7日にかけて栃木県日光市にある二社一寺の歴史的木造建造物において、データベースに登録されていない数種のシバンムシを捕獲するため、現地調査を行いました。現地調査では、目的とするシバンムシを捕獲する有効なトラップが無いため、被害の認められる木造建物を隈なく探していくという地道な調査を行いました。その結果、複数種のシバンムシを捕獲することが出来ました。
 今回の現地調査で得られた個体を含め、現在までにおよそ40種の主要な文化財害虫のDNA塩基配列を決定しデータベース化を進めています。その中には公共のデータベースには登録されていない種も多数含まれており、文化財害虫に特化したデータベースの構築はとても重要であると言えます。
 今後は、害虫の脚や翅といった体の一部から種を同定する方法や被害部分に残された脱皮殻や虫糞からDNAを抽出して、文化財を加害した「犯人」を特定する方法について技術開発を進めたいと考えています。

国宝高松塚古墳壁画修理作業室の一般公開(第30回)

見学通路における微粒子測定

 新型コロナウイルス感染症の影響で、春に予定されていた国宝高松塚古墳壁画修理作業室の公開(第29回)は中止となりましたが、公衆衛生学の専門家による指導のもと、十分な感染予防対策をとることで、第30回の一般公開を令和2(2020)年7月18日から7月24日まで開催し、東京文化財研究所からは4人が解説員として対応しました。
 今回の一般公開では、令和元(2019)年度をもって修復が終了した壁画の中から、東壁青龍、北壁玄武、東西壁女子群像を見学しやすい位置に配置しました。
 見学者には、検温や過去2週間の健康状態の報告、マスク着用、こまめな手指消毒をお願いしました。また、見学用通路内の密集を避ける観点から、一日当たりの見学者数を100名程度に制限することで、感染予防にご協力いただきました。飛沫拡散防止のためには、今まで見学用通路での解説は口頭で行っていたものを、音声ガイダンスを導入し、見学後に屋外で質疑応答するよう工夫しました。見学前後では、見学用通路のアルコール消毒、排風機による換気を行いました。なお、換気の指標として二酸化炭素濃度の変化をモニタリングするとともに、空気清浄度の確認のため飛沫微粒子をパーティクルカウンターで測定するなど、見学者に安心して見学していただけるため、保存科学の専門家として対応に協力しました。
 今冬の一般公開の開催については、応募要領は下記リンクから確認することができますのでご参照ください。
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/takamatsu_kitora/sagyoshitsu_kokai/index.html

オンライン授業による大学院教育の実施

所内に構築されたオンライン講義用のブース

 東京文化財研究所では、平成7(1995)年より東京藝術大学大学院美術研究科と連携してシステム保存学コースを開設し、文化財保存を担う人材の養成を行ってきていますが、令和2(2020)年度は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響により、例年通りの授業の開講や研究室における学生指導などが行えない状況になりました。令和2年4月に、東京藝術大学が原則として学生の入校禁止と授業のオンライン化を決定したのを受け、令和2年度前期のシステム保存学の大学院教育はこの方針に従って進められました。
まず、緊急事態宣言が出されていた5月25日以前は、研究所からの指示によって自宅待機中だった東京文化財研究所の併任教員が、自宅からカリキュラムに従ってオンライン講義を実施しました。緊急事態宣言解除後の6月からは、職員の研究所への出勤は認められるようになりましたが、依然として授業はオンラインで行うことが大学から要望されていたため、対面で行うことで初めて効果が得られるような講義は後回しにして、順番を入れ替えてオンラインで行える講義を先に実行しました。その時の講義は、研究所からオンライン講義を発信できるような環境を所内で構築し(図)、出勤した併任教員が入れ替わりでそこからオンラインで行いました。
そして7月以降は、例外として一部で対面授業を行うことも認められるようになったので、後回しにされていた講義を研究所内で対面で実施することとしました。この時は学生の研究所への立ち入り前の検温や健康チェック、マスクの着用、受講学生数に対して十分に広い講義室の確保、部屋の換気、などに十分注意しながら、対面で行うことでしか効果が得られない教育を研究所にて行いました。
この間、研究室の大学院生は自宅待機を原則とし、それぞれの指導教官(併任の東京文化財研究所職員)が主としてWeb会議システムを用いて個別にオンラインで指導を行っていました。
 前例のない困難な状況によって各地で教育に支障が出ているというニュースが聞こえている中、受講した学生の中に健康を害したものはおらず、またインターネット情報を駆使したオンライン講義ならではの新たな教育も試みたため、例年と比べても遜色ない教育効果を挙げることができたと考えています。

