研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『TOBUNKEN NEWS (東文研ニュース)』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。

東京文化財研究所 保存科学研究センター
文化財情報資料部 文化遺産国際協力センター
無形文化遺産部


上海博物館情報センター主任以下4名の来訪

上海博物館情報センター主任以下4名が来訪しました。

 6月22日(金)、上海博物館に新設される実験室のための調査を目的に、上海博物館情報センター主任以下4名が来日し、東京国立博物館国際交流室の案内により、東京文化財研究所を来訪しました。来訪者の方々は、所長との懇談の後、所長の案内のもと所内各実験室等の視察を行いました。

平成18年度自己点検評価

 文化財研究所は、中期計画や年度計画に基づいて、自己点検評価を適切に実施し、その結果を法人運営の改善に反映させています。過日、平成18年度の自己点検評価を終え、目下、その報告書を印刷中です。
 18年度の研究・事業件数は、業務運営の効率化1件、東京文化財研究所関連40件、奈良文化財研究所関連48件、計89件でした。今期の中期計画では、17年度までのそれを点検し直し、整理、統合しましたので、かなり件数が少なくなっています。例年通り、3月から4月にかけて、各部局が業務実績書と自己点検評価調書を作成し、5月17、24日に外部評価委員から評価と意見をいただきました。今期からは、奈良と東京の各部局が、外部評価委員にすべての事業を報告する形式に改め、かつ、事業毎の評価ではなく、あらかじめ設定した評価項目に沿って、研究所の活動の総体を総合的に評価していただくことにしました。後日、外部評価委員の評価と意見を参照しつつ、自己点検評価をまとめました結果、すべての事業が順調に進行し、目標通りの実績を上げたことを確認しました。今後の課題として、外部資金の積極的な導入、大型研究機器の更新や施設の改善への取り組みなどが必要であることがわかりました。
 自己点検評価の結果は、文部科学省独立行政法人評価委員会文化分科会国立文化財機構部会が行う「独立行政法人文化財研究所の平成18年度に係る業務の実績に関する評価」のための調書作成にも活用されました。

今年度の総合研究会

今後50年間に震度5強以上の内陸直下型地震を被る確率が20%以上の国宝文化財
(○:建造物、△:美術工芸品のうち赤色で示したもの。赤色や緑色の線は内陸活断層の位置)
(二神葉子「文化財のGISデータベース化と地震危険度評価」の発表資料より)

 東京文化財研究所では総合研究会を開催しています。総合研究会とは各部・センターの研究員が各自、テーマを設定し、研究プロジェクトの成果を発表し、それに対して所内の研究者が自由に討論する研究会です。
 今年度は平成19年6月5日(火)に第1回総合研究会を開催し、文化遺産国際協力センターの二神葉子が「文化財のGISデータベース化と地震危険度評価」と題する発表を行いました。文化財の防災対策にとってGISの活用がいかに有効であるかを論じました。
 今後は下記の通り開催する予定です。

  • 第2回  平成19年7月10日
  • 「宗湛の研究」
  • (企画情報部・綿田稔)
  • 第3回  平成19年10月2日
  • (仮題)「文化財の調査のための新しいX線検出器の開発」
  • (保存修復科学センター・犬塚将英)
  • 第4回  平成19年12月4日
  • (仮題)「磨崖仏の保存施設としての覆屋の評価」
  • (保存修復科学センター・森井順之)
  • 第5回  平成20年1月8日
  • (仮題)「仏教図像の研究」
  • (企画情報部・勝木言一郎)
  • 第6回  平成20年2月12日
  • (仮題)「人形浄瑠璃文楽」
  • (無形文化遺産部・鎌倉恵子)
  • 第7回  平成20年3月4日
  • (未定)
  • (副所長・三浦定俊)

