バーレーン人専門家を対象にした「日本の博物館、史跡におけるAR、VR、デジタル・コンテンツの活用に関するスタディー・ツアー」の実施

東京文化財研究所は、長年にわたり、中東バーレーンの文化遺産を保護するため、国際協力事業を行っています。
今回、バーレーン側から、バーレーンの博物館や史跡において、今後、ARやVR、デジタル・コンテンツを充実させていきたいので、ぜひ、日本における活用事例を視察したいという要望が寄せられました。
そのため、令和5(2023)年の10月10日~15日にかけて、バーレーン国立博物館のサルマン・アル=マハリ館長と、バーレーンの世界遺産登録を担当しているドイツ人専門家のメラニー・ミュンツナー博士を日本に招聘し、「日本の博物館、史跡におけるAR、VR、デジタル・コンテンツの活用に関するスタディー・ツアー」を実施しました。
今回は、日本の各専門家にお願いし、文化遺産の3Dデジタル・ドキュメンテーションの概論や、日本の観光名所などにおけるARの活用事例などに関して講義を行っていただきました。また、東京国立博物館や一乗谷朝倉氏遺跡、奈良文化財研究所や平城宮いざない館、国立民族学博物館やNHK、NHKエンタープライズなどを訪問し、日本における最新のARやVRまた超高精細3DCGなどのデジタル・コンテンツの活用事例を見学していただきました。
なお、今回のスタディー・ツアーは、「文化遺産国際協力拠点交流事業」の一環として実施したもので、12月にはバーレーン国立博物館において現地の専門家を対象に「文化遺産の3Dデジタル・ドキュメンテーションとその活用に関するワークショップ」を行う予定です。
ネパール・キルティプル市の伝統的民家の保存活用計画策定に向けた共同調査

ネパール・カトマンズ盆地では、甚大な被害を出した平成27(2015)年のゴルカ地震から約8年が経過しました。世界遺産「カトマンズ盆地」の構成資産である多くの歴史的建造物も、復旧が進んでいます。こうした文化財の復旧が大々的に行われる一方で、文化財として法的な保護を受けていない住宅などの歴史的建造物は、その歴史的価値が十分に認識されないまま、建替えや取壊しによって失われる現状が続いています。
東京文化財研究所 文化遺産国際協力センターでは、平成27(2015)年の地震後、そしてコロナ禍中も継続して、歴史的町並みの保全に向けた支援のあり方について、ネパールの専門家や行政官らと対話を重ねてきました。昨年、ネパール・キルティプル市より、被災した1棟の伝統的民家の保存に関する相談を受けたことをきっかけとして、当該民家の保存活用に向けた調査と保存活用計画の策定を市と共同で実施することとなりました。
対象とする民家は、世界遺産暫定リスト「キルティプルの中世集落」の範囲内にあり、ネワール民族の伝統的な建築様式がみられる建物です。現在は住宅として使われていますが、かつてはキルティプルの王宮施設の一部であったとも伝わり、当建物と中世寺院に囲まれた歴史的な水場を有する広場は、キルティプル旧市街を象徴するひとつの歴史的景観として知られています。
令和5(2023)年10月11日~16日にかけて行った最初の現地共同調査では、対象建物に関する基礎情報の収集を目的として、建物の実測調査、増改築過程の確認、所有関係や居住者の住まい方および今後の居住の意向などについてヒアリング調査を行いました。
今後は、所有者・居住者、市の行政官、現地専門家らと共に、将来の保存活用の可能性やその実現のために解決すべき諸課題について検討を行っていく予定です。こうした文化財未指定の歴史的建造物の保全については、日本も含め、多くの国で共通する課題を抱えています。相互に知見を交換し、議論を深めながら、ネパールの文化的な文脈においてどのような保存活用に向けたプロセスを構築できるのか、現地関係者らと共に試行していきたいと思います。
近現代建築等の保護・継承等に係る海外事例調査Ⅰ―台湾での現地調査


