近世初期の漢籍受容と挿花文化の展開―令和6年度第6回文化財情報資料部研究会の開催

明時代に刊行された漢籍、いわゆる明版は日本にすぐさま輸入され、室町時代から江戸時代に我が国の文化に大きな影響をおよぼしました。その一例に挿花論として名高い袁宏道『瓶史』(萬暦28〔1600〕年成立)があります。『瓶史』は遅くとも寛永6(1629)年には舶載され、江戸時代後期頃、文人層を中心に熱心に受容され様々な生花の流派が成立しました。こうした受容と展開は18世紀以降に相次いだ『瓶花』関連文献の刊行、たとえば『本朝瓶史抛入岸之波』 (1750)や『瓶花菴集 附 瓶話』(1785)、『瓶史国字解』(1809、 1810)などをみてもよくわかります。
しかしながら、それに先立つ17世紀頃の受容については不明なことが多く、漠然としている状況にあります。令和6年(2024)10月29日に開催された文化財情報資料部研究会では、文化財情報資料部日本東洋美術史研究室長・小野真由美が「江戸時代初期における袁宏道『瓶史』の受容について―藤村庸軒の花道書の紹介をかねて―」と題して、17世紀における袁宏道『瓶史』の影響について研究発表を行いました。
発表では、新出の花道書『古流挿花口伝秘書』(東京文化財研究所所蔵)に、藤村庸軒(1613~99)が袁宏道に私淑し、挿花の一流派を成したことが記されていることなどを紹介しました。庸軒は17世紀を代表する茶人のひとりで、京都の呉服商十二屋の当主として藤堂家に仕え、三宅亡羊(1580~1649)に漢学を学びました。また藪内流と遠州流をへて千宗旦(1578~1658)の高弟となった人です。漢詩に秀で、多彩な茶歴をもつ茶人として知られる庸軒は、挿花にも秀でた人物でした。研究会では、コメンテーターに国文学研究資料館研究部准教授山本嘉孝氏をお招きし、袁宏道『瓶史』について貴重なご意見をうかがいました。
袁宏道が説いた花への理想的な姿勢、それはすなわち一枝の花を瓶に挿すことは自然に身をおくことに等しいとする境地でもあります。そうした精神性が江戸の人々にどのように受け止められ、諸流派へと展開していったのでしょうか。研究会では各分野のかたがたとの意見交換がおこなわれました。それらをふまえて花伝書『古流挿花口伝秘書』を手掛かりに、今後も丁寧に読み解いていきたいと思います。
織田東禹《コロポックルの村》をめぐって―令和6年度第5回文化財情報資料部研究会の開催

織田東禹による水彩画、《コロポックルの村》(1907年、東京国立博物館)は、当時の人類学の最新の知見に基づいて描かれた作品です。 東京国立博物館の特集展示「没後100年・黒田清輝と近代絵画の冒険者たち」(8月20日~10月20日)に出品中であったこの作品について、9月6日に東京文化財研究所において研究会を行いました。展示の企画担当者である文化財情報資料部研究員・吉田暁子、藏田愛子氏(東京大学)、品川欣也氏(東京国立博物館)、笹倉いる美氏(北海道立北方民族博物館)が登壇し、それぞれ美術史学、文化資源学、考古学、文化人類学の観点から同作について考察しました。
《コロポックルの村》は、裏面に記されている通り「三千年前石器時代日本」を舞台とする「先住者部落の生活状態の図」として描かれました。制作にあたり、作者の織田は人類学者の坪井正五郎の学説に依拠し、当時見ることのできた考古遺物などの資料を参照したこと、また大森貝塚付近を入念に写生したことなどが知られています。織田は本作を1907年に開催された東京勧業博覧会の「美術」部門に出品することを目指したものの、同部門での審査を拒絶され、本作は「教育、学芸」の資料として展示されました。
研究発表において、まず吉田は同作の概要を紹介し、東京勧業博覧会の美術部門での受賞作の傾向を分析した上で《コロポックルの村》が美術品として認められなかった理由を推察しました。次に、近著『画工の近代 植物・動物・考古を描く』の第8章「明治四十年代における『日本の太古』」(東京大学出版会、2024年、309-331頁)において、《コロポックルの村》について論じられた藏田氏は、坪井正五郎の学説と同作との関わり、また東京勧業博覧会全体の中での位置づけについて発表されました。次に品川氏は、考古学の視点から、現実の古代遺跡の再現図として同作を分析し、東京国立博物館への同作の収集経緯などについても紹介されました。そして笹倉氏は文化人類学の観点から、同作に描かれた道具や衣服、住居などには、北方民族のそれと共通する要素があることを指摘し、織田が坪井を通じて参照した可能性のある遺跡や資料を指摘されました。最後に、来場者からの質問やコメントを交えつつディスカッションを行いました。
本研究会は、美術品と学術資料とのはざまに位置づけられ、周縁化されてきた同作について領域横断的に検討する新たな試みであり、来場者からの反応も多く有意義な会となりました。本研究会の成果については、各発表者による報告を後日『美術研究』に掲載する予定です。
ギャラリー山口旧蔵資料の目録公開


