セインズベリー日本藝術研究所とのオンライン協議



令和3(2021)年12月2日に、イギリスのセインズベリー日本藝術研究所と共同研究「日本芸術研究の基盤形成事業」についてのオンライン協議を行いました。東京文化財研究所では平成25(2013)年よりイギリスのセインズベリー日本藝術研究所(以下、セインズベリー研究所)との共同研究を推進しています。セインズベリー研究所のサイモン・ケイナー所長からは新型コロナウイルス感染症の影響による困難な状況の中、事業を継続できていることに対して感謝の意が伝えられ、セインズベリー研究所の理事会でもこの共同研究が重要な国際協働事業であると評価されているとの報告がありました。昨年と同様にオンラインでの協議を行いましたが、この1年間では、継続的なデータベースの更新作業に加えて、東京文化財研究所が刊行している『日本美術年鑑』に掲載している美術界年史(彙報)の記事を英訳し、Art New Articlesとして、東京文化財研究所のウェブサイトに検索可能な状態で掲載することを新たに開始しました(Art news articlesの公開について)。現在は平成25(2013)〜同27(2015)年の3年分の英語版が公開されていますが、今後も翻訳・更新・公開作業を継続して、日本美術に関する国際情報発信を進めていく予定です。
またセインズベリー研究所には、海外で開催された日本美術に関する展覧会の情報を東文研総合検索にご提供いただいています。情報共有と研究交流の一環として、セインズベリー研究所の林美和子氏にアシュモレアン博物館で開催されたTokyo: Art & Photography展の展覧会評を『美術研究』436号(令和4(2022)年3月刊行予定)にご寄稿頂きました。海外の美術展覧会を見に行く機会が激減するなか、海外の状況を知ることができる貴重な記事となっています。ぜひご覧ください。
オンラインでできることも増え、その長所を活かした取り組みも行っていますが、それでも作品調査や、講演を行い、一般の聴衆と意見交換することなどは現地に行かないと不可能です。2年前まで実施していた、研究員が実際に現地を訪問して研究協議と講演を行うような研究交流は、来年度以降に状況を見ながら再開する方針です。
黒田清輝油彩画作品の撮影と光学調査


黒田記念館には、黒田清輝を中心とした画家による絵画作品が収蔵され、展示公開されています。その中核をなす黒田清輝による油彩画は、現在149点を数えます。現在、黒田記念館は東京国立博物館の一部となり、これらの作品も東京国立博物館の所蔵となっています。
令和3(2021)年10月から12月にかけて、これら黒田清輝の油彩画全点について、東京国立博物館職員の立ち合いのもとに、高精細カラー写真撮影・赤外線写真撮影・蛍光写真撮影を行いました。また、《智・感・情》、《読書》、《舞妓》、《湖畔》の4作品については蛍光X線分析による彩色材料調査を併せて行いました。
黒田清輝は19世紀末にフランスに留学して油彩画を学び、デッサンやクロッキーによる基礎に立脚しつつ、戸外での写生を重視する作風を身に着け、帰国後は日本近代絵画の主流をなすに至りました。しかしながら黒田清輝の画風は、留学期と帰国直後、さらには日本での地位の確立以降と、彼の立場や環境にともなって変化しており、一様ではありません。今回の写真撮影では、これまで高精細カラー写真撮影や赤外線写真撮影、蛍光写真撮影が行われていなかった作品まで含め、黒田記念館に収蔵される全ての油彩画を同一手法かつ同一のライティングで撮影したことに意義があります。高精細カラー写真によって浮かび上がる筆触、赤外線写真や蛍光写真によって写し出される下絵の存在や顔料の重なり方、そして蛍光エックス線分析によって得られる彩色材料に関する情報を総合的に評価していくことで、彼の作品が実際にどのように作られたのか、より深く知ることが可能となるでしょう。今回撮影された写真は、近代日本における油彩画の先駆者であった黒田清輝の油彩画の実像に迫るために、欠かせない資料となるはずです。
なお、これまでに一部の油彩画作品については東文研ウェブサイト(「黒田清輝の作品について」https://www.tobunken.go.jp/kuroda/japanese/works.html) にて既に公開しています。また、報告書『黒田清輝《智・感・情》美術研究作品資料 第1冊』(2002年)、『黒田清輝《湖畔》 美術研究作品資料 第5冊』(2008年)などでもご覧頂けます。今回の撮影・調査結果については、随時、ウェブサイトにて公開していく予定です。
第55回オープンレクチャーの開催


