桑山玉洲と岩瀬広隆の絵具・絵画作品における彩色材料分析と絵画表現―第5回文化財情報資料部研究会の開催

桑山玉洲(1746~99)と岩瀬広隆(1808~77)は、江戸時代に和歌山で活躍した画家で、いずれも、彼らが使用した画材道具を残しています。これらの画材道具には、さまざまな絵具類が含まれており、江戸時代の絵具としての彩色材料が具体的に明らかになる点できわめて意義深いものです。また、彼らが描いた絵画作品も多く現存し、実際の絵画作品に用いられている彩色材料と、画材道具に含まれる絵具を比較できるという意味で、貴重な研究対象となります。
令和4(2022)年9月15日に開催された第5回文化財情報資料部研究会は、こうした玉洲と広隆の絵具・絵画作品についての彩色材料分析に関する中間報告として、オンラインを併用して研究所内で開催されました。まず、早川泰弘(副所長)が、両者の彩色材料に関する蛍光X線分析や可視反射分光分析の結果を報告し、分析によって明らかになった白色顔料における胡粉と鉛白の併用など、新知見や今後の課題を提示しました。続く安永拓世(文化財情報資料部・広領域研究室長)の発表は、玉洲の「渡水羅漢図」を例に、その典拠となった作品との比較に基づいて、人物の顔における白色顔料の使い分けや、裏彩色の問題を考察したものです。さらに、近藤壮氏(共立女子大学)は、浮世絵師から復古大和絵派の絵師になった広隆の経歴を紹介し、「羅陵王・納蘇利図」を例に、広隆の画業と彩色材料の関連性について検討を加えました。
発表後には、発表者三名によるディスカッションと質疑応答がおこなわれ、分析結果の解釈などについて活発な議論が交わされたところです。玉洲や広隆が活躍した18世紀中ごろから19世紀中ごろは、彩色材料の変遷を知るうえで重要な時期ですが、絵具・絵画作品ともに彩色材料の分析事例は少ないため、こうした研究により、江戸時代中後期の彩色材料に関して具体的な解明が進むことも期待されます。
文化財の記録作成に関するセミナー「記録作成と情報発信・画像圧縮の利用」の開催



文化財情報資料部文化財情報研究室は、標記のセミナーを令和4(2022)年9月2日に東京文化財研究所地下セミナー室にて開催しました。令和4(2022)年4月に成立した「博物館法の改正に関する法律」では、博物館資料に係る電磁的記録(デジタルアーカイブ)の作成と公開が博物館の役割に加えられました。また、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、文化財の現場や展示施設の訪問が難しい状況が続き、ウェブなどの仮想空間での展示の需要がこれまで以上に高まっています。
このような状況に鑑み、セミナーでは、渡邉直登氏(仙台市歴史民俗資料館学芸員)から、コロナ禍での生出森八幡神社の例祭や神楽の伝承に関する映像記録作成とYouTubeでの発信について、今野咲氏(東北福祉大学芹沢銈介美術工芸館学芸員)から、展示室の様子や作品解説などを館のウェブサイトで公開する取り組みについてお話しいただきました。また、今泉祥子氏(千葉大学大学院工学研究院准教授)には、画像や映像の圧縮の原理や、利用の際の留意点に関するご講演をいただきました。
今泉准教授は、圧縮にはデータ容量を減らす効果がある一方、画像や映像の質が低くなるデメリットがあることを視覚的に提示し、渡邉学芸員、今野学芸員は、補助金などの公的支援や地元の方の協力を得つつ、組織内の人材や機材、無償のソフトウェアを活用し自前で情報発信を行う手法を具体的に紹介しました。いずれのご講演も身近な課題の解決に向けて有益な示唆を与える内容で、参加者からも多くの質問が寄せられました。
文化財情報研究室では今後も様々な媒体を通じて、文化財の記録作成や情報発信について、実務に活用可能な情報を提供してまいります。
岸田劉生による油彩画の光学調査


大正期を中心に活動した画家の岸田劉生(1891-1929)は、油彩画を主な媒体とし、《道路と土手と(切通之写生)》(大正4〈1915〉年、東京国立近代美術館蔵)、《麗子微笑》(大正10〈1921〉年、東京国立博物館蔵)という2点の重要文化財指定品を含む、数々の名作によって知られています。彼の描いた静物画は、厳密な画面構成、机のひび割れや果物のしみまで描く密度の高い描写などを特徴とし、洋画家のみならず日本画家や写真家などにも、広く影響を与えました。しかしその中には、画中に描きこまれた人間の手が「不気味だ」と言われ展覧会に落選した《静物(手を描き入れし静物)》(大正7〈1918〉年、個人蔵)という評価を二分する作品があり、その評価は画家像をも左右します。そしてこの作品は、問題視された「手」が何者かによって消されてしまうという謎めいた経緯を経て現存します。「手」がどのような経緯で消されたのか、またこの作品は岸田による他の静物画とどのような関係を持つのかという問いのもとに、令和4年度を通じ、国内の様々な機関や個人のご協力を得ながら、静物画4点の光学調査を行いました。本調査は「第56回オープンレクチャー かたちを見る、かたちを読む」における口頭発表、吉田暁子「岸田劉生による静物画 ー『見る』ことの主題化」の準備調査として行ったものです。
調査内容は、文化財情報資料部専門職員・城野誠治による近赤外線撮影(反射・透過)、蛍光撮影、紫外線撮影を中心とし、《静物(手を描き入れし静物)》については保存科学研究センター分析化学研究室長・犬塚将英によるX線撮影をも行いました。その結果、《静物(手を描き入れし静物)》については画中に隠された「手」を含む画面全体の画像を得た他、それ以外の作品においても、モティーフを動かして描き直した痕跡を持つものが複数存在することが分かりました。このことは、岸田劉生による絵画制作の工程について、新たな情報をもたらす発見だと言えます。詳細な内容は、上記オープンレクチャーにおいて報告します。
セインズベリー日本藝術研究所での活動