このたび、研究プロジェクト「近・現代美術に関する調査研究と資料集成」の一環で、「ギャラリー山口旧蔵資料」の目録をウェブサイトに公開しました。
ギャラリー山口は、昭和55(1980)年3月銀座3丁目、松屋と昭和通りの間、ヤマトビル3階に開設した、山口侊子(1943-2010)経営による現代美術を専門とした画廊です。「美術館の開館ラッシュ」といわれる時代に、30~40代の次世代を担う若手日本人美術家の個展を中心とし、抽象表現の絵画、彫刻の大作による個展を主軸として、その発表の場を担うとともに、現代の建築空間に対応できる作品の紹介、広場や公園のための野外彫刻、環境造形の受注制作も行ったギャラリーとしても知られています。平成3(1991)年4月には、現代美術作品の大型化に対応するため、新木場にオープンしたSOKOギャラリーに入居、ギャラリー山口SOKOも開設。平成7(1995)年8月には、この2ヶ所のギャラリーを統合し、京橋3丁目京栄ビルへ移転しました。国際交流の活動として海外画廊との交換展を行うなど日本の現代美術の普及にも大きく貢献した、この時代を代表する重要な画廊のひとつです。
今回、目録を公開した資料群は、平成22(2010)年に経営者逝去に伴いギャラリーが閉廊した際に、笹木繁男(1931-2024)の仲介で東京文化財研究所に寄贈されたもので、570点ほどのファイルで構成され、書架延長でおよそ9メートルの規模になります。そのなかには記録写真やプレスリリースなどを納めた作家ファイルや画廊運営資料も含まれており、当時の新聞・雑誌などのメディアによる報道には記録されない、重要な事実を見出すこともできるでしょう。
研究プロジェクト「近・現代美術に関する調査研究と資料集成」では、日本の近・現代美術の作品や資料の調査研究を行い、これに基づき研究交流を推進し、併せて、現代美術に関する資料の効率的な収集と公開体制の構築も目指しております。この資料群は資料閲覧室で閲覧できますので、現代美術をはじめとする幅広い分野の研究課題の解決の糸口として、また新たな研究を創出する契機として、ご活用いただければ幸いです。
◆資料閲覧室利用案内
https://www.tobunken.go.jp/joho/japanese/library/library.html
アーカイブズ(文書)情報は、このページの下方に掲載されています。実際の資料は資料閲覧室でご覧いただけます(事前予約制)。
◆ギャラリー山口旧蔵資料
https://www.tobunken.go.jp/joho/japanese/library/pdf/archives_GalleryYamaguchi.pdf
データベース「笹木繁男氏主宰現代美術資料センター寄贈資料(作家ファイル)」の 公開



研究プロジェクト「近・現代美術に関する調査研究と資料集成」の一環で、令和6(2024)年9月25日に、データベース「笹木繁男氏主宰現代美術資料センター寄贈資料(作家ファイル)」をウェブサイトに公開しました。
笹木繁男(1931-2024)は、都市銀行在職中の1960年代から美術作品を収集し、また戦中期以後の現代美術に関する資料も収集しました。定年退職後、平成6(1994)年に自宅の一室に、現代美術資料センターを開設し、そこでは美術館の学芸員や研究者に対して、自身が所蔵するさまざまな資料を閲覧提供し、研究などをサポートされていました。美術コレクターとして、都内のギャラリーをまわり、そのオーナーや他のコレクターのネットワークがあり、また在野の戦後美術研究者として、みずから画家や関係者を取材し、ときに資料散逸を防ぐために、資料保存の重要性を呼びかけて、現代美術資料センターのアーカイブ機能を背景に、積極的に収集されたことが、この資料群のひとつの特徴といえるでしょう。
東京文化財研究所では、それまで収集しきれていなかった現代美術分野の資料を補完するために、平成9(1997)年にこの資料群、段ボールおよそ450箱を受け入れ、それ以降も、平成30(2018)年まで、定期的に資料をお届けいただきました。当研究所では、現在まで30名ほどの学生アシスタントの協力により、その整理・登録を行なっております。これまでも『笹木繁男氏主宰現代美術資料センター寄贈資料目録CD』(2002年)、『笹木繁男氏主宰現代美術資料センター寄贈資料目録画廊関連データCD』(2006年)を出版して、研究者にも情報提供をしてきましたが、今回のデータベース「笹木繁男氏主宰現代美術資料センター寄贈資料(作家ファイル)」公開によって、最新の整理状況を反映させるとともに、よりアクセスしやすいようにウェブサイトを介して提供できることとなりました。
研究プロジェクト「近・現代美術に関する調査研究と資料集成」では、日本の近・現代美術の作品や資料の調査研究を行い、これに基づき研究交流を推進し、併せて、現代美術に関する資料の効率的な収集と公開体制の構築も目指しております。この資料群は資料閲覧室で閲覧できますので、現代美術をはじめとする幅広い分野の研究課題の解決の糸口として、また新たな研究を創出する契機として、ご活用いただければ幸いです。
◆データベース「笹木繁男氏主宰現代美術資料センター寄贈資料(作家ファイル)」
https://www.tobunken.go.jp/materials/sasaki_artistfile
◆資料閲覧室利用案内
https://www.tobunken.go.jp/joho/japanese/library/library.html
Digital Humanities 2024(DH2024)参加報告


