研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『TOBUNKEN NEWS
(東文研ニュース)』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。
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藤箕製作技術の撮影風景
民俗技術を後世に伝えていく上で、映像による記録は大変有効です。特に東日本大震災以降は、失われた技術を復興・再現するための手がかりとして記録の重要性が再認識され、防災対策としても注目されています。
しかし、これまでの記録映像は、研究や普及用に1時間程度の尺で制作されたものが主流であり、技術そのものの習得や、新たな作り手の育成に目的を特化したものは多くありませんでした。したがって、何をどのように記録すれば、実際の技術習得に役立つのか、その手法についても十分に検証されてきませんでした。一方、伝承の現場では、伝承者の高齢化が進むなど、技術の習得や確認に役立つ記録の作成が、ますます重要で緊急性の高い課題になってきています。
そこで無形文化遺産部では、防災事業の一環として、2015年9月から、千葉県匝瑳市木積の藤箕製作技術(国指定無形民俗文化財)をモデルケースに、民俗技術の映像記録制作事業をスタートさせました。材料の採集、加工、箕作りまでの一連の技術について、例えばどのアングルで撮影すればよりわかりやすいのか、どういった情報が盛り込まれていれば役に立つのか等について、伝承者はもちろん、技術を習う後継者も交えて協議しつつ、制作を進めていきます。事業は2ヶ年を予定しており、今後、公開や活用の方法についても検討していく予定です。
無形文化遺産(伝統技術)の伝承に関する研究報告書
無形文化遺産部では平成26(2014)年度より無形文化遺産(伝統技術)の伝承に関する研究プロジェクトを開始しました。本プロジェクトでは染色技術関連道具について先駆的な事業を行っていた埼玉県熊谷市と協定を結び、埼玉県熊谷市の染色工房へ共同調査を行いました。本報告書はその成果をまとめたものです。
本報告書は、現地調査にご協力いただいた方々それぞれの立場から、染織技術を伝承する上での課題や提案についての報告が掲載されています。また、その内容を補完する資料として、共同調査での聞取調査、工房の平面図や立面図、そして調査時に撮影をさせていただいた映像資料も含まれる内容となっています。加えて、平成27(2015)年2月3日に開催した無形文化遺産(伝統技術)の伝承に関する研究会「染織技術をささえる人と道具」での座談会「染織技術をささえる人と道具の現状」も掲載しています。
今回の報告書は、東京文化財研究所における初の試みである付属映像資料にも無形文化遺産である「わざ」の情報が詰まっています。無形文化遺産部では、今後も文字・写真による記録保存だけでなく、映像等も含めた総合的な記録作成を推進していきます。『無形文化遺産(伝統技術)の伝承に関する研究報告書』は、後日、当研究所ウェブサイトの無形文化遺産部のページで公開予定です。
修復実習風景
8月31日から9月18日の日程で、国際研修「紙の保存と修復」を開催しました。本研修は1992年から現在まで20年以上にわたり東京文化財研究所とイクロムとの共催で行われてきました。この研修では、日本の紙文化財の保存と修復に関する技術や知識を伝え、各国の文化財保存に役立てていただくことを目的としています。今年は世界各国より87名の応募があり、その中からオーストラリア、ベルギー、ルーマニア、ブラジル、スリランカ、オーストリア、アイルランド、ロシア、オランダ、アメリカから1名ずつ計10名の文化財修復関係者を招きました。
