研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『TOBUNKEN NEWS (東文研ニュース)』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。

東京文化財研究所 保存科学研究センター
文化財情報資料部 文化遺産国際協力センター
無形文化遺産部


寄附の受入

 山下昌子旧蔵資料 一式を、中村倫子様から10月13日付でご寄附いただきました。当研究所の事業にご理解を賜り研究上重要な資料の寄附をいただいたことは、当研究所にとって有意義であり、今後の研究所の事業に役立てたいと思っております。

文化財情報資料部研究会の開催―「広島で地球を針治療する―ロベルト・ヴィリャヌエヴァ、キャリア最後の エコ・アート」

ロベルト・ヴィリャヌエヴァによる「聖域 Sacret Sanctuary (Acupuncture the Earth) 」の計画図(1994年)

 10月3日、文化財情報資料部研究会にて、「広島で地球を針治療する―ロベルト・ヴィリャヌエヴァ、キャリア最後の エコ・アート」と題し、本年7月から日本学術振興会外国人特別研究員として当研究所へ在籍されている山村みどり氏による発表が行われました。
 ロベルト・ヴィリャヌエヴァ(1947−1995)は、自然物を素材とし、地域住民の参加型アートを実施し、自身が「Ephemeral art」 (束の間の美術)と呼んだ形式で注目を集めたフィリピンのアーティストです。発表では、まず欧米における「Eco-Art History」(環境問題と美術を学際的に扱う歴史学)の定義が提示され、ヴィリャヌエヴァの1970年代以後の活動をバギオ大地震(1990年)やピナツボ火山噴火(1991年)などと絡めて振り返ったのちに、ヴィリャヌエヴァが考案し、その没後に有志によって「広島アート・ドキュメント’95」で実現した参加型アート「聖域」の経緯、概要が紹介されました。山村氏は「束の間の美術」を、植民地主義を含めた近代主義やフィリピンでの社会階級との関連で考察し、またアジアにおける「Eco-Art History」の文脈での把握をしたうえで、この作品と冷戦終結後の日本の文化状況との関連を提示し、さらには「アジア固有の芸術性」について検証するものでした。研究会には、コメンテータとして後小路雅弘氏(九州大学)、中村政人氏(アーティスト、東京芸術大学)にご参加いただき、活発な意見交換が行われました。
 なお、この発表の内容は、Cambridge Scholars Publishingから出版されるアンソロジー『Mountains and Rivers (without) End: An Anthology of Eco–Art History in Asia』へ発表する予定です。

第7回美術図書館の国際会議(7th International Conference of Art Libraries)への参加

3日の会場ストロッツィ宮殿の外観

 2016年10月27日から28日の3日間にわたって、イタリアのフィレンツェで美術図書館の国際会議が開かれました。この隔年で開催される国際会議は、欧米の美術図書館長らで構成される委員会(the Committee of Art Discovery Group Catalogue)が主催しているもので、世界の美術図書館の専門家100名近くが参加して行われました。
 発表や報告は、主催者が運営している美術分野に特化したさまざまな資源の一括検索システム「Art Discovery Group Catalogue」(http://artdiscovery.net/)に関するプロジェクトなどを中心に、各国の美術図書館が取り組んでいる最新の事業の紹介など多岐にわたり、非常に充実した内容でした。
 「Art Discovery Group Catalogue」は、15か国の美術図書館が参加して始まった美術書誌のプラットフォーム「artlibraries.net」が発展的に解消してできた検索システムです。アメリカ合衆国のNPOで世界各国の大学や研究機関で構成されたライブラリーサービス機関OCLC(Online Computer Library Center, Inc.) が運営するWorldcat (https://www.worldcat.org/) を活用して世界の主要美術図書館が参画する共同国際事業で、2014 年に立ち上げられました。
 東京文化財研究所は、本年度このOCLCに、日本で開催された展覧会の図録に掲載される論文情報を提供することになっており、来年度にはこうした当研究所のもつ情報が世界最大の図書館共同目録「WorldCat」や、OCLCをパートナーとする「Art Discovery Group Catalogue」で検索することができるようになります。
 今後も美術図書館や美術書誌情報をめぐる国際的な動向を注視しながら、当研究所が果たすべき役割を見定め、研究プロジェクトに活かせるよう努める所存です。