令和6(2024)年8月6日~8月9日にかけてジョージ・メイソン大学(アメリカ)で開催されたDigital Humanities 2024(DH2024)に参加して来ました。DH2024は人文情報学という学問分野では最大規模の年次国際大会です。そして人文情報学というのは、人文学と情報学とを融合させることで新たな発見の獲得を目的とした分野です。
東京文化財研究所は、令和4(2022)年度より文化庁が進める「文化財の匠プロジェクト」事業の一環として「美術工芸品修理のための用具・原材料と生産技術の保護・育成等促進事業」に携わっており、文化財情報資料部では「文化財(美術工芸品)修理記録のアーカイブ化」を担当しております。この事業は、文化財の修理記録という大切な情報を適切な形で後世に残していくことを主眼としている重要なものであり、そのプレゼンスを国際的にも主張してゆくことが求められます。こうした背景から、文化財情報資料部客員研究員・片倉峻平が発表者としてDH2024に赴き、昨年度時点でのアーカイブ化の作業過程をポスター発表(題目:” Constructing a Database of Cultural Property Restoration Records”)にて紹介しました。発表内容は田良島哲・片倉峻平「美術工芸品修理記録のデータベース化」(『月刊文化財』722号、2023年)に則ったものですので、よろしければこちらをご覧下さい。
聴衆の皆様には、日本の文化財修理でどのような記録が取られて来たのか、そしてこれまでどのように蓄積・保存されてきたのか、という点に特に興味を持って頂けました。データベースを作成しているというお話もしたので、実際にそのデータベースを見てみたいという希望も多く聞くことが出来ました。データベースは残念ながらまだ未公開ですがいずれ公開するのでぜひ期待して下さいとお伝えしておきました。
本プロジェクトはこれから佳境を迎えます。これからも国際的な情報発信に努めますので、皆様にもぜひ引き続き注目頂ければと思います。
特集展示「没後100年・黒田清輝と近代絵画の冒険者たち」(東京国立博物館)の開催


令和6(2024)年は、画家であり、東京文化財研究所の前身である美術研究所の設立資金を遺した黒田清輝(1866-1924)の没後100年にあたります。これを記念し、東京国立博物館での特集展示を企画しました。展示は黒田の作品と、東京国立博物館の所蔵する近代絵画とによって構成し、西洋絵画に学んだ「洋画」が「美術」としての地位を獲得していく工程を「冒険」として紹介しました。
まずは黒田清輝の代表作、《智・感・情》(1899、明治32年)において、人間の裸体によって抽象的な観念を描くという西洋の寓意画に端を発した試みを紹介しました。人間の裸体を美的なものとして描き、見る習慣のなかった日本では、裸体画は不道徳なものとして批判されましたが、黒田は《智・感・情》において日本人のモデルを用いた裸体画を世に問いました。《智・感・情》は明治33(1900)年のパリ万国博覧会では、“Etude de Femme”(女性習作)として紹介されました。日本の観衆に対しては裸体によって理想を表現する手法を示し、西洋の観衆に対しては日本人による日本人を描いた裸体画の存在を示すという二面性をもつ試みであったことがわかります。
また本展では、当時の「美術」の境界を示す作品を展示しました。織田東禹《コロポックルの村》(1907、明治40年)は、アイヌの伝承に「蕗の葉の下に住む人」として登場する「コロポックル」を日本の石器時代の先住民とする、人類学者の坪井正五郎による学説に基づいて描かれました。織田はこの作品を明治40(1907)年の東京勧業博覧会に出品し、美術館での展示を希望しましたが、美術部門の審査員は類例のない表現に戸惑って同作の審査を拒否し、結局同作は「教育、学芸」の資料として展示されました。当時、「美術」という概念は形成途上にあり、《コロポックルの村》の扱いには出品者側と審査員側の認識の違いが表れたといえます。同作をめぐり、文化史的な視点からの考察と、考古学や文化人類学側からの考察をまじえた学際的な研究会を9月6日に当研究所で行いました。
最後に、同展では黒田清輝の遺産によって昭和5(1930)年に創立した「美術研究所」を前身とする当研究所の所蔵資料を展示しました。黒田は遺産の一部を「美術奨励事業」に充てるようにという遺言を残しましたが、その内容を具体化したのは美術史家の矢代幸雄でした。イギリスとイタリアに留学してルネッサンス美術を研究した矢代が大正14(1925)年に刊行した“Sandro Botticelli”(Medici Society)は、新鮮な視点を示した著作として高い評価を受けました。中でも、部分図に独自の美観を認める視点は当時の西洋美術史に新たな視点をもたらしました。「美術研究所」の構想において重視された美術写真の収集という方針は、現在の当研究所の資料収集にも継承されています。同展では“Sandro Botticelli”や『黒田清輝日記』など、当研究所の所蔵資料を展示し、美術研究における拠点としての同所の意義を紹介しました。
近代中国の書画史学―令和6年度第4回文化財情報資料部研究会の開催

