研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『TOBUNKEN NEWS (東文研ニュース)』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。

東京文化財研究所 保存科学研究センター
文化財情報資料部 文化遺産国際協力センター
無形文化遺産部


青花紙の製作に関する調査研究-滋賀県草津市との共同調査の開始-

「アオバナの花弁を摘んでいるところ(草津市提供)」
「アオバナの汁を和紙に塗っているところ(草津市提供)」

 無形文化遺産部では本年度より滋賀県草津市と共同で青花紙製作技術の共同調査を開始しました。青花紙とはアオバナの花の汁を絞り、和紙に染み込ませたものです。
 青花紙は『毛吹草』(寛永15〈1638〉年序)にも取り上げられた東山道近江国の特産物で、現在でも友禅染・絞染などに利用されています。特に友禅染では、アオバナの青色色素が水で落ちるという性質を利用してきました。友禅染は青花紙を水に浸した液によって細密な模様を描き、その上に防波堤となる糸目糊を置いて周りに染料が入り込まないように工夫してから彩色します。生地を多彩に染め分けるには青花紙が欠かせない材料といえます。
 このような青花紙ですが、現在では生産農家も減少し、3件の農家によって製作されています。本共同研究では、農家の方々にご協力を得て、地域の、ひいては我が国の文化財・文化遺産としての価値を整理し、今後の保護への基礎データとしていきたいと考えています。
 人から人へと受け継いできた青花紙の製作技術を、これからの時代へどのように受け継いでいくことができるのか、他の地域の事例なども比較しながら検証していきます。

「ネパールの被災文化遺産保護に関する技術的支援事業」による現地派遣(その3)

調査成果報告会での発表
意見を述べるコカナの住民

 文化庁委託「文化遺産国際協力拠点交流事業」による標記支援事業では、引き続き、ネパール現地への派遣を実施しています。今回(8月31日〜9月11日)は、外部専門家も含めて4名の派遣を行ないました。
 本事業の一環として、被災歴史的集落における復興のあり方を検討すべく、世界遺産暫定リストに記載されているコカナ集落にて調査活動を実施しています。コカナでは多くの住民が今も仮住まいを強いられており、早期再建と歴史的町並みの保全とのバランスをいかに考えるかが、復興における大きな課題となっています。
 今回派遣中の主な活動として、昨年度のコカナでの調査成果を地元住民に説明するための現地報告会を開催しました。住民の関心は非常に高く、報告会には100名以上の参加をいただき、発表に対しても多くの質問や意見が寄せられました。それらは私たちにとっても、今後の調査や現地への貢献のあり方を考える上で、非常に示唆に富むものでした。
 調査を進める中で、コカナに限らずネパール全土において歴史的集落の保全制度が十分に整っておらず、住民の思いだけでは町並み保全が進まない現状が徐々に明らかになってきました。かつて、わが国においても、歴史的集落の保全は不十分でしたが、そこから、伝統的建造物群保存地区制度をはじめとした歴史的集落および景観保護のための法制度を、試行錯誤を経つつ整えてきた経緯があります。このような日本の経験も参考にしながら、ネパールの歴史的集落の保全に寄与すべく、今後とも現地の諸機関への技術支援を進めていきたいと思います。

