研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『TOBUNKEN NEWS (東文研ニュース)』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。

東京文化財研究所 保存科学研究センター
文化財情報資料部 文化遺産国際協力センター
無形文化遺産部


アンコール遺跡群での現地調査と覚書の更新

石材上の生物の種類と環境条件に関する調査
覚書への調印

 平成23年12月、カンボジアのアンコール遺跡群での現地調査と、東文研・奈良文化財研究所(奈文研)およびアンコール地域遺跡整備機構(APSARA機構)との覚書の更新を実施しました。
 アンコール遺跡群での活動の目的は、石材の保存にとって適切な環境条件を解明することです。石材の生物による劣化はアンコール遺跡群における共通の課題であり、生物の種類によって石材に及ぼす影響は異なると考えられます。しかし、環境と生物の種類との関連について、分類学的な内容を含む調査研究を行っている団体は少ないのが現状です。東文研では、環境条件と石材表面に生育する地衣類、蘚苔類、藻類などの種類との関連を明らかにし、それらの生物が石材に及ぼす影響を定性的・定量的に評価するための調査研究を実施しています。今回、日本および韓国から地衣類の分類学的研究の専門家、イタリアから植物生態学および文化財の生物劣化の専門家にも参加していただき、これまで継続的に調査を行っているタ・ネイ遺跡をはじめ、タ・ケオ、タ・プローム、バイヨンなど、環境が異なる周辺のいくつかの遺跡で調査を行いました。現在は各研究者が現地調査で得られた情報の解析を行っています。また、タ・ネイ遺跡では、付近の採石場から切り出した石材試料を遺跡に長期間設置して表面状態の変化の観察を行ったり、過去の保存処理実験の経過観察を行ったりしています。
 現地調査に引き続き、アンコール遺跡群での共同研究に関するAPSARA機構との覚書を更新しました。従来、覚書は東文研と奈文研がAPSARA機構との間でそれぞれ取り交わしていました。今回から、同じ地域で活動する両文化財研究所の連携を深めるため、三者の間で締結することとなり、シエムリアップにあるAPSARA機構の本部で東文研の亀井所長、奈文研の井上副所長とAPSARA機構のブン・ナリット総裁による調印式を実施しました。今後は、修理事業が予定されている西トップ遺跡でも保存整備のための調査研究を行います。

第45回オープンレクチャー「モノ/イメージとの対話」の開催

髙岸輝氏の発表風景(11月11日)
佐々木守俊氏の発表風景(11月12日)

 企画情報部では、日々の研究の成果をより広く知っていただくために、所外の方々に向けたオープンレクチャー(公開学術講座)を毎年秋に開催しています。45回を数える今回は、新たに「モノ/イメージとの対話」と銘打ち、動かぬモノでありながら人々の心の中に豊かなイメージを育む文化財の諸相をめぐって、所内外の美術史研究者4名が11月11・12日の両日にわたり当研究所のセミナー室で発表を行いました。
 11月11日は「日本美術史における様式の複線性―様式の選択と編集」というテーマのもと、当部研究員の皿井舞が「平安時代前期から後期へ―六波羅密寺十一面観音像の造像」、東京工業大学大学院准教授の髙岸輝氏が「鎌倉時代から室町時代へ―中世やまと絵様式の源流と再生」の題で発表しました。“様式”という美術史ならではの概念をキーワードとしながら、皿井はとくに制作背景との関わりから10世紀半ばという様式過渡期の造像について考察し、また髙岸氏は平安末期~室町期の絵巻を通して、やまと絵様式の流れを重層的にとらえる自論を展開されました。
 12日は「古美術のコンセプト」というテーマで、当部広領域研究室長の綿田稔が「室町漢画の基盤―周文と雪舟の場合」、町田市立国際版画美術館の佐々木守俊氏が「平安~鎌倉時代の印仏―スタンプのほとけ」と題して発表を行いました。造形的な面ばかりが語られがちな古美術ですが、綿田は雪舟筆「秋冬山水図」(東京国立博物館蔵)やその師である周文の作品を、佐々木氏は仏像の内部に納入された印仏を対象に、それぞれ当時の制作状況や機能に照らしながら、今日ではすっかり忘れられてしまったそれらの“コンセプト”をあぶり出しました。
 今回は各日128名、108名と例年にも増して多くの方々が受講され、会場は満席状態でした。いずれの発表も各研究者の最新の研究成果を報告したものでしたが、学会レベルの内容にもかかわらず、受講者の方々の関心も高く、最先端の話題にご満足いただけたようです。

