研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『TOBUNKEN NEWS (東文研ニュース)』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。

東京文化財研究所 保存科学研究センター
文化財情報資料部 文化遺産国際協力センター
無形文化遺産部


虫糞から文化材害虫を特定する分子生物学的解析

DNAを識別子として文化財害虫の同定を行う方法
建造物から虫糞を採取する様子

 文化財に顕著な物質的損失を引き起こし、その価値を著しく減ずる文化財害虫による被害は文化財保存における普遍性を持った深刻な問題のひとつです。文化財が害虫に蝕まれたときに、少しでも早く発見し対策を講じることはとても重要なことです。しかし、実際の現場では厄介なことに生体は見つからず虫糞だけしか残されていないことが多々あり、これでは専門家であっても加害種の特定が難しいという状況がありました。そこで生物科学研究室では、虫糞から抽出したDNAを識別子として文化財害虫の同定を行う研究を進めています。
 令和3年度の成果として、文化財に多く用いられている竹を加害する主要な害虫について虫糞から種を特定する手法の確立に成功しました。成果の概要は、まず竹材害虫を採集してDNAを抽出して、種固有の塩基配列を決定します。この情報を生物種の外部形態とDNA情報を統合してデータベース化している国際データベースへ登録を行います。そして、実際に竹材害虫の飼育容器や屋外の建造物から採取した虫糞からDNAを抽出して、塩基配列を決定します。この情報を国際データベースと照合して、種の特定を行うという方法です。これまでは虫糞に含まれる僅かなDNAの抽出やそこに含まれる他の生物のDNAの干渉など、塩基配列を決定するまでのプロセスで多くの課題がありました。しかし、「特異的プライマーによるPCR法」によって、ようやく実際の建造物から採取した未知の虫糞を使って、加害種を特定することに成功しました。詳しくは保存科学誌の第61号に掲載されます。
 今後は、多岐にわたる系統の文化財害虫の虫糞から種を特定できるように、特異的プライマーの開発を進めていくとともに、手法の標準化や簡略化など検出システムの基盤を整備して、現場で使いやすい検査方法となることを目指して研究を進めていきたいと考えています。

文化財害虫の検出に役立つ新しい技術開発に向けた基礎研究

現地調査の様子
DNA塩基配列解析の様子

 保存科学研究センター生物科学研究室では、文化財害虫の検出に役立つ新しい技術、DNA解析を応用した害虫同定手法に関する基礎研究を進めています。文化財害虫の種類の特定には、一般的に害虫の外部形態の特徴から図鑑や専門書に記載されている情報と比較検討を行い種の同定をします。しかし、外部形態が類似する害虫では、種類の特定が困難であり、解剖を行って体の細部の比較によって同定を行うなど専門知識が必要となることがあります。また、害虫の体の一部しか得ることが出来ないという状況も多々あります。そこで文化財害虫のDNAの特定領域を解析して、文化財害虫に特化した独自の塩基配列情報のデータベースを作り、未知試料のDNAから種類の特定を行う「DNAバーコーディング」手法の応用を試みています。
 令和2(2020)年8月6日から7日にかけて栃木県日光市にある二社一寺の歴史的木造建造物において、データベースに登録されていない数種のシバンムシを捕獲するため、現地調査を行いました。現地調査では、目的とするシバンムシを捕獲する有効なトラップが無いため、被害の認められる木造建物を隈なく探していくという地道な調査を行いました。その結果、複数種のシバンムシを捕獲することが出来ました。
 今回の現地調査で得られた個体を含め、現在までにおよそ40種の主要な文化財害虫のDNA塩基配列を決定しデータベース化を進めています。その中には公共のデータベースには登録されていない種も多数含まれており、文化財害虫に特化したデータベースの構築はとても重要であると言えます。
 今後は、害虫の脚や翅といった体の一部から種を同定する方法や被害部分に残された脱皮殻や虫糞からDNAを抽出して、文化財を加害した「犯人」を特定する方法について技術開発を進めたいと考えています。