文化遺産国際協力センターでは今年度、文化庁委託「近現代建築等の保護・継承等に係る海外事例調査」として、近現代建築を中心とした建築遺産保存活用の先進的な取組みが行われている諸外国等の事例調査を実施しています。その一環として、令和5(2023)年9月18日~22日にかけて台湾での現地調査を行いました。
台湾では、平成12(2000)年の公共建設民間関与促進法や、クリエイティブ産業の振興が盛り込まれた平成14(2002)年の国家発展重点計画を契機として、平成12(2000)年代から平成22(2010)年代にかけて、産業遺産を中心に民間活力を導入した文化財建造物の保存活用が積極的に行われました。今回の調査では、文化部(平成23〈2011〉年までは文化建設委員会)が主導した「文化創意産業園区(以下、文創園区)」のうち、台北市内にある二つの文創園区を訪ね、営業施設としての文化財建造物の管理運営の状況や課題、展望等について管理運営組織へのインタビューを行いました。
華山1914文創園区は1914年設立の官営酒工場、松山文創園区は1937年設立の官営煙草工場の土地建物を再利用したもので、華山では民間企業等の出資による台湾文創株式会社、松山では台北市傘下の財団法人台北市文化基金会が施設の管理運営を行っています。それぞれ組織体制や運営方針は異なりますが、ともに独立採算で運営されており、特別な場所としての文創園区の社会的認知を広げることで運営基盤の安定と収益の確保を図っている点では一致しています。一方で、建築遺産の保護のうち活用だけが民間の管理運営に託されたことで、遺産保護行政が取りしきる建築遺産の保存との間に様々な行き違いが生じやすくなっている実態も確認することができました。
今回の調査では文化部文化資産局も訪れて、文創園区の事業評価についても伺いました。文化資産局では、保存は行政の仕事、活用は民間の仕事というような心理的な障壁が生まれてしまったことが、当初の目論見通りに文創園区が進んでいない原因と分析し、既に軌道修正を始めており、平成29(2017)年からは、土地と人々の記憶に結びついている文化資産の包括的な管理活用を社会インフラ整備政策に紐づけた「再造歴史現場(歴史的時間空間の再構築)」計画が進められています。
文化遺産国際協力センターでは引き続き、対象国の関係機関や有識者からの協力を得ながら欧州諸国での現地調査を行い、文献資料に基づく海外の関係法制度等の調査結果とあわせて調査報告書にとりまとめていく予定です。
シンポジウム「大エジプト博物館のいま ファラオの至宝をまもる2023」の開催


東京文化財研究所は平成20(2008)年から平成28(2016)年まで、カイロに新設される大エジプト博物館(Grand Egyptian Museum)に対する開館支援事業を独立行政法人国際協力機構(JICA)から受託し、収蔵品の保存修復のための人材育成と技術移転の研修を実施しました。
同博物館の開館をいよいよ間近に控え、上記の当研究所受託事業を含む日本からの支援について広く周知することを目的として、シンポジウム「大エジプト博物館のいま ファラオの至宝をまもる2023」を開催しました。大エジプト博物館と独立行政法人国際協力機構(JICA)、当研究所の三者共催により、令和5(2023)年8月6日に東京国立博物館平成館大講堂で行われた本シンポジウムには、エジプトからアーテフ・ムフターフ博物館総責任者とアイーサ・ジダン保存修復執行部門長の両氏も招聘しました。
大エジプト博物館は、単一文明を扱った博物館としては世界最大規模となる予定で、三大ピラミッドが所在するエリアに隣接する巨大な施設は開館前から注目を集めています。シンポジウムでは、まずアーテフ・ムフターフ氏より、博物館の全体像やツタンカーメン王の副葬品展示室が紹介されました。続いて、別館に展示するため日本隊が復元を進めているクフ王第2の船について、吉村作治教授(東日本国際大学総長)とエジプト側担当者のアイーサ・ジダン氏によって最新の成果が発表されました。さらに、ツタンカーメン王の副葬品を実際に保存修復した研究者らによる成果発表、そして、大エジプト博物館への期待をテーマとしたパネルディスカッションが行われました。
本シンポジウムは、開館前の博物館の様子だけでなく、これまでの日本による開館支援活動の全体像をまとめて紹介する好機となりました。当日の講演内容は、近く、当研究所ホームページ等で公開される予定です。
「海外調査のための3次元計測実習」の開催

近年、文化遺産の世界では、Agisoft社のMetashape、iPhoneのScaniverseなどを用いた3次元計測が急速に普及しています。これらの技術の導入によって、作業時間が大幅に短縮されただけではなく、これまでと比べようのない高精度で文化遺産のドキュメンテーションが可能になってきています。
今回は、日本における3次元計測の第1人者である公立小松大学の野口淳氏を講師にお招きし、海外で文化遺産保護に携わる日本の専門家を対象に、令和5(2023)年7月15日~17日にかけて「海外調査のための3次元計測実習」を開催しました。まずは日本の専門家に3次元計測の手法を学んでいただき、各々のフィールドで海外の専門家に普及していただく、これが今回、実習を開催した目的です。
考古学や保存科学、建築の分野から25名もの専門家の方々にご参加いただきました。受講生は、3日間の実習において、Agisoft社のMetashapeを利用した3次元計測の技術を学び、iPhoneのScaniverseなども体験しました。
聖ミカエル教会(ケシュリク修道院)での保存修復研究計画立案に向けた調査の実施


