研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『TOBUNKEN NEWS (東文研ニュース)』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。

東京文化財研究所 保存科学研究センター
文化財情報資料部 文化遺産国際協力センター
無形文化遺産部


2024年度保存科学研究センター新規導入・更新機器

 保存科学センターでは2024年度に「ラマン分光分析装置」「三次元蛍光分光光度計」「高速液体クロマトグラフィー」を新規導入し、「熱分解GC/MS」「イオンクロマトグラフィー」を更新しました(図1)。これらの機器についてご紹介します。
ラマン分光分析装置
 試料にレーザー光を照射するときに生じるラマン散乱光は、分子構造によりその波長が変化します。これを利用して、非接触・非破壊で試料の構造を分析することが可能な装置です。マッピングも可能な据置型顕微ラマン分光、持ち運び可能な可搬型顕微ラマン分光、小型で持ち運びが容易なハンドヘルドラマン分光の3タイプの装置を導入しました。ラマン分光法は、純金属以外の試料であれば無機物・有機物を問わず分析可能です。染料・顔料の同定、腐蝕の原因解明、文化財付着物の分析など、さまざまな用途に利用できます(図2)。
三次元分光蛍光光度計
 試料から放出される蛍光の波長や強度は、その構造によって変化するため、蛍光分析を行うことで文化財を構成する物質の構造を推定することが可能です。非接触・非破壊で測定可能であり、蛍光を発するあらゆる試料を分析できます。蛍光を発する試料は意外と多く存在し(例えば布・紙・木材なども多くの場合蛍光を検出できます)、多くの文化財を分析可能ですが、特に染料については強力な分析ツールとなります(図3)。
高速液体クロマトグラフィー
 大気中のアルデヒドの定量や、繊維製品中の染料の定量などに用います。PDA検出器を備えており、一般的なUV検出器に比べ未知物質の定性にも威力を発揮します。抽出を行う必要があるので、基本的に破壊分析になります。
熱分解GC/MS(更新)
 紙・布帛・漆・木材など、高分子からなる試料の構造を詳細に分析することができる装置です。破壊分析ですが、試料量は1mgという極微量で分析でも分析可能です。また、大気中の臭気や残留溶媒などの定性定量も可能です。
イオンクロマトグラフィー(更新)
 大気中のアンモニアや有機酸の定量や、水中の塩化物イオンや硝酸イオンなどの定量に用います。サプレッサー法を採用しており、非常に高感度です。

 これらの装置を用いて文化財分析を今後も進めていきます。

図1 新規導入・更新機器の写真


A:ラマン分光分析装置(据置型顕微ラマン分光)B:三次元分光蛍光光度計C:高速液体クロマトグラフィーD:熱分解GC/MSE:イオンクロマトグラフィー

図2 ラマン分光分析装置による各種色材の分析

色材によって得られるスペクトルが全く異なることが分かる。1µm程度の高分解能で色材の同定が可能である。特に、非破壊で墨を分析可能であることは大きな特長である。顔料だけでなく、染料・鉱物・金属の腐蝕・繊維など、多彩な試料を分析できる。

図3 天然染料で染めた布の劣化前後の三次元分光蛍光スペクトル

A:劣化試験前 B:劣化試験後

劣化により全体的に蛍光強度が低下する。特に励起波長280nm、蛍光波長420nm付近の蛍光強度の低下が著しい。蛍光パターンは劣化の程度や素材そのものの違いにより変化するため、劣化の度合いの評価や、素材の異同分析に有効である。

文化財を守る「バックヤード」

 NHK(Eテレ)で毎週水曜日、午後10時より放送されている「ザ・バックヤード 知の迷宮の裏側探訪」という番組をご存じでしょうか。普段見ることができない博物館や図書館、動物園、鉄道会社などの裏側に潜入するというコンセプトの番組で、この4月からは放送時間も繰り上がるなど、徐々にその人気は高まってきているそうです。
 そんな「ザ・バックヤード」で、この度、東京文化財研究所が取り上げられました。もともとは当研究所のことを色々な方に知っていただきたいとの思いから、昨年秋頃から準備を進めてきたのですが、今年の3月頃から話が具体化し、実際の撮影は6月初めに行われました。
 約30分という放送時間の制約もあり、今回の撮影では文化財情報資料部(文化財アーカイブズ研究室)、保存科学研究センター(分析科学研究室・修復材料研究室・生物科学研究室・修復技術研究室)しか紹介できませんでしたが、番組をご覧いただいた方には、文化財を守る重要なバックヤードとしての当研究所の取り組みをご理解いただけたのではないかと思います。
 それぞれの部署でご案内した内容は、以下に簡単にまとめました。関連する過去の活動報告等も一部掲載していますので、あわせてご覧ください。

