研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『TOBUNKEN NEWS (東文研ニュース)』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。

東京文化財研究所 保存科学研究センター
文化財情報資料部 文化遺産国際協力センター
無形文化遺産部


研究会「東南アジアにおける木造建築遺産の保存修理」の開催

研究会「東南アジアにおける木造建築遺産の保存修理」プログラム

 令和2(2020)年11月21日、東南アジア諸国で行われている木造建築の保存修理の方法や理念をテーマとした研究会をオンラインで開催しました。この研究会は、文化遺産国際協力センターが東南アジアの木造建築をテーマに連続で開催してきたもので、今年はその4回目となります。これまでの3回は、歴史学や建築史学、考古学といった学術的な側面から東南アジアにおける木造建築の実像に迫ってきましたが、今回はこのテーマの研究会の締めくくりとして、当研究所が日々の業務で取り組んでいる文化財保護の実務的な側面に焦点をあてました。
 研究会には東南アジアにおける木造建築の保存修理を担う技術者として、タイ王国文化省芸術局建造物課主任建築家のポントーン・ヒエンケオ氏とラオス・ルアンパバーン世界遺産事務所副所長のセントン・ルーヤン氏、また東南アジア地域の文化遺産保護に精通した専門家としてユネスコ ・バンコク事務所文化ユニットのモンティーラー・ウナクーン氏の参加を得ることができました。ポントーン氏からはタイ国内の文化財に指定された寺院建築、セントン氏からはルアンパバーンの町並みを構成する住居建築を事例にして、文化遺産としての木造建築修理の方針や具体的な方法についてそれぞれ報告があり、モンティーラー氏からはインドネシアやタイで近年行われた木造建築の保存修理やこれに関する人材育成の先駆的取組みが紹介されました。
 研究会の後半には、友田正彦文化遺産国際協力センター長の司会のもと、前半の報告者3名に国宝・重要文化財建造物保存修理主任技術者である文化財建造物保存技術協会の中内康雄氏を加えた計5名によるパネルディスカッションが行われました。その中での議論を通じて、木造建築の保存の考え方や修理の仕方には図らずも多くの共通点があることが改めて確認されるとともに、生産者や職人など伝統的な材料や技術を支える人材の不足が、現代社会の中で伝統木造建築が抱える普遍的な課題であることが認識されました。
 今回の研究会は、もともと当研究所セミナー室で開催する予定で準備を進めていましたが、コロナウィルスの感染拡大の収束が見通せない状況に鑑み、ウェビナー形式に切り替えて開催したものです。従来、実地で開催してきた研究会をオンラインで開催することができたのは一つの収穫といえますが、当方の不慣れに加えて想定外のトラブルもあり反省点が数多く残されたことも確かです。これを機にポストコロナ社会に適したあたらしい研究会等イベントのあり方を模索していきたいと思います。

エントランスロビー展示「カンボジア・アンコール・タネイ寺院遺跡東門の修復」

上部構造を解体した東門のAR展示イメージ(技術協力 山田修(東京藝術大学大学院特任教授))

 当研究所のエントランスロビーでは、私たちが日々取り組んでいる仕事を皆様に広く知ってもらえるように、各部・センターの持ちまわりで年替わりのパネル展示を行っています。2020年度の展示は文化遺産国際協力センターが担当し、長年取り組んでいるカンボジアのアンコール・タネイ寺院遺跡の保存に対する協力の中から、昨年始まった同寺院東門の修復工事を紹介しています。
 カンボジアを代表する大遺跡であるアンコールでは、カンボジアが国内政治の混乱から抜け出した1990年代以降、我が国のほかフランスやアメリカ、インド、中国といった世界各国の全面的な支援によって壮麗な建築群の復旧と復興が進められてきました。タネイ寺院遺跡では国際支援の考え方を一歩前に進め、カンボジア政府のアンコール・シエムレアプ地域保存整備機構(APSARA)と当研究所が共同で作成した保存整備計画に沿って、カンボジア社会で持続可能な方法での遺跡の修復や整備を進めていこうとしています。東門の修復工事は同計画のもとで行われる初めての本格的な保存整備事業です。APSARAが修復工事の予算の確保と実施を担う一方、当研究所は工事の前に必要となる建築調査や発掘調査を行うとともに、修復の方法や工事の進め方に対する助言や提案を行っています。
 タネイ寺院遺跡の調査では、3Dレーザー計測や写真測量(フォトグラメトリー)など近年の進展が目覚ましいデジタル記録技術を積極的に導入しました。特にフォトグラメトリーは、簡易かつ本格的なソフトウェアが一般向けに商品化されており、現在のカンボジア社会でも汎用性の高い技術として文化遺産保護分野への応用が十分に期待できるものです。今回の展示では現地の雰囲気を身近に感じられるように、こうしたデジタルデータを活用して、AR(拡張現実)やVR(仮想現実)と呼ばれる展示方法にも挑戦しています。こうした展示を通じて、当研究所が取り組んでいる文化遺産保護の国際協力に少しでも関心をもっていただければ幸いです。
https://www.tobunken.go.jp/info/panel200704/index.html