中央アナトリアに位置するカッパドキア(トルコ共和国)は、凝灰岩の台地が長い時間をかけて侵食された結果、変化に富んだ奇岩群を生み出し、昭和60(1985)年には「ギョレメ国立公園およびカッパドキアの岩石遺跡群」としてユネスコの世界遺産リストに加えられました。紀元2世紀以降、この地にキリスト教徒が移住を始めると、彼らの手によって1000箇所以上とも言われる岩窟教会や修道院が築かれ、その内壁に壁画が描かれるようになりました。
前年度にアンカラ・ハジ・バイラム・ヴェリ大学とともに実施した事前調査の結果、聖ミカエル教会(ケシュリク修道院内)に描かれた壁画を対象として文化財保存修復に係る共同研究事業を開始することが決定しました。これを受けて、令和5(2023)年6月15日~22日にかけて現地を訪問し、具体的な研究計画を立案するための調査を行いました。そして、壁画表面を覆う煤汚れの除去や、岩盤支持体から剥離してしまった漆喰層の保存処置を研究テーマとして位置づけることが合意されました。
今後は現地専門家と研究課題を共有しながら、トルコ共和国における文化財の保存修復に広く貢献できるよう、活動を進めていきます。
トルコ文化観光省からの来訪研究者受入


東京文化財研究所文化遺産国際協力センターでは、令和5(2023)年4月10~5月31日まで、トルコ共和国文化・観光省博物館総局職員のイルカイ・イヴギン氏を来訪研究者として受け入れました。氏はトルコ、日本、イタリアの文化財保護法制度の比較研究を行っており、来訪中は特に日本の埋蔵文化財行政の仕組みについて学ばれました。また2月に発生したトルコ・シリア大地震で被災した文化財や博物館の修復、再建に向け、日本の文化財防災についても情報を収集されました。
当研究所からは、各国の文化財保護制度について収集した情報の提供や、関連資料等の紹介のほか、トルコの文化財を所蔵する博物館や、埋蔵文化財の調査や管理を担う組織や研究機関等の視察にスタッフが同行しました。今回の来訪研究者受入は私たちにとっても、トルコの埋蔵文化財の現状を知るとともに、改めて日本の埋蔵文化財行政とその課題を理解する好機となりました。
以下は、イヴギン氏からのコメントの訳文です。
私の博士論文のタイトルは「トルコの考古学的遺物の保存における立法の検討と標準化のための法的取り決めの提案」で、アンカラ・ハジュ・バイラム・ヴェリ大学の文化遺産保存修復学部と共同で研究を行っています。この論文では、日本の文化財保護法制度が研究の重要な部分を占めています。
東京文化財研究所では論文の主題に関する研究を支援していただき、深く感謝しています。あわせて、東京大学、古代オリエント博物館、東京国立博物館、千葉市埋蔵文化財調査センター、東京都埋蔵文化財センター、橿原考古学研究所、奈良文化財研究所、文化庁の関係者の皆様のサポートに感謝申し上げます。
アンコール・タネイ遺跡保存整備のための現地調査Ⅻ‐東門竣工記録および報告書作成のための追加調査

