研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『TOBUNKEN NEWS (東文研ニュース)』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。

東京文化財研究所 保存科学研究センター
文化財情報資料部 文化遺産国際協力センター
無形文化遺産部


1月施設見学

役員室にて所長表敬(1月20日)

 エジプト・アラブ共和国考古庁大臣モハメド・イブラヒム・アリ・サイード閣下 駐日エジプト・アラブ共和国大使ヒシャム・エルジメイティー閣下 ほか 計9名

 1月20日、所長の表敬訪問及び各研究室の見学のために来訪。保存修復科学センター第2修復実験室、同第7修復実験室、同電子顕微鏡室及び文化遺産国際協力センター修復アトリエ(紙)を見学し、各担当者が業務内容について説明を行いました。

仙台、昭忠碑のレスキューに向けて

被災前の昭忠碑
被災後の昭忠碑。上部にあったブロンズの鵄が真っ逆様に落下しています。

 昨年の東日本大震災では、数多の文化財もまた甚大な被害を受けました。当研究所に事務局を置く東北地方太平洋沖地震被災文化財等救援委員会では、津波の被害にあった沿岸部をはじめとする地域の文化財の救出活動に当たってきましたが、この1月より仙台城(青葉城)本丸跡に建つ昭忠碑(宮城縣護國神社)のレスキューに着手しました。 明治35年(1902)、仙台にある第二師団関係の戦没者を弔慰する目的で建立された昭忠碑は、20m余りの石塔の上に両翼をひろげたブロンズの鵄(とび)を設置したものですが、今回の地震で鵄の部分が石塔下に落下、左翼部が断裂するなど大きく破損し、無残な姿をさらしていました。1月22・23日に行ったレスキューでは、護國神社の方々とともに、人力で移動可能なブロンズの破片を回収し、あわせてブロンズ本体の移動等、今後の処置について話し合いました。
 この昭忠碑は東京美術学校(現在の東京藝術大学)が制作依嘱を受けたもので、図案を河辺正夫、ブロンズの原型製作を沼田一雅、鋳造を桜岡三四郎と津田信夫が担当したとされています。いわば当時の美術学校の粋を集めたモニュメントであり、小松宮彰仁親王の揮毫による「昭忠」の銘板を石塔中央に掲げた本碑は、戦時中の金属供出も免れてその雄々しい姿を伝えてきました。被災した本碑を今後どのように救出し、後世に伝えていくのか――資金の調達等、多くの困難が予想されますが、その文化財としての価値に思いを致すなら、本碑があらたに復興のシンボルとして蘇ることを切に願ってやみません。

アルメニア共和国における無形文化遺産の調査

家畜や子どもに掛けて「悪魔の眼」から守る木製お守り
様々な形、大きさのスプーン

 2012年1月、アルメニア共和国において無形の文化に関わる調査を行ないました。文化遺産国際協力センターでは、これまでもコーカサスや西アジア諸国において、主に有形の文化遺産に関わる国際協力事業を行なってきましたが、今回は無形文化遺産部の今石がこれらの地域における無形の文化遺産に関する基礎調査を行ない、今後、無形の文化に関わる国際的な研究交流や協力の可能性について探りました。
  滞在中にはアルメニア歴史博物館や国立民族博物館等を訪問し資料調査を行なうと共に、民族学研究者とも懇談し、研究や文化伝承の現状について調査しました。アルメニアでは旧ソ連時代に多くの“伝統的文化”が失われたと認識されていますが、その断片は今日まで伝承されていたり体験として記憶されており、特にキリスト教と融合・併存しながら生き延びてきた土着的な信仰や慣習には興味深いものがあります。食に関する風俗・慣習や民俗技術はそのひとつで、例えば塩には、関連する様々な慣習や、特徴的な塩入れ容器(女性か鳥を象る)が伝承されており、その文化的重要性が窺われます。また食器のひとつである木製スプーンは、日本における箸と同じく個人所有となっており、家族の一人一人を象徴するほか、ここに家の精霊が宿るという考え方もあったと報告されています。主婦権の象徴ともなり、その他、様々な呪術的な用途にも使われたことは、日本におけるシャモジや箸とも共通します。本格的な調査はこれからですが、現地の研究者とも連携を取りながら、どういった形で調査研究や研究交流を進めていくことが可能なのか、これからも模索していく必要があります。