【文化財情報資料部】
●文化財アーカイブズ研究室
 文化財情報資料部では資料閲覧室や写真原板庫にて、当研究所の所蔵する図書と写真の資料を中心にご案内しました。昭和初期に調査撮影した名古屋城障壁画のガラス乾板写真や、昭和40年代に不慮の事故により損傷を受けてしまった、与謝蕪村筆「寒山拾得図襖絵」(丸亀市・妙法寺)について、昭和30年代に研究所で撮影していたモノクロ写真の輪郭線のデータと現在のデジタル画像を合成して、事故前の状態に襖を復原したプロジェクトを紹介しました。当研究所が100年近くもの間、継続してきた調査研究の蓄積と最新の技術を応用した事例をご覧いただきました。
資料閲覧室 https://www.tobunken.go.jp/joho/japanese/library/library.html
古写真 名古屋城本丸御殿 https://www.tobunken.go.jp/image-gallery/nagoya/index.html
活動報告 香川・妙法寺への与謝蕪村筆「寒山拾得図」復原襖の奉安 :: 東文研アーカイブデータベース (tobunken.go.jp)
妙法寺(香川県丸亀市)所蔵 与謝蕪村作品デジタルアーカイブ
https://www.tobunken.go.jp/myohoji/

【保存科学研究センター】
●分析科学研究室
 分析科学研究室では、2次元的な元素マッピングを行うことができる蛍光X線分析装置をご覧いただきました。このような最先端の技術を適用することにより、キトラ古墳壁画のうち泥に覆われていて目視では確認をすることができない十二支像を鮮明に確認することができた成果につながったことを紹介しました。
活動報告 キトラ古墳壁画の泥に覆われた部分の調査 :: 東文研アーカイブデータベース (tobunken.go.jp)

●修復材料研究室
 修復材料研究室では、キトラ古墳壁画の漆喰取り外しに関する技術開発のご説明をしました。脆弱な壁画表面を取り外しの際には安定化させ、取り外し後には絵画に影響なく除去が可能な手法を用いたことについて、実際に使用した材料を用いて作成したモデルで示しつつ紹介しました。当研究所が開発した技術ではありますが、実際に施工に当たられた関係者の皆様のご協力によって安全に取り外し、再構成、展示ができたことを改めて感謝する機会となりました。
活動報告 キトラ古墳壁画展示のための作品搬送 :: 東文研アーカイブデータベース (tobunken.go.jp)

●生物科学研究室
 生物科学研究室では、文化財の生物被害に関する研究について紹介しました。東日本大震災に伴う津波で水損した資料で見られた赤色のカビについては、カビの性状調査を行う意義についてご説明しました。また、近年問題となっている新たな文化財害虫「ニュウハクシミ」についても生体をご覧いただきながら、防除対策に関する研究成果の一端を紹介しました。
活動報告 文化財害虫検索サイトの公開 :: 東文研アーカイブデータベース (tobunken.go.jp)
活動報告 文化財害虫の検出に役立つ新しい技術開発に向けた基礎研究 :: 東文研アーカイブデータベース (tobunken.go.jp)

●修復技術研究室
 修復技術研究室では、近代の科学技術に関する文化財および災害等で被災した文化財の修復に関する調査研究を行っています。番組では、前者の例としてアジア・太平洋戦争期の機銃(報国515資料館所蔵)の保存について、後者の例として東日本大震災で被災した紙製文化財の保存処置について紹介しました。特に紙製文化財の処置については、実験用に作成した冊子を用いて水損状態を再現し、風乾(自然乾燥)と真空凍結乾燥での処置による違いをお伝えしました。
活動報告 20世紀初頭の航空機保存修復のための調査 :: 東文研アーカイブデータベース (tobunken.go.jp)
活動報告 南九州市における近代文化遺産の調査 :: 東文研アーカイブデータベース (tobunken.go.jp)
TOBUNKEN NEWS No.78 巻頭記事「災害により被災した文化財を検証するために」 TOBUNKEN NEWS(東文研ニュース)

 なお、番組は6月26日に放送され、SNSを中心に予想以上の反響をいただきました。これを一つのきっかけにして、今後もより多くの皆様に、当研究所の活動に対する興味関心を持っていただければ幸いです。