 講師等の都合により、日程や内容を変更することがあります。

脱活乾漆造の菩薩立像の調査

菩薩立像 個人蔵

 企画情報部のプロジェクト研究「美術の技法と材料に関する広領域的研究」の一環として、都内在住の個人が所有する脱活乾漆造の菩薩立像(像高77.1㎝)の調査を6月21日(木)に行いました。この脱活乾漆造とは、粘土で原型をつくり、その表面に麻布を貼り固めたのちに、像内の粘土を除去して中空にするとともに、麻布の表面に漆木屎を盛り付けて塑形する仏像制作技法であります。周知の通り、わが国におけるこの技法による仏像制作は天平時代(8世紀)に盛行しましたが、現存の作例数は極めて限られています。そのような現状にあって今回調査対象となった菩薩立像は、これまで存在が知られなかった作例であります。像は表面に後補の漆箔が認められるとともに、破損部には補修が存在するのも事実でありますが、保存状況は比較的良好であり、ほぼ完全な姿で今日に伝わっていることは特筆されてよいでしょう。渦を巻くように纏められた「螺髻(らけい)」の表現や、面部の肉取りの様子等から制作時期は8世紀の最末もしくは9世紀に入ってからのようにも思われました。ただし、脱活乾漆造の調査の常として、目視による表面観察からだけでは、ことに技法面において何層にわたって麻布貼りが行われているのか、また、どの程度、補修・後補部が像に及んでいるのかなどが、いまひとつ判然としないもどかしさが残るのも事実です。今後、所蔵者の了解を得て、X線透過撮影を行い、構造を中心に材料・技法の研究を進めて、この菩薩立像の解明を進めてゆきたいと考えます。

芸北神楽の調査

神楽ドームでの定期公演の一場面

 無形文化遺産部では、我が国における無形民俗文化財の保存・活用に関する調査研究をすすめています。この一環である民俗芸能の伝承の実態や公開のあり方に関する調査の一例として、広島県安芸高田市美土里町の神楽門前湯治村の活動の実地調査を行いました。安芸高田市美土里町(旧広島県高田郡美土里町)は、広島県北西部に伝承され、芸北神楽と総称される神楽が盛んな土地で、現在も13の神楽団が町内で活動しており、いくつかの演目や団体は、広島県の無形民俗文化財に指定されています。しかし現在この神楽がよく知られているのは、新舞と呼ばれる、戦後に創作され新たな趣向を取り入れた演目が定着し、地域の人々にひろく娯楽として親しまれるようになっているからです。そして、この新しい神楽現象のシンボル的な存在が、平成10年に美土里町にオープンした療養娯楽施設「神楽門前湯治村」と、その中にある3,000人収容の神楽専用常設舞台である「神楽ドーム」です。
 神楽ドームでは、毎週末の日曜日および国民の祝日に、美土里町の神楽団出演による定期公演を行っているほか、土曜日には付属施設の屋内舞台であるかむくら座劇場での公開練習、さらに「神楽の甲子園」とも呼ばれる「ひろしま神楽グランプリ」をはじめとする各種競演大会などが催されます。こうした公演は県内外から多くの観客を集めています。また、定期的な練習の場として開放されており、上演機会が通年的に確保されることから、美土里町の神楽団の伝承拠点としての役割も果たしています。実際に、定期公演の観客も多くは近隣の住民であるとのことであり、地域に根ざした施設であると言えます。
 こうした観賞のための上演を目的とした神楽は、きわめて新しいあり方であると思われるかもしれませんが、実際には広島県を中心とした地域では、戦前から神楽や盆踊りの競演大会が行われていたという報告もあります。現在も開催されている競演大会の最古のものでも昭和22年より続けられており、すでに50年以上の歴史を持っています。また、多くの競演大会では人気のある新舞と同時に、伝統的な演目である旧舞のわざを競う部門も設けられており、このようなイベントが伝統的な演目の伝承を支え、活性化してきたという面を見逃すこともできません。現在このような「見せる神楽」の隆盛は、島根県や岡山県にも広がってきています。
 経営面の安定や、神楽の変質への危惧、主な出演団体を美土里町の神楽団に限るべきか否かなどの問題も指摘されていますが、このように文化の伝承や地域のアイデンティティの形成に一定の効果を挙げていることが認められています。民俗芸能の現代における伝承実態の興味深い例であると言えるでしょう。