1920、30年代は日本と中国の美術交流を考えるうえで、きわめて重要な時代です。この少し前、日本では大村西崖(1868~1927)や中村不折(1866~1943)などによって中国絵画史学が形成されつつありました。近年、東京美術学校教授であった西崖が遺した『中国旅行日記』等の史料によって、日中の美術交流の諸相が明らかにされつつありますが、日中双方の社会情勢および美術界の動向をふまえた研究がもとめられています。
令和6(2024)年7月23日に開催された文化財情報資料部研究会では、文化財情報資料部客員研究員の後藤亮子氏が「余紹宋と近代中国の書画史学」と題した研究発表を行いました。後藤氏は西崖の『中国旅行日記』の研究に長年従事し、その調査の過程で、この時期が中国美術史学の展開においても重要な時代であったことに着目しました。そこで、日本への留学経験があり『書画書録解題』(1931年刊)の著者である余紹宋(1883-1949)に焦点をあて、余紹宋と日本との関わりと近代中国の書画史学の形成について論じました。
余紹宋は1920~30年代前後に活躍した史学家です。その著書『書画書録解題』は、中国の書画関係文献に関する初の専門解説書かつ必須参考文献として今日も高く評価される一方、余紹宋その人についての情報は極めて限られる状況が長く続きましたが、近年『余紹宋日記』その他の資料が公開され、中国の近代化におけるその役割が研究対象となりつつあります。余紹宋は明治38 (1905)年に日本に留学し、法学を修め、帰国後は官僚となりました。大正10(1921)年には政府の司法次長となります。いっぽうで湯貽汾(1778~1853)の孫に絵を学び、画史や画伝を博捜して徐々に美術界にも足跡を残すようになりました。昭和2(1927)年には官職を退き、学者、書画家、美術家として生きました。
後藤氏は、余紹宋の生涯とかれの画学研究、さらに書画の実践をたどりながら、先述の『書画書録解題』のみならず、『画法要録』(1926年刊)、美術報『金石書画』(1934-37年刊)などの著作を読み解き、中国美術史学における位置づけを検討しました。日本を通して西洋的知見を習得した余紹宋が国故整理運動と呼ばれる復古的なアプローチで伝統的な中国書画文化にクリティカルな目を向け、それが中国美術研究の近代化の礎石のひとつとなったと論じました。研究会は所外の専門家の方々にもご参会いただき、近代中国および日本における中国美術史学、東洋美術史学の成立過程に関する有意義な意見交換が行われました。
ストライプハウス美術館 / ストライプハウスギャラリー旧蔵資料の目録公開


このたび、研究プロジェクト「近・現代美術に関する調査研究と資料集成」の一環で、「ストライプハウス美術館 / ストライプハウスギャラリー旧蔵資料」の目録をウェブサイトに公開しました。
ストライプハウス美術館は、昭和56(1981)年5月、写真家塚原琢哉と塚原操が、東京都港区六本木5丁目に設立した私設美術館で、現代美術を中心とする物故作家の全貌展や若手作家の個展を多く開催しました。また、作家の発掘に定評があり、美術作品の展覧会だけでなく、ミニライブ、一人芝居、落語会、朗読会などを定期的に開催したことでも知られています。平成12(2000)年に美術館が閉鎖したのち、平成13(2001)年12月からは、ストライプハウスビル3階でギャラリーを運営しています。今回、目録を公開した資料群は、平成22(2010)年ころに笹木繁男(1931-2024)の仲介で同ギャラリーから東京文化財研究所に寄贈されたもので、各イベントごと、あるいは各作家ごとにまとめた、およそ300通の封筒で構成されています。そのなかには記録写真やプレスリリースなども納められており、当時の新聞・雑誌などのメディアによる報道には記録されない、重要な事実を見出すこともできるでしょう。
研究プロジェクト「近・現代美術に関する調査研究と資料集成」では、日本の近・現代美術の作品や資料の調査研究を行い、これに基づき研究交流を推進し、併せて、現代美術に関する資料の効率的な収集と公開体制の構築も目指しております。この資料群は資料閲覧室で閲覧できますので、現代美術をはじめとする幅広い分野の研究課題の解決の糸口として、また新たな研究を創出する契機として、ご活用いただければ幸いです。
◆資料閲覧室利用案内
https://www.tobunken.go.jp/joho/japanese/library/library.html
アーカイブズ(文書)情報は、このページの下方に掲載されています。実際の資料は資料閲覧室でご覧いただけます(事前予約制)。
◆ストライプハウス美術館 / ストライプハウスギャラリー旧蔵資料
https://www.tobunken.go.jp/joho/japanese/library/pdf/archives_StripedHouseMuseumofArt.pdf
早稲田大学文学部アジア史コースの一行を迎えて(資料閲覧室)