講義では、日本の文化財修復の概要、修復材料の基礎科学、美術史的観点から見た紙文化財、道具の製造と取扱いに関する内容を取り上げました。また実習では、紙文化財の修復から巻子の仕立てまでを実施し、和綴じ冊子の作製も行いました。さらに日本の文化財の代表的な形態である屏風と掛軸の構造について学び、その取扱い方法の実習を行いました。所外の研修では、台風の影響により一部予定の変更はありましたが、主たる研修地である美濃市および京都市での研修は無事実施することができました。美濃市では手漉き和紙の製作工程、原料、歴史的背景などについて学び、京都では伝統的な修復工房や道具・材料店等を訪問しました。最終日には研修の総括としてディスカッションを行い、各国における和紙の利用状況等に関する情報交換が交わされました。
この研修を通して、日本の技術や考え方が海外の文化財修復現場において一助となることが期待されます。
考古局との打ち合わせ
調査風景
ブンガドヤジャトラ祭の様子
2015年4月25日、ネパール中部を震源とするマグニチュード7.8の地震が発生し、首都カトマンズを含む広範な地域で文化遺産にも大きな被害が生じました。
東京文化財研究所は文化庁より「文化遺産保護国際貢献事業(専門家交流)」の委託を受け、9月14日から28日にかけて、第1回の現地派遣調査を実施しました。
本調査では、文化省やUNESCOカトマンズ事務所など歴史遺産の保護に関わる主要な機関との打ち合わせを行うとともに、世界遺産の構成資産であるカトマンズ、パタン、バクタプルの旧王宮や、同暫定リストに記載されている郊外の集落であるサンクー、キルティプル、コカナ等を調査し、今後の本格調査のための対象物件・地域や調査手法等を検討しました。また、生き神「クマリ」が山車に乗って巡行するカトマンズ最大の祭礼、インドラジャトラ祭や、震災で中断されていた12年に1度の祭りであるブンガドヤジャトラ祭を見る機会を得、祭りが復興のなかで人々の絆を取り戻す原動力となっていることを感じました。
この事業では、日本の他機関・他大学とも協力し、「伝統的建築技法」「構造計画」「都市計画」「無形文化遺産」といった多面的な調査を通じて、被災した文化遺産の適切な修復・保全方法を検討します。その上で、今後急速に進められることが予想される復興プロセスの中で文化遺産としての価値が失われないように、ネパールの関係当局への技術的な支援を行なっていく予定です。
漆掻き
漆鉋(うるしかんな)製作
文化遺産国際協力センターでは、選定保存技術に関する調査を行い、日本の文化財を守り支える伝統的技術として海外に情報発信する取り組みを行っています。2015年9月には漆掻きと漆掻き用具製作の調査を行いました。
かつて漆は日本全国で栽培・採取されていましたが、比較的安価な外国産の漆が増え、現在日本国内に流通している漆のうち、国産漆は数パーセントしかありません。国産漆の主要な産地は岩手県二戸市浄法寺町およびその周辺地域で、毎年入梅頃から秋まで、約20人の漆掻き職人によって、漆が採取されています。日本うるし搔き技術保存会が中心となって、技術の保存・継承・活用が推進されています。
漆掻きには、独特の形状をした鎌・鉋(かんな)・篦(へら)などが使われ、その道具の主要部は金属製で、専用に作られています。漆掻き用具製作の選定保存技術保持者である中畑文利氏は、漆掻き職人1人1人の技術の特徴に応じて、1本ずつ微調整して作られます。日本産漆の生産、利用を行うためには、漆掻き用具製作技術の継承が必要不可欠となっています。
この調査で得られた成果は、報告書にまとめるほか、海外向けのカレンダーを制作する予定です。
調査風景
企画情報部では2015年8月24・26日に、兵庫県・一乗寺の所有する国宝・聖徳太子及天台高僧像(全10幅)のうち奈良国立博物館に寄託されている高僧像7幅について、東京文化財研究所のもつデジタル画像技術を用いて高精細カラーおよび近赤外線画像調査を同館で行い、城野誠治、皿井舞、小林達朗が参加しました。これらの作品については、当研究所と奈良国立博物館が共同研究の対象として調査を重ねてきたところですが、今回の調査はこれを補足するものです。既に得られた各種画像とあわせ、これらは作品の今までにない詳細な情報を含むものであり、これまでの成果を出版によって公開する準備を進めています。