文化財情報資料部では、毎年秋に広く一般の聴衆を募って、研究者の研究成果を講演する「オープンレクチャー」を開催しています。令和3(2021)年は新たに「かたちを見る、かたちを読む」のテーマのもと行われました。例年2日間にわたって外部講師を交えて開催してきましたが、昨年同様、新型コロナ感染防止の情勢から、内部講師2名による1日のみのプログラムとし、令和3 (2021)年11月5日に、抽選制による30名限定の定員にて、検温、マスク、手指の消毒に配慮して開催いたしました。
本年は、文化財情報資料部日本東洋美術史研究室長・小林達朗による「皆金色阿弥陀絵像の出現とその意味―転換期の時代思潮の表象」、および主任研究員・安永拓世による「香川・妙法寺の与謝蕪村筆「寒山拾得図襖」―画像資料を活用した復原的研究―」の2講演が行われました。
小林からは、鎌倉時代の阿弥陀絵像にほどこされた金泥・金箔による皆金色という表現について、時代的思潮の転換、とくに天台本覚思想の出現にともなう阿弥陀への認識とのかかわりを中心とした講演がされました。また、安永からは、香川県丸亀市の妙法寺に伝わる「寒山拾得図襖」(重要文化財)の経年による破損部分について、当研究所がかつて撮影したモノクロ写真および新たに撮影した高精細画像をもちいた復原の試みが紹介されました。
聴衆へのアンケートの結果、参加者の85パーセントから「満足した」「おおむね満足した」との回答を得ることができました。
世界遺産条約の履行に関する最近の国内外の動向―第6回文化財情報資料部研究会の開催

世界遺産条約を日本が批准して30年近くが経ちました。令和3(2021)年には「奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島」「北海道・北東北の縄文遺跡群」が加わり、日本の世界遺産は現在25件を数えます。令和3(2021)年11月30日の第6回文化財情報資料部研究会では、二神葉子(文化財情報資料部文化財情報研究室長)が、世界遺産の推薦や決定、保護といった、世界遺産条約に基づく最近の国内外での活動について報告しました。
令和3(2021)年7月に中国・福州及びオンラインで開催された拡大第44回世界遺産委員会では、諮問機関に世界遺産一覧表への記載を勧告されなかった推薦資産の多くが、世界遺産委員会で記載を決議されました。例えば、ハンガリーなどが推薦した「ローマ帝国の国境線:ドナウリメス(西側部分)」は、ハンガリーの脱退で世界遺産委員会直前に資産範囲が大きく変わり、文化遺産の諮問機関であるICOMOSが評価不能としたものの記載が決議されています。ただ、この推薦に関しては、ICOMOSが過去に実施したテーマ別研究の結果と、推薦を受けてICOMOSが行った現地調査に基づく勧告の内容とに齟齬があり、勧告への対応について関係締約国間の調整がつかなかったことがハンガリーから指摘されており、ICOMOSに対する委員国の反発を生んだ可能性もあります。拡大第44回世界遺産委員会に関して、このような世界遺産一覧表への記載推薦に関する問題とともに、推薦書の予備的審査などの改善策も導入されたことを報告しました。
世界遺産委員会の動きとは別に、国内では令和2(2020)年から、文化審議会世界文化遺産部会による日本の世界遺産の推薦や保護の在り方に関する検討が行われています。この検討内容についても、ウェブ公開されている資料に基づき報告を行いました。
研究会では、国内における世界遺産推薦や保護に関する活動の課題を中心に議論が行われ、広範な関連情報発信の必要性も感じられる機会となりました。
Art news articlesの公開について

東京文化財研究所では、昭和11(1936)年より日本の美術界の活動を一年ごとにまとめた『日本美術年鑑』を刊行しております。同年鑑は「東京文化財研究所刊行物リポジトリ – 『日本美術年鑑』(リンク1)」から一冊ずつPDFファイルでダウンロードできますが、当研究所のウェブデータベースで掲載された情報を直接検索いただくこともできます。
さて、同年鑑をもとに構築されたデータベースの一つである「美術界年史(彙報)データベース(リンク2)」は、昭和11(1936)年から現在に至るまでの美術界の動向を主要な展覧会や美術賞、美術館や文化財に関係する出来事から追うことのできる資料の一つです。この度、平成25(2013)年より共同研究を行っているイギリスのセインズベリー日本藝術研究所(Sainsbury Institute for the Study of Japanese Arts and Cultures; SISJAC)のご協力を得て、同研究所スタッフの林美和子氏に同データベースの平成25(2013)年、平成26(2014)年、平成27(2015)年分の記事を英語に翻訳いただき「Art news articles(リンク3)」として公開することができました。今後、翻訳の進捗に合わせて随時、データを追加して参ります。
同データベースの英語訳は、これまでの日本の美術界の歩みを海外に伝える上で大きな助けとなるものです。しかしそれだけではなく新たな情報発信のためのボキャブラリーとしても大いに役立つと考えております。日本語と英語の記事の双方を容易に利用できるよう記事単位でリンクを作成しましたが、訳語の単位でも双方を連携できるような改修を検討しておりますので、継続的にご利用いただければ幸いです。
和泉市久保惣記念美術館での講演とリートベルク美術館のシンポジウムでの発表