国宝 高松塚古墳壁画の保存修復

東第一石(男子群像)の表打ち作業
東第二石(青龍)の表打ち除去

 2007年4月から開始した高松塚古墳の石室解体も、6月26日に西第一石(男子群像)が解体され仮設修理施設へ移動したことで、残すは床石のみとなりました。東京文化財研究所では、高松塚古墳壁画の保存に関して、壁画養生・修復、環境・生物調査の分野で寄与しています。
 6月には、7日:東第二石(青龍)、14日:西第二石(白虎)、15日:南壁石、22日:東第一石(東男子群像)、26日:西第一石(西男子群像)の順に解体・移動が行なわれました。壁画養生・修復班では、安全に壁画を移動できるように、石間に被っている漆喰を取り外し、化繊紙を用いた画面の表打ちを行ないました。表打ちは、カビ発生のリスクを低減するように、材料や作業時期を考慮して行いました。また石が搬出される都度、古墳内では、環境・生物調査班が微生物の調査を行ない、壁画周囲の湿度を一定に保つための囲いをとりつけるなどの作業を行ないました。
 仮設修理施設にて受け入れた石材は、写真撮影・サンプリング・クリーニングを行なったうえで修理作業室に移動します。その後、画面表打ちの除去を行ったうえで、壁画面の状態を観察・記録し、これから長い期間をかけて行なう壁画修理に必要な情報収集を行なっています。

インドネシア・プランバナン遺跡復興専門家会合

プランバナン寺院ガルーダ祠堂

 2006年5月27日に発生したジャワ島中部地震により被災した世界遺産プランバナン遺跡群については、昨年度に派遣した調査団により被害状況、修理履歴、地盤、構造体の振動特性などの基礎的調査を行っています。2007年6月29日、30日の2日間にわたり現地で開催された専門家会合では、インドネシア側が行った地盤や構造体の調査も含めてこれまでに実施した調査結果についての総合的な検討を行いました。これに基づいて一部解体を含む修理の方針や手順などについて基本的な方向付けが出来ました。また、具体的に修理設計を進めていくためにさらに必要な調査事項について協議しました。
 日本からの技術協力の内容としては、遺跡群の中枢をなし早期公開が望まれているプランバナン寺院について、本年度中に修理設計を取りまとめるために必要な支援を行うことです。具体的には、地震計を設置して構造体の振動特性をさらに明らかにした上で必要な構造補強方法を提示すること、オルソ画像を作成した上で、これに各石材の破損状態、補修方法と解体範囲を図示し、修理事業費の積算が可能な水準での設計資料を整えることです。このため、9月以降に再度の現地調査を予定しています。

寄付金の受入れ

下條理事長、浅木社長から寄付を受ける鈴木所長、左から吉田副理事、下條理事長、浅木社長、鈴木、永井、後藤(以上、東京文化財研究所)

 東京美術商協同組合から、東京文化財研究所における文化財に関する調査・研究等の成果の公表にかかる出版事業の助成を目的として、また(株)東京美術倶楽部から東京文化財研究所における研究事業の助成を目的として、それぞれ寄付金のお申し出がありました。
 東京美術商協同組合からは、2001年秋から毎年春と秋に各100万円のご寄付をいただいており、今回で12回目となり、(株)東京美術倶楽部からは、昨年秋に100万円のご寄付をいただいており今回で2回目となります。
 5月28日、港区新橋の東京美術商協同組合において、鈴木所長が東京美術商協同組合下條啓一理事長並びに(株)東京美術倶楽部浅木正勝代表取締役社長から寄付を受領いたしました。その後、文化財保存・修復並びに美術品等の展覧会に関する文化事業について懇談しました。
 当研究所の事業にご理解を賜りご寄付をいただいたことは、当研究所にとって大変有難いことであり、研究所の事業に役立てたいと思っております。

国宝「彦根屏風」調査報告書編集

 彦根藩主井伊家に伝わったことから「彦根屏風」と称されてきた「風俗図」は、物語性を感じさせる構図、人物や調度に見られる精緻な描写など見どころの多い作品ですが、作者や制作背景には不明な点も多く、「屏風」と言われながら、各扇にあたる6枚が分離して伝存してきたことにも様々な解釈が寄せられてきました。平成18年度から2ヶ年の予定で、文化庁および滋賀県の補助事業としてこの作品の修理が行われるため、これを機会に彦根城博物館と当所ではこの作品の共同調査研究を行い、高精細デジタル画像、赤外線や可視域内励起蛍光画像を撮影するとともに、蛍光X線分析を行いました。現在、その成果をまとめた報告書を編集中で、9月28日から10月26日まで彦根城博物館で行われる「よみがえった国宝・彦根屏風と湖東焼の精華」展にあわせての刊行を目指しています。同展では高精細画像の展示やシンポジウムも行われ、修復後の作品とともに、修理の過程や調査によって明らかになった点が公開される予定です。