「文化財科学に関する日仏ワークショップ」の開催

シンポジウム後の集合写真

 文化財科学に関する議論及び今後の日仏間の研究交流の構築等を目的として、「文化財科学に関する日仏ワークショップ」と題したシンポジウムを令和6(2024)年3月13日に東京文化財研究所のセミナー室にて開催しました(共催:東京文化財研究所、在日フランス大使館、フランス博物館研究修復国立センター、 文化遺産科学財団)。
 シンポジウムのプログラムは、陶磁器、紙、木材、絵画、保存環境・持続可能な保存の5つのテーマ別セッションで構成しました。各トピックに関して、日仏からそれぞれ一人ずつの研究者にご講演いただいた後で質疑応答を行う形で進めました。そして、5つのセッションを終えた後の総合討議では、シンポジウムの内容の総括にとどまらず、文化財科学の今後の展望にまで及んだ活発な議論が行われました(参加者:61名(仏側の研究者8名))。
 さらに、翌14日には、シンポジウムでの発表者とモデレータを中心としたメンバーでクローズドの会議を開催し、文化財科学に関するこれからの日仏間の研究交流について実りの多いディスカッションを行うことができました。

持続可能な収蔵品のリスク管理 ワークショップ-HERIe Digital Preventive Conservation Platform の活用-の開催

プラットフォームのトップページ
Łukasz Bratasz 氏による講義の様子
Michal Lukomski 氏による講義の様子
ワークショップの様子

 令和5(2023)年12月17日、東京藝術大学美術学部を会場に東京藝術大学大学院文化財保存学専攻と文化財防災センターとの共同で、「持続可能な収蔵品のリスク管理」と題したワークショップを開催しました。
 HERIe Digital Preventive Conservation Platform(https://herie.pl/Home/Info)はコレクションの展示および保存条件の安全性を評価する際に、博物館・美術館等の学芸員と保存の専門家との連携を支援するために、収蔵品に対するリスクの定量的評価を提供する意思決定支援のためのプラットフォームです。現時点で、大気汚染物質、光、不適切な温度や相対湿度などの環境劣化要因に対応するモジュールと、火災の危険度の推定を可能にするモジュールが含まれています。このプラットフォームは、欧州委員会とゲッティ保存研究所からの財政的支援を受けて、いくつかの機関によって開発されています。
 このワークショップは作品保存管理者、保存修復者などがプラットフォーム上で自分自身の館のデータを使用しながら、どのように活用できるか実地に体験してもらうことを目的として行いました。海外よりこのプラットフォームの開発者の一員である先生方を招き、活用方法や有効性について直接お話を伺い、実地に試せる非常に良い機会となりました。導入として、Łukasz Bratasz氏 (ポーランド科学アカデミー教授)から持続可能なコレクションの保存計画立案のためのプラットフォームについて紹介があり、コンセプトおよび構成の説明、そして博物館・美術館等における空気汚染物質と化学的劣化について紹介がありました。続いて、Michal Lukomski氏 (ゲッティ保存研究所博士)から機械的損傷のモデル化と博物館環境の評価ツールの使用について、Boris Pretzel氏(東京藝術大学大学院文化財保存学専攻招聘教授)からは光劣化ツールについて紹介があり、最後にBratasz 氏により防火評価ツールの説明がありました。展示ケースツールなどの他のツールについても紹介とデモンストレーションが行われ、受講生はそれぞれのツールを実際に使って、どのようなことができるプラットフォームなのかを理解しました。
 受講生からは大変有用なツールを教えていただいたので館に戻って活用したい、修復する際に工房へ持ち込んだ時の光の損傷など検討するのに役立てたいなど、プラットフォームへの理解が深まったという意見が多く寄せられました。
 このプラットフォームは無料で提供されているものなので、研修に参加された方々だけでなく、参加されなかった方々にも広く活用してもらいたいと考えています。

