研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『TOBUNKEN NEWS (東文研ニュース)』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。

東京文化財研究所 保存科学研究センター
文化財情報資料部 文化遺産国際協力センター
無形文化遺産部


藤雅三《破れたズボン》再発見報告

発表者高橋氏との討議

 7月23日に企画情報部研究会を開催しました。当日は、高橋秀治氏(愛知県美術館美術課長)を講師として招き、上記の題名での研究発表がありました。この作品は、黒田清輝が画家に転向する大きなきっかけをつくった藤雅三(1853-1916)がフランス留学中にル・サロンに入選した作品です。その後、アメリカ人に購入されたという伝聞があるだけで、実際の作品はこれまで研究者の目にふれることはありませんでした。今回の発表は、黒田清輝ばかりでなく、日本の近代美術研究にとっても近来にない大きな発見であるといえます。発表では、購入したアメリカ人コレクター及び現在までの作品の来歴、そして現在の状態などにわたる詳細な報告がありました。この作品については、高橋氏による解説とともにカラー図版として『美術研究』356号(11月初旬刊行)に掲載される予定です。

共催展

 黒田清輝の作品を鑑賞する機会を広げることを目的に1977年度から毎年行われてきた黒田清輝展は、今年度、神戸市立小磯記念美術館での開催となり、7月18日に開会式が行われ、翌日から一般公開されました(-8月31日まで)。重要文化財≪湖畔≫≪智・感・情≫を含む約160点の油彩画・素描が展示され、京阪地方では約30年ぶりの大規模な黒田清輝展となっています。神戸市立小磯記念美術館は東京美術学校で藤島武二に師事し、後に同校で教鞭を取った洋画家小磯良平を記念する美術館です。小磯は黒田らが基礎を築いた洋画のアカデミズムの継承を自らに課した画家でした。常設のギャラリーに展示されている小磯良平の作品とともに鑑賞することで、日本洋画のアカデミズムを振り返ることのできる貴重な機会となっています。

京都・湖西での旧職員に関する資料調査

 当所では1930年の美術研究所開設からの歴史を跡づける作業を継続して行い、2009年度の『東京文化財研究所七十五年史』刊行を目指しています。7月に旧職員で日本の絵巻研究者であった梅津次郎氏(1906-1988)遺族と黒田記念館の管理を担当された大給近清氏(1884-1944)遺族宅での資料調査を行いました。梅津氏の資料の一部はすでに当所に寄贈され、公開もされていますが、このたびはそれらを補う調書類の所在を確認しました。大給氏については、これまで当所の設立を遺言した洋画家黒田清輝の実妹純の夫であること、東京美術学校で洋画を学んだことなど収集できていた情報は限られていました。しかし、遺族宅には小品ながら大給近清氏の洋画作品数十点、黒田の実妹の肖像を含む写真類など、黒田ら外光派の作風に学んだ大給氏の画風や交友関係などを明らかにする貴重な資料が残されていることがわかりました。大給家は鶴岡藩の酒井家とも親戚関係にあるところから、明治期の酒井家酒井家十五代酒井忠篤夫妻の肖像画を描いており、現在、酒井家に所蔵されていることも明らかになりました。これらの成果は『東京文化財研究所七十五年史』に掲載する旧職員の略歴に反映し、これまであまり調査の進んでいない文化財関係の研究者たちの足跡をたどるための基礎資料となるよう、精度を高めていきたいと思います。

“オリジナル”研究通信(5)―組織委員会の開催とPRイメージ

福田美蘭氏による《富嶽三十六景 神奈川沖浪裏》(1996年作)