第40回世界遺産委員会(再開審議)への参加

ユネスコ本部での審議の様子

 第40回世界遺産委員会は、2016年10月24日~26日にパリのユネスコ本部で実施されました。これは、クーデター未遂の影響で中断したイスタンブールでの審議が再開されたもので、当研究所からは3名が参加しました。
 委員会では、世界遺産一覧表に記載済の資産について軽微な変更の可否が審議され、日本が申請した「紀伊山地の霊場と参詣道」の2つの参詣道の計40.1kmの延長などが承認されました。また、各締約国が世界遺産一覧表への登録推薦を予定する資産を記した暫定一覧表について、日本からは「奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島」(奄美・琉球)の追加が確認されました。「奄美・琉球」は2018年の世界遺産一覧表記載を目指して準備が進められていますが、これにより推薦書の提出が正式に可能となりました。なお現在、日本の暫定一覧表記載資産には、今回の追加を含め10件が記載されています。
 委員会ではさらに、登録推薦や保全状況報告などの手順を定めた「世界遺産条約履行のための作業指針」が改訂されました。これまで、各締約国は1回の委員会に2件まで(うち1件は自然遺産もしくは文化的景観)登録推薦を行えましたが、2020年の第44回世界遺産委員会での審議対象からその数が1件となります。同時に、各回の委員会で審議する推薦の数も45件から35件に削減、推薦書の提出数が35件を超えた場合、世界遺産が少ない締約国などの推薦が優先されます。日本はすでに20件の世界遺産を持つため、推薦書を提出しても審議が延期となる可能性もあり、得られた審議の機会はいっそう貴重なものとなります。私たちは世界遺産に関する調査を通じ、諸外国での文化遺産保護の基盤強化への貢献や、国内関係者への推薦書の作成上有益な情報の提供に努めたいと思います。

レスキューされた文化財、その後――修復を終えた仙台、昭忠碑

10月13日、クレーンによるブロンズ製鵄の吊りこみの様子
修復を終えた昭忠碑(撮影:奥敬詩氏)

