研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『TOBUNKEN NEWS (東文研ニュース)』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。

東京文化財研究所 保存科学研究センター
文化財情報資料部 文化遺産国際協力センター
無形文化遺産部


研究会「考古学と国際貢献 イスラエルの考古学と文化遺産」の開催

研究会「考古学と国際貢献 イスラエルの考古学と文化遺産」のプログラム

 令和4(2022)年2月20日、イスラエルにおける考古遺跡の保存修復や整備公開をテーマとした研究会をオンラインで開催しました。この研究会は、文化遺産国際協力センターが「考古学と国際貢献」をテーマとして今後5ヵ年にわたり開催を計画している年次研究会の第1回目となります。イスラエルは、世界の中でも文化遺産関係の研究者層が厚く、また文化遺産保護制度も整備されていることから、今回の対象国としました。
 研究会では、まずイスラエルで史跡の指定や整備を担う機関であるイスラエル国立公園局から、保存開発部長のゼエヴ・マルガリート氏と北部地区担当官のドロール・ベン=ヨセフ氏が講演を行いました。マルガリート氏からは同国における考古遺跡の管理に関する諸課題、ベン=ヨセフ氏からは歴史資料と考古資料とのはざまで考古遺跡をどのように公開するかということについて、現地での取り組みが紹介されました。
 続いて日本国内の専門家として、筆者のほか北海道大学観光学高等研究センター准教授の岡田真弓氏と立教大学文学部教授の長谷川修一氏が講演を行いました。筆者からは1960年代以来実施されてきた日本によるイスラエルでの考古調査の概観、岡田氏からは同国で文化遺産マネジメントが発達する過程の考察、長谷川氏からは自身が発掘調査を行っている遺跡を事例とした保存活用に関する諸課題について、各自の専門的見地からの報告がされました。
 研究会の後半には、長谷川氏の司会のもと、講演者全員によるパネルディスカッションを行いました。そこでの議論を通して、考古遺跡の保存や整備において何を残して何を残さないかということに関する問題や、保存や整備に関わる当事者のジレンマなど、両国間で共通する課題があることが認識されました。
 今後、西アジア諸国を対象とした同様の研究会を通じて各国と課題を共有することで、より実効性の高い国際協力事業へとつなげていきたいと考えています。

アンコール・タネイ遺跡保存整備のための現地調査X‐今後の保存整備に向けた調査

東門再構築後の現場確認
中央伽藍の危険箇所調査

 東京文化財研究所では、カンボジアにおいてアンコール・シエムレアプ地域保存整備機構(APSARA)によるタネイ寺院遺跡の保存整備事業に技術協力しています。新型コロナウイルス感染拡大の影響により現地渡航が困難となっていましたが、APSARA側の要請に応えて、十分な感染防止対策のもと、2年弱ぶりに令和4(2022)年1月9日から1月24日にかけて職員計3名の派遣を行いました。今回は、修復工事中の東門関係のほか、中心伽藍の危険箇所への対応など、現地での速やかな検討が必要な事項に関して現地調査および協議を行いました。
 令和元(2019)年に着手した東門修復工事については、令和2(2020)年4月以降はオンラインで具体的な修復方針を協議しながらAPSARA側が工事を継続し、令和3(2021)年1月には頂部まで再構築が完了しました。今回は、リモートでは把握しきれなかった施工精度や仕上げの詳細等を現場で確認し、改善のための助言を行いました。今後さらに協議のうえ、手直しや追加工事が進められる予定です。
 一方、中心伽藍においては、不安定な石材の崩落や、木造の応急補強材の老朽化、樹木による影響など、複数のリスク要因があり、見学者の安全確保と遺跡の更なる損壊防止のため、早急な対策が求められています。このため、APSARAのリスクマップチームと合同で調査を行い、対策の基本方針や応急措置の優先順位を検討しました。ドローンを用いて塔の上部などの高所も確認し、撮影した写真から3Dモデルを作成して塔の現状を記録しました。
 さらに、以前に正面参道での考古調査で採取した土試料の分析も、同じくアンコール遺跡群で修復支援を継続中の韓国文化財財団(KCHF)の協力により実施しました。同国の援助で整備中の実験施設でKCHFの専門家の指導のもと、粒度分布や測色等の調査を行い、参道の基盤を構成する土層に関するデータを取得しました。この場を借りて、KCHFの寛大な協力に感謝を申し上げます。
 このほかにも、遺跡の修復に携わる各国チームと現場や研究会で交流するなど、現地での協力活動の意義を再認識する機会となりました。同時に行った、外周壁の発掘調査、およびタネイ関連彫刻類遺物調査については、それぞれ別稿にて報告します。