矢代幸雄のアジア美術観に関する研究

1940年に行われた矢代幸雄一行による中国視察旅行の折に撮影された写真から。当時北京市内にあった楼門には、「仁丹」の広告があったことがわかる。
美術研究所創設当初の矢代幸雄(右側)と所員であった尾高鮮之助。尾高は、矢代からの助言により東アジア美術研究を志して、30年代はじめにアジア各地を実地に調査した。(『亡き鮮之助を偲ぶ』より)

 5月25日から27日までの3日間、九州大学、九州国立博物館、筑紫女学園大学において第60回美術史学会全国大会が開催されました。初日(会場:九州大学50周年記念講堂)に、わたしは「アジアのモダニズムの一側面―『仁丹』広告がつたえること」と題して発表しました。
 題名にあげた「仁丹」とは、もとより商標であり、現在も商品として販売されています。(当初は「万能の懐中薬」として、1920年代からは「口中芳香剤」として、現在は医薬部外品として販売されています。)1905年の発売当初から大礼服姿に髭を蓄えた紳士の胸に記された「仁丹」の広告イメージは、トレードマークとして新聞、看板等の宣伝メディアをつうじて、「全国津々浦々の薬店」まで浸透していったとされます。しかも当時から日本国内だけではなく、同じ漢字文化圏である中国大陸への販路拡大をめざしており、その結果、第二次世界大戦終了までにはアジア各地に支店等を設け、各地域で国内に劣らないほどの宣伝活動をしていました。そこで本発表では、日本から発信された視覚イメージとしての「仁丹」広告をとおして、それをどのように見せようとし、一方でどのように見られていたのかということをひとつの側面として視野にいれつつ、1910年代から30年代の「美術」(「美術史」研究、美術行政を含む)における問題を、「アジアのモダニズム」という視点から発表しました。
 とくに発表では、当研究所の前身である「美術研究所」の創設期の所長であった矢代幸雄、また早世した所員尾高鮮之助(1901-33)たちが構想したアジア美術研究と各地における調査活動に焦点をあてました。というのは、そこで写された写真のなかには、すでに「仁丹」広告がみえることから、戦前期における日本の経済活動と人文研究の重なりのなかに日本人が抱いた当時の「アジア」観を検証しました。この発表のためには、今年度刊行が予定されている『東京文化財研究所七十五年史』、またアジア仏教美術研究者として再評価がすすむ尾高鮮之助に関する調査研究の蓄積を少なからず参照しました。この点からも、今回は単なる個人研究というものではなく、当研究所の「美術史」研究のひとつの現況を報告する内容でもありました。

特別陳列 海外の日本美術品の修復の開催と平成19年度の修復計画

並べられた平成18年度の修理作品
修理過程を図示・解説したパネル

 東京文化財研究所では、海外の美術館・博物館が所蔵する日本美術品の保存修復に協力するとともに、対象作品を所蔵館との共同で保存修復に関する研究を行っています。平成18年3月末に修復が完了した絵画5件『源平合戦図屏風』(6曲1双、オーストリア応用美術博物館)、『洛中洛外図屏風』(6曲1双、カナダ、ロイヤル・オンタリオ美術館)、『保元物語図屏風』(6曲1隻、チェコ、ナープルステク博物館)、『明皇蝶幸図屏風』(4曲1隻、チェコ、プラハ国立美術館)、『見立反魂香図』(歌川豊春筆、1幅、同)、工芸品1件『山水人物蒔絵箪笥』(1基、スペイン国立装飾美術館)について、4月20日に開催された在外日本古美術品保存修復協力事業運営委員会でのお披露目を経て、その事業活動を広く知っていただくために5月15日から27日まで東京国立博物館平成館1階企画展示室において特別陳列を開催いたしました。
 平成19年度は絵画5件(うち、新規4件『日吉山王祭礼図屏風』〈6曲1双、アメリカ、ヒューストン美術館〉、『多武峯維摩会本尊図』〈1幅、アメリカ、キンベル美術館〉、『釈迦十六善神像』〈1幅、オーストラリア国立美術館〉、『花鳥図屏風』〈6曲1双、オーストラリア、ビクトリア国立美術館〉、昨年度よりの継続1件『阿弥陀三尊来迎図』〈1面、スイス、リートベルク美術館〉)と工芸4件(うち、新規2件『源氏九曜紋蒔絵箔箱〈1合、ハンガリー、ホップ・フレンツエ美術館〉、『楼閣山水蒔絵箱』〈1合、オーストリア応用美術博物館〉、昨年度よりの継続2件『花卉螺鈿ライティングビューロー』〈1基、ポーランド、クラコフ国立博物館〉、『楼閣山水螺鈿箪笥』〈1基、イタリア、キヨッソーネ東洋美術館〉)を日本において、また、ドイツ・ケルン東洋美術館に開設している海外修復工房において工芸2件(新規1件『花円文虫蒔絵阮咸』〈1面、オーストリア、ウィーン国立民族学博物館〉昨年度からの継続1件『花樹鳥獣蒔絵螺鈿洋櫃』〈1基、ドイツ、ケルン東洋美術館〉)を対象作品として、保存修復事業を進めています。

