研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『TOBUNKEN NEWS (東文研ニュース)』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。

東京文化財研究所 保存科学研究センター
文化財情報資料部 文化遺産国際協力センター
無形文化遺産部


1月企画情報部研究会

 1月27日、企画情報部では、川口雅子氏(国立西洋美術館学芸課情報資料室長)を招き、「美術文献情報をめぐる最近の国際動向―米国ゲッティ研究所と「アート・ディスカバリー・グループ目録」を中心に」と題する研究発表が行われました。
 表題にある文献情報検索システム「Art Discovery Group Catalogue」とは、2013年から運用をはじめたサイトで、川口氏によれば「60を超える世界の美術図書館の蔵書と14億件の雑誌記事情報を一括で検索可能にするもの」で、しかも日本語版のインターフェースも備わっています。これは、欧米の主要な美術図書館に加え、日本では国会図書館の情報が提供されていることから可能になったとされます。現在、当研究所では、3年計画で文化財アーカイブの構築を進めている折、このような海外の最新の動向に関する発表は、大きな指針ともなり、同時に有益な情報でした。また「Art Discovery」構築において、重要な役割を果たしているアメリカのゲッティ研究所についても、その情報収集、発信に関わる活動の一端が紹介されました。この点は、当研究所に、昨年10月にゲッティ研究所長一行が来訪されていることでもあり、今後予定されている当研究所との共同研究等の協議にあたり参考となりました。また、発表中に紹介された国立西洋美術館のサイト上での研究情報公開にむけた積極的な取り組みは、当研究所の情報発信の方向性を定めるにあたりたいへん参考になり、今後同美術館との連携を視野に入れながら引きつづき協議を重ねていきたいと考えています。

ゲッティ研究所からの来訪

会議室にて当研究所の概要について説明をうけるゲッティ研究所のみなさん
ゲッティ研究所のみなさんは、早川泰弘分析科学室長より、研究成果の解説をたいへん興味深く聞いていらっしゃいました。

 10月22日、アメリカのゲッティ財団ゲッティ研究所の所長トーマス・ゲーケンズ博士をはじめとするスタッフ4名と同研究所の評議員のメンバー11名の方々が、視察のために来所されました。一行の来日は、関西をはじめとする国内各地の史跡等を見学し、同時に文化財研究関連の視察を目的とするものでした。
 当研究所においては、一行を迎えて、はじめに組織等の概要を説明した後、山梨絵美子(企画情報部副部長)から当研究所創設に縁のある黒田清輝について、その画業の解説があり、つぎに早川泰弘(保存修復科学センター分析科学研究室長)から、平等院鳳凰堂の鳳凰等を対象にした蛍光X線分析による最新の研究成果の一端を紹介しました。
 所長ゲーケンズ博士は、美術の研究情報発信をはじめ多様に研究をすすめるゲッティ研究所が当研究所とたいへん親近性のあることから、将来的に連携、協力をしたいとの言葉があり、今後、どのような研究の分野で実現できるのか協議をかさねていくことになりました。