 この活動報告でもたびたびお伝えしたように、平成23(2011)年3月の東日本大震災で被害を受けた多くの文化財に対し、当研究所に事務局を置いていた東北地方太平洋沖地震被災文化財等救援委員会はレスキュー活動を各所で行ないました。仙台城(青葉城)本丸跡に建つ昭忠碑(宮城縣護國神社管理)もそのひとつで、明治35(1902)年、仙台にある第二師団関係の戦没者を弔慰する目的で建立された同碑は、震災により高さおよそ15mの石塔上部に設置されたブロンズ製の鵄(とび)が落下・破損する被害を蒙り、救援委員会による文化財レスキュー事業では、ブロンズ破片の回収や鵄本体の移設作業を実施しました。平成26(2014)年の同事業終了後は宮城県被災ミュージアム再興事業として引き継がれ、昨年度より破損した鵄の部分を東京、箱根ヶ崎にあるブロンズスタジオで接合する作業が進められていましたが、このほどその作業が完了し、10月11日から17日にかけて仙台にて設置工事が行なわれました。
 両翼を広げた雄々しい姿を約五年半ぶりに東京で蘇らせたブロンズの鵄(高さ4m44cm,巾5m68cm、ブロンズ総重量3.819t)は、10月12日に仙台へトレーラーで搬送され、翌13日に関係者や地元の報道陣、仙台城を訪れた観光客が見守るなか、クレーンで石塔下正面の設置場所へ据えられました。元来は塔の上にあったブロンズの鵄(平成24(2012)年1月の活動報告参照)ですが、旧状通りに戻した場合、大地震が発生した際には再び高所より落下する恐れがあるため、今回は安全性を考慮して塔の下に設置されました。このブロンズ部分は、東京美術学校(現在の東京藝術大学)が依嘱を受けて同校内で制作・鋳造されたものです。本来の設置場所とは異なりますが、明治時代の美術学校が総力を挙げて制作した巨大な鵄の、迫力ある姿を間近で堪能できるようになりました。
 五年余におよぶ修復作業の間に、昭忠碑に関して、今まで知られていなかったことも色々と分かってきました。6月に行なわれた石塔のボーリング調査では、その内部に煉瓦壁で囲まれた大きな空洞があることが判明しています。また東日本大震災で被災する以前に、昭和11(1936)年11月3日の地震で鵄の片翼が落下していたことも、当時の新聞記事によって確認されました。
 ブロンズ像の修復に当たった方々のお話では、作業の過程で制作時に駆使された様々な技術が明らかになったといいます。なかでもブロンズの内側には、鵄と石塔をつなぐ鉄芯として入れられたレールを固定し、また鵄部分の重量のバランスを取るために鉛やコンクリートが充填されており、今回の修復ではこれを取り除いて像の軽量化を図りました。一方で修復された鵄の設置にあたり、径の異なる四つの鋼管を入れ子状につないだものをブロンズ内部の支柱として用いましたが、鋼管の接合に際してはその隙間に鉛を鋳込んで固定する手法が採用されました。これは修復で明らかになったブロンズの固定法を応用したものであり、先人の技術を修復に生かしながら、昭忠碑は被災から蘇ったといえるでしょう。修復作業の過程で得られた新知見もふまえ価値を再認識した上で、この明治期の貴重なモニュメントが末永く後世に伝えられていくことを切に願っています。

第6回文化財情報資料部研究会の開催

研究会の様子

 10月25日に開催した本年度第6回の文化財情報資料部研究会では、文化財情報資料部広領域研究室長・小林公治が物質文化史の立場から、「慶長期後半から寛永期前半にかけて流行した漆器文様・技法―絵画資料と伝世漆器との対話―」と題する発表を行いました。この発表では、まず川越市喜多院が所蔵する重要文化財職人尽絵屛風の「蒔絵師」図、そして喜多院本系職人尽絵であるサントリー美術館本・前川家本の同図の描画内容とを比較・検討の上、これら諸本の制作が17世紀前半であるというこれまでの見解を再確認し、さらに徳川美術館が所蔵する重要文化財の「歌舞伎図巻」と「邸内遊楽図(相応寺屛風)」などを対象に、これまでの諸論で指摘されていないいくつかの観点から、その景観年代を、前者は慶長期末から元和期初め(1610年代)にかけて、後者は寛永期前半頃(寛永7(1630)年前後)と見るのが妥当であること、またこれらの風俗画には当時の生活実態がかなり克明・正確に描写されていると認め得ることを指摘しました。
 その上で、これらの絵画には大ぶりの葡萄文や藤文を持つ漆器、銀蒔絵技法の漆器がたびたび描かれていることから、慶長期後半から寛永期前半にかけての17世紀前半にはこうした漆器文様・技法が流行していた可能性が高く、また大ぶり葡萄文や藤文を描く伝世の蒔絵漆器や南蛮漆器、また銀蒔絵漆器についても、この時期の作である蓋然性が高いという見方を提示しました。
 近世初期風俗画の描画内容・表現と歴史実態との関係については、これまでも美術史学者や歴史学者などによる様々な見解がある未解決の問題ですが、本研究発表後の討議でも特にこうした点が取り上げられ、参加者それぞれの立場からの活発な議論が行われました。