令和2年度前期に実施した講義
・保存環境計画論  朽津信明・犬塚将英・佐藤嘉則 履修者20名(聴講2名)
 全12回 全てオンラインで実施
・修復計画論    朽津信明・安倍雅史    履修者 9名(聴講3名)
 全12回 全てオンラインで実施
・修復材料学特論  早川泰弘・早川典子    履修者 12名(聴講3名)
 全12回 オンラインで4コマ分、対面で8コマ分実施
・文化財保存学演習 朽津信明           履修者21名(聴講2名)
 オンラインにて実施

システム保存学在籍大学院生
・修士課程 1名 博士課程 1名

国宝高松塚古墳壁画修理作業室の一般公開

映像による事前ガイダンス

 令和2(2020)年1月18日から24日までの7日間、令和元年度(第28回)国宝高松塚古墳壁画修理作業室の一般公開が行われ、期間中、東京文化財研究所から4名の研究員が説明員として対応に当たりました。 
本公開では、見学者用通路側に「冬」を象徴する北方の神獣である北壁玄武と、東西壁女子群像・東西壁男子群像を配置し、来場された多くの方に、壁画の現状をご確認頂きました。近年、西壁女子群像をはじめとした図像部分が綺麗になり、クリーニング前後の違いがはっきりと分かりやすくなったことで、作業室内の壁に展示されていた過去の写真と見比べて驚かれる方も多くいらっしゃる一方、同時期に四神の館にて公開されました、国宝キトラ古墳壁画の北壁玄武と比較しながら、熱心にご覧になる方もいらっしゃいました。
 高松塚古墳壁画に係る一連の事業は、文化庁からの受託事業「国宝高松塚古墳壁画恒久保存対策に関する調査等業務」として行われており、その業務の中心として、当研究所も長きに亘り関わって参りました。壁画は平成19(2007)年に墳丘から石室石材ごと取り出されて以降、古墳近くの仮設修理施設にて、カビやバイオフィルムに汚染された絵画面と無地場のクリーニングおよび粗鬆化が進んだ漆喰の強化を中心に、処置が進められています。そして12年目となる今年度で、その保存修復計画も一旦区切りを迎える事となりました。将来的な壁画の保存と展示活用については、今後さらに検討を重ねていく予定です。

「文化財修復処置に関するワークショップ -ゲルを使用した修復処置-」「文化財修復処置に関する研究会 -クリーニングとゲルの利用についてー」開催報告

 近年は文化財への注目が広がる中、多様な材料から成る作品に保存修復処置を行う必要が出てきており、従来の処置技術では対処困難な事例が多く見受けられます。特に、作品の価値を損なわずに作品上の汚れ除去を考える必要性が高まっています。
 これらのニーズを受けて保存科学研究センターでは、イタリアの保存科学者パオロ・クレモネージ氏をお招きし、令和元(2019)年10月8日から10日にクリーニングの基礎的な科学知識とゲル利用に関するワークショップを開催しました。また翌10月11日には、日本及び西洋における文化財のクリーニングについて、現場問題提起と最新の研究紹介を目的に、文化財修復処置に関する研究会も開催いたしました。
 ワークショップにおいては、午前は座学をセミナー室で行いました(参加者56名)。午後からは会議室に場所を移し、参加者を21名に絞らせていただき、実際に文化財修復で使用するクリーニング溶液の調製方法や、クリーニングの実作業に関する研修を行いました。
 研究会においては、クレモネージ氏による「欧米におけるクリーニング方法 ―ゲルの適用と最新の事例―」のほか、国宝修理装潢師連盟理事長の山本記子氏より「東洋絵画のクリーニング」、写真修復家の白岩洋子氏より「紙及び写真作品の処置におけるゲル利用の可能性」をお話しいただき、実際の東西の修復現場における状況をご紹介いただきました。保存科学研究センターからは「西洋絵画におけるクリーニング方法発展の歴史的背景」を鳥海秀実、「文化財クリーニング手法の開発 ―近年の研究紹介―」を早川典子から報告しました。