イギリス・ノリッジにあるセインズベリー日本藝術研究所(以下、セインズベリー研究所、Sainsbury Institute for the Study of Japanese Arts and Cultures; SISJAC)は欧州における日本芸術文化研究の拠点として欧米の関係者にはよく知られた研究機関です。東京文化財研究所とは2013年7月に共同事業「日本芸術研究の基盤形成事業」に関する協定を結び、以来、主に欧米の日本美術の展覧会や日本美術に関する書籍・文献の英語情報の提供を受けています。
今回、サバティカル渡英中の文化財情報資料部客員研究員の津田徹英(青山学院大学文学部教授)は、7月8、9日の日程でセインズベリー研究所が主催するオンライン・ワークショップ “Absence, Presence, and Materiality: Refiguring Japanese Religious Art and Culture(邦訳:モノとしての不在と顕在:日本の宗教芸術と文化の再構築)”に参加し、第二日目に”Reinterpreting Esoteric Buddhist Sculpture in Nara period(8th century)邦訳:奈良時代(8世紀)における密教彫刻再考”のタイトルで口頭発表を行いました。同発表では空海によって平安時代(9世紀初頭)に密教が日本にもたらされる以前の奈良時代後半において密教が流入・受容されており、既に明王像の造像が行われていたことを具体的な現存作例を挙げながら、その作例の存在意義に及んだものです。このワークショップは日本時間を基準にして開催されました。そのため欧米では時差のため深夜・早朝での開催となってしまいました。にもかかわらず聴講者は欧米を中心にロシア・台湾にまで及んで両日でのべ72人の参加者がありました。改めて世界各地に日本の宗教文化に関心を寄せる研究者が少なからずいることを実感いたしました。
また11日には、同研究所を管轄するイーストアングリア大学(UEA)セインズベリーセンター内のミュージアムが所蔵している80点にも及ぶ縄文時代から中世に及ぶ日本美術(彫刻・工芸)のコレクションについて、すべての作品に解説を付すべく、その要請がセインズベリー研究所より津田にあり、そのための熟覧調査を同研究所所員の松葉涼子氏とともに行い意見交換をいたしました。このコレクションについては日本ではほとんど無名ですが、仏教美術に限ってもそれらのなかには奈良時代(8世紀)の金銅仏や平安中期(10世紀)の菩薩坐像など小像ながら佳品が含まれています。かつ、そのいくつかは東京文化財研究所の売立目録アーカイブとも照合が可能なものです。
あわせて同日午後2時よりロンドンにある在英国日本大使館の伊藤毅公使の展示品の視察があり、松葉涼子氏とともに津田が解説を行い、公使は熱心に作品を見ながら解説に耳を傾けられておられました。
エントランスロビーパネル展示「タイ・バンコク所在王室第一級寺院 ワット・ラーチャプラディットの漆扉」の開始

東京文化財研究所では、調査研究の成果を公開するため、1階エントランスロビーでパネルを用いた展示を行っており、令和4(2022)年7月28日からは標記の展示が新たに始まりました。
タイの王室第一級寺院の一つであるワット・ラーチャプラディットは、「首都には三つの主要な寺院を置く」というタイの伝統に基づき、首都バンコクの三つ目の主要な寺院として、1864年にラーマ4世王により建立されました。
ワット・ラーチャプラディットの拝殿の開口部の扉には、裏面に着色や線描を施した非常に薄い貝片を用いる伏彩色螺鈿や、着色した漆で図柄を立体的に表現する彩漆蒔絵により装飾された漆塗りの部材がはめ込まれています。特に伏彩色螺鈿による図柄は日本風であったことから、タイ文化省芸術局から、平成24(2012)年に漆扉部材修理に対する技術的な支援を依頼されました。そこで、状態、製作技法や材料を明らかにするため、平成25(2013)年10月に部材2点を東京文化財研究所に持ち込み、平成27(2015)年7月まで詳細な調査と試験的な修理を行ったほか、現地での調査を実施しました。併せて、漆扉部材の産地や漆工史上の位置付けを知るため、美術史学や音楽学、貿易史などの分野からの検討も行われました。これらの調査から、漆扉部材が日本で制作されたことが確実となり、現在は対象をタイにあるその他の日本製漆工品に広げ、研究を続けています。
パネル展示では、当研究所内外の様々な分野の研究者や研究機関が参加する共同研究を通じて、ワット・ラーチャプラディットの漆扉部材の制作技法や産地を明らかにする過程をご紹介しています。また、タイ所在日本製漆工品のいくつかもご紹介していますので、お近くにお越しの際はぜひお立ち寄りください(公開は祝日を除く月曜日~金曜日の午前9時~午後5時30分)。
報告書『Lacquered Door Panels of Wat Rajpradit – Study of the Japan-made Lacquerwork Found in Thailand –』の刊行