伝統的塗装部位の生物劣化に関する調査研究

胡粉塗装部位に増殖したカビ
現地での防カビ剤を用いた曝露試験の様子

 保存修復科学センターでは、受託研究『霧島神宮における彩色剥落止めの手法開発及び施工管理』の一環として、霧島神宮での伝統的塗装部位の生物劣化に関する調査研究を実施しています。膠などの有機物が用いられる伝統的な塗装方法は、一般的にカビなどの生物劣化を受けやすくカビが発生した場合、著しく美観が損なわれます。そればかりでなく、カビが接着材として機能している膠の蛋白質を分解することで塗装面から顔料が剥離したり、代謝産物によって顔料が着色したり溶解したりと、塗装部の物理的な劣化も促進します。
 霧島神宮では、渡廊下、登廊下、拝殿の壁面に胡粉塗や黄土塗といった伝統的な塗装が施された場所でカビが広範囲に渡り増殖するといった被害が起きました。今年度は、その原因となったカビとそのカビが塗装部位に与える影響を明らかにするため、微生物学的な調査研究と、最適な防除策を提案するため現地での温湿度環境のモニタリング・防カビ剤の曝露試験を行っています。
 環境計測の結果から、気温は平地より低く、相対湿度は年平均で約70%と比較的高いことが把握でき、常在菌であれば容易に増殖しやすい環境であることが明らかとなりました。防カビ剤を塗布した現地曝露試験では、いくつかの薬剤で防カビ効果が認められましたが、防カビ剤の中には胡粉と化学反応を起こし劣化要因となるものも存在しました。また、カビの解析では、これまでに133株のカビを被害部位から分離して、菌集落の形態からグループ分け行い、分類学・生理学的解析を行ないました。その結果、分離菌株数の出現頻度が高い3つのグループがあり、霧島神宮の伝統的な塗装部位の微生物劣化に関して特に重要であると考えられました。今後、分離菌株のより詳細な解析を行い、曝露試験の結果と併せながら伝統的な胡粉および黄土塗装における微生物劣化の予防や防除対策の検討を進める予定です。

インドネシア・パダン歴史地区文化遺産復興支援

被災したパダン旧市街の町並み
現地ワークショップ風景
宮城県気仙沼・被災地現場見学

 2009年9月に発生した西スマトラ沖地震により被災した西スマトラ州パダン市歴史地区における文化遺産復興に向け、東京文化財研究所は同年11月以来、支援活動を継続してきました。本年度は文化庁委託による緊急支援事業として、昨年3月11日の東日本大震災の経験も踏まえて、建造物耐震及び防災対策、危機管理に重点を置いた現地ワークショップ開催を含む調査を2012年1月4日から13日にかけて行い、またこれに引き続き、インドネシア人専門家招へいを1月19日から25日にかけて実施しました。
 ワークショップでは被災文化遺産復興に関する日本の取り組みを紹介するとともに、市内歴史地区の複数の現場において、耐震対策や町並み保存に向けた意見交換を行いました。また、現地調査では、歴史的町並み及び建造物の復興状況調査に加え、基礎的な構造調査による耐震補強の提案、町家の形式調査等を行いました。他方、日本への招へいにおいては、東北をはじめとした被災地域での復興過程と防災対策の実情について、現地で活動する方々から様々なお話を伺うことができました。こうした一連のプログラムを通じて、震災から2年が経過したパダンにおける文化遺産復興に向けた課題も、より明確になってきたところです。震災が引き金となって貴重な歴史的遺産が失われてしまうことのないよう、今後の具体的行動計画策定に向け、引き続き協力を続けていく必要があります。