岡田三郎助直筆の葉書 明治29年12月5日付
岡田八千代代筆による書簡(部分) 明治44年6月30日付
当研究所は創設に深く関わった洋画家、黒田清輝(1866~1924年)宛の書簡を多数所蔵しています。黒田をめぐる人的ネットワークをうかがう重要な資料として、企画情報部では所外の研究者のご協力をあおぎながら、その翻刻と研究を進めていますが、その一環として8月31日に、黒田とともに日本近代洋画のアカデミズムを築いた岡田三郎助の書簡についての部内研究会を行ないました。発表者とタイトルは以下の通りです。
- 高山百合氏(福岡県立美術館学芸課学芸員)
「黒田清輝宛岡田三郎助書簡 翻刻と解題」
- 松本誠一氏(佐賀県立博物館・佐賀県立美術館副館長)
「岡田八千代の小説から見た岡田三郎助像」
岡田三郎助直筆の書簡は「将来国宝にする値打ちがある」と黒田清輝が語るほど、岡田は自分で手紙を書くことが稀であったといいます。今回の高山氏の発表でも、黒田宛の岡田名による書簡群に筆跡のばらつきがあることが示され、代筆者の検討が行われました。そうした代筆者の一人である妻の八千代は、小説家・劇評家としても活躍しています。松本氏の発表では、八千代代筆による黒田宛書簡とともに、自身の夫婦観を投影した新出の小説原稿も紹介しながら、画家に嫁いだ妻の目線による岡田三郎助像が浮き彫りにされました。概して差出人直筆の一次資料として重視される近代の書簡ですが、今回の研究会では代筆というケースを通して書簡資料の難しさ、そして代筆者との関係をも読み解くことで、差出人をめぐる新たな人間模様を映し出す面白さを再認識する機会となりました。
ポスター会場風景
iPadを使いながらの説明
8月26日から29日まで、「2015東アジア文化遺産保存国際シンポジウム in 奈良」が、奈良春日野国際フォーラム甍~I・RA・KA~で開催され、27日と28日の2日間の専門家会議プログラムにおいてポスター発表を行いました。「文化財研究情報アーカイブの構築―東京文化財研究所の取り組み」と題して、(1)情報資源の活用とシステム構築(2)ホームページで公開中の所蔵資料データベース検索システムのリニューアル(Wordpressを利用して個々のデータベース毎の検索からデータベースを横断的に検索し一括で結果を表示するように変更)(3)研究資料データベースの公開(既存の各種画像やテキストコンテンツを、Wordpressを利用することで検索を容易にし、また、未公開だった画像などを順次公開しコンテンツを追加)(4)国内外との連携(英国セインズベリー日本藝術研究所との連携やアメリカ・ゲッティ研究所との共同研究の予定)(5)今後の展開、などの発表でした。
発表は、ポスター掲示に加えて、iPadやタブレットPCを利用したデモンストレーションも行い、また聴講者にも試用いただくことで、リニューアルした総合検索と所蔵資料データベースの取り組みを、より具体的に、分かりやすく理解いただくような方法で行いました。
聴講者からは、そのコンテンツが増えていることや検索がしやすくなったことを把握でき活用の幅が広がったという感想をいただくとともに、大規模なポータルサイトへの情報提供や、類似する資料を扱った他機関とのさらなる連携を期待する意見を伺うことができました。いずれも東アジア文化遺産あるいは文化遺産保存、情報システムの専門家ならではの示唆に富んだもので、当研究所の資料群の国内外への発信の取り組みにおける有効な情報交換となりました。
ワークショップの様子
リノベーション工事中の歴史的建造物