東京文化財研究所は平成3(1992)年から、タイの文化財の保存修復に関する共同研究をタイ文化省芸術局と実施しています。その一環として、タイ・バンコクの王室第一級寺院の一つであるワット・ラーチャプラディット(1864年にラーマ4世王により建立)の漆扉について、同局及び同寺院などタイの関係者による修理事業への技術的な支援を行ってきました。
文化財の修理を行う際には制作技法や材料等に関する調査が不可欠ですが、調査を通じてその文化財に関する多くの知見を得る機会ともなります。ワット・ラーチャプラディットの漆扉部材には、19世紀半ばを中心に日本からの輸出漆器に多用された伏彩色螺鈿の技法による和装の人物などの図柄が見られ、日本製であると考えられましたが、当初はそれを裏付ける確実な証拠は得られていませんでした。そこで、科学的な調査や、伏彩色螺鈿及び彩漆蒔絵で表現された図柄に関する調査を、当研究所内外の様々な分野の専門家が行ったところ、用いられた材料や技法及び図柄の表現から、漆扉が日本で制作された可能性が極めて高いことがわかりました。
令和4(2022)年3月に刊行した標記の報告書には、上記の研究成果に関する令和3(2021)年刊行の日本語版報告書所載の論考の英訳のほか、芸術局とワット・ラーチャプラディットによる寺院建立の経緯と寺域内の建造物などに関する論考が掲載されています。報告書は当研究所の資料閲覧室などでご覧になれますので、お手に取っていただけましたら大変幸いです。
「創立150年記念特集 時代を語る洋画たち ―東京国立博物館の隠れた洋画コレクション」展(東京国立博物館)について

東京国立博物館の創立150年記念事業の一環として、「時代を語る洋画たち ―東京国立博物館の隠れた洋画コレクション」展(平成館企画展示室、6月7日[火]~7月18日[月・祝])が開催されました。同展は、東京国立博物館列品管理課長・文化財活用センター貸与促進担当課長である沖松健次郎氏による企画であり、当研究所からは文化財情報資料部部長の塩谷純、同部研究員の吉田暁子が、準備調査への参加などの形で協力しました。
日本東洋の古美術コレクションのイメージが強い東京国立博物館(以下、東博)ですが、じつはその草創期から、欧米作家の作品を含む洋画も収集してきました。同展では、万国博覧会への参加や収蔵品交換事業といった活動によって各国からもたらされた作品が「Ⅰ 世界とのつながり」、最新の西洋美術を紹介し、国内での制作を奨励する目的で収集された作品が「Ⅱ 同時代美術とのつながり」、災害や戦争といった社会の動きに対応して収集された作品が「Ⅲ 社会・世相とのつながり」という章立てのもとに展示されました。
同展の準備段階では、沖松氏による作品選定と収集経緯等の調査に基づき、作品の実見調査と撮影、資料調査、関連作品の調査などが行われました。第3章に出品された「ローレンツ・フォン・シュタイン像」(オーストリア、1887年)の像主は、大日本帝国憲法の起草に寄与したドイツの法学者ですが、沖松氏の調査・声掛けに応じた関係者からの情報提供により、像主の長男のアルウィン・フォン・シュタインが作者であることが同定されました。またレンブラント・ファン・レインによる版画作品「画家とその妻」(オランダ、1636年)は、戦後の一時期に東博が担った、西洋の近代美術の紹介という役割に関連して収集されたと考えられるものです。今回の調査では、外部専門家の助言によって版の段階(ステート)を絞り込むことができました。この他にも資料調査や関連作品の調査を通じた発見があり、これまでまとまった形で紹介されてこなかった東博の洋画コレクションの意義を改めて認識することになりました。
7月16日には月例講演会「時代を語る洋画たち-東京国立博物館の隠れた洋画コレクション-」において、沖松氏、塩谷、吉田によるリレー形式の講演が行われました。
沖松氏による展覧会全体の構想と、調査段階で判明した事項の紹介に続く各論として、塩谷は洋画家黒田清輝を記念するために設立された黒田子爵記念美術奨励資金委員会が、今回展示された松下春雄「母子」(1930年)や猪熊弦一郎「画室」(1933年)を含む昭和戦前期の洋画作品を東博に寄贈した経緯について紹介しました。また吉田はベルギーの画家ロドルフ・ウィッツマンによる油彩画の「水汲み婦、ブラバンの夕暮れ」を中心に、ロドルフとジュリエットという、ともに画家であったウィッツマン夫妻の略歴と、白馬会展への出品に始まる日本との関わりについて述べました。
螺鈿の位相―岬町理智院蔵秀吉像厨子から見る高台寺蒔絵と南蛮漆器の関係―第4回文化財情報資料部研究会の開催