早川泰弘東京文化財研究所副所長・高妻洋成奈良文化財研究所副所長 退任記念シンポジウム「分析化学の発展がもたらした文化財の新しい世界-色といろいろ-」の開催

シンポジウムのチラシ
早川副所長の基調講演
高妻副所長の基調講演
パネルディスカッションの様子

 近年、分析化学の発展によって文化財の新しい価値が発見されるようになってきました。文化財の科学的な調査研究・保存に長年携わってきた東京文化財研究所の早川泰弘副所長と奈良文化財研究所の高妻洋成副所長が2023年3月に退任されることを記念して、分析化学の発展がもたらした文化財の新しい世界を文化財の最も基本的かつ重要な価値の一つである「色」という切り口から改めて見返してみようという趣旨のシンポジウムを3月4日に開催しました(主催:東京文化財研究所・奈良文化財研究所、共催:日鉄テクノロジー株式会社)。
 当研究所のセミナー室にてシンポジウムを開催しましたが、さらに当研究所と奈良文化財研究所に設けましたサテライト会場におきましても多数の参加者にお集まりいただきました(参加者:69名(当研究所セミナー室)、36名(当研究所サテライト会場)、26名(奈良文化財研究所サテライト会場))。また、今回のシンポジウムではYouTubeによる同時配信を実施しましたが、こちらからも多くの方々に視聴していただきました(視聴者数:約155名)。
 早川副所長による基調講演「日本絵画における白色顔料の変遷」では、これまでの分析調査の結果に基づいた日本絵画に用いられている白色顔料(鉛白、胡粉、白土)の変遷に関する研究成果の紹介が行われました。高妻副所長からの基調講演「領域を超えて」では、文化財の保存科学では自らの専門性を磨きつつ幅広い視野を持ち、お互いに理解をし合いながら研究を行うことの重要性についてご講演をいただきました。また基調講演に加えて、文化財の「色」に関連した7つの研究発表、昼休みには各種分析機器の展示も行われました。そして、講演後のパネルディスカッションでは、文化財の色に関する分析の話題にとどまらず、文化財保存科学の今後の展望にまで及んだ活発な議論が行われました。
 東京文化財研究所、奈良文化財研究所、日鉄テクノロジーのスタッフが専門性や所属の垣根を越えて今回のシンポジウムの企画・準備をすることができましたのは、これまでの両副所長のご指導によるところが多大であり、そしてとても盛会なシンポジウムを開催することができました。

博物館の展示ケース内における空気質調査

展示ケース内に設置した袋に窒素ガスを入れている様子
袋内の空気をポンプで採取している様子

 保存科学研究センターでは博物館等の保存環境にかかる調査研究を行っています。今回、神奈川県立歴史博物館より、展示ケース内の空気質に関する調査依頼をいただきました。展示ケース内で有機酸が検出されるが、発生源が特定できておらず、対策を講じるためにも発生源を知りたいということでした。また、これまで有機酸として一括りでしか測定できていなかったので、酢酸とギ酸の割合を把握したいという要望もありました。
 そこで、保存科学研究センター・保存環境研究室と分析科学研究室では、分析科学研究室で開発を行っている空気質の調査方法を適用して、発生源を調べることにしました。調査対象は大小の壁付展示ケース床面、覗きケース展示面、展示台、バックパネルの5箇所です。写真のように空気を通さないフィルムで作られた袋を測定箇所にかぶせ、重さ4.5kgの鉛金属のリングで設置面に隙間ができないように設置しました。袋の中の空気を窒素に置き換え24時間静置後、袋内からポンプで空気を採取し超純水に溶かした試料をイオンクロマトグラフィーで分析することにより、酢酸、ギ酸の放散量を測定しました。同時に、データロガーを袋内に封入し、二酸化炭素の濃度変化を測定することで、密閉度の確認も行いました。
 今回の調査により、それぞれの測定箇所の酢酸・ギ酸の濃度を把握することができたので、今後の空気質改善の対策に生かしていきたいと考えています。

高徳院観月堂で用いられている彩色材料の調査

高徳院観月堂での調査風景

 鎌倉大仏殿高徳院の境内には、朝鮮王朝王宮「景福宮」から移築された「観月堂」と称されるお堂があります。観月堂では瓦や壁面の経年劣化や野生生物の被害など、建造物の保存・活用に関する課題を抱えています。また、観月堂に施されている丹青(彩色材料)は、景福宮建立当時に用いられたものが現存している非常に希少なものですが、その材質等についてはまだ明らかになっておらず、現在の状態を把握しておくことが重要です。このような検討を進める上で、観月堂に用いられている彩色材料に関する基礎情報を収集することになりました。
 そこで、鎌倉大仏殿高徳院(佐藤孝雄住職)からの依頼を受けて、令和4(2022)年7月6日、7日に、保存科学研究センター・犬塚将英、早川典子、芳賀文絵、紀芝蓮が観月堂に可搬型分析装置を持ち込んで、建築部材に施されている彩色材料の現地調査を実施しました。
 調査の第一段階として、観月堂が建造された当初に彩色されたと推測される箇所を中心に、色に関する情報を2次元的に把握するために、ハイパースペクトルカメラを用いた反射分光分析を行いました。このようにして得られた反射分光スペクトルのデータを参考にして、学術的に興味深いと考えられる箇所を選定し、蛍光X線分析による詳細な分析も行いました。以上の2種類の分析手法によって得られたデータを詳細に解析することにより、朝鮮王朝時代に用いられた特徴的な彩色材料に関する理解を深め、今後の保存・活用に役立てていく予定です。