バガン(ミャンマー)における地震発生後の壁画被災状況調査

被害を受けた寺院
地面に散らばった壁画片

 平成28年(2016)8月24日にミャンマー中部のチャウ近郊を震源とするマグニチュード6.8の地震が発生し、バガン遺跡でも数多くの仏塔寺院に被害が出ました。これを受けて、9月24日から30日までの期間、遺跡群内の壁画保存状況を確認すべく調査を行ないました。
 現地調査には、ミャンマー宗教文化省 考古国立博物館局バガン支局職員の方にもご同行いただき、事前に大きな被害がでたとの報告を受けていた寺院を中心に、壁画の損傷状況に関する調査を行いました。その結果、壁画の支持体に相当する煉瓦造寺院に発生した亀裂や煉瓦材の動きがプラスターの傷みに繋がっていることや、パガン王朝期にみられる数種類に及ぶ壁画制作技法や材料によって損傷程度に違いが生じていることが分かりました。また、過去の修復で使用された幾つかの材料が、バガン遺跡の壁画には適合しておらず、かえって負担になっていることも明らかとなりました。
 現地では、今も被災したバガン遺跡を守るべく復興活動が続けられています。当研究所の事業として外壁の応急処置方法や壁画の保存修復方法を検討しているMe-Taw-Ya寺院(No.1205)にも被害がでました。今後は、これまでの事業方針に加えて、地震によって浮き彫りとなった問題点にも考慮した修復材料の導入や、緊急時における対処方法の確立、およびそこに携わる専門家の育成にも目を向けながら、今後の活動に取り組んでゆきたいと思います。

国際研修「紙の保存と修復」2016の開催

修復実習における裏打ち実演

 平成28(2016)年8月29日から9月16日にかけて、国際研修「紙の保存と修復」を開催しました。本研修は、東京文化財研究所とICCROM(文化財保存修復研究国際センター)の共催で、1992年から実施しており、日本の紙文化財の保存修復の技術と知識を伝えて海外の文化財保護へ貢献することを目的にしています。本年は36カ国64名の応募の内、リトアニア、ポーランド、クロアチア、アイスランド、韓国、ニュージーランド、エジプト、スペイン、ベルギー、ブータンの文化財保存修復専門家10名を招きました。
 本研修は、講義、実習、視察から成ります。講義では、日本の文化財保護の概要、日本の無形文化財保護制度、修復材料とその基礎科学、修復に用いる道具について取上げました。実習では、国の選定保存技術「装こう修理技術」保持認定団体の技術者を講師に迎え、紙作品の修復から巻子仕立てを主に実施し、さらに和綴じ冊子の作製、屏風と掛軸の実物を用いた取扱いも行いました。視察では、名古屋、美濃、京都において、手漉き和紙の製作現場、修復材料・道具店、障壁画や掛軸などの文化財で装飾された歴史的建造物、伝統的な日本の絵画の修復現場などを訪問しました。研修最終日にはディスカッションを行い、各国における和紙の利用状況や課題などについて意見を交換しました。本研修を通して、日本の修復材料と道具そのものだけでなく関連の知識や技術に理解を深め、各国の文化財の保存修復に応用されることが期待されます。

8月施設見学

説明を受ける委員

「みんなでまもる文化財みんなをまもるミュージアム」事業実行委員会12名

 8月31日、当研究所の防災、危機管理に関する研究活動を参考するために来訪。保存科学研究センターの生物化学実験室見学し、担当研究員による業務内容の説明を受けるとともに岡田センター長より講義を受けました。 

文化財情報資料部研究会の開催―黒田清輝宛、養母貞子の書簡を読む

黒田清輝と養母の貞子
黒田清輝宛、明治19(1886)年7月9日付貞子書簡(部分)

 当研究所はその創設に深く関わった洋画家、黒田清輝(1866~1924年)宛の書簡を多数所蔵しています。黒田をめぐる人的ネットワークをうかがう重要な資料として、文化財情報資料部ではその翻刻と研究を進めていますが、なかには黒田の家族との間で交わされた書簡の類も含まれています。そのような家族間のやりとりにも目を向けようと、8月30日の部内研究会では当部研究補佐員の田中潤氏が「黒田清輝宛、養母黒田貞子書簡の翻刻と解題」と題して研究発表を行ないました。
 黒田貞子(1842~1904年)は清輝が養嗣子となった黒田清綱の妻で、養母として清輝を幼少期より育てた女性です。フランス留学中に清輝が貞子宛に送った書簡については、『黒田清輝日記』(中央公論美術出版、昭和41(1966)年)の中ですでに翻刻され知られていましたが、今回の研究会では貞子が清輝に宛てた書簡70余通が紹介されました。黒田の貞子宛書簡がそうであったように、貞子の書簡も平易なかな文字で口語体を交えて記されています。内容も留学中の黒田へ家族の近況を事細かに知らせるものが多く、また夫清綱の意向を伝えるなど、父子間の潤滑油の役割を果たしていたようです。とりわけ法律家を志して渡仏した清輝が画家への転身を決心した際には、「ま事ニゝゝゝよいおもひつきだよ」(明治19(1886)年7月9日付書簡)と清綱とともにその背中を後押ししているのが注目されます。そんな養父母の心の支えがあってはじめて画家・黒田清輝は誕生した、といっても過言ではないでしょう。今回の研究会は、黒田の画業を語る上で、家族の絆もまた重要な位置を占めていることを再認識する機会となりました。