アゼルバイジャン国立美術館所蔵日本関係美術品調査

アゼルバイジャン国立美術館
同館調査風景

 平成23年11月27日から12月6日の日程で、独立行政法人国際交流基金文化協力事業として、アゼルバイジャン国立美術館所蔵日本関係美術品調査を行いました。アゼルバイジャンは、1991年に旧ソ連邦から独立した国で、首都バクーはカスピ海西岸に位置し、旧市街には世界遺産に登録された中世の建造物も遺されています。アゼルバイジャン国立美術館(Azerbaijan National Museum of Art)は、1920年にバクーに設立され、国内をはじめロシア・ヨーロッパの絵画・彫刻作品を中心に所蔵・展示を行っています。所蔵作品の中に、日本や中国の東洋美術の作品、300点ほどが含まれていましたが、同館には東洋美術の専門家がおらず、日本の美術作品と、中国やその他の地域のものの判別もつきかねる状況でした。そこでこのたび国際交流基金文化事業部生活文化チーム越智彩子氏とともに、秋田市立千秋美術館の小松大秀館長と江村が同館を訪問し、作品の調査と展示・管理についての助言を行いました。その結果、今回調査した約270点の作品のうち、約100点の日本美術作品(陶磁器・彫刻品・漆工品・金工品・染織品・絵画・版本)が含まれることが判明しました。今回調査した作品の大半は、19世紀後半から20世紀前半にかけて、日本および中国から海外に輸出された陶磁器で、稀少性はさほど高くないものの、このような輸出陶磁器のコレクションの存在が判明したことは重要な意味をもっています。調査データの整理が完了次第、調書を翻訳して同国に提供する予定で、同国における日本文化の理解に役立ててもらうとともに、日本国内の輸出陶磁器研究においても未知の在外作品所在情報として活用されることが期待できます。
 滞在中には在アゼルバイジャン日本国大使館を訪問し、特命全権大使・渡邉修介氏に面会し、今回の調査を二国間の文化的交流の好機としたいというお話がありました。また二等書記官で本事業担当者の小林銀河氏をはじめ大使館職員の方々のご尽力により、終始円滑に作業を進めることが出来ました。来年2012年は、日本と同国との国交樹立から20年の節目の年にあたり、同美術館と在日本大使館を中心として、記念の展覧会を企画する動きも出てきています。こうした両国友好の企画をはじめ今後の活動においても、たいへん有意義な調査となりました。

東京国立博物館本国宝・虚空蔵菩薩像の調査・撮影

虚空蔵菩薩像の高精細画像撮影の様子

 企画情報部の研究プロジェクトのプロジェクト「文化財デジタル画像形成に関する調査研究」の一環として、10 月5日、東京国立博物館に所蔵される国宝・絹本着色虚空蔵菩薩像の高精細画像の撮影を行いました。東京国立博物館の理解・協力をいただいての当研究所との「共同調査」によるものです。今回の撮影は東京国立博物館の田沢裕賀氏のご助力をえて、当研究所画像情報室城野誠治が画像撮影を行い、小林達朗、江村知子が参加しました。虚空蔵菩薩像は平安仏画の代表的名品のひとつです。平安時代の仏画は日本絵画史の中でもきわだって微妙かつ細部にわたる繊細な美しさを実現しましたが、それゆえにその表現の細部の観察が重要になります。今回は本作品全体を現在の最高水準の高精細で28カットに分割して撮影し、またさらに微細な部分8カットのマクロ撮影を行いました。結果は肉眼による観察を超えるものがあります。得られた情報については今後東京国立博物館の専門研究員を交えて共同で検討してまいります。