すぐれた日本東洋の古美術コレクションで知られる和泉市久保惣記念美術館で「土佐派と住吉派 其の二―やまと絵の展開と流派の個性―」展(令和3(2021)年9月12日〜11月7日)が開催されました。この展覧会では桃山時代の土佐光吉から近代に至るまでの、土佐派・住吉派の作品が一堂に会され、それぞれの絵師が守り継いだものと、革新していったものが、浮かび上がる企画となっていました。本展にあわせて10月16日に行われた講演会にて、同館の館長河田昌之氏とともに、文化財情報資料部・江村知子が「海を渡った住吉派絵画—ライプツィヒ民族学博物館蔵「酒呑童子絵巻」を中心に」と題して発表しました。当研究所ですすめている在外日本古美術品保存修復協力事業や、海外に所蔵される日本美術作品について紹介し、天明6(1786)年に制作されたと考えられる住吉廣行筆「酒呑童子絵巻」について解説しました。この展覧会には住吉廣行の長男の弘尚が、父の作品に倣って制作したと考えられる「酒呑童子絵巻」(根津美術館蔵)が出陳されており、その対照性についても明らかにしました。
またスイスのリートベルク美術館ではヨーロッパの美術館に所蔵される物語絵画を集めた《Love, Fight, Feast – the World of Japanese Narrative Art》展(令和3(2021)年9月10日〜12月5日)にあわせて10月23日に国際シンポジウムが開催され、江村は《A Great Tale of Exterminating Ogres: Shuten-dōji Handscrolls of GRASSI Museum für Völkerkunde zu Leipzig》と題して基調講演を行いました。この展覧会で住吉廣行筆「酒呑童子絵巻」が初公開されたこともあり、絵巻全体の内容と作品の特色について明らかにしました。シンポジウムはチューリッヒの会場と、東京、ダブリン(アイルランド)、ニューヨーク(米国)をつないで、オンライン形式で行われ、インターネットで配信されました。
https://www.youtube.com/watch?v=36FC6IOS_o0&t=1160s
新型コロナウイルス感染症の影響もあり、参加者全員が同じ場所に集まることはできませんでしたが、多くの研究者と意見交換する貴重な機会となりました。発表で取り上げた住吉廣行筆「酒呑童子絵巻」については、研究資料として『美術研究』435号に掲載する予定です。
創造美育協会の活動とアーカイブ―第5回文化財情報資料部研究会の開催

創造美育協会を支えた島﨑は、自ら小学校の教師として図画等を教えていました。

“創造美育協会”という団体をご存知でしょうか。昭和27(1952)年、児童の個性を伸ばす新しい美術教育を目標にかかげて創設された民間団体で、北川民次や瑛九といった美術家、評論家の久保貞次郎がその設立に深く関わりました。その運動は全国に支部を構えるほどに発展し、戦後の日本美術教育の歴史に大きな影響を及ぼしています。
令和3(2021)年9月24日に開催された文化財情報資料部研究会では、この創造美育協会の本部事務局長を長年務めた美術教育者の島﨑清海(1923–2015)が遺した資料をめぐって、中村茉貴氏(神奈川県立歴史博物館非常勤(会計年度職員)・東京経済大学図書館史料室臨時職員)に「「創造美育協会」の活動記録にみる戦後日本の美術教育-島﨑清海資料を手掛かりに」の題でご発表いただきました。生前の島﨑より聞き取りを行なっていた中村氏は、その没後も遺された膨大な資料の整理と調査に当たってこられました。発表では創造美育協会の活動記録や刊行物、島﨑に宛てられた書簡などの紹介を通して、同協会が美術教育の他、美術家支援、版画の普及、コレクター育成といった面でも大きな役割を果たしたことが示されました。
発表後のディスカッションでは、茨城大学名誉教授の金子一夫氏より戦後の美術教育における創造美育協会の位置づけについてコメントをいただきました。その後、島﨑清海資料の今後の保存活用をめぐって所内外の出席者の間で意見が交わされましたが、資料を恒久的に伝える受け入れ機関がなかなか見つからないなど、美術教育を対象とするアーカイブの厳しい現状が議論からうかがえました。研究会では実際の資料の数々を中村氏に持参いただき、出席者の方々にご覧いただく機会を設けましたが、この度の研究会がこうした資料群の重要性を再認識する場となったのであれば幸いです。
文化財の記録作成に関するセミナー「文化財保護と記録作成・画像圧縮の原理」の開催