アンコール・タネイ遺跡保存整備のための現地調査X―外周壁遺構の発掘調査

雨季の東門
出土した外周壁基底部と旧地表面

 別稿にて報告のあった令和4(2022)年1月9日から1月24日にかけての派遣事業の一環として、タネイ寺院遺跡外周壁遺構の発掘調査を行いました。APSARAと共同で修復中の同寺院東門は、既に再構築作業が完了していますが、現状では門付近の地表が周囲より低く、雨季に雨水が滞留することが以前から問題になっています。寺院建立当初からこのような地形だったとは考えづらく、本来は何らかの形で排水が考慮されていたと推定されました。このため、今後の東門周辺の排水計画策定に向けて、旧地表のレベルおよび状態確認を目的とした発掘調査を実施しました。
 発掘調査は、門の南北に接続していた外周壁跡(撤去された時期や理由は不明)を対象に、北東角とそこに至る途中で壁基部のラテライト材が現地表に露出している部分の、計3か所で実施しました。調査の結果、現地表下約30cmの地点でアンコール時代の地表面を確認し、東門周囲とほぼ高低差はなく平坦な地形だったことがわかりました。特に排水溝等の痕跡もなく、当時は地中浸透などの自然排水に依っていたと考えられます。
 現状では門の北方に地面の高まりがあって排水の妨げとなっているため、今後まずはこの付近の表土を取り除き、雨水の滞留状況が改善されるかを確認することとしました。寺院建物の修復と並行して、このような周辺整備作業も進めていく予定です。

アンコール・タネイ遺跡保存整備のための現地調査X―保管彫像類の調査

破損したドヴァラパーラ像
調査風景

 令和4(2022)年1月9日から1月24日にかけての現地作業の一環として、これまでにタネイ寺院遺跡で発見され、他所で保管されている石造彫像類の所在および現状に関する調査を行いました。アンコール遺跡群の遺物については、フランス極東学院(EFEO)が発見当時に作成した記録がありますが、その現状については体系的な調査がされてきませんでした。
 今回は文化芸術省所管のアンコール保存事務所の協力のもと、同所に保管されている遺物の実物と台帳記録類の照合作業を行いました。EFEOの台帳に記載されたタネイ関係遺物は全部で30数点あり、このうち16点の所在を確認することができました。所在不明の多くは神像の手足などの小断片ですが、像高2m前後と大型の門衛神ドヴァラパーラ像のうち3体は頭部が失われているほか、観音菩薩像1体も激しく損傷しており、内戦期の盗掘や破壊によるものと考えられます。このほか少なくとも2点の彫像がプノンペン国立博物館に保管されていることが、現地でのフランス人研究者からの情報提供により判明しました。
 加えて、最も盗掘が頻発した平成5~6(1993~94)年頃に同事務所が遺跡現地から回収した彫刻類などのうちにもタネイから運ばれたものがあることがわかり、今回は仏陀座像7点、ナーガ欄干7点、シンハ像2点を確認しました。これらの像が寺院内のどこにあったのかなどの情報を集めるととともに、所在不明の遺物の捜索をさらに続けたいと思います。
 一方、令和元(2019)年に行った同寺院東門の解体作業中に発見された観音像頭部は現在、シハヌーク・アンコール博物館に保管されており、これについても改めて3Dモデル作成用の写真撮影を実施しました。残念ながらこれに対応する胴体部は見つかっていませんが、あるいは今も遺跡内のどこかに人知れず埋没しているのかもしれません。
今後は機会を見て、他施設での調査も行っていきたいと考えています。

特別展「ポンペイ」展示作業への協力

「マケドニアの王子と哲学者」の展示作業風景

 現在、東京国立博物館では特別展「ポンペイ」(令和4(2022)年1月14日〜4月3日)が開催されています。これに先立って行われた展示作業にて、出品される作品(壁画、モザイク、大理石像)の状態確認調査に協力させていただきました。
 ポンペイは、イタリアの南部にある都市ナポリの南東約23kmに位置するローマ時代に築かれた都市です。紀元後79年、ナポリとポンペイの中間にそびえるヴェスヴィオ火山が大噴火を起こすと、街は瞬く間に火山灰と土砂に埋もれました。時は流れて1748年に再発見されると、本格的な発掘調査がはじまります。すると、当時の建物や壁画、美術品などが次々と出土しました。今回の特別展では、これら出土品を数多く所蔵するナポリ国立考古学博物館より約150点が来日し、多くの来館者を魅了しています。
 展示作業中は、普段の業務ではなかなか携わることのない展覧会場の設営過程を間近で見ることができました。本来であれば、作品の輸送段階から現地専門家が随行します。しかし、コロナ禍ということで来日することが叶わず、作業は博物館職員や美術品輸送展示の専門家に委ねられました。「来館者にとっていかなる展示環境を提供することがベストか」を考えつつ、作品を傷つけないよう細心の注意を払いながら進められる作業は容易ではありません。展示品の中には、総重量が数百キロを超える壁画も含まれていました。普段何気なく見ている展覧会も、このように多くの方々の取り組みがあってこそ成り立っているのだと改めて気付かされる機会となりました。