東京文化財研究所文化遺産国際協力センターでは、カンボジアにおいてアンコール・シエムレアプ地域保存整備機構(APSARA)によるタネイ寺院遺跡の保存整備事業への協力を継続しています。令和4(2022)年11月には、3年間にわたり両者が協働で進めてきた同寺院遺跡東門の全解体修復工事が完了しました。その竣工記録および本年度刊行予定の修理工事報告書作成に向けた追加調査のため、令和5(2023)年5月6日~18日にかけて、職員2名の派遣を行いました。
竣工記録としては、①竣工写真撮影のほか、②竣工図面と③デジタル3次元モデルを作成するための作業を行いました。一眼レフカメラとドローン(Mavic mini)2台を併用して全方位から建物を撮影した1,000枚ほどの画像から、3次元写真測量と呼ばれる技術を用いることで、寸法情報をもつデジタル3次元モデルを生成しました。
修理工事報告書作成のための追加調査としては、①寺院配置図の一部修整、②ペディメントと呼ばれる破風装飾などの写真記録、③東門の建築的特徴を考察するための比較調査を行いました。比較調査では、東門と同時代に建設されたアンコール遺跡群内の寺院のうち10カ所を訪れ、建築形式や装飾を調べました。
このほか、タネイ寺院遺跡整備事業の今後の実施計画に関してAPSARA側担当者との現場協議も行いました。
本年度後期には、参道入口テラスの考古学的発掘および建築学的調査の実施、修理工事報告書の刊行、さらに竣工記念シンポジウムの開催などを予定しています。続報をご期待ください!
タネイ寺院に関する過去の活動報告もあわせてご覧ください。
現地調査Ⅰ
現地調査Ⅱ
現地調査Ⅲ
現地調査Ⅳ
現地調査Ⅴ
現地調査Ⅵ
現地調査Ⅶ
現地調査Ⅷ
現地調査Ⅸ
コロナ禍の取り組み
現地調査Ⅹ-1
現地調査X-2
現地調査Ⅹ-3
現地調査Ⅺ
ブータン東部地域の伝統的石造民家に関する建築学的調査



東京文化財研究所では2012年以来、ブータン内務省文化・国語振興局(DCDD、組織改編により旧文化局より改称)と協働し、同国の伝統的民家建築に関する調査研究を継続してきました。DCDDでは、従来は法的保護の枠外に置かれてきた伝統的民家を文化遺産として位置づけ、適切な保存と活用を図るための施策を進めつつあり、当研究所はこれを研究・技術面から支援しています。
従来は西部地域で一般的な版築造民家を調査対象としてきましたが、今年度からは新たに科学研究費補助金も取得し、中・東部地域に広くみられる石造民家の調査を本格的に開始しました。その第1回現地調査を令和5(2023)年4月25日~5月5日まで行いました。
当研究所職員4名を派遣し、DCDD職員2名と共同で東部タシガン県から中部ブムタン県にかけての5県で実施した調査では、DCDDによる事前の情報収集で把握されていた物件を中心に建築年代が古いと思われる石造民家を観察し、14棟ほどについて実測や家人への聞き取りを含む詳細調査を行いました。うち3棟は領主層の元邸宅で大規模な3階建建物ですが、これら以外はいずれも平屋または2階建で当初の平面規模もごく小さい建物でした。また、遊牧を生業とする少数民族が暮らすタシガン県メラ郡では、家畜小屋を伴わない平屋の板敷住居といった、他地域にはない固有の民家形式が広く分布することを確認しました。
今回得られた知見と情報をもとに、さらに調査範囲を広げるとともに、既に存在を把握している古民家の詳細調査も順次行っていく予定です。一方、民家形式の発展や地域性には生活様式の変化や違いが反映していることは言うまでもありませんが、このような観点からの調査研究にも一層注力していく必要があります。空き家や保存状態の悪い建物も少なくない中、貴重な文化遺産が失われないよう、協力を加速していきたいと思います。
こども文化遺産ワークショップ「なりきり!エジプト考古学者」の開催




東京文化財研究所では、今後を担う次世代にも文化遺産への興味関心を持ってもらうための試みとして、「こども文化遺産ワークショップ」を開催しました。
文化遺産国際協力センターアソシエイトフェロー・山田綾乃が企画、運営を担当した初回のワークショップは、令和5(2023)年4月30日午前、小学生を対象に「ピラミッド」をテーマとして開催しました。当日は33組、小学生36名、総勢90名を集めました。
プログラムの前半では、エジプト現地で発掘経験のある2名の講師(福田莉紗氏・早稲田大学大学院博士後期課程/山田綾乃)が、ピラミッドの歴史と、ピラミッドを作った人々の暮らしについての授業を行いました。教科書には書かれていない、考古学や歴史学の研究で明らかになった事柄を盛り込み、子どもたちが日常や学校生活と比較して古代文明をより身近に想像できるよう工夫しました。
後半では座学を離れ、体験・体感型の2つのプログラムを用意しました。1つは、ゴーグルを付けて遺跡のVR映像を楽しむ体験。もう1つは、ピラミッド内部のバーチャルツアーを見ながら、原寸大で再現されたピラミッドの通路を通ったり、棺に入ったりしてみるというものです。使用したアプリケーションやウェブサイトは、自宅でも閲覧、体験が可能です。ワークショップの限られた時間だけでなく、自宅でも体験を継続し、何度も復習する機会を与えることで、学習の効果的な定着に結び付くことを目指しました。
今回のような次世代に向けた取り組みも調査研究の延長線上に位置づけ、こども文化遺産ワークショップの第2弾も企画したいと考えています。
特別講演会「ツタンカーメン王墓発掘100周年 エジプト王家の谷発掘調査の現在」の開催