 企画情報部では今年12月に開催する国際研究集会「“オリジナル”の行方―文化財アーカイブ構築のために」の準備を着々と進めています。7月7日には組織委員会を開催、浅井和春(青山学院大学教授)、加藤哲弘(関西学院大学教授)、黒田泰三(出光美術館学芸課長)、佐野みどり(学習院大学教授)、松本透(東京国立近代美術館副館長)の諸先生方に専門委員としてご出席いただき、開催にむけて有益かつ貴重なご意見を賜りました。各発表者についても交渉・調整をほぼ終え、当研究所のホームページに国際研究集会専用のページを設けて、開催趣旨やプログラムをアップしましたので、どうぞご覧ください。
 さらに今回の研究集会のPRイメージとして、福田美蘭氏の作品《富嶽三十六景 神奈川沖浪裏》を使わせていただくことになりました。現代美術家の福田氏は1990年代より、古今東西の美術品を素材に作品を制作、その“オリジナル”イメージを揺さぶる活動で知られています。《富嶽三十六景 神奈川沖浪裏》も有名な北斎の浮世絵をもとにしていますが、そのイメージを左右反転させることで、見なれた、それでいてどこか違和感のある不思議な印象をわたしたちに与えてくれます。なお、有名な黒田清輝《湖畔》をもとに福田氏がアレンジした《湖畔》も、今回の研究集会の関連企画として10月9日(木)から12月25日(木)まで黒田記念館でオリジナルの《湖畔》とあわせて展示します。オリジナルとコピーのコラボレーションを、どうぞご期待下さい。

文化財アーカイブ構築に向けた研究協議

国立情報学研究所連想情報学研究開発センター長・教授高野明彦氏からタッチパネル用のデジタルアーカイブPowers Of Informationについて説明を受けました。

 現在、企画情報部は文化財アーカイブ構築の一環として、美術図書館の横断検索サイト“ALC(Art Libraries’ Consortium)”および連想検索サイト「想(Imagine)」への参画を目指し、その準備を進めています。
 6月9日には、田中淳、山梨絵美子、津田徹英、中村節子、そして勝木の5人が、国立情報学研究所の連想情報学研究開発センター長・教授高野明彦氏、特任准教授丸川雄三氏を訪ね、文化財情報の発信に関する今後の取り組みについて意見を交わしました。
 お二人はかつて「想(Imagine)」の創設に携わり、また文化庁が運営する電子情報広場「文化遺産オンライン」の立ち上げに技術面から協力されてきた方々です。文化財研究の分野にも精通されたお二人からのアドバイスは、文化財アーカイブの構築を進める者にとってたいへん示唆に富む内容でした。

アンソニー型カメラの展示

黒田記念館1階の旧研究室でアンソニー型カメラを展示しています。
大型カメラのピントグラスには屋外の風景が上下逆さに映し出されています。
旧美術研究所が使っていたスライド・プロジェクターや8ミリ・カメラ、二眼レフ・カメラも公開しています。

 当研究所企画情報部の画像情報室に保存されていた大型カメラが、このほど修理を終えて、6月5日より黒田記念館1階の旧研究室にて一般公開をはじめました。このカメラは、20世紀初頭に輸入されたアメリカのアンソニー社のカメラを原型に製作されたスタジオ用カメラです。旧美術研究所では、開所草創期から戦後まで美術作品等の撮影調査のために使用し、数多くの文化財を記録画像として残すことに活用されていました。今回の展示にあたっては、レンズを戸外にむけて、ピントグラスに屋外の風景が逆さに写るように工夫して、来館者にみていただくようにしています。その他にも、戦前のフランス製の8ミリ・カメラや二眼レフ・カメラなど、かつて研究調査活動に欠くことのできなかった光学機器を展示しています。また、このようなカメラで撮影されたガラス原板は、現在保存につとめるとともに、デジタル化の作業をすすめ、研究に資するために公開をめざしています。

