ポートランド美術館日本美術作品の調査

オレゴン州に位置するポートランド美術館は1892年に設立された、アメリカ西海岸で最も古い美術館です。約42,000点の所蔵作品のうち、アジア美術については約4,000点の作品が収蔵されています。2009年8月17日から20日の4日間にわたり、企画情報部・綿田稔、土屋貴裕、江村知子の3名により、同美術館所蔵の室町時代から江戸時代までの日本絵画、屏風・掛幅など30点余りを調査しました。作品ごとに調書を作成し、保存状態が良好でない作品については損傷状況などを詳細に記録し、同館担当学芸員の方々とも協議しながら美術史的観点から調査・検討を行いました。なかにはこれまでほとんど紹介されたことがないものの、出来映えのすぐれた重要な作品もあり、限られた時間の中ではありましたが、有意義な調査を遂行できました。調査成果については今後、所内の研究会にて発表するとともに、『美術研究』誌上などで作品紹介を行い、さらなる美術資料の充実と、国際研究交流に務めて参ります。
刀剣のガラス乾板ならびに紙焼き資料の寄贈
このたび大塚巧藝新社(佐藤末春代表取締役)より、刀剣のガラス乾板ならびに紙焼き資料一式の寄付の申し出があり、8月10日(月曜日)に研究所への搬入が完了いたしました。受け入れ窓口である企画情報部文化財アーカイブズ研究室では、ご寄付いただいたガラス乾板ならびに紙焼き資料を、研究所の文化財資料として活用してゆくことを視野に入れて、紙焼き資料より順次整理を行っていく予定です。
近現代美術の保存・修復に関する欧州調査

企画情報部が推し進める資料学的研究の一環として、8月2日から13日まで、英国テートギャラリー、オランダ文化財研究所(ICN)を中心に調査を実施しました。
近現代美術作品においては、さまざまな実験的な様式や素材が用いられてきていますが、近年、それらの作品をいかに後世に継承していくのかが大きな課題となっています。そもそも朽ちていく過程そのものが作品の一部であったり、プラスチック等の新素材が利用されていたり、文化財の保存・修復に関わる組織や専門家にとって新たなチャレンジとなっています。
今回の調査では、アムステルダムのICN内に拠点をもつ「現代美術保存のための国際ネットワーク」(インカ:INCCA)と、その事業の一環としてロンドンのテート・ブリテンが主催する現存のアーティストに自らの作品について語ってもらい、それをアーカイブとして組織的に保存・公開していくという「インタビュー・ウィズ・アーティスツ」プロジェクトを中心に、近現代美術をめぐるこの新たな問題に欧州ではどのように取り組んでいるのか、関係機関を訪問し、関係者の方々にお話をうかがいました。
特筆すべき成果としては、東文研が昨年度に開催した国際研究集会のテーマでもあった「オリジナル」とその保存をめぐる問題について大いなる示唆を得たことはもちろん、東文研のオランダ版ともいえるICNという機関、その中のINCCAというネットワーク、その一プロジェクトを担うテートの三者の関係が非常に興味深く思われました。すなわち、 資金・人材不足や機関の民営化など世界共通の厳しい状況に直面しながら、いかに新しいプロジェクトを運営していくかというモデルを提示していました。その詳細については、企画情報部が刊行する『美術研究』誌上であらためてご紹介したいと思います。
「近代日本洋画の巨匠 黒田清輝展」を島根県立石見美術館で開催

黒田清輝の功績を記念し、あわせて地方文化の振興に資するために、1977(昭和52)年から年1回、開催館と共催で行なっている「近代日本洋画の巨匠 黒田清輝」展は、今年度、島根県立 石見いわみ 美術館を会場として、7月18日(土)より8月31日(月)まで開催されています。重要文化財≪湖畔≫≪智・感・情≫をはじめ油彩画・デッサン等147点、写生帖、書簡などが出品され、初期から晩年までの黒田清輝の画業を跡づける展観となっています。
石見は、明治の文豪森鷗外の出身地です。鷗外は、陸軍軍医として衛生学を勉強するため1884(明治17)年から1888(明治21)年までドイツに留学し、本務のかたわら美術館や劇場を頻繁に訪れて、芸術にも親しみました。帰国後、文筆活動の一環として美術批評も行い、黒田清輝が裸体画論争のなかで第二回白馬会に≪智・感・情≫を出品し、批評の的になった折には、この作品に敬服している一人であると発言しています。後年、鷗外は帝国美術院の初代院長となりますが、1922(大正11)年に鷗外が逝去すると、黒田がその後を襲い、二代目院長となるなど、鷗外と黒田はさまざまな接点を持っています。
石見美術館では、黒田清輝展にあわせて森鷗外と関連する同館の所蔵作品を常設展示しています。黒田の作品や師ラファエル・コランの作品、鷗外の墓碑を書いた洋画家・書家中村不折の作品などが展示され、明治・大正期の文化人の交遊の一端を知ることができます。
『概要』2009年度版の刊行