企画情報部研究会の開催―大村西崖の研究

大正10(1921)年、美術史研究のため中国へ渡った折の大村西崖

 大村西崖(1868~1927年)は明治中期に美術批評家として活躍し、その後半生には東京美術学校教授として東洋美術史学の発展に大きく貢献した人物です。2008年に西崖のご遺族より東京芸術大学へ日記・書簡等の資料をご寄贈いただいたのを機に、翌2009年より科学研究費による「大村西崖の研究」を、塩谷純(東京文化財研究所)を研究代表者として進めています。10月18日には今年度の第7回企画情報部研究会として、その研究成果の発表を行いました。
 塩谷は「大村西崖と朦朧体」と題して、西崖の美術批評と明治中期の日本画との関連を探りました。西崖は横山大観や菱田春草らの革新的な日本画を“朦朧体”として批判した人物として知られていますが、あらためてその批評を読むと、日本画の線や筆法への忌避感を露わにし、あたかも朦朧体に連なるかのような論調であることは注目されます。発表は、そうした西崖の批評の再検証を通して、“描く”絵画から“塗る”絵画へと変貌する近代日本画の流れを展望しようというものでした。
 続いて大西純子氏(東京芸術大学)が「大村西崖撰『支那美術史雕塑篇』について(資料紹介)」と題して発表を行いました。大正4(1915)年に刊行された大村西崖撰『支那美術史雕塑篇』は、中国の彫塑全体を網羅した最初の資料集で、今日も多くの中国彫塑史研究者が便とし、研究書としての価値は失われていません。大西氏は、東京芸大に寄贈された資料の中から西崖自身による校訂本や手記等を紹介、西崖が行った調査や参考にした文献を明らかにしながら同書編纂の経過をたどりました。
 発表後のディスカッションでは、西崖研究の第一人者である吉田千鶴子氏(東京芸術大学)をはじめ所内外の研究者が参加し、活発に意見を交わしました。とくに大西氏の発表からうかがえた西崖の実証的な姿勢に、同じ研究者として共感を寄せた方も少なからずいたようです。

明治期刊行の美術雑誌『みづゑ』のホームページ上での公開をめざして

『みづゑ』第1号(明治38年7月刊)の表紙

 企画情報部のプロジエクト「文化財の研究情報の公開・活用のための総合的研究」では、他機関との連携をはかりつつ、蓄積された文化財に関する研究情報を効果的に公開・活用することを目標に掲げています。その一環として、当研究所の所蔵する美術雑誌のうち、廃刊となり、著作権の切れてしまった明治期の美術雑誌のなかで、国内・外より閲覧要請が多い『みづゑ』のホームページ上での公開を、国立情報学研究所と研究連携をはかりながら進めています。9月13日には、そのための協議会を当研究所で開催し、公開方法として、その総目次とリンクさせながら記事検索により、本文がホームページ上で画像閲覧ができることを目指すとともに、そのための行程確認とホームページ上での公開のための効果的な手法について話し合い、年度内に1~10号までを公開し、以後、順次このプロジエクトの中で明治期に刊行分89号までの公開をすすめることを再確認しました。

陸前高田市立博物館被災美術品応急処置の完了

陸前高田市立博物館からの被災作品の搬出
燻蒸後の被災作品のクリーニング作業

 3月11日に起きた東北地方太平洋沖地震により岩手県陸前高田市立博物館では、所蔵品すべてが津波によって水損する大きな被害を受けました。同館には総合博物館として人文系・自然史系の多岐にわたる資料が収蔵されていました。それに加えて市ゆかりの作家たちの作品を中心に油彩画、書、版画も保管されていました。被災後、それらの美術品は全国美術館会議の参加館から派遣された学芸員たちによって現地から盛岡市内の県管轄施設まで輸送され、応急処置を受けました。
 周囲の建物がほとんど流出した中、一部破損した躯体のみが残った陸前高田市立博物館で7月12、13日、炎天のもと、所在作品の調査、梱包が行われ、14日に盛岡市内に輸送されて県所管施設に搬入されました。200号から400号におよぶ大型作品が多く、また海水に浸った後に気温が上昇する状況に置かれたことからカビの害が甚しかったため、応急処置作業の前に燻蒸によって殺虫殺菌を行うことが必須でした。8月9日から16日まで燻蒸を行い、8月21日から応急処置作業が始まりました。北海道から九州まで、全国美術館会議会員館の学芸員、保存担当者などのべ約700名が参加して、土・日曜日も休みなく、画面や額のクリーニング、防黴処置に当たり、作品が美術館等の収蔵庫での中期的保存に耐えられる状態にしました。全156件の作品は処置を終えて9月29日に岩手県立美術館収蔵庫に納められ、今後は陸前高田市から同館へ寄託される予定です。この作業には全国美術館会議、岩手県教育委員会、陸前高田市教育委員会、岩手県立美術館、国立美術館が当たり、被災文化財等救援委員会(事務局:東京文化財研究所)が支援、調整を行いました。
 大災害を乗り越えた後、それらを守り伝えようとする多くの人々の手当てを受けた作品たちが、このまま収蔵庫で眠り続けることなく、活かされる機会が訪れることを祈念してやみません。