東京文化財研究所は、金沢大学古代文明・文化資源学研究所と共催で、令和5(2023)年4月30日、東京国立博物館平成館大講堂にて、特別講演会「ツタンカーメン王墓発掘100周年 エジプト王家の谷発掘調査の現在」を開催しました。本講演会は、ツタンカーメン王墓発掘100周年を記念し、王家の谷と呼ばれる古代エジプトのネクロポリスにおける発掘調査の最新成果を広く一般の方に知っていただくことを目的に企画しました。
基調講演には、スイス・バーゼル大学で王家の谷プロジェクトを率いるスザンヌ・ビッケル氏・バーゼル大学教授をお招きしました。ビッケル氏は、平成23(2011)年~平成24(2012)年に王家の谷で第64番目となる墓を発見された、当該分野の研究を牽引する研究者のおひとりです。講演会では、同大学のプロジェクトが近年発掘調査を行った古代エジプト新王国時代第18王朝アメンヘテプ3世の家族や王宮の女性たちが埋葬された墓(王家の谷第40号墓)について、考古学的および人類学的研究成果を発表されました。また、この墓と同時期に造営されたアメンヘテプ3世の王墓を発掘調査した近藤二郎氏・早稲田大学名誉教授、ならびに第18王朝の謎の女王ネフェルネフェルウアテンについて研究されている河合望氏・金沢大学教授からもご講演をいただきました。
当日は275名の来場者を迎え、発掘調査成果に基づく考古学的専門性の高い内容を多くの方にお届けすることができました。今後も、調査研究成果の還元のため、同様の会を積極的に開催していく予定です。
文化財保護法令集に係るオランダおよびドイツでの調査


文化遺産国際協力センターでは、平成19(2007)年度から各国の文化財保護に関する法令の収集・翻訳に取り組み、「各国の文化財保護法令集シリーズ」としてこれまでにアジア16カ国やヨーロッパ6カ国を含む27集を刊行してきました。この事業は、わが国による文化遺産保護分野の国際協力やわが国の文化財保護制度の再考に資することを目的としています。これに関連して、令和5(2023)年3月3日~13日に次年度の対象国オランダと当該年度の対象国ドイツでの現地調査を行いました。
オランダでは近年、土地利用や環境保全の計画に遺産保護を組み込む必要性が議論され、それを受けて従来の関連諸法を統合した新たな環境計画法が2024年1月1日から施行されます。これにより、文化遺産の環境に影響を与える行為に関する許可制度や地方自治体による環境計画策定に関する根拠規定などが設けられることになります。この法改正の背景には、考古遺産に関する1992年のヴァレッタ条約や景観に関する2000年のフィレンツェ条約といった欧州評議会の様々な取り決めがあります。
一方、ドイツでは記念物に関する立法権は16の州に帰属してそれぞれが独自の保護法をもちますが、保護対象にも若干の違いがみられ、文化的景観に関する規定は3州にしかありません。今回訪れたシュレースヴィヒ・ホルシュタイン州はその一つですが、実際にはまだ運用されていません。同様の規定は連邦の自然環境保護法にもみられますが、ドイツ政府はフィレンツェ条約にまだ署名しておらず、これについては国内で色々と議論があるようです。
この条約の目的の一つは、多様な歴史・文化・自然が織りなすヨーロッパの「かたち」を表現する景観をEU加盟国共通の遺産と認識し、これを適切に保護することにあります。もとより景観保護は、気候変動への対応や持続可能性の実現など一国だけでは解決できない地球規模の課題と深く結びついています。今後の調査研究では法律の翻訳作業にとどまらず、文化財とそれを取り巻く包括的な枠組みとの間にどのような有機的関係が存在するのかを具体的に解明していくことが一層重要になると考えています。
イストリア地方における壁画保存に向けた共同研究に関する事前調査