伝統楽器情報検索、開始しました

伝統楽器情報データベース一覧表示画面

 『東文研ニュース』No.25の記事でご紹介した『伝統楽器・所在データベース』(芸能部編刊 平成18年3月)に基づく「伝統楽器」検索が、本格的にご利用いただけるようになりました。元になったデータベースは、平成13年より全国の博物館及び都道府県市町村の教育委員会に依頼して行った伝統楽器のアンケート調査のうち、教育委員会からの集計結果とホームページより入手した情報が中心になっています。検索項目は、楽器分類、楽器名、指定、都道府県名の4項目で、分類はザックス・ホルンボステル法に基づき、弦鳴楽器・気鳴楽器・体鳴楽器・膜鳴楽器・出土楽器となっています。楽器名は「鼓」「鐘」「笛」など名称の一部でも検索可能ですし、指定は、国・都・道・府・県・市・区・町・村の9種で検索できます。ただし、情報を得た時点のデータに従っているため、データ入手後市町村合併が行われた場合の変更は反映していません。伝統楽器の所在確認に役立つよう、データは随時追加を行っていく予定です。

『独々涅烏斯草木譜』原本の科学的調査

「原本」表紙布の拡大像観察を行っている様子

 『独々涅烏斯(ドドネウス)草木譜』原本(以下、「原本」と記す)はベルギーの博物学者ドドネウス(Rembertus Dodonaeus、1517-1585)の著作である、植物の性質や薬効などに関し、図版を伴って詳細に記した本草書”Cruydt-Boeck”(草木譜)のオランダ語版第2版(1618年刊行)が江戸時代、国内に輸入されたものです。この”Cruydt-Boeck”の抄訳をもとに、徳川吉宗の命を受けた野呂元丈らが寛保元年(1741年)から寛延3年(1750年)にかけて「阿蘭陀本草和解(おらんだほんそうわげ)」を記したことが知られています。さらに、松平定信の命によって、石井当光、吉田正恭らが全訳にとりかかり、文政6年(1823年)ごろ、ほぼ完成したとされています。
 「原本」は複数冊輸入されていますが、そのうち早稲田大学図書館が所蔵しているものは、輸入後7冊に分冊されたのち再製本されたもので、第1分冊の修復作業が埼玉県寄居町にある修復工房“アトリエ・ド・クレ”(岡本幸治代表)で進められています。修復の過程で、岡本氏の調査により、「原本」の製本スタイルが高度な洋式であること、また国内で最も古く洋式製本された書物のひとつである可能性が出てきました。そこで岡本氏の依頼を受けた東京文化財研究所では、製本時期を絞り込むための情報を得る目的で、製本や装丁材料の科学的分析を他の機関とも協力して着手することになりました。これまでに、加藤雅人研究員(保存修復科学センター)による透過画像分析により、見返しの紙が18世紀後半にフランスで出版された書物に用いられたものであること、京都工芸繊維大学の佐々木良子氏による赤外全反射吸収スペクトル法を用いた分析により、綴じ糸には国産の大麻が使われている可能性が高いことが判明しました。また、吉田による可視反射スペクトル分析により、ジューイ更紗と考えられている表紙布のプリントにはインディゴ系染料が使われていることも明らかになりました。「原本」は傷みが激しいため、各材料の分析は極めて慎重に行っています。そのため、上記目的を達する結果を得るにはまだまだ時間がかかりますが、それぞれの材料に対する最適な分析手法を選びながら、少しずつでもこの「原本」の来歴を明らかにする作業を続けたいと考えています。