ハイパースペクトルカメラを用いた梅上山光明寺での分析調査

調査の準備
調査箇所についての協議

 これまで何回かにわたり「活動報告」で紹介してきました通り、東京都港区の梅上山光明寺が所有している元時代の羅漢図についての調査が文化財情報資料部によって実施されてきました(梅上山光明寺での調査)。そして、光学調査で得られた近赤外線画像や蛍光画像から、補彩のために新岩絵具が用いられた箇所がある可能性が示唆されました。
 このような画像データの観察に加えて、科学的な分析調査を行うことにより、高精細画像とは異なる切口から情報が得られると考えられます。そこで、令和4(2022)年1月19日に光明寺にて、保存科学研究センターの犬塚将英・紀芝蓮・高橋佳久、そして文化財情報資料部の江村知子・安永拓世・米沢玲が反射分光分析による羅漢図の調査を実施しました。
 反射分光分析を行うことにより、光の波長に対して反射率がどうなるのか、すなわち反射スペクトルの形状から作品に使用されている彩色材料の種類を調べることができます。さらに、今回の調査に適用しましたハイパースペクトルカメラを用いると、同じ反射スペクトルを示す箇所が2次元的にどこに分布するのかを同時に調べることができます。
 今後は、今回得られたデータを詳細に解析することにより、補彩のために用いられた材料の種類と使用箇所の推定を行う予定です。

キトラ古墳壁画の泥に覆われた部分の調査

蛍光X線分析による調査風景

 主に東京文化財研究所と奈良文化財研究所の研究員で構成される古墳壁画保存対策プロジェクトチームでは、高松塚古墳壁画・キトラ古墳壁画の保存や修復のための調査研究を行っています。高松塚古墳壁画と比べると、キトラ古墳壁画では四神や天文図等に加えて、各側壁に三体ずつ獣頭人身の十二支像が描かれている特徴があります。十二支のうち、子・丑・寅・午・戌・亥の六体の像は存在を確認することができますが、卯・未・酉に該当する箇所は漆喰ごと完全に失われています。そして、残りの辰・巳・申に関しては、該当する箇所の表面が泥に覆われており、これまでのところ、図像の有無は確認できていませんでした。これらの像が描かれている可能性のある3つの壁画片は再構成されておらず、現在は高松塚古墳壁画仮設修理施設にて保管されています。
 辰・巳・申の図像の存在を確認するために、プロジェクトチームの材料調査班と修復班の協働により、平成30(2018)年にX線透過撮影による調査を行ったところ、辰に関しては何らかの図像が描かれているようなX線透過画像が得られたものの、多くの課題が残されました。そこで、令和2(2020)年12月に、辰と申が残存している可能性のある壁画片に対して蛍光X線分析を実施したところ、水銀が検出されたことから、図像の存在の可能性を示すことができました。
 そして、令和3(2021)年8月11日に、巳が残存している可能性のある壁画片に対して蛍光X線分析を実施しました。この調査には、東京文化財研究所・保存科学研究センターの犬塚将英、早川典子、紀芝蓮の3名が参加しました。巳が描かれていると予め予測しておいた位置を中心に縦横2cmの間隔で蛍光X線分析を行いました。その結果、予測した箇所から水銀が検出されたため、巳についても図像の存在の可能性を示すことができました。
 この調査で得られた結果については、令和3(2021)年8月31日に文化庁によって開催された「古墳壁画の保存活用に関する検討会(第29回)」にて報告を行いました。

巳が描かれている可能性のある壁画片のX線透過画像(左)と
検出された水銀の信号強度の分布(右)

X線透過撮影と蛍光X線分析による甲冑の調査

蛍光X線分析による甲冑の調査風景

 刈谷市歴史博物館からのご依頼により、同館が保管している「鉄錆地塗紺糸縅塗込仏胴具足・尉頭形兜」の分析調査を保存科学研究センター・犬塚将英が実施しました。この資料の中で、兜は昭和59(1984)年に刈谷市の指定文化財となりました。一方、胴などの兜以外の部位については、数年前に所在が明らかになったばかりです。それらの部位の損傷の度合いは兜と比較すると大変激しいのですが、平成31(2019)年に追加指定され、兜とともに刈谷市歴史博物館に寄託されました。
 この資料については、今後、保存修復事業が実施されます。そのための基礎的なデータを収集するために、東京文化財研究所にて令和3(2021)年5月31日にX線透過撮影による構造調査と蛍光X線分析による顔料の調査を実施しました。
 X線透過撮影で得られたX線画像からは、兜と胴の構造、構成している部材の枚数、鋲の位置と個数等の情報を得ることができました。また、サイズが大きくて立体構造を有する文化財に対して高い感度で分析をすることに特化された装置を使用して、兜の表面に用いられている薄橙色を呈する部分の蛍光X線分析を行い、用いられている顔料等の材料についての検討を行いました。これらの調査結果は、今後の修復作業の際の参考資料として活用される予定です。