コロナ禍におけるアンコール・タネイ寺院遺跡保存整備のための技術協力の取り組み

東門の基礎構造の補強方法検討図
ICC事務局による東門修復工事の視察(APSARA提供)

 東京文化財研究所では、カンボジアにおいてアンコール・シエムレアプ地域保存整備機構(APSARA)によるタネイ寺院遺跡の保存整備事業に対する技術協力を継続的に行っています。昨年からはAPSARAと共同で策定した保存整備計画に基づいて、同寺院東門の修復工事に取り組んでおり、APSARAが工事の予算確保や実施を担う一方、本研究所は工事前や工事中の建築調査および考古調査を担うとともに、修復の方法や工程に対する助言や提案を行っています。
 今年に入り、新型コロナウィルスの世界的な感染拡大により諸外国との往来が困難になる中、3月末以降カンボジアへの渡航も事実上不可能になってしまいました。しかし、カンボジア国内では本格的蔓延に至っておらず、通常の業務が継続されている中、日本側の事情だけでAPSARAの事業計画を中断させるわけにもいきません。そこで4月からは、通常のメールによる連絡のみならず携帯端末のメッセージサービスを積極的に活用してリアルタイムな現場の状況把握に努めるとともに、必要に応じて適宜オンライン会議を開催するなど、手探りながらもICT(情報通信技術)を用いた技術協力の取り組みを進めています。
 令和2(2020)年4月21日、2月から3月にかけて現地で行った基礎構造の強度調査等の分析結果の共有と、これに基づく適切な修復方法や構造補強方針に関する意見交換を目的に、APSARAの修復担当チームとのオンライン会議を開催しました。会議には協力研究者である東京大学生産技術研究所の腰原幹雄教授(建築構造)および桑野玲子教授(地盤機能保全)の参加を得て、専門的見地を交えた踏み込んだ議論を行い、当初構法のオーセンティシティの保存と構造的安全性の両立に向けた修復と補強の基本的な方向性について合意を得ることができました。この基本合意のもと、5月と7月にも、それぞれ基礎構造と上部構造について検討するためのオンライン会議を開催し、現場の最新状況と計画図面等の情報を共有しながらの双方向での議論を経て、現段階で最も適切と考えられる具体的な修復・補強方法を決定しました。
 一方、例年6月にAPSARA本部において開催される、アンコール遺跡国際調整委員会(ICC)技術会合も今年は延期となり、ICC事務局による現場視察のみが行われました。この視察にあわせてAPSARAと本研究所は、上記の検討内容を含む事業計画進捗状況報告書を共同で作成、ICC事務局に提出しました。さらに、ICCの専門委員を務める京都大学大学院の増井正哉教授とのオンライン会議を開催し、目下の検討・計画内容について指導助言を得るとともに、アンコール遺跡の国際協力を取り巻く動向等に関する意見交換を行いました。
 このように、図らずも、ICTによる文化遺産の修復協力の可能性を実感できたことは大きな収穫ではあります。とはいえ、文化遺産の保存は、それぞれに独自の価値を有するもの自体が対象である以上、遠隔での情報の共有や対話だけでは自ずと限界があることも確かです。新型コロナウィルス感染症の流行が収束し、再び自由な往来ができる日が一刻も早く戻ることを願ってやみません。