東京文化財研究所では、2009年9月に発生したスマトラ島沖地震の直後に被災状況調査をユネスコ及びインドネシア政府の要請に基づいて実施して以来、パダン市の歴史的街区における復興を、都市計画や建築学、社会学といった各分野での学術的な調査や現地ワークショップの開催等を通じて、継続的に支援してきました。
本年度は、8月26日に、西スマトラ州観光・創造経済局主催による「西スマトラ・パダン歴史地区の再生に関するワークショップ」をインドネシア政府文化教育省、パダン市政府、ブンハッタ大学他と共催しました。今回は、インドネシアと日本の専門家に加えて、マレーシアのペナン市ジョージタウンにおいて歴史的街区の世界遺産登録・保全運動を推進してきた地元建築家とNGO関係者にも参加してもらい、住民参加による文化遺産を活かしたまちづくりの進め方について考えることを主なテーマとしました。パダン市内のホテルで行われた本ワークショップには、国・州・市の各レベルの関係当局代表だけでなく、歴史地区内に居住する住民の代表も含めて50名以上が参加して会場に収まりきらないほどの盛況となり、質疑の中では制度的な枠組みや地元コミュニティの参画及び行政や大学との連携のあり方などに、特に高い関心が示されました。
パダン市政府では、歴史地区再生の担当部局とまちづくり協議組織の立ち上げに向けて目下準備が進められています。今後もこのような地元主導による活動の推移を見守りつつ、必要な支援を行っていきたいと考えています。
大工道具の違いについての意見交換(竹中大工道具館)
檜皮葺体験の様子(京都市建造物保存技術研修センター)
文化庁委託「ミャンマーの文化遺産保護に関する拠点交流事業」の一環として、7月29日から8月6日までの日程で、ミャンマー文化省考古・国立博物館局より4名の専門家を本邦に招聘し、歴史的木造建造物保存に関する研修を実施しました。このプログラムは、一昨年度よりミャンマー国内において継続中の現地研修と一連をなすもので、わが国における文化財建造物保存修理の実践を具に理解してもらうことを目的としています。保存修理制度の歴史や調査記録の手法、虫害対策、耐震対策、大工道具といったテーマの座学に加え、修理工事現場における見学や痕跡調査等の実習、修理技術者との意見交換等を通じて、木造建造物保存修理に関する知見を広めてもらうとともに、ミャンマーでも応用可能な手法等についても共に検討する機会となりました。
短い滞在期間中に、幾つもの修理工事現場に加えて、博物館や史跡公園、伝建地区といった文化遺産を訪問し、最終日には一人ひとりに成果発表を行ってもらうというハードなスケジュールでしたが、研修生たちは熱心に学び、多くのことを吸収していました。両国の気候風土や建築文化の違いを感じつつも、通底する文化の共通性を意識させられる場面も多かったようです。自国の文化遺産保護の今後に活かすべく、それぞれの現場で様々な疑問・質問を熱心に投げかけていたことは、日本側の技術者・専門家にも強い印象を与えたようでした。最後に、今回の研修にご協力いただいた、(公財)文化財建造物保存技術協会、京都府教育庁文化財保護課、竹中大工道具館ほか、各機関・関係者の皆様に、この場を借りて心からお礼申し上げます。
物理実験室で行われた説明の様子
独立行政法人国立文化財機構新任職員 計44名
7月10日、独立行政法人国立文化財機構新任職員研修会の一環として44名が来訪。企画情報部資料閲覧室、無形文化遺産部実演記録室、保存修復科学センター物理実験室を見学し、各担当者が業務内容について説明を行いました。
『美術研究』は昭和7年(1932)1月、当研究所の前身である帝国美術院附属美術研究所において、当時所長であった矢代幸雄の構想・提唱により第1号を刊行しました。以来、今日まで、広くアジアを視野に収めて文化財に関する論文、図版解説、研究資料等を掲載し、文化財研究を国内外で牽引してまいりました。そのバックナンバーのWeb上での公開については、全所的アーカイブの一環として、また、かねてより評価委員会での公開についての意見・要請を承けて、それに応えるべく企画情報部では公開の準備を進めてまいりました。