このたび『東京文化財研究所概要』2009年度版を刊行しました。
『概要』は研究組織をはじめ、今年度、研究所が行おうとする各部・センターの活動、研修、助言・指導、大学院教育、国際シンポジウム、公開講座、情報発信、刊行物などを視覚的にわかりやすく、また日英2ヶ国語で紹介しています。
『概要』は、国および都道府県の美術館・博物館、都道府県や政令指定都市の教育委員会、埋蔵文化財センター、文化財研究部門をもつ大学図書館、大使館、友好協会宛に資料用1部として配布しています。
また『概要』は一般の方々にもご利用いただけるように、『東文研ニュース』とともに黒田記念館や研究所でも配布しています。さらに『概要』はホームページ上でもPDFファイル形式で配信しています。どうぞご利用ください。
データベースの有効活用にむけて―「連想でひろがる美術資料の情報発信」

有形、無形の文化財に関する調査研究を多様な分野で行ってきた当研究所には、調査研究の成果として培われた資料が蓄積されています。企画情報部では国立情報学研究所特任准教授の丸川雄三氏を客員研究員としてお招きし、当研究所がこれまで蓄積してきた資料のデータを有効に活用できるよう、広く公開する方法を検討しています。その一環として6月23日に丸川氏に「連想でひろがる美術資料の情報発信」と題してご発表いただきました。検索者が指定した複数のデータベースを横断検索する連想検索システムや、それを応用した展示の例などが紹介され、当研究所が持つデータを用いた連想検索のデモンストレーションも行なわれました。データのもととなるモノとしての資料の収集、保管についても考えつつ、電子空間での情報公開の方法についてこれからも検討を重ねていく予定です。
大徳寺蔵「五百羅漢図」の光学的調査 (その2) 研究協議会の開催

企画情報部では、美術史研究に欠くことのできない画像資料の形成とその発展的利活用を目指し、「高精細デジタル画像の応用に関する調査研究」というプロジェクトを立ち上げ、調査研究を進めています。本プロジェクトの一環として、奈良国立博物館と研究協定を結び、本年5月に大徳寺蔵「五百羅漢図」の調査・撮影を行いましたが(詳細は活動報告2009年5月の記事をご覧ください)、本調査によって得られた研究成果をさらに深めるべく、研究協議会が6月15日に開かれました。奈良国立博物館より、谷口耕生氏、北澤菜月氏、井手誠之輔氏(奈良博客員研究員・九州大学教授)に来所いただき、当部からは田中、津田、城野、鳥光、土屋が参加しました。
5月の調査後、撮影画像一点一点に画像処理を施すことで、調査時には不鮮明であった銘文もほぼ判読可能な状況となりました。今回の協議会は、これら補正処理を施した画像をもとに、銘文の確認とそこに記された年紀、絵師、寄進者等の解釈、また来たる秋の第二次調査、および次年度以降予定している報告書の方針を立てるべく、終日討議が重ねられました。とりわけ、画像処理の過程で明らかとなった本図銘文の「欠失」の要因等について城野から報告があり、本調査が極めて重要な意義を有することが再確認されました。
本調査および協議会の成果の「速報」は、先にお知らせした奈良国立博物館開催の「聖地寧波 日本仏教1300年の源流~すべてはここからやって来た~」(http://www.narahaku.go.jp/exhibition/2009toku/
ningbo/ningbo_index.html)の会場にてご覧いただけることと存じます。
大徳寺蔵「五百羅漢図」にほどこされた銘文の全貌、ひいては本図制作の背景が明らかになりつつあります。
大徳寺蔵「五百羅漢図」の光学的調査