アンコール・タネイ遺跡保存整備のための現地調査IX

基壇の解体
コアサンプリング

 東京文化財研究所では、カンボジアにおいてアンコール・シエムレアプ地域保存整備機構(APSARA)によるタネイ寺院遺跡の保存整備事業への技術協力を継続しており、令和元(2019)年9月より、同遺跡保存整備計画の一環として、東門の修復工事をAPSARAと共同で進めています。令和2(2020)年2月26日から3月18日にかけて、3次元レーザースキャナーを用いた東門基壇の記録および基礎構造の強度調査等を目的に、職員および外部専門家計4名の派遣を行いました。
 2月27日から28日まで、上部構造の解体により露出した基壇および発掘調査を行った基壇外側入隅部の状態を正確に記録するため、東京大学生産技術研究所(東大生研)の大石岳史准教授の協力のもと、3次元レーザースキャナーを用いた基壇の計測を行いました。こののち、基壇内部盛土層の平板載荷試験、およびラテライト下地材等の一軸圧縮試験を予定していましたが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で外部専門家の派遣を中止せざるを得なくなり、現地では2019年12月に続く第2回目の簡易動的コーン貫入試験のみを実施しました。
 簡易動的コーン貫入試験は、基壇内部盛土層と基壇外縁部の基礎地業層を対象として計11カ所で実施したところ、基壇内部盛土については壁直下部の方が室内中央部(床下)より概して大きい数値を示しました。この要因としては、試験時の気候の違いが影響している可能性はあるものの、壁直下では長期的な建物の自重により版築が締め固められ、現状で上部荷重を支持するのに十分な強度を有していることが推測されます。併せて、最下層の基礎地業を含む断面構造確認のため、ハンドオーガーによるコアサンプリングも行いました。
 後日、3種類の試験体(既存のラテライト旧材、今回修復で劣化部の置換に使用するラテライト新材、据付調整用のライムモルタル)について、東大生研の桑野玲子教授、大坪正英助教の協力のもと、一軸圧縮試験等を行った結果、ラテライト旧材と新材とで顕著な強度差はないことなどが判りました。
 世界的な新型コロナウイルス感染拡大により、当研究所が実施する国際協力事業も未曾有の状況が続いていますが、オンライン会議やデジタルデータ等を積極的に活用しながら、ひきつづき綿密な協力体制を維持できるよう模索しています。

台湾指定古跡・旧日本海軍鳳山無線電信所の調査

現在の旧佐世保無線電信所施設とその周辺(長崎県佐世保市)
旧鳳山無線電信所の中心にある電信室正面(台湾高雄市)

 長崎県の佐世保市と西海市をへだてる針尾瀬戸をみおろす丘陵上にある旧佐世保無線電信所(針尾送信所)は、海軍が大正11(1922)年に建設した長波通信基地の遺構です。わが国のコンクリート構造の草分けとして知られる海軍技師・真島健三郎(1874~1941)が率いた佐世保鎮守府建築科が手がけた、高さ136メートルに及ぶ3基の巨大な電波塔に象徴される上質な鉄筋コンクリート造の建造物群は、当時最高水準のコンクリート技術を示すものとして、平成25(2013)年に重要文化財に指定されています。
 重要文化財の指定後、旧佐世保無線電信所施設(以下、佐世保)を管理する佐世保市では文化財としての保存と活用のための整備を進めています。令和2(2020)年2月12~13日の間、筆者が委員を務める整備検討委員会の活動の一環として、台湾南部の高雄市郊外にある旧日本海軍鳳山無線電信所の調査を行いました。
 鳳山無線電信所(以下、鳳山)は、同じく佐世保鎮守府が手がけた長波通信基地で、佐世保より5年先立つ大正6年(1917)に完成しました。2000年代まで台湾海軍の招待所や訓練所として利用された後、公開施設となり、2010年に台湾の古跡に指定されています。鳳山は、佐世保と同じ組織による設計だけあって、電波塔こそ当時一般的な鉄塔(解体撤去済み)でつくられたものの鉄筋コンクリートが多用され、半径300メートルの円周道路や中心部の主要施設の配置など佐世保と類似した構成になっています。今回の調査で、鳳山は戦後一貫して大規模な更新や改造を要しない教育的施設であったため、主要建物の改変が比較的少なく、日本海軍時代の様相を今も留めていることが確認できました。特に施設の中心にある電信室は佐世保と同形式で、一部火災で消失しているものの、鉄扉や上下窓枠といった建具のほか内部の床や階段など木製の造作が残っており、建設当時のよく姿を伝えています。佐世保の電信室は大戦末期の耐爆化に伴う改造に加え、海上自衛隊及び海上保安庁時代の時々折々の改修も少なくないことから、今後、保存修理の方針を検討する上での有効な参考資料になると考えられます。
 いっぽう鳳山には現地で「十字電台(ラジオ局)」と呼ばれる、その重厚な建築的特徴から作戦指揮所を思わせる特異な建物があるなど、少なからず佐世保との違いもありました。鳳山の整備では、白色恐怖(国民党政府が反体制派に対して行った政治的弾圧)時代に鳳山が政治犯矯正の場所となっていた事実に焦点が当てられており、日本海軍時代については余り注目されておらず、未解明の事柄も多く残されているようです。今後、文化財としての保護を共通項に、佐世保と鳳山の交流を進めていくことで、日台の近代化遺産における保存理念や修理方法の展開にも貢献できるものと期待されます。