「無形文化遺産の防災」連絡協議会の開催

協議会の様子

 8月22日・23日、東日本の文化財担当者を対象とした「無形文化遺産の防災」連絡協議会が東京文化財研究所で開催されました。
 国立文化財機構では、平成26(2014)年7月より文化庁の委託を受け、「文化財防災ネットワーク推進事業」に取り組んでいます。このうち東京文化財研究所無形文化遺産部では、特に遅れている無形文化遺産の防災について検討・推進するため、文化財情報資料部と連携して防災の基礎情報となる文化財の所在情報の収集・共有や、関係者間のネットワーク構築を目指して活動してきました。今回の連絡協議会もその一環であり、東日本の各都道府県の文化財担当者を招いて情報収集の呼びかけを行ったほか、各地域の実情や、防災に関わる取り組み、課題について情報交換しました。22日は共催となった東日本民俗担当学芸員研究会からも11名の参加者を得、両日あわせて40名近くの関係者が参加しました。
 無形文化遺産部では、晩秋に西日本を対象とした連絡協議会を、また12月には防災をテーマとした無形民俗文化財研究協議会を開催する予定で、引き続き、「無形文化遺産の防災」の検討・推進に取り組んでいきます。

日韓無形遺産研究交流成果発表会の開催

研究交流成果発表会の様子

 当研究所は大韓民国文化財庁国立無形遺産院との間で、無形文化遺産に関する共同研究をこれまで継続して実施してきました。そしてこのたび、韓国の全州市にある韓国国立無形遺産院において、これまでの共同研究の成果を発表する「日韓研究交流成果発表会」が8月30日に開催されました。当研究所からは無形文化遺産部のスタッフを中心に6名が参加しました。
 当研究所からは菊池研究員が「無形文化遺産の保護及び伝承に関する日韓研究交流(平成24(2012)~平成28(2016)年)」について報告をおこない、続いて久保田室長が「今後の研究交流の方法について」と題した提言を行いました。韓国側からも2名の発表者が、それを受けた報告と提言を行い、続いて出席者全員による総合討論を行いました。
 これまでの共同研究を通じて、日韓両国における無形文化遺産へのアプローチには、似ている側面もあれば、異なる側面もあることが明らかになりました。今回の成果発表会では、そうした共通点と相違点を互いに確認しあった上で、両者が共有する問題や課題について相互に情報を交換し、議論を深めていこう、という方針が決められました。
 例えば今日の韓国においては、無形文化遺産をどのように振興していくかに強い関心があり、それを無形遺産院のような公的機関がどのようにサポートしていくのか、ということが重要な課題とのことでした。いっぽう今の日本においては、無形文化遺産に対する公的機関の関与は韓国ほど顕著ではないものの、それらの伝承・継承に資する研究活動をおこなうこともまた当研究所の使命のひとつと考えています。こうしたとき「無形文化遺産をどのように伝承していくか」という共通の課題に対して、それぞれのアプローチについて意見交換し、議論をすることで、お互いによりよいアプローチを見出すことが出来ると考えます。こうしたことが、両国で共同研究をおこなうメリットでもあります。
 今回の成果発表会の成果を踏まえ、両国の研究交流がさらに活発になり、建設的な議論を生み出すことを期待しています。