博物館・美術館等保存担当学芸員研修の実施

 令和元(2019)年7月8~19日の日程で標記研修を開催しました。今年も2倍を超える応募の中、31名の学芸員等のみなさまに受講いただきました。
 今年は、文化財活用センターとの共催で実施する初めての研修となり、第一週を文化財活用センター(略称:ぶんかつ)が担当し、第二週を当所が担当して、講義プログラムを一新しました。第一週は保存環境の基礎を座学と実習で学ぶ形式で、ぶんかつからSNSを通じて情報が発信されるなど、共催での研修実施でこれまで不足していた情報発信力に気づかされました。
 第二週は保存科学研究センターの各研究室が半日単位で受け持ち、以下のテーマで主に座学をおこないました:文化財の科学調査(分析科学研究室)、生物被害対策(生物科学研究室)、屋外文化財の保存(修復計画研究室)、温熱環境制御(保存環境研究室)、修復材料の種類と特性/紙資料・日本画の保存修復(修復材料研究室)。修復に対する理念や基礎知識を応用して課題へ取り組む方法、当所の最新技術や成果を現場に活かしていただくためのワークショップなど、幅広い内容に取り組み、参加者の方々からは有益であったとの評価をいただきました。
 令和2(2020)年度はオリンピック・パラリンピック対策で、7月開催は難しいと考えております。参加者の皆様にご不便のないように、日程決まり次第すみやかにお伝えしていく所存です。

陸前高田市博物館の被災資料保管環境の調査

換気量測定の準備の様子

 陸前高田市博物館の被災資料保管環境の改善のための調査業務について、平成29(2017)年度から陸前高田市から業務委託を受けています。東京文化財研究所の調査のうち、文化財や人体に影響のある大気汚染ガス・室内汚染ガスに関する問題とその対策、生物生息状況から管理を向上する提案、被災資料の処置方法についての相談を受けています。令和元(2019)年度も6月27、28日に第1回目の現地調査を実施しました。陸前高田市博物館は小学校校舎を利用して必要な改修を施して被災資料の処置や保管を行っていますが、今年は教室を利用した収蔵室の換気に着目し、室内に室内汚染ガスの発生源がある場合の対策の立て方について検討しています。被災資料の修復協力をしている多数の団体とも協力しながら、この復興事業を少しでも支える力になれれば、と考えています。

第2回湿度制御温風殺虫処理法に関する専門家研究集会の開催

研究集会の様子

 令和元(2019)年5月9日に歴史的木造建造物の新たな殺虫処理である「湿度制御温風殺虫処理」に関する専門家研究集会を開催しました。
 歴史的木造建造物の木材害虫による被害は、貴重なオリジナルの木材を損失させるリスクだけでなく、空洞化した木材は構造材としての強度を損なうというリスクもあります。日光輪王寺本堂は重度の虫害により解体修理を余儀なくされました。そして、解体部材の殺虫処理には文化財への影響がほとんど無いフッ化スルフリルガスで燻蒸が実施されましたが、大規模な燻蒸であったため安全上のリスクが極めて大きく、周辺施設の公開活用の妨げになるという問題がありました。
 そこで新しい殺虫処理方法である湿度制御温風処理について研究が進められています。この方法は、高温(60℃程度)によって害虫を駆除する方法で、湿度を制御しながら加温することで、木材の物性にほとんど影響を与えずに内部まで温度を上げて殺虫する方法です。国内で実施した2件の処理では、漆で塗装された建造物の毀損は無く有意な殺虫効果が得られ、技術開発としては完成に近い段階に到達したことが報告されました。その一方で、本処理の担い手や処理費用など社会実装のために超えるべき数多くの課題が指摘されました。また、処理実績が無いため経年変化を評価することが出来ず、予測不能な影響が内在する可能性も指摘されました。
 本法が歴史的木造建造物の殺虫処理法として選択可能な段階に至るためには、解決すべき課題が多くありますが、関係機関と協力しながら長期的な視点で取り組んでいきたいと考えています。

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