岸田劉生作「古屋君の肖像(草持てる男の肖像)」(東京国立近代美術館蔵)光学調査

岸田劉生作「古屋君の肖像(草持てる男の肖像)」の画像撮影

 企画情報部のプロジェクト研究「近現代美術に関する交流史的研究」では、日本を含む東アジアを中心とする交流に関する調査研究を目的のひとつにしています。
 この一環として、東京国立近代美術館が所蔵する岸田劉生による「古屋君の肖像(草持てる男の肖像)」(1916年)、ならびに「壺の上に林檎が載つて在る」(1916年)の2点の油彩画の光学調査を10月16日に行いました。
 今回の調査では、いずれの作品も岸田劉生がアルブレヒト・デューラー等のヨーロッパ古典絵画から影響を深く受けていた時期の作品だけに、図様だけではなく、技法、表現等の画面の細部を検証するために行われました。
 ヨーロッパ古典絵画にみられる平滑な画面は、テンペラ、油彩等の技法をふまえて積み上げ得られた絵画であったといえますが、岸田劉生は、もとより複製図版からの受容であっただけに、そうした理解があったのかどうか、当時の作品を観察することは、受容史の面からも重要な問題です。撮影にあたっては、画家の筆致や現在の画面の状態を視覚化できるように画面に均一な光を与えるだけでなく、油彩による画面の凹凸が把握できるように作品の左側から鋭角に照らす光を加えて実施しました。(撮影担当:企画情報部専門職員城野誠治)また、同時に反射近赤外線撮影を行いました。このような撮影によって得られた画像から、描き直しや模索などの跡がまったくなく、制作時にまでにかなりイメージを固めた状態で描かれたことが確認できました。
 なお今回の光学調査は、東京国立近代美術館ならびに修復家斎藤敦氏の協力のもとに実施することができたものであり、深く感謝する次第です。またその成果は、『美術研究』に論文「岸田劉生の写実表現と『貧しき者』という芸術家像の形成―岸田劉生の『駒沢村新町』療養期を中心に」(仮題)中で公表する予定です。

企画情報部研究会―黒田清輝宛書簡について2件の研究発表

高羲東(コ・フィドン、1886-1965)「程子冠をかぶる自画像」、1915年、東京藝術大学蔵

 企画情報部の文化形成研究室では、プロジェクト研究として「文化財の資料学的研究」を進めています。この研究は、日本を含む東アジア地域における美術の価値形成の多様性を解明することを目的に、基礎的な資料の解析等を行っています。基礎的な資料の一つとして、当研究所が保管する黒田清輝宛書簡約7400件の整理とリスト化を継続的にすすめています。
 その一環であり、同時に研究成果として、黒田清輝宛書簡のなかから、中国、朝鮮等のアジア諸地域から東京美術学校に留学し、黒田に師事した学生たちの書簡、ならびに黒田と深い関係にあった画家藤島武二の書簡に基づく研究会を8月6日に開催しました。研究会では、吉田千鶴子(東京藝術大学)氏が、「黒田清輝宛外国人留学生書簡 影印・翻刻・解題」、児島薫(実践女子大学)氏が「藤島武二からの黒田清輝、久米桂一郎宛書簡について」と題して、それぞれ発表が行われました。前者については、朝鮮からの留学生であった高羲東(コ・フィドン、1886-1965)をはじめとして、東京美術学校で学んだ後にそれぞれの国の美術界で重要な活動をした人物からの書簡等6通について留学生たちの紹介とそれぞれの書簡の内容の検討がありました。また後者では、当研究所が保管する藤島書簡37通、ならびに他機関が所蔵する書簡をもとに、藤島武二が東京美術学校西洋画科に迎えられる折の交信など、これまでの藤島武二研究ではみられなかった黒田、久米と藤島の関係が次第に親密になっていく過程や、美術学校内の人事をめぐる様子が検証、紹介されました。
 今回の両氏による発表にもとづく研究成果は、『美術研究』の「研究資料」として順次掲載する予定です。

企画情報部研究会

第八回白馬会展覧会出品目録

 9月24日、当部研究会において、「新出資料 『第八回白馬会展覧会出品目録』」と題し、植野健造氏(福岡大学人文学部教授)による研究発表がありました。白馬会は、黒田清輝と中心にした明治中期の洋画の美術団体です。1896(明治29)年に第一回展を開催後、1911(明治44)年に開催するまで、13回の展覧会を開催しました。同氏は、これまで白馬会研究をかさねていたのですが、新出の資料は、唯一知られることのなかった第八回展(1903年)の出品目録でした。この八回展には、当時東京美術学校に在学中の青木繁の作品も入選し、最初の白馬賞を受賞していました。しかし、出品目録がこれまで発見されていなかったために、当時の新聞、雑誌等の報道によってその出品作を推察するということにとどまっていました。また、黒田をはじめ、同会会員たちの出品作についても同様な状況でした。それが、この出品目録によって、たとえば青木繁の場合は、「闍威弥尼」等の神話や古代仏教に由来した題名と点数(14点)を知ることができました。今回の発表で紹介された目録は、その点でたいへん貴重な資料といえます。なお、この出品目録は、『美術研究』において「研究資料」として紹介する予定です。