文化遺産国際協力コンソーシアムによる令和3年度シンポジウム「海と文化遺産-海が繋ぐヒトとモノ-」の開催

シンポジウム「海と文化遺産-海が繋ぐヒトとモノ-」ポスター
登壇者によるフォーラム「海によってつながる世界」の様子

 文化遺産国際協力コンソーシアム(東京文化財研究所が文化庁より事務局運営を受託)は、令和3(2021)年11月28日にウェビナー「海と文化遺産-海が繋ぐヒトとモノ-」を開催しました。
 人々の営みや当時の社会、歴史、文化を物語る証人として、海に関わる文化遺産が世界各地に残されるとともに、近年では最先端の技術や分析手法を通じて、海を介して運ばれてきたモノの由来も具体的に解明できるようになってきました。本シンポジウムは、海に関わる文化遺産をめぐる国際的な研究や保護の動向、世界各地における海の文化遺産にまつわる取り組みの事例や日本人研究者の関わりを紹介するとともに、この分野での国際協力に日本が果たしうる役割について考えることを目的に開催されました。
石村智(東京文化財研究所)による趣旨説明に続き、佐々木蘭貞氏(一般社団法人うみの考古学ラボ)による「沈没船研究の魅力と意義―うみのタイムカプセル」、木村淳氏(東海大学)による「海の路を拓く―船・航海・造船」、田村朋美氏(奈良文化財研究所)による「海を越えたガラスビーズ ―東西交易とガラスの道」、四日市康博氏(立教大学)による「海を行き交う人々―海を渡ったイスラーム商人、特にホルムズ商人について」、布野修司氏(日本大学)による「海と陸がまじわる場所―アジア海域世界の港市:店屋と四合院」の5講演が行われました。
 続くフォーラム「海によってつながる世界」では、周藤芳幸氏(名古屋大学)と伊藤伸幸氏(名古屋大学)が加わり、東西の海と陸を介した交流、船と技術、地中海世界や新大陸世界での海域ネットワークの様相、海と文化遺産に関する国際協力をテーマとした4つのセッションで活発な議論が展開されました。
 最後に、山内和也氏(帝京大学)が閉会挨拶を行い、人間が海へと漕ぎ出し世界を繋げてきたことを示す物証である、海にまつわる文化遺産を保護することの重要性が改めて強調されました。
 シンポジウムをオンライン形式で行うのは初めての試みでしたが、世界11か国から約200名の方にご参加をいただき、盛況な会となりました。コンソーシアムでは引き続き、関連する情報の収集・発信に努めていきます。
本シンポジウムの詳細については、下記コンソーシアムのウェブページをご覧ください。
https://www.jcic-heritage.jp/20211209symposiumreport-j/

バガン遺跡(ミャンマー)における技術支援に係る経過状況の把握

良好な状態を保つ保存修復箇所(中・上段部)と、未修復箇所に育った草木

 東京文化財研究所では、ミャンマーのバガン遺跡において同国宗教文化省 考古国立博物館局バガン支局の職員を対象にした煉瓦造寺院の壁画と外壁の保存修復方法に関する技術支援および人材育成事業に取り組んできました。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大及びミャンマー情勢の悪化に伴い、現地における活動ができない状況が続いています。そこで、本事業の対象として保存修復を進めてきたMe-taw-ya寺院及びLokahteikpan寺院の状態を把握するため2ヶ月おきにオンライン会議を開催し、現地職員によって撮影された写真を参考に維持管理に係る助言を続けています。
 令和3(2021)年12月19日の会議では、Me-taw-ya寺院の現状について報告があり、活動休止後約2年間が経過した現在も保存修復箇所が良好な状態を保持していることが伝えられました。バガン遺跡では、目地漆喰の補修や寺院の雨漏り対策が繰り返し行われてきましたが、その多くは1年も経たずに修復材料が傷んでしまうという問題に悩まされ続けてきました。2021年は特に雨量が多く、例年にはない甚大な被害が出たとの報告も受けています。
 本事業では、こうした現地専門家が抱える悩みに寄り添い、その対策を講じるべく研究を続けてきました。新しく導入した修復材料は、最も古い施工箇所では5年が経過しています。文化財の保存修復では作業そのものも重要ですが、その後の経過状況を見守ることも重要です。現地での活動ができない今の状況は非常にもどかしいですが、複数年にわたる保存修復の効果を確認できたことは大きな成果といえます。
 1日も早く、現地での活動が再開できることを願いつつ、引き続きできる限りの協力を続けていきたいと思います。

ネパールの被災文化遺産の復旧支援に向けた事前調査

調査開始前のシヴァ寺基壇南東隅部
解体調査によって露出した基壇内部の当初と思われる構造

 平成27(2015)年4月25日にネパールを襲ったマグニチュード7.8の地震により、首都カトマンズを含む広範な地域が被災し、世界遺産を含む多くの文化財も被害を受けました。東京文化財研究所は、文化庁委託事業などを通して同年11月から被災文化遺産の保護に関する調査・支援を続けてきました。今回は、国際協力機構(JICA)からの要請を受けて筆者が派遣され、令和3(2021)年12月5日~17日の間、カトマンズ・ハヌマンドカ王宮内シヴァ寺の基壇の部分的解体調査を行いました。
 シヴァ寺は17世紀建立と伝えられる平面規模5メートル四方程度の重層建物で、上記震災によって上部構造が完全に倒壊しました。当研究所は平成29(2017)年6月にも同寺院の基礎構造を確認するための発掘調査を行いましたが、今回は本格的な復旧に必要となる構造補強検討のための基礎的資料を得るため、残存する煉瓦造の基壇内部の構成および状況確認を目的とした調査を実施しました。
 調査の結果、基壇の上層部や外周部には各種の煉瓦が雑に積まれていて後代の補修時のものと思われるのに対し、下層部および内部には規格の揃った煉瓦が整然と積まれていることがわかりました。これら創建当初と推測される部分は比較的安定した状態を保っており、以前の発掘調査結果とも一致します。
 このほか、上部構造の石材同士の接合部に用いられていた接着剤や、基壇を構成する煉瓦の目地に充填されていたモルタルの成分分析も予定しています。これらの成果が、ネパールの震災復旧支援の一助となり、ひいては現地における歴史的建造物への理解増進に資することを期待しています。