文化財を扱う博物館・美術館や自治体にとって、文字や写真による文化財や収蔵品の記録作成(ドキュメンテーション)は、調査研究・保存活用のための基礎的なデータを取得する活動です。文化財情報資料部文化財情報研究室では、このような文化財の記録作成の手法や、記録を整理・活用するためのデータベース化に関する情報発信を行っています。その一環として令和3(2021)年9月21日、新型コロナウイルス感染拡大防止対策を講じたうえで、標記のセミナーを東京文化財研究所セミナー室で開催しました。
セミナーでは、「文化財保護と記録作成」と題して中野慎之氏(文化庁 文化財第一課 調査官(絵画部門))が、文化財保護にとっての記録の意味や、記録作成の際の留意点について、実例とともに豊富な資料に基づいて講演されました。また、シリーズ「ディジタル画像の圧縮~画像の基本から動画像まで~」の第2回として、今泉祥子氏(千葉大学大学院工学研究院准教授)が、ディジタル画像の圧縮とは何か、どのような処理を行うのか、さらに、JPEGやMPEGといった静止画や動画像の代表的な圧縮方式の基本的な技術について、「画像圧縮の概念と基本技術」のタイトルで講演を行いました。
新型コロナウイルス感染拡大により文化財にアクセスしづらくなっている現在、文化財の調査研究や鑑賞の機会を確保するための記録作成の意義はますます大きくなっています。私たちは今後も講義形式やハンズオン形式のセミナーを通じて、文化財に関する記録の作成や記録の保存・発信に役立つ情報を発信していきます。
報告書『タイ所在日本製漆工品に関する調査研究―ワット・ラーチャプラディットの漆扉』の刊行


東京文化財研究所は平成4(1992)年から、タイの文化財の保存修復に関する共同研究をタイ文化省芸術局と実施しています。その一環として、タイ・バンコクに所在する王室第一級寺院ワット・ラーチャプラディット(1864年建立)の漆扉について、当該寺院や芸術局などのタイの関係者による修理事業の実施に際して技術的な支援を行ってきました。
文化財の修理にあたっては、個々の文化財の材料や技法、周辺環境や劣化状態を詳細に調査して方針を決め、進めなければならないことから、それらに関する科学的な調査が不可欠です。ところで、ワット・ラーチャプラディットの漆扉には、19世紀半ばを中心に日本からの輸出漆器に多く用いられた伏彩色螺鈿の技法による、花鳥や山水、和装の人物などの図柄が見られ、日本製であると考えられました。しかし、その確たる証拠はなく、生産地や同様の技法による作品の系譜への位置づけなども不明でした。そこで、科学的な調査や、伏彩色螺鈿及び彩漆蒔絵で表現された図柄に関する調査を、東京文化財研究所内外の様々な分野の専門家が行ったところ、材料の成分や製作技法だけでなく、図柄の表現からも、漆扉が日本で制作された可能性が極めて高いことがわかりました。
令和3(2021)年3月に刊行した標記の報告書は、これらの研究成果とともに、多分野の専門家による文化財調査の全容をご理解いただける内容となっています。報告書は当研究所の資料閲覧室や公共図書館などでご覧になれますので、お手に取っていただけましたら大変幸いです。
丸亀・妙法寺における与謝蕪村作品の調査・撮影