ブータン王国の歴史的建造物保存活用に関する拠点交流事業III

ワークショップ前の現地確認(カベサ集落を望む)
ワークショップでの議論の様子(DCHS会議室)

 東京文化財研究所(東文研)では本年度、文化庁の文化遺産国際協力拠点交流事業を受託し、ブータン王国の民家を含む歴史的建造物の文化遺産としての保存と持続可能な活用のための技術支援及び人材育成に取り組んでいます。令和2年1月16日、同国内務文化省文化局遺産保存課(DCHS)が開催したラモ・ペルゾム邸の保存活用に関するワークショップに、外部専門家3名を含む計6名を派遣しました。
 ラモ・ペルゾム邸は、首都ティンプー近郊のカベサ集落に所在する同国内の現存最古級と目される民家で、ブータン政府が成立を目指している文化遺産基本法(新法)のもとでの民家建築の保存候補の筆頭に挙げられるものです。いっぽう無住となって久しく、また経年劣化の進行も著しいことから、その保存の可能性や活用の方向性について、行政や所有者、地域コミュニティといった関係者間での予備的な合意形成が求められる状況でした。そのような問題意識から、ワークショップはラモ・ペルゾム邸の保存活用に対する様々な見解を共有し、実現可能性が高い方向性を探ることを目的に、利害関係者として所有者と地域コミュニティの代表者のほか、公共事業定住省の地域計画担当者、観光庁の観光開発担当者を召集し、東文研は文化遺産に関する理念的・技術的な見地からの助言を行うために参加しました。
 ワークショップの前半は、文化遺産保護を進める立場から、東文研が現地調査に基づく保存の方針と修復の方法に関する提案、DCHSが行政による資金面を含む支援のあり方に関する報告を行いました。対して保存を担う立場からは、文化遺産としての高い評価に対する理解が示されたいっぽう、所有者から現代に即した活用による経済的利益の確保、また地域コミュニティ代表者から保存に対する行政の積極的な関与の必要性が強く要望されました。そして後半には、前半の発表や意見をもとにした活発な議論が行われ、(1)新法による指定など文化遺産としての価値付けのための手続きを加速すること、(2)修復に対する行政の支援や保存に対する所有者の義務など保護に係る枠組みを明確にすること、(3)文化遺産として適切かつ所有者の意向に配慮した活用案を検討することなど、ラモ・ペルゾム邸の保存活用を進めていく方向で参加者間の合意が図られました。
 東文研では今後もDCHSに協力し、ブータンにおける民家建築等の文化遺産としての保存活用の実現に向けて、現地調査や研究活動を継続していく予定です。

「ネパールの被災文化遺産保護に関する技術的支援事業」による現地派遣(その13)