伊藤延男氏関係資料の受贈

文化財保護委員会時代の伊藤氏(左から3人目、周りは建造物課職員及び修理技術者の各氏とその家族:右端は伊藤氏の前に建造物課長(1966-1971)を務めた日名子元雄氏、その左隣は当研究所の修復技術部長(1988-1990)を務めた伊原恵司氏)

 去る令和3(2021)年9月13日、昭和53(1978)年4月から同62(1987)年3月までの9年間にわたって東京国立文化財研究所の所長を務めた故伊藤延男氏が所蔵されていた文化財保護行政業務等に関する資料一式が、ご子息である伊藤晶男氏から当研究所に寄贈されました。伊藤延男氏は、戦後の文化財保護の発展を牽引した行政技官・建築史研究者で、特に昭和50(1975)年の文化財保護法の改正で新設された伝統的建造物群保存地区の制度設計では文化庁の建造物課長(1971-1977)として中心的な役割を果たしました。また、我が国の文化財建造物の保存理念と修理方法を積極的に海外に向けて発信し、西欧由来の保存概念であるオーセンティシティが国際的に展開するきっかけとなった平成6(1994)年11月の「オーセンティシティに関する奈良会議」を主導するなど文化財保護の国際分野にも大きな足跡を残しています(詳しくは末尾に掲載した記事をご参照ください)。
 今回、受贈した資料は、伊藤氏が業務として携わった文化財保護の行政実務及び国際協力の一次資料を中心に、建築史及び文化財に関する研究活動や民間活動の諸資料、執筆原稿など多岐にわたります。これらは生涯を通じて旺盛であった同氏の活動を通じて蓄積されてきたもので、体系的に収集、整理されたものではないため、現段階では詳細な情報が明らかではないものが多く含まれていることも確かです。しかし、できるだけ早く資料そのものを必要とする研究者等の閲覧に供することが重要との考えから、資料全体を活動内容で大きく分類し、個々の資料の機械的な整理を終えた段階で公開していく予定です。
 受贈資料の中から、若かりし日の伊藤氏が文化財保護委員会事務局建造物課の同僚らとともに写った写真を紹介します。左から3人目が伊藤氏で、同氏の風貌や同封されていた他の写真との関係から、同氏が文化財調査官として現場で活躍していた昭和40(1965)年頃の撮影と思われます。年報や報告書に載るようなかしこまった写真からはなかなか感じ取ることができない、この写真に写る面々の生き生きとした屈託のない笑顔からは、文化財保護行政もまた高度経済成長の右肩上りの時代の空気とともにあったことが伝わってくるようです。

・斎藤英俊:伊藤延男先生のご逝去を悼む,建築史学 66巻,pp.148-159, 2016:https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsahj/66/0/66_148/_article/-char/ja/
・伊藤延男,日本美術年鑑 平成28年版,pp.557-558, 2018:https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/809181.html

「国際研修におけるIT技術導入のための実証実験」の実施

実習の様子
サテライト会場の様子

 東京文化財研究所では、日本の紙本文化財の保存と修復に関する知識や技術を伝えることを通じて各国における文化財の保護に貢献することを目的として、平成4(1992)年よりICCROM(文化財保存修復研究国際センター)との共催で国際研修「紙の保存と修復」(JPC)を実施してきました。この研修では例年、海外より10名の文化財保存修復専門家を招聘してきましたが、新型コロナウイルス感染症の世界的感染拡大の影響により昨年度に続いて本年度も開催中止を余儀なくされました。このような状況を受け、大半が実技実習で構成されるJPCのような研修について、オンライン開催の可能性を探るとともにその実現に向けての課題を明らかにするため、令和3(2021)年9月8日から15日にかけて、「国際研修におけるIT技術導入のための実証実験」を実施しました。
 実験に先立ち9月1日に、紙本文化財の主要な修復材料である「糊」と「紙」の基礎的な知識についての講義を、ライブ配信とオンデマンド配信を併用してオンラインで行いました。実習は、当研究所職員5名を模擬研修生として、対面会場とサテライト会場の2会場で行いました。対面会場に国の選定保存技術「装潢修理技術」保持認定団体の技術者を講師として迎え、サテライト会場とライブ中継しながら紙本文化財を巻子に仕立てるまでの修理作業を実習しました。最終日の意見交換会では、ICT機器を活用する利点が認識された一方、受講生が事前に一定の基礎知識や経験を得ていることの必要性、画面越しでの技術指導の限界、ネットワーク環境や機材に起因するトラブルへの対応の難しさ等、オンラインでの実技実習をめぐる様々な課題点も浮き彫りとなりました。

スタッコ装飾及び塑像に関する研究調査(その2)

平成29(2017)年に修復を終えたミケランジェロ作の塑像 『河の神』 “Dio Fluviale”
17世紀のスタッコ装飾例(サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂)