このたび、1号から200号までの掲載論文等の著作権者もしくは著作権継承者に連絡をとり、承諾を得たものから順次、「東文研総合検索」において検索、web上での本文閲覧ができるようにいたしました。なお、今回は早期にWeb上で論文・記事等の本文を閲覧できる環境を作ることを優先したため、同誌収載の社寺や美術館・博物館等の所蔵品の口絵・挿図は、個別に所蔵者からの公開許可をとることをせず、マスキング処理をほどこしました。200号までの著作権者不明分については、所定の手続きをおこなうともに、それ以降の号についても順次公開できるように作業を進めているところです。PDFでの公開を機に、広く『美術研究』が活用されること願うものであります。
世界遺産委員会の会場となったボン世界会議センター(WCCB)
審議風景
第39回世界遺産委員会は6月28日~7月8日、ドイツのボンで開催されました。筆者らは委員会に参加し、その動向について調査を行いました。
今回世界遺産リストに記載された24件の資産の内訳は、文化23に対し複合1、自然0、ヨーロッパ・北米の12に対し、北部のアラビア語圏を除くアフリカでは0と、種類や地域間の格差が拡大しました。一方、鉄道橋や港湾倉庫群、窒素肥料やコンビーフという当時の世界的輸出品の工場などの産業遺産が記載され、文化遺産の多様性は増しています。やはり産業遺産である明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業(日本)の審議では各委員国の発言は行われず、決議案に脚注を加える改訂を行い採択の後、日本と韓国がその内容についてそれぞれ声明を読み上げる、通常とは異なる方法がとられました。危機遺産リストからは1件が抹消されましたが、ハトラ(イラク)、サナア旧市街、シバームの旧城壁都市(イエメン) の3件が加わりました。地震で被災したカトマンズの谷(ネパール)は、状況把握の必要性や、ネパールが記載を望まないことを理由に記載されませんでした。
ところで、今回審議された推薦では、推薦内容に関して諮問機関と締約国との間でこれまでより多くの対話が行われました。諮問機関の勧告はより肯定的になり、彼らの評価が低い推薦は、委員会で勧告を大きく覆されることはありませんでした。また、推薦書作成などに対し、締約国の求めに応じて諮問機関や世界遺産センターが技術的支援を行うアップストリーム・プロセスが制度化されました。このように、世界遺産リストへの記載に関する支援が手厚くなる一方、支援を活用していない締約国があることも世界遺産センターや諮問機関から指摘されています。世界遺産センターは業務効率化に努めていますが、限界があります。世界遺産の枠組みの維持に自らの協力が不可欠なことを、全締約国が認識する必要があります。
輪島市門前町に伝来するイナウ奉納額
青森県深浦町に伝来するイナウ3点
今年度より、本州以南に現存するイナウ資料(アイヌ民族の祭具)の調査を行っています。北前船の寄港地として栄えた日本海側の港町には、北方交易によってもたらされたと考えられる近世から明治期にかけてのアイヌ関連資料が数多く伝来しています。このうち、石川県や青森県などでは神社仏閣に奉納されたイナウがあることがわかり、現在、石川県立歴史博物館の戸澗幹夫氏、北海道大学アイヌ・先住民研究センターの北原次郎太氏と共に調査を進めています。
これまでの調査で、石川県輪島市門前町では明治20~23年の銘のある4点のイナウ奉納額が、同県白山市では明治元年の銘のあるイナウ奉納額1点が見つかっています。これらの額には「奉納」「海上安全」などの銘文が墨書されており、北前船の船主が航海の安全を祈念して(あるいは感謝して)奉納したものと考えられます。また北前船の重要な風待ち港であった青森県深浦町には27点もの年代不詳のイナウが伝来しており、やはり海の信仰に関わって奉納されたものと推測されます。