文化財の材質・構造・状態調査に関する研究会 「文化財に用いられている鉛の腐食と空気環境」

研究会の様子

 保存科学研究センターの研究プロジェクトである「文化財の材質・構造・状態調査に関する研究」では、様々な科学的分析手法によって文化財の材質・構造を調査し、劣化状態を含む文化財の文化財の物理的・化学的な特徴を明らかにするための研究を行っています。そして分析科学研究室では、近年全国で顕在化している鉛の腐食に関する問題にも取り組んできました。
 そこで本研究の総括を目的として、美術史(長谷川祥子氏(静嘉堂文庫美術館)、伊東哲夫氏(文化庁))、保存科学(古田嶋智子氏(国立アイヌ民族博物館))、保存修復(室瀬祐氏(目白漆芸文化財研究所))の専門家をお招きし、令和2(2020)年12月14日に研究会「文化財に用いられている鉛の腐食と空気環境」を開催しました。研究会では、鉛を使用した美術品の紹介、鉛の腐食の問題に関する現状と課題、鉛の腐食に関する材料工学的な基礎知識についてのご講演をいただきました。さらに、空気環境と鉛の腐食に関する調査事例、鉛の腐食と修復に関する事例等の報告を通じて、最新情報の共有とディスカッションを行いました(参加者:20名)。

大岩山毘沙門天での金剛力士立像の構造調査

エックス線透過撮影による金剛力士立像の調査風景

 栃木県足利市にある大岩山毘沙門天は、京都の鞍馬山・奈良の信貴山とともに日本三大毘沙門天のひとつと言われています。山門には足利市指定文化財「木造 金剛力士立像」が安置されていますが、最近の調査から、経年劣化が進んでいることが懸念されています。特に阿形像に関しては、頭部が前傾している可能性も指摘されてきました。このような事情から、所有者による修復事業の実施が予定されています。
 この修復事業において、まずは金剛力士立像の部材やそれらの接続方法を明らかにする必要がありました。しかし、像高が約2.8mにも及ぶ阿形像と吽形像を山門から移動せずに、その場で調査を実施する必要がありました。このような非破壊調査の依頼を足利市教育委員会を通じて受けて、令和2(2020)年9月9日、10日に、保存科学研究センター・犬塚将英がエックス線透過撮影による内部構造の調査を実施しました。
 調査風景の写真にありますように、金剛力士立像の手前に組まれた足場に、可搬型エックス線発生装置を設置してエックス線の照射を行いました。エックス線透過画像を得るために、イメージングプレート(IP)を使用しましたが、金剛力士立像の背後の限られたスペースにIPを設置する方法については、事前に調査メンバーで検討を重ねました。そして、今回の調査では、現地にIPの現像装置を持ち込んで実施し、エックス線透過画像をその場で確認しながら調査を進めました。
調査で得られたエックス線透過画像から、金剛力士立像の内部構造、及び過去の修復時に用いられた釘等の位置や数等を明らかにすることができました。これらの調査結果は、今後の修復作業の際の参考資料として活用される予定です。

IIC2018トリノ大会への参加

IIC2018トリノ大会での質疑応答の様子

 平成30年(2018)9月10日から14日にかけて、IIC(International Institute for Conservation of Historic and Artistic Works)の大会がトリノ(イタリア)で開催されました。東京文化財研究所からは保存科学研究センター・犬塚将英が参加しました。
 今回の大会では「文化財の予防保存」がテーマとして掲げられました。このため、大会中は文化財の保存環境、分析、修復等の各論にとどまらず、予防保存の重要性、そのために求められるリーダーシップ、公衆関与等についての活発な議論も行われました。
 屋外に置かれている文化財のための予防保存についての議論を行うセッションでは、国内の装飾古墳の保存施設に見られる結露の問題とその対策に関する発表を犬塚が行いました。また、ポスターセッションでは、保存環境研究室が取り組んできました日本の博物館等の環境調査の歴史と現状に関する内容のポスターを掲示し、参加者との情報交換を行いました。