第2回湿度制御温風殺虫処理法に関する専門家研究集会の開催

研究集会の様子

 令和元(2019)年5月9日に歴史的木造建造物の新たな殺虫処理である「湿度制御温風殺虫処理」に関する専門家研究集会を開催しました。
 歴史的木造建造物の木材害虫による被害は、貴重なオリジナルの木材を損失させるリスクだけでなく、空洞化した木材は構造材としての強度を損なうというリスクもあります。日光輪王寺本堂は重度の虫害により解体修理を余儀なくされました。そして、解体部材の殺虫処理には文化財への影響がほとんど無いフッ化スルフリルガスで燻蒸が実施されましたが、大規模な燻蒸であったため安全上のリスクが極めて大きく、周辺施設の公開活用の妨げになるという問題がありました。
 そこで新しい殺虫処理方法である湿度制御温風処理について研究が進められています。この方法は、高温(60℃程度)によって害虫を駆除する方法で、湿度を制御しながら加温することで、木材の物性にほとんど影響を与えずに内部まで温度を上げて殺虫する方法です。国内で実施した2件の処理では、漆で塗装された建造物の毀損は無く有意な殺虫効果が得られ、技術開発としては完成に近い段階に到達したことが報告されました。その一方で、本処理の担い手や処理費用など社会実装のために超えるべき数多くの課題が指摘されました。また、処理実績が無いため経年変化を評価することが出来ず、予測不能な影響が内在する可能性も指摘されました。
 本法が歴史的木造建造物の殺虫処理法として選択可能な段階に至るためには、解決すべき課題が多くありますが、関係機関と協力しながら長期的な視点で取り組んでいきたいと考えています。

歴史的木造建造物の新たな殺虫処理方法の開発–中禅寺鐘楼の現地視察

「日光山中禅寺(輪王寺別院)鐘楼の湿度制御高温処理と現地視察の様子」

 平成30(2018)年9月10日に、中禅寺鐘楼で開始した「湿度制御高温殺虫処理」の現地視察を行いました。湿度制御高温殺虫処理とは、木造建造物の柱、梁など木材を食害する害虫を高温(60℃程度)によって駆除する方法です。通常は加温していくと木材が割れたり歪んだりしてしまいますが、木材の含水率が一定に保たれるように処理空間内の湿度を制御しながら加温すると、木材の物性にほとんど影響を与えずに木材の内部まで温度を上げていくことが可能になります。従来の歴史的木造建造物の殺虫処理は、建造物を被覆密閉して内部に気化させた薬剤を充満させて木材内部の害虫を駆除する燻蒸殺虫処理が唯一の手法でした。しかし、燻蒸ガスは人体にも影響があるため安全対策上のリスクも大きく、木造建造物のような大規模処理を継続するのは困難な状況にありました。湿度制御高温殺虫処理は、このような課題を克服する新しい方法として期待されています。
 これまでに、日光社寺文化財保存会、京都大学、九州国立博物館、トータルシステム研究所、文化財建造物保存技術協会、国立民族学博物館、千葉県立中央博物館、そして東京文化財研究所からなる研究チームで歴史的木造建築物への適用に向けた基礎研究から応用技術の確立まで研究を進めてきました。基礎研究では、チャンバーを使った試験で処理中の空間の湿度分布と木材内の温度分布、表面ひずみの計測、材質への影響を確認しました。そして、実際の建物を想定した温湿度制御ユニットを作成し、モデル建物での処理試験を経て、今回、中禅寺愛染堂に次ぐ国内で2度目の歴史的木造建築物の現地処理試験に至りました。中禅寺で行った2棟の処理結果を整理して、本法が新たな殺虫処理法の一つとして普及していくことを目指して研究を進めていきたいと考えています。

歴史的木造建築物の新たな殺虫処理方法の開発に向けた基礎研究(害虫捕獲について)