令和6(2024)年5月11日、早稲田大学文学部アジア史コースの一行が、東京文化財研究所の資料閲覧室を訪問しました。柳澤明氏(教授、清朝史)、柿沼陽平氏(教授、中国古代史)、植田喜兵成智氏(講師、朝鮮古代史)が引率する大学院生・学部生の一行は、文化財情報資料部文化財アーカイブズ研究室研究員・田代裕一朗による案内説明を受けながら、昭和5(1930)年以来集められてきた当研究所の蔵書、そして所蔵拓本を興味深く見学しました。
文化財アーカイブズ研究室は、文化財に関する資料情報を専門家や学生に提供し、資料を有効に活用するための環境を整備することをひとつの任務としております。世界的に見ても高い価値を誇る当研究所の貴重な資料が、美術史研究だけでなく、アジア史研究、ひいては歴史学研究全般で広く活用され、人類共通の遺産である文化財の研究発展に寄与することを願っております。
※文化財アーカイブズ研究室では、大学・大学院生、博物館・美術館職員などを対象として「利用ガイダンス」を随時実施しています。ご興味のある方は、是非案内(資料閲覧室_利用ガイダンス (tobunken.go.jp)) をご参照のうえ、お申込みください。
行政機関で作成された映像資料とその関連資料の管理と利用可能性―令和6年度第2回文化財情報資料部研究会の開催

米国ワシントンD.C.にある国立公文書記録管理局(National Archives and Records Administration)は、歴史的価値を有する国の記録史料の保存と管理を担うナショナル・アーカイブズです。昭和9(1934)年に設立された同館は、「独立宣言」「合衆国憲法」「権利章典」という、いわゆる「自由の憲章」のほか、外交文書、戦争関係文書、移民記録、従軍記録など、国の「記憶」となる史料を保管しています。収蔵資料は、135億枚の文書、4億5千万フィート以上のフィルム、4千100万枚の写真、4千万枚の空中写真、1千万枚の地図や建築技術図面、837テラバイトに及ぶ電子記録など、非常に多様である点に特徴があります(令和5〔2023〕年10月時点)。
同館では、映像資料それ自体(映画フィルムやビデオ等)とともに、長年にわたり、これらの制作過程が記録された関連資料の移管も受入れてきました。令和6(2024)年5月14日に開催された文化財情報資料部研究会では、令和4(2022)年8月に実施したこれら関連資料の現地調査成果について、文化財情報資料部アソシエイトフェロー・山永尚美が「行政機関で作成された映像資料とその関連資料の管理と利用可能性について」と題して報告を行いました。
同館アーキビストへの照会を通じて得られた文書記録シリーズ登録簿(Textual records series register, 1990)の情報によると、特殊メディア(Special Media)を扱う新館(ArchivesⅡ)にはシリーズ単位で約300に及ぶ関連資料の所蔵があり、近年はそのデジタル化も進められていました。プロダクション・ファイル、台本、書簡、索引カード、インタビューの文字起こしなど、多岐にわたる関連資料の内容について撮影写真も交えて報告し、その後の質疑応答では、制作活動に伴って生みだされる記録の保存や管理の必要性について様々に意見が交わされました。この議論をもとに、作品や文化財の文脈を保証する記録の保存に貢献すべく、引きつづき検討を重ねてまいります。
島﨑清海旧蔵資料の目録公開及び閲覧提供開始


この度、「島﨑清海旧蔵資料」の目録を東京文化財研究所のウェブサイトに公開し、資料閲覧室で当該資料の閲覧提供を開始しました(事前予約制)。美術教育者の島﨑清海(1923~2015)が保管していた創造美育協会関係資料は、ご遺族の意向で令和5(2023)年3月当研究所に寄贈されました。
創造美育協会(以後「創美」)は、昭和27(1952)年に設立された民間による美術教育団体で、島﨑は昭和32(1957)年から昭和47(1972)年まで創美の本部事務局長を務めていました。彼は、退任後も根気強く同協会の活動を見守り、後世に残す努力を続け、創美の初期から2000年代にかけて資料を保管していました。そのことを伝える資料として、初期の創美会員・浅部宏をはじめ数名の談話がまとめられた島﨑私製の冊子(島﨑資料A-531)には、「創美創立当時のことを知る人が少なくなり、今、記録を残しておかなくては、それを後世に伝えることができなくなる」と記し、関係者に冊子を配布していました。創美の活動を後世に伝えることを誰よりも島﨑が望んでいました。
「島﨑清海旧蔵資料」の受贈後、資料の閲覧提供に向けた準備が、文化財情報資料部近・現代視覚芸術研究室長・橘川英規と元研究補佐員・田村彩子の助言で進められ、アシスタント・鎌田かりん氏と神尾雛希氏、元アシスタント・田口ことの氏が資料整理を担当しました。資料は、「A.創造美育協会発行資料類」「B.書簡」「C.スケジュール帳・日記」に分類し、計19個の保存器材で保管しています。
ご遺族並びに関係者皆様のご尽力を賜わり、このようなかたちで後世につなぐことが出来たことを心より感謝申上げます。島﨑の熱意のこもった資料が、少しでも多くの人の目に触れ、国内外の美術教育等の研究がより盛んになることを切に願っています。
◆資料閲覧室利用案内
(東文研_資料閲覧室利用案内 (tobunken.go.jp) )
アーカイブズ(文書)情報は、このページの下方に掲載されています。実際の資料は資料閲覧室でご覧いただけます(事前予約制)。
◆島﨑清海旧蔵資料
(archives_Shimazaki_Kiyomiö w.xlsx (tobunken.go.jp) )
研究滞在の報告―セインズベリー研究所とイギリス国内の視察―令和6年度第1回文化財情報資料部研究会の開催