第3回市長会議の様子

 文化庁より受託した標記事業の一環として、東京文化財研究所(東文研)では、ネパールにおける歴史的集落保全に関する行政ネットワークの構築支援を継続しています。これに関して、令和元(2019)年9月23日および12月1日に担当者レベルのエンジニアワークショップをキルティプル市で開催し、その成果を受けて、令和2(2020)年1月5日には「カトマンズ盆地内の歴史的集落保全に関する第3回市長会議」を同市と共催しました。
 市長会議は、歴史的集落保全に関する各市の取り組みや課題を共有する場として平成30(2018)年に始まり、これまでにパナウティ市(2018年)とラリトプル市(2019年)で開催しています。
 キルティプル市は、世界遺産暫定リストに登録されている旧市街地「キルティプルの中世集落」を有し、目下、市独自の保全条例制定に取り組んでいます。そのため、今回は「歴史的集落の保全制度」をテーマとし、2回のエンジニアワークショップを通じて制度に関する現状課題の把握と議論、情報共有を行いました。その結果、歴史的集落保全の行政組織や制度上の課題として、国政レベルにおいて文化財保護行政と都市計画行政で足並みが揃わず、歴史的集落保全のための枠組みが実効的な制度となっていないこと、また、市政レベルでは、独自条例を設けて先駆的に街並み保全を行っている市もあれば、条例やその基準を作成段階の市もあり、それぞれの市が抱えている課題の水準が異なることが明らかになりました。
 そこで市長会議では、これら国政と市政レベルでの課題を相互に共有することを目的として、国の文化財保護行政および都市計画行政が各々取り組んでいる保全制度について各担当者が報告し、5市のエンジニアが各市の条例やその課題について発表しました。日本側からは、神戸芸術工科大学の西村幸夫教授が「歴史的集落の保存と都市開発の役割分担」と題して基調講演を行い、東文研文化遺産国際協力センターの金井健保存計画研究室長が、日本の重要伝統的建造物群保存地区制度の事例を紹介しました。会議には、5市長、4副市長を含む120名ほどが参加し、会議の終盤にはフロアのエンジニアも交えた活発な意見交換が行われました。
 ネパールの歴史的集落保全は、国からの財政的、技術的なサポートが十分ではなく、各市は財源や人材の不足など多くの課題を抱えています。また、歴史的集落における基礎的調査の不足や、研究者や専門家との協力体制が築かれていないことも、既存の制度が有効に機能していない一因といえます。
 研究機関を交えた歴史的集落保全ネットワーク運営母体を立ち上げるための検討も始まりつつあり、歴史的集落保全を取り巻く環境の改善に向けて、自立的かつ継続的な関係者間の連携がさらに強化されていくことを期待しています。

アンコール・タネイ遺跡保存整備のための現地調査Ⅶ

クレーントラックによる解体作業
東門内部で発見された彫像頭部

 東京文化財研究所では、カンボジアでアンコール・シエムレアプ地域保存整備機構(APSARA)によるタネイ寺院遺跡の保存整備事業に技術協力を行っています。同遺跡における東門修復工事の開始に伴い、工事中の助言と記録作業等の実施のため、令和元(2019)年9月7日から11月5日にかけて職員および外部専門家計6名の派遣を行いました。
 本工事では、APSARAが工事の実施を担当し、本研究所は主に修復方法等に対する技術支援および調査研究面での協力を行っています。
 9月12日に地鎮祭を行って工事関係者全員で安全を祈願した後、屋根の解体を開始しました。解体にはクレーントラックを使用し、各石材に番付を付したうえで頂部から順に石材を取り外し、1段進捗する毎に現状の計測や調書の作成など必要な記録作業を行うとともに、取り外した石材についても個別に実測や写真撮影、破損状況等の記録作業を行いました。
屋根の解体が完了した後、建物内部に浸入した樹根や蟻塚を除去し、崩落していた石材を取り出しました。回収した石材は約70個で、屋根やペディメントの部材が大半を占めることから、経年により自然に崩壊した様子が窺えます。また、この作業中、崩落した石材の下から、観音菩薩と思われる彫像の頭部(高さ56センチ程)が、南翼の西壁面に立て置かれた状態で発見されました。未解明の点が多いタネイ寺院の歴史をひもとくうえでも貴重な資料と考えられます。写真や後述の3Dスキャンによる現状記録の後、詳細な調査にむけてAPSARAの管理施設に収容しました。
石材の回収完了後は、東京大学生産技術研究所大石研究室の協力を得て3Dレーザースキャンによる壁体および室内部の精密な記録作業を行い、あわせて建物の詳細調査とSfMによる壁面の記録等を行いました。その後、10月16日より壁体部分の解体に着手し、必要な記録等を行いながら安全に作業を進め、予定した範囲の解体を11月5日に完了しました。
 これら解体に伴う一連の調査を通して、樹根や蟻塚が石材の目地の細かな部分まで入り込み、建物が変形する一因となっている様子が確認できました。また、基壇および床面には不同沈下が認められることから、基礎構造に何らかの欠陥が生じている可能性が推測できます。建物の構造的健全性を回復するためには劣化メカニズムの解明とこれを踏まえた基礎構造の改善が不可欠であることから、引き続き12月にも職員等を派遣し、基壇の部分的な発掘調査および地盤調査を実施する予定です。
 このほか、9月18日にAPSARA本部で開催された、プレアヴィヒア寺院の保存整備に関する国際調整委員会(ICCプレアヴィヒア)に出席し、最新情報を収集しました。今後もAPSARA側との協力を継続するとともに、各国の専門家らとの意見交換や情報収集等を行いながら、アンコール遺跡における適正な修復事業のあり方を模索していきます。