企画情報部研究会「琳派と能の関係についての再考」の開催

フランク・フェルテンズ氏発表後のディスカッション

 企画情報部ではほぼ毎月研究会を開催しています。8月30日に開催した2011年度第5回企画情報部研究会では、今年6月中旬から9月初めまでの約3ヶ月間、当部来訪研究員として来日していたコロンビア大学大学院博士課程のフランク・フェルテンズ氏に「琳派と能の関係についての再考」と題して調査研究の成果を発表していただきました。伝統的な絵画表現と装飾的な意匠性を融合させて独自の画風を確立させた尾形光琳(1658-1716)は、幼少より能楽を習い、生涯にわたって能謡を愛好したことで知られており、その芸術にも少なからず影響を及ぼした可能性が先行研究において指摘されてきました。フェルテンズ氏の今回の発表では、先行研究をふまえ、絵画作品ばかりでなく工芸・装束・謡本なども含めて、そのモティーフ選択や美意識に着目し、空間構図分析やパフォーマンス理論なども応用しながら琳派芸術の解釈を行いました。発表後のディスカッションでは、当所無形文化遺産部、無形文化財研究室長・高桑いづみ氏より、能楽研究の立場から芸能史と美術史における研究基盤と手法の違いについての指摘がありました。学際的な研究の問題点が浮き彫りになる一方、活発な討議を通じ、多様に展開する江戸時代の絵画および工芸史研究において、さらに具体的な検証作業が必要であることが認識され、充実した研究交流の機会となりました。

群馬県立歴史博物館における木造性信上人坐像の調査・撮影

 企画情報部の研究プロジエクト「美術の表現・技法・材料に関する多角的研究」の一環として、6月21日(火)に、企画情報部の津田徹英、皿井舞は保存修復科学センターの犬塚将英、ならびに武蔵野美術大学非常勤講師の萩原哉氏の協力を得て、群馬県立歴史博物館に出陳中の同県板倉町宝福寺所蔵の木造性信上人像(仏師大進作、鎌倉時代、群馬県指定文化財)の調査・撮影を行いました。ちなみに、本像は当所名誉研究員であった故・久野健氏が本格的な調査を行い銘文が知られて以降、その存在が知られました。その後、幾歳月が流れ、本格的修理がなされましたが、難解・複雑な銘文は未だ全文の解明がなされるまでには至っていません。
 今回の調査の目的は、像の構造・保存状況等を正確に把握するとともに、赤外線撮影等により懸案の銘文に肉薄することを目的とし、あわせて、頭部内に納入されているという像主の焼骨を収めた容器の存在を確認するために、X線透過撮影を試みました。今回の調査・撮影で得られた知見等については、今後十分に検討を重ねたうえ、『美術研究』等によって公表してゆく予定です。

来訪研究員の留啓群氏と企画情報部研究会の開催

企画情報部研究会で発表する留啓群氏(左)

 国立台湾師範大学美術研究所の留啓群氏が、今年の2月から6月までの5か月間、企画情報部の来訪研究員として、当研究所を拠点に調査研究を行いました。留氏は日本統治時期の台湾美術を専攻しており、今回の調査研究はとくに日本近代における南画の動向を視野に入れるのがねらいでした。途中、東日本大震災で一時帰国も余儀なくしましたが、6月には一通りの資料収集を終え、6月29日の2011年度第3回企画情報部研究会で「日本統治時期における台湾伝統書画のアイデンティティーへの模索」と題して、調査研究の成果を発表しました。東アジアに通底する伝統的な“書画”、そして近代以降に西洋よりもたらされた“美術”という二つの枠組みのはざまで台湾や日本の思惑が交錯するさまを、当時の南画をめぐる言説を通してうかがう重厚な内容でした。
 同研究会では留氏の発表に引き続き、相模女子大学教授の南明日香氏にも「ジョルジュ・ド・トレッサン(1877-1914)の室町期絵画評価」と題してご発表いただきました。ジョルジュ・ド・トレッサンはフランス陸軍の軍人で、日本美術を愛好し多くの論考を残した人物です。南氏は忘れられていたトレッサンの業績の検証にここ数年努めており、今回の発表では彼の室町期絵画への評価に焦点を当て、その情報の源泉、論考の特色、同時代意義を考察しました。発表後のディスカッションでは、所内の日本美術研究者に所外のフランス美術の専門家もまじえ、20世紀初頭のヨーロッパにおける日本および東洋美術の評価をめぐって活発な意見が交わされました。