無形文化遺産(伝統技術)の伝承に関する研究会III「現在に伝わる明治の超絶技巧」の開催

泉屋博古館分館での見学会の様子

 平成28(2016)年10月17・18日にかけて公益財団法人泉屋博古館との共催で無形文化遺産(伝統技術)の伝承に関する研究会Ⅲ「現在に伝わる明治の超絶技巧」を開催しました。本研究会では、明治時代の工芸の中でも、特に陶芸分野の有田焼に焦点をあて、1日目は東京文化財研究所での講演とセッション、2日目は東京藝術大学大学美術館の「驚きの明治工芸」展及び泉屋博古館分館の「有田焼創業400年記念 明治有田 超絶の美 -万国博覧会の時代-」展の見学会を行いました。
 1日目は、「有田焼創業400年記念 明治有田 超絶の美 -万国博覧会の時代-」展に携わる先生方をお招きし、明治時代の有田焼が現在へどのように継承されてきたのかを再検証しました。その後、「明治工芸を現在に活かす」というテーマを掲げ、他の工芸分野の専門家も交えてセッションを行いました。
 近年、明治工芸の精緻な技術が注目され、多くの展覧会が開催されています。我々は現在に受け継がれてきた明治時代の工芸品を通じて、明治時代の「工芸技術」=「無形文化遺産」にアプローチすることができます。今後、有形と無形を分断せず、相互に補完しあいながら研究することが求められるのではないでしょうか。無形文化遺産部では、今後も今日の無形文化遺産保護への関心が高まるような議論の場を設けていきます。

被災したツチクジラ標本資料の構造調査

被災したツチクジラ標本資料のエックス線透過撮影による調査風景

 陸前高田市海と貝のミュージアムに展示されていたツチクジラ標本(愛称“つっちぃ”)は、昭和29年(1954年)に東京で開催された国際捕鯨委員会の際に、全長が約10mのツチクジラを剥製にしたものです。平成23年(2011年)3月11日に東北地方太平洋沖地震による津波で被災をした同資料は、同年5月28日に現地で実施された被災状況の一次調査を経て、安定化処理と修復を目的として6月30日に国立科学博物館筑波研究施設に搬入されました。現在も国立科学博物館が陸前高田市から依頼されている“つっちぃ”の修復事業が進められています。
 この修復事業において、“つっちぃ”内部の木組みの構造や腐食箇所を明らかにする必要があります。このような非破壊調査の依頼を国立科学博物館から受けて、平成28年(2016年)10月16日~18日、23日~25日の期間に、保存科学研究センターの犬塚将英と濱田翠がエックス線透過撮影による内部構造の調査を実施しました。今回の調査では、平成27年(2015年)に東京文化財研究所に導入したイメージングプレート現像装置を持ち込んで実施し、X線透過画像をその場で確認しながら調査を進めました。
 全長が約10mに及ぶ資料を縦方向と横方向から網羅的に調査を行ったため、合計で375枚ものエックス線透過画像データが得られました。これらの画像からは、“つっちぃ”内部の木組みの構造、使用されている釘の数や位置、それらの腐食状態に関する様々な情報も得られました。これらの調査結果は、エックス線透過撮影に引き続き実施される内視鏡を用いた調査や修復作業の際の参考資料として活用される予定です。

アルメニア・イラン相手国調査

エチミアジン大聖堂博物館に保管されている染織品

 9月26日から10月6日にかけて、文化遺産保護分野における協力のニーズを把握することを目的として、アルメニア共和国とイラン・イスラーム共和国を訪問しました。
 最初の訪問国であるアルメニアに関しては、文化省との協力合意書がすでに存在し、2011年から2014年にかけては、アルメニア歴史博物館をカウンター・パートに考古金属資料の調査研究および保存修復を共同で実施しました。今回の訪問では文化省やアルメニア歴史博物館、エチミアジン大聖堂博物館などを再訪し、これからのプロジェクトの展開に関して協議を行いました。アルメニアに対しては、今後、染織品の保存修復分野における技術移転に協力していくことを計画しています。
 続くイランでは、文化遺産手工芸観光庁や文化遺産観光研究所、イラン国立博物館などを訪問しました。イラン人専門家との協議の中でとくに話題にのぼったのが、大気汚染の問題でした。現在、首都テヘラン市では、大気汚染が深刻な社会問題になっています。そして、この大気汚染が、博物館の展示品・収蔵品にも影響を及ぼしている可能性があることが協議の場で指摘されました。今後、イランとは、展示・収蔵環境の改善を目指し、上記の問題についての共同研究を実施していくことを検討しています。