香川県丸亀市にある妙法寺は、江戸時代の画家で俳諧師でもあった与謝蕪村(1716~83)が明和5(1768)年に訪れて、多くの絵画作品を残したことで知られる寺院です。その妙法寺で蕪村が描いた「寒山拾得図襖」(重要文化財)は、現状では寒山の顔の一部が損傷し、失われています。しかし、近年、東京文化財研究所が昭和34(1959)年に妙法寺で撮影したモノクロフィルムに、損傷前の状態が写されていたことがわかり、当初の図様が判明したのです。
そこで、東京文化財研究所では、この古いモノクロフィルムと、新たに撮影する画像を用いて、損傷した襖絵をデジタル画像で復原するという調査研究を、妙法寺と共同でおこなうこととなりました。
令和3(2021)年8月24日から28日にかけて、新型コロナウイルスへの十分な感染対策を講じたうえで、この共同研究の調査・撮影のため、城野誠治・江村知子・安永拓世・米沢玲(以上、文化財情報資料部)の4名で妙法寺を訪れました。調査の対象となったのは、「寒山拾得図襖」「蘇鉄図屛風」「山水図屛風」「竹図」「寿老人図」(いずれも蕪村筆)です。全作品ともカラー画像を撮影し、「寒山拾得図襖」「蘇鉄図屛風」「山水図屛風」については赤外線画像も撮影しました。また、「寒山拾得図襖」の復原画像は、最終的に襖に仕立てて本堂に奉安するため、建具制作や文化財修理の専門業者による採寸もおこなわれました。
モノクロフィルムでしか図様がわからない部分を、いかにカラー変換するかなど課題もありますが、この復原を通して、東京文化財研究所が蓄積してきた画像資料の新たな活用法を探りたいと思います。
梅上山光明寺での調査
令和3(2021)年7月7日・21日の2日間にわたり、東京都港区の梅上山光明寺で文化財の調査・撮影を行いました。
7月7日には、城野誠治・江村知子・安永拓世・米沢玲(以上、文化財情報資料部)が、元時代の羅漢図の光学調査を実施しました。本羅漢図に関しては、昨年度にも調査・撮影を行い、令和2年度第8回文化財情報資料部研究会において来歴を含めた作品の概要を報告しています(参照:
https://www.tobunken.go.jp/materials/katudo/878471.html)。今回の調査では蛍光撮影により、肉眼では識別しにくい画絹の後補部分と当初部分との違いなど、保存状態や表現をより詳しく確認することができました。
同月21日には江村・安永・米沢が、武田雲室(1753~1827)の絵画作品の調査を行いました。信濃国飯山出身の僧侶で光明寺の第26世である雲室は、詩文や作画を得意とした文人でもあり、詩文結社を主催し、広瀬台山や谷文晁など当時の江戸の文人たちとも幅広く交流した人物です。光明寺には山水図や故事人物図をはじめ、雲室が手掛けた版本の画集『山水徴』、文書類などが所蔵されており、雲室の活動や事績を知るうえで大変貴重な作品群といえます。
鎌倉時代に霞が関で創建された光明寺は、江戸時代初期には現在の地に伽藍を移したことが分かっており、延宝6(1678)年の銘記がある梵鐘や明和9(1772)年の石碑も伝えられている古刹です。今回の調査に基づき羅漢図や雲室の研究を進めるとともに、東京文化財研究所では今後も地域に残された文化財調査に積極的に取り組んでいきたいと思います。
![]() 武田雲室「群仙喫雲図」 文政8(1825)年
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![]() 調査風景
![]() 同 部分図
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近現代日本における「南蛮漆器」の出現と変容―第4回文化財情報資料部研究会の開催


令和3(2021)年7月16日に開催された第4回文化財情報資料部研究会では、文化財情報資料部広領域研究室長の小林公治が「近現代日本における「南蛮漆器」の出現と変容―その言説をめぐって―」と題した発表を行いました。
発表者はこれまで17世紀前半を中心に京都で造られ欧米に輸出された南蛮漆器について物質文化史の視点による文化財学的な検討を進めていますが、現在一般に「南蛮漆器」と呼称されているこうした器物への関心が日本の近現代社会でいつ成立し、どのような過程を経て今に至っているのか、という点についてはさらなる具体的な資料調査による認識過程の跡付けと把握が必要であると考え、本発表を行ったものです。
「南蛮漆器」と呼ばれる漆器への関心は、明治初期からの日本のキリシタン史研究、またこれに刺激された大正期前後の文学・演劇・絵画などに巻き起こった「南蛮」流行に影響を受けて始まったものであり、昭和初期から戦前にかけて日本の伝統器物に南蛮人の姿を表した「南蛮文様蒔絵品」(写真1)の収集が盛んに行われるようになりました。こうした「国内向け南蛮漆器」への関心は戦後にも続きますが、1960年代以降になるとヨーロッパに伝世した「輸出用南蛮漆器」が数多く逆輸入されるようになり、漆工史研究者の関心や展示品も「国内向け」品から「輸出用」品へと大きく転換し現在に至っています。こうした流れの大略はこれまでも言及されていましたが、本発表では輸出用南蛮漆器を主体と見る意識と重要性の理解が、戦時中の美術史雑誌である『大和絵研究』(写真2)に発表された岡田譲の「南蛮様蒔絵品に就いて」という論文を嚆矢とすること、そしてこのような輸出用漆器に対する関心の萌芽、流れや変化は戦前から戦後にかけて開催された各展覧会の展示漆器実態に反映しており具体的に裏付けられることを示しました。また近年、「南蛮漆器」と並行して使われている「南蛮様式の輸出漆器」という用語が、江戸時代各時期の日本製輸出漆器が伝世するイギリスやオランダといった国々の研究者によって提唱されたものであり、近世初期の「南蛮漆器」が中心的な伝世品であるポルトガルやスペインといった国々では「南蛮漆器」という用語が一般的に使われていることを示し、両用語が対立的なものではなく、相対化させた理解が可能であること、などを指摘しました。
当日は、静嘉堂文庫美術館小池富雄氏、国立歴史民俗博物館日高薫氏、金沢美術工芸大学山崎剛氏のお三方にコメンテータとして参席いただき、多様な論点による本発表に対して論証不足な点や認識等について幅広く議論いただきました。近現代の研究材料はさまざまであり、いまだ見出せていない諸資料の存在も予測されます。今後もさらなる探索を進め、より確定的な研究史の理解となるよう検討を進めたいと考えています。
データベースの開発と運用について—第3回文化財情報資料部研究会の開催