企画情報部研究会の開催

「大礼服の黒田清輝」(撮影:小川一真、1914年7月、東京文化財研究所蔵[金子光雄氏寄贈])

 企画情報部では、平成25年度の第1回研究会が4月30日に開催しました。研究発表では、「華族たちの写真同人誌『華影』と黒田清輝宛小川一真書簡」と題して、斎藤洋一氏(松戸市戸定歴史館)と岡塚章子氏(東京都江戸東京博物館)を迎え、これに田中淳が加わり順次発表しました。
  はじめに、斎藤氏より、徳川慶喜、昭武をはじめとする旧大名たち、すなわち明治の華族たちによる写真同人誌『華影(はなのかげ)』(明治36年から41年頃に刊行)について、これまでの調査にもとづく研究成果が発表されました。とくに斎藤氏の調査によれば、『華影』は年に4冊刊行されていたと推察され、中でも明治40年3月から翌年3月の間に刊行された5誌において、投稿された写真に対する黒田清輝、ならびに写真家小川一真(1860-1929)による「印画評」(評価)が掲載されていたことは注目されます。この「印画評」をもとに、田中より、黒田の画家として、また写真家としての小川の評価、ならびに黒田の「写真」観について報告しました。つぎに当研究所が保管する黒田清輝宛書簡のなかから小川一真の書簡(7件)をもとに、小川について研究をすすめている岡塚氏より、黒田と小川の関係について、また華族と小川との関係をもとに明治の写真界についての発表がありました。この研究成果は、『美術研究』第411号(平成25年11月刊行予定)、ならびに次号において公表する予定です。

靉光「眼のある風景」光学調査にもとづく研究発表

靉光 「眼のある風景」 昭和13(1938)年 油彩・キャンバス 102.0×193.5 ㎝(東京国立近代美術館蔵)

 2月26日、企画情報部の研究会において、「靉光(あいみつ)《眼のある風景》をめぐって」と題する大谷省吾氏(東京国立近代美術館主任研究員)による発表がありました。作者である靉光(本名:石村日郎、1907-46)は、独自の造形感覚と堅実な油彩表現によって数々の秀作を残し、1930年代から40年代にかけての日本の近代洋画の歴史のなかで欠くことのできない画家です。その数々の作品のなかでも、この作品は、近代日本美術におけるシュルレアリスムの影響にとどまらず、暗転する時代を背景にした独特の幻想的表現として高く評価されています。
 すでに企画情報部では、2010年1月、4月に研究プロジェクト「高精細デジタル画像の応用に関する調査研究」と「近現代美術に関する総合的研究」の共同研究として、東京国立近代美術館とともに光学調査を実施しました。その成果の一部として、原寸大にしたカラー画像と反射近赤外線画像を当研究所内2階に展示しています。
 また、その後、この調査に参加した大谷氏は、得られた画像をもとに調査と考察を重ねて、今回の研究発表となりました。大谷氏の発表では、一般的に日本におけるシュルレアリスム絵画の代表作と位置づけられているものの、その影響関係が具体的にはどのようなものだったか、あるいはそもそも何が描かれているのか、不明な点は多いという問題意識からのものでした。とりわけ、反射近赤外線撮影および透過近赤外線撮影が行われ、これにより制作プロセスをある程度推測することが可能となりました。これをふまえ、創作の動機、モチーフ、表現におよぶ作品を読み直し、さらに現在までこの作品をめぐる言説、評価という美術史的な位置づけについても検証し、一点の作品を多角的な視点から考察するという総合的な研究発表でした。