9月施設見学

説明を受ける学生

 金沢美術工芸大学 17名
 9月21日、芸術学専攻における専門的な調査研究の導入教育のために来訪。無形文化遺産部の実演記録室、文化財情報資料部の資料閲覧室、保存科学研究センターの修復材料研究室を見学し、各担当研究員による業務内容の説明を受けました。  

山下菊二関連資料の受入

山下昌子旧蔵資料の一部

 画家山下菊二(1919-1986)夫人である山下昌子氏(1926-2014)の旧蔵資料を関係者から9月30日付でご寄贈いただきました。山下菊二は昭和時代を代表する画家のひとりで、その作品や関連作品、資料などは、これまでに板橋区立美術館、神奈川県立近代美術館、徳島県立近代美術館に寄贈されておりますが、この度、当研究所にご寄贈いただいた資料は、昌子氏が逝去するまで手元に置いていたものになります。分量は、書架の長さにしておよそ6メートルになり、このなかには、菊二が撮影したと思われる写真、作品の材料として切り取られた資料など作家の研究・理解の重要な手がかりとなるものだけでなく、第二次世界大戦に応召し従軍した際や東宝映画教育映画部に勤務していたころの写真資料など広く日本近代史を考えるうえでも貴重な資料も含まれています。
 当部ではこれまでも新海竹太郎や香取秀真ら近代美術家のアーカイブズを受け入れ、資料閲覧室などを通して利用に供していますが、今回ご寄贈いただいた山下昌子旧蔵資料も個人情報、プライバシー、あるいは資料保全の問題を配慮しつつ、来年3月ごろから閲覧できるよう整理を進めております。

EAJRS(日本資料専門家欧州協会)第27回年次大会「日本資料図書館の国際協力」への参加

EAJRS(日本資料専門家欧州協会)第27回年次大会の様子

 9月14日から17日にわたって、ルーマニアのブカレスト大学中央図書館において、EAJRS(日本資料専門家欧州協会)の年次大会が開催されました。EAJRSは、おもにヨーロッパなどで日本研究資料を取り扱う図書館員、大学教員、博物館・美術館職員などの専門家で構成されているグループで、今年の年次大会は「日本資料図書館の国際協力」と題され、11のセッションにて、日本研究の歴史、日本資料コレクション形成史、日本人司書海外派遣事業、海外日本研究司書招へい事業、デジタル・ヒューマニティーズの最新動向、和古書保存プロジェクトなど多岐にわたる発表・報告が行われました。(詳細はEAJRSサイト(http://eajrs.net/)を参照ください)。筆者の発表は、「東京文化財研究所における「文化財に関する専門的アーカイブの拡充」 : 『日本美術年鑑』のコンテンツを国際的学術基盤へ」というタイトルで、本年度取り組んでいるOCLCへのデータ提供など情報発信に関する事業を紹介するもので、発表後の意見交換では、当所が蓄積してきた研究情報の発信を期待する声が数多く寄せられました。また大会期間中には、会場ロビーにて、関連機関・会社による展示ブースが設置され、本会ならではの情報共有・広報活動が行われました。最終日17日の総会では、来年2017年大会がノルウェーのオスロに決定し、今大会は終了しました。日本文化財情報のアクセシビリティ向上について多くの示唆を得ることができ、また日本研究情報発信という大きな枠組みになかでの当所のアーカイブ活動を考える、よい契機となりました。