キトラ古墳壁画展示のための作品搬送

作品搬送の様子

 東京文化財研究所では、平成16(2004)年2月のキトラ古墳の発掘調査以降、一貫して壁画の保存と修復に関わってきました。
 キトラ古墳壁画は平成16(2004)年の2月から行われた発掘調査で全容が明らかになり、同時に、すでに壁から浮き上がり、剥落が懸念される部分が多数あることも確認されました。その状況を踏まえて壁画全体を取り外して石室外で保存修復処置を行うことが決定されました。
 以来12年間が経過しましたが、その間に行われた保存修復処置は、石室内における壁画の維持管理、壁画の取り外し作業、取り外した壁画の再構成の三点の作業に分けられます。壁画の取り外しは6年以上にわたり、壁画の描かれている漆喰は1143片に分割されて取り出されました。その後、これらを壁面一枚ずつに再構成してきました。これらの作業は、東文研があらたな技術や手法を開発し、実際の適用は国宝装潢師連盟の技術者が担うという分担で行われてきています。
 今回、天文図の描かれた天井、朱雀のある南壁、白虎の描かれた西壁の3枚の再構成が終了し、修復処置が行われていた高松塚古墳壁画修理施設から、同じ明日香村村内「四神の館」の中の保存展示施設である「キトラ古墳壁画保存管理施設」に搬送されました。作業は8月24日と25日の二日間にわたり、梱包と搬送に1日、開梱に1日かけて行われました。新しい環境における作品の状況を搬送後も注意深く定期的に点検しています。「四神の館」は9月24日に開館し通年でオープンしており、この三点の壁画は10月23日まで公開されています。

「美術工芸品を中心とする文化財情報の国内外への発信にかかる基盤形成事業」の実施に 関する協定の締結

OCLC WorldCat 検索結果画面

 東京文化財研究所は、2016年6月27日、国立西洋美術館と「美術工芸品を中心とする文化財情報の国内外への発信にかかる基盤形成事業」の実施に関する協定を締結しました。国立西洋美術館は実業家松方幸次郎のコレクションを基に1959年に設立され、その所蔵品データベースは、美術史研究で求められる要件を兼ね備えたものとして、国内外の専門家にその規範となるものと高く評価されています。このたびの協定の目的は、国立西洋美術館がもつ情報発信の手法と経験を活用して、当研究所がインターネット上で公開している日本国内の文化財情報の発信を強化することにあります。協定締結に基づく最初の事業として、当研究所が編集発行する『日本美術年鑑』に収録されてきた「日本国内で刊行された展覧会カタログに掲載された文献の情報」を、世界的な図書館サービス機関OCLC (Online Computer Library Center, Inc.) に提供することを計画しています。このような事業により、海外における日本美術に関する研究情報へのアクセ ス環境の改善に取り組んでいきます。

第40回世界遺産委員会への参加

会場となったイスタンブール・コングレス・センター
審議の様子

 第40回世界遺産委員会は2016年7月10日からトルコのイスタンブールで開催され、当研究所からは2名の職員が参加しました。
 国立西洋美術館を構成資産に含む「ル・コルビュジエの建築作品」は2009年以来3回目の審議で、今回は諮問機関が世界遺産一覧表への記載を勧告していたため、翌日の審議がほぼ確実となった7月15日夕方には、関係者の間でも記載への期待が高まりました。しかし、15日夜から16日未明にかけての軍によるクーデター未遂の影響で、16日の審議は中止、1日遅れて17日に記載が決議されました。審議時間短縮のため記載勧告案件では委員国の発言が認められず、この推薦に対する各国の意見を聞けなかったのは残念です。
 ところで、今回の世界遺産委員会での審議対象の推薦から、諮問機関による中間評価が関係締約国へ通知されるようになりました。評価を受けて締約国は推薦書を改訂し、最終評価に臨むことが可能です。締約国の対応は分かれました。推薦を取り下げる締約国がある一方、推薦書を大幅に改訂して審議に臨み、諮問機関の勧告を覆して記載が決議された例もあり、今後も推薦とその評価のあり方を巡っての議論が続くと思われます。
 なお、委員会の会期は7月20日までの予定でしたが、17日でいったん中断されました。委員会は2016年10月24日~26日にパリのユネスコ本部で再開され「紀伊山地の霊場と参詣道」を含む世界遺産一覧表記載資産の軽微な範囲の変更や、作業指針の改訂などに関する審議が行われる予定です。