国宝高松塚古墳壁画の保存(絵画修理を中心に)

解体後、仮設修理施設に運び込まれ、修理を待つ壁画

 高松塚古墳壁画の保存に関しては、平成17年に微生物対策の観点などから石室を一旦解体して取り出して修理することが決定され、その後、石室の解体や石の移動方法、壁画や石の処置法、修理施設など様々な方面の検討を重ねてきました。そして、本年4月からは石室の解体、石の修理施設への移動、絵画の修理が始まりました。東京文化財研究所は、特に、環境制御、生物対策、絵画修理という点を中心に、この高松塚古墳壁画保存のプロジェクトに寄与していますが、ここでは絵画に対して行われる処置について報告します。
 石を古墳から修理施設に移動する際の絵画への様々な影響を十分に検討しました。
 絵画面に対しては、念には念を入れて、セルロース誘導体を用いて強化したり、特殊な紙を使用して表面を保護します。修理施設に運びこまれた石は、まず前室で、石の表面に付着した汚れをクリーニングします。修理施設内の環境はカビにとっては生育しやすい条件ではありませんが、クリーニングの際には、エタノールを用いた消毒もあわせて行います。クリーニングが終了した石は修理室内の所定の位置に移動されます。絵画の修理としては、石が修理室に運び込まれてからが主な作業になりますが、現在のところ、保護がある部分はそれを慎重に除去し、絵画表面の観察を行い、絵画面のクリーニングや修理の方法を検討しているところです。
 5月31日現在、7枚の石が修理施設に運び込まれ、本格的な絵画修理が始まるのを待っています。

敦煌壁画に関する共同研究と研修者派遣

莫高窟第285窟での撮影調査

 第5期「敦煌壁画の保護に関する共同研究」は2年目を迎え、5月8日から3週間の日程で敦煌莫高窟にメンバーを派遣して、今年度前半の合同調査を実施しました。調査は、昨年度からの継続で、西暦538、539年の紀年銘を持ち、仏教のみならず中国の伝統的題材に彩られることで重要視されている第285窟での、光学的方法による撮影、顕微鏡や分光反射率測定などによる分析的研究を行いました。また、名古屋大学と共同の放射性炭素年代測定による石窟の年代同定研究のために、第285窟のほか莫高窟最初期窟とされる第268、272、275窟の壁体からサンプルの追加採取を実施したほか、夏に予定されている本年度後半の合同調査、および秋以降の敦煌研究院来日研修者との共同研究に向けて、各種の準備を行いました。いっぽう、この調査チームとともに3名の大学院博士課程で学ぶ学生が莫高窟に行きました。彼らは、昨年度から実施している「敦煌派遣研修員」として、公募により選抜されました。保存科学、絵画修復、文化遺産管理とそれぞれに異なる専門領域からの参加で、9月中旬までの4ヶ月間、敦煌研究院保護研究所の専門家の指導を受けて、壁画保護のための多岐にわたる内容の研修を受けます。この研修は今後さらに3年間を予定しており、壁画の保存修復を直接学ぶ機会のほとんどない日本の若手専門家が、将来にわたり国内外で活躍するための大きな門戸を開くものとなります。

「活動報告」をホームページへ掲載

 東京文化財研究所では今年度から「活動報告」を毎月、ホームページに掲載することといたしました。「活動報告」では研究所全体、あるいは各部・センターのさまざまな活動を素早く伝えることを目指しています。例えば3月25日、能登半島地震の発生から1ヶ月も経たないうちに行った被災文化財調査や高松塚古墳壁画の保存に向けたさまざまな取り組みなどの記事を研究者の眼から報告していきます。

東京文化財研究所の特集が『日本の美術』から刊行

『日本の美術 No.492 文化財と科学技術 東京文化財研究所のしごと』

 『日本の美術 No.492 文化財と科学技術 東京文化財研究所のしごと』(2007年、至文堂、定価1,650円税込み)が出版されました。本書は、科学技術を活用した実践的な調査・研究の事例をあげながら、作品の科学的調査、保存環境と劣化、修復材料・技術の評価と改良、開発、近代遺産の保存修復、国際的な文化財保存協力と科学技術、無形の文化財・記録の手法と技術を解説しています。『日本の美術』はお近くの書店でお求めいただけます。