文化財情報資料部文化財アーカイブズ研究室長・米沢玲は、イギリス東部のノリッチに所在するセインズベリー日本藝術研究所に令和5(2023)年10月から令和6 (2024)年2月にかけて客員研究員として滞在しました。
(セインズベリー日本藝術研究所での協議と講演会、ロンドンにおける関連施設の視察 :: 東文研アーカイブデータベース (tobunken.go.jp))
滞在中にはイーストアングリア大学に付属するセインズベリーセンターやロンドン大学東洋アフリカ学院で講演会やギャラリートークを行ったほか、大英博物館での日本美術作品の調査やイギリス国内各地の美術館・博物館、図書館やアーカイブ関連施設の視察を行いました。
令和6(2024)年4月30日に開催された文化財情報資料部研究会では、米沢が現地で行った調査・視察について報告しました。コートールド美術研究所のウィット・ライブラリーで進行中の画像デジタル化のプロジェクトを紹介したほか、オックスフォード大学ボドリアン・ライブラリーの修復工房での視察の様子を、写真を交えて報告しました。ウィット・ライブラリーは矢代幸雄(1890~1975)が美術研究所(東京文化財研究所の前身)の設立にあたって参考とした施設でもあり、約220万点の絵画や素描、彫刻作品の写真と複製、切り抜きが所蔵されています。膨大な資料のデジタル化の作業には200名から成るボランティア・チームが取り組んでおり、同じく様々な資料を所蔵している東文研でも今後の運営の手がかりになる事例と言えます。また、ナショナル・リヴァプール・ミュージアムやダリッジ・ピクチャー・ギャラリーで行われている高齢者を対象としたプロジェクトを取り上げて、イギリスの社会におけるミュージアムの在り方について考察しました。今回の滞在ではイギリス国内の28か所の美術館・博物館と10か所の図書館・アーカイブ施設を訪問しました。所蔵資料のデジタル化やアクセシビリティの担保、高齢化社会における文化施設の役割など、参照すべき課題も数多く、報告の後に行われた質疑応答では活発な意見交換がなされました。
山口蓬春と大和絵―“新古典主義”の見地から―令和5年度第10回文化財情報資料部研究会の開催

山口蓬春(1893~1971)は戦前の帝展や戦後の日展を舞台に活躍した、昭和を代表する日本画家のひとりです。東京美術学校(現在の東京藝術大学)で松岡映丘に師事、映丘門下の画家からなる新興大和絵会のメンバーとして、大正15(1926)年に帝国美術院賞を受賞した《三熊野の那智の御山》(皇居三の丸尚蔵館蔵)等、大和絵の古典に学んだ濃彩による風景画で注目を集めた蓬春ですが、昭和に入ると余白を生かした淡麗な色調の花鳥画を制作するようになります。3月7日に開催された文化財情報資料部研究会では「山口蓬春と大和絵―“新古典主義”の見地から」と題して、昭和戦前期における蓬春の作風の変化をめぐり、文化財情報資料部上席研究員・塩谷純が発表を行ないました。
当時の蓬春の言葉をひもとくと、彼が大和絵をきわめて客観的な精神に基づいた表現としてとらえていたことがわかります。一方で蓬春は安田靫彦や小林古径といった、日本美術院のいわゆる“新古典主義”的作風の画家たちによる作品を高く評価し、自身も彼らの作風を彷彿とさせる花鳥画を描くようになります。この時期の蓬春は、当時の靫彦や古径と同様に、大和絵にとどまらない東洋画に広く学びつつ、そうした古典の素養に裏打ちされたリアリティを追求していたと考えられます。
本研究会では山口蓬春記念館副館長兼上席学芸主任の笠理砂氏にご参加いただき、コメンテーターとして蓬春の画業についてご発言いただきました。その後、所外の研究者も交えてディスカッションを行ないましたが、一切のものを自分の見たもの感じたものとして描く、という蓬春の姿勢が戦後も貫かれ、さらにその弟子筋にも今日に至るまで伝えられている、との指摘は印象に残りました。
近代コレクター原六郎の知られざるコレクション―令和5年度第11回文化財情報資料部研究会の開催