企画情報部では、奈良国立博物館と「仏教美術等の光学的調査および高精細デジタルコンテンツ作成に関する協定」を結び、共同研究を進めています。その一環として、平成21年5月11日から17日までの日程で、大徳寺蔵「五百羅漢図」の調査・撮影を奈良国立博物館において行いました。
大徳寺蔵「五百羅漢図」は、南宋の寧波において、淳煕5年(1178)からほぼ十年をかけ、林庭珪・周季常という絵師により全100幅が制作された美術史上大変重要な作品です。現存する94幅(江戸期の補作を除く)のうち、計37幅に銘文の存在が確認されていましたが、経年劣化等により肉眼では判読困難な状況でした。
今回の調査は、これらの銘文を蛍光撮影等の光学的手法を用いて明らかにすることを目的として開始されましたが、新たに11幅、計48幅に銘文を確認することができました。美術史のみならず、当時の歴史や宗教史を考える上でも非常に大きな発見と言えます。
今回撮影した画像をもとに、6月中旬には両機関の関係者を交えての協議会を開き、秋に行う第二次調査のための検討材料としていきます。また、今回の調査の成果の一端は、今年7月より奈良国立博物館にて開催される「聖地寧波 日本仏教1300年の源流~すべてはここからやって来た~」(http://www.narahaku.go.jp/
exhibition/2009toku/ningbo/ningbo_index.html) において提示するほか、さらなる調査・検討を加えつつ、来年度以降、報告書としてまとめていく予定です。
滋賀・百済寺銅造半跏思惟菩薩像の光学調査
企画情報部の津田徹英・皿井舞は、出光文化福祉財団よりの調査・研究助成を得て、二カ年計画で開始した「秘仏等非公開作例を中心とする近江古代・中世の彫像の調査研究」の一環として、保存科学修復技術センターの犬塚将英、早川泰弘の協力を得て、5月12日(火)に滋賀・百済寺銅造半跏思惟菩薩像のX線透過撮影ならび蛍光X線非破壊分析を東京文化財研究所にて行いました。当日、像は13時に共同研究を行っているMIHO MUSEUMの学芸員二名と百済寺住職によって研究所に到着し、調査がはじまりました。今回の調査は胸部で再接合が認められる頭と体部が同時期の造像かどうかを確認すべく、X線透過撮影によって構造を把握し、蛍光X線非破壊分析で両か所における銅の成分を確認することを目的に実施しました。その調査を踏まえて、本像はこの夏にMIHO MUSEUMで公開される予定です。
キッズページの新設
2009年5月、小・中学生を対象としたキッズページを新設しました。とくに「とうぶんけんのしごとぜんぶ」では、東京文化財研究所のさまざまな活動をカード形式でご覧いただけます。 昨年7月に刊行しました子供向けパンフレット『東京文化財研究所ってどんなところ?』(http://www.tobunken.go.jp/~joho/japanese/publication
/kids/2008.pdf)とともに、キッズページを夏休みの自由研究などにご利用いただければ幸いです。ぜひ一度、キッズページhttp://www.tobunken.go.jp/kids/index.htmlまでアクセスしてみてください。
稗田一穂氏へのインタビュー


文化功労者であり、東京芸術大学名誉教授、創画会の創立会員である日本画家稗田一穂氏(1920年生まれ)は、1943(昭和18)年に東京美術学校を卒業し、翌年から当研究所の前身である美術研究所に一年間、嘱託として勤務されていました。
現在、当研究所では、『東京文化財研究所75年史 本文編』を年内に刊行すべく編集をすすめています。そのため、これまでにも多数の関係者の方々にインタビューをして、記録として残すようにし、当研究所の歴史を語っていただいてきました。
今回は、4月14日に都内の稗田氏のご自宅をお訪ねし、当時の研究所のお話をうかがうことができました。1944(昭和19)年という時期は、空襲などで戦禍がひろがるなか、研究所も資料等の疎開を余儀なくされたときで、稗田氏はその疎開作業にあたられました。同氏は、疎開先である山形県酒田市に資料を守るべく半年間滞在され、1945年8月に召集礼状を受けとり、入隊すべく奈良まで帰郷することになったそうです。まさにその車中で、終戦を知ったと語られていました。ご高齢ながら90分を超えるインタビューの応じてくださり、当時の貴重な証言を残すことができました。
連想検索サイト「想―IMAGINE」と美術関係文献検索データベース