FIT
設置作業風景

 保存科学研究センターでは、歴史的木造建築物の新たな殺虫処理方法のひとつとして、木材や彩色に影響を与えないように含水率を一定に保ったまま加温し、建物内部や柱、梁など部材の内部を穿孔食害する害虫を駆除するという「温風処理法」についての基礎研究を進めています。
 このような研究においては、殺虫処理の効果を評価するために実際に加害している害虫を用いることが理想です。しかし、安定して害虫を用意するには、効率良く生きた害虫を集める方法を見出すか、人工飼育を確立することが必要です。本研究はそのための害虫捕獲の方法を検討するものです。
 一般的な飛翔性昆虫捕獲用粘着トラップは、捕獲された害虫には粘着物質が付着するため生きたまま捕獲することは困難です。そこで私達はフライト・インターセプション・トラップ(FIT)という方法を応用して害虫の捕獲調査を行いました。FITは、飛翔してくる昆虫が障害物にぶつかると、翅や脚を縮めて落下する性質を利用したもので、透明な衝突板とその下部に捕獲容器を設けた構造をしています。
 今年度、日光山内の社寺において、FITによって害虫捕獲調査を行ったところ、目的とした害虫(主にシバンムシ類)を生きたまま捕獲することに成功しました。生きたまま害虫を捕獲できることは、生態や生活史の解明の糸口となり、人工飼育に繋がる可能性もあります。
 こうした基礎研究を積み重ねることは、歴史的木造建築物の新たな殺虫処理方法の開発を支える基盤として重要であると考えています。

IPMフォーラム「臭化メチル全廃から10年:文化財のIPMの現在」開催報告

写真1.フォーラムの講演会場風景
写真2.第一サテライト会場の様子

 保存修復科学センターでは、「IPMフォーラム:臭化メチル全廃から10年:文化財のIPMの現在」を2015年7月16日に開催しました。本催しは、文化財保存修復学会が共催となり、同学会の例会としても位置付けられました。モントリオール議定書締約国会議による2005年からの臭化メチル使用全廃、その10年という節目に、これまでの活動をふりかえりつつ、現状での文化財分野のIPMの活動状況、進展や問題点も含めて情報を共有し、現在の課題と、今後必要な方向性を考えるための場とすることを目的としました。当日は、齊藤孝正氏(文化庁)、木川りか(東京文化財研究所)、三浦定俊氏(文化財虫菌害研究所)により、我が国や世界の国々での燻蒸やその後のIPMへの取り組みが紹介され、本田光子氏(九州国立博物館)、長屋菜津子氏(愛知県美術館)、園田直子氏(国立民族学博物館)、日高真吾氏(国立民族学博物館)、斉藤明子氏(千葉県立中央博物館)、青木睦氏(国文学研究資料館)により、各館の様々な取り組みについていろいろな角度からご報告をいただきました。さらに、朝川美幸氏(仁和寺)からは、社寺における具体的なIPM活動の実践例をご紹介いただき、佐藤嘉則(東京文化財研究所)からは、埋蔵環境である装飾古墳の保存公開施設でのIPMへの取り組み例について紹介しました。参加者はちょうど200名で、会場となった東京文化財研究所、地階セミナー室(写真1)だけではなく、会議室(写真2)やロビーを2つのサテライト会場としました。ロビーでは、文化財のIPMや生物劣化対策に関する論文の別刷の他、関連資料等を展示し、自由にお持ち帰りいただけるようにしました。白熱した発表が続き、討議の時間が少なくなったのは残念でしたが、関係者皆様のご協力を得て、盛況裏にフォーラムが終了いたしましたこと、改めて関係者各位に感謝したいと存じます。

“第36回文化財の保存および修復に関する国際研究集会 文化財の微生物劣化とその対策:屋外・屋内環境、および被災文化財の微生物劣化とその調査・対策に関する最近のトピック“ 開催報告