東京文化財研究所では文化財に関係する30を超えるデータベースをインターネット公開し、多くの方にご利用いただいております。これらのデータベースには、画家の日記や1930年代に撮影された文化財のモノクロの画像、1890年代に刊行された美術雑誌等の様々なデータを登録しています。
ところで当研究所ではインターネット公開するためのデータベースと、データを作成し、保存するための作業用のデータベースとを別々に運用しております。公開用のデータベースには、それほど多くの機能は求められませんが、24時間稼働し続ける安定性や頻繁なセキュリティ対策が求められます。一方、作業用のデータベースには、校正のための特殊なデータ操作や特定の文字列の一括置換等の高度なデータ操作の機能が求められます。
このように作業用と公開用のデータベースを分離する運用を当研究所では2014年頃より行っております。この間、使用ソフトウェアのバージョンアップやハードウェアの更新、外部データベースサービスの利用や担当者の交代等、データベースの開発と運用に影響を与える様々な出来事がありました。令和3(2021)年度第3回目の文化財情報資料部研究会では、改めてデータベースの現状について確認し、開発の方向性について検討いたしました。これらの議論を活かし、既存のデータベースを引き続いて公開するだけでなく、新しいデータベースの開発や利便性の向上に努めてまいります。
北米美術図書館協会年次大会での発表


新型コロナウイルス感染症の影響は長らく続いており、以前であれば大勢の関係者が一堂に会して行っていた会議などはオンラインで開催されることが多くなっています。北米美術図書館協会の年次大会も、昨年に続きオンラインで開催され、令和3(2021)年5月13日にゲッティ研究所と共同でBuilding Bridges: Working Together to Disseminate Japanese Art Literatureと題した発表を行いました。東京文化財研究所からこの大会で発表を行うのは初めての機会でした。当研究所では平成28(2016)年にアメリカのゲッティ研究所と共同研究に関する協定書を締結し、明治期の美術雑誌『みづゑ』をはじめ、明治から昭和初期の美術展覧会図録、江戸時代の版本など、東京文化財研究所の蔵書をデジタル化し、ゲッティ研究所が運営するヴァーチャル図書館であるゲッティ・リサーチ・ポータルに情報提供し、インターネット公開を進めています。発表ではこれまでの共同研究事業の経緯や成果について紹介し、各国の所蔵資料を横断検索することでもたらされる新たな視点を具体的に示しました。世界的に外出や移動が制限される中、オンラインで貴重な研究資料が随意に利用できるヴァーチャル図書館は、さらにその重要性を増しています。これからも国内外の研究機関と協力して、広く文化財の研究に役立つ情報発信を推進してまいります。
酒呑童子絵巻についての発表—第2回文化財情報資料部研究会の開催