企画情報部では、昨年10月から、268,000件からなる「美術関係文献検索データベース(試験運用中)」を公開しています。このデータベースは、1966年から2004年までの美術関係文献を「編著者」、「キーワード」「雑誌名等」の三つの窓口から検索できるもので、データ数からいっても圧倒的なものです。情報の蓄積と公開、発信を研究業務の大きな柱のひとつとしてとらえている当部では、今以上に発信できるように、他のサイトとの連携を現在すすめてようとしています。そのひとつが、国立情報学研究所によって立ち上げられたユニークな連想検索サイト「想―IMAGINE」との連携です。今年度より、当部の客員研究員となった中村佳史氏(国立情報学研究所研究員)が、4月21日にそのデモンストレーションを行い、今後の進め方等について研究協議会を開催しました。このデモンストレーションによって、「美術」というひとつの分野だけではなく、さまざまな分野からの情報が同時にあらわれ、思いがけない広がりと可能性があるのではないかと期待されます。
『昭和期美術展覧会の研究 戦前篇』の刊行

企画情報部では、国内の研究者26名による論文集『昭和期美術展覧会の研究 戦前篇』を刊行しました。本書はプロジェクト研究「近現代美術に関する総合的研究」の成果であり、2006年に刊行した基礎資料集成『昭和期美術展覧会出品目録 戦前篇』の研究篇として、昭和戦前期の美術について各研究者の視点から多角的に論じたものです。展覧会や美術団体の動向を軸に、絵画や彫刻、版画、写真、工芸等の諸ジャンルを対象とし、プロレタリア美術や戦争美術といった昭和戦前期ならではのテーマも盛り込まれています。昭和期の美術をめぐるさまざまな論点を通覧していただきながら、さらに新たな発見や問題意識の端緒となれば幸いです。
各論文のタイトルと執筆者については、企画情報部刊行物のページをご覧ください。
http://www.tobunken.go.jp/~joho/japanese/
publication/book/showaki.html
本書は中央公論美術出版より市販されています。
http:/www.chukobi.co.jp/kikan/index.html
平安時代の丈六木造仏像の調査
今年度より企画情報部の津田徹英・皿井舞は出光文化福祉財団よりの調査・研究助成を得て、二カ年計画で「秘仏等非公開作例を中心とする近江古代・中世の彫像の調査研究」(研究代表者:津田徹英)をテーマに掲げ、MIHO MUSEUMに中心に構成された滋賀県ゆかりの研究スタッフとともに滋賀県内の重要彫刻作例の調査・研究を行います。その第1回目として4月26日(日)の早朝より夕刻に及んで甲賀市岩根山中の天台宗寺院善水寺観音堂の観音菩薩坐像(像高245.3㎝)の調査を行いました。本像はこれまで存在は一般に知られておらず、移坐に及んでの学術調査も今回がはじめてとのことでした。作風から平安後期の造像が推定されましたが、保存状況も比較的良好でした。このような本格的な大作がまだ人知れず存在しているところに滋賀県の文化財の懐の深さの一端を垣間見たように思いました。
『日本美術年鑑 平成19年版』刊行とシンポジウム「いま、あらためて展覧会カタログを見直す」での発表