青花紙の製作に関する調査研究-滋賀県草津市との共同調査の開始-

「アオバナの花弁を摘んでいるところ(草津市提供)」
「アオバナの汁を和紙に塗っているところ(草津市提供)」

 無形文化遺産部では本年度より滋賀県草津市と共同で青花紙製作技術の共同調査を開始しました。青花紙とはアオバナの花の汁を絞り、和紙に染み込ませたものです。
 青花紙は『毛吹草』(寛永15〈1638〉年序)にも取り上げられた東山道近江国の特産物で、現在でも友禅染・絞染などに利用されています。特に友禅染では、アオバナの青色色素が水で落ちるという性質を利用してきました。友禅染は青花紙を水に浸した液によって細密な模様を描き、その上に防波堤となる糸目糊を置いて周りに染料が入り込まないように工夫してから彩色します。生地を多彩に染め分けるには青花紙が欠かせない材料といえます。
 このような青花紙ですが、現在では生産農家も減少し、3件の農家によって製作されています。本共同研究では、農家の方々にご協力を得て、地域の、ひいては我が国の文化財・文化遺産としての価値を整理し、今後の保護への基礎データとしていきたいと考えています。
 人から人へと受け継いできた青花紙の製作技術を、これからの時代へどのように受け継いでいくことができるのか、他の地域の事例なども比較しながら検証していきます。

「ネパールの被災文化遺産保護に関する技術的支援事業」による現地派遣(その3)

調査成果報告会での発表
意見を述べるコカナの住民

 文化庁委託「文化遺産国際協力拠点交流事業」による標記支援事業では、引き続き、ネパール現地への派遣を実施しています。今回(8月31日〜9月11日)は、外部専門家も含めて4名の派遣を行ないました。
 本事業の一環として、被災歴史的集落における復興のあり方を検討すべく、世界遺産暫定リストに記載されているコカナ集落にて調査活動を実施しています。コカナでは多くの住民が今も仮住まいを強いられており、早期再建と歴史的町並みの保全とのバランスをいかに考えるかが、復興における大きな課題となっています。
 今回派遣中の主な活動として、昨年度のコカナでの調査成果を地元住民に説明するための現地報告会を開催しました。住民の関心は非常に高く、報告会には100名以上の参加をいただき、発表に対しても多くの質問や意見が寄せられました。それらは私たちにとっても、今後の調査や現地への貢献のあり方を考える上で、非常に示唆に富むものでした。
 調査を進める中で、コカナに限らずネパール全土において歴史的集落の保全制度が十分に整っておらず、住民の思いだけでは町並み保全が進まない現状が徐々に明らかになってきました。かつて、わが国においても、歴史的集落の保全は不十分でしたが、そこから、伝統的建造物群保存地区制度をはじめとした歴史的集落および景観保護のための法制度を、試行錯誤を経つつ整えてきた経緯があります。このような日本の経験も参考にしながら、ネパールの歴史的集落の保全に寄与すべく、今後とも現地の諸機関への技術支援を進めていきたいと思います。

バガン(ミャンマー)における地震発生後の壁画被災状況調査

被害を受けた寺院
地面に散らばった壁画片

 平成28年(2016)8月24日にミャンマー中部のチャウ近郊を震源とするマグニチュード6.8の地震が発生し、バガン遺跡でも数多くの仏塔寺院に被害が出ました。これを受けて、9月24日から30日までの期間、遺跡群内の壁画保存状況を確認すべく調査を行ないました。
 現地調査には、ミャンマー宗教文化省 考古国立博物館局バガン支局職員の方にもご同行いただき、事前に大きな被害がでたとの報告を受けていた寺院を中心に、壁画の損傷状況に関する調査を行いました。その結果、壁画の支持体に相当する煉瓦造寺院に発生した亀裂や煉瓦材の動きがプラスターの傷みに繋がっていることや、パガン王朝期にみられる数種類に及ぶ壁画制作技法や材料によって損傷程度に違いが生じていることが分かりました。また、過去の修復で使用された幾つかの材料が、バガン遺跡の壁画には適合しておらず、かえって負担になっていることも明らかとなりました。
 現地では、今も被災したバガン遺跡を守るべく復興活動が続けられています。当研究所の事業として外壁の応急処置方法や壁画の保存修復方法を検討しているMe-Taw-Ya寺院(No.1205)にも被害がでました。今後は、これまでの事業方針に加えて、地震によって浮き彫りとなった問題点にも考慮した修復材料の導入や、緊急時における対処方法の確立、およびそこに携わる専門家の育成にも目を向けながら、今後の活動に取り組んでゆきたいと思います。