『美術研究』400号、『美術史論壇』30号記念日韓共同シンポジウム「人とモノの力学-美術史における『評価』」開催

洪善杓氏による基調講演「国史形美術史の栄辱―朝鮮後期絵画の解釈と評価の問題」
ディスカッションの様子

 2月27日に、当研究所において表題にあるシンポジウムを開催しました。『美術研究』(1932年創刊)は、当研究所企画情報部が、また『美術史論壇』(1995年創刊)は、星岡文化財団韓国美術研究所が刊行している学術誌です。韓国美術研究所長の洪善杓博士は、『美術研究』の海外編集委員を委嘱している関係から交流があり、実現したシンポジウムでした。当日は、はじめに洪博士の基調講演があり、韓国側からは、張辰城(ソウル大学校)、文貞姫(韓国美術研究所)両氏に発表願い、また当研究所からは、綿田稔、江村知子の両名の発表があり、その後ディスカッションが行われました。美術史における「評価」という重要な問題をとりあげ、意見交換する機会となりました。
 なお、3月12日には、同じ発表者による、韓国ソウル市(梨花女子大学校)にてシンポジウムを開催する予定です。

靉光「眼のある風景」光学調査

当研究所2階のおける画像展示風景

 東京国立近代美術館の協力を得て、1月18日に靉光(あい-みつ1907-1948)作の油彩画「眼のある風景」(1938年、102.0×193.5㎝)の光学調査をおこないました。この折には、フルカラー撮影と反射近赤外線撮影をおこないました。この2種類の画像は、現在、原寸大のパネルとして当研究所2階に展示しています。これにつづき、4月27日には、透過近赤外線撮影による調査を実施しました。作品が修復される折から、木枠を外した状態で、作品の裏面から光を透過させて、キャンバス面にもっとも近い、すなわち創作当初の画像を捉えることができました。この作品は、日本の近代美術のなかで、シュルレアリスム絵画受容における独自の表現が認められることから、高い評価を受けています。しかし、創作の過程やモチーフについては、いまだに議論がかさねられています。前回の反射近赤外線、今回の透過近赤外線撮影による画像をもとに、これから詳細に検討しなければなりません。しかし今回の画像をみるかぎり、少なくとも動物とも、植物ともつかない、不可思議なメタモルフォース(変態)をとげていくフォルムに、画家が抱いたイメージの深さとそのイメージをリアリティあるものとして視覚化しようとした模索の跡をみとめることができます。

『東京文化財研究所七十五年史 本文編』刊行

『東京文化財研究所七十五年史 本文編』

 当研究所は、2006(平成18)年に創設から75周年を迎えたことを記念して、『東京文化財研究所七十五年史』を刊行すべく、編集をすすめて参りました。
 このほど、当研究所の沿革と各部、センターの調査・研究、現況、関連資料等を記録した『本文編』を刊行することができました。(B5版、607ページ、2009年12月25日発行)一昨年3月には、創設以来の事業の記録と蓄積されてきた資料の一覧を掲載した『資料編』を刊行いたしました。つきましては、『資料編』と『本文編』をあわせて、当研究所の七十五年史とします。
 編集にあたっては、各部、センターの編集委員が中心になりましたが、それだけではなく所内外の多くの機関、及び関係者に協力していただきました。ここに感謝の意を表したいとおもいます。
 本書が、75年にわたる当研究所の歴史を振り返ることにとどまらず、その歴史を誇りとして共有し、同時に未来にわたる当研究所の活動のひとつの指針として、新たなる展望を開く契機になることを願っています。なお、本書は一部、中央公論美術出版社より市販されます。