クロアチアの北西部に位置するイストリア地方は、スロベニア、イタリアを含む3か国の国境が密集しており、古代ではローマ帝国、中世ではヴェネツィア共和国、近世ではハプスブルク帝国とたびたび支配者が替わってきた歴史があります。
この地域では、中世からルネサンス期にかけて教会に壁画を描く文化が花開き、数多くの作品が誕生しました。しかし、それらの保存について注意が向けられるようになったのは19世紀後半と遅く、オーストリア=ハンガリー帝国の文化遺産管理局の活動がきっかけでした。その後、20世紀に入り大戦や紛争の時を経て、1995年以降にようやく落ち着きを取り戻すと、クロアチア共和国政府によって文化財のための保存研究所が設立されます。この研究所とイストリア考古学博物館による共同調査が始まるに至って、この地域に特有の壁画の総称として「イストリア様式の壁画」という言葉が誕生しました。
令和5(2023)年3月1日から7日にかけて、イストリア歴史海事博物館のスンチツァ・ムスタチ博士やザグレブ大学のネヴァ・ポロシュキ准教授の協力のもと、イストリア地方の主要な教会約20箇所を訪問し、壁画に関する実地調査を行いました。その過程で、制作技法や保存状態に関するデータアーカイブの作成や、今後に向けた保存修復方法の検討などについての技術的協力が求められました。イストリア地方には、確認されているだけでも約150件にも及ぶ教会壁画が現存しています。このかけがえのない文化遺産を未来の世代に引き継ぐためにも、関連する分野の専門家とネットワークを構築しながら、国際協働の確立に向けて取り組んでいきます。
ウルビーノ大学カルロボー 基礎応用科学部との協力合意書の締結


イタリアは数多くの文化遺産を有し、その保存修復においても世界を牽引してきました。そんな同国の保存科学分野の中でも幾多の業績を挙げてきたのがウルビーノ大学カルロボー 基礎応用科学部です。このたび、東京文化財研究所では、同部との間で文化遺産の保存修復に係る研究協力に関する合意書を締結しました。その内容は包括的なもので、世界各地の文化財を対象に保存修復計画策定に向けた科学分析調査や保存修復技法・材料の開発で協力するとともに、ワークショップ等を通じて研究者の相互交流を図ることなどを想定しています。
令和5(2023)年2月17日に同大学を訪問し、ジョルジョ・カルカッニーニ学長と今後の協力関係について意見交換を行いました。また、基礎応用科学部のマリア・レティッツィア・アマドーリ教授案内のもと学内施設を見学し、目下取り組まれている文化遺産保存に向けた分析調査についての説明を受けました。
今後、両機関の専門性を活かした研究協力を通じて、単なる分析データの収集といったレベルに留まることなく、具体的な文化遺産の保存へと繋がる活動を展開していきたいと考えています。
イタリアにおける震災復興活動に関する調査


東京文化財研究所では、平成29(2017)年よりトルコ共和国において文化財の保存管理体制改善に向けた協力事業を続けてきました。令和5(2023)年2月6日、トルコ南東部を震源とする地震が発生し、同国及びシリア・アラブ共和国を中心に甚大な被害が発生し、文化遺産の保存状態にも影響が出ています。当面は人道支援を優先すべきでしょうが、近い将来、文化財の保存修復分野においても国際的な支援が必要とされることが予測されます。
一方、中部イタリアでは、1997年、2009年、2016年と立て続けに大地震が発生し、被災した文化遺産の復興活動が今なお続けられています。同様の文化遺産を有するトルコやシリアへの今後の支援検討に活かすとともに、今後起こりうる不測の事態にどう対処すべきかを学ぶため、令和5(2023)年2月13日から16日にかけてマルケ州とウンブリア州で調査を実施しました。スポレート市に所在するサント・キオード美術品収蔵庫は、自然災害発生時の文化財の避難先、また、応急処置を行うための場として1997年の震災後に建設された施設です。現在も約7000点に及ぶ被災文化財が収蔵され、国家資格をもつ保存修復士によって応急処置が進められていました。
イタリアでは、度重なる経験を経て、被災直後のレスキュー活動からその後の対処に至るまでの組織体制や手順が整えられてきました。こうした文化財分野に係る震災からの復旧・復興活動において先進的な取組みを続ける国から学ぶべきことは多くあります。さらに調査を続けながら、今後の活動に役立てていきたいと思います。
文化遺産国際協力コンソーシアム第32回研究会「中央ヨーロッパにおける文化遺産国際協力のこれまでとこれから」の開催