国際研修「紙の保存と修復」2016の開催

修復実習における裏打ち実演

 平成28(2016)年8月29日から9月16日にかけて、国際研修「紙の保存と修復」を開催しました。本研修は、東京文化財研究所とICCROM(文化財保存修復研究国際センター)の共催で、1992年から実施しており、日本の紙文化財の保存修復の技術と知識を伝えて海外の文化財保護へ貢献することを目的にしています。本年は36カ国64名の応募の内、リトアニア、ポーランド、クロアチア、アイスランド、韓国、ニュージーランド、エジプト、スペイン、ベルギー、ブータンの文化財保存修復専門家10名を招きました。
 本研修は、講義、実習、視察から成ります。講義では、日本の文化財保護の概要、日本の無形文化財保護制度、修復材料とその基礎科学、修復に用いる道具について取上げました。実習では、国の選定保存技術「装こう修理技術」保持認定団体の技術者を講師に迎え、紙作品の修復から巻子仕立てを主に実施し、さらに和綴じ冊子の作製、屏風と掛軸の実物を用いた取扱いも行いました。視察では、名古屋、美濃、京都において、手漉き和紙の製作現場、修復材料・道具店、障壁画や掛軸などの文化財で装飾された歴史的建造物、伝統的な日本の絵画の修復現場などを訪問しました。研修最終日にはディスカッションを行い、各国における和紙の利用状況や課題などについて意見を交換しました。本研修を通して、日本の修復材料と道具そのものだけでなく関連の知識や技術に理解を深め、各国の文化財の保存修復に応用されることが期待されます。

8月施設見学

説明を受ける委員

「みんなでまもる文化財みんなをまもるミュージアム」事業実行委員会12名

 8月31日、当研究所の防災、危機管理に関する研究活動を参考するために来訪。保存科学研究センターの生物化学実験室見学し、担当研究員による業務内容の説明を受けるとともに岡田センター長より講義を受けました。 

文化財情報資料部研究会の開催―黒田清輝宛、養母貞子の書簡を読む

黒田清輝と養母の貞子
黒田清輝宛、明治19(1886)年7月9日付貞子書簡(部分)

 当研究所はその創設に深く関わった洋画家、黒田清輝(1866~1924年)宛の書簡を多数所蔵しています。黒田をめぐる人的ネットワークをうかがう重要な資料として、文化財情報資料部ではその翻刻と研究を進めていますが、なかには黒田の家族との間で交わされた書簡の類も含まれています。そのような家族間のやりとりにも目を向けようと、8月30日の部内研究会では当部研究補佐員の田中潤氏が「黒田清輝宛、養母黒田貞子書簡の翻刻と解題」と題して研究発表を行ないました。
 黒田貞子(1842~1904年)は清輝が養嗣子となった黒田清綱の妻で、養母として清輝を幼少期より育てた女性です。フランス留学中に清輝が貞子宛に送った書簡については、『黒田清輝日記』(中央公論美術出版、昭和41(1966)年)の中ですでに翻刻され知られていましたが、今回の研究会では貞子が清輝に宛てた書簡70余通が紹介されました。黒田の貞子宛書簡がそうであったように、貞子の書簡も平易なかな文字で口語体を交えて記されています。内容も留学中の黒田へ家族の近況を事細かに知らせるものが多く、また夫清綱の意向を伝えるなど、父子間の潤滑油の役割を果たしていたようです。とりわけ法律家を志して渡仏した清輝が画家への転身を決心した際には、「ま事ニゝゝゝよいおもひつきだよ」(明治19(1886)年7月9日付書簡)と清綱とともにその背中を後押ししているのが注目されます。そんな養父母の心の支えがあってはじめて画家・黒田清輝は誕生した、といっても過言ではないでしょう。今回の研究会は、黒田の画業を語る上で、家族の絆もまた重要な位置を占めていることを再認識する機会となりました。