 文化遺産国際協力センターでは、令和3(2021)年度より、運営費交付金事業「文化遺産の保存修復技術に係る国際的研究」の一環として、スタッコ装飾に関する研究調査を行なっています。令和3(2021)年9月11日には、スタッコ装飾の保存に携わる欧州の専門家に参加いただき、第2回目となる意見交換会を開催しました。
 意見交換では、粘度調整やひび割れ抑制のための工夫として、日本で漆喰壁の需要が高まった江戸時代から調合されるようになった海藻のりや紙スサの利用に注目が集まりました。スタッコ装飾の長い歴史をもつ欧州においても同様に、これまで様々な創意工夫が行われてきましたが、日本とは異なる材料が使われています。このことから、特定の時代において各国や地域で利用されていた添加剤を本研究調査における比較対照項目に追加し、データベース化していくことが決まりました。
 またこれに関連して、様々な添加剤に含まれる成分が、化学的にどのように作用することで効果をもたらすのかという点についても研究を進めていく予定です。制作に用いられた素材やその性質、さらには制作時の技法は、その後の経年劣化や破損の様相にも大いに影響してきます。適切な保存修復方法を導き出すためにも、こうした研究は大変重要だといえます。
 本研究調査はスタッコ装飾に焦点を当てる形でスタートしましたが、その歴史を紐解いていくと塑像とも密接に関係していることがみえてきました。今後は、素材や制作技法に共通性が多くみられるこれらの文化財も視野に入れながら、その適切な保存と継承の方法について考えていきたいと思います。

文化遺産国際協力コンソーシアムによる「アフガニスタンの文化遺産保護に関する緊急声明」の発表

「アフガニスタンの文化遺産保護に関する緊急声明」

 アフガニスタン国内における急激な情勢の変化を受け、本研究所が文化庁より事務局運営を受託している文化遺産国際協力コンソーシアムは、令和3(2021)年8月18日付で「アフガニスタンの文化遺産保護に関する緊急声明」を発表しました。全文は以下の通りです。コンソーシアムでは引き続き、関係機関との連携を図りながら現地の情報を収集するとともに、文化遺産保護のための協力に尽力していきます。

「アフガニスタンの文化遺産保護に関する緊急声明」
政情の急変というアフガニスタンの大きな変革期のなか,同国に所在する歴史的文化遺産,とりわけ遺跡や博物館を標的とする不法な略奪や破壊活動が強く懸念される状況となっています。私どもは,貴重な文化遺産が重大な危機にさらされる可能性に対し,深刻な憂慮の念を抱いています。
 文化遺産国際協力コンソーシアムは,我が国が文化遺産保護分野の国際協力において一層の役割を果たすため,関係機関や専門家の連携を推進することを目的として設立されました。2001年以来,アフガニスタンでの活動は,我が国が取り組んできた文化遺産国際協力の歴史の中でも主要な柱の一つとなっており,これまでアフガニスタンや国際機関などと協力して,同国の文化遺産保護に大きな成果をあげてきました。
 文化遺産は人類の歴史を語る共有の宝であるとともに,国民の統合とアイデンティティーの拠り所として,また地域や国家の発展のためにも重要な役割を果たすことが広く認識されています。文化遺産に対する略奪や破壊を未然に防ぐために,すべての勢力や個人に対し,節度を保った冷静な行動を強く求めます。また,世界の人々とこのような憂慮を共有したいと思います。
 ここに,アフガニスタンの文化遺産を保護するための協力への強い意志を表明するとともに,アフガニスタンのすべての人々の安全と一刻も早い状況の安定化を願ってやみません。

2021年8月18日
文化遺産国際協力コンソーシアム
会長 青柳 正規

文化遺産国際協力コンソーシアムによる第29回文化遺産国際協力コンソーシアム研究会「文化遺産にまつわる情報の保存と継承~開かれたデータベースに向けて~」の開催

第29回研究会「文化遺産にまつわる情報の保存と継承」
第29回研究会の様子

 今日、文化遺産に付随する情報をデータベースに記録することが、デジタルアーカイブをはじめとした記録技術の進化によって可能になるとともに、様々な地域特有の情報をデータベース上で継続的に収集するといった双方向的な取り組みも始まっています。文化遺産にまつわる情報の保存と継承の望ましいあり方を考え、この分野での今後の国際協力の可能性についても議論するため、文化遺産国際協力コンソーシアム(本研究所が文化庁より事務局運営を受託)は、令和3(2021)年8月9日にウェビナー「文化遺産にまつわる情報の保存と継承~開かれたデータベースに向けて~」を開催しました。
 齋藤玲子氏(国立民族学博物館)による「フォーラム型情報ミュージアムプロジェクトとアイヌ民族資料の活用」、無形民俗文化財研究室長・久保田裕道による「無形文化遺産に関わる情報の記録と活用について」、林憲吾氏(東京大学)による「アジア近代建築遺産データベースの40年:その展開・変容・課題」の3講演が行われ、続くパネルディスカッションでは、近藤康久氏(総合地球環境学研究所)の司会のもとデータベースに記録する対象やデータベース作成を通じた国際協力の可能性について議論されました。
 文化遺産にまつわる情報をどう残し、誰に伝えるかという点において、より多くの立場の人々が関わるようになるとともに、その方法も多様化してきています。コンソーシアムでは引き続き、関連する情報の収集・発信に努めていきたいと思います。
 本研究会の詳細については、下記コンソーシアムのウェブページをご覧ください。
https://www.jcic-heritage.jp/jcicheritageinformation20210625/