令和4(2022)年7月25日に開催された今年度第4回文化財情報資料部研究会では、特任研究員の小林公治が「螺鈿の位相―岬町理智院蔵秀吉像厨子から見る高台寺蒔絵と南蛮漆器の関係―」と題し、会場とオンラインによるハイブリッド方式で発表を行いました。
大阪府岬町に所在する理智院には、豊臣秀吉に仕え大名に取り立てられた忠臣、桑山重晴が造らせたと考えられる秀吉像蒔絵螺鈿厨子が伝えられています。この厨子は、その死後直ぐに神格化された秀吉の遺徳をしのびその恩に報いるため、桑山が自領に豊国神社を分祀する際に制作させたものと見られますが、厨子各面を高台寺蒔絵様式の平蒔絵文様で装飾するのみならず、高台寺蒔絵漆器にはまったく知られていない螺鈿装飾を伴っている点で特に注目されます。
本発表では、この厨子に表されている「折枝草花唐草文」「菊桐紋」「立秋草唐草文」という三種の文様について検討した結果、それぞれの歴史性や格の違いが蒔絵装飾への螺鈿の併用可否という点に強く影響したことを示しましたが、逆に言えばこのことは、この時期の日本における螺鈿という装飾技法の非一般的性格を意味し、さらに言えば、ヨーロッパ人の発注により輸出漆器として制作され、秋草文様や螺鈿装飾を一般的要件とした南蛮漆器の特殊な立ち位置を暗示していることになります。
また、南蛮漆器には不定形の貝片をランダムに配置した作例が広く知られていますが、これは螺鈿に不習熟であった職人の技量を示している、あるいはその粗雑な制作水準を示すといった理解がこれまで一般的でした。しかしながら、これと同様の螺鈿技法が秀吉追慕という思いで造られた理智院所蔵厨子にも認められることからすれば、この螺鈿表現が技量の低さや粗雑な制作といった否定的な存在であった可能性は明確に否定され、何らかの肯定的な意味を持っていたと見る必要が生じます。そこで筆者は平安時代以来、蒔絵と密接な関係性を持っていた料紙装飾に注目し、同時代の箔散らし作例を具体的に例示したうえで、このような美的感覚からの影響でこうした螺鈿表現が創出され、この秀吉像厨子や南蛮漆器の螺鈿技法に取り入れられたのではないか、という仮説を提示しました。
このように、当時の国内事情によって制作された理智院伝世秀吉像厨子の蒔絵螺鈿装飾の観察から南蛮漆器の装飾について考えると、そこには日本の伝統や日本人の好みで造られた漆器とは異なる独自性の強い漆器というその特異な性格が浮かび上がってきます。
当日は、小池富雄氏(静嘉堂文庫美術館)、小松大秀氏(永青文庫美術館)のお二人からのコメントに加え、会場内外の参加者からのさまざまな意見により幅広い討議がなされました。
茨木市立文化財資料館2022年度郷土史教室講座の講師

大阪府の茨木市立文化財資料館では毎年6回にわたって郷土史教室講座が開催されていますが、令和4年度の第1回講座には特任研究員の小林公治が講師に招かれ、同館にて7月16日(土)、「三つの聖龕と一つの厨子 千提寺・下音羽のキリスト教具が語るもの」という題名でお話ししました。
茨木市内北部に位置する千提寺・下音羽地区は、16世紀末にキリシタン大名であった高山右近の所領地となったことで多くの領民がキリスト教に改宗した土地です。またその信仰は江戸時代の厳しい禁教期を経て近現代まで伝えられてきたことから、かくれキリシタンの集落として広く知られています。この地域のキリシタン文化の大きな特徴は、各地の潜伏あるいはかくれキリシタン地域や集落には伝えられていない、奇跡的といっても過言ではないほど多種多様なキリスト教遺物が現在まで数多く伝えられてきたことであり、その一つとしては、現在は神戸市立博物館に所蔵されている重要文化財「聖フランシスコ・ザビエル像」がよく知られています。
国内におけるキリスト教信仰の実態を探るため、これまで筆者は同地に伝わる各種のキリシタン器物、中でもキリスト像や聖母子像といったキリスト教聖画の収納箱である聖龕を中心に調査研究を行ってきました。この地の聖龕は外面を黒色のみで塗装するシンプルなもので、その伝来経緯からも明らかに日本国内の信仰に関連するものですが、一方で欧米への輸出品としてヨーロッパ人によって日本の工房に注文され、蒔絵と螺鈿で豪華に装飾された同形の南蛮漆器聖龕が知られており、同じ機能を持つキリスト教具でありながら、両者は顕著な差を示しています。さらに、聖龕に収められている聖画には黒檀材製と推測され西洋式接合構造をもつ額縁や、蒔絵を用いた国内製の額縁がそれぞれ伴っており、その由来や制作技法は重要な問題をはらんでいると見られます。一方、厨子にはやはり黒檀と見られる黒色材の十字架に象牙製のキリスト像が磔刑されていますが、この像や厨子についてもこれまでほとんど関心を持たれることがなく、その制作地や年代などについてもいまだ明らかにされていません。
今回の講座では、こうした聖龕や厨子の実態や、それらの検討で明らかとなった桃山時代から江戸時代初期の日本国内でのキリスト教受容の実態や信仰のあり方をテーマとしましたが、新型コロナ感染再拡大のなか、抽選によって参加された約40名の方々からは熱心な質問も受け、この地のキリシタン文化や歴史に対する高い関心を伺うことができました。
当地に伝えられてきたキリシタン文化やその遺品は他に類のない貴重な歴史の道標です。報告者も引き続き調査を進め、今後も成果を報告発信していきたいと考えています。
資料閲覧室利用ガイダンスの開催―学習院大学大学院生を迎えて