第35回世界遺産委員会

世界遺産委員会 開会の様子

 第35回世界遺産委員会は、6月19日~29日にパリのユネスコ本部で開催されました。当初はバーレーンでの開催を予定していましたが、アラブ諸国に広がった反政府デモなどの影響で開催2か月前に開催場所が変更されたことから、ホスト国主催の盛大な開会セレモニーや各地の遺跡をめぐるエクスカーションなどは行われず、変則的な開催となりました。また、委員国以外の各国政府関係者の参加人数に制限が設けられたこともあり、例年よりも参加者が少なめに感じられました。
 今回、世界遺産リストに登録された物件は25件(自然3件、複合1件、文化21件)です。当初、諮問機関であるICOMOSとIUCNから「登録」の勧告が出ていた物件は12件で、委員国の話し合いの中で倍以上に増えたことになります。諮問機関からの勧告には4段階ありますが、下から2番目の「登録延期」の勧告をされた物件のうち10件が2段階上がって登録されています。国立西洋美術館が含まれるル・コルビュジエの作品群は今回一番下の「登録せず」の勧告がなされていましたが、委員国の意見により「登録延期」となりました。このような、専門家集団である諮問機関の勧告を覆す決議がなされる傾向は昨年度からありましたが、今年度はさらにその傾向が強まりました。諮問機関の勧告の決定過程が不明瞭との不満が世界遺産条約の締約国にある一方で、専門家の意見を結果的に軽視した決議の連発には、世界遺産条約そのものの信頼性を損なうのではないか、との意見も一部の委員国からありました。
 また、すでにリストに登録された、あるいは今後登録されるかもしれない物件をめぐる政治的な対立も顕著に表れています。たとえば、タイとの国境に位置するカンボジアのプレア・ビヘア寺院は2008年に登録されて以来、周囲の国境が画定していないことからたびたび両国間での紛争が発生しています。今回、タイは遺跡の保存管理計画に関する情報が十分に提供されておらず、審議の過程も不透明であることを不満として、世界遺産条約からの脱退を宣言しました。また、コソボとセルビアをめぐる問題や、イスラエルとアラブ諸国との対立なども議論の的となり、あるいは議論を避けようとして対立を生んでいます。 日本から推薦された物件は、小笠原諸島、平泉ともリストに登録されました。審議の際にも、議長から地震や津波による犠牲者へのお悔やみの言葉が述べられました。震災からの復興にあたってこれらの登録がよい効果をもたらすことも期待されます。

アメリカにおける在外日本古美術品保存修復協力事業のための絵画作品調査

シンシナティ美術館での調査風景

 海外に所在する日本の古美術作品は、日本文化を紹介する役割を担っていますが、中には経年劣化や気候風土の違いなどから損傷が進み、公開に支障を来している作品も少なくありません。そこで作品を安定した状態で保存・活用できるように、在外日本古美術品保存修復協力事業を行っています。昨年度まで本事業は保存修復科学センターのプロジェクトとして行ってきましたが、今年度からは文化遺産国際協力センターの管理下で、修復的観点とともに企画情報部より美術史研究者が参加して調査研究および修理事業を実施しています。最新状況の把握のため、昨年度に日本絵画作品を所蔵する、欧米を中心とした美術館・博物館に対してアンケートを実施しました。その結果、25館から修復が必要な作品の有無、作品の保存修復に対する各館の運営状況についての回答を得ました。各館から送られてきた回答と作品の画像リストをもとに、美術史的な作品評価、修復の必要性と緊急性、所蔵館の対応状況などを協議し、今年度はまずアメリカの2つの美術館で作品調査を行いました。6月24日にシンシナティ美術館(オハイオ州)において掛幅6点、屏風6点、6月27日にキンベル美術館(テキサス州)において掛幅3点、屏風5点の作品調査を実施しました。このうち本事業の調査としては初めて訪問したシンシナティ美術館は、1881年に設立されたアメリカ国内では最も古い美術館の1つで、約6万点の作品を所蔵する中西部の主要美術館です。コレクションの中心は西洋美術ですが、日本美術の所蔵作品もあり、その多くの作品は日本では未紹介です。こうした調査の機会を研究交流にも発展させ、所内関係者および所蔵館担当者とも協議を重ねながら、事業を推進して参ります。