ミクロネシア連邦ナン・マドール遺跡の世界遺産登録と我が国による国際協力

巨石で構築されたナン・マドール遺跡の人工島
ミクロネシア連邦政府の担当官と共に、遺跡の保存管理計画を議論する

 7月10月から17日まで開催された第40回ユネスコ世界遺産委員会において、ミクロネシア連邦のナン・マドール遺跡が世界文化遺産(同時に危機遺産)に登録されました。この遺跡は、玄武岩などの巨石で構築された大小95の人工島によって構成される、太平洋地域において最も規模の大きな巨石文化の遺跡のひとつで、同国にとって世界遺産への登録は長年の夢でした。
 2010年に同国は、ユネスコ太平洋州事務所を通じて我が国に対し、この遺跡の保護に関する国際協力を要請しました。それを受けて文化遺産国際協力コンソーシアム(以下、コンソーシアム)が2011年2月に協力相手国調査として現地調査をおこない、その成果を『ミクロネシア連邦ナン・マドール遺跡現状調査報告書』として上梓しました。以後、コンソーシアムおよび東京文化財研究所・奈良文化財研究所が中心となり、国際交流基金などの助成のもと、同遺跡の保護のための人材育成・技術移転の事業をおこなってきました。そのなかで、長年にわたって同遺跡を研究してきた片岡修・関西外国語大学教授をはじめ、東京大学生産技術研究所、国立研究開発法人森林総合研究所、NPO法人パシフィカ・ルネサンス、(株)ウインディー・ネットワークなど、産学官にわたる様々な機関および個人の参加・協力を得ることができました。
 コンソーシアムの理念のひとつは、日本が一丸となって国際協力に取り組むことができるように、文化遺産保護に関わる幅広い国内関係者が連携協力するための共通基盤を構築することです。このナン・マドール遺跡の保護への協力事業は、まさにこの理念のショーケース(好見本)としてふさわしいものでしょう。そしてその成果が、同遺跡の世界遺産登録までつながっていったのだと思います。
 しかしこの遺跡は同時に「危機遺産」としても登録されました。それは、遺跡の多くの部分で崩壊が進行していることに加え、それを保護していくための計画や体制がまだまだ十分とは言えないからです。この遺跡は、今後もまだ多くの専門家の協力を必要としているということを示しているのです。

中国美術館(北京)での国際シンポジウムへの参加

中国美術館 胡偉副館長による発表

 平成28年7月6日~7日に中国美術館(北京)で開催された国際シンポジウム「国家美術蔵品保存修復国際検討会」に保存科学研究センター・早川泰弘が参加し、研究発表を行いました。中国美術館は近現代美術作品を中心に10万点近くの収蔵品を有する中国最大の美術館で、数年前には保存修復センターも併設されています。このセンターで「国家美術蔵品(National Art Collection)」の保存修復を行うにあたり、海外の保存修復機関との連携も進められています。
 今回の国際シンポジウムには、日本、アメリカ、イギリス、フランス、イタリア、ドイツ、香港、台湾から14名の保存修復の研究者や技術者が招聘され、2日間にわたって計19件の発表が行われました。保存修復の理念に関する内容から、絵画を中心とした美術品の修復例や最先端の科学調査結果まで幅広い内容の発表があり、活発な討議が行われました。東京文化財研究所からは、最先端の科学技術を活用した日本絵画の材質調査に関する発表を行いました。聴講のために中国国内の30以上の公立美術館の館長らも参加しており、中国が美術品の保存修復に関する理念の確立や技術の習得を積極的に進めていることがよくわかります。

「ネパールの被災文化遺産保護に関する技術的支援事業」による現地派遣(その2)