令和4(2022)年7月1日、学習院大学大院生ら14名(引率:皿井舞教授、島尾新教授)を迎えて、当研究所の資料閲覧室利用ガイダンスを開催しました。今回の利用ガイダンスでは、まず庁舎2階研究会室で橘川が資料閲覧室の利用方法や蔵書構成について説明、その後、資料閲覧室と書庫に移動し、職員が売立目録デジタルアーカイブや文化財調査写真、売立目録をはじめ各種資料を紹介しました。参加者は実際にデジタルアーカイブを操作し、また蔵書・写真を手にとり、それぞれ自身の研究に、これらをどのように活用できるのかという視点から、熱心に職員の説明を聞き、また活発な質問が寄せられました。
文化財情報資料部文化財アーカイブズ研究室は、研究プロジェクト「専門的アーカイブと総合的レファレンスの拡充」において、文化財研究に関する資料の収集・整理・保存を行うとともに、文化財に関する専門家や学生らがこのような資料にアクセスしやすく、より有効に活用できる環境を整備することをひとつの任務としております。その一環として、今後も積極的に利用ガイダンスを実施していきます。受講を希望される方は、「利用ガイダンス」(対象:大学・大学院生、博物館・美術館職員、https://www.tobunken.go.jp/joho/japanese/library/application/application_guidance.html)をご参照の上、お申込みください。
北海道立北方民族博物館における研修会「文化財写真入門―文化財の記録としての写真撮影実践講座」の開催


文化財の記録作成(ドキュメンテーション)は、文化財の調査研究や保存、活用に必要な情報を得る行為です。記録作成の手段のうち写真は、色や形状といった視覚的な情報の記録に不可欠ですが、情報を正確に記録するには留意すべきことも多くあります。
そこで、文化財情報資料部文化財情報研究室では、令和4(2022)年6月2日に北海道立北方民族博物館(網走市)において、北海道内の文化財保護の実務に携わる方を対象に、同館と東京文化財研究所の共催で標記の研修会を開催しました。開催にあたっては、マスクの着用、参加者間の距離の確保、換気など、新型コロナウイルス感染防止対策が取られました。
当日は、午前中の文化財の記録作成の意義や文化財写真に関する講演の後、午後の部の最初に、文化財写真の目録の作成方法について実例を交えて紹介しました。次に、写真撮影について照明の扱い方を中心に解説し、使用済のスチレンボードとアルミ箔を使ったレフ板作りを参加者全員で行いました。さらに実習として、参加者が持参したカメラで照明に留意しながら館の収蔵品である木彫りの熊を撮影し、最後に、写真の撮影や整理に関する質疑応答を行いました。
文化財写真の撮影で多くの方が悩んでいるのが影の扱いです。今回の研修会では、自作のレフ板や比較的安価な機材を使い、文化財や作品の性質に応じて適切な位置に光を反射させることで、一つのライトでも自然な濃さや向きの影になる手法をお伝えしました。また、これまでにも多くのご質問をいただいた写真の整理や目録作成について、Windowsの基本機能やExcelを使った方法をご紹介し、実践的な内容になるよう心がけました。
本研修会は新型コロナウイルス感染症拡大の影響などにより、当初の予定より2年遅れでの開催となりました。根気強く開催をお待ちくださり、また多くの有益なご示唆をお与えくださった共催館の皆様、参加者の皆様に深く感謝いたします。
神護寺薬師如来立像と八幡神の悔過―第2回文化財情報資料部研究会の開催


京都・神護寺に伝来する薬師如来立像は、その特異な風貌と和気清麻呂(733–799)が発願したという来歴を持つことから、早くから美術史上で注目をあつめ、多くの議論が積み重ねられてきました。とりわけ、当初の安置場所が神護寺の前身である神願寺あるいは高雄山寺のいずれなのか、どのような経緯で造立されたのかということが、大きな論点となってきました。近年では、政敵であった道鏡(?–772)に対抗するために仏の力を必要とした八幡神の要請に応じた清麻呂が、神願寺の本尊として薬師如来を造像したとする皿井舞氏 の学説が広く支持されています。
令和4(2022)年5月30日に開催した文化財情報資料部研究会では、原浩史氏(慶應志木高等学校)が「神護寺薬師如来立像の造立意図と八幡神悔過」と題した発表を行いました。原氏は、神護寺像の当初の安置場所を神願寺とした上で諸史料を精読し、八幡神と道鏡との対立が後世に創作されたものであることを指摘し、神護寺像は八幡神が悔過を行うための本尊であり、清麻呂の私的な願意によって製作されたものと結論付けました。
研究会はオンラインを併用して研究所内で開催し、当日はコメンテーターとして皿井舞氏(学習院大学) をお招きしたほか、長岡龍作氏(東北大学)をはじめ、彫刻史を専門とする各氏にご参加をいただきました。質疑応答では、さまざまな意見が出され、活発な議論が交わされました。今回の発表は神護寺薬師如来立像の研究に新たな視点を加えるものであり、今後の議論の広がりが期待されます。
「日本美術の記録と評価―美術史家の調査ノート」ウェブ・コンテンツの公開