2011年度第1回企画情報部研究会の開催

 2011年5月11日、今年度初回の企画情報部研究会を行いました。発表者と題目は次の通り。
 ・土屋貴裕(東京国立博物館学芸研究部調査研究課)
 「メトロポリタン美術館所蔵「聖徳太子絵伝」について」
 発表は、これまで本格的な研究のなかった米国・メトロポリタン美術館の2幅本「聖徳太子絵伝」の調査に基づくもので、その重要性を認識させるものでした。土屋氏は図様に近似性のみられる大蔵寺2幅本および四天王寺6幅本を比較の対象としてとりあげ、図様・場面選択・その配置について具体的、詳細な検討を行うことによってメトロポリタン本のもつ共通性と独自性を明らかにするとともに、橘寺本や瑞泉寺本にも通じる要素のあることも指摘しました。さらに広く、多様な作品が生み出されている聖徳太子絵伝における本作の位置、四天王寺絵所や中世大画面説話画のことなどに及ぶ問題提起がなされました。
 村松加奈子氏(龍谷ミュージアム)をお迎えし、相澤正彦客員研究員(成城大学)も交えて多数が参加し、発表後、静嘉堂文庫美術館本との関連、制作年代、説話画における図様の継承と形成などについて活発な議論がなされました。

2011年度第2回企画情報部研究会の開催

 2011年5月25日(水)に今年度第2回目の企画情報部研究会を開催しました。発表者はアメリカ・ニューヨークのコロンビア大学准教授マシュー・P・マッケルウェイ氏で、題目は「最大の洛中洛外図—制作環境と年代仮説」でした。近時、名古屋市博物館の「変革の時 桃山」展(2010年9月25日〜11月7日)に展示されて話題となった8曲1隻の洛中洛外図屛風(個人蔵)について、1990年にクリスティーズのオークションに登場した際の経緯から説き起こし、内容的に共通する作例や様式的に近似した作例との比較を通して、その制作年代や制作環境について慎重に考察する内容でした。発表後はご参加いただいた所外の研究者を交えて活発かつ忌憚のない意見交換が行われました。歴史学的にも美術史学的にも今後ますます重要視されることになるであろう本屛風について、専門家の間で基礎的な情報と問題の所在を共有するまたとない機会となったと思います。

横山大観《山路》、京都国立近代美術館での調査

横山大観《山路》(京都国立近代美術館蔵)、蛍光X線分析の様子 

 企画情報部では研究プロジェクト「文化財の資料学的研究」の一環として、横山大観《山路》の調査研究を永青文庫と共同で進めています。同文庫が所蔵する大観の《山路》は、明治44年の第5回文部省美術展覧会に出品され、大胆な筆致により日本画の新たな表現を切り拓いた重要な作品です。昨秋の同作品の調査に引き続いて、5月29日に京都国立近代美術館が所蔵する別本の《山路》を調査しました。同作品は文展出品作をふまえ、横浜の実業家で美術品の大コレクターとして知られる原三溪が大観に描かせたもので、明治45年2月6日付の三溪宛、画料受け取りの礼状も残されています。今回の調査では、京都国立近代美術館の小倉実子氏のご協力を得て、永青文庫の三宅秀和氏と塩谷、そして荒井経氏・平諭一郎氏・小川絢子氏(東京藝術大学)により近赤外線反射撮影、および蛍光X線分析による彩色材料調査を行いました。昨秋に行った文展出品作の調査では、大観が近代的な顔料を積極的に使用したことがわかりました。原三溪旧蔵作品でも、同様に近代的な顔料の使用が認められましたが、文展出品作と同じモチーフでありながら異なった顔料で彩色された部分もありました。なお文展出品作についてはもっか修理中で、裏打ち紙を外した段階で再調査をする予定です。