拠点交流事業モンゴル:アマルバヤスガラント寺院の保存・管理のためのワークショップ

ワークショップ参加者
ウランバートル・政府宮殿

 モンゴルにおける文化庁委託・拠点交流事業の一環として、2012年1月21日~27日の日程で東京文化財研究所から4名の専門家を派遣しました。
 1月24日、25日には、東京文化財研究所、名古屋大学法政国際教育協力研究センター、モンゴル国の教育・文化・科学省の共催により、アマルバヤスガラント寺院の保存管理計画の策定に向けたワークショップを開催しました。ワークショップでは、文化遺産の保護のみならず、モンゴル国の土地法および行政裁判制度を考慮した議論を行い、これを踏まえてモンゴル教育・文化・科学省と寺院が所在するセレンゲ県庁に対する提言書をまとめました。提言書では、アマルバヤスガラント寺院の世界遺産登録と保存管理計画の策定のためのワーキング・グループを設立すること、現在の保護区域の規制に関する課題点を明確にすること、地域住民の理解を得るよう努めること等が明記されました。今後も関係各機関との連携を密にし、提言内容の実現に向けて、協力していくことが望まれます。
  また、1月26日には、東京文化財研究所、名古屋大学法政国際教育協力研究センター、モンゴル国警察庁の間で、文化財の不法な輸出入に関する意見交換を行いました。モンゴル国警察庁からは、この問題に関する国内の施策や体制、犯罪事例等が説明されました。東京文化財研究所からは、同国ヘンティ県所在のセルベン・ハールガ遺跡およびアラシャーン・ハダ遺跡における文化財の盗掘や落書きの事例について情報提供をしました。

「諸先学の作品調書・画像資料類の保存と活用のための研究・開発—美術史家の眼を引継ぐ」科研中間報告会の開催

統合版データベースのデモ画面
京都府教育庁文化財保護課『平等院鳳凰堂建築彩色顔料調査報告—特に青色顔料について』(田中一松資料)、昭和30年(1955)8月10日に行われた平等院鳳凰堂修理委員会での資料。今回のデータベース試作段階において明らかになった資料で、「代用群青」という用語の初出例と見られる。

 12月20日に企画情報部研究会として、標題の科学研究費研究課題(代表者:田中淳)の中間報告会を開催しました。当研究所には、かつての業務で使用した資料や、元職員のご遺族などからご寄贈いただいた調書や写真などが数多く保管されており、研究資料として保存と活用を進めています。また従来の美術史研究では見過ごされてきた関連資料なども積極的に活用して、研究を推進しています。対象とする資料は、刊行物のように分類・管理が容易なものばかりでなく、肉筆のメモやスケッチ、会議や研究会の配付資料、35mmスライド、16mmフィルムなど、実に多種多様なものが含まれています。これらは整理が難しく、他の美術館・博物館や図書館、大学などの組織では敬遠されてきた資料とも言えますが、稀少性の高いものも少なくありません。標題の研究課題は2009年度から4カ年の計画で実施し、今年度は3年目にあたります。企画情報部員や客員研究員によって、数多くの資料を分担して、整理とデジタル化を進めています。今回の中間報告会では次のようなタイトルで、各資料の分担者が報告を行いました。
 江村知子「「昭和の古画備考」−田中一松資料を今後の研究に活用していくために」、皿井舞「久野健資料について」、三上豊(和光大学・当部客員研究員)「現代美術資料—画廊等のDM・目録等の整理と今後の課題」、中野照男(客員研究員)「柳澤孝資料について」、綿田稔「田中助一資料について」、田中淳「田中敏男資料について」
 また、資料ごとにデータベースが林立し、文化財アーカイブとしての全体像が見えにくいという問題を解決するために、当研究所で現在運用中の書籍・展覧会カタログ・美術文献・写真原板などのデータベースと、田中一松・久野健・梅津次郎の各資料の基礎データを統合させたデータベース(総数約635,000件)を試作してデモンストレーションを行いました。様々な形態で存在している研究資料を一括して検索できるばかりでなく、複合的に進行している研究動向を浮き彫りにすることができ、専門的アーカイブの新たな方向性として有効です。より精度の高い情報ツールとして運用していくためには多くの課題がありますが、さまざまな研究において活用できる文化財アーカイブの構築をめざしていきたいと思います。

横山大観《山路》(永青文庫蔵)、本紙裏面からの調査

横山大観《山路》(永青文庫蔵)、本紙裏面の撮影の様子

 昨年10月の活動報告でもお伝えしたように、企画情報部では研究プロジェクト「文化財の資料学的研究」の一環として、横山大観《山路》の調査研究を永青文庫と共同で進めています。同文庫が所蔵する大観の《山路》は、明治44年の第5回文部省美術展覧会に出品され、大胆な筆致により日本画の新たな表現を切り拓いた重要な作品です。昨秋の調査の後、同作品は九州国立博物館の文化財保存修復施設で修理をすることになりました。表具を解体、裏打ち紙を除去して、絵具ののった絹地(本紙)の裏面があらわになったのを機に、同博物館および修理を担当する国宝修理装こう師連盟のご高配・ご協力を得て12月9日に再調査を行いました。裏面から薄い絹地を透かして画面を見ることで、表からではわからない制作過程がうかがえます。とくに本作品で特徴的な、紅葉をあらわす茶褐色の顔料は一見、後から点じられた筆致のように見えますが、裏面からの調査によって、本画制作のかなり早い段階で塗られていることがわかりました。
 今回の調査は永青文庫の三宅秀和氏、《山路》が寄託されている熊本県立美術館の林田龍太氏、これまでの調査に参加されてきた東京藝術大学の荒井経氏・平諭一郎氏、そして当研究所の城野誠治と塩谷で行いました。城野が本紙裏面の高精細による撮影を行いましたが、こうした修理途中の作品の調査撮影は稀であり、解体しなければ見ることのできない本紙裏面の画像はきわめて貴重な資料となるはずです。