東京文化財研究所では図書や写真だけでなく、旧職員などの研究者の調査ノートや会議書類なども研究資料として保存活用しています。平成31年度から3年間、実施した基盤研究B「日本美術の記録と評価についての研究―美術作品調書の保存活用」(JSPS科研費JP19H01217)の成果の一部として、東京文化財研究所が所蔵する田中一松(1895–1983)資料と、京都工芸繊維大学附属図書館が所蔵する土居次義(1906–1991)資料のなかから代表的なノート類をウェブサイトで公開しました。
田中一松資料は、大正12(1923)年から昭和5(1930)年の東京帝国大学の受講ノートや作品調査ノートと、明治38(1905)年から大正3(1914)年にかけての小・中学生時代のスケッチブックなどについて紹介しています。田中一松は幼い頃から絵を描くことを好み、眼で見たものを即時に描き表す修練を積み重ね、その経験はのちの美術史家としての仕事にも活かされていたことがわかります。田中一松は半世紀以上にわたり文化財行政の中枢で活躍し、まさに浴びるように作品を見て、作品の評価を通じて日本絵画史研究を推進しました。
土居次義資料は、昭和3(1928)年から昭和47(1972)年の間の代表的な調査ノートと、京都帝国大学での受講ノートや昭和22(1947)年の俳句と写生による旅の記録などを紹介しています。土居次義は文献調査に加え、現地調査による作品細部の徹底した観察に基づき画家を判別し、寺伝などで伝承される画家の再検討を行い、近世絵画史研究に画期的な業績を残しました。
田中と土居の戦前の調査ノートからは、写真が気軽に撮れなかった時代に、いかにして自分が見たものの形や表現を記録するか、その記録の集積から作品の評価につなげていたかがうかがわれ、両者の営みは大正・昭和の美術にまつわる近代資料とも言えます。研究資料としてご利用いただければ幸いです。ただ眺めるだけでも眼を楽しませてくれるようなスケッチもあります。ぜひご覧ください。
https://www.tobunken.go.jp/researchnote/202203/
絵金屛風の調査撮影


高知県香南市赤岡町には絵金として知られる弘瀬金蔵(1812−76)が描いた芝居絵屛風が23点伝えられており、高知県保護有形文化財に指定されています。通常は絵金蔵という展示収蔵施設で保管されています。絵金屛風の魅力は人気のある歌舞伎のドラマティックな場面を躍動感に溢れる構図と色鮮やかな絵具で描いていることにあります。このうち18点の屛風は赤岡町北部の須留田八幡宮に奉納されたもので、江戸時代末期から須留田八幡宮神祭で屛風が並べられてきました。また昭和52(1977)年からは赤岡町の人々によって商店街に芝居絵屛風を並べる絵金祭が開催されてきました。この2年は新型コロナウイルス感染症拡大の影響で残念ながらお祭りは中止されていますが、地域に根ざした特別な文化財として親しまれています。平成22(2010)年に不慮の事故により5点の屛風が変色してしまいましたが、東京文化財研究所ではこれらの屛風についての保存修理に関する調査研究を実施し、安定化処置が行われました(2017年4月の活動報告を参照 https://www.tobunken.go.jp/materials/katudo/243905.html)。その後、18点の屛風についても経年劣化が進行していたため、絵金蔵運営委員会および赤岡絵金屛風保存会によって保存修理事業が進められています。当研究所では、この事業推進にあわせて絵金屛風の彩色材料調査を行っています。令和4(2022)年4月15・16日に絵金蔵を訪問し、これまでに修理が完了した18点の屛風について、高精細カラー撮影による作品調査を行いました。今年度末には全ての作品の保存修理が完了する予定で、完了後には調査報告書の刊行も計画しています。
「能面」「扇面」に関する16世紀史料についての研究報告—第1回文化財情報資料部研究会の開催

日本美術史のみならず日本文化史において、「能面」や「扇面」は、古来の宗教性や祝儀性にかかわる重要な研究対象です。令和4(2022)年4月15日開催の第一回文化財情報資料部研究会では、大谷優紀(文化財情報資料部・研究補佐員)より「早稲田大学會津八一記念博物館所蔵「べしみ」面に関する一考察」についての研究発表が行われました。
本作例は、豊後国臼杵藩主稲葉家伝来で、「酒井惣左衛門作」等の刻銘が確認できるものです。関連作例として岐阜・長滝白山神社所蔵翁面、広島・嚴島神社所蔵翁面があり、それらと「べしみ」面との奉納時期が接近していることや、願主が同一名であることが注目されます。大谷氏は「べしみ」面について、室町時代の奉納面としての造形性を考察し、のちの長霊癋見(ちょうれいべしみ)面の型への過渡期に制作されたものと位置づけました。本発表では、コメンテーターに浅見龍介氏(東京国立博物館)をお招きし、能面研究の重要性と課題についてうかがい、さらに本作例の制作者については、地方性や受容者の問題についてのご指摘をいただきました。
つづいて、小野真由美(文化財情報資料部・日本東洋美術史研究室長)より「『兼見卿記』にみる絵師・扇屋宗玖」についての研究報告が行われました。『兼見卿記』は吉田神社の祠官であった吉田兼見(1535-1610)の日記で、当時の公家や戦国武将の動向を今日に伝える貴重な史料です。兼見をとりまいた人々の中から、日記に十数回にわたって登場する狩野宗玖という絵師に着目し、これまで知られてこなかった公家と扇屋との交友を読み解きました。兼見は、織田、豊臣、前田家などへの贈答品に宗玖の扇面を用いています。さらに、みずからの晩餐や酒席に招くなど、昵懇の関係をむすんでいました。これらから、この時期の扇屋という絵師の重要性や職性について新たな考察を加えました。
展覧会における新型コロナウイルスの影響データベースの公開