日韓共同シンポジウム「視線の「力学」―美術史における「評価」」の開催

田中淳による基調講演「創作と評価―萬鉄五郎《風船を持つ女》を中心に」
ディスカッションの様子

 前月2月27日の当研究所での開催に引き続き、『美術史論壇』30号および『美術研究』400号を記念する日韓共同シンポジウム「視線の「力学」―美術史における「評価」」が、3月12日にソウルの梨花女子大学校博物館の視聴覚室を会場として行なわれました。
 当研究所企画情報部長の田中淳による基調講演「創作と評価―萬鉄五郎《風船を持つ女》を中心に」に始まり、東京会場と同じく綿田稔(当研究所企画情報部)「山水長巻考―雪舟の再評価にむけて」、張辰城氏(ソウル大学校)「愛情の誤謬―鄭敾への評価と叙述」、江村知子(当研究所企画情報部)「江戸時代初期風俗画の表現世界」、文貞姬氏(韓国美術研究所)「石濤、近代の個性という評価の視線」の発表が続きました。
 折りしも前日に起こった東北地方太平洋沖地震の被害を海外で案じながらの開催となりましたが、会場は立ち席が出るほどで東京会場をしのぐ盛況ぶりでした。鄭干澤氏(東国大学校)の司会によるディスカッションでは、個々の発表への質疑応答にくわえ、日韓の美術史研究のスタンスの差異にも話題が及び、国境を超えた国際シンポジウムに相応しい討議となりました。

『日本絵画史年紀資料集成 十五世紀』の刊行

『日本絵画史年紀資料集成 十五世紀』

 企画情報部では、五年にわたった研究プロジェクト「東アジアの美術に関する資料学的研究」の成果報告として『日本絵画史年紀資料集成 十五世紀』(A5判、720頁)を刊行しました。本書は室町時代の盛期にあたる15世紀の100年間に、主として日本で制作された絵画に記された銘記類のうち、年銘をともなうもの833件を翻刻し、年代順に集成したものです。また昭和59年(1984)刊行の『日本絵画史年紀資料集成 十世紀〜十四世紀』の続篇となります。
 文化財に直接書き込まれている銘記類は、文化財の鑑識や制作年代の決定などについての基礎となるだけでなく、銘記を欠く多くの作例の位置づけについての指標となるものです。これを集成することは文化財保護や文化財研究の基礎基盤となると同時に、とかく細分化されがちな研究の再統合を促し、新たな視野を提供するものであることは疑いありません。このような事業は、当研究所が継続的に担うべき重要な責務のひとつであると言うことができると思います。
 なお、本書は中央公論美術出版より市販されています。詳細は下記ホームページ等をご覧ください。
http://www.chukobi.co.jp/products/detail.php?product_id=582

『研究資料 脱活乾漆像の技法』の刊行

『研究資料 脱活乾漆像の技法』

 平成18年度から5か年計画の企画情報部研究プロジェクト「美術の技法・材料に関する広領域的研究」の一環として、天平時代の脱活乾漆造の仏像の技法解明を目的に調査研究を行ってきました。その成果報告として『研究資料 脱活乾漆像の技法』を刊行いたしました。本書では表面観察からだけでは窺うことのできない像内の様子や構造を知るために行ったX線透過画像を含む図版(モノクロ)とともに、各作例の基礎データを収載しています。あわせて、この研究プロジェクトの一環として同時進行でおこなってきた「奈良時代史料にみえる彩色関係語彙データベース」をCD版で作成し添附いたしました。

『大徳寺伝来五百羅漢図 銘文調査報告書』

 企画情報部の研究プロジェクト「高精細デジタル画像の応用に関する調査研究」の一環として、平成22年より奈良国立博物館と「仏教美術等の光学的調査および高精細デジタルコンテンツ作成に関する協定」を結び、奈良国立博物館と共同で行った大徳寺伝来の「五百羅漢図」の調査・研究の成果として、『大徳寺伝来五百羅漢図 銘文調査報告書』を刊行しました。本書では、これまで肉眼では判読が難しかった画中の銘文の可視画像化をすすめたものを収載しています。本書の刊行により銘文のほぼ全貌が明らかとなり、大徳寺伝来の五百羅漢図の制作事情の解明に向けて、大きな成果をあげることができました。

『平等院鳳凰堂 仏後壁 調査資料目録 ―蛍光画像編―』の刊行

 平成16年から17年にかけて平等院と共同で行った鳳凰堂仏後壁の調査成果の報告書として、『平等院鳳凰堂 仏後壁 調査資料目録 ―蛍光画像編―』を刊行いたしました。これは平成20年度に刊行した『同―カラー画像編―』、平成21年度に刊行した『同―近赤外画像編―』に続く、第三冊目にあたります。この三冊の刊行によって今後、鳳凰堂仏後壁の研究を行ううえでの基礎資料となることが期待されます。

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