被災したツチクジラ標本資料の構造調査

被災したツチクジラ標本資料のエックス線透過撮影による調査風景

 陸前高田市海と貝のミュージアムに展示されていたツチクジラ標本(愛称“つっちぃ”)は、昭和29年(1954年)に東京で開催された国際捕鯨委員会の際に、全長が約10mのツチクジラを剥製にしたものです。平成23年(2011年)3月11日に東北地方太平洋沖地震による津波で被災をした同資料は、同年5月28日に現地で実施された被災状況の一次調査を経て、安定化処理と修復を目的として6月30日に国立科学博物館筑波研究施設に搬入されました。現在も国立科学博物館が陸前高田市から依頼されている“つっちぃ”の修復事業が進められています。
 この修復事業において、“つっちぃ”内部の木組みの構造や腐食箇所を明らかにする必要があります。このような非破壊調査の依頼を国立科学博物館から受けて、平成28年(2016年)10月16日~18日、23日~25日の期間に、保存科学研究センターの犬塚将英と濱田翠がエックス線透過撮影による内部構造の調査を実施しました。今回の調査では、平成27年(2015年)に東京文化財研究所に導入したイメージングプレート現像装置を持ち込んで実施し、X線透過画像をその場で確認しながら調査を進めました。
 全長が約10mに及ぶ資料を縦方向と横方向から網羅的に調査を行ったため、合計で375枚ものエックス線透過画像データが得られました。これらの画像からは、“つっちぃ”内部の木組みの構造、使用されている釘の数や位置、それらの腐食状態に関する様々な情報も得られました。これらの調査結果は、エックス線透過撮影に引き続き実施される内視鏡を用いた調査や修復作業の際の参考資料として活用される予定です。

可搬型X線回折分析装置を用いた飛鳥大仏の材質調査

可搬型X線回折分析装置を用いた飛鳥大仏の材質調査

 奈良県飛鳥地方の中心にある飛鳥寺には、像高約3メートルの銅造釈迦如来坐像、いわゆる飛鳥大仏が本尊として安置されています。史料によりこの丈六の大きさの飛鳥大仏が推古14年(606年)に鋳造されたことや、その作者が止利仏師であったことが知られます。日本で最初の丈六像として重要な作品ですが、鎌倉時代初期に火災にあったため、当初の部分がどこに相当するかについては諸説提示されているのが現状です。
 平成28年(2016)6月16日・17日の拝観時間後、大阪大学藤岡穣教授の「5~9世紀の東アジア金銅仏に関する日韓共同研究」(科学研究費補助金基盤研究(A))の一環として、美術史学、保存科学、修理技術者、3D計測の専門家等により、飛鳥大仏の保存状態や製作技法に関する大規模な調査が実施されました。東京文化財研究所からは、早川泰弘、犬塚将英、皿井舞の3名が参加し、昨年度に当所が導入した可搬型X線回折分析装置(理研計器 XRDF)を用いて飛鳥大仏表面の材質調査を行いました。
 今回の調査では飛鳥大仏の周りに堅牢な足場が組み上げられたことにより、頭部の螺髪や面部、手や腹部など飛鳥大仏本体で10カ所の箇所を測定することができ、またそのほか飛鳥大仏に付随していたとされる銅造断片3カ所の合計13カ所を分析することができました。
 可搬型X線回折分析装置では物質の結晶構造に関する情報が得られます。今回、この結晶構造に関する情報と、大阪大学や韓国国立中央博物館が行った蛍光X線分析による物質の構成元素の種類に関する情報とを組み合わせることによって、化合物の種類を特定することができるようになります。これらの分析によって、飛鳥大仏の表面に存在している化合物の種類を同定し、測定対象箇所の化合物を比較することが可能になります。
 現在はこれらのデータの詳細な解析を行っており、今年度中に分析結果の報告を行う予定です。

サントリー美術館での重要文化財「四季花鳥図屏風」の調査

イメージングプレート現像装置を用いた調査風景

 2015年8月の調査に引き続き、11月10日から12日までの期間にサントリー美術館にて、重要文化財「四季花鳥図屏風」の調査を実施しました。「四季花鳥図屏風」の制作技法や材料について調べるために、光学調査、蛍光X線分析、可視分光分析、エックス線透過撮影等の手法を用いた調査を行いました。
 エックス線透過撮影では、イメージングプレートを用いてX線透過画像を得ます。今回の調査では、11月に東京文化財研究所に導入したイメージングプレート現像装置をサントリー美術館に持ち込んで実施しました。このため、それぞれの撮影後にX線透過画像をその場で確認しながら調査を進めることができました。このようにして得られたエックス線透過画像から、彩色材料の種類や厚さや製作技法に関する様々な情報を得ることができました。
 これらの調査結果を整理し、今年度中に調査報告書を刊行する予定です。