明治時代を代表するコレクターのひとりに原六郎(1842~1933)がおります。原六郎は但馬国(現在の兵庫県)に生まれ、維新活動の功によって鳥取藩士となり、明治政府の援助でアメリカへ留学、さらにイギリスにて銀行学を修めました。帰国後、銀行家として名を成し、公共事業に尽力しました。そのかたわらで古美術を保護し蒐集活動を行いました。その優れたコレクションの大部分は原家が保持し、昭和52(1977)年に公益財団法人アルカンシエール美術財団が設立され現在にいたっています。
財団に寄贈された原家のコレクションは今日、現代アートを主軸として原美術館ARC(群馬県)にて展観されています。現代アートの公開は昭和54(1979)年に原家私邸を改修して開館した原美術館(東京都品川区)にはじまります。惜しくも令和3年(2021)に品川の原美術館が閉館されることとなり、これにともなって同地にのこされていた文化財の再調査が行われました。このとき発見された作品は100件以上にのぼり、それら新出作例は財団へ寄贈されました。
このたび新出作例のうち旧日光院客殿障壁画関連作例「野馬図」二幅について調査する機会をいただき、令和6(2024)年3月26日に開催された文化財情報資料部研究会にて、東京国立博物館アソシエイトフェロー・小野美香氏が「原六郎コレクションの新たな展開―三井寺旧日光院客殿障壁画研究を契機として―」と題して同コレクションの概要と今後の展望について報告しました。つづいて文化財情報資料部日本東洋美術史研究室長・小野真由美が「新出の野馬図について―旧日光院客殿障壁画との関連から―」と題して同図の造形的特徴について報告しました。質疑応答では障壁画の配置や作者の比定などについて議論されるとともに、原六郎コレクションについても高い関心が寄せられました。これを契機として、同コレクション全体を俯瞰し、原六郎とその古美術保護の意義をふまえた新たな学術調査へと展開していければと考えています。
書庫改修の完了


東京文化財研究所では、各研究部門が収集してきた図書・写真等資料などを、おもに資料閲覧室と書庫で保管し、資料閲覧室を週3日開室し、外部の研究者に対しても閲覧提供しています。
当研究所が平成12(2000)年に現在の庁舎に移転してから24年ほどの間、図書・写真等資料は日々収集され、近年では旧職員や関係者のアーカイブズ(文書)をご寄贈いただく機会も増えました。そのように所蔵資料が充実していく一方、遠くない将来、書架が飽和状態となる可能性が問題となりました。この状況に対して、このたび「アーカイブ増床・保存環境適正化事業」の一環として、電動式書架の設置工事などを行いました。
去る令和4(2022)年度に、庁舎2階書庫の床面積1/4分のスペースの固定式書架を電動式書架に取り替え、さらに今回の工事では、その残り(床面積3/4分)のスペースに設置されていた固定式書架を、電動式書架に取り替えました。令和6(2024)年1月11日に着工したのち、書籍の搬出、固定式書架の撤去、電動式書架用レールの敷設、電動式書架の設置、書籍の再配架という工程を経て、3月27日に改修工事が完了しました。固定式書架16台(1,900段、書架延長1,615m)が設置してあったスペースに、新たに電動式書架29台(3,500段、書架延長2,975m)を設置したことで、その収容能力はおよそ1.8倍となりました。また、この事業では、併せて除湿機のリプレイス、写真フィルム保存のためのキャビネットの導入も行いました。
工事期間中、外部公開を一時停止したことにより、資料閲覧室の利用者のみなさまには、ご不便をお掛けいたしましたことをお詫び申し上げます。今回の書庫整備によって、引き続き、文化財研究に資する専門性の高い資料を継続的に収集し、それらを後世に伝え、有効に活用していくための活動を展開してまいります。今後とも、当研究所の文化財アーカイブズをご活用いただけましたら幸甚です。
今泉雄作『記事珠』のウェブ公開

一瞬で対象を記録することのできる写真は文化財の調査にとって有効な手段です。しかし、撮影技術が普及する前は、手書きのメモやスケッチで対象を記録するしかありませんでした。写真と比べて時間のかかるメモやスケッチは、多くの場合、対象の一部の要素や特徴についての記録となります。それは不完全な記録といえるかもしれません。しかし、取捨選択された要素のみが書きとめられた記録は、当時の記録者が文化財のどこに価値や特徴を見出していたのか、言い換えれば、その文化財がなぜ今にいたるまで残されてきたのかを考える上で貴重な資料といえます。
こういった手書きの調査記録の一端に連なる今泉雄作(1850~1931年)『記事珠』の詳細については既にご報告している通りですが(https://www.tobunken.go.jp/materials/katudo/203289.html)、この度第一冊目を東京文化財研究所のウェブサイトに公開いたしました(https://www.tobunken.go.jp/materials/kijisyu)。公開にあたっては、全文をテキストデータとして書き起こし、検索機能を実装いたしました。また、手控えという性質上、筆者である今泉にとって自明のことは記載されていないため、可能な範囲で注釈を加え、さらに記録対象の情報がインターネットで公開されている場合、リンクを張るなどして情報の補足を行いました。
書き起こしテキストの表示については、原文との比較が容易なよう、ブラウザ上でも縦書きになるよう設定いたしました。画像と縦書きの書き起こしテキストが同時に確認できるよう努めましたが、改行の都合でかえって見えにくい場合もあるかと思われます。今後も縦書き表示の資料の公開に備えて、レイアウトや技術的な検証を続けてまいります。
ColBase、ジャパンサーチとのデータベース連携