イタリアのピエロ・ティアノ博士による基調講演
ポスターセッションの様子

 微生物の繁殖は、屋外・屋内の環境を問わず、文化財にとっての大きな劣化要因となっています。東日本大震災における経験は私たちの記憶に新しいところですが、とくに地震・津波などによって被災した文化財については水濡れの影響から、微生物劣化が短期間のうちにおきやすく、その状況をみきわめるための調査と対策がきわめて重要となっています。そこで、保存修復科学センターでは、当研究所が各部門の持ち回りで毎年開催している“文化財の保存および修復に関する国際研究集会”の第36回目として、2012年12月5日(水)~12月7日(金)に、東京国立博物館・平成館・大講堂にて標記のシンポジウムを担当・実施しました。初日には外国専門家の基調講演に続き、被災文化財の生物劣化についてのセッション、2日目には屋外の石造文化財、木質文化財の生物劣化に関するセッション、そして最終日には屋内環境にある文化財の生物劣化の調査法や劣化の環境要因に関わるセッションを行いました。3日間を通じて合計15件の招待講演のほかに、国内外から23件のポスター発表があり、232名の参加者(のべ参加者数421名)を得て、活発な議論が行われました。今回は、イタリア、フランス、ドイツ、カナダ、中国、韓国など、海外からも多くの専門家が来日参加しました。今回のように、文化財の微生物劣化に特化したテーマでのシンポジウムは国際的にみてもほとんどなく、ヨーロッパ地域からも含めて自費で参加して下さった専門家が多かったものと思われ、まさに国際研究集会と呼ぶのにふさわしい、充実した情報交換ができました。終始、積極的にご協力いただいた発表者、参加者の方々に心より感謝致します。

“第36回文化財の保存および修復に関する国際研究集会 文化財の微生物劣化とその対策:屋外・屋内環境、および被災文化財の微生物劣化とその調査・対策に関する最近のトピック“について

Microbial Biodeterioration of Cultural Property

 文化財の微生物による劣化は、屋外・屋内環境を問わず、文化財の劣化要因として大きな影響を与えています。また、地震・津波などによって被災した文化財は水濡れの影響から、微生物劣化が短期間のうちにおきやすく、その状況をみきわめるための調査と対策はきわめて重要です。東京文化財研究所では、標記のシンポジウムを平成24年12月5日(水)~12月7日(金)、東京国立博物館 平成館 大講堂にて開催いたします。今回は招待講演のほかに、上記のテーマに関わる22件のポスター発表が行われます。国内外の研究者や文化財関係者と積極的な議論や情報交換をする機会ですので、文化財の保護に関わる方々、研究者、文化財の分野に興味をお持ちの学生の方を含め、多くの方々のご参加をお待ちいたしております。10月20日まで参加お申込みを受け付けております。
詳しくはhttp://www.tobunken.go.jp/~hozon/sympo2012/をご覧ください。お問い合わせは、sympo2012@tobunken.go.jpまで。 

伝統的塗装部位の生物劣化に関する調査研究

胡粉塗装部位に増殖したカビ
現地での防カビ剤を用いた曝露試験の様子

 保存修復科学センターでは、受託研究『霧島神宮における彩色剥落止めの手法開発及び施工管理』の一環として、霧島神宮での伝統的塗装部位の生物劣化に関する調査研究を実施しています。膠などの有機物が用いられる伝統的な塗装方法は、一般的にカビなどの生物劣化を受けやすくカビが発生した場合、著しく美観が損なわれます。そればかりでなく、カビが接着材として機能している膠の蛋白質を分解することで塗装面から顔料が剥離したり、代謝産物によって顔料が着色したり溶解したりと、塗装部の物理的な劣化も促進します。
 霧島神宮では、渡廊下、登廊下、拝殿の壁面に胡粉塗や黄土塗といった伝統的な塗装が施された場所でカビが広範囲に渡り増殖するといった被害が起きました。今年度は、その原因となったカビとそのカビが塗装部位に与える影響を明らかにするため、微生物学的な調査研究と、最適な防除策を提案するため現地での温湿度環境のモニタリング・防カビ剤の曝露試験を行っています。
 環境計測の結果から、気温は平地より低く、相対湿度は年平均で約70%と比較的高いことが把握でき、常在菌であれば容易に増殖しやすい環境であることが明らかとなりました。防カビ剤を塗布した現地曝露試験では、いくつかの薬剤で防カビ効果が認められましたが、防カビ剤の中には胡粉と化学反応を起こし劣化要因となるものも存在しました。また、カビの解析では、これまでに133株のカビを被害部位から分離して、菌集落の形態からグループ分け行い、分類学・生理学的解析を行ないました。その結果、分離菌株数の出現頻度が高い3つのグループがあり、霧島神宮の伝統的な塗装部位の微生物劣化に関して特に重要であると考えられました。今後、分離菌株のより詳細な解析を行い、曝露試験の結果と併せながら伝統的な胡粉および黄土塗装における微生物劣化の予防や防除対策の検討を進める予定です。

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