日韓シンポジウム「人とモノの『力学』―美術史における『評価』」開催にむけた協議会

協議会の様子

 2010年に当研究所企画情報部の機関誌『美術研究』は、400号の刊行となります。また、星岡文化財団韓国美術研究所が発行する『美術史論壇』が、今年、30号を刊行することになっています。同研究所長の洪善杓梨花女子大学教授には、『美術研究』の海外編集委員を委嘱していることから、昨年来日の折に、両誌刊行の記念として共同でシンポジウムを開催しようと合意していました。
 1月28日には、洪教授をはじめ、鄭干澤(東国大学校教授)、文貞姫(同研究所学術主任)、張辰城(ソウル大学助教授)、徐潤慶(同研究所専任研究員)の5名を迎えて、当部研究員とともにシンポジウムにむけた協議会を開催しました。
 協議の結果、美術史における「評価」をテーマに揚げて、2011年2月下旬に東京(会場:当研究所)で、3月上旬にはソウル(会場:梨花女子大学)で開催することになりました。シンポジウムでは、基調報告(東京では洪教授、ソウルでは田中が報告します)にはじまり、当部研究員2名、韓国側2名の計4名による研究発表を両会場でおこない、総合討議をします。同じテーマのもと、そして同じ発表をするのですが、両国の研究者等の間での問題意識や考え方の違いが予想されることから、これによって今後、さらに相互理解が深まり、同時に両誌のさらなる協力関係を築いていくことを期待しています。

アート・ドキュンメンテーション研究フォーラムでの発表

発表する田中淳
ポスターセッション

 12月4、5日、アート・ドキュメンテーション学会の創立20周年を記念した研究フォーラムが、開催されました(会場:発表は東京国立博物館平成館大講堂、展示等によるプレゼンテーションは同館小講堂)。同フォーラムの副題は、「M(useum)、L(ibrary)、A(rchives)連携の現状、課題、そして将来」とされ、美術だけではなく、ひろく文化財にかかわる9つの関係諸機関からの発表と展示が行われました。当研究所からは、企画情報部が参加し、田中が「『日本美術年鑑』デジタルアーカイブを中心に」と題して発表しました。1936年創刊から現在まで継続刊行されている『日本美術年鑑』の意義と、膨大な情報化の時代にあって同年鑑の編集にかかわる諸問題について述べ、さらにこれまでに蓄積されてきた情報の活用とさらなる積極的な公開について提言しました。同時に展示では、当研究所所蔵の資料である焼失以前の「名古屋城」内観写真の画像データベースと、国立情報学研究所との共同研究の成果のひとつとして、連想検索「想 Imagine」における旧所員であった尾高鮮之助撮影(1932年)のアジア各地の貴重な写真のデータベース(試作版)を紹介しました。発表と展示によって、当企画情報部が情報発信として取り組んでいる現状と、将来像の一端を紹介することができました。

稗田一穂氏へのインタビュー

インタビューに応じる稗田一穂氏
山形県酒田市に疎開した文部省美術研究所にて右端が稗田氏、左端が所員であった梅津次郎

 文化功労者であり、東京芸術大学名誉教授、創画会の創立会員である日本画家稗田一穂氏(1920年生まれ)は、1943(昭和18)年に東京美術学校を卒業し、翌年から当研究所の前身である美術研究所に一年間、嘱託として勤務されていました。
 現在、当研究所では、『東京文化財研究所75年史 本文編』を年内に刊行すべく編集をすすめています。そのため、これまでにも多数の関係者の方々にインタビューをして、記録として残すようにし、当研究所の歴史を語っていただいてきました。
 今回は、4月14日に都内の稗田氏のご自宅をお訪ねし、当時の研究所のお話をうかがうことができました。1944(昭和19)年という時期は、空襲などで戦禍がひろがるなか、研究所も資料等の疎開を余儀なくされたときで、稗田氏はその疎開作業にあたられました。同氏は、疎開先である山形県酒田市に資料を守るべく半年間滞在され、1945年8月に召集礼状を受けとり、入隊すべく奈良まで帰郷することになったそうです。まさにその車中で、終戦を知ったと語られていました。ご高齢ながら90分を超えるインタビューの応じてくださり、当時の貴重な証言を残すことができました。