現在も世界各国で猛威を振るう新型コロナウイルス感染症の流行は、美術館・博物館が開催する展覧会にも大きな影響を与えてきました。令和2(2020)年2月、政府による大規模イベント自粛の要請が出されたことにより、全国の美術館・博物館は一斉に臨時休館を余儀なくされ、その後も度重なる緊急事態宣言やまん延防止等重点措置によって、日本各地で展覧会の中止や延期が相次ぎました。東京文化財研究所では昭和10(1935)年以降に全国で開催された展覧会情報を集積し、データベースとして公開してきましたが(https://www.tobunken.go.jp/archives/文化財関連情報の検索/美術展覧会開催情報/)、このような状況を承けて令和2(2020)年5月から新型コロナウイルス流行の影響を受けた展覧会の情報収集を開始し、このたびデータベースとして公開しました(https://www.tobunken.go.jp/materials/exhibition_covid19)。
本データベースは日本博物館協会(https://www.j-muse.or.jp/)に加盟する美術館・博物館を中心に、そこで開催された文化財を取り扱う展覧会の中止や延期、途中閉幕などの状況を一覧できるものです。これまで展覧会の開催情報は主としてチラシや図録などの印刷物、年間の予定表や美術館・博物館のウェブサイトを典拠としてきましたが、感染症の流行とその措置に左右される状況下では日々情報が更新され、ウェブサイトでは本来の会期や中止となった展覧会情報がすでに削除されていることもあります。本データベースでは、開催館のウェブサイトを中心としてTwitterやFacebookなどSNSで発信された情報も広く収集し、臨時休館の期間や変更された会期情報を可能な限り拾い上げました。1,406件におよぶデータからは、この2年間に美術館・博物館が受けた影響の大きさを実感することができます。他方で、中止や延期となった特別展に代わる所蔵品による企画展や、SNSやオンライン・コンテンツを活用した事業が数多く見受けられるようになったのも、コロナ禍における新たな動向と言えます。
多くの美術館・博物館で臨時休館の措置が解かれた現在でも、予約制や人数制限、館内の消毒作業など感染症への対策が続けられており、今後も展覧会事業への影響は続くと見込まれます。当研究所では引き続き情報の収集に務め、長期的な影響の分析に取り組んでまいります。
松澤宥アーカイブズに関する研究会―第9回文化財情報資料部研究会の開催

令和4(2022)年3月17日に、コンセプチュアル・アート(概念芸術)の先駆者、松澤宥(1922-2006)の活動の記録・整理に携わってきた専門家、あるいはその資料に新たな価値を見出す専門家・研究者をお招きして、オンライン併用で第9回文化財情報資料部研究会「松澤宥アーカイブズに関する研究会」を開催しました。
この研究会は、研究プロジェクト「近・現代美術に関する調査研究と資料集成」、科学研究費「ポスト1968年表現共同体の研究:松澤宥アーカイブズを基軸として」(研究代表者:橘川英規)の一環でもあり、以下の発表・報告をしていただきました。
木内真由美氏、古家満葉氏(長野県立美術館)「生誕100年松澤宥展:美術館による調査研究から展覧会開催まで」、井上絵美子氏(ニューヨーク市立大学ハンターカレッジ校)「松澤宥とラテン・アメリカ美術の交流について―CAyC(Centro de Arte y Comunicación / 芸術とコミュニケーションのセンター)資料を中心に」、橘川英規(文化財情報資料部)「松澤宥によるアーカイブ・プロジェクトData Center for Contemporary Art(DCCA) について」(以上、発表順)。
こののち、発表者4名と参加者(会場11名、オンライン33名)での意見交換を行いました。一般財団法人「松澤宥プサイの部屋」(理事長松澤春雄氏)の方々、松澤本人と交友のあった作家、美術館やアーカイブズ関係者を交え、話題は、松澤宥アーカイブズの研究資料としての意義と可能性、保存の課題など多岐にわたりました。
研究資料として有効であることは認識されていながら、長期的な保存が担保されていないアーカイブズ――松澤宥アーカイブズに限らず、そのような文化財アーカイブズを後世に伝えるために、今後も、私たちが担う役割を検討・実践していきたいと考えております。
現代美術に関するアーカイブズの情報公開―村松画廊資料、鷹見明彦旧蔵資料、三木多聞旧蔵資料

この度、令和3年度の文化財情報資料部の研究成果として、村松画廊資料、鷹見明彦旧蔵資料、三木多聞旧蔵資料という3つのアーカイブズ(文書)を公開いたしました。
村松画廊旧蔵資料は1966年から2009年までの同画廊での展覧会資料(案内はがき等のスクラップブック、展示記録写真アルバム)、鷹見明彦旧蔵資料は1990年代から2000年代までの画廊での展覧会、三木多聞旧蔵資料は1960年代前半の展覧会案内はがきを中心とした資料群です。
戦後の現代美術の作家研究において、画廊での個展調査は、もっとも基本にして重要な工程です。しかしながら、著名でない新進の作家の個展が美術雑誌や新聞に取り上げられることが稀であり、公刊されたメディアだけでは、会場や会期といった開催記録を特定する以上、つまり発表作品の様相や展示の実態を把握する調査を遂行することは、とても困難なプロセスです。
今回、公開した3つのアーカイブズには、展覧会の会場写真や展示作品の写真を多く収録しており、このような現代美術の研究における「壁」を越える支援ツールともいえます。これら3つのアーカイブズは資料閲覧室(予約制)で閲覧することができます。多くの研究者に活用していただき、研究の進展に寄与できればなによりです。
※資料閲覧室利用案内( https://www.tobunken.go.jp/joho/japanese/library/library.html )
アーカイブズ(文書)情報は、このページの下方に掲載されています。
岸田劉生による静物画と「手」という図像について―第8回文化財情報資料部研究会の開催