文化遺産国際協力コンソーシアム(東京文化財研究所が文化庁より事務局運営を受託)は、令和5(2023)年1月28日に第32回研究会「中央ヨーロッパにおける文化遺産国際協力のこれまでとこれから」をウェビナーにて開催しました。
ロシアのウクライナ侵攻によって大きな被害を受けている文化遺産に対する国際協力を考える上では、同国が位置する地域の地理的・文化的な特徴を知り、歴史背景にも十分に配慮する必要があります。このような観点から、ウクライナを含む中東欧や南東欧地域について学ぶとともに、同地域の文化遺産に関する日本の国際協力活動を振り返り、さらに今後の協力のあり方について考えることを目的としました。
篠原琢氏(東京外国語大学)が「中央ヨーロッパという歴史的世界」、前田康記(文化遺産国際協力コンソーシアム)が「中央ヨーロッパに対する国際支援と日本の国際協力」、嶋田紗千氏(実践女子大学)が「セルビアの文化遺産保護と国際協力」、三宅理一氏(東京理科大学)が「ルーマニアの歴史文化遺産とその保護をめぐって」のタイトルで、それぞれ報告しました。
これらの講演を受け、金原保夫氏(文化遺産国際協力コンソーシアム欧州分科会長、東海大学)のモデレートのもと、講演者を交えて行われたパネルディスカッションでは、相互理解に立脚した国際協力の重要性や、持続的な文化遺産保護に結びつけるための現地人材育成や組織体制づくり支援の必要性などが指摘され、活発な意見が交わされました。本研究会の詳細については、下記コンソーシアムのウェブページをご覧ください。
https://www.jcic-heritage.jp/news/32nd-seminar-report/
バハレーンにおける歴史的なイスラーム墓碑の3次元計測

東京文化財研究所は長年にわたり、バハレーンの古墳群の発掘調査や史跡整備に協力してきました。令和4(2022)年7月に現地を訪問してバハレーン国立博物館のサルマン・アル・マハリ館長と面談を行った際に、モスクや墓地に残されている歴史的なイスラーム墓碑の保護に協力してほしいとの要請がありました。現在、同国内には約150基の歴史的なイスラーム墓碑が残されていますが、塩害などにより劣化が進行しています。
この要請に応えた新たな協力活動の第一歩として、令和5(2023)年2月11日から16日にかけて、バハレーン国立博物館とアル・ハミース・モスク(Al-Khamis Mosque)所蔵の墓碑を3次元計測しました。写真から3Dモデルを作成する技術であるSfM-MVS(Structure-from-Motion/Multi-View-Stereo)を用いた写真測量を行い、バハレーン国立博物館所蔵の20基、アル・ハミース・モスク所蔵の27基の計測を完了しました。石灰岩で作られた墓碑は写真測量との相性が良く、作成した3Dモデルからは写真や肉眼で見るよりもはるかに明瞭に墓碑に彫られた碑文を視認することができます。これらのモデルは、今後、広く国内外からアクセスできるプラットフォームに公開し、墓碑のデータベースとして活用していきます。
来年度以降、さらにバハレーン国内の他の墓地にも対象を広げて3次元計測作業を進めていく予定です。
世界遺産研究協議会「文化財としての『景観』を問いなおす」の開催


文化遺産国際協力センターでは、世界遺産制度とその最新動向に関する国内向けの情報発信や意見交換を目的とした「世界遺産研究協議会」を平成28(2016)年から開催しています。令和4(2022)年度は、「文化財としての『景観』を問いなおす」と題し、環境や領域の保全を理念の一つとするユネスコ世界遺産と、点から面への転換を目指すわが国の文化財保護の接点として「景観」に着目しました。昨年度、一昨年度は、コロナ禍のためオンライン配信とせざるを得ませんでしたが、今回は参加人数を50名に制限しながらも令和4(2022)年12月26日に東京文化財研究所で対面開催しました。
冒頭、西和彦氏(文化庁)が「世界遺産の最新動向」について講演した後、金井健(東京文化財研究所)より開催趣旨を説明しました。つづく第Ⅰ部では、研究職の立場から惠谷浩子氏(奈良文化財研究所)が「日本における文化的景観の特質」、松浦一之介(東京文化財研究所)が「景観としての世界遺産:範囲設定とその根拠法」、また第Ⅱ部では、行政職の立場から植野健治氏(平戸市)が「協働による景観保護の可能性」、中谷裕一郎氏(金沢市)が「金沢の文化的景観の価値を活かした景観まちづくり」について、それぞれ講演しました。その後、登壇者全員が日本の文化財保護制度における景観の位置づけなどについて討論しました。
講演と討論をつうじて、わが国では文化財としての景観が概念や制度の上で非常に限定的に捉えられているのに対し、特にヨーロッパでは都市計画、環境保全、農業政策などの国土利用に広く位置づけられている実態が明らかになりました。日本では文化財保護と都市計画が別々の歩みを進めたことが、今なお面的な保護の遅れに大きく影響しているとの指摘もありました。このようにわが国では複雑な課題を抱えた「景観」のテーマも含め、当センターでは引き続き遺産保護の国際的制度研究に取り組んでいきたいと思います。
国際シンポジウム「考古学と国際貢献:バーレーンの文化遺産保護に対する日本の貢献」および「バーレーン考古学をめぐって」の開催