ブータン王国の歴史的建造物保存活用に関する拠点交流事業II

現地における関係者との活用方法の検討
今回調査の対象とした集落の一つ(プナカ県ユワカ村)

 東京文化財研究所では、平成24(2012)年よりブータン内務文化省文化局遺産保存課(DCHS)と共同で版築造建造物を対象とする建築学的な調査研究を行っています。本年度より文化庁の文化遺産国際協力拠点交流事業を受託し、同国の歴史的建造物の保存活用のための技術支援および人材育成を目的とした事業の一環として、令和元(2019)年8月20日から28日まで、当研究所職員および外部専門家計11名を現地に派遣しました。
 DCHSの職員と共同で行った調査では、ティンプー県、プナカ県およびハー県の歴史的民家建築を対象として、その保存修理の方法、持続可能な活用および文化遺産としての価値評価の三つの観点から検討を行いました。保存修理の方法および活用については、これまでに把握した民家建築の編年指標に基づいて選定した3棟の保存候補民家を対象として、版築壁の耐震補強や木部の補修の方法を検討するとともに、所有者の意向を取り込みつつ、文化遺産としての価値の担保を前提とした活用の方法を検討し、DCHS職員、現地の建築設計者、所有者などを巻き込んで議論を行いました。民家の文化遺産としての価値評価については、それぞれの保存候補民家が所在する集落を中心に悉皆的な調査を行い、民家の分類の方法および文化財指定のための基準を検討しました。
 また、ブータン内務文化省文化局にて今回の交流事業に関する覚書(MOU)を締結するとともに、DCHSとの協議を行い、今回の調査の結果やブータン側の展望や課題などについて意見交換を行いました。
 今後も現地で調査やワークショップを行い、ブータンの実情に即した歴史的建造物の保存活用の方法について現地の関係者とともに検討を重ねていく予定です。

シリア人専門家研修「歴史的都市および建造物の復興に向けた調査計画手法」の実施

東京文化財研究所における座学の様子
熊本市新町・古町地区復興状況の見学

 中東のシリアでは平成23(2011)年3月に紛争が始まり、終結を見ぬまま既に8年の月日が経過しています。人的被害は言うまでもなく、紛争の被害は貴重な文化遺産にも及んでいます。
 日本政府と国連開発計画(UNDP)は、平成29(2017)年から文化遺産分野におけるシリア支援を開始しました。平成30(2018)年2月からは、奈良県立橿原考古学研究所を中心に、筑波大学や帝京大学、早稲田大学、中部大学、古代オリエント博物館などの学術機関がシリア人専門家を受け入れて考古学や保存修復分野において様々な研修を行っており、東京文化財研究所もこの事業に参加しています。
 昨年5月に「紙文化財の保存修復」研修を実施したのに続き、今年度はシリア人専門家2名を招聘して7月24日から8月6日まで約2週間にわたり、「歴史的都市および建造物の復興に向けた調査計画手法」をテーマとする研修を実施しました。
 シリア紛争下では、古都アレッポなど多くの歴史的都市が戦場となり、数多くの歴史的建造物が被災しました。研修の前半では、歴史的建造物の破損状況調査や応急処置、構造安全性診断の方法、ドキュメンテーションやデータベースの作成方法、さらには復興計画の策定方法や復興・保存体制の構築方法に関して、各分野の専門家7名を講師とする座学を行いました。これに続く後半では実地研修として、熊本城や新町・古町地区、熊本大学や重文江藤家住宅など、平成28(2016)年の熊本地震で被災した歴史的建造物および町並みの復興状況を見学するとともに、現場担当者のお話を伺いました。さらに、京都や奈良の伝統的建造物群保存地区も訪れ、日本の歴史的建造物の修理・活用事例等についても学んでもらいました。
 最後になりますが、今回研修にご協力いただいた専門家および関係機関・担当者各位に改めて御礼を申し上げます。
 東京文化財研究所は、今後もシリア文化財支援活動を継続していく予定です。