「いま、あらためて展覧会カタログを見直す」

3月25日に『日本美術年鑑 平成19年版』が刊行されました。昭和11(1936)年の創刊以来、64冊目の刊行となります。いうまでもなく同年鑑はその年の国内を中心とする「美術」の動向を記録するために、資料を収集編集した内容で、基礎資料となるものです。
一方、3月20日にはアートドキュメンテーション学会主催により、表記のシンポジウムが開催されました(会場:和光大学附属梅根記念図書館)。基調報告につづき、5名による発表があり、そのひとりとして、わたしは「『日本美術年鑑』と展覧会カタログ」と題して報告しました。半世紀以上の歴史をもつ『日本美術年鑑』のなかで、「展覧会カタログ」がどのように資料としてとりあつかわれてきたか、また現状の問題点について発表しました。同年鑑のなかで、「文献資料」として扱われてきたのが昭和59(1984)年からで、平成11(1999)年版からは「美術展覧会図録所載文献」として一章をたて、各展覧会カタログの所載文献を掲載するようになり、今日にいたっています。これは1980年代からの博物館、美術館等の新設増加にともない、そこで刊行される展覧会カタログが学術的な面でも貴重な資料、情報を掲載していることを反映した結果です。たとえば、最新の「平成19年版」では、1888件の展覧会データ数に対して、掲載された「図録」は325件、そのなかから943件の文献が採録され掲載されています。「展覧会カタログ」の研究面での重要性は、ひろく認識されているようですが、一方で『日本美術年鑑』の編集にあたって、網羅的な収集をめざしながらも、文献情報として精査して編集をすすめていくことのむずかずかしさを今後どのように克服していくのかが、問題となっていることを報告しました
黒田記念館での特集陳列「写された黒田清輝Ⅱ」
誰もが容易にカメラを手にし、撮影をして画像を得ることができるようになったのは、ごく近年のことです。ピントや露出の調整、現像などがすべて人の手によって行われていた頃には、写真は大変貴重なものでした。そうした写真資料は、撮影の背景を含めてその時代を考察するための手がかりとなります。
平成18年度および19年度に、黒田清輝夫人照子のご遺族にあたられる金子光雄氏より、同氏が保管してこられた黒田清輝関係の写真や遺品などが東京文化財研究所に寄贈されました。当研究所企画情報部では、これらの資料の来歴や関連する事項などについて調査と整理を進め、昨年度、黒田記念館において「写された黒田清輝」展を開催いたしました。帝室技芸員であった小川一真の撮影による大礼服の黒田清輝の大判のポートレートなど、公的な場での黒田像が浮かび上がる企画となりました。
第二回目となる今年度は「家族の肖像」と「画家のアトリエ」をテーマに、黒田記念館で3月19日(木)から7月9日(木)まで「写された黒田清輝Ⅱ」を開催いたします。≪湖畔≫が、後に黒田夫人となる女性をモデルに描かれたように、黒田の作品には家族をモデルとするものが数多くあります。実父、養父、養母の肖像のほか、≪もるる日影≫は姪の君子を、≪少女雪子・十一歳≫も同じく姪を、≪婦人肖像≫(木炭・紙、1898年)、≪婦人肖像≫(油彩・カンヴァス、1911-12年)は照子夫人をモデルとしています。これらの人々の写真と黒田による絵とを比較してみると、≪湖畔≫がその題名の示すとおり、肖似性が主要な目的とされる肖像画として描かれてはいないことなどがわかり、絵画と写真における再現性と虚構性の問題などを考える契機となります。
アトリエでの画家や、制作中の様子を伝える写真には、作品の生み出される場が写し出されています。アトリエにかかる作品から画家の関心のありどころを、モデルとの写真から画家とモデルの関係を推測することもできるでしょう。
写真資料の原本は展示による劣化が懸念されるため、オリジナルの風合いを保ちつつ、原寸大に再現した画像を公開します。これは、写真資料の保存・公開という目的のために進められたデジタル画像形成技術の開発研究の成果の一部でもあります。 これからも資料そのものの保存を考慮しつつ黒田清輝についての調査を進め、その成果を黒田記念館で展示・公開していく予定です。
在外日本古美術品保存修復協力事業の関連調査

今年度修復している作品のなかに、国立ローマ東洋美術館(イタリア)の「虫の歌合絵巻」があります。この作品はさまざまな虫たちが和歌の優劣を競う様子を描いた愛らしい絵巻物ですが、残念ながら欠紙と錯簡のあることが明らかでした。そこで類例をさがしたところ、同内容で首尾完結した作例が個人宅に収蔵されていることがわかりました。所蔵者に事情を説明したところ、調査をご快諾いただき、2月5日(木)、現品を拝見することができました。いくつかの疑問点も残っていますが、少なくともローマ本(の当初の状態)を直接模写したのが個人本であるか、あるいは両者に共通の原本があるか、いずれにせよ両者が非常に近しい関係にあるということはわかりました。これによって確証をもってローマ本の錯簡を訂正し、欠紙部分を相応に処置することができるようになったわけです。その結果をもって同日、修復作業を行っている松鶴堂(京都市)にも行き、修復についての最終的な詰めの協議を行いました。作品は本紙への作業をほぼ終えて仮張り乾燥させているところで、近々、巻子装に仕立てられ、修復が完了します。その後、イタリアへ返却する前の5月下旬に、東京国立博物館で一般公開する予定です。
『平等院鳳凰堂 仏後壁 調査資料目録―カラー画像編―』の刊行