こうしたイナウは従来あまり知られていませんでしたが、国内に現存するものとしては、近藤重蔵が寛政10年(1798)に収集したとされるイナウ、東京国立博物館所蔵資料(明治8年)、北海道大学植物園所蔵資料(明治11年)に次いで古い、大変貴重な資料と位置づけられます。また本資料は、北前船の船主がアイヌの人々の祭具であるイナウを本州まで大切に持ち帰り、地域の寺社に奉納して今日まで守ってきたことを示すものであり、北方交易による和人とアイヌの交流の実態を映すものとしても、大変示唆に富んだ資料と言えます。日本海沿岸の地域には、こうした未発見のイナウ資料がまだ残されている可能性があり、今後も関係諸機関と連携しながら調査を続けていく予定です。
石塔の構造補強に関する共同調査(明導寺七重石塔)
保存修復科学センターは大韓民国・国立文化財研究所保存科学研究室と覚書を交わし、「日韓共同研究-文化財における環境汚染の影響と修復技術の開発研究」を共同で進めています。詳細には、屋外にある石造文化財を対象にお互いの国のフィールドで共同調査を行うとともに、年1回の研究報告会を相互に開催し、それぞれの成果の共有に努めています。
今年度の研究報告会は7月8日、東京文化財研究所地階会議室にて日本側の主催で行われました。研究報告会は石造文化財の構造的な問題をテーマに、日韓双方の研究者がそれぞれの研究成果を報告し、議論を行いました。また本研究報告会に伴う韓国側研究者の来日にあわせて、日本での共同調査として熊本県湯前町にある明導寺九重石塔および七重石塔などを視察し、構造補強の方法の変遷について情報共有を行いました。
写真1.フォーラムの講演会場風景
写真2.第一サテライト会場の様子
保存修復科学センターでは、「IPMフォーラム:臭化メチル全廃から10年:文化財のIPMの現在」を2015年7月16日に開催しました。本催しは、文化財保存修復学会が共催となり、同学会の例会としても位置付けられました。モントリオール議定書締約国会議による2005年からの臭化メチル使用全廃、その10年という節目に、これまでの活動をふりかえりつつ、現状での文化財分野のIPMの活動状況、進展や問題点も含めて情報を共有し、現在の課題と、今後必要な方向性を考えるための場とすることを目的としました。当日は、齊藤孝正氏(文化庁)、木川りか(東京文化財研究所)、三浦定俊氏(文化財虫菌害研究所)により、我が国や世界の国々での燻蒸やその後のIPMへの取り組みが紹介され、本田光子氏(九州国立博物館)、長屋菜津子氏(愛知県美術館)、園田直子氏(国立民族学博物館)、日高真吾氏(国立民族学博物館)、斉藤明子氏(千葉県立中央博物館)、青木睦氏(国文学研究資料館)により、各館の様々な取り組みについていろいろな角度からご報告をいただきました。さらに、朝川美幸氏(仁和寺)からは、社寺における具体的なIPM活動の実践例をご紹介いただき、佐藤嘉則(東京文化財研究所)からは、埋蔵環境である装飾古墳の保存公開施設でのIPMへの取り組み例について紹介しました。参加者はちょうど200名で、会場となった東京文化財研究所、地階セミナー室(写真1)だけではなく、会議室(写真2)やロビーを2つのサテライト会場としました。ロビーでは、文化財のIPMや生物劣化対策に関する論文の別刷の他、関連資料等を展示し、自由にお持ち帰りいただけるようにしました。白熱した発表が続き、討議の時間が少なくなったのは残念でしたが、関係者皆様のご協力を得て、盛況裏にフォーラムが終了いたしましたこと、改めて関係者各位に感謝したいと存じます。
会場の様子
博物館・美術館等保存担当学芸員研修の修了者を対象とし、資料保存に関わる最新の知見等を伝える目的とした表題の研修を3年ぶりに開催しました(平成27年7月6日、参加者107名)。