アンコール遺跡群での現地調査と覚書の更新

石材上の生物の種類と環境条件に関する調査
覚書への調印

 平成23年12月、カンボジアのアンコール遺跡群での現地調査と、東文研・奈良文化財研究所(奈文研)およびアンコール地域遺跡整備機構(APSARA機構)との覚書の更新を実施しました。
 アンコール遺跡群での活動の目的は、石材の保存にとって適切な環境条件を解明することです。石材の生物による劣化はアンコール遺跡群における共通の課題であり、生物の種類によって石材に及ぼす影響は異なると考えられます。しかし、環境と生物の種類との関連について、分類学的な内容を含む調査研究を行っている団体は少ないのが現状です。東文研では、環境条件と石材表面に生育する地衣類、蘚苔類、藻類などの種類との関連を明らかにし、それらの生物が石材に及ぼす影響を定性的・定量的に評価するための調査研究を実施しています。今回、日本および韓国から地衣類の分類学的研究の専門家、イタリアから植物生態学および文化財の生物劣化の専門家にも参加していただき、これまで継続的に調査を行っているタ・ネイ遺跡をはじめ、タ・ケオ、タ・プローム、バイヨンなど、環境が異なる周辺のいくつかの遺跡で調査を行いました。現在は各研究者が現地調査で得られた情報の解析を行っています。また、タ・ネイ遺跡では、付近の採石場から切り出した石材試料を遺跡に長期間設置して表面状態の変化の観察を行ったり、過去の保存処理実験の経過観察を行ったりしています。
 現地調査に引き続き、アンコール遺跡群での共同研究に関するAPSARA機構との覚書を更新しました。従来、覚書は東文研と奈文研がAPSARA機構との間でそれぞれ取り交わしていました。今回から、同じ地域で活動する両文化財研究所の連携を深めるため、三者の間で締結することとなり、シエムリアップにあるAPSARA機構の本部で東文研の亀井所長、奈文研の井上副所長とAPSARA機構のブン・ナリット総裁による調印式を実施しました。今後は、修理事業が予定されている西トップ遺跡でも保存整備のための調査研究を行います。

越天楽今様の復原

 「越天楽」、といえば現在ではもっぱら結婚式場で流れる雅楽曲、あるいは民謡の「黒田節」として親しまれていますが、鎌倉時代にも寺院を中心に親しまれていました。雅楽は元来器楽ですが、越天楽のメロディは日本人の琴線にふれるところが多かったのでしょう。さまざまな歌詞をあてて歌われたのです。これを「越天楽今様」、と呼んでいます。
 能は、室町時代のはじめに世阿弥が大成した演劇ですが、能のなかには、他の芸能を取り込んで見せ場とする作品があります。たとえば、雅楽の楽人の妻を主人公とする「梅枝」では、妻が昔を偲んで舞を舞う前に「越天楽今様」の歌詞を挿入しています。現在では謡のメロディが変化して「越天楽」には聞こえませんが、桃山時代のメロディに直すと、「越天楽」のメロディが浮かび上がってきます。観世流の銕仙会では12月の公演で「梅枝」をとりあげましたが、無形文化遺産部の高桑が協力して「越天楽今様」の古いメロディを復原しました。能の古い演出を研究テーマのひとつとする高桑の研究成果を通して、雅楽と能、ジャンルを越えて音楽が交流していたことが実際の舞台で実証されました。