むかし大江山もしくは伊吹山に棲み、都で女性や財宝を略奪する悪業をはたらいていた酒呑童子という鬼が、源頼光ら武士によって征伐される物語を描く酒呑童子絵巻は、人気のある画題で数々の作品が残されています。有名な作品としては、サントリー美術館に所蔵される、狩野元信による3巻の絵巻物がよく知られています。今回の研究会では、「新出の住吉廣行筆「酒呑童子絵巻」(ライプツィヒ民族学博物館蔵)について」と題して、発表を行いました。この作品は6巻で構成され、明治15年(1882)に明治政府のお雇い外国人医師のショイベがドイツ帰国の際に持ち帰ったのち、全くその存在が知られていなかったものです。発表者は令和元(2019)年にライプツィヒにてこの作品を調査することができ、今回の発表では、この作品が徳川家第10代将軍・家治の養女であった種姫(1765〜94、実父は田安徳川家宗武、実兄は松平定信)が、紀州徳川家第10代藩主・治宝(1771〜1853)に嫁いだ際の嫁入り道具として天明6年(1786)に住吉廣行によって描かれた可能性があることを指摘しました。この作品の構成としては、狩野元信の3巻本の内容に前半が加えられているもので、今後の酒呑童子絵巻の研究において重要な作例と言えます。今後さらに研究を進め、研究資料として活用していくことを目指していきます。
「辟邪絵」の研究―第1回文化財情報資料部研究会の開催


奈良国立博物館ほかに所蔵される国宝「辟邪絵」は、平安時代末期、後白河法皇のころに制作されたものと考えられ、「地獄草紙」とともにこの時代を代表する作品としてよく知られていますが、その画題や制作背景についてはいまだ検討の余地が残されています。令和3(2021)年度第1回目の文化財情報資料部研究会では、神奈川県立金沢文庫・主任学芸員の梅沢恵氏に「「辟邪絵」の主題についての復元的考察」というタイトルでご発表いただきました。梅沢氏はこの作品の主題が「鬼神にとっての地獄」であることを論述されていますが(梅沢恵「矢を矧ぐ毘沙門天と『辟邪絵』の主題」『中世絵画のマトリックスⅡ』青簡舎、2014年)、今回のご発表では、近年知られるようになった、一連の絵巻の一部と見られる新出の詞書を含めて詳細な分析をおこない、作品全体の構想について再考し、表現の根底にある宗教的思想や時代的な趣向について考察されました。研究会は新型コロナウィルス感染症拡大防止の対策を取りながらオンライン形式でおこないましたが、リモートでの参加者からも活発な質疑応答がおこなわれました。人の移動が制限されている状況ではありますが、十分な対策を講じた上で、研究活動を継続してまいります。
山梨絵美子副所長最終講演―第9回文化財情報資料部研究会


令和3(2021)年3月25日に、東京文化財研究所副所長・山梨絵美子による講演「白馬会の遺産としての『日本美術年鑑』編纂事業」を行いました。当研究所が刊行している『日本美術年鑑』(以下、年鑑)は、現在は2年前の1年間の美術界の動きを1冊にまとめたもので、「年史」「美術展覧会」「美術文献目録」「物故者」によって構成されています。当研究所での刊行は1936(昭和11)年からで、戦中戦後の困難な時期にも継続されて今日に至っています。年鑑の独特の構成は、美術評論家で黒田清輝や久米桂一郎とも親交の深かった岩村透(1870-1917)の発案になるもので、その後の経緯と変遷について、山梨の近代日本美術史研究者としての視点や、永年の経験をふまえて講演が行われました。美術展覧会の増大や「美術」の範囲が拡大している昨今では、様々な問題もありますが、継続するための課題についての問題意識を共有し、当研究所のような公的機関が年鑑の刊行を継続する意義について強調され、講演を終えました。新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、講演会はオンラインで行い、参加者はサテライト会場とした研究所内のセミナー室や、各自の職場や自宅から講演を視聴しました。また講演の映像を4月30日までの期間限定で、東京文化財研究所Youtubeチャンネルで公開しました。山梨は3月末日をもって当研究所副所長を退任、4月からは客員研究員に着任され、今後も当研究所の活動に協力して頂きます。
久米桂一郎日記データベースの公開―久米美術館との共同研究の成果として