所蔵和雑誌情報の公開と、閲覧方法の改善

マイクロフィルム・エクスプローラー

 当研究所は美術雑誌を数多く所蔵しており、その目録を刊行物としては公にしておりましたが、 4月より「研究資料データベース検索システム」に所蔵和雑誌の情報を加えて、ウェブ上で公開し、検索に供しております。当所の蔵書は、明治から昭和前期にかけて刊行された美術雑誌が多数含まれる点を特色のひとつとしています。これらの雑誌は、用いられている紙、印刷技術などにも各時代の歴史的情報を読み込むことができる貴重な資料です。多くの文化財がそうであるように、こうした資料も、一方で保存を、他方で活用を考えていかなくてはなりません。当所では、これらの美術雑誌を保存するため、劣化の度合いと使用頻度等に鑑みて、資料のマイクロフィルム化・CD-ROM化を進め、一般的な利用に関しては、これら複製を皆様に提供し、原本は貴重書扱いとして特別な申請に対して対応しております。
 4月からの所蔵情報のウェブ上での公開にあわせて、より広くご利用いただけるよう、資料閲覧室ではマイクロフィルム・エクスプローラーを設置いたしました。この機器はパソコンのモニター上でマイクロフィルムが閲覧でき、プリントアウトも可能です。従来のマイクロフィルムリーダープリンターとあわせて、ご利用いただければ幸いです。

東京国立博物館における「黒田記念館 黒田清輝の作品Ⅰ」展示

黒田記念館 黒田清輝の作品Ⅰ

 今年度 4月、文化財研究所と国立博物館の両独立行政法人は、統合して独立行政法人国立文化財機構になりました。これにともない黒田記念館所蔵の作品を、平成館1階企画展示室にて展示しました。内容は、洋画家黒田清輝の代表作であり、もっともひろく親しまれている「湖畔」(国指定重要文化財)をはじめ、フランス留学時代から晩年までの作品(油彩画14点素描8点)によって構成しました。これによってリベラルな思想に裏づけられた、外光と色彩を意識した新しい視覚表現によって、明治中期の日本の洋画界に変革をもたらした黒田清輝の芸術のエッセンスを紹介しました。(会期:4月10日から5月6日まで)。会期中、同博物館では「レオナルド・ダ・ヴィンチ―天才の実像」展開催と重なったため来館者も記録的に多いなか、そうした方々にも黒田作品をも鑑賞していただくことができ、作品公開の機会拡大となりました。一方黒田記念館では、これまで同様に毎週木、土曜日に公開を継続し、あわせて画家、及び作品等の研究成果を一般の方々に見ていただくようにつとめていきます。なお、今年度における第2回の同博物館での公開は、11月6日から12月2日までを予定しています。

ユネスコ「無形文化遺産保護条約に関する専門家会議」

無形文化遺産 「クッティヤッタム」

 去る 4月2日から3日間、ユネスコ・インド政府主催による上記会議が、各国 29名の無形文化遺産専門家の参加により、インドのニューデリーで開催されました。当研究所からは、無形文化遺産部の宮田が参加しました。
 この会議は、 5月の第1回臨時政府間委員会(中国、成都)及び9月の第2回政府間委員会(日本、東京)に向けた重要な会議として位置づけられるものです。討議は、条約の中心となる無形文化遺産の「代表リスト」と「危機リスト」に関して、その関係性やそれぞれの登録基準等をテーマに行われ、そこでの専門家の意見をユネスコ事務局が今後の作業指針原案作りに活かしていくことが目的とされました。しかし、参加した専門家間で、「代表性」や「緊急の保護」といった共通概念が十分でなかったため、やや抽象的議論に終始した感が否めず、結局の所会議としての勧告等の採択には至らずに終了しました。
 このように当初の目的からは必ずしも成功とはいえない会議でしたが、様々な文化プログラムなど、ホスト国のインドが示した無形文化遺産保護への意欲は並々ならぬものがありました。今後無形文化遺産部としても、インドとの交流を図っていく必要性を強く感じました。

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