現地専門家との現場検討

 文化庁委託「文化遺産国際協力拠点交流事業」による標記支援事業の一環として、引き続き、ネパール現地への派遣を実施しています。
 カトマンズ・ハヌマンドカ王宮における主な調査対象建物であるアガンチェン寺(17世紀中頃建立)は、その損傷状況からみて応急的な保護対策を速やかに講じることが必要と判断されました。具体的には、「屋根頂部の雨漏り対策」「建物内部軸組の構造補強」「崩落しかけた外壁面の支持」「落下物からの参拝者や観光客の安全確保」につき、本事業チームの日本人専門家が現地専門家の協力も得ながら計画を作成し、考古局に提案しました。これに基づいて応急補強作業が実施の運びとなり、設計の詳細な検討や作業中の技術的助言のため、平成28年(2016)5月28日~6月4日、6月13日~19日、7月3日~9日の3次にわたり、当研究所から専門家を派遣しました。
 今回はあくまで応急措置ではありますが、現地専門家や職人と直接意見を交わしながらこのような作業を行うことは、目に見える形での貢献にとどまらず、本事業が目的とする現地への技術移転という意味でも有意義なものとの手応えを感じました。今後もさらに、歴史的建造物の本格修復に向けた調査等を進めていきます。

バガン(ミャンマー)における雨漏り対策を目的とした煉瓦造遺跡の外壁調査と応急処置方法の検討

Mae-taw-yat寺院外観
水硬性石灰による充填実験

 平成28年(2016)7月18日~29日までの期間、ミャンマーのバガン遺跡群内Mae-taw-yat寺院(No.1205)において、煉瓦造寺院外壁における損傷傾向の調査および修復材料の検討と施工実験を行いました。これは、前年度まで行っていた同寺院内壁に描かれた壁画の保存状態調査を通じ、漆喰層の剥離・剥落の主な原因が雨漏りにあるとの検証結果を受けて実施したものです。
 現場作業には、欧州より煉瓦材保存修復の専門家にも加わっていただき、ミャンマー宗教文化省 考古国立博物館局バガン支局職員とともに、様々な角度からパガン王朝期に製造された焼成煉瓦の特性について検証を行いました。その結果を踏まえ、ミャンマーの熱帯雨林気候にも配慮した修復材料の選定と、雨漏り対策を目的とする応急処置方法の施工実験を行いました。今後は経過観察をしながら、遺跡における外観美にも配慮した材料の改良を続けてゆく予定です。また、寺院内壁に含まれる水分の分布状況を把握するために、デジタル水分計を用いた多点測定や、外壁の応急処置前の状態を記録するためデジタル4Kビデオカメラによる記録撮影を行いました。
 本事業は暫定的な処置に留まらず、恒久的な処置方法の確立を目指しています。バガンの将来を見据え、かつ現在のミャンマーにおける文化財保護情勢に見合った無理のない方法を検討するとともに、若手専門家の育成にも取り組んでゆきます。

ベルリンにおけるワークショップ「日本の紙本・絹本文化財の保存と修復」の開催

基礎編における掛軸の取扱い実習
応用編における掛軸の修復実習

 本ワークショップは、海外に所在する書画等の日本の文化財の保存活用と理解の促進を目的に毎年開催しています。今年度は、平成28(2016)年7月6~8日に基礎編「Japanese Paper and Silk Cultural Properties」、7月11~15日に応用編「Restoration of Japanese Hanging Scrolls」を、ドイツ技術博物館の協力のもと、ベルリン博物館群アジア美術館を会場に実施しました。
 基礎編には9カ国より15名の修復技術者及び学生が参加しました。参加者は、糊、膠、岩絵具、紙等の文化財に使用される材料についての基礎講義を受け、書画制作技法の実技実習及び掛軸の取り扱い実習等を行いました。応用編では国の選定保存技術「装こう修理技術」保持認定団体の技術者を講師に迎え、7カ国より9名の修復技術者に対し、掛軸の保存修復に関して、実技を中心に実施しました。参加者は、掛軸の上下軸の取り外しや取り付け等の実習と、講師による裏打ち等の実演を通して、掛軸修復に関する知識とそれに裏付けられた技術に触れました。両編ではディスカッションを行い、内容の質疑に加えて日本の修復技術や材料の応用例等の技術的な意見交換も見られました。
 海外の保存修復の専門家に日本の修復材料と技術を伝えることにより、海外所在の日本の有形文化財と無形文化財の保存と活用に貢献することを目指し、今後も同様の事業を実施していきます。