当研究所では、平成16年から17年にかけて、京都府宇治市の平等院と共同で、鳳凰堂の仏後壁の調査を行って参りました。本調査は、平成15年から五ヶ年にわたって行われた鳳凰堂の国宝阿弥陀如来坐像及び天蓋の修理に併せて実施されたものです。「平成の大修理」と名付けられた本事業では、ご本尊を始め光背や台座が堂外に運び出され、通常、詳細に見ることの出来ない仏後壁が全貌を現しました。調査では、この仏後壁のカラー・蛍光・近赤外線による撮影及び顔料調査を行いました。仏後壁全体の撮影は創建以来初めてであり、1月23日には、平等院において記者会見が行われ、新聞各紙及びNHKのニュース番組において取りあげられています。
なお、調査資料目録は、今後、平成21年度に近赤外線画像編を、さらに22年度に蛍光画像・蛍光X線分析データ編の刊行を予定しております。仏後壁の画題や制作年代については諸説提唱されており、一連の報告書が、今後美術史研究に有益な情報を提供出来るよう願っております。
ヒューストン美術館 展示協力と記念シンポジウムでの講演

The Museum of Fine Arts, Houston


2007年度に在外日本古美術品保存修復協力事業にて修理を行った「日吉山王祭礼図屏風」の所蔵館であるヒューストン美術館では、修理の竣工を記念して「よみがえる近世日本の美:日吉山王祭礼図屏風」展(Art Unfolded: Japan’s Gift of Conservation)が1月17日~2月22日の日程で開催されています。修理開始以前より同館からは、無事修理が完了した作品とともに実際の修理に使う材料・道具と工程についても展示して、日本の文化と伝統技術を総合的に理解できる企画にしたい、という要望があり、当所としても準備協力してきました。会場では唐紙・補彩用絵具・刷毛・丸包丁などがタッチパネルセンサー搭載の展示ケースに入れられ、観覧者はケースに触れるとそれらの解説や修理の工程をビデオで見ることができるインタラクティブ・ディスプレイとなっています。海外ではほとんど知られていない日本の文化財の保存修復について理解を深められるとたいへん好評でした。また一方では大津市歴史博物館のご協力により実際の山王祭の様子と、九州国立博物館のご協力により「金襴を織る-書画を飾る表装裂」がビデオ上映され、より深く日本の伝統文化を紹介されていました。
1月19日には本展を記念してシンポジウムが開催され(助成:日米芸術交流プログラム、国際交流基金)、在ヒューストン日本国総領事・大澤勉氏のご挨拶に引き続き、実際の修理を担当した国宝修理装こう師連盟九州支部技師中村隆博氏による「日本の技-日吉山王祭礼図屏風の修復」と題した講演があり、江村は「神々の渡御-日吉山王祭礼図屏風の図様について」と題して作品の美術史的特徴について講演しました。当日の会場となった同館講堂には150人を超える参加者が集まり、研究成果発表、国際文化交流において貴重な機会となりました。
故鈴木敬先生の蔵書寄贈

東京大学名誉教授で、学士院会員の故鈴木敬先生(平成19年10月18日逝去、享年86)の蔵書が、当研究所に寄贈されました。ご遺族である輝子夫人からのお申し出により、蔵書中から『景印文淵閣四庫全書』全1,500冊及び500冊を超える『四部叢刊初編縮本』、『大清歴朝実録』が12月11日に搬入されました。『四庫全書』は、ひろく知られているように、清朝乾隆帝の命により編纂された中国最大の漢籍百科叢書として高い価値があります。当研究所では、中国絵画史の泰斗でいらした先生の学術的な業績を顕彰し、あわせて貴重な資料の活用と保存を考え、多くの研究者にご利用いただけるよう、整理作業をすすめています。なお次年度には「鈴木敬氏寄贈図書目録」(仮称)も刊行する予定です。