“オリジナル”研究通信(4)―加藤哲弘氏を囲んで

 企画情報部では今年12月に開催する国際シンポジウム「オリジナルの行方―文化財アーカイブ構築のために」に向けて準備を進めています。5月9日には、加藤哲弘氏(関西学院大学)をお招きして研究会を行いました。山梨絵美子の「美術研究所とサー・ロバート・ウィット・ライブラリー」と題する当所の成立と1920年代の西欧社会における美術史資料環境に関する発表、西洋美学の分野で「オリジナル」の問題がどのように語られてきたかについて加藤氏の「『オリジナル』であることをめぐって―美術研究に対するその意義」という発表の後、“オリジナル”をめぐってディスカッションがなされました。“オリジナル”であることが希求されるのは西洋でも19世紀以降であること、そうした時代を背景としながら19世紀末に活躍した美術史家アロイス・リーグルは必ずしも文化財の当初の姿のみに価値を見出さず経年的価値を認め、アーウィン・パノフスキーは複製が真正性(アウラ)を欠くことを指摘して文化財そのもの(オリジナル)と複製を区別したことなどが加藤氏によって指摘され、”オリジナル”の記録と記憶の質の違い、“オリジナル”を残す行為は何を伝えていくことか、などについて議論が交わされました。様々な角度から考え、議論を深めることにより、シンポジウムの充実を図るとともに、文化財に関する調査研究、資料の蓄積と公開という日常業務のあり方についても考える機会としたいと思います。

五姓田派としての満谷国四郎―美術研究所旧蔵デッサンより

満谷国四郎《人物》 東京国立博物館蔵

 満谷国四郎(1874~1936年)は明治・大正・昭和の三代にわたり、文展や帝展を舞台に活躍した洋画家として知られています。その没後の昭和13(1938)年に、当研究所の前身である美術研究所は満谷が残した素描類の寄贈を受けました。それらは明治期の“道路山水”とよばれる風景写生や、大正期に制作された展覧会出品作の下絵が多数を占めているのですが、その中で一点、鉛筆で入念に仕上げられた人物デッサンが異彩を放っています。細かな線描を交差させながらモティーフの肉付けを行うクロス・ハッチングの手法を用い、片目をすがめてこちらを見つめる表情は自意識にあふれています。満谷のみならず明治洋画史の上でも類例をみないものであったため、これまで紹介されることもなかったのですが、このたび神奈川県立歴史博物館の角田拓朗氏と岡山県立美術館の廣瀬就久氏が、明治初期洋画に多大な足跡を残した五姓田芳柳・義松一派の調査研究を進める中で、その流れに位置する可能性を指摘され、5月7日の企画情報部研究会で発表を行いました。デッサンの左下隅に記された明治25年2月21日という日付は、満谷が五姓田門下で学んでいたわずか一年ばかりの時期に当たります。このデッサンが五姓田派と満谷をつなぐ作として、さらには明治洋画史に一石を投じる作として位置づけられることになるかもしれません。本作品は、同じくクロス・ハッチングによる描写で満たされた写生帖とあわせて、「五姓田のすべて―近代絵画への架け橋」展(神奈川県立歴史博物館2008年8月9~31日、9月6~28日、岡山県立美術館2008年10月7日~11月9日)に出品される予定です。

平成20年度の在外日本古美術品保存修復協力事業

 東京文化財研究所では、海外の美術館・博物館が所蔵する日本美術品の保存修復に協力するとともに対象作品を所蔵館と共同で保存修復に関する研究を行っています。
 平成20年度は、絵画4件『松に孔雀図屏風』(6曲1隻、カナダ、グレーター・ビクトリア美術館)、『星曼荼羅図』(1幅、カナダ、バンクーバー博物館)、『虫歌合絵巻』(1巻、イタリア、ローマ国立東洋美術館)、『遊女立姿図(宮川長春筆)』(1面、イタリア、キョッソーネ東洋美術館)、工芸4件『住吉蒔絵文台』(1基、イギリス、ヴィクトリア&アルバート美術館)、『花鳥紋章蒔絵盾』(1基、イギリス、アシュモリアン美術館)、『近江八景蒔絵香棚』(1対、チェコ、市立ヴェルケ・メディジ博物館)、『楼閣山水蒔絵箱』(1合、オーストリア、ウィーン国立工芸美術館、昨年度からの継続分)を対象にして日本国内で保存修復が行われます。また、ドイツ・ケルン東洋美術館に開設した海外修復工房においては『花樹鳥獣蒔絵螺鈿洋櫃』(3年継続の3年目)の保存修復が進行中です。さらに、本年度からベルリン・ドイツ技術博物館・紙の修復工房において、絵画1件『達磨図』(ケルン東洋美術館、2年継続)を対象として保存修復が行われます。この海外における修復工房では海外の修復関係者を対象にワークショップを併行して開催する予定です。