寄附の受入

中村徹様(前列左)亀井所長(前列右)

 本年4月の当活動報告にもありますように、当研究所名誉研究員中村傳三郎(1916-1994)の旧蔵資料を、ご遺族の中村徹様から4月30日付でご寄附いただきました。ご寄附をいただいたことに対して、中村徹様に、亀井所長から6月2日に当研究所役員室にて感謝状を贈呈しました。当研究所の事業にご理解を賜り近現代彫塑史研究上重要な資料の寄附をいただいたことは、当研究所にとって有意義であり、今後の研究所の事業に役立てたいと思っております。

6月施設見学(1)

分析装置について説明を受ける様子

 一般社団法人 日本分析機器工業会 12名
 6月20日、当研究所の文化財の先端研究開発・現場の状況を深く理解するために来訪。文化財情報資料部の写真室、保存科学研究センターの実験室、文化遺産国際協力センターの実験室を見学し、各担当研究員による業務内容の説明を受けました。

6月施設見学(2)

説明を受ける招へい者

 国際交流基金 平成28年度中央アジアシンポジウム招へい者 約15名
 6月24日、東京文化財研究所の活動を参考にするためシンポジウムの参加に併せて見学。無形文化遺産部、保存科学研究センター、文化遺産国際協力センターを見学し、担当研究員による説明を受けました。

文化財情報資料部研究会の開催―栗原玉葉に関する基礎研究

栗原玉葉《噂のぬし》大正3年、『第八回文部省美術展覧会出品絵葉書』より
栗原玉葉《清姫物語 女》、大正10年、『第三回帝国美術院展覧会出品絵葉書』より

 6月28日、文化財情報資料部では、「栗原玉葉に関する基礎研究―その生涯と作品について―」と題して、田所泰(文化財情報資料部)による発表が行われました。
 大正期に文部省美術展覧会(文展)などを中心に活躍した日本画家・栗原玉葉は、幼い少女や芝居に取材した女性像などを描いた作品を多く残しています。生前は東京一の女性画家と目され、京都の上村松園に対して東京の栗原玉葉とまで呼ばれる存在でしたが、現在では知名度も低く、研究もほとんどされていません。田所の発表では、図版の残っている展覧会出品作品を中心に玉葉の画業を概観し、その上で作品に見られる表現の変遷や、当時の画壇における玉葉の位置づけについて考察しました。美術雑誌や展覧会図録等のほかに、女性向け雑誌に掲載された作品の写真図版から、多くの現存作品の制作年や展覧会出品歴が明らかとなり、それらを踏まえて画業を概観したことで、玉葉が大正5(1916)年頃を境に画題を幼い少女像から芝居などに取材した女性像へと変化させていったことがわかりました。また、晩年の玉葉作品には、師である松岡映丘からの影響が、とくに色彩面に強く現れていることを示し、とりわけ金泥の使い方では、それまでには見られない独特の表現が試みられていることを指摘しました。こうした自身の制作のほかに、玉葉は多くの弟子を抱え、他の女性画家とともに女性日本画家団体・月耀会を結成するなど、当時の画壇、とりわけ女性画壇において大きな役割を果たしていたことが明らかとなりました。
 なお、今回の研究会には、コメンテーターとして、玉葉に詳しい長崎歴史文化博物館の五味俊晶氏をお招きしました。五味氏からは玉葉研究の現状や、長崎に現存する作品、また玉葉のご遺族などについて、貴重なご教示をいただきました。そのほか、実践女子大学の児島薫氏、佐倉市立美術館の山本由梨氏を交え、「女性画家」や「美人画」といった問題に関して、活発な意見交換が行われました。

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