「無形文化遺産の防災」連絡協議会の開催

協議会の様子

 8月22日・23日、東日本の文化財担当者を対象とした「無形文化遺産の防災」連絡協議会が東京文化財研究所で開催されました。
 国立文化財機構では、平成26(2014)年7月より文化庁の委託を受け、「文化財防災ネットワーク推進事業」に取り組んでいます。このうち東京文化財研究所無形文化遺産部では、特に遅れている無形文化遺産の防災について検討・推進するため、文化財情報資料部と連携して防災の基礎情報となる文化財の所在情報の収集・共有や、関係者間のネットワーク構築を目指して活動してきました。今回の連絡協議会もその一環であり、東日本の各都道府県の文化財担当者を招いて情報収集の呼びかけを行ったほか、各地域の実情や、防災に関わる取り組み、課題について情報交換しました。22日は共催となった東日本民俗担当学芸員研究会からも11名の参加者を得、両日あわせて40名近くの関係者が参加しました。
 無形文化遺産部では、晩秋に西日本を対象とした連絡協議会を、また12月には防災をテーマとした無形民俗文化財研究協議会を開催する予定で、引き続き、「無形文化遺産の防災」の検討・推進に取り組んでいきます。

日韓無形遺産研究交流成果発表会の開催

研究交流成果発表会の様子

 当研究所は大韓民国文化財庁国立無形遺産院との間で、無形文化遺産に関する共同研究をこれまで継続して実施してきました。そしてこのたび、韓国の全州市にある韓国国立無形遺産院において、これまでの共同研究の成果を発表する「日韓研究交流成果発表会」が8月30日に開催されました。当研究所からは無形文化遺産部のスタッフを中心に6名が参加しました。
 当研究所からは菊池研究員が「無形文化遺産の保護及び伝承に関する日韓研究交流(平成24(2012)~平成28(2016)年)」について報告をおこない、続いて久保田室長が「今後の研究交流の方法について」と題した提言を行いました。韓国側からも2名の発表者が、それを受けた報告と提言を行い、続いて出席者全員による総合討論を行いました。
 これまでの共同研究を通じて、日韓両国における無形文化遺産へのアプローチには、似ている側面もあれば、異なる側面もあることが明らかになりました。今回の成果発表会では、そうした共通点と相違点を互いに確認しあった上で、両者が共有する問題や課題について相互に情報を交換し、議論を深めていこう、という方針が決められました。
 例えば今日の韓国においては、無形文化遺産をどのように振興していくかに強い関心があり、それを無形遺産院のような公的機関がどのようにサポートしていくのか、ということが重要な課題とのことでした。いっぽう今の日本においては、無形文化遺産に対する公的機関の関与は韓国ほど顕著ではないものの、それらの伝承・継承に資する研究活動をおこなうこともまた当研究所の使命のひとつと考えています。こうしたとき「無形文化遺産をどのように伝承していくか」という共通の課題に対して、それぞれのアプローチについて意見交換し、議論をすることで、お互いによりよいアプローチを見出すことが出来ると考えます。こうしたことが、両国で共同研究をおこなうメリットでもあります。
 今回の成果発表会の成果を踏まえ、両国の研究交流がさらに活発になり、建設的な議論を生み出すことを期待しています。

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