洋画家の久米桂一郎(1866~1934年)は、盟友の黒田清輝(1866~1924年)とともに日本近代洋画の刷新に努めた画家として知られています。その画業を顕彰する東京、目黒の久米美術館には久米の日記が残されており、すでに『久米桂一郎日記』(平成2年、中央公論美術出版)が公刊されていますが、同美術館と当研究所の共同研究の一環として、3月25日より同日記の内容を、下記のURLにてCMSのWordPressを用いたデータベースとしてウェブ公開を始めました。
https://www.tobunken.go.jp/
materials/kume_diary
日記はフランス語で記された箇所もあり、本データベースには明治25(1892)年までに記された仏文と、客員研究員の齋藤達也氏による邦訳も載せています。また、すでにウェブ上で公開している黒田清輝日記のデータベースと連携させ、記載年月日が重なる記述については、黒田・久米の日記の双方を参照できるようにしました。たとえば明治32(1899)年の正月を黒田と久米は静岡の沼津で迎えていますが、1月4日の日記に久米は「黒田佐野ノ像ヲ写ス」、黒田は「佐野の肖像をかく」と記していることがわかります。「佐野」とは黒田や久米と親交のあった彫刻家の佐野昭(1866~1955年)。この時、黒田が佐野を描いた肖像画は、令和元年度に黒田記念館(東京国立博物館)の所蔵品となっています。黒田と久米の日記の記述、そして現存する作品が結びついた興味深い例といえるでしょう。
なお、同じく久米美術館との共同研究の成果として、『美術研究』第433号に塩谷純・伊藤史湖(久米美術館学芸員)・田中潤(客員研究員)・齋藤達也「書簡にみる黒田清輝・久米桂一郎の交流(一)」を掲載しました。これは久米美術館と当研究所が所蔵する、黒田と久米の間で交わされた書簡をリスト化し、その概要を総覧できるようにしたものです。久米日記のデータベースと併せ、日本近代洋画研究の便となれば幸いです。
東北歴史博物館における「文化財の記録作成とデータベース化に関するハンズオン・セミナー「文化財写真入門―文化財の記録としての写真撮影実践講座」」の開催



文化財の記録作成(ドキュメンテーション)は、文化財の調査研究や保護、さらには活用を行う上で必要な情報を取得する行為です。特に、写真からは、文字のみでは伝えきれない詳細な情報を読み取ることができ、適切な撮影条件を設定することで、より多くの情報の記録が可能です。
このような文化財の記録としての写真撮影の実務について、令和3(2021)年3月12日に東北歴史博物館(宮城県多賀城市)において、宮城県博物館等連絡協議会加盟館を対象に、標記のセミナーを開催しました。セミナーは東京文化財研究所、東北歴史博物館及び宮城県博物館等連絡協議会の共催で、同協議会の令和2年度第2回研修会でもあります。開催にあたっては、マスクの着用、参加者間の距離の確保、換気など、新型コロナウイルス感染防止対策が取られました。
当日は午前中の講義に続き、午後は縄文時代晩期の注口土器、伝統的なタコ釣りの仕掛けであるイシャリ、縞帳(縞模様の着物地の見本帳)など、東北歴史博物館の収蔵品を用いた撮影実習を行い、当研究所専門職員の城野誠治が講師を務めました。実習の参加者の皆様にはカメラを持参いただき、ライトやレフ板などの機材は館にお借りしました。実習で特に強調したのは、光の扱いの重要性です。館の方が手作りしたレフ板にライトを当て、反射させた光で被写体を照らし、観察を妨げる濃い影を消す手法など、いずれも既存の、あるいは安価な機材で実現できるものでした。参加者の皆様は熱心に実習に取り組まれ、学んだことを同僚にも伝えたい、業務で使ってみたいとのご意見を多くいただきました。
多くの有益な示唆を与えてくださった共催機関の皆様、参加者の皆様に深く感謝いたしますとともに、今回の経験を生かしてセミナーを開催していきたいと考えています。
「日本美術の魅力:修復された海外の日本美術作品」展の延期と特設サイトの公開



東京文化財研究所では平成2(1990)年より在外日本古美術品保存修復協力事業を進めており、ヨーロッパ、北米、オーストラリアなど各地の美術館が所蔵する385点の絵画や工芸作品の保存修復をおこなってきました。当初の計画では令和2(2020)年度にこの修復事業で修復した作品を里帰りさせ、修復の技術、材料や道具などとともに紹介する展覧会を開催することを計画して準備を進めてきましたが、新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、展覧会は延期することとなりました。
人やものの移動が制限される状況下でもできることとして、このたび特設ウェブサイトを制作・公開しました。このサイトでは、展示を予定していた日本美術の作品紹介、作品を所蔵する欧米の美術館の紹介、そしてこれまでに修復を行った作品のリストを検索可能なデータベースの形で公開し、報告書がすでに刊行されているものについては、その本文を閲覧できるようにしました。さらに文化財の修復に必要な伝統的な材料は数多くありますが、その中から、掛軸の表装で最背面に用いられる総裏紙として使われる宇陀紙と、本紙(絵や書が書いてある作品の紙)に欠損箇所を補修するための補修紙について、映像で紹介しています。これらは国の選定保存技術に認定されているものです。日本の伝統文化と自然環境の中で、さまざまな知恵と工夫が結集して伝統的な技術が継承され、文化財が守られているということをご理解いただける映像作品になっています。ぜひご視聴ください。なお本展覧会の準備およびウェブサイトの制作は、日本博事業として実施しました。
https://www.tobunken.go.jp/exhibition/202103/