スタッコ装飾に関する研究調査

入江長八による鏝絵(善福寺、東京)
ティチーノ様式によるスタッコ装飾

 スタッコ装飾は、その様式や制作された目的こそ異なれ、世界中の様々な地域にその存在を確認することができます。文化遺産国際協力センターでは、令和3(2021)年度より、運営費交付金事業「文化遺産の保存修復技術に係る国際的研究」の一環として、スタッコ装飾に関する研究調査を開始しました。これは、スタッコ装飾が発展や衰退を繰り返しながらどのように各地域に伝播したのかその軌跡をたどるとともに、今日、それらの保存修復に向けた取り組みが各国でどのように行われているのかを把握、検証することを目的としています。5月29日には欧州を中心にスタッコ装飾の保存に携わる専門家の方々に参加いただき、オンラインによる意見交換会を行いました。
 意見交換では、地中海沿岸地域や16世紀から18世紀にかけて欧州におけるスタッコ装飾の礎を築いたスイスのティチーノ地方におけるスタッコ装飾についての話題提供があり、日本からは、伝統的な漆喰を用いて作られる鏝絵(こてえ)や、幕末から明治時代にかけて西洋建築を真似て造られた擬洋風建築とともに普及した漆喰彫刻の技法や材料、現在の維持管理状況などについて、これまでの研究調査で分かったことを紹介しました。
参加した専門家からは、国や時代の違いを超えて技法や材料に多くの共通点が見出せることに驚きの声があがるとともに、維持管理に関する課題にも類似点が多いことから、現状の改善に向けた保存修復方法について、共同で検討を重ねていくことで合意しました。
 今後、国内での研究調査を継続するとともに、海外の研究協力者を募り、研究対象地域を拡大させていく予定です。そして、意見交換や研究成果の共有を通じて情報を蓄積し、スタッコ装飾に対する理解を深めるとともに、その保存と継承についてともに考える場としていきたいと思います。

モントリオール美術館(カナダ)からの日本絵画作品搬入

開梱作業風景

 海外の美術館、博物館には多数の日本美術品が所蔵されています。しかしほとんどの館には日本美術品の修復を手掛けることのできる技術者がいないため、劣化や損傷が進行しているにもかかわらず適切な処置を講じることができずにいます。在外日本古美術品保存修復協力事業では海外にある作品を調査し、その中から文化財的な価値が高く、かつ修復の緊急度も高いと判断した作品を所蔵館と協議の上で一度日本に持ち帰り、国内で万全な体制のもと修復を行ったのち返却しています。
 カナダで最も古い美術館であるモントリオール美術館は、1879年の開館以来移転や拡張を経て現在では45,000点以上の作品を所蔵しており、その中には日本の作品も数多く含まれています。平成30(2018)年に実施した現地調査の結果にもとづき、今回、同館所蔵の「熊野曼荼羅」(絹本着色掛軸、一幅)および「三十六歌仙扇面貼交屏風」(金地着色屏風、六曲一双)の2件を対象として保存修復を行うこととしました。
 作品の搬送に所蔵館担当者が随伴できないなど、新型コロナウィルス禍の影響を受けつつも、令和3(2021)年3月に無事日本へ作品を輸入することができました。今後、現状調査ならびに高精細画像撮影を含むドキュメンテーションを皮切りに一連の保存修復作業に着手する予定です。

オンライン国際研修「3次元写真測量による文化遺産の記録」の実施

オンライン国際研修の様子

 文化遺産国際協力センターでは、ポストコロナ社会における文化遺産国際協力の一手法として、デジタルデータの活用を積極的に取り入れることを念頭におき、令和2(2020)年11月12日および25日に、NPO法人南アジア文化遺産センター(以下、JCSACH)との共催でオンライン国際研修「3次元写真測量による文化遺産の記録」を実施しました。3次元写真測量とは、対象物をデジタルカメラ等で様々な角度から撮影した写真から、対象物の正確な形状の3次元モデルをコンピューター上で作成する技術です。コンパクトデジタルカメラやスマートフォンなど、身近な機材で3次元モデルを作成できるため、文化遺産の現場で実用性の高い記録手法として普及し始めています。今回の研修では、当研究所が協力事業を行っているカンボジア、ネパール、イランの3か国に、JCSACHの協力国であるパキスタンを加えた計4か国を対象として、各国で文化遺産の保護を担う研究者や実務者を研修生に迎えました。
 考古学分野における3次元写真測量の第一人者であるJCSACHの野口淳事務局長が講師を務め、研修生は、第1回目の講義で、3次元写真測量の原理や撮影の方法、ソフトウェアの基礎的な操作を学び、その後、約1週間の自主練習期間中に各自で3次元モデルの作成に取り組みました。第2回目の講義では、研修生がそれぞれ作成したモデルを発表し、さらに、モデルから断面図を作成する方法など、より発展的な内容を学びました。
 ZOOM接続の問題によりイランからの研修生はオンライン参加が叶わず教材提供のみとなりましたが、カンボジア、ネパール、パキスタンの3か国から計24名の研修生が参加しました。3次元写真測量を初めて経験する研修生がほとんどでしたが、講師に熱心に質問する姿が見られ、終了後のアンケートでは、修復現場における遺構の記録あるいは博物館の展示に利用したいといった、それぞれの立場から3次元写真測量データの活用へのアイデアが寄せられました。
3次元写真測量が各国共通の記録手法として定着し、遠隔でも文化遺産の3次元情報を共有することが可能になれば、今後の国際協力事業にも新たな展開が見えてくるのではないかと考えています。