連想検索サイト「想―IMAGINE」と美術関係文献検索データベース

想―IMAGINE

 企画情報部では、昨年10月から、268,000件からなる「美術関係文献検索データベース(試験運用中)」を公開しています。このデータベースは、1966年から2004年までの美術関係文献を「編著者」、「キーワード」「雑誌名等」の三つの窓口から検索できるもので、データ数からいっても圧倒的なものです。情報の蓄積と公開、発信を研究業務の大きな柱のひとつとしてとらえている当部では、今以上に発信できるように、他のサイトとの連携を現在すすめてようとしています。そのひとつが、国立情報学研究所によって立ち上げられたユニークな連想検索サイト「想―IMAGINE」との連携です。今年度より、当部の客員研究員となった中村佳史氏(国立情報学研究所研究員)が、4月21日にそのデモンストレーションを行い、今後の進め方等について研究協議会を開催しました。このデモンストレーションによって、「美術」というひとつの分野だけではなく、さまざまな分野からの情報が同時にあらわれ、思いがけない広がりと可能性があるのではないかと期待されます。

『日本美術年鑑 平成19年版』刊行とシンポジウム「いま、あらためて展覧会カタログを見直す」での発表

『日本美術年鑑 平成19年版』
シンポジウム
「いま、あらためて展覧会カタログを見直す」
「『日本美術年鑑』と展覧会カタログ」

 3月25日に『日本美術年鑑 平成19年版』が刊行されました。昭和11(1936)年の創刊以来、64冊目の刊行となります。いうまでもなく同年鑑はその年の国内を中心とする「美術」の動向を記録するために、資料を収集編集した内容で、基礎資料となるものです。
 一方、3月20日にはアートドキュメンテーション学会主催により、表記のシンポジウムが開催されました(会場:和光大学附属梅根記念図書館)。基調報告につづき、5名による発表があり、そのひとりとして、わたしは「『日本美術年鑑』と展覧会カタログ」と題して報告しました。半世紀以上の歴史をもつ『日本美術年鑑』のなかで、「展覧会カタログ」がどのように資料としてとりあつかわれてきたか、また現状の問題点について発表しました。同年鑑のなかで、「文献資料」として扱われてきたのが昭和59(1984)年からで、平成11(1999)年版からは「美術展覧会図録所載文献」として一章をたて、各展覧会カタログの所載文献を掲載するようになり、今日にいたっています。これは1980年代からの博物館、美術館等の新設増加にともない、そこで刊行される展覧会カタログが学術的な面でも貴重な資料、情報を掲載していることを反映した結果です。たとえば、最新の「平成19年版」では、1888件の展覧会データ数に対して、掲載された「図録」は325件、そのなかから943件の文献が採録され掲載されています。「展覧会カタログ」の研究面での重要性は、ひろく認識されているようですが、一方で『日本美術年鑑』の編集にあたって、網羅的な収集をめざしながらも、文献情報として精査して編集をすすめていくことのむずかずかしさを今後どのように克服していくのかが、問題となっていることを報告しました

『平等院鳳凰堂 仏後壁 調査資料目録―カラー画像編―』の刊行

『平等院鳳凰堂仏後壁調査資料目録―カラー画像編―』

 当研究所では、平成16年から17年にかけて、京都府宇治市の平等院と共同で、鳳凰堂の仏後壁の調査を行って参りました。本調査は、平成15年から五ヶ年にわたって行われた鳳凰堂の国宝阿弥陀如来坐像及び天蓋の修理に併せて実施されたものです。「平成の大修理」と名付けられた本事業では、ご本尊を始め光背や台座が堂外に運び出され、通常、詳細に見ることの出来ない仏後壁が全貌を現しました。調査では、この仏後壁のカラー・蛍光・近赤外線による撮影及び顔料調査を行いました。仏後壁全体の撮影は創建以来初めてであり、1月23日には、平等院において記者会見が行われ、新聞各紙及びNHKのニュース番組において取りあげられています。
 なお、調査資料目録は、今後、平成21年度に近赤外線画像編を、さらに22年度に蛍光画像・蛍光X線分析データ編の刊行を予定しております。仏後壁の画題や制作年代については諸説提唱されており、一連の報告書が、今後美術史研究に有益な情報を提供出来るよう願っております。