文化財情報の発信と連携についての研究協議会開催

美術図書館の横断検索サイト
“ALC(Art Libraries’ Consortium)”
連想検索サイト「想(Imagine)」

 企画情報部では、4月22日に、水谷長志(東京国立近代美術館)、丸川雄三(国立情報学研究所)の二氏を講師に招いて、上記のような研究協議会を開催しました。両氏は、現在それぞれ美術図書館の横断検索サイト“ALC(Art Libraries’ Consortium)”及び連想検索サイト「想(Imagine)」をWEB上で立ち上げて運営管理にあたられています。研究所全体、ならびにより質の高い文化財情報の発信を担当する当部では、将来的な展望にもとづいて討議しました。今後は、これまでの研究成果の蓄積のより効果的な発信にむけて事業活動を具体化していく予定です。

黒田記念館研究室の公開

新たに公開をはじめた1階の旧研究室

 これまで黒田記念館では、2階の記念室、展示室の2室において黒田清輝作品を公開してきました。4月24日からは、2階、1階の旧研究室も一般公開をはじめました。2階の旧研究室では、「黒田清輝の生涯と芸術」(上映時間約12分)と題したスライドショーを上映し、来館者に黒田の芸術への理解を深めていただくようにしました。さらに1階の旧研究室2室では、美術研究所時代当時の木製机、キャビネット、写真カード等を展示し、あわせて東京文化財研究所の最新の成果刊行物を自由にご覧いただけるようにしました。これによって、黒田作品の鑑賞に加えて当研究所の歴史と現在を紹介できるようにしました。

エントランスロビー 「洛中洛外図屏風の修理」パネル展示

ロビーパネル展示風景(撮影:鳥光美佳子)

 当所では、事業や研究成果を来所者の皆さんにご理解いただくために、エントランスロビーを利用して、定期的にパネル展示を行っております。このたび平成18年度に在外日本古美術品保存修復協力事業で修理を行った洛中洛外図屏風(ロイヤル・オンタリオ美術館蔵)を取り上げ、修理の工程とともに、美術史研究の成果をご紹介しております。洛中洛外図屏風は100点ほどの作例が確認できますが、この屏風は左右に二条城と方広寺大仏殿を大きく表す構図で表され、17世紀中頃の制作と考えられます。画中には総勢1,300人を超える人物が細密な表現で描かれ、社寺や名所の名を記した付箋が77枚も具備していることからも美術史研究上、貴重な作品です。この展示を通じ、我が国の文化による国際貢献・協力の一端をご理解いただければ幸いです。
http://www.tobunken.go.jp/~joho/japanese/project/panel/rakutyurakugai.html

東京文化財研究所七十五年史編纂のための聞き取り調査

 当研究所では『東京文化財研究所七十五年史 資料編』に続き、平成21年に沿革・調査研究の歴史を跡づける本編を刊行することを目指して編纂を進めています。本書には旧職員の略歴を掲載する予定で、その履歴や関連資料についての調査を行っています。3月には1930年代なかばから1942年まで美術研究所職員として東洋美術文献目録編纂にたずさわった豊岡益人氏のご遺族をお訪ねし、聞き取り調査を行いました。当研究所在職以外の履歴やご業績、同僚であられた旧職員についての情報が得られ、戦前の研究所の新たな一面が明らかになりました。文化財の調査研究に尽力した人々については、十分な調査がなされていないのが現状です。当研究所の七十五年史本編が文化財研究史の一端に寄与するものになるよう、今後とも努めていきたいと思います。