研究会「東南アジアにおける木造建築遺産の保存修理」の開催

研究会「東南アジアにおける木造建築遺産の保存修理」プログラム

 令和2(2020)年11月21日、東南アジア諸国で行われている木造建築の保存修理の方法や理念をテーマとした研究会をオンラインで開催しました。この研究会は、文化遺産国際協力センターが東南アジアの木造建築をテーマに連続で開催してきたもので、今年はその4回目となります。これまでの3回は、歴史学や建築史学、考古学といった学術的な側面から東南アジアにおける木造建築の実像に迫ってきましたが、今回はこのテーマの研究会の締めくくりとして、当研究所が日々の業務で取り組んでいる文化財保護の実務的な側面に焦点をあてました。
 研究会には東南アジアにおける木造建築の保存修理を担う技術者として、タイ王国文化省芸術局建造物課主任建築家のポントーン・ヒエンケオ氏とラオス・ルアンパバーン世界遺産事務所副所長のセントン・ルーヤン氏、また東南アジア地域の文化遺産保護に精通した専門家としてユネスコ ・バンコク事務所文化ユニットのモンティーラー・ウナクーン氏の参加を得ることができました。ポントーン氏からはタイ国内の文化財に指定された寺院建築、セントン氏からはルアンパバーンの町並みを構成する住居建築を事例にして、文化遺産としての木造建築修理の方針や具体的な方法についてそれぞれ報告があり、モンティーラー氏からはインドネシアやタイで近年行われた木造建築の保存修理やこれに関する人材育成の先駆的取組みが紹介されました。
 研究会の後半には、友田正彦文化遺産国際協力センター長の司会のもと、前半の報告者3名に国宝・重要文化財建造物保存修理主任技術者である文化財建造物保存技術協会の中内康雄氏を加えた計5名によるパネルディスカッションが行われました。その中での議論を通じて、木造建築の保存の考え方や修理の仕方には図らずも多くの共通点があることが改めて確認されるとともに、生産者や職人など伝統的な材料や技術を支える人材の不足が、現代社会の中で伝統木造建築が抱える普遍的な課題であることが認識されました。
 今回の研究会は、もともと当研究所セミナー室で開催する予定で準備を進めていましたが、コロナウィルスの感染拡大の収束が見通せない状況に鑑み、ウェビナー形式に切り替えて開催したものです。従来、実地で開催してきた研究会をオンラインで開催することができたのは一つの収穫といえますが、当方の不慣れに加えて想定外のトラブルもあり反省点が数多く残されたことも確かです。これを機にポストコロナ社会に適したあたらしい研究会等イベントのあり方を模索していきたいと思います。

第27回文化遺産国際協力コンソーシアム研究会「コロナ禍における文化遺産国際協力のあり方」の開催

第27回研究会「コロナ禍における文化遺産国際協力のあり方」

 新型コロナウイルスの感染拡大により、文化遺産国際協力の現場も大きな困難に直面しています。コロナ禍において、各プロジェクトがいかに対応しているのかという具体的な情報を共有するとともに、文化遺産国際協力の今後とその可能性について議論するため、文化遺産国際協力コンソーシアムは、令和2(2020)年9月5日にウェビナー「コロナ禍における文化遺産国際協力のあり方」を開催しました。
 「コロナ禍におけるアンコール遺跡の保存事業」と題した一つ目の報告では、現地カンボジアから参加した長岡正哲氏(UNESCOプノンペン事務所)が、コロナ禍で観光客が減少したことでアンコール遺跡周辺の観光業が深刻な打撃を受けている一方、カンボジア政府組織APSARAは、そうした状況を逆手に取り、これまで着手できなかった遺跡周辺の大規模な整備事業や、新たな調査を行っていることを紹介しました。
 二つ目の報告「デジタルツールを利用したリモート国際協力事業の例」の中では、渡部展也氏(中部大学)が、紛争下にあるシリアにおいて破壊の危機に瀕する文化遺産の3Dドキュメンテーション作業を、日本からインターネットを介して、リモートで支援する取り組みを紹介しました。
 關雄二氏(国立民族学博物館)の司会のもと、友田正彦氏(東京文化財研究所)、山内和也氏(帝京大学文化財研究所)が加わったパネルディスカッションでは、オンラインを通じた研修や、デジタルツールを活用したリモートでの調査・保護活動の可能性と限界について議論され、研究会は終了しました。
 コロナ禍でも文化遺産国際協力を前進させようとする各プロジェクトの新たな試みや挑戦、そこで培われた知識や経験を、コロナ後の文化遺産国際協力に生かしていけるよう、コンソーシアムでは、関連する情報の収集・発信に努めていきたいと思います。
 本研究会の詳細については、下記コンソーシアムのURLをご覧ください。
 http://www.jcic-heritage.jp/jcicheritageinformation20201110/

エントランスロビー展示「カンボジア・アンコール・タネイ寺院遺跡東門の修復」

上部構造を解体した東門のAR展示イメージ(技術協力 山田修(東京藝術大学大学院特任教授))