ブータン王国の歴史的建造物保存活用に関する拠点交流事業Ⅰ

協力専門家会議の様子
民家の保存活用事例の視察研修(福住)

 東京文化財研究所では本年度、文化庁の文化遺産国際協力拠点交流事業を受託し、ブータン王国の民家を含む歴史的建造物の文化遺産としての保存と持続可能な活用のための技術支援及び人材育成に取り組んでいます。令和元年(2019)6月23日から28日にかけて同国内務文化省文化局遺産保存課(DCHS)の職員2名を招へいし、協力専門家による第1回会議を開催するとともに、民家の保存活用事例に関する視察研修を実施しました。
 会議では、DCHSのイシェ・サンドゥップ氏から文化遺産に関する法制度整備の進捗状況、ペマ・ワンチュク氏から民家及び集落の保護の展望について報告があり、出席者との質疑を通じて、同国が直面する課題と現状に関する情報の共有が図られました。また、8月に予定している現地調査についても議論され、実施内容や体制の方向性を固めることができました。
 視察研修では、我が国における文化財としての民家の保護の基本的な取り組みについての見識を深めるため、解体修理中の尾崎家住宅(鳥取県湯梨浜町)と移築民家を公開している日本民家集落博物館(大阪府豊中市)を訪問しました。また、集落町並みの保護に取り組んでいる鳥取市鹿野(鳥取県)、養父市大屋町大杉、丹波篠山市篠山、同福住(以上、兵庫県)、南丹市美山町北(京都府)の各地区を訪問し、地域住民の活動や民家の宿泊施設等への活用についての知見を広めました。特にブータンが今後の課題としている文化遺産の民間活用に対する関心は高く、活発な質問や意見が交わされました。
 今回の研修に御協力いただいた鳥取県、兵庫県、京都府の各府県及び湯梨浜町、養父市、丹波篠山市、南丹市の各市町、また(公財)文化財建造物保存技術協会ほか各機関、関係者の皆様に、この場を借りて深くお礼申し上げます。

アンコール・タネイ遺跡保存整備のための現地調査VI

ICC専門委員による現地調査
小型クレーンによる散乱石材の移動

 東京文化財研究所では、カンボジアにおいてアンコール・シエムレアプ地域保存整備機構(APSARA)によるタネイ寺院遺跡の保存整備事業に技術協力を行っています。これまでに策定した同遺跡の保存整備計画に基づく東門の修復工事の開始に向け、アンコール遺跡救済国際調整委員会(ICC)での同修復計画の審査と工事着手前に必要な調査の実施のため、令和元(2019)年5月19日から6月29日にかけて計5名の職員の派遣を行いました。
 6月11~12日に開催されたICC技術会議では、解体修理を主体とした修復計画を提案し、3名の専門委員による現地調査を含む慎重審議の結果、ほぼ原案どおりでの承認を受けることができました。また、工事着手前の調査として、東門周囲の散乱石材の移動等に伴う石材調査と排水経路検討のための発掘調査を行いました。
 石材調査では、散乱石材の記録と番付を行い、石材を修復工事の邪魔にならない外周部に移動、整理しました。石材の移動には、西トップ遺跡の修復工事を行っている奈良文化財研究所の小型クレーンを借用し、効率的に作業を進めることができました。
 発掘調査では、東門周囲からの自然排水の経路を検討するため、東門西方に位置する十字テラス北東端部と東門周辺との間の旧地表面の高低差を明らかにすることを試みました。東門周辺は周囲に比べて標高が低くなっており、雨水が溜まってしまうことが懸念されることから、今後の整備にあたっては寺院北濠への排水路の設置を計画しています。なお、今回の発掘調査では、十字テラスと東門をつなぐ参道の一部の可能性があるラテライト敷き遺構を検出しました。さらなる調査の成果が期待されます。

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