令和3年(2022)年2月24日、第8回文化財情報資料部研究会において、吉田暁子(当部研究員)が以下の報告を行いました。
大正期を中心に活動した画家の岸田劉生(1891-1929)は、黒田清輝の設立した葵橋洋画研究所で学んだのち、画友とともに立ち上げた「草土社」を中心に絵画を発表しました。フランスの近代絵画からの影響を強く受けていた日本の絵画界の中で、岸田はアルブレヒト・デューラーやヤン・ファン・エイクといったより古い時代の画家による精緻な絵画を積極的に受容し、のちには中国や日本の伝統的な絵画にも注目して独自の画風を追求しました。令和3(2021)年には京都国立近代美術館が大規模な個人コレクションを一括収蔵するなど、彼の画業を改めて見直す機運は高まっています。
今回の発表では、「岸田劉生による「手」という図像―静物画を中心に―」と題し、岸田の行った、静物画の中に人間の手を描き入れるという異例の表現について検討しました。手のモティーフは、《静物(手を描き入れし静物)》(大正7(1918)年、個人蔵)という作品に描き込まれたものの、のちに画面の中に塗りこめられてしまい、今は直接見ることができません。また同時期に描かれた《静物(詩句ある静物)》(大正7(1918)年、焼失)にも、果物を持つ手の図案が詩句とともに描かれましたが、こちらは作品自体が現存しません。このように制作当時の姿を見ることのできない2点の作品ですが、どちらの作品も、第5回二科展への出品(前者は落選)をめぐって雑誌や新聞上で賛否両論を呼び、話題を集めました。発表者は、論文「消された「手」 岸田劉生による大正7(1918)年制作の静物画をめぐる試論」(『美術史』183号、平成29(2017)年)の中で、岸田がこれらの静物画の制作と同時期に執筆を進めていた芸術論との関係、また岸田が本格的に静物画を描き始めていた大正5(1916)年の作品との関係について考察していました。今回の発表では、その内容を踏まえつつ、岸田の人物画の特徴的な一部分であった「手」が独立したモティーフとして注目された経緯を考察し、また、同時代のドイツ思想を先駆的に受容していた美学者である渡邊吉治による岸田劉生評が、岸田に影響を与えた可能性を指摘しました。
新型コロナウイルス感染拡大防止に留意しつつ、発表は地下会議室において完全対面方式で行いました。コメンテーターとして田中淳氏(大川美術館館長)をお招きし、また小林未央子氏(豊島区文化商工部文化デザイン課)、田中純一朗氏(宮内庁三の丸尚蔵館)、山梨絵美子氏(千葉市美術館館長)など、外部(客員研究員を含む)からもご参加頂きました。質疑応答では、コメンテーターより発表の核心にかかわる新情報をご教示頂いたほか、活発な意見交換が行われました。《静物(手を描き入れし静物)》の画面が改変された時期など、基本的な事項を含めて未解明な事柄の残される岸田劉生の静物画について、調査研究を続けていく上での示唆を受けることができ、充実した研究会となりました。
熊野曼荼羅図と中世六道絵に関する報告―第7回文化財情報資料部研究会の開催


東京文化財研究所では、長年にわたり海外に所蔵される日本美術の作品修復事業を行ってきました(「在外日本古美術品保存修復協力事業」)。令和3年度からはカナダ・モントリオール美術館の熊野曼荼羅図と三十六歌仙扇面貼交屏風の修復に着手しています(参照:モントリオール美術館(カナダ)からの日本絵画作品搬入)。
熊野曼荼羅図は和歌山・熊野三山に祀られる神仏とその世界観を絵画化した垂迹曼荼羅で、国内外に約50点の作例が残されております。令和4(2022)年1月25日の第7回文化財情報資料部研究会では、米沢玲(文化財情報資料部)がモントリオール美術館の熊野曼荼羅図について報告をし、その構図や図様、様式を詳しく紹介しました。八葉蓮華を中心として神仏を描く構図には同類の作例がいくつか知られていますが、モントリオール美術館本は鎌倉時代末期・14世紀頃の制作と考えられ、熊野曼荼羅図の中でも比較的早いものとして貴重な作品です。
同研究会では続いて、山本聡美氏(早稲田大学)が「中世六道絵における阿修羅図像の成立」、阿部美香氏(名古屋大学)が「六道釈から読み解く聖衆来迎寺本六道絵」と題して発表をされました。中世仏教説話画の傑作として知られる滋賀・聖衆来迎寺の六道絵は、源信の『往生要集』を基本にしながら多岐に渡る典拠に基づいて制作されたと考えられています。山本氏はそこに描かれる阿修羅の図像に着目し、同時代の合戦絵や軍記物語、講式である『六道釈』に説かれる阿修羅のイメージが反映されていることを指摘しました。阿部氏は『六道釈』諸本の内容と聖衆来迎寺本の構図や表現を詳細に比較し、本図が極楽往生を願って行われる二十五三昧の儀礼本尊であった可能性を提示しました。いずれも聖衆来迎寺本の成立や来歴に一石を投じる内容で、その後の質疑応答では活発な意見が交わされました。なお、今回の三つの発表内容は次年度以降に『美術研究』へ掲載される予定です。