故鈴木敬先生の蔵書寄贈

四庫全書

 東京大学名誉教授で、学士院会員の故鈴木敬先生(平成19年10月18日逝去、享年86)の蔵書が、当研究所に寄贈されました。ご遺族である輝子夫人からのお申し出により、蔵書中から『景印文淵閣四庫全書』全1,500冊及び500冊を超える『四部叢刊初編縮本』、『大清歴朝実録』が12月11日に搬入されました。『四庫全書』は、ひろく知られているように、清朝乾隆帝の命により編纂された中国最大の漢籍百科叢書として高い価値があります。当研究所では、中国絵画史の泰斗でいらした先生の学術的な業績を顕彰し、あわせて貴重な資料の活用と保存を考え、多くの研究者にご利用いただけるよう、整理作業をすすめています。なお次年度には「鈴木敬氏寄贈図書目録」(仮称)も刊行する予定です。

第42回オープンレクチャー「人とモノの力学」

青木茂教授の発表(第2日)

 10月8日、9日の2日間にわたり、研究所地下セミナー室を会場に、上記の公開講座を開催しました。第1日目は、勝木言一郎(企画情報部)「鬼子母神の源流をたずねる」、中川原育子(名古屋大学文学部)「クチャ地域の石窟に描かれた供養者像とその信仰について」の2発表があり、いずれも仏教美術の源流とたずねるテーマでした。翌日は、田中淳(企画情報部)「写真のなかの芸術家たち―黒田清輝を中心に」、青木茂(文星芸術大学)「明治10年・西南戦争と上野公園地図」があり、前者の発表は、写された写真をもとに画家の創作と生活を考える内容であり、後者の発表は、明治10年に制作されたう「上野公園地実測図」(銅版画)をもとに、同地の歴史の変遷をたどるものでした。一般の聴講者は、第1日が150名、第2日が127名を数え、アンケートの結果をみても、好評だったことがわかりました。

フランス、ベルギーにおける黒田清輝に関する現地調査

グレー・シュル・ロワンの黒田清輝通りにて

 企画情報部では、研究プロジェクト「東アジアの美術に関する資料学的研究」の一環として、当研究所が保管する黒田清輝宛フランス語書簡(約250通)の調査、翻訳をすすめてきました。これらの書簡に、東京国立博物館が保管する黒田のフランス語日記等(1888年)を加えて、次年度に報告書として「黒田清輝宛フランス語書簡集」(仮称)を刊行する予定です。そのための現地調査として、9月10日から15日までの間、黒田が留学中に滞在したパリ、グレー・シュル・ロワン村、バルビゾン村、さらにベルギーのブリュッセル、ブランケンベルグ等の各地をめぐり、当時の場所をロケーションし、あわせて調査をおこないました。その成果は、前記の報告書で発表します。

韓国文化財庁企画調整官の来訪

韓国文化財庁企画調整官崔泰龍氏(左)と鈴木所長
城野誠治専門職員(左)が韓国文化財庁企画調整官崔泰龍氏(中)、情報化チーム長趙顕重氏(右)に対し、最新の特殊撮影について説明しました。

 8月22日、韓国文化財庁の企画調整官崔泰龍氏、情報化チーム長趙顕重氏、駐日大韓民国大使館韓国文化院の崔炳美氏の三氏が来訪されました。今回の来訪は、文化財アーカイブズの運営と文化遺産のデジタル化を推進するための海外の事例調査と担当者との協議が目的でした。鈴木所長との懇談の後、企画情報部の資料閲覧室やデータ入力の作業を見学し、画像情報室も見学されました。画像情報室では、城野誠治専門職員から、日本、韓国、中国産の絹の蛍光撮影による画像の違いなど最新の特殊撮影についての説明を受け、その高い技術による研究の成果を熱心に聞き入り、また意見交換をしました。現在、大韓民国では、国をあげて文化財アーカイブズの構築とデータのデジタル化をすすめており、たいへんに参考になったということでした。

to page top