田中一松資料の寄贈

 1952年から65年まで当研究所所長をつとめた美術史家田中一松(1895-1983)氏の調書、収集写真等の資料が、ご遺族である田中一水氏および出光美術館さまから3月に寄贈されました。田中氏は戦前から多数の美術品を調査し、自らその記録画を付した丹念な調書を残されています。中には先の大戦中に失われた作品の調書もあり、大変貴重な資料です。これらの資料は田中氏逝去の後、ゆかりのあった出光美術館に保管されていましたが、このたび、より広い公開・活用のために、と当研究所にいただくことになりました。今後は、当研究所の所蔵資料と同様に整理・公開していく方針です。

イギリスにおける文化財情報の蓄積と公開についての調査

ウィット・ライブラリー ゲストブック 1924年1月18日
ウィット・ライブラリー バーバラ・トンプソン氏のオフィスにて

 2008年3月3日から6日間の日程で、山梨絵美子、江村知子、中村節子の3名で、イギリスにおける美術図書館、研究機関を訪問し、資料の収集と公開のありかたについて調査を行いました。限られた日程でしたが、セインズベリー日本芸術研究所、ロンドン大学コートールド美術研究所ウィット・ライブラリー、大英博物館、大英図書館、ヴィクトリア&アルバート美術館ナショナル・アート・ライブラリー、ロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)の6ヶ所を訪問、施設の調査とともに、各所の研究者と意見交換を行いました。なかでもウィット・ライブラリーは、研究所初代所長矢代幸雄が自らの美術史研究にとってひじょうに有益であったという体験から、日本でもこうした美術資料図書館が必要であるとして研究所の構想を得たという、当所にとっては縁の深い施設です。同所のゲストブックによると、1924から28年の間に9回に渡って矢代が訪問したことが判明し、研究所創設当時の事情を把握するとともに、文化財情報の整理・蓄積・公開においての課題を認識しました。今後も研究交流を行い、資料の利活用と閲覧室の運営とに活かしていきたいと考える次第です。

『国宝 彦根屏風』報告書刊行

『国宝 彦根屏風』報告書

 平成18~19年度にかけて彦根城博物館と共同で行った「彦根屏風」の調査研究についての報告書がこのたび無事刊行のはこびとなりました。この作品は本格的な修理が行われ、額装から屏風の形に改装されました。報告書では修理前・後の写真のほか、高精細画像、近赤外線画像、蛍光画像を多数盛り込みました。絵具層の下に存在する色名の指示書きの近赤外線画像と実際のカラー画像を対比させ、蛍光X線分析データとその計測箇所の高精細画像を対応させるなど、作品のもつ情報をできる限り提示することに関係者一同努めました。作品研究の基礎資料として末永く利用して頂けることを願っております。本書は中央公論美術出版から市販されます。
http://www.chukobi.co.jp/products/detail.php?product_id=336

『美術研究作品資料 第5冊 黒田清輝《湖畔》』の刊行

『美術研究作品資料 第5冊 黒田清輝《湖畔》』の原寸大部分図
巻末「《湖畔》をめぐる言葉とイメージ」より

 湖畔にたたずむ浴衣姿の女性を描いた黒田清輝の油彩画《湖畔》(明治30年作)は、数ある日本の美術品の中でもとくに親しまれた、人気の高い作品といってよいでしょう。このたび当研究所企画情報部では、この黒田の代表作にさまざまな視点から迫った『美術研究作品資料 第5冊 黒田清輝《湖畔》』を刊行しました。巻頭の城野誠治・鳥光美佳子(東京文化財研究所)による《湖畔》の画像は、原寸大部分図やふだん見ることのできない絵の裏側の画像もふくまれ、見なれた作品でありながら新鮮さを覚えます。荒屋鋪透氏(ポーラ美術館)・植野健造氏(石橋美術館)・金子一夫氏(茨城大学)・鈴木康弘氏(箱根町教育委員会)・渡邉一郎氏(修復研究所21)・田中淳・山梨絵美子(東京文化財研究所)によるテキストは、《湖畔》のモデルや制作地にはじまり、日本美術や西洋美術における位置、そして今日にいたる評価の変遷、作品のコンディションといったテーマで各々語られています。巻末には《湖畔》にまつわるイメージや言葉を収集し、昭和42年に発行された記念切手や《湖畔》によせた詩などを掲載しました。まさにその成り立ちから現在までの《湖畔》が歩んだ“生涯”をうかがえる一冊です。本書は中央公論美術出版より市販されています。
http://www.chukobi.co.jp/products/detail.php?product_id=121