無形民俗文化財研究協議会「震災復興と無形文化」の開催

発表の様子
総合討議

 12月16日、第6回目を迎える無形民俗文化財研究協議会が「震災復興と無形文化――現地からの報告と提言」のテーマで開催されました。
 昨年3月の大震災以降、各地で被災地の文化を守り伝えるべく様々な活動がなされてきました。しかし震災後数か月が経っても、無形文化財とその復興については課題や情報が十分に共有されてきたとは言えない状況にありました。そこで無形文化遺産部では、震災後の無形の文化や文化財について継続的なテーマとして取りあげていくこととし、本年はその一年目として、現地で今何が起こっているのか、何が課題なのか、それを共有し、問題提起と情報発信の場にすることを目指しました。
 会では、震災以前から被災地域で活動してこられた先生方、積極的な後方支援活動や復興活動を展開している先生方5名にご発表をいただき、また、研究と行政の立場からそれぞれ一名ずつのコメンテーターをお願いしました。様々な立場の方々にお話をいただいたことで、多くの問題について、様々な角度から問題提起ができたのではないかと思います。印象深かったのは、テーマが「震災」だったにも関わらず、中心的に話し合われていたのが、実は震災以前からの課題であったことです。例えば民俗文化を保護するとはどういうことか、後継者不足や地域コミュニティの縮小とどう向き合うのか、無形の文化財行政の制度的問題、また、民俗芸能や宗教・信仰など無形の文化の持つ力や本質的意義についてなど。震災という巨大な非日常が、暴力的な形で日常の様々なひずみや、ものの本質を焙り出したといってよいかと思います。特に今回は、原発問題に揺れる福島からも発表者にお越しいただきました。同じ被災地という言葉で括られても、岩手・宮城県と福島県の状況は全く異なります。私たちはいまだに、フクシマの復興について語る言葉をほとんど持っていません。原発という、本来人間の力でコントロールできないものが、地域の文化からまったく切り離された形で抱え込まれていたという現実が、ここに改めて示されたといってよいでしょう。
 無形文化遺産部では、引き続き、震災復興と無形文化をテーマとして取り上げることで、情報発信と共有の役割を担っていきたいと考えています。なお本協議会の内容は、2012年3月に報告書として刊行する予定です。

タイ・アユタヤ遺跡群における洪水被害調査

なおも浸水箇所が残る寺院遺跡(壁に泥が付着した範囲が最大浸水位を示す)
完全に水没した発掘遺構展示
浸水によって下部が汚損した壁画の例

 平成23年11月28日~12月3日、および12月18日~23日の2次にわたり、文化庁委託事業によるアユタヤ遺跡群での洪水被害調査を実施しました。9月来の豪雨と長雨の影響によって、アユタヤやバンコクで大規模な洪水が発生したことは日本でも大きく報道されました。世界遺産リストに登録されているアユタヤ遺跡群も広範囲にわたって浸水し、その保存への影響を懸念したタイ政府の要請がユネスコバンコク事務所経由で伝えられたことから、緊急支援事業として専門家による実地調査が急遽決定されました。
 第1次調査では水害対策および文化財保存の2名、第2次調査では保存科学、壁画、建築、写真の各分野から6名の専門家を派遣し、タイ文化省芸術局および日本国文化庁の専門家たちとともに、主な遺跡の被害状況を実地において確認しました。
 その結果、浸水は相当な規模に及び、これによる一部壁画の汚損や局所的な塩類析出、煉瓦遺構への土の堆積や露出展示遺構の水没などが生じているものの、遺跡への直接的被害は限定的かつ比較的軽微なものが大半でした。しかし、煉瓦造の仏塔や祠堂などの経年による劣化や変形等は随所で認められ、中長期的な計画に基づく継続的なモニタリングや保存修復の実行が、被災状況の正確な記録作成とともに災害時の被害軽減にとっても重要であることが改めて認識されました。タイ当局によるこうした活動をいかに支援していくかが、今後の課題となります。

バハレーンにおける文化遺産国際協力コンソーシアム協力相手国調査

バハレーン文化省とのインタビュー
バハレーン砦と付属博物館
古墳群

 文化遺産国際協力コンソーシアムでは12月16日から23日まで、バハレーンの文化遺産を対象として協力相手国調査を行いました。バハレーンに対する文化遺産国際協力の現況と今後の展開を探るため、現地を訪問し、バハレーン側が求める具体的協力要請項目について検討することが調査の主な目的です。現地では、紀元前2200年頃から作られた古墳群等を中心とする考古遺跡、世界遺産バハレーン砦、バハレーン国立博物館、ムラハク歴史保存地区を訪れ、担当者と面談を行うとともに、情報収集や意見交換を行いました。
 その結果、考古遺跡に関しては発掘後の整備や世界遺産登録後の保護管理のための共同研究、保存科学分野における長期的な技術協力、建造物の保護と修復のための人材育成等が必要であると感じました。今後の日本からの協力の在り方を探るため、関係諸機関と協議しながら、どのような支援ができるのか検討していく予定です。