中東のバーレーンは、東京23区と川崎市をあわせた程度の小さな島国ですが、魅力ある文化遺産を数多く有しています。とくに今から4千年前頃には、バーレーンはディルムンと呼ばれ、メソポタミアとインダスを結ぶ海洋交易を独占して繁栄したことが知られています。この時代だけで7 万5 千基もの古墳が造られ、それらは19世紀末以来、多くの研究者を惹きつけてきました。この古墳群は、2019年にはユネスコの世界文化遺産にも登録されています。
東京文化財研究所は長年にわたり、ディルムンの古墳群の史跡整備や発掘調査に協力してきました。そして、今年度からは新たに、バーレーンに残されている歴史的なイスラーム墓碑の保存にも協力を開始することとなりました。
2022年は、日本とバーレーンの外交関係樹立50周年という記念の年にもあたります。そこでこのたび、本研究所は金沢大学古代文明・文化資源学研究所と共催で、国際シンポジウム「考古学と国際貢献:バーレーンの文化遺産保護に対する日本の貢献」(12月11日、会場:東京文化財研究所)と「バーレーン考古学をめぐって」(12月14日、会場:金沢大学)を開催しました。これらのシンポジウムでは、バーレーンの国立博物館館長のほか、バーレーンで発掘調査を行っているデンマーク隊、フランス隊、イギリス隊の隊長、日本の考古学や保存科学の専門家が一堂に会しました。
東京のシンポジウムではバーレーンにおける各国による発掘調査の歴史や日本の専門家による発掘や保存修復活動が紹介され、金沢のシンポジウムでは各国隊による最新の発掘調査成果がおもに紹介されました。
本研究所は、今後もバーレーンの文化遺産の保護に様々な形で協力していく予定です。
アンコール遺跡世界遺産登録30周年記念式典および国際調整委員会への参加


東京文化財研究所では、カンボジア・アンコール遺跡群のタネイ寺院遺跡においてアンコール・シエムレアプ地域保存整備機構(APSARA)との協力事業を継続しています。
アンコールは1992年にユネスコ世界文化遺産に登録され、その後日本を含む各国による本格的支援協力が開始されました。支援の対象は遺跡の保存修復にとどまらず、その観光活用や人材育成を含む体制整備、さらには周辺地域の持続的発展に向けた計画策定やインフラ整備等々、多岐にわたります。紆余曲折を経ながらも、アンコールは押しも押されもせぬ世界的観光地となり、カンボジア経済にとって最重要の外貨収入源の一つになっています。同時にそれは、様々な課題を抱えつつも、世界遺産の保護と活用における国際協調の成功事例として大いに評価されています。
令和4(2022)年12月14日早朝、アンコールワット参道前にて「アンコール世界遺産登録30周年記念式典」が挙行され、筆者もこれに参加しました。大勢の僧侶による読経に始まり、伝統舞踊も交えた荘厳な儀式でしたが、会場では私たちの事業も含むこれまでの国際協力の歩みを振り返るポスター展示も行われました。
翌15日と16日にはそれぞれ、アンコール国際調整委員会(ICC)の第36回技術会合と第29回本会合がシエムレアプ市内で開催されました。毎年恒例のこの会議もコロナ禍ではオンライン主体での開催が続きましたが、ようやく国内外の専門家や関係機関代表が一堂に会しての対面開催が実現し、多くの事業の進捗が報告・共有されるとともに、各国関係者が旧交を温める場としての役割がようやく戻ってきたことに感慨を新たにした次第です。