2020年以降の水銀および水銀を使用する製品の規制を定める、いわゆる「水俣条約」により、今後の蛍光灯の生産中止への流れ、また以前からの白熱電球生産縮小により、展示照明用光源についても白色LEDへの転換が“選択”から“必然”になりつつあります。今回は副題が示す通り、同条約について概説を行った(佐野千絵・保存修復科学センター副センター長)のち、白色LED開発の現状について吉田が解説しました。さらに、久保恭子氏(日本美術刀剣保存協会)、川瀬佑介(国立西洋美術館)、山口孝子氏(東京都写真美術館)をお招きし、日本刀、油彩画や彫刻、写真資料の展示照明として白色LEDを使用した際の効果や現状での問題点等についてお話しいただきました。さらに山口氏には、水銀を利用した写真技法であるダゲレオタイプへの影響についても取り上げていただきました。
非常に高い演色性が求められる展示照明用の蛍光灯やハロゲンランプの今後の生産については、まだ先行きについて確実なことは言えず、今後も情報収集と提供に努めてまいりたいと考えています。また、数字上の演色性に関しては十分な性能を持つに至っているLEDですが、従来照明との見え方の違いも顕在化しており、自然科学的見地からその原因を解明する必要性も実感しています。
文化財害虫同定実習の様子
表題の研修は、資料保存を担う学芸員に、そのための基本知識や技術を伝える目的で昭和59年以来毎年行っているものです。今年度は、7月13日より2週間の日程で行い、全国から32名の参加者を得ました。
本研修のカリキュラムは、温湿度や空気環境、生物被害防止などの施設環境管理、および資料の種類ごとの劣化要因と様態、その防止の2本の大きな柱より成り立っており、研究所内外の専門家が講義や実習を担当しました。博物館の環境調査を現場で体験する「ケーススタディ」は埼玉県立さきたま史跡の博物館をお借りして行い、参加者が8つのグループに分かれて、それぞれが設定したテーマに沿って調査し、後日その結果を発表しました。
今回の研修は32回目となり、初期の方々との代替わりも進んでいます。また、特に公立博物館の多くが改修や設備更新の時期を迎えている現在において、資料保存の理念や方法が適切に継承されるよう、本研修を今後も充実させていきたいと考えています。
修復材料調整の実習風景(No.1205寺院)
煉瓦造遺跡の壁画保存に関する研修および調査 6月14日から6月23日の日程で、昨年より継続している壁画の保存修復に関する研修とバガン遺跡群内No.1205寺院の堂内環境調査、屋根損傷状態調査、壁画の崩落個所応急処置を行いました。研修は、ミャンマー文化省考古・国立博物館局(DoA)のバガン支局およびマンダレー支局の壁画修復の専門職員3名を対象に行いました。過去にバガン遺跡群内の寺院壁画に対して行われた修復事例を視察しながら、壁画の損傷の原因やその対処方法について討論を行った後、No.1205寺院において実際に壁画修復時の調査記録方法、修復材料の調整方法等についての実習を行いました。また、平成26年度の調査時に指摘されていた鳥獣や虫による汚損や破壊に対する対策として、シロアリの忌避剤や寺院入口の扉について指導し、DoA職員らと共に設置を行いました。研修生からは、今回の研修内容を他の修復事業にも役立てていきたいとの意見も聞かれ、今後の活用が期待されます。
バガヤ僧院での研修風景
第4回木造建造物保存研修の実施
6月30日から7月11日まで、インワ・バガヤ僧院およびミャンマー考古・国立博物館局(DoA)マンダレー支局にて、第4回の木造建造物保存研修を実施しました。DoA職員10名と技術大学マンダレー校卒業生1名(オブザーバー)が参加した今回研修では、本堂の床組及び外壁周りの破損部位と取替材に関する調査に続いて、内陣周囲の高欄を対象として彫刻も含む総合的観察記録の演習などを行いました。従来と同様に数名ごとのグループで行う調査から、個人単位で行う作業の比重を徐々に高めていき、最終の発表も一人ずつに行ってもらいましたが、かなり高い水準の調査報告がなされるようになり、研修成果が着実に彼らの身についてきたことを実感させられました。