東京文化財研究所では、昭和5(1930)年の設立以来、多くの文化財の調査および資料の収集を続けて参りました。近年は調査で撮影した画像や収集した資料のデジタル化を行い、当研究所のウェブサイトで公開しています。これらの調査写真ですが、例えば、設立当初に撮影された画像は白黒であり、その色彩を伝えることはできません。しかし、かつての姿をとどめるその画像は、文化財がどのような状態で保存されていたのか、あるいは現在の姿と比較してどのように修復されたのか、といったことを伝える貴重な資料であり、興趣が尽きるところがありません。
これらをより活発にご利用いただけるよう、日本の様々なデジタルアーカイブを横断検索するプラットフォームであるジャパンサーチ、また4つの国立博物館と2つの研究所、そして皇居三の丸尚蔵館で構成される国立文化財機構の所蔵品統合検索システムであるColBaseとの連携を開始いたしました。連携データベースの追加やデータの登録についても、随時作業して参りますので、他機関の所蔵する様々なデータと比較しながら、当研究所のデータをご利用いただければ幸いです。
- ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)への登録データベース
- ガラス乾板データベース(https://colbase.nich.go.jp/organizations/6)
- ジャパンサーチ(https://jpsearch.go.jp/)への登録データベース
- 尾高鮮之助調査撮影記録 (https://jpsearch.go.jp/database/tnricp_odaka)
- 和田新調査撮影記録 (https://jpsearch.go.jp/database/tnricp_wada)
- 売立目録 (https://jpsearch.go.jp/database/tnricp_uritate)
韓国・国立朝鮮王朝実録博物館の一行を迎えて (資料閲覧室)

令和6(2024)年3月21日、韓国・国立朝鮮王朝実録博物館(江原道平昌郡)の一行が、東京文化財研究所の資料閲覧室を訪問しました。同館は、韓国・文化財庁傘下の機関で、令和5(2023)年11月に開館し、朝鮮王朝実録 五台山史庫本 75冊(ユネスコ世界記録遺産)、朝鮮王朝儀軌 82冊などの歴史資料(典籍)を主に所蔵しています。
金大玄氏(行政事務官)をはじめとする一行は、文化財情報資料部文化財アーカイブズ研究室長・橘川英規と文化財情報資料部研究員・田代裕一朗による案内説明を受けながら、昭和5(1930)年以来集められてきた当研究所の蔵書を興味深く見学しました。さらに資料類を保存活用する機関という共通点のもと、資料保存とアーカイブ事業をめぐる双方の現状と課題について、積極的に意見を交換しました。
文化財アーカイブズ研究室は、文化財に関する資料情報を専門家や学生に提供し、資料を有効に活用するための環境を整備することをひとつの任務としております。それは海外の専門家や学生に対しても例外ではありません。世界的に見ても高い価値を誇る当研究所の貴重な資料が、広く活用され、人類共通の遺産である文化財の研究発展に寄与することを願っております。
※文化財アーカイブズ研究室では、大学・大学院生、博物館・美術館職員などを対象として「利用ガイダンス」を随時実施しています。ご興味のある方は、是非案内(https://www.tobunken.go.jp/joho/japanese/library/application/application_guidance.html) をご参照のうえ、お申込みください。
清宮質文資料の受贈


清宮質文(1917~1991)は、静謐で詩的な心象世界を木版画やガラス絵で表現した作家として知られています。その抒情豊かな作品に魅了される方も多いことでしょう。
この度、清宮が遺した手記・日記および写真等の資料を、ご遺族より東京文化財研究所にご寄贈いただきました。手記の中には、作家自製のノートである「雑記帖」「雑感録」「画題控」が含まれています。それらは制作の合間になかば息抜きのように作られ、綴られたもので、清宮の器用で几帳面な一面をしのばせるとともに、作品にひそむ思索の軌跡をたどる上で貴重な一次資料といえるでしょう。整理のため、公開までしばらくお時間をいただきますが、今回の資料受贈が清宮質文研究の進展に大きく寄与することを願っています。
WordCamp Kansai 2024への参加


東京文化財研究所では、平成26(2014)年にウェブコンテンツ管理システムであるWordPress(https://ja.wordpress.org/)を利用した文化財情報データベースを開発し、運用を継続しております(https://www.tobunken.go.jp/archives/)。WordPressはブログ管理システムとして開発されましたが、当研究所では開発や運用の柔軟性を評価し、データベースを公開するシステムとして利用しています。
そのWordPressの開発者や利用者が一堂に会するカンファレンスとして平成18(2006)年に始まったWordCamp(https://central.wordcamp.org/)は、現在までに65ヶ国で、1,200回を超えて開催されています。この度、令和6(2024)年2月24日に神戸で開催されたWordCamp Kansai 2024(https://kansai.wordcamp.org/2024/)にて、「WordPressコンテンツのリニューアルと採用システムの選定について」と題し、当研究所のWordPressの10年間の運用で生じた課題とリニューアルに向けた要件の整理などについて文化財情報資料部主任研究員・小山田智寛が発表を行いました。発表後、
- 開発会社に外注しようとしても難しい
- どのような体制で運用しているのか
- (WordPressの)バージョンアップの際にトラブルはないのか
といったご質問やご感想をいただき、活発な意見交換をすることができました。
インターネット上で情報公開を行うことが当たり前となった今、当研究所で運用しているシステムについての課題や運用のノウハウなどは、分野を超えて広く共有できるものと考えております。今後も、このような情報を発信することそのもので得た知見について共有する機会を持つように努めてまいります。