サンフランシスコ・アジア美術館における仏像調査

帝釈天像頭部X線写真
(サンフランシスコアジア美術館)

 企画情報部の津田と皿井は、美術の技法・材料に関する研究の一環として、平成20年3月10日から12日までの3日間、サンフランシスコ・アジア美術館において、日本の奈良時代につくられた仏像二像(梵天・帝釈天像)の調査と関連資料の収集を行いました。これらの像は、もともと奈良の興福寺にありましたが、明治時代の終わり頃に民間に流出し、その後アメリカのコレクターによって購入されたものです。
 これらは、奈良時代にしかみられない脱活乾漆技法という、特殊な技法で造られています。外形は、漆と麻布で張り子状になっており、中は補強のための心木が入れられているほかは空洞となっています。高価な漆が大量に必要であったり、構造的にも脆弱であったりするため、現在に伝わっている脱活乾漆技法の作品は少なく、これらはきわめて貴重な遺品と言えます。興福寺の阿修羅像も同じ技法でつくられたものです。
 明治38年頃に興福寺で撮影された写真には、多くの破損仏にまじってやはり大破したこの二像が写されています。アジア美術館の持つ関連資料の中にX線透過画像などを見出しましたが、それによって修理の状況などの手がかりを得ることができました。たとえば、明治の写真には梵天の頭部は無くなっていましたが、梵天像のX線透過画像をみると、その頭部は意外にも制作当初のものである可能性のあることがわかりました。本調査で得た知見を、さらに多角的に検証していく必要があります。今後、アジア美術館の協力を得て、これら脱活乾漆像の技法や様式などの解明をすすめたいと思います。

来訪研究員による研究発表

研究所における呉景欣氏

 平成19年9月より1年間企画情報部に来訪研究員となった呉景欣氏(台北市出身、UCLA大学院博士課程在学)は、来日後の調査研究の成果を、3月26日に部内研究会にて発表しました。同研究員のテーマは、1920年代を中心として日本の近代美術が、どのようにヨーロッパ美術を受容したのかを研究テーマとしています。当日は、「古典か前衛か、キリスト教か仏教か―1920年代の古賀春江の宗教的なテーマの絵画」と題し、古賀春江が宗教的な主題、モチーフを扱った作品をとりあげ、当時のエル・グレコ等の古典から近代までのヨーロッパ美術受容の様相と重ねて考証した興味深い内容でした。発表後、部内の近代美術、及び仏教美術研究者等との協議においても活発に意見が交わされました。今後、さらに研究が深まることを期待します。

「聚光院問題」の検討

 企画情報部では毎月、研究会を開催しています。2月は27日(水)、コメンテーターに渡邊雄二氏(福岡市美術館)を迎え、綿田が「聚光院問題を考える」の題目で研究発表を行いました。大徳寺聚光院方丈(重要文化財)の創建年代については従来、狩野松栄・永徳親子による障壁画(国宝)の作期との関連で、永禄9年(1566)か天正11年(1583)かという議論がなされてきました。今回綿田は、めまぐるしく変化していた政情を考慮しつつ、断片的に残された史料を根拠に元亀2年(1571)という年次をあらたに提案しました。続いて渡邊氏より、塔頭障壁画全体の流れで考えると聚光院障壁画のプランはやはり古様な側に属しているという見解が示されました。その後、研究所外からの参加者も交えて活発な議論が行われました。

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