11月施設見学(1)

修復実験室での説明(11月10日)

 九州国立博物館ミュージアム活性化支援事業「市民と共に ミュージアムIPM」参加者 計14名
 11月10日、今後の博物館美術館等文化施設におけるIPM(総合的有害生物管理)実践に役立てるために文化財保存にかかる研究活動について見学するため来訪。保存修復科学センター修復実験室、燻蒸室及び生物科学研究室並びに文化遺産国際協力センター修復アトリエを見学し、各担当者が業務内容について説明を行いました。

11月施設見学(2)

画像情報室での説明(11月15日)

 韓国文化財研究所 クォン・ハクナム氏 ほか4名
 11月15日、韓国文化財研究所の文化財保存事業の一環として来訪。企画情報部画像情報室、保存修復科学センター修復実験室及び第1科学実験室を見学し、各担当者が業務内容について説明を行いました。

11月施設見学(3)

化学実験室での説明(11月21日)

 三菱重工業株式会社 長崎造船所 史料館・館長 横川 清氏
 11月21日、三菱重工業株式会社 長崎造船所史料館の所蔵品「あるぜんちな丸一等食堂 漆棚」の修復を東京文化財研究所に委託するに当たって、修復作業を行う実験室・アトリエを見学するため来訪。保存修復科学センター修復実験室及び化学実験室並びに文化遺産国際協力センター修復アトリエを見学し、各担当者が業務内容について説明を行いました。

11月施設見学(4)

修復アトリエでの説明(11月25日)

 モンゴル国際遊牧文明研究所国際プロジェクト・コーディネーター教授A.オチル氏
 大谷大学文学部教授 松川節氏
 11月25日、近年モンゴル国で発現した白樺樹皮文書についての意見交換と、日本における紙文書の保存修復の現状視察のため来訪。保存修復科学センター修復実験室及び生物科学研究室並びに文化遺産国際協力センター修復アトリエを見学し、各担当者が業務内容について説明を行いました。

第45回オープンレクチャー「モノ/イメージとの対話」の開催

髙岸輝氏の発表風景(11月11日)
佐々木守俊氏の発表風景(11月12日)

 企画情報部では、日々の研究の成果をより広く知っていただくために、所外の方々に向けたオープンレクチャー(公開学術講座)を毎年秋に開催しています。45回を数える今回は、新たに「モノ/イメージとの対話」と銘打ち、動かぬモノでありながら人々の心の中に豊かなイメージを育む文化財の諸相をめぐって、所内外の美術史研究者4名が11月11・12日の両日にわたり当研究所のセミナー室で発表を行いました。
 11月11日は「日本美術史における様式の複線性―様式の選択と編集」というテーマのもと、当部研究員の皿井舞が「平安時代前期から後期へ―六波羅密寺十一面観音像の造像」、東京工業大学大学院准教授の髙岸輝氏が「鎌倉時代から室町時代へ―中世やまと絵様式の源流と再生」の題で発表しました。“様式”という美術史ならではの概念をキーワードとしながら、皿井はとくに制作背景との関わりから10世紀半ばという様式過渡期の造像について考察し、また髙岸氏は平安末期~室町期の絵巻を通して、やまと絵様式の流れを重層的にとらえる自論を展開されました。
 12日は「古美術のコンセプト」というテーマで、当部広領域研究室長の綿田稔が「室町漢画の基盤―周文と雪舟の場合」、町田市立国際版画美術館の佐々木守俊氏が「平安~鎌倉時代の印仏―スタンプのほとけ」と題して発表を行いました。造形的な面ばかりが語られがちな古美術ですが、綿田は雪舟筆「秋冬山水図」(東京国立博物館蔵)やその師である周文の作品を、佐々木氏は仏像の内部に納入された印仏を対象に、それぞれ当時の制作状況や機能に照らしながら、今日ではすっかり忘れられてしまったそれらの“コンセプト”をあぶり出しました。
 今回は各日128名、108名と例年にも増して多くの方々が受講され、会場は満席状態でした。いずれの発表も各研究者の最新の研究成果を報告したものでしたが、学会レベルの内容にもかかわらず、受講者の方々の関心も高く、最先端の話題にご満足いただけたようです。