 当研究所のエントランスロビーでは、私たちが日々取り組んでいる仕事を皆様に広く知ってもらえるように、各部・センターの持ちまわりで年替わりのパネル展示を行っています。2020年度の展示は文化遺産国際協力センターが担当し、長年取り組んでいるカンボジアのアンコール・タネイ寺院遺跡の保存に対する協力の中から、昨年始まった同寺院東門の修復工事を紹介しています。
 カンボジアを代表する大遺跡であるアンコールでは、カンボジアが国内政治の混乱から抜け出した1990年代以降、我が国のほかフランスやアメリカ、インド、中国といった世界各国の全面的な支援によって壮麗な建築群の復旧と復興が進められてきました。タネイ寺院遺跡では国際支援の考え方を一歩前に進め、カンボジア政府のアンコール・シエムレアプ地域保存整備機構(APSARA)と当研究所が共同で作成した保存整備計画に沿って、カンボジア社会で持続可能な方法での遺跡の修復や整備を進めていこうとしています。東門の修復工事は同計画のもとで行われる初めての本格的な保存整備事業です。APSARAが修復工事の予算の確保と実施を担う一方、当研究所は工事の前に必要となる建築調査や発掘調査を行うとともに、修復の方法や工事の進め方に対する助言や提案を行っています。
 タネイ寺院遺跡の調査では、3Dレーザー計測や写真測量(フォトグラメトリー)など近年の進展が目覚ましいデジタル記録技術を積極的に導入しました。特にフォトグラメトリーは、簡易かつ本格的なソフトウェアが一般向けに商品化されており、現在のカンボジア社会でも汎用性の高い技術として文化遺産保護分野への応用が十分に期待できるものです。今回の展示では現地の雰囲気を身近に感じられるように、こうしたデジタルデータを活用して、AR(拡張現実)やVR(仮想現実)と呼ばれる展示方法にも挑戦しています。こうした展示を通じて、当研究所が取り組んでいる文化遺産保護の国際協力に少しでも関心をもっていただければ幸いです。
https://www.tobunken.go.jp/info/panel200704/index.html

コロナ禍におけるアンコール・タネイ寺院遺跡保存整備のための技術協力の取り組み

東門の基礎構造の補強方法検討図
ICC事務局による東門修復工事の視察(APSARA提供)

 東京文化財研究所では、カンボジアにおいてアンコール・シエムレアプ地域保存整備機構(APSARA)によるタネイ寺院遺跡の保存整備事業に対する技術協力を継続的に行っています。昨年からはAPSARAと共同で策定した保存整備計画に基づいて、同寺院東門の修復工事に取り組んでおり、APSARAが工事の予算確保や実施を担う一方、本研究所は工事前や工事中の建築調査および考古調査を担うとともに、修復の方法や工程に対する助言や提案を行っています。
 今年に入り、新型コロナウィルスの世界的な感染拡大により諸外国との往来が困難になる中、3月末以降カンボジアへの渡航も事実上不可能になってしまいました。しかし、カンボジア国内では本格的蔓延に至っておらず、通常の業務が継続されている中、日本側の事情だけでAPSARAの事業計画を中断させるわけにもいきません。そこで4月からは、通常のメールによる連絡のみならず携帯端末のメッセージサービスを積極的に活用してリアルタイムな現場の状況把握に努めるとともに、必要に応じて適宜オンライン会議を開催するなど、手探りながらもICT(情報通信技術)を用いた技術協力の取り組みを進めています。
 令和2(2020)年4月21日、2月から3月にかけて現地で行った基礎構造の強度調査等の分析結果の共有と、これに基づく適切な修復方法や構造補強方針に関する意見交換を目的に、APSARAの修復担当チームとのオンライン会議を開催しました。会議には協力研究者である東京大学生産技術研究所の腰原幹雄教授(建築構造)および桑野玲子教授(地盤機能保全)の参加を得て、専門的見地を交えた踏み込んだ議論を行い、当初構法のオーセンティシティの保存と構造的安全性の両立に向けた修復と補強の基本的な方向性について合意を得ることができました。この基本合意のもと、5月と7月にも、それぞれ基礎構造と上部構造について検討するためのオンライン会議を開催し、現場の最新状況と計画図面等の情報を共有しながらの双方向での議論を経て、現段階で最も適切と考えられる具体的な修復・補強方法を決定しました。
 一方、例年6月にAPSARA本部において開催される、アンコール遺跡国際調整委員会(ICC)技術会合も今年は延期となり、ICC事務局による現場視察のみが行われました。この視察にあわせてAPSARAと本研究所は、上記の検討内容を含む事業計画進捗状況報告書を共同で作成、ICC事務局に提出しました。さらに、ICCの専門委員を務める京都大学大学院の増井正哉教授とのオンライン会議を開催し、目下の検討・計画内容について指導助言を得るとともに、アンコール遺跡の国際協力を取り巻く動向等に関する意見交換を行いました。
 このように、図らずも、ICTによる文化遺産の修復協力の可能性を実感できたことは大きな収穫ではあります。とはいえ、文化遺産の保存は、それぞれに独自の価値を有するもの自体が対象である以上、遠隔での情報の共有や対話だけでは自ずと限界があることも確かです。新型コロナウィルス感染症の流行が収束し、再び自由な往来ができる日が一刻も早く戻ることを願ってやみません。

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