伊豆の長八美術館での鏝絵と塑像の構造調査

伊豆の長八美術館での調査風景

 文化財の材料や構造の科学的な調査では、非破壊・非接触を前提とした手法を要求されることが多いので、エックス線を用いた調査方法が重要な役割を担ってきました。エックス線を用いた調査手法のひとつであるエックス線透過撮影では、物質の密度や厚みの違いによるエックス線透過度の違いを利用して、目視では確認することのできない内部構造や材料の重なりを、非破壊・非接触で調査することができます。
 今回調査を行ったのは、幕末から明治前半にかけて活躍をした鏝絵師・伊豆長八の作品です。左官が壁を塗る時に使う鏝を用いて漆喰で描く鏝絵や塑像の作品を伊豆長八は数多く残しています。これらの作品の製作技法を調べるために、2015年5月19日と20日に伊豆の長八美術館(静岡県賀茂郡松崎町)の2階にて、エックス線透過撮影による内部構造の調査を実施しました。その結果、額縁のついた鏝絵作品である装額の層構造、塑像の内部構造と製作技法などが明らかになりました。

文化財の保存環境に関する研究会「文化財の保存環境の制御と予測」

研究会の様子

 文化財の保存を考える上で、温湿度、光、空気質等の保存環境を適切に保つことが重要です。そして、空気調和設備の技術的な発展に伴い、展示・収蔵施設における温湿度環境は著しく向上されてきました。一方で、作品の貸し借りや移動に伴う環境の変化や省エネ等の観点から、文化財を保存するための温湿度条件に関する議論が国内のみならず世界的にも再び高まりつつあります。
 保存修復科学センターでは、文化財を取り巻く温湿度環境が文化財へ与える影響、温湿度環境の予測や制御に関する研究を行っています。2015年2月9日に開催した研究会「文化財の保存環境の制御と予測」では、保存科学の研究者(間渕創氏(三重県総合博物館)、古田嶋智子氏(東京藝術大学))や建築分野の専門家(権藤尚氏(鹿島技術研究所)、北原博幸氏(トータルシステム研究所)、安福勝氏(近畿大学))をお招きし、文化財の展示・収蔵施設における空調設備を用いた温湿度制御の事例、新しい設備を開発し導入した事例、展示ケース内における温湿度や空気質を調査した事例、コンピューターシミュレーションを用いた温湿度環境の予測及び実測値との比較等の事例を通じて、文化財の保存環境に関する最新情報の共有とディスカッションを行いました(参加者:29名)。

日光東照宮陽明門の外壁側板絵画の保存に関する調査

陽明門壁板絵画の現地調査
X線透過写真撮影装置の設置

 保存修復科学センターでは、「文化財における伝統技術及び材料に関する調査研究」プロジェクトの一環として、現在、東照宮陽明門の塗装彩色修理に伴う調査を行っています。陽明門の東西側壁板には、現在、寛政8年(1796)に作成された「大羽目板牡丹浮彫」が取り付けられていますが、文献史料によると、元禄元年(1688)や宝暦3年(1753)など、それより古い年代に「唐油蒔絵」と呼ばれる技法で描かれた絵画が存在していました。昭和46年の塗装彩色修理では、このうちの東側壁が取り外され、宝暦3年(1753)作成と思われる「岩笹梅の立木 錦花鳥三羽」の絵画が見つかり、当時の保存科学部が調査を行いました。また西側壁板の下にも「大和松岩笹 巣籠鶴」の絵画が描かれていたことが当時のX線透過写真撮影でわかりましたが、上の壁板を取り外さなかったため、実物を見ることはできませんでした。今回、上の西側壁板を塗装修理するために取り外したところ、218年ぶりにこの絵画の存在が確認されました。しかし、変色や剥落などの劣化が著しいため、当センターでは日光東照宮と日光社寺文化財保存会に協力して、これを防止するための材質や劣化の調査、さらには絵画史研究者も参加してこの絵の下にあるとされる古い年代の絵画痕跡を確認するためのX線透過写真撮影などを実施しています(写真1,2)。この成果を、寛永13年(1636)の造営以来、日光東照宮陽明門を荘厳してきた塗装彩色の実態の解明や、今後、これらを少しでも良い状態で保守管理するために役立てたいと考えています。

『保存科学』49号 発刊

『保存科学』49号

 東京文化財研究所保存修復科学センター・文化遺産国際協力センターの研究紀要『保存科学』の最新号が、平成22年3月31日付けで刊行されました。高松塚古墳・キトラ古墳の保存に関する研究情報、その他保存科学に関する基礎研究や調査結果など、当所で実施している各種プロジェクトの最新の研究成果が発表・報告されています。ホームページから全文(PDF版)をお読みいただけますので、ぜひご利用ください。(http://www.tobunken.go.jp/~hozon/pdf/49/MOKUZI49.html

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