アゼルバイジャン国立美術館所蔵日本関係美術品調査

アゼルバイジャン国立美術館
同館調査風景

 平成23年11月27日から12月6日の日程で、独立行政法人国際交流基金文化協力事業として、アゼルバイジャン国立美術館所蔵日本関係美術品調査を行いました。アゼルバイジャンは、1991年に旧ソ連邦から独立した国で、首都バクーはカスピ海西岸に位置し、旧市街には世界遺産に登録された中世の建造物も遺されています。アゼルバイジャン国立美術館(Azerbaijan National Museum of Art)は、1920年にバクーに設立され、国内をはじめロシア・ヨーロッパの絵画・彫刻作品を中心に所蔵・展示を行っています。所蔵作品の中に、日本や中国の東洋美術の作品、300点ほどが含まれていましたが、同館には東洋美術の専門家がおらず、日本の美術作品と、中国やその他の地域のものの判別もつきかねる状況でした。そこでこのたび国際交流基金文化事業部生活文化チーム越智彩子氏とともに、秋田市立千秋美術館の小松大秀館長と江村が同館を訪問し、作品の調査と展示・管理についての助言を行いました。その結果、今回調査した約270点の作品のうち、約100点の日本美術作品(陶磁器・彫刻品・漆工品・金工品・染織品・絵画・版本)が含まれることが判明しました。今回調査した作品の大半は、19世紀後半から20世紀前半にかけて、日本および中国から海外に輸出された陶磁器で、稀少性はさほど高くないものの、このような輸出陶磁器のコレクションの存在が判明したことは重要な意味をもっています。調査データの整理が完了次第、調書を翻訳して同国に提供する予定で、同国における日本文化の理解に役立ててもらうとともに、日本国内の輸出陶磁器研究においても未知の在外作品所在情報として活用されることが期待できます。
 滞在中には在アゼルバイジャン日本国大使館を訪問し、特命全権大使・渡邉修介氏に面会し、今回の調査を二国間の文化的交流の好機としたいというお話がありました。また二等書記官で本事業担当者の小林銀河氏をはじめ大使館職員の方々のご尽力により、終始円滑に作業を進めることが出来ました。来年2012年は、日本と同国との国交樹立から20年の節目の年にあたり、同美術館と在日本大使館を中心として、記念の展覧会を企画する動きも出てきています。こうした両国友好の企画をはじめ今後の活動においても、たいへん有意義な調査となりました。

茨城県日立市十王「ウミウの捕獲技術」の調査 第二弾

15㍍の断崖にあるトヤ(鵜を待つ小屋)と囮の鵜
カギを使って捕獲されたばかりの鵜

 11月上旬、茨城県日立市十王町にて「ウミウの捕獲技術」(日立市無形民俗文化財)の調査を行ないました。春に震災被害の調査を兼ねて同地を訪ねてから、二回目の調査です。今回はちょうど秋の鵜捕りシーズンに当たっており、実際の捕獲の様子も調査・記録することができました。鵜捕りは、囮の鵜を用いて飛来する鵜をおびき寄せ、長いカギで引っ掛けて捕獲するものです。捕獲された鵜は、嘴をハシカケと呼ばれる専用の道具で固定し、竹かごに入れて依頼のあった全国の鵜飼地へ輸送されます。今秋は囮の鵜三羽を含む、一九羽が捕獲されました。
 今回の調査では、たまたま一羽の鵜の捕獲に立ち会うことができましたが、何日待っても一羽も飛んでこない時もあるということで、技術体系としては、鷹の捕獲技術やマブシ猟などと同じ、待ち伏せを基本とする古い狩猟の形態をよく保存しています。質のよい鵜だけを見極めて獲る必要があること、大量の捕獲の必要がないことなどから選択・継承されてきた捕獲方法といえます。しかし逆に、鵜捕りだけでは生業として成り立ちにくいことから、後継者不足もひとつの課題になっています。全国の十二の鵜飼地において用いられる鵜は、ほとんどすべてがこの場所で捕獲されたものであり、鵜飼の伝承を下支えするものとしても重要な意味を持つ民俗技術です。今後、技術の伝承を支えていくための、さらなる保護が必要になってくるものと思われます。

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